03. 2013年8月13日 15:35:38
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住民が勝手に助けてくれる会社巨大財閥から教えてもらったこと 2013年8月12日(月) 金田 信一郎 前回に続く動画企画の第2弾。なぜ、千葉県の山間部を走るローカル線、小湊鐵道が黒字になるのか。実は、周辺の住民が「勝手連」として、駅や周辺を清掃している。また、イルミネーションや花の種蒔きなど、「集客戦略」まで勝手に進めていく。「奇跡の鉄道」を描く映像の2回目は、そんな「勝手連」を支える男たちにスポットを当てた。その経営を築いた中興の祖、石川信太元会長について、孫にあたる石川晋平社長の言葉も併せて綴っていく。(下記の動画と、「日経ビジネス」8月12・19日号の関連記事をご覧ください) ローカル線の経営が厳しい時代に黒字を続けています。その支えになっているのが、地元住民の「勝手連」としての清掃や集客戦略ですね。 石川:そう。もう勝手にね、駅や周辺をきれいにしてくれる。私はさ、いい意味でやっぱり「公私混同」というか、「分けない」という発想がいいと思っている。仕事とプライベート(の境界線)なんて、元からそんなものはない、という考え方ですよ。(下記の動画をご覧ください) A俺の小湊鐵道 ●動画@はこちら だから、主役は小湊鐵道ではなくて、「地域」だと思っている。それで、山間部の各駅には、それぞれ地元のオヤジが勝手に集まった(ボランティア)団体が10以上あるわけ。それをとりまとめている連合会もあって、松本靖彦さんという人が連合会長をやっている。 彼らは3カ月に1回ぐらいのペースで集まるんだけど、途中から酒がまわって、最後は言い争いになって終わるんだって。なんで言い争いになると思う? 「お前のところは、ちゃんとできていない」とか怒るんですかね。 石川:いや、逆でね、「お前の所もすごいけど、俺の所の方がもっとすごいぞ」って自慢し合っている。「すげえことやってるぞ」って。 小学生みたいですね。 石川:それで、連合会の「活動の趣旨」を書いてある紙をもらったんですよ。そこに、「小湊鐵道には要求しない」とうたっている。「我々は勝手連なんだ」と。それを見て、「いやあ、ありがたいな」と思いました。 松本さんは仕事は何をしているんですか。 石川:もともと、地元の中学校の校長先生です。それで、今は飯給駅の掃除や草刈りをやってくれる。 もう一人の「松本さん」もいてね。里見駅に松本正雄さんという(ボランティア団体の)会長がいる。彼は里見駅の駅舎を使って、喫茶店を始めたんですよね。今年の春まで、里見駅は無人駅だったので、駅舎を使っていなかった。そこで、喫茶店をやって弁当やケーキを売ったわけ。また、地元の農家のおばちゃんとかが集まって、自分で作った野菜なんかも売ってますよ。 月崎駅では「客が乗らないと、鉄道が困る」といって、イルミネーションを始めたんですね。これが話題を呼んでいる。 石川:もうさ、隣の駅、隣の駅がどんどん競うようにイルミネーションを始めてね。すごいですよ、今では。 あと、風景や芸術を見る客を呼び込もうと、地域の芸術関係の人がすごく協力してくれるわけですよ。95歳の農民作家の遠山あき先生なんかは、小湊鐵道や養老川など地元を舞台にした小説や書籍を出している。地元にもファンが多いんですね。 また、イギリス人の陶芸家、クリス・クラークさんは、わざわざ他の地から移ってきて、ここに窯を作っている。奥さんと子供さんは、「山奥は嫌だ」と言って、市川市に住んでいると聞きましたけど(笑)。 あと、地元の校長先生だった鶴舞の山内一郎さんは、自宅の庭が岡の上にあって、中房総が一望できる絶景なんです。「千葉眺望百景」に選ばれているんですけど、勝手に人々が公園のように使っている。 吸いたいヤツは吸い、飲みたいヤツは飲む 本当に、公私の境界線がない地域ですね、小湊鐵道も含めて。 石川:私はその方が、結果的にいいと思っているんですよ。特にこの地域では。 うちの鉄道は、まだ駅でタバコが吸えるんです。それは、特に意識してやっているというよりも、「別にいいよ」っていうことで、灰皿も置いている。そうすると、誰かが県庁にそのことで苦情を入れて、県庁から連絡がありました。「今どき、駅に灰皿を置くなんて、どうなんだ」と。 「そんなのは放っておけ」と。だって、田舎の無人駅なんだから、ちょっと出れば自然だらけだ、と。 公道と駅との境界線も曖昧ですからね。どこまでが公道なのか分からない。 石川:田舎でそんなつまんないことを言うな、と。吸いたいヤツは吸って、飲みたいヤツは飲めばいい。 昔は、列車の中で吸えましたよね、JRも灰皿があって。