03. 2013年7月10日 10:21:31
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【第5回】 2013年7月10日 今野晴貴 解雇規制緩和がブラック企業激増を招く ――NPO法人POSSE代表 今野晴貴 「解雇規制の緩和が実現すれば、ブラック企業がますます猛威をふるうようになる」そう強く主張するのが、労働相談を中心に若者の格差・労働問題に取り組むNPO法人POSSE代表の今野晴貴氏だ。さらに今野氏は、政府が行う「限定正社員改革」について、ただ解雇をしやすくしたいだけという目的に沿った「偽物」の改革ではないか、と指摘する。(本アジェンダの論点整理については第1回の編集部まとめを参照) “自己都合退職”を企業が偽装 「若者の離職」の実態とは こんの・はるき NPO法人POSSE代表。1983年生まれ。仙台市出身。一橋大学大学院博士課程。過労死防止基本法制定を支持。著書:『ブラック企業』(文春新書)、『日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか?』(星海社)。雑誌『POSSE』を発行。 「日本では解雇が厳しい」。「雇用の硬直性が日本の生産性を損なっている」。こうした議論が大きな力を持っている。しかし、「解雇が厳しい」というのは、現実の実感からずれていると思っておられる方も、多いのではないか。実際のところ、日本における解雇は難しくはない。まずは現場の実態から、この議論を検証していこう。
「離職の傾向」を調べていくと、日本の解雇の実態が見えてくる。実は、日本の解雇の多くは「自己都合退職」という別の離職形式に偽装されているからだ。 近年、若者の離職率が高い割合で推移し、正社員になっても辞めていく若者が多いことは、すでに広く知られているところである。大学新卒の3年以内離職率は、3割にも上り、高止まりしている。それも、そのうちの7割が「自己都合退職」とい形で辞めている。 この数字だけを見ると、解雇の問題とは関係なく、「勝手に辞めてしまう若者が増えてしまっている問題」というように見えるだろう。だが実は、私が日々受ける労働相談の現場では、次のような相談が非常に多い。 「自己都合退職を強要されているのですが、どうにかならないでしょうか」 つまり、若者が「勝手にやめている」と思われている中には、相当数の「退職強要」が隠されているのである。また、直接的な退職強要ではなくとも、違法行為に耐えかねて、結果として「自分から」辞める若者も相当する存在する。 下表は、私が代表を務めるPOSSEが、2010年に全国のハローワーク前で行った調査の結果である。全国(東京、大阪、京都、仙台)のハローワークで、ランダムに若者500人を調査した。そのうち、大卒後正社員となり、しかし自己都合退職してしまった者は189人であった。 一番上の段は、この189人の内、違法行為が原因で辞めた方の数である。二段目は、違法行為はあったが、それが直接の離職理由ではないという方。合わせると、半数近くになる。特に、長時間労働(厚生労働省の基準以上)がひどい。 少なくとも、この調査から、「自己都合退職」は若者が気まぐれで、甘えているから7割に上っているのではないことは推察できる。これが、「解雇」の実数を減らしている。「解雇がしにくいこと」の問題以上に、「解雇」をせずに、不法に「辞めさせている」という実態があるわけだ。
近年、若者の転職志向は顕著に低下し、一つの企業に勤め続けたいと考える者が増加していることを考えれば、3年以内3割という離職率の高止まりは、こうした「不本意な自己都合対象」の増加を表わしていると考えるベきだろう。 実際、前述したように、労働相談の離職案件の多くは、自己都合退職の強要なのである。一部上場の大企業でも、「うち(の会社)は、自己都合でしかやめられない」と公然と言い放ち、「自己都合」と記載した離職票以外は出さないという会社も見られる。 もし離職票が出されなければ、ハローワークで雇用保険受給の手続きを進めることができない。しかし、虚偽の離職票であっても、ハローワークの職員は調査権限がないので、「虚偽であることの証明」は労働者側に求められる(厚生労働省担当者の見解)。