07. 2013年7月30日 00:58:16
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日本と比べ際立って短い中国の人口ボーナス期「ルイスの転換点」から見える中国経済の構造変化(前編) 2013年7月30日(火) 須賀 昭一 今年の1月、中国の国家統計局は、2012年の中国の労働年齢人口(15〜59歳)が初めて減少したと発表、このニュースは国内外で大きく報道された。それにともない中国国内では、安価な余剰労働力が枯渇して、賃金上昇が引き起こされるいわゆる「ルイスの転換点」を中国が通過したかについての議論も再燃している。 日本の高度経済成長も、当初は余剰労働力を活用した労働集約型産業によるものだったが、60年代に「ルイスの転換点」を通過してからは、賃金上昇、産業構造高度化、地域間格差縮小などによって、持続的な経済成長がもたらされた。中国が「ルイスの転換点」に差し掛かっているとすれば、今後の中国経済の発展は、産業構造も含めた経済構造の転換が実現できるかどうかにかかっている。 すなわち、構造転換が実現できればさらに持続的な経済成長が可能となるが、実現できずに従来型の成長パターンを続けるならば経済成長のスピードは失速する可能性が高くなる。 ここでは、「ルイスの転換点」をめぐって供給側(余剰労働力)と需要側(産業)にそれぞれ起きている経済構造の変化を代表的な統計データから紹介するとともに、それらが中国経済、ひいては中国に進出する日本企業にどのような影響を及ぼすのか考えてみたい。 「ルイスの転換点」とは? そもそも、「ルイスの転換点」はどのようにして引き起こされるのだろうか。近代的工業部門と伝統的農業部門から構成される発展途上国の経済においては、農業部門における余剰労働力を工業部門に供給し続けることによって、雇用は拡大し、労働者の賃金を低水準(生存水準)に維持したまま経済成長を続けることができる。しかし、余剰労働力の供給が減少し、完全雇用が達成されると、賃金水準が上昇しはじめる。 この転換点がいわゆる「ルイスの転換点」で、ノーベル賞受賞経済学者のアーサー・ルイスが最初に提唱したことからこのように呼ばれている。 縦軸に賃金、横軸に労働力人口をとった概念図でみると、農村の余剰労働力が工業部門に移るにつれて工業部門の限界生産性(労働者を一人投入した場合の生産量)MIは右に移動する。生存水準賃金aと工業部門の限界生産性MIが交わる点bと、同じく生存水準賃金aが農業部門の限界生産性MAが交わる点cとの間が余剰労働力である。MIが右に移動するにつれて、bはcに接近するが、両者が交わるまでは余剰労働力が存在し、賃金は生存水準に抑えられた状態が続く。そして、両者が交わる時点が「ルイスの転換点」である。そこにおいて、余剰労働力部分はなくなって、完全雇用が達成される。さらに、MI’が右に移動していくにつれて、cはc’へ向かって移動する。そして生存水準賃金aはa’へ移動し、賃金は上昇する(図1)。 図1「ルイスの転換点」概念図 このように、「ルイスの転換点」を通過すると、安価な労働力に依存した経済発展は持続不可能となる一方で、労働生産性は向上するとともに、賃金が上昇することによって都市・農村間の格差は縮小する。 中国が抱える最大の問題のひとつが地域間・都市農村間の格差問題であるが、「ルイスの転換点」はそれを解消させる転機ともなるとともに、中間層の拡大や消費の拡大なども期待される。ただし、同時に経済成長を続けるためには産業構造を現在の労働集約型から脱却し、高度化させることがその条件となる。 中国における「ルイスの転換点」の議論 中国では、2004年頃に沿海部地域の一部で安価な農村の余剰労働力である農民工が不足し、賃金が上昇しているとメディアを中心に波紋が広がった際、「中国はルイスの転換点に達したのではないか」という議論に火が付いたといわれている。 農民工とは、いわゆる農村出身の出稼ぎ労働者のことを指し、12年末で約2.6億人(総人口の2割程度)いるとされる。中国では、厳格な戸籍制度が存在するため、農村戸籍を都市戸籍に転換するのは容易ではない。都市に出稼ぎに出てきた農村戸籍保有者は、都市戸籍保有者が享受できる教育、医療、社会保障等の行政サービスを受けることができないまま、農民工として建設業や製造業に従事している。 