01. 2013年7月19日 00:55:33
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高く分厚い「50代の壁」専門スキルを生かし派遣社員として働く 2013年7月19日(金) 三橋 英之 都内で開かれたある勉強会。大企業の人事部門で働く40〜50代の社員たちが、65歳までの雇用延長に会社としてどう対応しているのかを話し合っていた。 「社外への転進を促進するキャリア支援に力を注いでいますが、研修に参加してもらっている中高年社員の態度がとにかく悪いんです。腕組みをしたままずっと目をつむっている、仕事の書類を広げて読む、途中退席して職場に行ったまま戻ってこない…」 「うちも一緒だよ」という合いの手に、参加者から笑いが上がった。その直後、ファシリテーターが話題を変えた。 「では今度は、みなさん自身が今後のキャリアをどう考えているのかをお話しください。まず、60歳以降も働きたいという方は手を挙げてください」 20人ほどの参加者は、1人を除き全員が手を挙げた。だが、具体的なプランを持っている人はほとんどいなかった。 「会社に残っても給与は半減です。できれば外に出たいですが、自分の市場価値を過大評価できるほど世間知らずではありませんから…」。40代後半の男性は苦笑いを浮かべながら、こう言って発言を締めくくった。「(継続雇用の)制度を作りながら、自分で自分の首を絞めるとは正にこのことだと感じていました」。再び会場にわき上がったのは、先ほどよりもさらに苦い笑いだった。 年金受給の年齢を65歳に引き上げ、その代わりに65歳まで働けるようにする。4月から始まった雇用延長の新制度は、老後の生活不安を和らげるどころか、多くの会社員にとって、この先に待ち受ける闇の深さを気づかせる働きをしたようだ。 年金の受給開始が65歳になる「逃げ切れない世代」 昭和36年生まれ、今年52歳になる男性は、年金の受給開始が65歳になる最初の世代。年金給付額の減少にも直面する「逃げ切れない世代」がここから始まる。 52歳といえば、その多くは会社における昇進の最終ゴール地点がもう見えてしまっている。役員レースに参加している一握りを除けば、役職定年が目の前にちらつき始め、社内でのキャリアのピークを過ぎたと感じる頃だ。給与は既に減り始めているか、そうでないとしても、数年のうちに間違いなく減っていく。 一方で、家計の支出は多い。バブル崩壊後の1990年代前半に購入した住宅は、今と比べるとかなりの高値で、住宅ローン金利もまだ高かった。この世代の男性が第一子を持つ年齢は平均30歳。教育費はいまピークを迎えている。 この苦しい時期を乗り切り、退職金を無事手にして60歳までに老後資金3000万円を用意したとしよう。以前なら、これで老後の生活は一応の目処がついた。だが、逃げ切れない世代の場合、60歳以降に無収入になり貯蓄と公的年金を取り崩すだけだと、預金残高は77歳でゼロになる(年間支出360万円として。「日経マネー」の試算)。現在52歳の男性の平均余命は29.59年。つまり、平均して81〜82歳までは長生きする。である以上、60歳を過ぎても、なるべく長く働き続けなければならないのだ。 だが、頼みの綱の雇用の延長は、どうやら十分な収入も、経験や意欲に釣り合った仕事ももたらしてくれそうになく、人件費抑制のとばっちりを受ける若手社員から怨嗟の対象となりかねない。それが嫌なら道は1つしかない。会社を出て自分で仕事を見つけ出す道だ。 もちろん、50代を迎えてからの転職や起業が簡単なはずはない。冒頭で紹介した転進支援研修に参加するシニア社員の“態度の悪さ”は、会社の外に出ることへの本能的な拒絶反応であり、自分を外へと追いやろうとする会社に対する抵抗と言えるだろう。でも、見たくない現実から目を逸らしているうちに時間は過ぎていく。 この連載では、長年勤めた会社を離れ、50代以降の仕事を自分で見つけた人たちを紹介していく。個人起業の場合もあれば、中小企業への転職もある。海外に活躍の場を求める人もいる。共通するのは、それまでの経験と知識を別の場所で生かそうとしていることであり、60歳以降も少しでも長く働こうしていることだ。みなが順調にいっているわけではないし、新しい仕事を得てもそう簡単には不安は解消しない。