01. 2013年7月17日 08:50:52
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現代ビジネス 山崎 元山崎元「ニュースの深層」 2013年07月17日(水) 山崎 元 社長の給料はいくらが適当か なおゴーン氏の報酬9億8,800万円は高すぎない[Photo] Getty Images 筆者の思いつく限り、日本において、近年のデフレと不況の中でも値上がりし続けてきたのが、投資信託の手数料と大企業の社長の報酬の2つだ。投資家にとっても、株主にとっても、喜ばしくない環境にあって値上げを行ったのだからどちらもたいしたものだ。 両者のうち、投信の手数料値上げは明らかに最終ユーザー(投資家)のためになっていないが、社長の報酬については、議論の余地がありそうだ。 東京商工リサーチの調査によると(6月28日時点)、上場企業の取締役で1億円上の役員報酬を得た者が、292人(167社)に及ぶという。 それでは、日本の社長の給料はなぜ上がったのだろうか。 日本のサラリーマン社長の報酬はじわじわ上がってきた 最大の理由は、おそらく米国のCEO達の高額報酬にさや寄せされたことではないか。 「数十億円単位がしばしばある米国の経営者達の報酬に比べるなら、我々が一億円位貰ったって悪くない」と日本の社長さん達が考えたとしても不思議はない。 日本国内の外資系の会社の代表の報酬や、逆に、日本の会社が米国に現地法人を出した場合の現法トップの報酬などが刺激になった可能性もある。 加えて、日本の社長は、株式の持ち合いで株主の経営への介入が抑えられていることもあって、人事や報酬の決定にあたって、実質的に大きな権限を持っている。社内では逆らう者が少ないし、株主も報酬が大きな話題にならない限り概ねおとなしいとすると、問題は、世間の反応ということになる。 集団としての日本の大企業社長は、彼ら自らお手盛りで報酬を上げることが可能だった。 とはいえ、世間体の上で、突出するのはまずい。したがって、大企業のサラリーマン社長の報酬は、業績の差ほど差が付いておらず、1億円、2億円程度の金額が並んでいる。 お互いを気にしながら、少しずつ報酬を上げているので、直近では2005年辺りまでの好業績の時期ばかりでなく、業績の悪い時期も含めて、じわじわと報酬が上がってきた。 高額報酬で目立つのは、日産自動車のカルロス・ゴーン会長兼社長だ。昨年度の報酬9億8,800万円は、同社の社員の平均給与の100倍を超える。 ただ、たとえば、株主の立場で、ゴーン氏への報酬が高すぎると見る人は少ないのではないだろうか。 端的にいって、ゴーン氏がいきなり日産を辞めるようなことがあれば、日産の株価は下がるだろう。仮にゴーン氏が自認すると5%は株価が下がるとすれば、現在の日産の時価総額は5兆円に近いので、2,500億円が失われることになる。株主の損得から考えると、ゴーン氏の報酬は高くないように思う。 尚、日産のゴーン氏の高額報酬は、天井を上げてくれているという意味で、他社の社長達にとって好都合に働いている面があるだろう。 高額報酬受け取り経営者のリストを見ると、ゴーン氏型のスーパーマン的な経営者で高額の報酬を受け取っている方では、信越化学工業の金川千尋会長(4億6千万円)が目につく。金川氏も余人を持って代え難いのだろう。 こうしたカリスマ経営者の場合、株主としては、経営者の報酬額よりも、経営者個人の病気や事故、あるいは辞任やスキャンダルといった「経営者の個人リスク」が心配だ。 大株主兼経営者の報酬は桁違い 但し、こうした高額報酬を貰っている経営者達も、経済力の面では、ファーストリテイリングの柳井正氏や、ソフトバンクの孫正義氏のような、大株主で且つ経営者である人々と比較すると大いに見劣りする。 彼らは資本家でもあるので、サラリーマン経営者と彼らの収入を比べるのは適切でない。 将来、大金持ちになることを目指したい人は、自分で会社を作るか、有望なベンチャー企業に株式をたくさん持つことが出来る形で参加するかの何れかを考えるべきだろう。上手く行った場合には、サラリーマン社長の稼ぎとは桁が違う。 さて、社長の報酬について考慮すべき要素は複数あるが、論点をリストアップして、ある程度の結論を出してみたい。 一番目の論点は、独自の能力のつなぎ止めのための報酬という側面だ。 