05. 2013年8月06日 04:52:57
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JBpress>イノベーション>日本半導体・敗戦から復興へ [日本半導体・敗戦から復興へ] 世界一、日本一の事業を次々と放出したNEC、 玉ねぎの皮を剥いていったら最後に何が残るのか? 2013年08月06日(Tue) 湯之上 隆 前回の記事「均一性のNECと一点突破の日立」で、NECのDRAMプロセスが「病的なまでの潔癖完璧主義の均一性第一主義」であることを紹介した。 2012年のエルピーダメモリ経営破綻、それに続くルネサス エレクトロニクスの官民連合による買収、ソニー、パナソニック、シャープの大赤字、社長交代、大規模なリストラ。これらの派手なニュースの陰に隠れていたが、最近、NECに関する報道が目につく。 どうやらNECが苦境に陥っているようだ。今回は、まず、NECに関する最近の新聞報道を2つ取り上げる。その上で、かつては多くの世界1位や日本1位の製品を生み出し、日本を代表する総合電機メーカーであるNECに一体が起きているのかを考える。 ガラケーだけになったNEC 「NECスマホ撤退へ、“どこもファミリー”終焉」(日本経済新聞、2013年7月18日) 2001年にNECは(後にガラケーと呼ばれる)携帯電話の国内市場で28%のトップシェアを獲得していた(図1)。ところが、2010年にカシオや日立製作所と事業を統合(後に日立撤退)したにもかかわらず、2012年のシェアは5.3%まで低下した。 図1 日本国内携帯電話出荷台数(含スマホ)の2001年(左)と2012年(右)の比較 (出所:日経新聞2013年7月18日) NECはPC事業を統合した中国レノボとスマートフォン(スマホ)も事業統合を目指したが合意に至らなかった。そして、NTTドコモがスマホをソニーと韓国サムスン電子の2社に集中する「ツートップ戦略」を採用した。日経新聞によれば、ツートップに入れなかったNECをはじめ富士通やパナソニックなど国内メーカーの渉外担当幹部は、NTTドコモの目と鼻の先にある経済産業省の商務情報政策局に、顔色を変えて駆け込んだという。
しかし、決定は覆らず、旧電々公社時代から続いたドコモファミリーは終焉し、2013年6月までのスマホ販売台数は、ソニーとサムスン電子の2機種が合計123万台に達した一方で、パナソニックは1万5000台、NECは1万台に落ち込んだ。 このようなことから、NECはスマホから撤退することを決めた。NECに残された携帯端末は、ガラケーしかない。 旧NECエレクトロニクスの鶴岡工場閉鎖へ 「ルネサス、システムLSIの最先端山形鶴岡工場閉鎖」(日経新聞、2013年7月27日) システムLSIを事業の柱とするNECエレクトロニクスは、2002年にNEC本体から切り離されて分社化し、たった1年の超特急で2003年に株式上場した。しかしその後、世界半導体売上高トップ10から陥落するなど、経営不振が続き、2010年にルネサス テクノロジと経営統合して、ルネサス エレクトロニクスとなった。社名が長く紛らわしいので、会社のロゴの色をとって、旧ルネサスを「赤いルネサス」、新ルネサスを「青いルネサス」と巷では呼んでいる。 青いルネサスは、2012年に経営破綻寸前に陥り、一時期、米投資ファンドのコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)に買収されかかったが、経済産業省の情報通信機器課の荒井勝善課長の画策により、政府系ファンドの産業革新機構およびトヨタ自動車や日産自動車などの官民連合がこれを阻止し、この官民ファンドが買収することになった(詳細はJBpress「早期退職者の内訳から見るルネサスの内部事情」2013年3月14日)。 青いルネサスでは2012年に約7500人を早期退職させた。その内訳を見るとNEC出身者が30%と最も多かった。今年も約3000人の早期退職者を募集するという。 また全国に19拠点もある工場の売却や閉鎖も進められている。後工程工場では、函館工場(旧日立)、福井工場(旧NEC)、熊本工場(旧三菱)をジェイデバイスに売却した。 この売却に漏れた熊本錦工場(旧NEC)は閉鎖が噂されているが、その関係者から「何とか生き残るために知恵を貸してくれないか?」と相談を持ちかけられたことがある。半導体工場は、「水と空気と工程管理が得意」だから、「野菜工場に転換したらどうか」と回答したが、その後どうなったのか分からない。 ちなみに、最近、富士通セミコンダクター社が、福島県会津若松市の半導体工場を植物工場に転換し、10月からカリウム含有量が少ない高付加価値のレタスを生産すると発表した。カリウムが少ないレタスは腎臓病患者など食事制限を受けている人でも食べられる。