だが、これを失業した若者が立証することや、虚偽の離職票について訴訟を起こすことなどは、現実には不可能だ。 中には、当事者がパワーハラスメントの実態や、辞めさせるための上司の暴言を録音していたケースでも、ハローワーク職員が「音声を聞いてもよくわからない」と言って、自己都合退職の取り扱いを継続したこともあった。 こうして、実態とはまったく異なる「7割が自己都合退職」という数値が作り出されていく。繰り返しになるが、違法行為が是正できずに横行しているために、「解雇」という法律上の形式ではなく、自己都合という虚偽の形式に追いやられるのであり、そもそも「厳しい解雇規制」に阻まれて、辞めさせることができないなどという問題が主要な問題になっているわけではない。 解雇規制が厳しかろうと、厳しくなかろうと、法は順守しなければならないのに、そもそもほとんど守られていないということが、問題なのだ。 違法行為の原因は、 解雇規制ではない 企業がこうした「自己都合退職」の強要を行うのは、「退職」の形式をとりたいからだ。解雇の扱いとなれば、裁判係争のリスクが生じる。また、退職勧奨によって、会社都合退職の扱いとなれば、国の助成金などで不利になるかもしれない。だから、「自己都合退職」を偽装する。では、解雇規制を緩和すれば、こうした不当な扱いは減少するのだろうか。 POSSEが2008年に街頭で行った、500人の若者を対象とした調査では、7割以上が職場の違法行為について「何もしなかった」と回答した。その最大の理由は「解決できると思わなかったから」である。 「解雇しにくいからパワーハラスメントなどの違法行為が生じること」のではなくて、そもそも残業代、ハラスメント、有給休暇や産休、育休の取得など、あらゆるところで法律が守られていない。 だから、結果的に、辞めさせたい社員がいれば、組織的なパワーハラスメントを行うことも手段となりえる。組織的にいじめ、職場の中に「居場所がない状態」を作り出して、自分から辞めざるを得ないように仕向ける。だが、この場合にも、同僚が被害者を助けたり、法律問題になることは、現実にはほとんどない。 ある雑誌に掲載された、企業法務の弁護士と企業の法務担当者の座談会では、次のような発言がなされている。 「実際問題、例えば100人解雇したとして、いったい何人が訴えるか。1人か2人は労基署に駆け込んだり訴訟を提起したりするかもしれませんが、そんなに訴える人はいないものです。訴えられても、きちんとした理由があり、手順を踏んでいればそう簡単に負けることはないですし、最悪、裁判で負けそうならば、給料2、3年分を払えばなんとかなりますよという話です」(『BUSINESS LAW JOURNAL』2010.8)。 これが、現実の労務のプロの実感なのであろう。上の「自己都合退職」の偽装と併せて考えれば、現実には、日本の職場では法律が守られておらず、労働側が違法を意識していても守らせることができず、解雇規制についても「有名無実」のようになっている実態は否めないのである。 だから、「自己都合」に偽装されていない解雇についても、多くが違法な内容で、押し通されているということも推察できる。労働政策研究・研修機構(JILPT)の濱口桂一郎氏の調査によれば、「俺的にだめだから解雇」といった、完全に無法な解雇が横行しているのが日本の解雇の実情である。 日本で、もし「解雇が厳しい」という実態があるとすれば、それは大企業の、それも交渉力の強い労組があるところだけの話だ。だが、そうした大企業でも、上乗せ退職金などを対価とした退職勧奨で、人員整理は現実に行われてきたし、JILPTの調査によれば、そうした退職勧奨による人員整理で不足が生じたことは、これまでにない。 つまり、そもそも日本では、不当解雇を含む、企業の違法行為に対してほとんど労働側は是正することができず、労働現場が「無法地帯」のようになっていることの方が問題なのである。そして、法律通りの運用が行われている職場でも、プレミア退職金さえ払えば、必要な人員調整はできているということなのだ。 解雇規制緩和でブラック企業が ますます猛威をふるう理由 このような状況で、解雇規制を緩和したらどうなるか。