01. 2013年7月19日 17:03:59
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1997年前後の景気後退の原因と消費税率アップの影響について20年前の不動産バブルの終了は(おそらくは地価および金融政策の誤りのために)ハードランディングとなりました(バブル崩壊)。 その悪影響で低迷を続けていた日本経済がようやく立ち直りの兆しを見せていた1997年に、景気回復より財政再建を優先する超緊縮予算が組まれ、また、消費税などの負担増も重なりました。 橋本構造改革です。 景気は再び急速に悪化しました。 4月には日産生命が破綻、11月には拓銀と山一証券が破綻。 景気対策のため年末には特別減税が実施されることになり、財政再建路線の誤りは半年を待たずに明白になりました。 この時期の景気の急速な悪化は、経済指標にも表れています。 次の図からは民間投資(住宅投資や民間企業設備投資)が1997年前後に急速に冷え込んだことがわかります。 Fig1 図1 (クリックで拡大) 民間投資の伸び率は、1997年1-3月期まで消費税率アップ前のかけこみ需要期待でプラスでしたが、同年4-6月期から1999年1-3月期まで3年に渡って大幅なマイナスとなっています。 民間消費や所得(GDP)も横ばいあるいは減少となっています。 ただし、この景気後退のすべてが消費税率アップの悪影響のためというわけではないと思われます。 この時期にはさまざまな大きな出来事がありました(*1)。 今回は、この時期の大幅な景気後退の原因として、消費税率アップの悪影響がどの程度の割合を占めているのか、について考えてみます。 ■民間投資の動きは所得と輸入で8割がた説明可能
景気の動きを見るためにここでは民間投資に注目することにします。 民間投資は経済のエンジンだからです。 さまざまな経済指標と民間投資との相関を、タイムラグを考えて調べてみたところ、民間投資の動きは、所得と輸入の2変数で8割がた説明できることがわかりました(*2)。 次の図は、民間投資の伸び率を、所得の伸び率と(1期前の)輸入の伸び率の2変数による、線型の予測式で予測したものです。 緑色の領域が民間投資の動きのうち予測し切れない部分を表しています。 まずまずの予測能力をもった式であることがわかります。 Fig2 図2 (クリックで拡大) 所得が増えると民間投資が増えるのは、まず所得自体が民間投資を含んでいるためでしょう(Y=C+I+G+X-M)。また、所得が大きいと消費が増えますから、内需増の期待で民間投資が増えるのだと考えられます。 (1期前の)輸入が増えると民間投資が増えるのは、輸出予定のためと思われます。 輸出するためには生産しなければならず、そのためには原材料等を輸入し、かつ生産設備に投資しなければなりません。 輸出、輸入、民間投資の三者は密接に結びついています。(その証拠に、日本の輸入が増えるのは輸入品が安くなる円高時ではなくて、輸出が増える円安時です。) 上の図で1997年前後を取り出すと次のようになります。 Fig3 図3 (クリックで拡大) この図を見ますと、1996年中の民間投資の伸び率に、所得と輸入の動きでは説明できない小さな盛り上がりが見られます。これは消費税率アップ前のかけこみ需要期待によるものと思われます。 1997年中の民間投資の伸び率は、所得と輸入の動きでほぼ説明可能であることがわかります。 図から読みとれるように2つのうち、この時期の主役は所得です。 したがってこの時期に関しては、所得の落ち込みに消費税率アップがどの程度影響したかを考えればよいでしょう。 一方、1998年(とくに後半)から1999年前半の民間投資の伸び率には、所得と輸入の動きでは説明できない大きな落ち込みが見られます。 注1の年表に示しましたが、この年の秋には長銀と日債銀の破綻がありました。 金融不安と貸し渋りが、基礎体力の落ちていた企業の設備投資意欲をさらに奪った可能性があります。 これらについてさらに考えてみます。 ■1997年の民間投資落ち込みの原因
