06. 2013年8月02日 02:14:38
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中国の台頭に便乗する恩恵とリスク 減速する中国、果てしない需要に賭けた中南米諸国は今・・・ 2013年08月02日(Fri) Financial Times (2013年8月1日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 世界中で中南米諸国ほど中国の台頭から大きな恩恵を受けてきた地域はほとんどない。1990年時点では、中国は中南米の輸出先リストで17位という低い位置を占めていた。2011年には、ブラジル、チリ、ペルーにとって最大の輸出市場になっており、アルゼンチン、キューバ、ウルグアイ、コロンビア、ベネズエラにとって第2位の輸出先になっていた。 その間、中国との年間貿易額は、ごく平凡な80億ドルから掛け替えのない規模の2300億ドルまで増加した。中国指導部は、2017年には年間貿易額が4000億ドルに達すると予想している。 急拡大した貿易、発音しやすければ「Chatinamerica」と呼ばれた? 「世界の失業者、2010年までに2500万人」 OECD事務総長 中南米諸国は中国向けに建設資材をはじめ、様々な原材料、農産物を供給している〔AFPBB News〕 中国が巨大な都市を建設し、高速道路網や鉄道網を整備し、どんどん肉食となる国民を養うなか、中南米は、中国が拡大を続けるために必要とするものの多くを持っている。チリの銅、ペルーの亜鉛、ブラジルの鉄鉱石は、大量に中国に輸送されている。 この地域は食料の中東であり、世界の農作物輸出の40%を占めている。中南米は、水資源に恵まれない中国に、目もくらむような量の牛肉、鶏肉、大豆、トウモロコシ、コーヒー、動物用飼料を供給している。 「Chatinamerica(チャティンアメリカ、中国と中南米諸国)」が「Chindia(チンディア、中国とインド)」や「Chindonesia(チンドネシア、中国とインドとインドネシア)」と同じくらい簡単に発音できたなら、誰かがとっくの昔にその用語を作り出していただろう。 経済関係が発展するそのスピードは、世界の他の地域にも同じように当てはまる2つの重要な問題を提起している。 第1に、中国の成長と投資が鈍化した時は――このプロセスは既に始まっている――、どうなるのだろうか? 第2に、中南米はどのようにすれば、コモディティー(商品)依存という過去の時代の単なる再現以上の経済関係を築けるのだろうか? 中南米にも「勝者と敗者」 中国が減速した時に何が起きるかを知るためには、我々はまず、1990年代に中国が急成長し始めた後に様々な国がどうなったかを見るべきだ。ベネズエラの学者で外交官のアルフレド・トロ・ハーディ氏がその著書『The World Turned Upside Down(逆さまになった世界)』で明らかにしているように、勝者のみならず敗者もいた。 大まかに言えば、敗者はメキシコと、加工組立用の低コストの「マキラドーラ」工場を持つ中米の「メキシコ型経済」だった。トウモロコシや大豆を含む原料の純輸入国であるメキシコにとって、中国の台頭に伴ったコモディティー価格の上昇は、もっぱらマイナスの影響を与えた。 より重要なことに、中国の製造業が力をつけるにつれ、メキシコの工場は競争力を失った。2001年から2006年にかけて、米国のパソコン輸入に占めるメキシコのシェアは7%まで半減。同じ時期に中国のシェアは3倍以上拡大し、45%に達した。 一方、勝者はブラジルと南米の「ブラジル型経済」だった。中国がペルーやチリのような国々からコモディティーの輸入を大幅に増やしただけでなく、コモディティースーパーサイクルも原料価格を過去最高水準に押し上げた。 ケビン・ギャラガー、ロベルト・ポルゼカンスキー両氏は、その共著『The Dragon in the Room(部屋の中の龍)』の中で、最近の中南米の成長の4分の3はコモディティー輸出によるものと考えられると推定している。中国と密接な貿易上の繋がりを持つ国々の成長率は、平均で約5%に達した。 だが、今は終わりつつある、思いがけない幸運をもたらした時期でさえ、懸念はあった。中国からの安い輸入品は、高度な産業基盤を持つブラジルのような国々においてすら、中南米の製造業者を弱体化させた。コモディティー輸出国の通貨は上昇し――「オランダ病」の典型的な例――、そうした国々の製品の競争力をさらに弱めた。 