04. 2013年7月05日 02:14:15
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2013年7月5日 中国の未来に影を落とす”闇の金融システム” [橘玲の世界投資見聞録] 2008年のリーマンショックの直後、中国は「内需拡大による経済成長促進」のため4兆元(約60兆円)の大規模な景気対策事業を敢行し、世界じゅうから高い評価を得た。世界金融危機をアメリカを中心とする「グローバル資本主義の終わり」だと囃し立てたひとたちは、国家が市場を管理する“赤い資本主義”の方が優れているとして、これを(アメリカ中心のワシントンコンセンサスならぬ)“北京コンセンサス”と呼んだ。 その中国で、金融市場の混乱が続いている。いったいなにが起きているのだろう。 外国人でも簡単に開ける人民元預金口座 私が中国で銀行口座を開設してみたのは10年ほど前のことだ。その当時の中国経済は破竹の勢いで、多くの専門家は「2008年の北京オリンピックか、遅くとも2010年の上海万博までには人民元は自由化されるだろう」と予想していた。 上海・浦東にある中国銀行上海本行ビル。浦東のシンボル東方明珠塔の隣 (Photo:©Alt Invest Com) 周知のように人民元は管理通貨で、アメリカなどから「人為的に為替を安くすることで輸出を不当に有利にしている」ときびしく批判されていた。そのため中国政府は、為替の変動幅を管理しつつも、人民元高を容認せざるを得なくなっていた。すなわち、人民元を持っているだけでドルベースでは必ず儲かることになる。
そのうえ中国のインフレ率は日本よりもはるかに高いから、当然、預金金利も高くなるはずだ。そう考えると、人民元預金は(ドルベースでは)為替リスクがなく、日本円より金利も高いという、経済学ではあり得ないフリーランチが成立していることになる。投資においてこれほど有利な機会はめったにないから、とりあえず試してみようと思ったのだ。 オフショア(タックスヘイヴン)を除き、先進国の多くは居住ビザを持たない外国人の銀行口座開設を原則として認めていない(カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど移民国家は敷居が低い)。新興国でも同様の規制をするところは多いが、中国は株式市場を外貨(米ドル、香港ドル)建てと人民元建てに分離し、外国人投資家の人民元建て株式取引を認めない一方で、銀行の人民元口座はビザなしでもパスポートのみで自由に開設させている。 中国の人民元口座の特徴は、アリ地獄型になっていることだ。 名目上はさまざまな制約がついているものの、外貨から人民元への両替は比較的自由に行なえる。これは中国の経済発展が外資に依存していたためで、外貨の両替ができなければ外資系企業は中国に投資できないし、従業員への賃金も払えない。 しかしその一方で、人民元を外貨に両替することは原則として禁止されている。貿易などの実需に関しては例外措置が定められているものの、中国国内の人民元をドルや円などの外貨に換えて海外送金するには中央銀行の許可が必要だから、個人には事実上不可能だ(海外送金できない特別な口座で外貨に両替することは可能)。 こうした規制はおそらくはアジア通貨危機の教訓で、金融不安をきっかけに外国人投資家がいっせいに資金を引き上げ、体制転覆を招いた現実を目の当たりにして、その対策として、中国への投資資金を海外に戻せないようにしてしまえばいい、と考えたのだろう。 もっとも少額の預金者にとっては、こうした規制はなんら障害にはならない。中国の金融機関は銀聯(Union Pay)という決済システムを使っているが、中国人旅行者の増加にともない、いまでは日本でも銀聯カードで支払ができるし、ATMから現金(日本円)を引き出すことも可能だ。あるいは、香港に行ったついでに深センまで足を延ばし、銀行窓口で人民元を下ろして香港に持ち帰り、銀行や町の両替商でドルや円に両替することも簡単にできる。 次のページ>> 人民元の自由化は行なわれてない 人民元の持ち込み、持ち出しは2万元(約30万円)までに制限されており、香港と深センの間は出入国管理と税関検査があるが、税関はほぼフリーパスだ。