次の図は、3つの変数(政府支出、為替レート、マネーサプライ前年比)の伸び率の推移をそれぞれ示しています。 Fig4 図4 (クリックで拡大) ごらんのように1997年ごろのマネーサプライ前年比と為替レートはほぼ中立なので、この時期の景気悪化の主因は緊縮財政にあると考えられます。 1997年度は、公共事業費が約4兆円削減された上、負担増が約9兆円(消費税率アップで5兆円、特別減税の廃止で2兆円、健康保険の負担増が2兆円)に上りました。 計13兆円(GDP比2.6%)という巨額のマイナスの景気対策が打たれたことになります。 消費税率アップの影響はこの時期の落ち込みの半分弱(割合にして約5/13)を占めることになります。 (これらは短期的な話です。 長期的には、消費税率アップは消費性向の低下という経路を通じて経済を縮小均衡へ導いてしまうとWSは考えています。) ■1998年〜1999年前半の民間投資落ち込みの原因
図4に見られるように、1998年以降は小渕政権下の大型の財政出動で財政要因による悪化はなくなりましたが、1999年後半まで民間投資の減少は止まりませんでした。 少し戻って図3を見ると、1997年以来の所得減少の継続、貿易(ここでは輸入)の減少、その他の要因の3つが民間投資の減少に同程度に寄与しています。 3つの要因のうち、まず所得の減少は1997年の緊縮財政政策の余波と考えてよいでしょう。 次に、貿易量が落ち込んだのはアジア通貨危機などに代表される世界経済要因もありますが、円高が進行したためでもあります(図4の実効為替レートのグラフを参照)。 金融緩和がなかったために円高が進行しました。 そして残念なことに、まさに変動相場制下におけるマンデル・フレミングモデルの主張どおりに、大型の財政出動の効果は半減してしまいました。 次の図は物価上昇率の推移を示していますが、この時期からデフレが定着してしまったことがわかります。 この時期の金融引き締めははたして適切であったのでしょうか。 Fig5 図5 (クリックで拡大) 最後に、その他の要因としては1998年秋の金融危機(長銀、日債銀の国有化などがありました)等による国内企業への貸し渋りが考えられます。 この時期、アジア通貨危機などにより、他の通貨が円にくらべて大幅に安くなり、海外投資の魅力が増しました。 内需が落ち込む中で、銀行は海外の証券を買い、活路を求める企業は海外の企業を買ったり、海外へと出て行きました。 次の図は日本の資本収支の推移を示します。 以前は1年に約7兆円だった海外への資本流出が、円高が進行した1998年には約19兆円に急増したことが読みとれます。 Fig6 図6 (クリックで拡大) というわけで、景気回復の腰を折り、景気の急激な悪化の引き金を引いたのは1997年の財政引き締めであった。 消費税率アップ(3%→5%)はその責任の13分の5程度を占める。 1998年から1999年に小渕政権下の財政出動で景気回復を図ったが、十分な金融緩和を行わなかったために、円高による貿易の減少や金融危機等に伴う国内貸し渋りなどによりその効果は半減してしまった、というのが今回の記事の結論となります。 では。 ------- 注 *1) この時期にはいろいろ重要な出来事がおきました。 ウィキペディアと「平成経済20年史(紺谷典子、幻冬社)」を参考に簡単な年表にしてみます。 1995年(平成7年) ・村山内閣(94年7月〜) ・阪神淡路大震災(1月)、地下鉄サリン事件(3月) ・4月 円高(1ドル=79.75円)、利下げ(公定歩合1.0%) ・11月 景気対策(14兆円) ・年末 円安へ(1ドル=100円) 1996年(平成8年) ・住専国会 ・景気回復 ・9月 橋本内閣発足 1997年(平成9年) ・4月 財政構造改革(消費税など負担増9兆円と公共投資など歳出削減4兆円) ・4月 日産生命破綻 ・5月 アジア通貨危機(〜98年、ロシア財政、ブラジル通貨にも波及) ・11月 拓銀、山一破綻 ・年末 特別減税実施 1998年(平成10年) ・4月 財政構造改革法を緩和、特別減税を拡大、緊急経済対策(16兆円) ・4月 改正日銀法施行 ・7月 小渕内閣発足 ・10月 円急騰 ・長銀(10月)、日債銀(12月)国有化 1999年(平成11年) ・1月 ブラジル通貨危機 ・2月 ゼロ金利政策 ・11月 大型経済対策(24兆円:公共事業、貸し渋り対策、定率減税) ・日経平均2万円台回復 2000年(平成12年) ・4月 森内閣発足で緊縮財政復活 ・8月 日銀利上げ ・日経平均急落(年初2万円台→12月1万3千円台) *2) 民間投資に関係しそうな変数として、民間消費、政府支出、輸出、輸入、所得(GDP)、実効為替レート、マネーサプライ(M2)前年比の7つを考えました。 いずれも名目4半期生データの4期(1年)後方移動平均の時系列を考えています。
