01. 2013年8月13日 15:00:07
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悶える職場〜踏みにじられた人々の崩壊と再生 吉田典史 【第6回】 2013年8月13日 吉田典史 [ジャーナリスト] 「お金を返すにはお金を借り続けるしかないよ……」 “悶える漫画家”のローン地獄に会社員が学ぶ教訓 連載『悶える職場』では、これまで苦渋の生活を強いられている会社員の生々しい姿を紹介しながら、ブラック企業の現場が抱える深い闇について検証してきた。今回は趣向を変えて、個人事業主の「悶える職場」を紹介しよう。 紹介するのは、生活苦に喘ぐベテラン漫画家・神田森莉(かんだ・もり)さんだ。筆者の前連載『シュリンク業界で生き残れるか?』にもご登場いただいた。本人の了解を得た上で、実名でお伝えする。 以前はヒット作を描き続けた神田さんだが、ここ10年間は仕事が少なくなり、収入が減っている。彼は「鬼のような営業」をしつつ、カード会社から借金することで当面、足りない生活費を補った。漫画を描き続け、何とか一定のペースで返済をするが、やはり収入が追いつかない。そこでまた借りる。自己破産や清算せざるを得ない悪循環に陥っていることを自覚していたが、どうすることもできなかったという。 これは企業の社員にとっても、「遠い話」ではない。不況で給与や賞与を大幅にカットされた中小企業の社員や、長時間労働のあげく残業代の支払いを受けられないブラック企業の社員の中には、低収入に耐えられずに借金を積み重ね、首が回らなくなった人も少なくないと聞く。 また、すでにリストラで職を失い、自分で事業を始めた人にとっては、身につまされる話だろう。同じくリストラに遭い、再就職を考えている人も、なかなか職が決まらずに失業期間が長引けば、やはり借金に頼らざるを得なくなる。 まさに一寸先は闇であり、いつあなたもこうした状況に追い込まれるとも限らないのだ。この漫画家の姿から、生き残るための指針を読み取ってほしい。 売れっ子ホラー漫画家は なぜ借金苦に悶えているのか? 「漫画家としてのプライドや意地は、なかったのですか?」 「それはない……。あの状況ではもう、返せないと思ったから」 「なんとか、ならなかったのですか?」 「仕方がないよ。収入が少なく、どうすることもできないから……。もう、あのカードでお金を借りることはできないのかもしれないけど」 漫画家の神田森莉さん(詳細はフェイスブックとブログを参照) 漫画家の神田森莉(かんだ・もり)さん(50歳)が、淡々と語る。2011年に、2つの大手カード会社から借りていたお金が返済できないとして、双方の会社とも「清算」をした。1つのカード会社への交渉は、弁護士に依頼した。
「ためらいはなかったのか」とさらに聞くと、クールに答える。 「身近に自己破産をした、同世代の漫画家がいた。お互い、仕事が少なかった。俺もそろそろかと思っていた」 年収1000万円の鬼才が一転、 120万円の生活苦に陥った理由 かつてホラー雑誌にヒット作を描き続けた鬼才の姿は、そこにはなかった。1989年、25歳の頃にデビューし、わずか2〜3作目で雑誌の巻頭や表紙を描いた。神田さんは当時を振り返る。 「宝くじに当たったようなもの。この業界は、俺よりも才能があっても、デビューし、ヒット作に巡り合えない人は多い」 1990年代には、単行本として『怪奇カエル姫』『37564(みなごろし)学園』『少女同盟』(共にぶんか社)などを発表した。一時は仕事が殺到し、収入は1000万円近くになった。1990年代の約10年間の月毎の売上は、多い月で七十数万円、少ないときは二十数万円だった。年収は、少なくとも500万〜700万円をキープしていた。 世田谷区に家賃14万円のオフィスを構え、アシスタントは多いときで、時給1000円で5人ほど雇っていた。 しかし、40歳を超えた10年ほど前から仕事が減る。慢性的な不況により、コミック雑誌の数が少なくなり、得意のホラー作品を描く場が減ったことが大きな原因だという。現在の仕事の状況は、本人いわく「相当に深刻で、ヤバイ」のだそうだ。 「最近、雑誌の連載が打ち切りになった。10年近く続いていたけど、他の漫画家と比べると、俺の扱いは軽かったから……。短いギャクページだった。月に6万円ほどの収入になっていた。今後は、月の収入10万円をキープするのも難しくなるのかもしれない……」 年収が100万円を切ることになると、ピーク時の1000万円の10分の1以下となる。東京都区部に単身で住む30代の生活保護受給者の年間受給額は、最大で150万〜160万円ほどであることを踏まえると、確かに深刻な状況ではある。 お金を返すためにお金を借りるわけ だって、収入が少ないから…… 2年前のカード会社の「清算」について聞くと、当時のことを記録したノートを取り出し、説明する。 