その結果、中国国内から持ち出された人民元の現金が香港の不動産に投資され、地価が異常なまでに高騰することになった(もっとも、私は多額の人民元を持ち出したことはないから成功は保障しない)。 人民元預金は実質マイナス金利 このようになにもかも有利に見えた人民元預金だが、オリンピックや万博が終わっても厳しい為替管理はほとんど変わらず、あいかわらず中国国内の資金を海外送金できないままだ。 人民元の為替レートは予想どおり元高/ドル安に一方的に進んだが、リーマンショック後の“超円高”によって、対円では人民元安になってしまった。とはいえ、対米ドルで4割も切り上がった円相場は、対人民元では15%ほど高くなっただけだから、投資戦略として間違っていたわけではない(現在はアベノミクスによる円安で、元は2000年以降の最高値圏にある)。 10年前の予想のなかで大きく外れたのが金利だ。 高度経済成長のさなかの中国のインフレ率は比較的落ち着いているものの、3%前後と日本よりはるかに高い。その一方で、物価上昇率を反映するはずの預金金利はずっと2%前後で、インフレ率が5%を越えた2011年でも3.5%までしか上がらなかった。 日本のゼロ金利を考えれば年利3.5%ならはるかにマシだといえるかもしれないが、物価が年率5%で上がっているのだから、中国のひとびとからすれば実質金利はマイナス1.5%で、銀行に貯金しても損するだけという理不尽なことになっている。 なぜこのようなことが起きるかというと、中国では人民銀行(中国政府=共産党)が預金基準金利と貸出基準金利を決めており、銀行間で競争が起きないようにしているからだ。銀行は預金基準金利でお金を集め、貸出基準金利で融資することで確実に3%程度の利ざやを得ることができる。日本の金融業界はずっと大蔵省(現財務省)の護送船団方式といわれてきたが、それをはるかに上回る過保護ぶりだ。 時価総額で世界最大となったICBC中国工商銀行 (Photo:©Alt Invest Com) こうした金利政策は、預金者の(マイナス金利という)犠牲のうえに貸出金利を低く抑える効果がある。たとえば2011年の貸出基準金利は6.3%で、インフレ率が5%なのだから、実質金利は1%程度しかない。
その結果、中国で公共投資の爆発的な拡大が起きた。 北京や上海は10年ほど前にようやく最初の地下鉄が開通したが、いまでは東京に匹敵する地下鉄網ができている。中国の高速鉄道は列車事故でさんざん批判されたが、北京・上海を中心に日本の新幹線を上回る広域ネットワークを築いた(運行も正確で、北京・上海間でも高速鉄道を利用するひとが増えている)。高速道路はすでに内陸部の奥地にまで到達し、8車線も当たり前だ。 公共事業を請け負う側からすれば、銀行から低金利で資金調達し、工事代金は政府(地方政府)が払ってくれるのだから、こんなにおいしい話はない。このようにして、わずか10年で中国の景観は大きく変わった。 もちろん、こうした「赤い資本主義」には代償もともなう。人民元の為替レートを管理し、金利を人為的に低く抑えようとすると、自由な資本移動を放棄しなければならない。これが「国際金融のトリレンマ」で、中国がこれまでの成功方程式にこだわるかぎり、何年待っても人民元を自由に海外送金できるようになるはずはなかったのだ。 さらに、このおいしすぎる話にはもうひとつ大きな問題がある。 人民銀行(=共産党)の金利政策によって、中国のひとびとは常にマイナス金利を余儀なくされている。しかしこれは「銀行預金しても損するだけ」ということだから、放っておくと預金者はいなくなってしまう。しかしその一方で、銀行は預金金利を引き上げて顧客を勧誘することが認められていない。中国の銀行は政府によって過剰に守られているようにみえて、実際にはこのままでは経営が成り立たなくなってしまうのだ。 次のページ>> 中国の金融業界の闇 こうして、預金とは別に資金調達する方法として、陰の銀行(シャドーバンキング)が登場することになる。 拡大する「闇の銀行」 中国のシャドーバンキングは、もともとは政府の認可を受けていない闇銀行として始まった。 貸出金利が決められているということは、銀行にとってはリスクに応じた金利を設定できないということだ。そのため融資は回収の確実な大企業や国有企業(央企)に偏ることになり、ベンチャー企業や中小企業のようなハイリスクな融資先は金融システムから排除されてしまう。 