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株式日記と経済展望
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700年の資本主義の歴史から見ると、金融拡大は、資本主義の最高段階ではなく、
一つのサイクルの最終局面であり、新たなる世界体制への前兆である。
2013年7月14日 日曜日
このアメリカのサイクルを、イタリア・ジェノヴァのサイクル(15‐17世紀)、
オランダのサイクル(17‐18世紀)、イギリスのサイクル(19‐20世紀)
と比較しながら、壮大なスケールで分析したものが本書である。
「長い20世紀」とは、アメリカが覇権を握る世界経済システムが始まり、それが終わるまでのサイクルを指している。このアメリカのサイクルを、イタリア・ジェノヴァのサイクル(15‐17世紀)、オランダのサイクル(17‐18世紀)、イギリスのサイクル(19‐20世紀)と比較しながら、壮大なスケールで分析したものが本書である。700年の資本主義の歴史から見ると、金融拡大は、資本主義の最高段階ではなく、一つのサイクルの最終局面であり、新たなる世界体制への前兆である。私たちは、今まさに〈世界システム〉の転換期に立ち会っている。新たな覇権は誰が握り、その体制はどのようなものになろうとしているのか?本書は、その基本的視座を与える。
最も参考になったカスタマーレビュー
◆本書は資本主義の世界が登場したルネサンス期以降、資本主義がどのように発展したのか、また一つのかたちの資本主義の生成〜崩壊というサイクルがどのように起きるのか、そのサイクルの相違点は何か、について、マルクスやシュンペーターなどの先人の知見を検証しつつ組み込みながら、理論構築をしています。
資本主義には、生成〜崩壊までの一つの大きなサイクル(100年〜200年ぐらい)があり、それは新たな実体経済の拡大⇒その行き詰まり⇒金融経済の拡大⇒その行き詰まりという順序で必ず移行するものである、とされています。
これは、資本が利潤を求めて新たな実体経済に投資するものの、その実体経済が必ず競争激化と成熟化により適正な利潤を得られなくなることで、資本が実体経済から離れ金融商品に移行し、最終的にはそれも限界に達するということからきているようです。
ただし、これで資本主義が終えんするのではなく、そのサイクルに組み込まれ、かつその中心ではない実体経済の力学を持つ中心が金融経済の行き詰まりの段階で発生し、資本が新たな実体経済に向かうことで、次の資本主義のサイクルがはじまる、ようです。
また、資本主義のサイクルが一段進むごとに、資本のパワーと軍事のパワー、内向きのパワーと外向きのパワー、規制のパワーと緩和のパワー、などについて振り子が行ったり来たりしつつ、より規模が拡大し複雑になっていく、ということです。
これらのことを、ヴェネチア⇒ジェノヴァ⇒オランダ⇒イギリス⇒アメリカと資本主義の覇権国が移り変わっていく様を描きながら解説しています。
ただ、原著が1994年出版ですので、バブル崩壊後の日本、台頭するBRICs、9.11以降のアメリカ、については全く触れられていません(勿論リーマンショック以降のアメリカについても)。
邦訳初版が2009年ですので、このあたりの分析や未来予想があるのでは、と思われるかもしれませんが、何もないですのでお気を付けください。
とはいえ、過去数世紀におきた数度の資本主義サイクルをこのようにみせてくれることで、現在の経済の混乱についても、世に出回っている報道や評論とは異なる観点から見ることができます。
実体経済中心の日本の産業のバブル崩壊後からの低迷、実体経済を飲み込んでしまった金融経済とその破綻、アメリカの相対的なパワー低下、などについて様々なことが言われていますが、本書を読むことで、そのほとんどが近視眼的・表層的な反応であることがわかります。と同時に、言われている様々なことでは現在の問題は解消されないということもわかります。
現在の問題は、一つの資本主義サイクルの終えん段階でこれまでも発生してきたことであり、新たな資本主義サイクルが生まれなければ根本的な問題は解決しないということです。
本書を読んでも、現在の問題は何も解決しませんが、少なくとも本質的でない情報に一喜一憂することはなくなると思います。
また企業経営においては、新たな需要を見つけ出してイノベーションを起こすことしかなさそうです。
◆ いつもながら、良くも悪くも感心するのは海外の研究者ことに経済学者や政治学者が同時にすぐれて歴史学者であることである。この点は日本の歴史学者にはみられない特性である。例えば『帝国』で瞬く間に読書界の耳目を集めたことは記憶にも新しい。
本書の著者ジョヴンニ・アリギは元々、社会学者である。その著者がこれからの世界のあり方にメスを入れる手法に選んだのは“システムとしての世界の枠組み”であり、それを支えている“資本主義”の諸段階、からの考察である。本書には随所にブローデルやウォーラーステインの影響を垣間見ることができる。