トロ・ハーディ氏のように、コモディティーへの過度の依存は一次産品の輸出経済へと「時間をさかのぼる」ことを意味しているかもしれないと心配する向きもある。ブラジルのようなハイテク製品の生産国にとって、これは新植民地主義のような色彩があった、と同氏は話す。 オーストラリアやモンゴルなどにも共通する懸念 こうした懸念は、特に中南米で大きく響き渡るが、オーストラリアからモンゴルに至るまで、中国のコモディティーという列車に便乗してきた他の国々にも当てはまる。多くの国は、今は経済が減速している中国からの果てしない需要にすべてを賭けてきた。 中国が2ケタ成長から今年予想される7.5%まで減速するなかで、一部のコモディティー輸出国の経済はつまずいた。 ブラジルが好例だ。中国への輸出が減速し、コモディティー価格が下落していることもあって――銅、鉄鉱石、石炭は2011年の最高値から30〜50%下落している――、2011年と2012年には平均成長率が1.8%にとどまり、2010年の7.5%という力強い成長から大きく落ち込んだ。 そのプロセスはまだ続くかもしれない。中国経済は、予想より急激に減速するかもしれないし、投資主導型から消費主導型の成長へと予想より早くリバランスするかもしれない。英エコノミスト誌は、ことによると時期尚早かもしれないが、新興国における構造的な「大減速」を既に宣言している。 野村は「中国がくしゃみをすれば」と題するリポートの中で、いくつかの国について、8兆ドル余りの規模がある中国経済の2014年の成長率が同社の基本見通しである6.9%を1ポイント下回った場合の影響を試算している。それによると、中国の成長率が1ポイント下落した場合、中南米の成長率がさらに0.5ポイント下振れするという。 オーストラリア(0.7%下振れ)や貿易依存度の高いシンガポール(同1.3%)のようないくつかの国では、結果はもっと悪くなるだろう。 中国の減速は悪いことばかりではない? それは悪いことばかりではない。メキシコは、中国経済の性質が変化していることから恩恵を受けていたかもしれない。何しろ中国での賃金上昇が、マキラドーラ制度に新たな息吹を吹き込んでいる。メキシコは、コモディティー価格の下落にも悩まされなかった。 ブラジルのような国においてさえ、中国減速の影響は必ずしもすべてマイナスというわけではない。中国は都市化し続けると見られ、それが金属価格に下限を設定するだろう。ハードコモディティーに対する中国の需要が減速しても、食肉や穀物に対する中国の需要が増加するはずだ。 中南米にとって、そして中国が必要とするものを供給する他の国々にとってカギとなるのは、たとえそれが原料をブランド化したり加工したりすることに過ぎないとしても、付加価値を最大化する貿易関係を築くことだ。 カナダやオーストラリア、そしてもっと身近なところでチリは、一流のコモディティー輸出国であることが必ずしも二流の経済を持つことを意味しないことを示している。 By David Pilling
北京国際空港の爆発事件の引き金は中国社会の不条理だった 下半身不随の男を犯行に駆り立てた7年前の事件処理 2013年8月2日(金) 北村 豊 2013年7月20日の午後6時24分、北京国際空港の第3ターミナル2階にある国際線到着ロビーの出口Bから10メートルほどの場所で爆発が起こった。車いすに乗った30代の男が手製と見られる爆発物を起爆させたもので、大きな爆発音が響き渡ると、辺り一面は黄色の煙に包まれた。爆発で負傷したのはその男だけで、ほかにけが人いなかった。中国の繁栄を象徴するアジア最大規模の空港で発生した爆発事件は小規模なものであったが、世界中のメディアによって大きく報じられた。 「俺は言いたいことがある」 この事件の現場に居合わせた目撃者たちの証言を総合すると、事件の経緯は以下の通りである。 【1】いつの間にか国際線の到着ロビーに現れた車いすの男は、出口Bから10メートルほどの乗客通行専用区域に陣取ると、出口Bから次々と出てくる国際線の乗客たちに自分の主張を書いた宣伝ビラを配ろうとして、空港の警備員に制止された。すると、男は乗客たちに向かって、「俺は言いたいことがある。俺は爆弾を持っている。俺から離れろ」と叫び始めたが、乗客は誰一人として男を相手にしなかった。実際は、外国人を含む国際線の乗客たちには、男が何を言っているのか理解できなかったのが実情だが、それが男には非情なものに思えただろう。 