中国国内外では、2000年代半ばから労働者の実質賃金の上昇や沿海部での労働者不足が発生していることなどから、中国は「ルイスの転換点」をすでに通過しているという主張もある一方で、それらは一部地域のみに見られる現象であるうえに十分な実証もされていないことや、農村に余剰労働力はまだ存在していることなどから、「ルイスの転換点」はまだ通過していないという主張まで広く議論されている。 私の見方は後者であり、正確に言えば、中国は今まさに「転換期」にあるものと考える。局所的に労働力が枯渇して賃金コストが上昇している地域は存在すると考えられるが、中国においては、いまだ地域経済や労働市場が分断化されている面があり、現時点で一律に「転換点を通過した」と断言することは困難である。ただし、いまだ転換点を通過していないとする論者も、趨勢としては中国経済が「ルイスの転換点」に向かいつつあり、2020年代には転換点を過ぎるであろうことはおおむね認めているようである。 以下では、「転換期」の到来を示唆する経済指標をいくつかみてみたい。 100前後の都市をサンプルとした求人倍率の推移をみると、全体では緩やかに倍率が上昇している。また、業種別でみると、事務職や管理職よりも特に単純労働業種の需給がひっ迫していることが分かる(図2)。 図2 求人倍率の推移 (備考)中国国家統計局より作成。 また、都市部労働者の平均賃金も前年比10%以上の伸び率で推移しているが、とりわけ、農民工が主に従事している建設業や製造業の賃金はここ数年では都市部労働者の平均を上回るスピードで伸びていることが分かる(図3)。 図3 農民工と都市労働者の平均賃金の比較 (備考)1.中国国家統計局より作成。 2.前年比は名目額の前年比−消費者物価上昇率の前年比で実質化したもの。 内陸部と沿海部、さらに大都市と中小都市とでは異なる状況が存在するであろうことには留意が必要であるが、このように全国的なマクロ経済データをみれば、「転換期」の到来を示唆する低賃金(非熟練)労働者の需給ひっ迫と賃金上昇が中国において確実に発生しつつあることが分かる。これは、先述のように日本をはじめ、いかなる国においても経済発展が進む過程で通過する普遍的な現象であるが、中国の場合、他と大きく異なる点がある。それが、人口構造の問題である。 一般には生産年齢人口が増加から減少に転じる時期と、不完全雇用から完全雇用が達成される時期は異なる。日本の場合、前者は1995年頃であり、後者は60年代であったといわれる。しかし、中国の場合は「一人っ子政策」という特殊な事情によって、生産年齢人口の減少期が人為的に早められ、完全雇用達成時期とほぼ同時に到来すると考えられることから社会的・経済的インパクトはより大きいものとなる。 「ルイスの転換点」の到来を早めた人口構造の変化 中国経済は、改革開放後から30年以上にわたって飛躍的な経済発展を遂げてきたが、それを支えてきた要因のひとつが豊富な労働力である。中国は、70年代から従属人口指数((幼年人口+老年人口)/生産年齢人口)が低下するいわゆる人口ボーナス期に入った。人口ボーナス期は、総人口に生産年齢人口が占める割合が大きくなることから、経済成長に追い風となる。 しかし、「一人っ子政策」などの影響から、人口構造が大きく変化し、この人口ボーナス期も2010年代半ば頃に終了し、その後は人口負担期を迎えることが見込まれている。以下で見られるように、中国の人口ボーナス期は、日本と比べると際立って短いことが分かる(図4)。 図4 従属人口指数の推移と人口ボーナス期間 (備考)国連人口推計(中位推計)及び国立社会保障・人口問題研究所(1950年以前のデータ)より作成。 いわゆる「一人っ子政策」は、一組の夫婦に子供一人を提唱する人口抑制策で、1979年から実施されている。達成した夫婦には奨励金や学費医療費の補助が支給され、違反した夫婦には罰金が科されるが、80年代以降、農村で第一子が女児の場合は、間隔を置いて第二子出産可など、地域や民族等に応じて個別に例外が設定されている。 全国レベルでは、依然として一人っ子政策は国策として実施されているが、見直す動きもある。生産年齢人口の回復という観点からは、さらなる緩和が必要であるが、仮に実施されたとしてもどこまで回復するかは疑問である。その効果が顕在化するには数十年かかると見込まれることに加え、大都市では実質的に第二子出産が許可されても産まないことを選択する夫婦も増えるなど、生活意識が先進国化する現象も見られつつあるからである。 