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PRESIDENT 2011年7月4日号 ドリームインキュベーター会長 堀 紘一 構成=面澤淳市 撮影=市来朋久
2011年3月11日に発生した東日本大震災、福島第一原子力発電所事故は日本人の生活観・労働観を大きく変えた。この未曾有の大災害の後、私たちの進むべき道はどこにあるのか。
■高卒者が地元で働ける社会をつくれ
高齢化が進み国の借金がとめどなく積み上がる――。21世紀を迎えた日本は、ただでさえ国としての活力を失いつつあり、2011年、世界のGDPランキングで中国に抜かれ、3位に転落した。
海外からの目は辛辣だ。外国人の多くは、震災後「日本の時代は完全に終わった」と判断している。20世紀後半をリードした日本の経済力や科学技術力は失速し、回復しないだろうというのである。
私は日本人の1人として「そう簡単に没落してたまるか。日本はこれから間違いなく復興する」と大声で反論したい。
では、どのような「よいシナリオ」が考えられるだろうか。
私は「高卒者が地元で働ける社会づくり」を提唱したい。いま現在、高卒者の就職内定率は低下の一途をたどっている。
地元企業に限ると内定率はさらに低い。高卒者に職を与えることのできない国はろくなものではないと私は思う。
たとえば北海道小樽市の「ハローワーク小樽」管内では、10年3月の地元高卒者が管内に就職を希望し、内定を得た比率は46.3%にすぎず、他の地域を含めた全体の内定率55.8%に比べてもなお低レベルにとどまっている。
だから多くの人が心ならずも東京などの都会に出てくるのだ。大都市へ人口が過度に集中することで、起きなくてもいい問題が起きていると私は見ている。
■日本の新しい成長戦略は、何をめざすべきか
日本社会の実直な中間層である高卒者が地元に就職できれば、そうした社会問題の多くは解決するだろう。たとえば親世帯の近くに住めるので、共働きであっても保育所に頼らず子育てができる。自治体はその分、保育所不足に頭を悩ませる必要がなく、余分な予算を割かなくてよい。また、地方は全般的に生活コストが安いため、実際の年収よりも数段豊かな生活ができる。
私が考える「職場」とは、たとえば次のようなものだ。いま、日本企業の多くは海外工場で多くを生産し、海外市場に販売するグローバル企業に成長している。私はそういった企業に、海外の量産工場へ生産を移す前段階を受け持つ、100人規模のマザー工場をどんどんつくれと提言したい。マザー工場とは、研究所と工場の中間的な形態の工場である。
このプランの実効性を上げるには、震災後の復興論議とリンクさせることが大事で、税制や特区などの後押しでこうした「地方の職場」が増えれば、地方の経済環境は急速に好転するはずだ。
そして国全体では、「環境・省エネ産業」を育てることだ。地球環境を守ることは世界的なコンセンサスになっているが、これらの産業には、レベルの高い複合的な技術が必要になる。幸い、日本には土木技術、水のろ過技術など世界に誇れる高い技術力がたくさんあり、それらを単品ではなく、セット販売するのだ。さまざまな産業の組み合わせには、チーム力が必要だが、これは日本人の得意分野だ。自動車が世界一になれたのも、自動車は3万点の部品を組み立ててはじめて1台が完成するからだ。組み立てメーカーとコンポーネント・メーカー、コンポーネント・メーカーと部品メーカー間のチームワークが何より大切だからだ。
「世界で一番きれい好き」の日本人が、本気になって商品を開発すれば、そこから日本の新しい成長産業が生まれてくる。
以上は国や企業が取り組むべき政策的な対応である。一方、サラリーマン個人にもできることはある。
■何もかも会社に頼る考えは捨てるべき
そもそも、都会のサラリーマンは決して豊かとはいえない。好待遇の会社に勤めるエリートサラリーマンであっても、住居費をはじめとする生活費がかさむほか、所得を完全に捕捉されるのに経費扱いの幅が狭いといった税制上の不利もあり、思ったほど楽な暮らしを送ることはできないのだ。
サラリーマンは金銭的にはさして恵まれないうえ、後で触れるように、成果主義の浸透により10年後には「安定」という取り柄もなくなるだろう。だったら、思い切って独立・開業を考えてみるのも1つの選択肢である。
再スタートの時期は早いほうがいい。45歳を過ぎたら遅いかもしれず、できれば35歳を目処に決断すべきだ。といっても、私自身がボストンコンサルティンググループの社長を辞め、ドリームインキュベータを創業したのは55歳のとき。周囲からはさんざん反対されたが、押し切る形で独立した。もちろん後悔する気持ちはまったくない。だから、年齢なんかは目安にすぎないというべきだろう。
といっても、やみくもに会社を飛び出せというわけではない。得体の知れない閉塞感に覆われているのは日本くらいだ。中国やベトナムのようなアジアの新興国には、いまなお「坂の上の雲」を追い求める空気が充満している。
ならば、30代、40代という働き盛りのうちに海外勤務を志願することだ。とくにアジアが面白い。社内事情に通じ、内外に人脈を持つこの世代は海外と本社との結節点として大きな仕事ができるだろう。海外に拠点がなければ、あなたが進言してつくらせればいい。海外へ出るために会社を移りたいという人もいるだろうが、それは勧められない。なぜなら「社内事情に通じている」ことが海外駐在員の価値だからである。
激動期にいるわれわれは、3年先の収入や雇用を正確には予言できない。何もかも会社に頼ろうという考えは捨てるべきだ。すると、早いうちに不動産を購入して賃貸に回すといった副業を手がけることも考えていいだろう。
いずれにしても、人生は1回しかない。やりたいことがあれば、ぐいっと一歩を踏み出すべきではないだろうか。一流大学を出て一流会社に入り、若いうちは我慢しながら同じ会社でちまちまと勤め上げ、やがて役員になり、社長をうかがう。そうすることが最善の道だと多くの人が信じている。だが、それは間違いである。
いろいろな会社を経験すればそれだけ自分の視野が広がるし、発想は豊かになる。社外の一流の人たちに触れることで、次のステップが見えてくることもあるだろう。会社を飛び出すことには単にリスクではなく、実りをもたらすこともあるのだということを知ってもらいたい。
人生には案外、幅があるものだ。私自身の経験でも、新聞社から商社、コンサルティング会社と渡り歩く中で気づかされたのは、思っていた以上に横幅があるということだ。自分で「できない」と思い込んでいたことが、意外とすんなりできてしまったりするものなのだ。
ところが、日本のサラリーマンは概してその手の発想を苦手とする。自分の能力や嗜好の「幅はここまで」と勝手に決め付けてしまい、そこから一歩も出ようとしない。
言葉を換えると、リスク許容度がきわめて低い。サラリーマンを長く続けているとそうなるのだが、リスクを回避するどころか忌避する気持ちが異様に肥大化し、ほんのささいなリスクでさえ避けたがるようになるのである。
ときに運悪くレストランの食中毒事件で亡くなる人がいる。その程度のリスクはどこにでもある。だからといって、外食をやめるのは過剰反応というものだ。
海外でお腹をこわしそうだと予感したとき、私はあらかじめ正露丸を3粒飲んでおく。そのくらいの準備をしたうえで、恐れずに料理を食べるのだ。
大事なのは、そうして一歩を踏み出すことだと思うのである。
経営コンサルタント 堀 紘一
1945年生まれ。69年東京大学法学部卒業、同年読売新聞社入社。73年三菱商事入社。80年ハーバード大学経営大学院でMBA取得。81年ボストンコンサルティンググループ入社。89年同社社長。2000年ドリームインキュベータを設立し、06年から会長。
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