それでも、間違いなく一歩を踏み出した人たちだ。 彼らの姿を通して、どのようにして新しい仕事を見つけるか、大きな組織を離れて新しい環境に適応するには何が必要か、在職中からいかなる準備をしておくべきかを探る。第1回は、52歳で転職を決意した男性の奮闘ぶりを紹介する。 人事担当者との面接もままならない 「この年齢ですと難しいですよ。すぐに転職先が決まるとは思わないでください」 人材サービス会社、アデコの担当者の言葉に耳を傾けながら、櫻井隆博さんは、「またか」と感じていた。 転職活動を進めていた櫻井さんは、足を運んだいくつかの人材サービス会社で似たような言葉を聞かされてきた。 「スキルと経歴は十分です。こうして面接させていただいて、対人能力の面でも、全く問題はありません。ですが、50代となると会社の組織上、受け入れるのが難しくなるんです」 櫻井さんは、これまで外資系の2つの会社で働いてきた。大学を卒業して最初に勤めた石油会社では情報システムの開発と経営プランニングの仕事に当たった。その経験を生かして41歳のときにIT企業に移り、顧客企業がERP(統合基幹業務システム)を導入するときのコンサルティング業務を担当した。顧客の業務プロセスを分析・改善してシステム導入の効果を上げる専門性の高い仕事だ。 勤め先での今後の仕事の展望と、新しい環境に自分を置いたときの可能性を秤にかけて、2度目の転職を選んだ櫻井さんだが、52歳(退職当時)という年齢は、想像以上に大きな壁として立ちはだかった。 「一言で言えば残念。口幅ったい言い方をすれば、日本の会社は大丈夫なのかと思った」と櫻井さんは言う。これまで勤めてきた2つの外資系企業では、社員同士は役職や年齢に関係なく、互いに「さん付け」で呼び合っていた。それは社長が新入社員に声を掛けるときも、その逆の場合も例外ではない。プロジェクトによっては、同じ部署の部下がリーダーになり、その指示に上司が従うことも珍しくなかった。 「私は自分より若いリーダーの下で働くのに抵抗なんて全くないのに…」 だが、大半の日本企業は、50代の中途入社社員を受け入れるなどチラとも考えていないようだった。50歳を過ぎての転職が苦しい戦いになることは覚悟していた櫻井さんだが、人事担当者との面接さえままならない状態だとは思わなかった。 戸惑う櫻井さんに人材サービス会社の担当者は声をかけた。 エキスパートスタッフの派遣勤務へ 「アデコの人間として働きませんか」 アデコは営業・マーケティング、経理・財務、経営戦略策定などの専門スキルを持つ中高年を、それらを必要とする企業に派遣する「エキスパートスタッフィング・サービス」と呼ぶ派遣事業を展開している。派遣先は主として専門人材の不足に悩む中小企業だ。企業が抱える経営課題と、それに応えられる人材をマッチングしている。サービスの登録者数は1500人。年齢は40歳半ばから60歳まで。大企業を早期退職した人が多数を占める。 派遣勤務は考えていた働き方とは違ったが、ビクともしそうにない年齢の壁に直面していた櫻井さんは「すぐに働けるのなら」と申し出に応じた。そうして手に入れたのは、大手通信会社の営業支援部門の業務プロセスを改善する仕事だった。複雑で混線気味の業務を「見える化」して効率を高める。櫻井さんの得意分野だ。 昨年7月からこの仕事に取り掛かった。派遣先部署のキーパーソンをつかまえては、日々の仕事のありのままの姿を聞き出し、業務の全体像を明らかにして問題点を炙り出す。下手をすると現場で働く社員からは、リストラを進めるために送り込まれた人間と見られかねない難しい立場だ。 櫻井さんは「目的を明確に伝え、一切危害を加えないことを示す」ことに腐心しながら、仕事を進めた。現場は、誠実な働きぶりと仕事の成果を高く評価した。当初2週間の契約は延長を繰り返し、2012年いっぱい、経験とスキルを発揮できる仕事を得た。 そして、今年6月には再び、大手企業で業務改善の仕事を得ている。給与は「時給単価で比べて前職と同程度」。悪くない条件である。 実際に仕事を得られる派遣スタッフは一握り 専門性を生かして働け、比較的高い収入を得られる。その意味で、「自分はまだまだ役に立てる」と自信を持つ大企業OBには魅力的な就労形態だ。だが、現実は甘くない。アデコの「エキスパートスタッフィング・サービス」の場合、求人企業と求職者のマッチング件数は月に約30件。