【2】誰も自分の言葉に耳を傾ける者がいないことにしびれを切らした男は、胸に抱えていた白いビニール袋から爆発装置らしき物を取り出した。これを見た周囲の人々は危険を察知して逃げようとしたし、警備員は駆け寄って言葉をかけようとした。爆発はその瞬間に起こった。その爆発音は束にした“鞭炮(爆竹)”を一度に鳴らしたかのように激しいものだった。周囲にいた人々は、爆発音が聞こえると同時に慌てふためいて逃げ散った。爆発現場には、爆発の衝撃で横倒しになった車いすが転がり、車いすから跳ね飛ばされた男が横たわり、男の左腕から流れ出た血が床を赤く染めていた。爆発の発生から3分ほど経った頃、現場に警官が駆け付けて、男を担架で運び去ったが、男には意識があり、彼は担架の上で絶えず頭を動かしていて、傷はさほど重そうには見えなかった。 なお、負傷した車いすの男は、救急車で西城区にある“積水潭医院”へ搬送されて応急手当を受けたが、爆発の衝撃によって男の左腕は断裂しており、左腕の切断手術を余儀なくされる可能性があるということだった。 翌21日、北京市公安局は初歩的調査結果として、爆発事件の犯人である車いすの男の身元を次のように公表した。 氏名:冀中星(きちゅうせい) 年齢:34歳(1979年12月1日生まれ) 住所:山東省菏澤市鄄城県富春郷大冀庄村 学歴:小学校卒業程度 “冀中星”という犯人の名前が公表されると、早速にそれを基にして、ネットユーザーによる“人肉検索(不特定多数のネットユーザーが協力する形で、ネットを通じて特定の人物に関する個人情報を集中的に収集して公表すること)”が行われた。その結果、あるブログウェブサイトに、2006年9月5日付で、冀中星という作者が『出稼ぎ先の広東省東莞(とうかん)市で悪らつな治安要員に殴打されて、終生の身体障害にされた』と題する記事を書き込んでいたことが判明した。その記事の概要は以下の通りである。 警察官に鉄パイプで殴られ半身不随に 【1】1999年から広東省での出稼ぎ生活を始めた冀中星は、家計の足しにしようと、オートバイを購入して、後部に客を乗せて運ぶオートバイタクシーを始めた。2005年6月28日の午前2時頃、冀中星は東莞市厚街鎮<注>の“珊瑚大酒店(珊瑚ホテル)”の門前で客として同ホテルのコックである“龑涛(げんとう)”をオートバイに乗せて、彼の家がある厚街鎮新塘村へ向かった。 <注>広東省東莞市は省都の広州市の東南に隣接する都市であり、厚街鎮は主要な鎮の1つ。2012年末の統計によれば、東莞市の戸籍人口187万人であるのに対して常住人口は829万人であり、出稼ぎで一時居住している外来人口(642万人)が常住人口の77%を占めている。 【2】その途中で、冀中星が運転するオートバイは、警察のパトロールカーに出会った。違法なことは何もないと考えた冀中星はそのまま走行を続けたが、なぜかパトロールカーは追尾してきた。冀中星の運転するオートバイが厚街鎮新塘村の“治安隊”の門前に差し掛かった時、すでにパトロールカーから無線連絡を受けたのか、その門前には7〜8人の治安要員が鉄パイプや鉄筋を持って待ち構えていた。これを見て、冀中星が停車しようとした時、治安要員の1人が手にした鉄パイプを横なぎにして、冀中星の顔面目がけて殴りかかった。これをよけようとしてオートバイはバランスを崩して転倒し、冀中星と龑涛の2人は激しく地面にたたきつけられた。そして、冀中星は意識を失った。 【3】冀中星が気付いた時には、“厚街医院”の救急科のベッドに横たわっていた。龑涛が冀中星に語ったところによれば、地面に倒れた冀中星に対して7〜8人の治安要員が手にした鉄パイプや鉄棒で彼の足や腰に激しい攻撃を加え、パトロールカーが到着した時には、冀中星はすでに気絶していたのだという。その後に、病院の診断を経て判明したのは、治安要員たちの暴行を受けて脊椎を損傷したことにより、冀中星は生涯の下半身不随の身となり、完全に労働能力を喪失したという事実だった。 メディアはこの事件が発生した2006年当時に冀中星の弁護士として働いた人物にも取材し、古い記憶を遡ってもらったが、その結果は以下の通りであった。 単なる交通事故として処理される (1)事件の発生は午前2時過ぎという未明の時間帯であり、現場の路上には証人となるべき通行人がいなかった。事件の弁護を引き受けてから弁護士が最初に接触したのは、乗客だった龑涛であり、龑涛は新塘村の治安要員が冀中星に暴行を加えたと明確に証言した。 (2)そこで、弁護士は“東莞市公安局厚街鎮分局”に対して事件を“故意傷害”で立件するように要請したが、拒絶された。当時、厚街鎮分局は、冀中星が検問を拒否した状況下で、不注意によりオートバイを転倒させて負傷したという見解を固持し、単なる交通事故として処理したのだという。 冀中星は、山東省の西南部に位置し、江蘇省、河南省、安徽省に隣接する“渮澤(かたく)市”に属する“鄄城(けんじょう)県富春郷”にある“大冀庄(だいきしょう)村”の貧困家庭に生まれた。3人兄弟で、彼には兄と妹がいるが、2人とも故郷を離れて出稼ぎに行っている。父親の“冀太栄”は62歳で健在だが、母親は十数年前に病死した。1999年、当時の出稼ぎブームに乗り、冀中星は故郷を遠く離れた広東省の東莞へ出稼ぎに出た。何回も職場を替えた末に、ある会社で警備員となったが、その頃に広西チワン族自治区から出稼ぎに来ている娘と知り合い、結婚を誓う仲となった。冀中星の給料は安く、結婚するにはカネが要る。そこで、収入を増やそうと、貯金を切り崩してオートバイを買い、副業としてオートバイタクシーを始めた。こうして、昼は警備員として勤務し、夜はオートバイタクシーの運転手という日々を送るようになった。 そして、2005年6月28日の未明に冀中星の運命は大きく変転した。冀中星が脊椎損傷により一生涯下半身不随となったことが分かると、病院で7日間も寝ずの看病をしてくれた恋人は去って行った。27日間の入院生活が終わると、冀中星は兄の“冀中吉”に付き添われて故郷の家へ戻ったが、帰りの交通費が足りず、他人の善意にすがって、ようやく帰りつくありさまだった。こうして、「出稼ぎに行ってカネを稼ぎ、妻をめとって子供を作り、実家の父親に送金する」という冀中星が抱いた理想は完全に消滅した。 実家に戻ってからの冀中星の生活は、父親の冀太栄との2人暮らしとなった。26歳の冀中星は、下半身不随でへそから下の感覚がなく、ベッドに横たわっているだけ。食事は父親に作ってもらった上に、上げ膳据え膳としてもらわざるを得なかった。小便にも父親の手を借りるし、大便となれば、父親に腹を強く押してもらったうえで、自分の手で少しずつほじくり出すのである。こんな生活が長年続けば、冀中星の住宅には異臭が漂うようになり、隣近所も訪れて来なくなる。こうした環境下で、冀中星の家では常に父子の言い争う声が聞こえ、冀中星の怒りに満ちた不平の叫びが響いていたという。 大冀庄村は村全体が裕福ではなく、若者の大多数は出稼ぎに行き、残った村人は農業で生計を立てている。そんな大冀庄村で最も貧しいのが冀中星の家であった。冀中星の家には、父親が1ムー8分(1200平方メートル)の土地で営む農業収入以外に収入はなく、毎日のように薬を飲み、注射を打たねばならない冀中星の医療費をまかなうために、その借金は十数万元(約210万〜230万円)に膨れ上がっていた。こうした状況を見かねた、“富春郷政府”は冀中星の家に“最低生活保障(略称:“低保”)“の手続きをしてくれ、さらに昨年は冀中星に“重度残疾人生活補助(重度身障者生活保護)”を給付する手続きをしてくれた。この結果、冀中星の家の収入は、1人当たり毎月110元の低保と重度身障者生活保護の毎月30元の合計で毎月250元(約4000円)となった。 部屋には「復讐」のメモ書き さて、こうした間にも冀中星は、2005年6月28日未明に発生した、あの忌まわしい事件に関する損害賠償を要求する民事訴訟を、東莞市の弁護士を通じて提起するべく準備していた。2007年1月31日、冀中星は“東莞市人民法院(裁判所)”に“新塘村村民委員会”に対し33万8267元(約541万円)の損害賠償を要求する民事訴訟を提起した。しかし、同年7月26日に東莞市人民法院は証拠不足を理由に冀中星を敗訴とする判決を下した。冀中星は、これを不服として“東莞市中級人民法院”に上告したが、2008年1月31日に下された判決は前回同様に敗訴であった。 こうして、民事訴訟の道を閉ざされた冀中星は、次の方策を検討した。2009年9月、北京市へ上京した冀中星は、共産党の“中央政法委員会(情報、治安、司法、検察、公安などの部門を主管する機構)”に陳情を行い、“東莞市政法委員会”経由で“東莞市公安局”に再検討を促すよう要請した。すると、2010年3月30日に、厚街鎮公安分局の代表が前触れもなく突然に大冀庄村の冀中星の家を訪ねて来て、今後再び陳情を行わないことを条件として、冀中星に見舞金として10万元(約160万円)を贈ると申し出た。