http://www.asyura2.com/13/hasan81/msg/720.html
Tweet |
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130813-00000000-sasahi-bus_all
週刊朝日 2013年8月16・23日号
週刊朝日(8月19日発売号)で連載「これが私の生きてきた道」が始まる稲盛和夫氏(81)。京セラ、第二電電(現KDDI)を創業し、最近では日本航空を見事に再建した稲盛氏が塾長を務める「盛和塾」の門下生でぴあ株式会社創業者、社長の矢内廣氏(63)は稲盛氏のおかげで危機を乗り越えられたという。
* * *
私が稲盛さんと初めてお会いしたのは、1983年ごろだったと思います。
72年に情報誌「ぴあ」を創刊し、無我夢中でやってきて、76年にはやっと「ぴあ」が取次店を通せるようになりました。ようやく明日が見えるようになり、そのころから、私はアメリカの経営書を読み漁るようになったのですが、でも、どれもピンとこない。それからしばらくして、稲盛さんの著書に出合い、「これだ」と思えたのです。アメリカ型の合理主義だけで会社や社員を見るのではなく、「利他の心」を持って経営を実践していく。これがすごく腑に落ちたんです。
それから、稲盛さんと当時ソニーの会長であった盛田昭夫さんが交互にお話をしてくださる、盛和塾の前進ともいえる「盛学塾」「盛友塾」という塾生20名程度の大変ぜいたくな勉強会に参加させていただきました。それがご縁で、後に「盛和塾東京」は立ち上げる際は、世話人として参加させていただきました。その後、私にとっては一生忘れることができない、ある出来事が、92年に起こります。
84年に「チケットぴあ」サービスが始まり、会社は右肩上がりで順調に成長していました。しかし、バブルが崩壊し、創刊から20年がたったころ、ぴあの業績にも陰りが見え始めてきたのです。
そこで私は、ぴあのマネジメント体制をもう一度見直し、外部役員を入れることで、会社を活性化させようと思いました。そして、その中のある人物に、業績の現状分析とその対応策を考えるよう頼みました。しかし、それから数カ月後、私は突然、その役員から「すべての責任は社長一人にある。辞任してください。これは役員全員の総意です」と言われてしまったのです。理由や経緯を聞きたくても、もはや普通の会話は成立せず、頭を抱えました。
そして、思い余った私は、京都の稲盛さんのところへ相談に行くことにしたのです。突然の申し出にもかかわらず、稲盛さんは私に時間を割いてくださり、私は詳しい経緯と事情を説明しました。すると稲盛さんに、「矢内君、それはキミが悪い! キミの怠慢が引き起こしたことだ!」と、大きな声で怒鳴りつけられました。生まれてこの方、親にも言われたことがないくらい厳しい叱責でした。稲盛さんは、続けてこうもおっしゃいました。
「人を信頼して仕事を任せたとしても、その結果、自分が解任を要求される、また役員が皆そう思ってしまったのだとしたら、キミの心に隙があったからだ。日頃から社員に目を配っていないことの証拠だ」
このときの言葉は、本当にありがたく、今でも覚えています。しかも、稲盛さんはその後、わざわざ東京に来てくださり、ぴあの役員会にまで出席してくださいました。
「会社経営というものは、みんなが心を一つにしなければ前に進むことができない。だからもう一度、矢内君を中心にやり直すことを考えてみなさい」
そんなふうに、役員一人ひとりに言ってくれたのです。稲盛さんのおかげで、この騒動は収束していくのですが、結果的に翌年は創業以来初の赤字に転落してしまいました。しかし、翌々年、「アメーバ経営」を取り入れることで、過去最高益の黒字を出すことができたのです。
その後、稲盛さんには、ぴあが上場する前の年の2001年にぴあの特別顧問にご就任いただき、経営全般に関して様々なアドバイスをいただきました。あのとき稲盛さんに怒鳴られていなければ、今のぴあも私もありません。人生の師であり大恩人です。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。