一部の論者には「解雇規制の緩和によって、ブラック企業がなくなる」とか、「若者の雇用が改善する」などという主張が見られるが、まったくの間違いである。 ブラック企業では、「予選」や「試用期間」などと称した違法解雇が横行している。例えば、ある気象予報大手の会社では、入社後の「予選」の結果、自殺にまで追い込まれる事件が発生している。 「予選」期間中、「予選に残る」ために200時間を超える長時間残業を強いられ、半年後に「予選落ち」を宣告されて、自殺に至ったのだ。もちろん、労働基準監督署からも過労自殺として認定されている。「解雇の脅し」は、違法労働と、心身を蝕むまでの過剰労働の温床となるのである。 もし、解雇が自由になるのなら、こうしたブラック企業の違法労働がますます猛威をふるうだろう。解雇が自由であれば、「法律も変わったからな、いつでもクビにできるんだ」という具合に、これまで以上の圧力が発生する。サービス残業が横行し、有給もますます取得できなくなる。 また、「解雇の金銭解決制度があれば、ブラック企業は自己都合退職強要をやめるはずだ」という主張も見られる。だがこれも、事実誤認である。先ほど述べたように、退職金の上乗せをすれば、今でも雇用調整は可能なのである。ブラック企業にとっては、解雇の解決金を支払うくらいならば、これまで通り自己都合退職に追い込んだ方がよい。 金銭解決制度は、どの程度の解決水準にするかなど、制度設計によっても影響が異なる。もし、給与3ヵ月分などの水準(現行の行政斡旋の、実質的な和解水準)などになってしまった場合、若い社員の賃金は20万円にも満たないので、極めて廉価に解雇が可能になってしまい、仮に法律を守らせても、ほとんど実利がない状態になってしまうだろうし、解雇の抑止効果は大幅に減退する。だから、やはり、「解雇圧力」が増大し、労働が過酷になる。 さらに、「解雇しやすい限定正社員」を導入すればブラック企業が減るという議論もある。彼らの主張は、「解雇をしやすくすれば、その分過酷な労働も減る」「終身雇用こそが、過重労働の原因だ」というものである。だから、解雇をしやすくすることで、過重労働や違法労働(ブラック企業)の問題は、すべて解決するというのだ。 誤りである。確かに、過重労働を緩和する働き方である、「限定正社員」の導入は望ましい。男女の働き方に「限定」がかかることで、家族生活が充実し、少子化の防止にも役立つだろう。非正規雇用にとっては、不安定雇用から大きく前進する働き方ともなる。 だが、解雇規制を緩和することが「限定」につながるわけではない。短時間労働などの「限定正社員」の契約を結び、かつその契約を守らせることができて、はじめて過重労働は軽減するのである。「解雇自由→限定」、という因果関係は発生しない。それどころか、解雇自由であれば、契約が「限定正社員」になっていても、実際の職場では「クビにするぞ」という圧力で、ますます過重労働が増加する。 そもそも、「解雇がしやすい」はずの非正規雇用の世界でも、法律が守られ、仕事が限定される、などという「結果」は生み出されてはいない。それどころか、「いつでもクビにするぞ」と、弱い立場を利用され、正社員以上の無法状態になっているのである。 「解雇規制緩和で労働環境が改善する」。近年繰り返させるフレーズである。 だが、なぜ、違法行為を繰り返すブラック企業が存在するのに、規制を緩和すると突然彼らが法律を守り始めると考えるのか。また、なぜ規制を緩和すると、突然労働環境の改善に、ブラック企業が乗り出し始めるというのか。 これらの論者の主張には、論理性がまったくない。 労働環境の改善のために必要なことは、何よりもまず、違法行為を是正させるための施策である。近年人員が削減され続けている労働基準監督官、都道府県の労働相談センターの人員拡充、研修の強化などが有効だろう。 安易な「解決策」に惑わされずに、現実をベースとし、政策の帰結を冷静にシミュレーションすることが、求められている。 限定正社員改革は、「偽物」である ・限定正社員への焦点化 ここまでを踏まえ、政府の正社員改革についての考え方も示しておこう。今、解雇規制緩和の議論は、正社員改革と称した限定正社員導入論に収れんしつつあるからだ。