(移動平均をとっているので、これらの値は実際の値より半年ほど遅れています。 なお、上で図1から図6で示した値は、さらに伸び率の4期前方移動平均をとっているので、実際の値とほぼ同期した、ただし平滑化された値になっています。) 次の図は、これらの変数の伸び率(前期比)の長期トレンド(48期(12年)移動平均相当)を示します。 長期トレンドはHPフィルタで同定しました。 その際、トレンドの滑らかさを決めるパラメータは、トレンドの階差の分散が、48期移動平均の時系列のそれと一致するように選びました。 Fig7 図7 (クリックで拡大) この長期トレンドをもとの時系列から差し引いた時系列を次に示します。 見にくくなるので1995年〜1999年の範囲だけですが、時系列自体は1981年から2009年に渡っています。
Fig8 図8 (クリックで拡大) 各時系列がバラバラではなくて、一緒に連動して推移していく様子が読みとれます。 どの時系列どうしは相関が大きいのか、どの時系列は比較的独立なのか、といったことを見るために、相関を調べました。 とくに、民間投資に興味があります。 Fig9i 図9i (クリックで拡大) 民間投資(の伸び率)は、所得(の伸び率)と相関が大きいことが読みとれます。 また、1期前の輸入(の伸び率)との相関も大きいです。 輸出(の伸び率)よりも輸入(の伸び率)との相関のほうが若干大きくなっています。 (わずらわしいので、以下では「〜の伸び率」の部分を省略して単に「〜」と書きます) 次に、所得を調べます。 Fig9y 図9y (クリックで拡大) 所得との相関が大きいのは順に、民間投資、消費、輸出、輸入です。 Y=C+I+G+X-Mという式から考えると、所得の6割を占める消費のほうが、2割を占める民間投資より相関が大きくてもよいのですが、民間投資のほうが相関が大きくなっています。 民間投資こそが経済を駆動することがよくわかります。 また、相関は小さいですが、為替で円安が進行すると半年後に所得が増えることや、マネーサプライ前年比が伸びると2年後に所得が増えることもわかります。 政府支出と所得の相関が小さいのは、おそらく、所得が減少したり伸びなくなったときに景気対策として政府支出が増やされることの反映ではないかと思います。 次に輸入を調べます。 Fig9m 図9m (クリックで拡大) 輸入との相関が大きいのは順に、輸出、(1期後の)民間投資、所得、(逆相関で)実効為替レートです。 これはおもに輸出のために輸入と民間投資が行われる構造の反映でしょう。 所得が増えると輸入が増えるのは、同時に輸出が増えるのと購買力が増すためです(Y=C+I+G+X-Mの式の右辺の-Mの効果を他の項の増加が上回る)。 また、一見不思議ですが、円安が進行すると輸入が増えることもわかります。これも輸入が輸出に従属しているためであると考えられます。 次に輸出を調べます。 Fig9x 図9x (クリックで拡大) 輸出との相関が大きいのは順に、輸入、所得、(1期後の)民間投資、(逆相関で)実効為替レートです。 これも輸出のために輸入と民間投資が行われる構造の反映として理解できます。 所得と輸出の相関が大きいのは、Y=C+I+G+X-Mの式自体と、輸出の民間投資への波及効果のためです。 円安が進行すると輸出が増えるのは、輸出品の(海外通貨建て)価格が下がり競争力が増すためです。 次に民間消費を調べます。 Fig9c 図9c (クリックで拡大) 民間消費との相関が大きいのは順に、所得、(逆相関で1期前の)実効為替レートです。 