社長に余人を持って代えがたい能力があり、且つ、その能力を他社も欲していて、社長に身の振り方の選択権がある場合、能力に見合った引き留め料として、高額の報酬が必要な場合、これを支払うのはやむを得ない。価値のある人物が、たまたま社長だったと理解するしかない。 但し、日本の大企業に多い、1億円台、2億円台の報酬を貰っているサラリーマン社長の多くは、特定の会社でなければ能力を十分に発揮できない人材だ。彼らは、転職して別の会社の社長が上手く務まる訳ではないので、高額の引き留め料が必要なほどの「裁定機会」を持っていない場合が多いだろう。 運がいいだけの普通の人材に、普通でない報酬を支払うのはもったいない、ということは覚えておきたい。 役員の高額報酬は社員のモチベーションになる 論点その二は、社員のモチベーションとの関係だ。 メディアでは、社長の報酬が社員の平均給与の何倍になっているかを話題にするケースが多いが、経営者の高額報酬が社員のモチベーションに与える影響には、二つの側面がある。 社長や専務、常務といった会社の幹部が高額報酬を貰っていても、自分たちも目指すことの出来るポジションなのであれば社員の励みになる場合もあるだろう。 他方、社員には昇進や高額報酬を受け取るようになる可能性が乏しく、社長が高額報酬を取っている場合には、社員は「やっていられない」と思う場合が多かろうし、「あの働きで、あの報酬とは、社長はいいご身分だな」といった調子で社長に批判的になる場合が多かろう。 例えば、親会社から社長が来る子会社のような会社で、社長が突出した高額報酬を得ている場合、後者のような状態が起こって、社員のモチベーションが大いに下がるだろう。 問題は、社長と社員の年収の倍率ではなくて、社長ポストの正統性と社長の働きへの評価にある。 但し、報酬額が小さくても、社長になりたいという社員のモチベーションが下がることはほとんどないだろう。社長は、社内では王様のように振る舞うことが出来るし、社会的な名誉も大きく、また株主から解任されるようなことも滅多にない、一言でいうと「居心地のいいポジション」だ。多くのサラリーマンが、「できれば、自分も社長になりたい」と夢見て、社内競争に励んできた。このことは変わるまい。 三番目の論点は、世間体だ。 社長の高額報酬が問題になる場合には、報酬を取りすぎている社長が「強欲」に見えるという社長個人の世間体もあるだろうし、それを許す会社が強欲社長のワンマン会社に見えるという会社の世間体の問題もある。 他方、「ウチはそれなりに大きな会社なのに、社長の報酬が案外安くて、格好が悪い」といった種類の会社の「格」に見合った報酬額という側面もある。 但し、ここでも、さしたる仕事をしていないし、社員時代にたいした実績をあげていない社長に高額の報酬を支払うと、それ自体がもったいないことに加えて、社員のモチベーションに害をなす公算が大きいことは重要だ。 株主の利害と経営者の利害をどう調整するか 四番目の論点として、検討の順番が後になったが、最大のポイントであるはずの、社長の利益に対する貢献にどう報いるのがフェアかということと、これに関連して、株主の利害と経営者の利害をどのように調節するべきかという第五番目の論点を合わせて考えたい。 一般論としては、有限責任の出資者である株主は、経営者に大きなリスクを取るプロジェクトを選択させたい。一方、経営者は、自分の地位の保全が大事なので、安全な経営方針を採りたがる傾向がある。 特に、日本の企業では、バブル崩壊後の「貸し渋り・貸し剥がし」の時期に経営者が銀行に不信感を持ったこともあって、キャッシュに準じる資産を手厚く抱えた、株主・投資家から見ると過剰な安全運転の経営が目立つ。 こうした場合、経営者にリスクテイクのモチベーションを与えて、株主と経営者の利害を近づける方策として、経営者に利益に連動した報酬を支払う、経営者に自社株やストック・オプションを持たせる、といった方策が考えられる。 問題は、何らかの形で利益に連動した役員報酬の支払い、経営者に自社株を持たせること、ストック・オプションを持たせることの、何れがいいのかの比較だ。 株主と経営者の利害を一致させる目的に直接的に一番フィットするのは、自社株を持たせることだろう。経営者に自社株を買わせる、特にある程度の借金をさせて自社株を持たせるなら、株主と経営者は、かなり近い経済的な利害を持つことになる。 