また無菌状態で栽培されるので、高品質な野菜が生産できる。生産したレタスは、1株400円と露地栽培の3〜4倍で売れるという。価格変動の激しい半導体よりも、高付加価値野菜生産の方が、よっぽど安定したビジネスだと思う。 話が脱線したが、ダブついた工場の整理のために、ルネサスが旧NECエレクトロニクスの鶴岡工場を閉鎖することになった。日経新聞によれば、台湾TSMCへの売却交渉を進めていたとあるが合意できなかったようだ(そもそも本当に売却交渉を進めていたかどうかは怪しい)。 鶴岡工場の主力製品は、任天堂「Wii」などのゲーム用システムLSIである。ゲームは今やスマホのアプリとしてダウンロードする時代となった。この結果、ゲーム専用機が売れなくなった。これと同じ事情で、デジタルカメラ、カーナビ、そしてテレビまでが売れなくなっている。スマホ1台あれば事足りるからである。今は亡きスティーブ・ジョブズが市場を切り開いたスマホは、恐ろしいほど大きな波及効果があったわけだ。 なぜNECブランドのスマホをつくらないのか それにしても、私にはNECの経営判断がいまひとつよく分からない。 まず、NECは、NTTドコモから見放され、レノボとの統合も失敗したため、スマホから撤退するわけである。自力でスマホをつくり、自力で海外販売する気はないのだろうか? また、ルネサスに統合され資本関係はなくなったとはいえ、旧NECエレクトロニクスのシステムLSI最先端工場が閉鎖される。 現在、スマホのプロセッサの多くは、英ARMのアーキテクチャ(IP)を使い、米クアルコムが設計し、韓国サムスン電子(今年からTSMC)が製造している。ところが想定以上にスマホが売れたことと、最先端のスマホプロセッサの歩留まりが上がらないことから、2012年はスマホプロセッサの供給が滞ってしまった。これに泣いた規模の小さな日本のスマホメーカーは多かったはずだ。このスマホプロセッサの供給不足の恐怖は、2013年も起きるのではないかと予測されている。 そのような中、例えば、ルネサスが閉鎖を決めた鶴岡工場をNECが買収し(どうせ閉鎖するのだから買い叩けるのでは?)、クアルコムのファンドリーとして(または自前の設計でもいいが)スマホプロセッサを製造したらいいのではないか? その能力はあるはずだ。 そして、NECブランドのスマホをつくり、NTTドコモやレノボに挑戦状を叩きつけたらいいじゃないか。スマホは世界で10億台の市場に成長した。たった1億人の、しかも縮小することが確実な日本市場に閉じこもっていること自体、何の意味もない。これを機会に世界に羽ばたけばいいと思うのだが、NECの幹部はどう考えているのだろう。 NECの輝かしき歴史 ここでNECの歴史を振り返ってみよう。NEC(日本電気)は、1899年に、岩垂邦彦氏と、米AT&Tの製造部門だったウエスタン・エレクトリック社との合弁会社として設立された。つまり、NECは最初から海外企業との合弁からスタートし、グローバルな気質を持っていた(はずの)企業と言えよう。 戦前は、電話交換機などの通信機器の製造を主な事業としていた、第2次世界大戦中に日米関係が悪化すると住友グループ傘下となった。戦後は、通信関係、真空管や半導体など電子部品、家電・無線通信機器分野へ進出し、コンピュータの開発を開始した。この頃に電々ファミリーのイメージが定着したものと思われる。 1977年に、小林宏治会長が「C&C(Computer & Communication)」をスローガンに掲げ「コンピュータと通信の融合」を企業理念とした。これをきっかけに、NECは情報・通信を中心とした総合電機メーカーへ邁進する。 82年に発売されたPC「9800シリーズ」は、約15年間にわたって日本のパソコン市場を席巻し、全盛期には日本の「国民機」とまで呼ばれるようになった。この間の世界シェアのデータを筆者は持っていないが、もしあるとしたら、NECの98は世界一だった時もあるのではないか。 86年には半導体売上高で世界1位となり、92年に米インテルに抜かれるまで6年間世界1位の座に君臨した。インテルに抜かれた後も99年までは2位を維持した。DRAMにおいても、86年に売上高世界一になり、1997年までは常に世界トップ3の中に入っていた。日本半導体メーカーで、世界一になったのはNECをおいて他にない。 そして、携帯電話においてもガラケーの時代には、日本国内ではシェア1位であったのは、冒頭で述べた通りである。 半導体をすべて放出しておかしくなったNEC このようにNECは、PCで日本一(もしかしたら世界一)、半導体で世界一、DRAMで世界一、ガラケーで日本一と、輝かしい歴史を築いてきた日本を代表する総合電機メーカーである。 そのNECがいつからおかしくなったのか? まず、NECの売上高と営業利益の推移を見てみよう(図2)。85年から2001年まで順調に売り上げを拡大し、この約15年間で売り上げは倍増した。しかし、ITバブル崩壊後は減少に転じている。特にリーマン・ショック前後からの落ち込みは激しく、5兆円から3兆円にまで低下している。また、営業利益は、85年から現在に至るまで非常に低調である。営業利益率にすると、平均して2%程度である。 図2 NECの売上高および営業利益 (出所:NECのIR資料をもとに筆者作成) 次に売上高、R&D費、社員数の推移を見てみよう(図3)。3種類の数値を同じグラフで比較できるように、それぞれの最大値を100として規格化した。