うちも最後まで吸える列車だったんです。まあ、今は止めていますけど。でも当時、タバコを吸わないじいさん(祖父・石川信太元会長)が、「タバコを吸う人にも権利がある」と言って、「うちは(吸って)いい」って。「吸わない人の権利ばかりを尊重するのは間違っている」と。 吸わない人が言うところに、重みがありますね。 石川:そう。彼はまったく吸わない。私も吸いません。 小湊鐵道の経営は、祖父の信太さんの影響が大きいと思われます。1980年から亡くなる2008年まで、28年間にわたって経営トップを勤めていました。90歳を過ぎても、会社の陣頭指揮を執っていたと聞きます。 石川:まあ、96歳まで元気でね。亡くなる半年ぐらい前まで会社に来ていました。とにかく仕事漬けで、家でも横になっている所なんか見たことがない。本を読んでいるか、絵を描いているか、メシ食っているか。こっちは、だらしなく家でゴロンとしているんで、「何やっているんだ、お前」って。 自宅でもゆっくりしていられない。 石川:何か怖いんですよ。彼がいると緊張感がある。 利益を追うと困窮に落ちる 創業者ではありませんが、1つ筋が通った経営をされていた。それは、大正時代に創業した時からの経営を引き継いだ形なのでしょうか。 石川:そうですね、じいさんは1930年に安田保善社から小湊鐵道に出向してきたんです。創業時、安田財閥が資金を出して鉄道を敷設し、列車を買っていた。人も何人か送り込んでいて、3代社長は安田財閥の安田善助さんでした。でも、じいさんは第二次大戦でシベリア抑留となり、37歳で会社に戻ったときは、京成電鉄系になっていて、社長も京成出身者になっていた。 結局、京成の経営がちょっと厳しくなった時、京成グループから抜けて独立するような形になって、1980年にじいさんが10代目社長になるわけです。 それで、安田財閥の社是や経営理念を引き継いだというわけですね。 石川:「今日一日のこと」という安田善次郎さんが74歳の時に、一族や安田グループの人間に残そうとした言葉があります。筆で書いたというものが残っているんです。で、4年ほど前に、それを抜粋して、勝手にアレンジして「カード」にしました。でも、中身は安田善次郎さんの言葉と同じなんです。 それで、安田不動産という会社があって、今でも安田系の不動産会社なんですけど、その深澤(正宏)会長に、これを見ていただいたんです。そうしたら「今でも使ってるんだ」と驚かれて。私は、一応、使っていることの許可を得るというか、使っていることをお知らせしておかないと、と思ったんでね。 言葉は、どこから抜粋したんですか。 石川:『安田善次郎翁の人物・業績および思想』(由井常彦講演録)という本ですが、多分、販売されていないものだと思います。 とにかく、内容が示唆に富んでいる。「従業員の心得」の1番目は、「毎朝6時に起き出て、夜は9時に至り寝につくべし」と。「朝寝夜更しは体を損ない、勤務を害するに至る」と言っている。これ、いいですよね。 あと、「晩年の一族への教訓」というものがあります。安田善次郎さんが古希を過ぎて、大正時代になって「心の平安」ということを、深く考えるようになった、と。「勤倹力行」というのが信条なんですね。 それで、74歳の時、一族一家の人たちに「今日一日のこと」という教訓を作った。 これが、さきほどのカードに記された言葉ですね。 石川:そうです。まあ、今日一日を一生懸命に生きなさい、ということなんですが、これを5カ条として記している。「今日一日、三つ(君、父、師)の御恩を忘れず不足言うまじきこと」「今日一日、決して腹立つまじきこと」といった感じです。 で、これとセットになっているのが、「禍福の循環の教え」です。で、私は自分で、ここにある「身家盛衰循環図系」というのを、図にしてみたんです。 安田善次郎さんは、「事業をする人間には、循環がある」という。最初は必ず「困窮」から始まると言っている。これがスタートだ、と。で、ここで発憤するか、挫折するかに分かれます。挫折したら、もう「終わり」です。だから、絶対に発憤しなければならない。発憤して、勤勉と倹約を重ねていく。そうすると、必ず一定の富が入ってくるという。 ここでまた道が分かれます。カネができたと言って、「豪奢」、つまりおごり高ぶっちゃって、利に聡くなると、貪欲に眼がくらむというのです。そして、もっとカネがほしいと「煩悶」して、元に戻ってしまう。つまり「困窮」に落ちる。 でも、ここでまた発憤すれば、循環に戻れるんですけどね。面白いでしょう、この循環図は。 なるほど、要するに挫折してはダメだ、「ジ・エンド」だと。 石川:そう。挫折すると、その先はねえぞ、と教えている。