確かに、日本型の終身雇用・年功賃金と過重労働の組み合わせを温存することが、正しい答えではないし、正社員改革自体は必要である。 こうした世論を背景に、政府や経済界は、「解雇しやすい正社員」として限定正社員や、さらには「ジョブ型正社員」を導入するとしている。限定正社員の特徴は、勤務地や職務、労働時間に契約上の「限定」をかけるというものだ。その結果として、通常の日本型正社員よりも、解雇要件が緩和する可能性があるという。 たとえば、勤務地が限定されている場合には、その地域から企業が撤退した場合には、当該地域を超えた配置転換で雇用を守る義務は、必ずしも負わない(全くなくなるわけではない)。そのかわり、全国的な配置転換などを求める業務命令の権限も、「限定」されるというわけだ。 ただし、こうした新しい類型の契約を結んだとしても、当然現在の法律が適用されるから、「合理的」ではない解雇は認められない。契約の変化によって、変化に伴う合理的な範囲内で、解雇の要件が変わるということだ。 こうした正社員が増加することは、非正規雇用の待遇改善にとっては極めて有用である。無期雇用になることで現在より雇用が安定する上、無理な配置転換や長時間残業が「限定」によって違法となれば、実質的な退職強要を迫るハラスメントも、抑止しやすくなるからだ。 すでにみたように、日本の解雇規制は、そうしたハラスメントまがいの命令の横行で、実質的に機能していないのである。指揮命令権限を「限定」した正社員が増えることは、過重労働に歯止めをかけていくだけでなく、退職強要を行う「命令」そのものを問題にしやすくもなる。 命令権限に「限定」がかかった正社員の導入は、日本の少子化に歯止めをかけることや、長時間労働の鬱病を抑止するためにも有効であり、「目指すべきモデル」になりえるだろう。 だが、現在の限定正社員導入の議論には、いくつもの懸念がある。 限定正社員導入への4つの懸念 ・懸念1 「解雇自由化」へのすり替え 第一の懸念は、限定正社員の議論が、「解雇自由化」にすり替えられているということだ。現在の議論の過程を見ていると、国の審議会の多くの議員は、過重労働の減少を意図しているのではなく、不合理な解雇を認めさせることを目的にしている。 「この場合には解雇できるようにしよう」という、「解雇できる条件」を法律に書き込むことを主張する意見が、これを象徴している。 現在の労働契約法には、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と書かれているだけだ。 つまり、客観的に合理的で、社会通念上相当であれば、原則的に解雇できるということになっている。したがって、勤務地などで「限定正社員の契約」を結んだ場合、その勤務地での契約を守れない(本当の)事情ができて、しかも、労働者の側が、そうした企業の事情の変化に対応することを拒むのであれば、現在でも、解雇は「客観的に合理的な理由」と判断されるだろうし、その場合の解雇の要件も、実際の「限定」がしっかり履行され、労働側と明白な合意があれば、その程度にしたがって、緩和されるであろう。 こんなことは、地方の製造業の工場では日常的な出来事であり、特段新しいことでもない。 それなのに、あえて条文に「解雇できる場合」を書き込むことを求めている背後には、本来であれば不合理だと判断されるような解雇も、「上からの力(立法)」によって、認めさせてしまおうという意図が透けて見える。 実際に、「解雇できる条件」の中身の議論では、「不合理な内容」が目立っている。「限定正社員」の合理的な解雇の理由に、例えば、「コミュニケーション能力」も含めてもよいのではないか、との意見も出されている。 これでは、もはや命令が限定されていることから発生する「合理性」とは何らの関係もない。「コミュニケーション能力」など、客観的にはかりようもないから、要するに気に入らない社員に対し、「お前はコミュニケーション能力がない」という言い方でいくらでも解雇できるようになってしまいかねない。 