所得が増えると消費が増えるのは、Y=C+I+G+X-Mの式自体と、消費性向が安定的なためです。 円安が進行すると1期後に消費が増えるのは、輸出の増加が所得の増加につながり、所得の増加が消費を増やすという経路を通じてであろうと思われます。 次に実効為替レートを調べます。 Fig9e 図9e (クリックで拡大) 実効為替レートとの相関が大きいのは順に、(逆相関で)輸入、(逆相関で)輸出、(逆相関で1期後の)消費です。 これらにはすでに言及しました。 あと、相関は小さいですが、マネーサプライが絞られる(増やされる)と2年後に円高(円安)が進行することや、円高(円安)進行の1年半後にはマネーサプライが増やされる(減らされる)ことが読みとれます。 次に政府支出を調べます。
Fig9g 図9g (クリックで拡大) 政府支出と諸変数の相関はあまり大きくありません。 これは、所得減少時に景気対策として政府支出を増やし、所得悪化を食い止めていることを反映している可能性があります。(つまり、政府支出が変動しているときには他の変数は止まりがち。) 相関は小さいですが、マネーサプライが絞られる(増やされる)と1年後に政府支出が増加する(減少する)ことがわかります。 (金融政策の悪影響を財政政策で緩和していることの反映でしょうか?) 最後にマネーサプライを調べます。 Fig9m2 図9m2 (クリックで拡大) マネーサプライと諸変数の相関はあまり大きくありません。 相関は小さいですが、マネーサプライが増やされる(絞られる)と2年後に円安(円高)が進行することがわかります。 また、これも相関は小さいですが、マネーサプライが絞られる(増やされる)1年前には、民間消費が増加(減少)していることがわかります。 今回は以上です。 2010.04.25 経済10 | 固定リンク « 現在の名目GDPの値は消費税約11兆円分だけ かさ上げされている? | トップページ | ジャーナリズムはこれでいいのか? NHKラジオ 経済評論家・内橋克人さん » 「経済10」カテゴリの記事 日本の家計消費性向の推移および景気変動との関係(2010.07.13) プライマリーバランスの黒字化は財政健全化目標として不適切。重要なのは名目成長率を高めること(2010.06.22) 名目GDP成長率が1%アップすると財政赤字はどれだけ減るか (2010.07.26) 名目GDP成長率が1%アップすると税収はどれだけ増えるか (2010.07.17) 紹介:「財源はいくらでもある!消費税増税は反対! 緊急国民財政会議」ご報告---Like a rolling bean (new) 出来事録さん(2010.07.06) コメント 特徴的なことは、1996 年の前半にピークを迎えた家計消費支出、政府消費、公的資本形成が 1996年中に低下傾向をみせはじめることである。そして 1997年第I四半期に家計消費支出は駆け込み消費をみせるのであるが、消費税率の引き上げがあった第U四半期には急落する。そして、消費税率の引上げ前後の消費の増減をならしてみると、1996 年第U四半期から 1998 年第I四半期までの約2年間、家計消費の低下傾向を読み取ることができる。そしてその家計消費の低下傾向は、1996年初頭からはじまる政府消費の低下、そしてそれにつづく公的資本形成の減少とほぼパラレルに動いていることも読み取ることができる。これら公的需要項目の低下傾向に少し遅れて、民間投資は、1997年第I四半期をピークに低下していく。こうした観察事実にもとづけば、1997年に不況に陥っていった原因は、1996年後半からはじまる緊縮財政(政府消費、公的資本形成の引き下げ)であり、これによって家計消費の不調、そして民間投資の減少が引き起こされたと考えることは妥当であると思える。 投稿: 引用 | 2010.05.01 11:24 http://waveofsound.air-nifty.com/blog/2010/04/1997-bcae.html