「今日一日のこと」とセットで後世に残したわけです。 これを、4年前に読んだんです。じいさんの書棚にあって、「ああ、そうか、これだったのか」と思った。そこで、毎朝、いつも点呼の時に、「今日一日のこと」を社員が読み上げています。結局、自分でしゃべって、それを自分の耳で聞くというのが、本人をその方向にもっていく一番の方法なんです。そうすると、「ああ、そうだな」と思ってくる。 こういう、じわっーと浸みてくるようなものが、会社にとっても、社員個人にとっても、一番いいと。だって、悪いことは1つも書いてないんだから。 歴史を語り、伝えていく カードの裏には、社訓がありますね。 石川:これさ、「明るく 正しく 強く」って、小学校の校舎に掛かっていそうな単純な言葉ですよね。これも、昔から小湊鐵道にあったらしく、先輩の社員から、「いや、昔、この言葉は部屋にべたべた張ってあったぞ」と言われたんですよ。「へえ」と言って、探したら、鉄道部の車両課に1枚だけ、黄色になって波打っちゃっている半紙が1枚、出てきたんです。 あ、私も見ましたけど、結構、立派な額に入っていました。 石川:あれは、印刷屋に渡して、刷り直したんですよ。もう1回刷らせて、今、それをほかの部屋にも掛けたんですけどね。 もう考えた人間がいないから、私の意訳を話しています。「明るく」というのは、「やっぱり、前向きにやろうぜ」ということですよね。あとは精通しよう、と。「この分野に明るい」というやつです。だから、交通のことには精通しようぜ、と。 「正しく」は、「この線で止まれ」という意味なんですね。「正」の字は、まず上に線を引っ張って、その下に「止まれ」と書きます。線をはみだすな、と。その線というのは何かというと、社会のルールもあるし、法律もあるんだけれども、とにかく線を越えない。 なるほど、意訳すると深みが出てきますね。 石川:それで、この「強く」という言葉が、私はずっと分からなかった。去年までは、社員に説明する時、「明るく 正しく」と言うのは簡単だけど、実行は難しい、だから、自分自身が強くなければいけない、というような話をしていたんです。でも、どうもちょっとピンとこない。それで、壁に掛かっている字を見て考えていたんですけど、実は「強」の右上は「ム」ですが、古い字だから「口」なんですよ。 はい、ありますね、その字。 石川:この字ですが、元を辿ると田んぼなんですよ。定かかどうか分かりませんが、勝手に解釈しているんですけど、田んぼ仕事を勤める、ということだと思うんです。ですから、瞬間的な力が「強い」というよりも、どっちかというと、毎日田んぼ仕事に出ていく「継続」することを指しているのではないか、と。昔は会社がないから、田んぼ仕事をやるというのが「お勤め」ですよね、生きていくために。だから、仕事も同じようにとらえて、一定の公私を分けることは必要だけど、そんなにうまくいくわけないんですから、自分の田んぼ仕事のように毎日継続してやろうぜ、と。意訳ですけどね。そういうふうに今年は話をしています。 その解釈は、鉄道会社にぴったりですね。 石川:何となく、しっくりくるでしょう。 で、壁を見ると、古い字で社訓が掛かっている。会社の先輩たちが、どこかで見ている、という感じがしますね。「どうだお前、明るくなったか」と。「毎日、ちゃんと勤めているか」とか、見るたびにそこに立ち帰る。そういうことが、やっぱり必要じゃないかと思うんですよね。これが、小湊鐵道に入った「特権」だと。みんなが、こういうことを知ることができる。 先輩とは、昔勤めていて、この鉄道を守って、今はもう亡くなった先輩たち…。 石川:その通りです。別に、社長だとか創業者じゃなくて。それよりも、レールを守り、つないできた人ですよね。 うちも数字は見ますよ。でも、長くいる人たちが歴史を語って理念を語れば、それは数値に出ないけど、思いを伝えることになる。 安田財閥の源流にある経営を守ってきた祖父・信太さんは、千葉県出身ではない。 石川:はい。もともとは、横浜生まれですが、関東大震災では福島県に疎開したことがあるんです。そこでの原体験が、ずっとその後も残っているといいます。小川のほとりで少年期を過ごしている。 芸術家が経営する会社 戦争から戻ってきて、小湊鐵道に37歳で復帰し、96歳で亡くなるまで、ずっと昔の風景、地域の風景を残すことを考えていたんでしょうね。だから、自分で沿線や日本の山間地の風景を歩いて、日曜画家としても描き続けたんです。 2000枚も描き残していますね。 黒川雄次(鉄道部長):私は2回ぐらい、一緒に行ったことがありますね。養老渓谷の方に行くから、というので。非常に集中していて、「なんでこんなに一生懸命になれるのかな」と不思議でした。