農民工を生み出した背景とその質の変化 上述のような人口ボーナス期初期に改革開放政策が始まり、農村の余剰労働力が大挙して都市に出稼ぎに出て行った。しかし、これには需要側の要因もさることながら、供給側にも余剰労働力を都市部に送り出さざるを得なかった背景がある。 労働生産性を産業別にみると、第一次産業の生産性は極めて低く、改革開放後、第二次産業や第三次産業との生産性の差は大きく開いた状態となっている(図5)。 図5 労働生産性の比較(産業別) 備考)1.中国国家統計局より作成。 2.各産業ごとに名目GDP/就業人口で試算。 また、80年代前半には都市住民の可処分所得は農村住民の純収入の2倍程度であったが、その差は拡大し、近年では3倍以上となっている。農村住民の所得も着実に増加しているが、都市住民の所得の増加ペースが速すぎる状況が続いている。言い換えれば、国全体の経済成長の恩恵が都市に偏って配分されており、その傾向は改革開放後加速されていることを表している(図6)。 図6 都市部と農村部の所得水準の推移 (備考)中国国家統計局より作成。 さらに、農村住民の純収入の内訳をみても、純粋な農業収入のシェアは縮小しており、出稼ぎなどから得られる賃金収入のシェアが拡大しているのが分かる。しかし、上記の都市住民所得との比較も踏まえれば、出稼ぎなどで賃金収入を得たとしても、この程度しか純収入を得られないという現状を表している(図7)。 図7 農民の純収入内訳の推移 (備考)中国国家統計局より作成。 こうした農村状況が、改革開放後、農村が余剰労働力である農民工を都市に送り続けてきた背景にある。政府も農業の生産性向上や、農民の待遇改善などを進めているが、顕著な進展は見られていない。 このような農村側の事情もあって誕生した農民工であるが、近年になってその質的な変化がみられるようになっている。農民工の年齢構成をみてみると、現在、30歳未満が全体の5割以上を占めている。一方で、農村で農業に従事する30歳未満の若年人口は2割強にすぎない。これは、一般的にいわれている「農村に存在する余剰労働力は中高年が多い」ということの裏付けにもなる。 こうした30歳未満の農民工を、「新生代農民工」という。家族を農村に残して都市で肉体労働に従事して仕送りをしつつ、いつか農村に戻るというのが従来の農民工のスタイルであった。しかし、農村での生活や農業経験も少ない「一人っ子政策」世代の「新生代農民工」は、従来の農民工と比べて学歴が高く、意識の上では都市戸籍の若者と変わらないという。 彼らは総じて、辛い肉体労働や農民工としての地位を嫌い、向上心が強く、賃金等の待遇に敏感で短期間で仕事を変え、都市での定住を希望し、権利意識も強いとされている。一部では、都市農村間の格差問題に彼らが一定の役割を果たすことを期待する声もある。いずれにしろ、このような「新生代農民工」を従来のような安価な余剰労働力として扱うことは難しくなり、雇用のミスマッチが拡大し、余剰労働力不足に拍車をかける可能性もある。 日本においても「ルイスの転換点」を通過したとされる60年代に、労働者の権利意識は高まり、賃金交渉が活発化した。その結果、実質賃金は上昇し、家計所得の伸びは高まり、消費に貢献した。こうした観点からすれば、1億人以上存在する「新生代農民工」は労働者として、あるいは消費者として中国経済の新たな主役となる潜在性も兼ね備えているともいえる。 図8 農民工の年齢構成と学歴構成(2009年) (備考)中国国家統計局より作成。 このように、中国の高度経済成長を支えてきた余剰労働力をめぐる量・質・コストに変化が起きつつある。こうした経済構造の変化は、中国経済にどのようなインパクトを与えるのだろうか。また、こうした変化に対応して、日本は中国との経済関係をどのように変化させればよいのか。次回は、こうした問題について、関連する経済データを紹介しながら見ていきたい。 (後編に続きます) (本コラムの内容は筆者個人の見解に基づいており、内閣府の見解を示すものではありません) このコラムについて 若手官庁エコノミストが読む経済指標 内閣府の若手エコノミストがさまざまな経済指標を読み解き、日本経済や日本経済を取り巻く状況について分かりやすく分析する。多くの指標を精緻に読み解くことで、通り一遍の指標やデータだけでは見えてこない、経済の姿が見えてくる。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130719/251295/?ST=print |