「清算する5年ほど前から、年収は250万円、月収は20万円くらいだった。営業などで頑張っても、30万円にはなかなか達しないの……。それで数年間にわたり、2つの大手カード会社のカードで借り続けた。現金でお金を借りるキャッシング機能を使うことが多かった。その結果、2つのカード会社の借金は280万円ほどに膨れ上がっていった。いちばん多いときは、400万円目前だった。結構、返したんだけど……」 さらに、こう補足する。 「キャッシング機能で現金を借り続けると、際限がない。そこで、ショッピング機能を使い、食料品などはそのカード会社が提携・運営するスーパーで買うわけ。だけど、そのスーパーは家の近くにない。往復1時間をかけて通っていた。当然、買い物のお金も返済しないといけない。このままの生活では破産する、と心得ていながら、カードなくして生きていけない……」 なぜ、収入が少ないのにお金を借り続けたのかと聞くと、「それは……」と口にして、しばらく間を置き、こう続ける。 「お金を返すために、お金を借りるわけ。だって、収入が少ないから、生活ができない。それで、お金を借りる。金利が18%だった。1万円借りても、返済期間が延びると、数万円返すことになる。当然、それを返すことができない。それでまた、借りる。もう、泥沼化していくの」 借りたお金は、ギャンブルやお酒などの飲食に消えたのではない。生活費の補填として使ったのだという。 当時は独身だったが、生活は苦しかった。月に20万円の収入があったとしても、2つのカード会社からの請求は併せて月に12万円。支払いを終えると、残りは8万円。都内に住み、1ヵ月8万円ほどの家賃のマンションに住む。電気代、ガス代、電話代などを払うことができない。それで止むを得ず、借りることになる。さらに食事代なども借りる。 「当面の生活費を補うために借りる。会社員のような定収入があれば、あれだけの額を借りることはなかったのかもしれないけど……」 月に20万円ほどの収入とは言っても、それは1年間のおおよその平均である。当時は、雑誌の連載などの安定収入がなかった。1回読み切りの単発の漫画を描くことが多かった。自ずと収入は不安定になる。少ない月は、10万円前後になっていた。そうした際も、また借りなければいけなかった。 その頃、神田さんは難局を乗り越えようと、「鬼のような営業」をしたと語る。 「カード会社から金を返せ、と催促を受けたことはない。毎月、12万円を返済はしていたから。なんとか返せないといけないと思い、とにかく仕事を取ろうとした」 私が「プロ意識があったのですね」とつぶやくと、「うん……」とだけ答えた。 なんとかなると思い込み ずるずるとお金を借り続けた 数多くの出版社に作品のコピーなどを郵送し、面談を求めた。30社のうち、3社ほどから仕事を受注することができた。特に実話雑誌が多かった。 「当時は、実話雑誌が多くてね。そこで風俗をテーマにした作品を描くことを依頼されたの。だけど、風俗店にお客として行くことができない。だって、お金がないから。それでツテを便り、キャットファイトをする女の人に取材し、話を聞いたの」 私が「キャットファイト?」と聞き直すと、神田さんはやや前のめりになり、真剣な表情で説明をする。 「女の人が水着を着て、プロレスのリングに上がり、闘うわけ。プロレスとは意味合いが違うの。闘う女の人のことをキャットファイターと呼ぶ。彼女たちに1万円くらいを支払い、話を聞く。それを素材に漫画を描いていた。この業界には食い込んでいたよ……」 「鬼のような営業」も実らず 弁護士に頼んで何とかローンを清算 私が「それなら、仕事がない漫画家を辞めてライターになれば、もう少し収入を得ることができるのでは」と聞くと、神田さんは少し笑いながら否定する。 「キャットファイターへの取材は難しい。俺にはできない。彼女たちはリングの上では大胆。だけど、1対1で話す時には警戒して、なかなか話さない。あの警戒心を解きほぐし、話を聞き出すのは精神的につらいね」 風俗雑誌で単発の作品を描くうちに、また連載を獲得することができるのではないかと思うようになったようだ。 「この認識が甘かった。この時点で、返せないと諦め、カード会社に清算を頼めばよかった。なんとかなると思い込み、ずるずると借り続けた結果、2つのカード会社の借金はピークで400万円近くになった。200万円ほどの年収で、こんな額を借りると、どうすることもできない」 数年間に及ぶ「鬼のような営業」を試みたが、苦境を抜け出すことはできなかった。ついに弁護士を訪ねた。インターネットを使い、信用できそうな大きな法律事務所を選んだ。 弁護士は、法律で定められている以上の高金利でお金を貸している会社と交渉し、その「過払い」を取り戻すことを求めていたようだったという。 だが、神田さんが借りたカード会社の金利は、法律の範囲内だった。