だって、朝から晩まで、休まないんですから。弁当を食べる時間も惜しんで描いていました。 石川:ざーっと下書きをして、写真をとって、後で自分のアトリエでも続きを描いている。 黒川:秋に行ったんですけど、寒いんで、昼に味噌汁を飲ましてあげようと思って、鍋をもって行ったんです。温かいものが食べたいでしょうから。 喜んでいましたか。 黒川:そう思いたいんだけど。絵に集中しているから、分からない(笑)。 それで日が落ちてきて、もういいかげんに終わりにしてもらわないと帰れない、と。真夜中、山ですから、足下の道が見えなくなる。もう、ぎりぎりの所でやっと帰ってきた覚えがありますね。 それで、地元の千葉の経営者は、「芸術家が経営していた会社」と表現していました。信太さん自身も、絵を描くことと経営は、相通じるものがある、と言っていますね。見渡した風景を1つのキャンバスに収めることは、様々な事象と要素を判断して、1つにまとめる会社経営と同じだと言っている。 石川:だから、美しい風景を残すことが重要だという確信があったんですね。駅舎に関わっている社員にしてみれば、古いものがいいとは思わないでしょうから。やっぱりサッシにしたり、近代的な設備にした方が管理しやすい。だけど、そういう提案は、一切受け付けなかった。「だめだ」と。「このまま残す」って。だから、あえて古いものを残してやってきましたね。 勝手連として駅を清掃する住民も、同じような感覚を持っている。 石川:そうでしょうね。この沿線でも山が相当荒れているんです。今、地域で活動している人は、60代の人が多いんですけど、子供の時に、祖父と一緒に山に入って手伝った経験がある。下草を刈ったり、手入れをして守ってきた。まあ、生活していくうえで必要だったわけでしょう。 必要な食物も作っていますからね。 石川:そうですよね。で、会社勤めで地元から離れて、戻ってみたら山が荒れている。今、自分たちがやらないと、知っている人がいなくなるわけです。引き継いできた自然を、自分たちが潰してしまっていいのか、という動機がありますね。 駅の磁力を取り戻す 信太さんも、駅や列車が「地域の美しさ」を壊さないように考えたわけですね。 石川:じいさんも、創業したわけでもないし、後から入社したわけです。そういう意味では、自分が世話になった所を、きちんと残したいという思いだったんでしょうね。 日本の美しさを残したい、と。 石川:だから今、駅の本来の役割を、うちでも取り違えちゃっている。無人駅になって、乗降者も減ってしまった。みんなクルマで移動するから、人々がクロスしなくなったわけですね。沿線に行っても、人が歩いていないでしょう、田舎って。みんなクルマで移動する。 里見駅の構内を、今年3月に列車交換ができるように複線化して、無人駅から駅長がいる有人駅に変えました。小学校の統廃合で、近くに学校が開校したからですが、それにしても、この時代に増便するのは難しい判断だったと思います。でも、あれで駅を中心に人が交錯するようになりました。 石川:現代社会では、目的地まで一気に行っちゃって、間がなくなって誰もクロスしない。だから、もう1回、駅本来の機能を取り戻したいんです。昔は、よく、田舎の駅では、「どう? おばあちゃん、元気?」とか、そういうやりとりがあったじゃないですか。 で、うちの社歴の長い社員とか、同じ思いなんですね。小湊鐵道で40〜50年という人たちですから。彼らはじいさんとも仕事をしているけど、年齢は子供ぐらいですよ。私は40歳だから、彼らの子供のような世代です。 だから、長年一緒に小湊鐵道でやってきた人と話していると、たまに、何ていうか、じいさんと話しているような感覚になる時があります。僕も、じいさんにいろいろと教わって育ててもらった人間だから、何となくお互いが考えていることが分かる、通じているんです。「そうだね」と。それで「実行しよう」ということが決まる。 我々は、逃げるわけにはいかないんですね。レールをはがして、東京に持って行くわけにはいかない。だから、特に決めごとをしなくても、この地域と一体となって、やっていけるんだと思います。 (次回の動画は8月13日、「私の小湊鐵道」です) このコラムについて 動画で見る「企業研究・小湊鐵道」 日経ビジネス8月12・19日号「企業研究・小湊鐵道」の連動企画。ローカル線を支える人々のインタビューとドキュメンタリー動画。東京からわずか1時間の山間地にある魅惑のローカル鉄道は、黒字経営を続けている。大正時代の駅舎に、半世紀前の車両、そして昔ながらの「鉄道の男」たちの仕事ぶり。「崖っぷちのローカル線」という苦境を乗り越えた人々の矜恃とは。 |