そのうち契約まで漕ぎ着けるのは3割程度だと言う。1500人という登録者数を考えると、実際に仕事を手にできる人は一握りだ。 それも無理のない話だろう。マッチングを成立させるには、このサービスの性格上、まず何より企業の専門人材ニーズを探り当てなければならない。そのためには、人材サービス会社は日ごろの営業活動の中で、顧客企業の人にまつわる経営課題を丹念に掘り起こす必要がある。事務作業にあと3人必要だから、といった一般的な派遣ニーズとはレベルの異なるやり取りが必要になる。 企業の個別課題に応えられる人材を探すのも一苦労だ。大企業に長く勤め、ある分野の知識や経験を深めてきた人でも、自分は何の専門家で、こんな課題を持つ企業に対してこうした解決策を授けられると自信を持って断言できる人はそうはいない。サービス登録者の経験をこと細かくインタビューし、カネの稼げる専門性を発掘するという手間のかかる作業が欠かせない。 求人企業が求めるものと求職者が与えられるもの。ぼんやりとかすんだ2つを見える形にして結びつける。アデコに限らず、多くの人材サービス会社が、専門性を持った中高年層の就労支援サービスに乗り出し始めたが、どこも同じ難しさに直面している。 そう考えると、登録後すぐに仕事の見つかった櫻井さんは、それだけ市場性の高い専門スキルを持っていたと言える。そんな櫻井さんでも、通信会社との契約を終えてしばらくは“無役”となった。間断なく仕事が続く状態にはなっておらず、不安定さは否めない。 櫻井さんは住宅ローンの残債を抱えてはいるが、金融資産とバランスできている。子供は2人いて1人は既に働いており、もう1人は大学生。「本当に大変な時期はこの1年」と言う。 だが、現在53歳の櫻井さんの年金受給が始まるのは64歳。これでひとまず安心と言える老後の生活資金を築くには、10年以上安定的な収入を得る必要がある。それだけに「今でも優先順位の一番は、正社員や契約社員として毎日働ける状態になること。そのための活動は継続しています」と言う。 会社の看板なしで評価された経験を生かし自立も模索 一方で、専門スキルを生かした派遣勤務を経験したことで、社員として雇われるのとは別の可能性も見えてきた。 櫻井さんはIT企業でコンサルタントとして働いてきた。顧客企業の業務プロセスの改善などに櫻井さんが取り組むとき、顧客企業は中間マージンやIT企業自身の固定費を上乗せした料金を払わなければならない。だが、同じ仕事を個人で請け負えば、料金はずっと安くなる。それでいて、コンサルタント自身が手にする給与は同程度、場合によってはより高くできる可能性もある。 「大組織の大掛かりなリストラに取り組むというのはさすがに無理ですが、40〜50人規模の部門の業務改善なら私個人として対応できます」と言う櫻井さん。自分のような人材を求めている会社が現に存在することも知った。 「多くの会社が私のような個人を3〜4カ月単位で気軽に使ってみようと思うようになってくれれば、状況は変わります。複数の仕事を同時に請け負う、あるいは、1つの仕事を終えたらすぐに次の仕事があるとなれば、社員になろうとは思いません。こっちのほうがずっといい」 だが、そんな時代は少し先だと考えている。「5年後、10年後かもしれない。でも、私の場合10年は待てませんから」。 いまも不安はある。それでも自分の経験とスキルが、企業の看板なしで商品として評価される経験は、櫻井さんにはっきりとした希望を与えている。 このコラムについて 50歳からの転進大図鑑 逃げ切れない世代の戦い 高年齢者雇用安定法の改正で、希望すれば65歳まで会社で働くことが可能になった。しかし肩書や給料などの処遇は下がるばかり。このまま今の会社の残ってよいのか。それとも自分の経験や専門性を生かして新天地に打って出るべきか。50代の会社員は岐路に立っている。この連載では、長年勤めた会社を離れ、50代以降の仕事を自分で見つけた人たちを紹介していく。個人起業の場合もあれば、中小企業への転職もある。海外に活躍の場を求める人もいる。みなが順調にいっているわけではないし、新しい仕事を得ても不安はつきまとう。それでも、間違いなく一歩を踏み出した人たちだ。彼らの奮闘から、退職金と年金で定年後をのんびり楽しむことなど夢物語になった「逃げ切れない世代」の働き方を考える。 |