ただし、今月出された規制改革会議の雇用ワーキンググループの答申では、「勤務地・職務が消失した際の解雇については、無限定正社員と同様にいわゆる解雇権濫用法理(労働契約法16 条参照、特に整理解雇四要件)が適用されることになる」としており、これならば「解雇しやすい」ものではまったくない。 しかし一方で、「最終的には、立法的な手当、解釈通達において明確化することも視野に入れられるべきである」ともされており、結果的に、立法段階や、通達で「解雇しやすい」ように変えられてしまう恐れがあるということなのだ。 ・懸念2 現実に「限定」が守られない 第二に、前半で述べたように、日本ではそもそも契約や法律が守られていないのに、「限定正社員の場合には、こういう場合に解雇できる」ということが明記されてしまえば、その条文が独り歩きし、本当は限定されていなくても、「お前は限定正社員だから、解雇しやすいのだ」と、違法解雇が横行する恐れがある。 また、条文の書かれ方によっては、そうした「本当は限定されていなかった」という事情を、労働者の側が立証しないことには、解雇が合理的だ、という判断が原則になってしまうかもしれない。そうなると、ただでさえ違法行為を争えない日本で、さらに争いが行いにくくなることも懸念される。 ・懸念3 「解雇理由の偽装」 さらに、現状の違法状態の蔓延を前提にすれば、本当は合理的な理由が存在しなくても、解雇が横行してしまう可能性が高い。「この職務はなくなった」という偽装の横行である。だが、これは、本来は必要性が生じていない場合の解雇であるから、限定正社員の契約を結んでいたとしても違法である。 あえて法律の条文を作り出すことで、実態と異なる「偽装」が蔓延する懸念があるということだ。 ・懸念4 日本型正社員の「無限定化」 さらに、この間「限定正社員」および「ジョブ型正社員」という議論の提示と合わせて、突如「無限定正社員」などという言葉が作り出された。現行の日本型正社員であれば、無限に働かせてもよいのだ、という誤解を生む用語である。 いうまでもなく、通常の正社員であっても、命令が「無限」であるわけではない。ただし、これまで日本の正社員に対して認められた合理的な命令の範囲は、海外に比べて際立って広いものであった。これを抑制していくことも、限定正社員の導入度同時に行わなければならない課題なのである。 それなのに、従来の社員を「無限定社員」などと規定して、「限定でないのなら、無限に働け」と、限定正社員の導入が、既存の正社員に「無限の働き方」を、これまで以上に強いるための装置になってしまうのであれば、それは正しい正社員改革の在り方ではない。 もちろん、ブラック企業の抑制にも、何ら役に立たないことは間違いない。 ・結論 このように、現在の限定正社員の議論は、本来の趣旨をゆがめ、違法行為を増長してしまう危険に満ちている。 限定正社員の導入は、現在の非正規雇用を無期化したり、労働組合が労働協約を締結することで、促進していくべきである。また、単に制度を普及するだけではなく、それらの制度が実質的に機能するような施策の方に重点が置かれなければならない。これは、前半で見たように、違法行為が横行する日本の労働環境全体に言える話である。 ただ、この間の労働側の議論にも危惧するところはある。「無限定正社員」の導入や、解雇規制緩和に反対するあまり、「限定正社員そのものが悪だ」という主張に寄っているように見えるからだ。 私も日々労働相談を受け、ブラック企業と闘う労働NPOの代表だが、限定正社員の導入自体を否定するのは間違いだと思う。家庭生活との両立を望む社員や、非正社員にとっては、当面目指すべき雇用モデルとなるからだ。 それを全否定してしまっては、既存の正社員の都合だけで議論を立てていると思われかねない。限定正社員を悪用しようとする勢力がいるからといって、限定正社員の議論そのものから撤退し、全否定してしまうのは間違いなのだ。 だから、むしろ、解雇規制に反対しつつ、限定正社員が労働状況の改善につながるような内容となるように求めていくべきだと、私は思う。 「限定正社員=ジョブ型正社員」ではない 「ジョブ型正社員」の誤用に注意を 最後にもう一つだけ、論点を追加しておきたい。 最近政府が使い始めた「ジョブ型正社員」という用語には、特段の注意が必要である。