ただし、この場合、株主は満足かも知れないが、社員や取引先といった企業に関連する別のステークホルダーにとっては、あるいは社会的には、経営者と株主の利害の完全な一致が好ましくないことがあり得る。 ストック・オプションをたんまり持って、ギャンブル的な経営を行う強力なインセンティブを持っている米国の金融機関のCEOのような利害を多くの経営者が持つなら、企業経営のカジノ化が過剰に進みそうだ。これは、些かまずいかも知れない。 また、社員の側から見る場合に、社長の利害が株主の利害とあまりにぴったり一致すると、従業員の給料を抑えて、業績をよく見せかけて株価を上げて売り抜けようとするような行動が心配になる場合がある。端的に言って、たちの悪いベンチャーキャピタルが出資した会社の社員のような居心地になる心配が生じる。 こうした会社では、たとえば、社長が「俺の給料も下げるから、お前達の給料も下げてくれ」と言って、少額の給料の痛みと引き替えに株価を守るような、社員から見ると興ざめな事態が起こりうる。 ストック・オプションの設計には一考の余地あり 尚、ストック・オプションの設計には工夫の余地がある。行使価格の設定によっては株価が下がった場合に「痛み」を感じて貰うことが出来ようし、行使スケジュールを上手に設定すれば、「短期集中型のギャンブル化」をある程度は避けることが出来そうだ。 一方、社長個人の側から見ると、税金面では、高額の役員報酬に一気に課税されるよりも、退職金、年金、ゆっくり行使できるストック・オプションなどの形で報酬を受け取りたいと考えるインセンティブがある。他方、報酬の支払いを退職金その他の形で繰り延べると、将来約束した金額を受け取れなくなるような様々なリスクを負ったり、転職の妨げになったりするような、リスクや不自由が生まれる可能性がある。 一方、社会的には、社長の実質的な報酬が透明になること、課税も十分行われやすくなること、その時の働きにその時報いる形が強まることで、経営者人材の流動化に対応しやすくなることの三点から、役員報酬の形で経営者に支払われる報酬のウェイトが大きくなることは、好ましいことではないかと思われる。 高額な報酬を受け取る経営者が増えると「収入格差の拡大だ!」という声が大きくなるかも知れないが、報酬がより大きな割合で表に出る方が、経営者が外部から見えにくいメリットを蔭でこそこそと抱え込む形よりも健全なのではないだろうか。 筆者は、暫定的な結論として、日本の大企業経営者の報酬は、水準的に、少なくとも今程度には高くていいだろうし、予想の問題としては、今後もじわじわと上がるのではないかと思っている。 一方、経営者の側、また経営者をコントロールしたい株主の立場からすると、ストック・オプションに工夫を凝らす形のメリットが大きいのではないかと思われる。 ただ、経営者に対して何れの報酬形態をとるとしても、問題は以下の三点だ。 誰からも文句を言われずに巨万の富を手に入れるなら 一点目は、経営者の人選の正統性が株主と社員の両方から認められるようなものであることだ。社長が自ら自分を選び続け、誰もストップを掛けることが出来ず、後継者もこの社長が自分のお気に入りの人物を選ぶ、といった形では納得性が乏しい。 最適な社長を、社長以外の人が評価して決める仕組みがあるといい。 二点目は、社長の業績評価と報酬の決定についても、社長以外の人がオープンな過程で評価して決める仕組みがあることだ。 ただ、具体名を出して申し訳ないが、ハワード・ストリンガー氏が経営していた時代のソニーは、委員会設置会社であり、体裁上、上記の二点の仕組みを持っていたように思うが、これがよく機能していたようには思えない。 同社の業績が悪化する時期にも、ストリンガー氏がおそらく一般には納得しがたい高額報酬を得ていたし、外部からは、彼の交替も遅かったように見えた。委員の選任や、委員会の運営には、工夫が要るということだろうし、器だけを作っても上手く行かないということなのだろう。会社というものはつくづく難しいものだ。 そして、第三点目に、巨額のお金を手に入れたい人は、やはり、サラリーマン社長ではなく、起業家ないしはそれに近い、資本家兼経営者を目指すべきだということだ。この形で巨万の富を手に入れるなら、誰からも文句が出ない。 講談社 |