弁護士は、残念そうな表情を見せる。そして、12万円の報酬でカード会社に交渉してみると言った。 神田さんは正式に依頼した。12万円を一括で弁護士に払うことはできない。ここでも、3万円の4回払いとしてもらった。この場合の「清算」について、神田さんはこう説明する。 「2つのカード会社のうちの1つは、清算のときは借りたお金が137万円ほどに達し、毎月6万円の返済を求められていた。弁護士からカード会社には、『毎月1万5000円ほどの返済にして、返済総額は90万円ほどにしてもらいたい』とお願いをしてもらった。俺が借りた額の総額が90万円ほどだったから……」 借りた額だけを返済し、リボルビング払いの利子として加算されたお金(47万円ほど)は返済しなくともよいことにしてもらったのだという。カード会社に交渉したところ、1ヵ月ほどで回答が届いた。承諾をしたという。神田さんが直接、会社と話すことはなかった。 カード会社からすると、無利子で貸したことになる。しかも、返済期間は数年間に及ぶ。このような「清算」が増えることもあり、大手カード会社の中には、経営難で社員をリストラにしているところもある。そのことを指摘すると、神田さんは訥々と答える。 「俺としては収入が少なくて、どうすることもできないわけ」 生きていくために漫画を描くしか ないんだよね、俺は…… 神田さんの「清算」は「自己破産」ではない。その後も、毎月1万5000円ほどのペースで返済を続けている。2年後に返済を全て終えるのだという。筆者はそこに、かすかに「プロ意識」を感じた。 もう1つのカード会社から借りていたお金については、こう語る。ここでの借金は150万円ほどで、月に6万円の支払いでの返済が続いていた。 「会社から電話があったの。向こうから、『清算をしたい』と言ってきた。過払いで訴えられることを警戒していたのかもしれない。そのカード会社からは、150万円近く借りていた。これも、現金を借りるキャッシング機能で、年利18%のリボルビング払い」 カード会社に出向き、月に1万5000円の返済で90回払いにしてもらった。このように、神田さんは生活苦のあまり、2つのカード会社からお金を借りた。清算の時点で1つは137万円ほどで、もう1つは150万円ほどになっていた。2つの返済は、月にそれぞれ6万円ほどで、計12万円前後だった。 清算した後も、暮らし向きは大きくは好転していない。収入は一層減り、年収は120万円ほど、月収は10万円くらいとなった。清算の少し前に結婚した奥さんの支えで、生活をすることができている。 漫画家を続けるのかと聞くと、こう答えた。 「これしか生きていく術がない。単価の安い仕事を請けざるを得ないから、数をこなす。すると、長時間労働になる。もはや仕事場がブラック企業化している。諦めて他の職に就くか、それともこの路線をとりあえずは維持するか……」 「それは漫画家としてのプライドや意地なのか」と聞くと、繰り返した。 「それはない……。生きていくために漫画を描くしかないんだよね。俺は……」 踏みにじられた人々の 崩壊と再生 神田さんが「踏みにじれられた人」と言えるかどうかは、意見が分かれるところかもしれない。自業自得とも言える。だが彼は、リストラなどで苦しむ会社員と、ある意味で似たような境遇にあるように思えた。仕事が減り、家計などを再構築したいのだが、自分の努力ではもはやそれができない。そして借金生活になる。ついには、「清算」という名の破局を迎える、というものだ。 ここからは、筆者なりの分析で補足したい。借金などで苦しむ会社員が今後の再生に役立ててもらえたらと思う。 1.生きていく上での「固定費」を 「変動費」に変えられる意識へ 神田さんの借金が増えた最大の理由は、収入が減ったことにある。その理由は、いくつかあるだろう。出版業界の長引く構造的不況、それにより活躍の場であるホラー雑誌が激減したこと、そして年齢の問題もあると思われる。神田さんによると、30代半ばまでに知り合った編集者の多くは、今は業界にいないという。転職をしたり、定年を迎えて出版社を去った。死亡した者もいる。 個人事業主が、心や生活に余裕のある会社員のように先を見据え、戦略を練ることはなかなかできない。それでも神田さんは、生活再建の望みを捨てずにお金を借り続けた。生活のためと言えばそれまでだろうが、一時はメジャー雑誌などで活躍した経験やプライドが、頭を離れることはなかったのではないだろうか。 このことは、会社員にも言える。ここ十数年間に取材したケースで言えば、こういう人がいた。大企業をリストラされた後、中小企業に移る。しかし、そこでの年収は前の会社の半分前後になる。それでも、生活のレベルを落とすことができない。ついには、カードなどでお金を借りて、かつての生活を維持しようとする。そして、苦しみ抜いた末に破産する。 