02. 2013年7月16日 01:48:20
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【第286回】 2013年7月16日 真壁昭夫 [信州大学教授] ブラック企業と解雇規制緩和議論の「相乗効果」 転換点を迎えた日本の“働き方”をどう変えるべきか 世間の関心が高まるブラック企業 社員は我慢するしかないのか? 最近、「ブラック企業」という言葉を見ることが多い。ブラック企業とは、社員に十分な給与を与えることなく、長時間のサービス残業をさせたり、劣悪な条件で働かせる企業のことを意味する。インターネットを検索すると、「ブラック企業ランキング」なるものまで登場している。それだけ、人々の関心が高いということだろう。 本来、劣悪な労働条件で従業員を働かせることは、労働基準法などによって規制されているはずなのだが、ブラック企業と呼ばれる企業では、それらの規定されている基準を上手くすり抜けたり、規制ギリギリのところで止めていたりするケースが多いようだ。 また実際に、劣悪な労働環境の下で働いている従業員の中には、「言ってもムダだから、黙って我慢するしかない」、あるいは「我慢できなければ、辞めればいい」という考え方を持っている人が多いようだ。 そうした状況を考えると、インターネット上でブラック企業に関する会話や議論が出ていることには、相応の意味がある。多くの人が、ブラック企業に関する情報を共有することによって、その企業で働こうという人が減り、最終的に企業のビジネスモデルが継続できなくなれば、経営者も真剣に労働条件を考え直すことも期待できる。 もともと、わが国の労働市場は流動性が低いなど、経済環境の変化への対応が遅れていた。人々のブラック企業に対する意識の高まりや、実際の企業との付き合い方を考えることによって、少しずつ労働市場改革の必要性が高まるかもしれない。 多くの人々にとって、今でも、勤務先(企業などの組織)はかなり重要なファクターになっている。「あの人は○○銀行に勤めている」と言われると、「○○銀行に勤務しているのであれば、きっと真面目で誠実な人なのだろう」という意識を持つことが多い。 そうした傾向は、何もわが国だけの現象ではない。一般的に欧米社会でも、職業や勤務先企業によって、特定のイメージ(先入観=行動経済学などでは「スキーマ」などと表現する)を持つことはよくある。 勤務先の先入観で人を判断しがちな日本 運命共同体的な終身雇用制と労働環境 しかし、わが国の場合には、先入観の強さが突出して大きい。その背景には、主に大企業などで終身雇用制の慣行があったため、企業が新卒の従業員を採用するとき、かなりきっちりしたモデル(基準)を持って選抜していたことがあるのだろう。そして多くのケースで、一度企業に入社すると、定年退職するまで同一の企業に勤務することが一般的だったこともある。 終身雇用制下では、企業と個々の従業員は一種の“運命共同体”のような濃密な関係ができる。それによって、企業サイドから見ると、従業員から高い忠誠心を得ることが可能である。 一方従業員は、一生企業に面倒を見てもらうことを想定して、多少の不平・不満には目をつぶることになる。しかも、わが国企業の多くは年功序列の給与体系をとっていたこともあり、「将来のメリットを考えて、若いうちは我慢をしよう」と考える人が多かっただろう。 ブラック企業と呼ばれる企業の中には、“成果主義”という謳い文句で労働条件を規定するところもあるようだ。「若い頃一生懸命働いて十分な実績を上げれば、将来経営者の一員にもなれる」という甘言で、劣悪な労働条件を正当化する企業もあると聞く。 しかし、本来“成果主義”とは、高い実績を上げた者を相応に評価することが基本であり、劣悪な労働条件を正当化するものでは決してない。これは混同すべきことではない。 経済がグローバル化するにしたがって、人、モノ、金は国境をまたいで世界中を移動する。特に、情報・通信技術の発達によって、人が物理的に移動しなくても、移動したのと同じ経済効果を生み出すようになると、世界の労働市場の様相は大きく変化する。 経済構造の変化に対応できない労働市場 ブラック企業から逃れられない社員の不幸 たとえば、金融関係の事務処理を行う場合、多くの処理が必要な情報は、IT関連の機器によって瞬時に地球のどこへでも伝達することができる。そこで、そうした単純作業は、賃金水準の低い地域や国で行うことが有利になる。 そうなると、賃金水準の高いわが国などの先進国では、当該分野の賃金水準は低下(賃金デフレが発生)する。企業は従業員の賃金水準を引き下げることによって、競争力を維持することが必須の命題になるからだ。 そうした状況を突き詰めると、一部の企業が劣悪な給与で長時間の労働を強いて、労働生産性を上げる行動をとることは十分に考えられる。 問題は、そうした状況の変化に、わが国の労働市場が対応できていないことだ。もし、多くの人が特定の企業をブラック企業として認識し始めると、当該企業に勤める人は激減するはずだ。 それでは、その企業は業務が続けられなくなり、存続できなくなる。ところが実際には、インターネット上でやり玉に挙げられている企業は、今でも業務を続けている。 その背景には、おそらく「劣悪な労働環境を知らずに入社したが……」という人や、「劣悪な環境でも働かざるを得ない。他に職場が見つからない」という事情のある人が多いのだろう。 しかし、こうした環境は長い目で見れば、そこで働く従業員を幸福にすることは難しいはずだ。それを防ぐためには、硬直的なわが国の労働市場を、実際の変化に対応可能なように改革することが必要だ。 わが国の労働市場を変えるには、人々の移動(流動性)を増やすことが最も重要だ。従来のわが国の労働慣行では、終身雇用・年功序列型の雇用が中心であった。そうしたシステムでは、基本的に人の移動は想定されていない。 多くの企業で、企業年金などの制度は、人が移動することを念頭に制度設計が行われていない。また、人事評価の体系などに関しても、企業間で移動することは有利な条件にならないケースが多かった。 そのために、人々は無理をしてまで勤務企業を移ることを躊躇した。結果的に、「我慢して、1つの企業に固執する」ことになることが多いのだ。 政策当局は、そうした仕組みを少しずつ変える努力を行うべきだ。労働市場の流動性を増やすことは、企業にとっても、そこで働く従業員にとっても、それなりのメリットがある。企業は、コストがかかり易い終身雇用・年功序列の仕組みを壊すことができる。賃金コストの圧縮は、企業の競争力を高める上でも大きなプラス要因になる。 一方、企業で働く人にとっても、学校を卒業する段階で一生の職業を決め、一旦決めたら定年までその企業に留まるという、ある意味では不合理な条件を捨てることが可能になる。そのメリットは小さくはないはずだ。政策当局は、年金制度の変更や職業訓練の充実などによって、労使双方にメリットがある労働市場の流動化策を促進すべきだ。 労働市場の流動性は上げられるが 性急な解雇規制緩和は労働者の不利益に 最近の政府の動きの中で、気になることがある。企業が従業員の解雇を行いやすくする制度整備を行なおうとしていることだ。 それは、労働市場の流動性を担保するためには相応の効果が期待できるかもしれない。しかし、従業員の解雇をあまりに簡便化すると、従業員側に重大な不利益が及ぶことが想定される。 それでなくても、足もとで「ブラック」と呼ばれる劣悪な労働条件の企業があると言われるなか、そうした実情を無視した制度変更は避けなければならない。当局は、頭で考えるのだけではなく、しっかりと実態把握を行った上で、労働市場改革の方向性を示さなければならない。 |