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半沢直樹で話題 「マニラ出向」から返り咲いた大物財界人
http://gendai.net/articles/view/geino/144018
2013年8月14日 日刊ゲンダイ
絶好調のドラマ「半沢直樹」は、大阪を舞台にした第1部が終了した。堺雅人演じる銀行マン半沢は、マニラ出向の内示が出ながらギリギリで5億円の不良債権を回収。見事に支店長・浅野匡(石丸幹二)への“10倍返し”に成功した。最後は、東京に栄転する半沢に代わって、浅野が出向させられるという痛快な結末だった。
興奮冷めやらぬ視聴者の間では、いまでも第1部の感想が飛び交っているが、そんな中、半沢と浅野に降りかかった「マニラ出向」を実際に経験し、その後、華麗に返り咲いた大物財界人が注目されている。トヨタ自動車元社長の奥田碩氏(80)だ。
11日に放送された第5話の終了間際から、企業ドラマやビジネス本好きの視聴者がツイッターで、「マニラ出向といえば……」「トヨタの奥田さんだね」といったやりとりが相次いだ。
奥田氏は1955年に一橋大卒業後、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車株式会社)に入社。ずっと経理畑を歩むが、歯に衣着せぬ率直なもの言いが災いし、上司という上司から徹底的に嫌われた。人事部の評価は最低で、1972年秋に40歳でマニラに出向させられる。駐在期間は6年半に及んだ。
現地での仕事は財務顧問。フィリピンの政商で、現地でトヨタ車の組み立て・販売を独占する会社の社長から、トヨタへの延滞金を取り立てる任務だ。当時のマルコス大統領らとのパイプを生かして未納金を回収したという。このへんも半沢直樹に似ている。
マニラで冷や飯を食わされていた奥田氏が、社長にまでなれたのはどうしてか。経済ジャーナリストの溝上憲文氏がこう説明する。
「奥田氏はマニラで、後にトヨタ自動車初代社長になる豊田章一郎氏と出会っています。章一郎氏の娘婿の大蔵官僚がマニラのアジア開発銀行に出向し、章一郎氏が娘と孫に会いに来た際、世話をしたのが奥田氏といわれています。章一郎氏は『こんな才能があるやつが、マニラでくすぶっているのか』と、奥田氏の斬新な発想を高く買ったのです。左遷された奥田氏が社長にまで出世できたのは、この時の出会いが出発点です」
奥田氏は章一郎氏の強力な推薦で、79年に本社豪亜部長に復帰。49歳で取締役に選任され、あとはトントン拍子。95年には社長に昇格した。
半沢では、支店長の浅野は刑事告発を免れ、マニラに出向することになった。だから復活の芽はある。第2部で、復活した浅野が見られるか?
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