「ジョブ型正社員」という言葉は、昭和女子大学の木下武男氏が、広島電鉄労組がおこなった契約社員の雇用を無期化する運動を評価して使った(『エコノミスト』20102.9)。JILPTの濱口桂一郎氏も積極的に世に広げた用語である。 この用語の意図するところは、「解雇をしやすくするための正社員」というものとは程遠い。まず、その名の通り、仕事に限定がかかっていることはもとより、それは「職務」によって縛られているものを指している。しかも、「欧米と同様の雇用=ジョブ型正社員」と言い得るためには、そうした「ジョブ=仕事」の価値について、社会的な取り決めがなされ、企業が恣意的に運用できなくなっていることが必要条件である。 たとえば、ある職務(ジョブ)に限定して契約するとき、その職務とはどのような「資格」に基づくものであるのかが、国家や労働協約によって明確にされており、その職務の最低賃金がそれらによって定められている必要があるのだ。 したがって、審議会では「限定正社員=ジョブ型正社員」という構図で用いられているが、誤りである。 現在のところ、「ジョブ型正社員」は、ごくわずかである。地域労働市場や最賃だけに規定されない非正規の賃金や、トラックやタクシー、建設職人の賃金などは、「仕事の要素」で賃金が決まっている側面があり、ジョブ型傾向の限定正社員だとはいえるだろう。 ただし、限定正社員が、非正規雇用の賃金がそのまま引きつがれるのであれば、それはジョブの要素、つまり「仕事の価値」が入っていないので、ジョブ型正社員とはいえない。ここにジョブの要素が加味されて、はじめて「ジョブ型正社員」といえるのだ。 なぜ「ジョブに基づくこと」が重要かというと、結局仕事と無関係に賃金や待遇が決まるということは、客観的に労使が交渉する土俵を欠いているということになるからだ。 その結果、「この仕事をしたから賃金はいくらであるべきだ」とか、「この仕事は、この量をこなすには、何時間かかる」といった、賃金や労働の遂行方法についての客観的な取り決めをすることができなくなってしまう。 そうすると、「お前はまだあまい」といわれてしまうと、どの仕事を、どの程度できて一人前なのか、いくらの賃金が妥当なのか、まったくわからないなかで、ただ従うしかなくなってしまう。それが、「ジョブ」を欠いた日本の労働者の苦しさなのである。 だから、仕事が具体的に「限定」され、そこへの評価が社会的に形成されていくことが、日本の労働環境を変えるもっとも重要な道筋なのである。 いずれにせよ、今後、これを全面的に広げていくためには、職務資格制度や、公共職業訓練制度の確立、産業・職種別労働協約の普及など、社会全体での取り組みが必要である。 私の認識では、限定正社員は、日本において職務資格制度や産業別の労働協約を形成していくための「過渡的形態」であるというものだ。個別企業の中で、さまざまな限定が実現していくことで、「社会的なルールとしての限定(ジョブ型)」の足掛かりになりえるという位置づけである。 「非正規雇用→限定正社員→ジョブ型正社員」となるのか、「非正規雇用→限定正社員=解雇しやすいだけの日本型雇用」となるのかは、これからの議論と労使関係次第である。労働側の懸念は、結局限定正社員は、雇用改革などに向かわず、ただ解雇がしやすくなるだけだろうというものだし、経営側の多くは、明らかにそれを狙っている。私は、そうではない方向から、限定正社員が世の中に広がるように努力すべきだと思っている。 こうした中で、審議会が、限定正社員を“誤って”、「ジョブ型正社員」として使用したことは、非常に残念である。 規制改革会議の雇用ワーキンググループで報告している濱口桂一郎氏も、自身のブログで「ここまで歪みきってしまったジョブ型正社員の理解を、どうやったらまともに戻せるのか…こういう間違った認識のままジョブ型正社員の議論が進められるととんでもない方向に暴走しかねないので、1年くらい冷却期間をおいた方がいいかもしれません。下手にスピード感なんか持たずに…」と記しているが、私も同意見である。 http://diamond.jp/articles/print/38611
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