こういう事例から私が感じたことは、「ゼロ・リセット」する力を日頃から養うことがいかに大切であるか、ということだ。「ゼロ・リセット」とは、「仕切り直し」を意味する。ゼロに立ち返り、再スタートを切ることだが、多くの人はこれができない。 そうならないためには、「生きていく上での固定費」をできるだけ減らすこと。そして、その固定費を変動費にできるような仕掛けをつくっておくことだろう。仕掛けとは、意識の集大成である。 「生きていく上での固定費」は、その代表が住居である。状況いかんでは、これを手放すことも普段から考えておくべきだろう。そうでないと、いざとなったときに冷静に対応することはまずできない。 労働組合ユニオンなどへ行き、会社と争い、和解金などを求める人と話すと、「生きていく上での固定費」を「変動費」にすることをあまり考えていなかったと思えることが少なくない。平時に考えていないから、非常事態にうまくいかないように見えることがある。 2.いざというときのために スペシャリティを身につける 神田さんは苦しみながらも、生きていくことができる。それはなぜか。1つは、手に職をつけていることがあると思う。前述のように生活は窮乏しているが、漫画を描くという技術で、かろうじて市場原理の中で認められ、収入を得ることができている。 筆者は冒頭で「会社員も他人事ではない」と指摘したが、会社員が職を失い再就職をしようとしても、スムーズに進まない一因は、技術を持ち合わせていないことにある。たとえば、「ジェネラリスト」として営業を3年、営業企画を2年、広報を3年、総務を2年などと年功を重ねていく。会社という安全地帯にいると、このキャリア形成に疑問を感じないことが多いかもしれない。 しかし、会社は身勝手なものである。「ジェネラリスト育成」としながらも、いざとなると手に職を付けさせることもなく、外に放り出す。多くの会社員は社外の市場原理を軽く、なめてかかる。再就職をしようとしても、前述のような一連のキャリアでは強力なアピールにならないことがある。むしろ、10年の年功ならば、営業一筋で10年を過ごしたほうが売りになる可能性が高い。 とはいえ、会社の人材育成法だけを責めることはできない。会社員や学生たちの多くも「就社意識」であり、「就職意識」の人は相当少ない。義務教育の段階から大胆にメスを入れないと、日本人に職業意識を植え付けさせることは不可能だと思う。現在の「キャリア教育」を取材する限りでは、それは相当難しい。 自らの経験で言えば、職業意識を10代の頃に身につけるためには、死にたくなるくらいの無念や怒り、さらには表現できないほどに怖い孤独や挫折を経験することだ。そして、それを経験した人を社会が受け入れる下地が必要である。 若者に安心・安全・快適な空間で、きれいな生き方をさせ、社会に出てから「キャリア教育」なるものを学ばせたところで、職業意識は養えない。役人や教師、研究者らの自己満足で終わってしまう。 そもそも、始めに「職業」があるわけではない。「これをこうしてはいけないものか」「なぜ、こうならないのか」といった、腹の底から湧いてくる欲求や疑問を様々な場で経験させることが、大切なのだと思う。そのマグマのようなものが、その人の中で「職業」という形になっていく。 会社員も、「キャリア」云々という言葉に振り回されず、もっと素直に考えたほうがいい。遅くとも30代前半くらいまでに、自分が極めたい分野を見出すことが必要なのではないだろうか。そこまで明確ではなくとも、仕事に対する楽しみや怒りなどを、心の奥深くから感じた瞬間を大切にすることだ。 「自分を生き返らせてくれるもの」 をあなたは持っているだろうか? そこに、大きなヒントがある。その思いを見つめ直し、人にわかりやすく伝えることができるようになるべきである。日頃から、人事異動やその前のヒアリング、さらに上司との日々のやりとりなどで、その思いを「スペシャリティ」に転換させたい。そして、たとえば「営業部に踏み止まり、一層スキルを磨きたい」と自分の意思で訴えていくべきではないか。そうすれば、いざというときに路頭に迷うことはない。 会社が唱える「ジェネラリスト育成」を信じ、生きていくのも1つの考え方だ。だがその多くは、市場原理の前では吹き飛ばされてしまうことを、普段から心得ておくべきだろう。 神田さんには、スペシャリティがある。収入が月10万円しかないが、そのスペシャリティに惹かれた奥さんが、今はいる。夫婦共働きで生活は成り立つ。これもまた、崩壊しつつあった漫画家を再生させる大きな原動力になった。 今、会社勤めをしている読者諸氏は、自分を「生き返らせてくれるもの」を持ち合わせているだろうか。 http://diamond.jp/articles/print/40102
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