困窮してカネの必要に迫られていた冀中星は、最終的にこの条件を受諾し、同年4月10日に10万元を受け取った。 それから3年が経過した2013年7月20日、冀中星は夜が明けきらぬ早朝4時過ぎに密かに自宅を出発し、1人で北京市へ向けて出発した。車いすに乗り、同じ身障者の友人の協力を得てタクシーに乗って鉄道の駅へ向かい、鉄道で北京市へと移動した。同日朝に冀中星がいないことに気付いた父親の冀太栄は息子の携帯電話に連絡を入れたが、電話に出た冀中星は、「早朝4時過ぎに用事があって外出した」とだけ述べて電話を切った。それから半日が経過した午後6時24分に冀中星は北京国際空港の第3ターミナルで爆発事件を起こしたのだった。 冀中星は北京市公安局により爆発事件の容疑者として逮捕されている。事件発生後、冀中星が北京市で爆発事件を引き起こしたことを知らされた父親は号泣したという。一方、その後に行われた冀中星の自宅の捜査では、彼が使っていたコンピューターが置かれていた机の引き出しから、「黒色火薬の調合」「硝酸カリウムを増やすと反応速度が上昇する」といったメモが見つかっており、爆発物は冀中星が自宅で製造した可能性が高い。メディアが注目したのは、冀中星の部屋にあったメモに書かれた“報仇(復讐)”という文字で、一度しかない人生を狂わせた厚街鎮および新塘村の関係者に対する抑えようのない憎悪を表していた。 北京市公安局による北京国際空港の爆発事件に関する調査はいまだ進行中である。一方、この事件の発生によって、2006年6月28日に厚街鎮新塘村で発生した事件の処理に対する世論が沸騰することとなった。このため、東莞市政府は速やかに専門チームを組織し、冀中星が提起していた問題を改めて全面的な再調査を行い、早急に事実を確認した上で、法に従って処理する旨を公表した。 7月21日にメディアが東莞市中級人民法院から聴取したところでは、関係責任者が当時の資料を取り出して、裁判官による検証を行っているとのことで、検証が終わり次第、その状況を報告するとのことである。また、冀中星の実家がある鄄城県の県共産党委員会および県政府は連日のように会議を開催し、県の関係部門に対して冀中星の家族(父親および兄、妹)を慰撫するなどの善後処置を行うよう指示を出したという。 北京国際空港の爆発事件に対する中国国民の世論は、犯人の冀中星に同情的であり、その矛先は復讐に燃えた冀中星に爆発事件を引き起こさせた東莞市の公安局および法院に向けられている。2006年6月の事件当時に、東莞市公安局厚街分局が新塘村治安隊をかばう新塘村村民委員会と結託して、治安要員による暴行事件をもみ消し、事件を冀中星の不注意による交通事故として処理したことは、誰の目にも明らかである。その結果、下半身不随となった冀中星を不幸のどん底に追いやり、そのやり場のない怒りが身体の自由が利かない冀中星に力を与え、人目を引く北京国際空港で爆発事件を起こす引き金となったのであろう。 社会の底辺に追いやられた者の不満 中国には冀中星と同じように、官の利益を優先する不条理によって不幸な境遇に追いやられている人々が多数存在する。そうした彼らが冀中星を見習って、不条理を正そうと類似の爆発事件を起こせば、連鎖が連鎖を呼び、全国各地で不満分子による爆発事件が多発する可能性は否定できない。中国では6月7日にも福建省厦門(アモイ)市で、走行中の高速バスが爆発炎上し、犯人と思われる“陳水総”を含む47人が死亡し、34人が重軽傷を負った事件が発生している。陳水総が真犯人であるか否かはいまだに議論の分かれるところだが、問題を抱えて陳情を繰り返していたと言われる陳水総も今回の冀中星も同様に社会の底辺に追いやられた不満分子であることは間違いのない事実である。 厦門市の事件から50日も経ないうちに、冀中星による北京国際空港の爆発事件が発生したことで、中国政府は社会の安定に対する懸念を一層深めている。なお、2006年6月の事件の一部始終を目撃した乗客の龑涛は現在、行方不明だという。 このコラムについて 世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」 日中両国が本当の意味で交流するには、両国民が相互理解を深めることが先決である。ところが、日本のメディアの中国に関する報道は、「陰陽」の「陽」ばかりが強調され、「陰」がほとんど報道されない。真の中国を理解するために、「褒めるべきは褒め、批判すべきは批判す」という視点に立って、中国国内の実態をリポートする。 |