かつて世界史上には“パックス・ロマーナ”“パックス・ブリタニカ”の段階があり、そして20世紀は“パックス・アメリカーナ”の時代とされてきた。
著者は“資本の蓄積”を1つのサイクルとして把握する。それは
(1)生産拡大
(2)生産拡大の行き詰まり
(3)金融拡大
(4)国境を越えて活動する高等金融→グローバル・マネーキャピタリズム
の繰り返しであり、(1)と(2)を“前兆的危機”の段階、(3)へ移行した後から(4)を“終末的危機”の段階と位置づける。
ネグリが“トータル・システム”としての“帝国”を把握する際のキーポイントは“脱領土”であるが、アリギの把握する“トータル・システム”は“1つの覇権・覇権国家の生成と終焉”である。それは歴史的に見た3つの“パックス・〜”からのメッセージ、でもある。
とかく近視眼的に“現在を分析し、即効性のある処方箋を探す”ことに血眼になってしまう流れのなかで、冷静に現在を分析し、将来の行方に目を向ける意味で、じっくりと腰を据えて一読することをお勧めする書物である。ただ、読み終えるために費やした時間も多く、疲れた(過去に読んだ筈の歴史学書や経済学書などを彼方此方ひっくり返して読み進めたため)ことだけは確かである。
それにしてもこうした研究分野やそこに携わる研究者が脚光を浴びるのはこの国ではいつのことになるのだろうか。何もテクノロジーや先端工学のみがこの国を牽引するエンジンであるとは思えないのだが。
(私のコメント)
この本のカスタマーレビューにも書かれているように、「海外の研究者ことに経済学者や政治学者が同時にすぐれて歴史学者であることである。この点は日本の歴史学者にはみられない特性である。」と指摘していますが、確かにこれらの経済、政治、歴史の三分野に区切ればそれぞれの専門学者がいるが、三分野にまたがった新たな歴史観や戦略を論じる事が出来る学者が日本にはいない。
日本には知的スーパーエリートは存在せず、世界中の知識人が注目するような本が日本から出版されないのが残念ですが、ネットのブログなどを見ても分野がやはり分かれてしまって歴史から経済から政治までの分野にまたがって論じる事ができるブロガーは少ない。経済学者は政治を語らず、政治学者は経済を語らないのはなぜなのだろうか?
「株式日記」はブログのタイトルからして経済ブログですが、政治から外交から歴史、文化、軍事、テクノロジーまで手を伸ばして書いていますが、全てに通じていないと将来を分析する事はできないからだ。特に歴史は奥が深い分野だから、過去の歴史から未来を予測するには全ての分野にまたがる考察が必要だ。
「長い20世紀」と言う本はまだ読んだ事はありませんが、世界の覇権国家の興亡を論じた本は沢山ありますが、資本主義の構造から分析したのは初めてだろう。分かりやすく言えば経済大国から軍事大国に覇権国家は変化していきますが、それは生産大国から消費大国に変化していって興亡は繰り返される。
はたして日本は経済大国とかつては呼ばれましたが、軍事大国になることは無かった。日本が軍事大国化すれば必ずアメリカの覇権と衝突する事になりますが、大東亜戦争はその第一ラウンドに過ぎない。現在の覇権国家であるアメリカと全面戦争を戦ったのは日本とドイツしかなく、ソ連は戦わずして内部崩壊してしまった。
アメリカの世界覇権もリーマンショックによって衰退期に入ったと思われますが、金融による世界覇権も覇権国家末期に現れる現象であり、大英帝国もインドなどへの金融によって帝国循環で繁栄を維持して来た。しかしアメリカと言う植民地を失った事で大英帝国はインドに活路を求めましたが、第二次世界大戦で大英帝国はインドを失い覇権をアメリカに譲り渡した。
オランダや大英帝国は広大な植民地を持つことが帝国の繁栄を築いてきましたが、植民地経営もコストがかかるようになるとアメリカは軍事力と金融で世界を支配した方が効率的だと考えるようになった。これがいわゆるグローバリズムですが、多国籍企業は見えない帝国主義だ。BRICSなどの新興国は多国籍企業によって支配され安い労働力を搾取されていく。
中国や韓国の反日は、日本の多国籍企業への反発でありパナソニックやトヨタのディーラーなどが狙われた。韓国の大企業も資本が外資によって握られてサムスンなどが上げた利益は外国の資本家に分配されていく。現代の帝国主義の正体は多国籍企業であり、多国籍企業の国籍を見れば欧米や日本の企業が並んでいる。
アメリカの次の覇権国家はどこかと言う議論も資本主義の目から見れば、次の覇権国は多国籍企業であり国籍は分散している。国家が企業を監督支配するのではなく多国籍企業が国家に対して様々な要求を突きつけて、1%の経営者が99%の労働者を支配するのが見えない帝国主義の姿だ。日本に対するTPPの問題も日米の多国籍企業からの要求であり、国民の反対よりも政府は多国籍企業の要求に従うようになる。
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