資産価格バブル、物価の安定と金融政策:日本の経験 資産価格バブル、物価の安定と金融政策:日本の経験 翁 邦雄* ・白塚重典** 要旨 日本経済は 1980 年代後半以降、資産価格バブルの発生・拡大と崩壊に伴い 非常に大きな景気変動を経験した。金融政策運営上の観点から資産価格バ ブルの生成と崩壊の問題を考えた場合、日本銀行はもっと資産価格変動を 考慮すべきであったのだろうか。それとも資産価格の変動に惑わされずに、 一般物価だけを念頭においたインフレーション・ターゲティング的な政策 運営をすべきであったのだろうか。こうした判断を下すうえで、金融シス テム面の問題をどのように考慮すべきであったのであろうか。本稿はこれ らの問題に暫定的な回答を出すことを企図したものである。
5.結び 本稿では、1980 年代後半から現在に至る日本の資産価格バブル生成・拡大か ら崩壊までの過程を、金融政策運営の観点から振り返った。本稿の暫定的結論 は、次のようになろう。 まず、日本の経験は必ずしも資産価格を直接、金融政策の目標に含めるべき ことを意味するものではない。その意味では、この点についての Bernanke and Gertler [1999]の結論は正しい。しかし、同時に日本の経験は Bernanke and Gertler [1999]が主張するように、柔軟なインフレーション・ターゲティング (flexible inflation targeting)により、長期的にインフレ目標値にコミットする ことで、マクロ経済の安定と金融システムの安定の両者を整合的かつ相互補完 的に達成していくことが、必ずしも自動的に保証されている訳ではないことを 物語っている。 その際、重要な論点の一つは、日本が経験したようにバブルは、Blanchard and Watson [1982]でモデル化されているような、市場参加者がファンダメンタ ルズを正しく認識している、という合理的バブルではなく、事後的に振り返っ てみるとユーフォリアとして形容されるべき、将来のファンダメンタルズにつ いての行き過ぎた楽観的期待であった、という点である。物価の安定が持続す る中で、景気拡大の長期化に連れ、潜在 GDP 経路は上方へシフトしていると 認識され、ユーフォリアが発生し、GDP ギャップからみたインフレ圧力は、過 小評価されていた。しかし、この間における資産価格の上昇も、それ自体は ニュー・エコノミーの到来の結果なのか、ユーフォリアなのかについての十分 なヒントは提供しなかった。こうした日本の経験に照らして考えると、結局の ところ、資産価格上昇をもたらしている新たなステージの経済発展への期待が、
ユーフォリアかどうか見極め、正しい潜在成長率のパスを推測しなければ適切 な政策対応は保証されならない、ということになると思われる。その意味でバ ブル生成局面において資産価格を直接目標に含めていれば、より妥当な政策判 断にたどり着いた、とは言えない。 他方、バブル崩壊局面における金融システムの不安定化という日本の経験は、 バブル崩壊局面における思い切った金融緩和は、試行する価値があるかもしれ ないことを示唆しているように思われる。しかしながら、同時に日本の経験で は、バブル崩壊に伴う金融面での影響がある閾値を超えた段階で急激に顕現化 するという、間接金融に偏った金融システムの特質から、バブル崩壊後の早い 段階では、実体経済面への影響は極めてマイルドであり、観察されるデフレ圧 力からは、金融システムの不安定化が通常の景気循環を超えて永続的なインパ クトをもたらすものである、と認識することが困難であった。また、資産価格 の下落についても当初はその持続性についての認識は乏しかった31。こうした 経験に照らすと、バブル崩壊期についても、デフレ圧力にフォーカスする、な いし資産価格を直接目標に取り込むことで問題が解決するわけではなく、結局、 バブル生成・拡大期と同様、バブル崩壊による金融システム面への影響も見込 んだうえで、潜在産出量の経路がどの程度の規模で永続的に下方シフトするリ スクがあるのか、という判断が不可欠であるように思われる。 http://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/01-J-27.pdf |