図3 最大値で規格化したNECの売上高、R&D費、社員数 (出所:NECのIR資料をもとに筆者作成) 売上高のピークが2001年にあることはすでに述べた。R&D費の最大値は98年にあるが、それ以外にも大きな山が92年と2008年にある。リーマン・ショック以降は劇的に落ち込み、最大値の40%になっている。
社員数の最大値は99年にある。このとき、NECにはグループ全体で15万7000人もの社員がいた。2000年以降、若干減少したものの2007年にもう1つ山があって15万4000人を超えた。ところが、その後急速に社員数は減少し、現在は最大値の60%程度(10万人)になった。 最後にNECの売上高の海外比率を見てみよう(図4)。海外比率は総じて高くない。創設時はインターナショナルだったが、実は内向きの企業体質と言える。 図4 NECの海外およびアジア売上高比率 (出所:NECのIR資料をもとに筆者作成) 海外比率のピークは98年の30%である。その後減少に転じ、2005年に27%まで戻したが、急速に減少して現在は15%程度である。また、アジア市場比率を見ると(途中データがない部分もあるが)、10%を超えたことはなく、現在は5%程度に沈んでいる。
これらすべてを考慮すると、結局NECは、売上高が減少し始める2000年前後からおかしくなったように見える。99年12月にかつて世界一だったDRAMを日立との合弁会社エルピーダとして切り離し、2002年にかつて6年間も世界一だった半導体(システムLSI)をNECエレクトロニクスとして分社化した。 つまり、半導体をすべて放出したあたりが、NECのターニングポイントだったのではないか? 玉ねぎの皮を剥いていった最後に何が残る? その後、NECは、80年代に98シリーズとして一世を風靡したPC事業を、2011年にレノボと統合した。翌2012年にはレノボ株をすべて売却したことから、PC事業も手放したと言える。 図2を見て分かるようにNECが巨額の営業赤字を計上したのは98年度(2247億円の赤字)と2002年度(4612億円の赤字)の2度しかない。リーマン・ショックの翌年度も62億円の赤字に踏みとどまり、その次の年には黒字に転化している。 しかし、半導体、DRAM、PCと、世界一(または日本一)だった事業はすべて放出してしまった。その上、世界全体がスマホに乗り出している中、かつてガラケー日本一だったNECは、スマホから撤退するというのである。 しかも、海外売上比率15%およびアジア売上比率5%が示すように、経済力を持ち始めたアジアの新興国でのビジネスはほとんどできていない。視線は日本国内だけに向いている。 何だかNECを見ていると、玉ねぎの皮(しかもそれは世界一や日本一の皮)を外から次々に剥いて捨てているように見える。DRAMやシステムLSIはシリコンサイクルがあり、サイクルの底では赤字となる。PCはモジュール部品の組み立てとなり、利益を出しにくい構造になった。だからNECはこれらを放出したのかもしれないが、放出後も営業利益率は低調のままである。玉ねぎの皮を剥くように、次第に規模だけが小さくなってしまっている。 皮を剥き切った玉ねぎに何が残るというのだろうか? NECの2013年のアニュアルレポートを見ると、「社会ソリューション」をキーワードとして、事業を「パブリック」「エンタープライズ」「テレコムキャリア」「システムプラットフォーム」「その他」という5つのセグメントに分けている(ちなみにガラケーはその他に分類されている)。 そして、営業利益率5%、海外売上比率25%を目指すとしている。しかし、私の本音を言えば、かつて半導体やPCで1位をほしいままにしてきたNECが目指す数字としては、あまりにも寂しすぎるのだ。 経営陣は後で突っ込まれないように、堅実、確実な線を目標に掲げているのかもしれない。しかし、まだ少なくとも10万人の社員がいるのである。彼らが目を輝かせて前のめりになるような、野心溢れる目標を打ち出してほしいと思う。頼むから。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/38378 |