そこで、民間から銀行預金よりも高い金利でお金を預かり、こうしたハイリスク企業に高利で融資するビジネスが急速に拡大した。これが闇銀行で、一時、その存在感は表の銀行システムを脅かすまでになった。 この闇銀行は政府の管理下になく、金融システムを混乱させる要因になるので、けっきょくは厳しい取締りによってほとんど消滅してしまう。とはいえ、闇銀行が担ってきた融資機能は市場には必要不可欠だ。それでどうなったかというと、あろうことか、表の銀行が闇銀行を取り込んでしまったのだ。 闇銀行が一掃されるのと、「理財商品」と呼ばれる高金利のファンド(のようなもの)を中国の銀行が我先に販売し始めるのはほぼ同じ時期だ。理財商品の仕組みは闇銀行と同じで、高い金利(年利5〜10%)でお金を集め、それを中小企業などに融資するのだ(その後、融資先は地方政府の不動産開発事業にシフトしていく)。 深センの中国銀行。「理財中心(資産運用センター)」の大きな看板 (Photo:©Alt Invest Com) ところでこの理財商品には、誰がリスクをとっているのかわからない、という大きな問題がある。
ファンドや債券であれば、融資先の破綻などで資金が回収できないときの損失は購入者が負うことになる。これは、ハイイールド債(ジャンクボンド)と同じだ。 ところが理財商品の多くは、顧客に「元本保証」と説明して販売されているという。もしこれが本当だとするならば、融資先の破綻リスクは理財商品を組成した信託会社が負うことになる。もっとも信託会社にはリスクを引き受けるだけの財務基盤がなく、金融機関の子会社の場合も多いので、最終的には販売した金融機関の責任が問われることになるだろう。 さらには、理財商品は実質的に地方政府の保証がついている、という見方もある。 融資先から資金回収できなくなれば「元本保証」していた金融機関も連鎖破綻してしまう。しかし中国の金融機関は実質的に地方政府の管轄化にあり、金融機関が破綻すれば地方政府の共産党幹部にとって大きな失点になる。彼らは出世の妨げになるような事態が起こらないようどんなことでもするだろうから、理財商品のリスクは最終的には地方政府が負っている、という理屈だ。 このように理財商品は、誰にとっても都合のいいように、わざとリスクの引き受け手をあいまいにしたまま販売されているきわめて特殊な金融商品だ。中国の銀行業監督管理委員会によれば、そんな理財商品の残高が2013年3月末現在で130兆円もあるという(日経新聞6月30日朝刊)。これは中国のGDPの16%、人民元預金残高(67兆元)の12%に匹敵する。 さらに米金融大手JPモルガンのアナリストは、「影の銀行」の融資残高は中国のGDPの約7割にあたる36兆元(約583兆円)にのぼると試算している(朝日新聞7月3日朝刊)。こちらのほうが実態に近いとすれば、とてつもない金額になる。 中国経済は、インフレ率に比べて人為的に金利を低く保つことで経済成長にターボチャージャーをつけることに成功した。しかしそれは同時に、銀行とは異なる巨大な“闇の金融システム”を生み出してしまった。 6月20日、中国の短期金利(翌日物指標金利)が1日で7%台から過去最高の13%台に跳ね上がるという異常な事態が起きた。中国の金融当局が、膨張する“闇の金融システム”を制御しようと資金供給を絞ったためとされている。その後、金融市場の動揺を受けて資金供給が再開された模様だが、そうなれば“官製闇銀行”はふたたび膨張を始めることになる。 中国の金融当局はいま、“闇の金融システム”を破綻させずに縮小するという綱渡りのような金融政策に取り組んでいる。しかしこれは、「人類史上最大」といわれる中国の不動産バブルを直撃することになるだろう。その構図については、また稿を改めて書いてみたい。 上海・外灘(バンド)の夜景。サーチライトのビルの手前が租界時代の中国銀行上海本店 (Photo:©Alt Invest Com)
『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル 』
【第129回】 2013年7月5日 姫田小夏 [ジャーナリスト] 押し寄せる大陸人に香港市民はガマンの限界 同じ華人でも似て非なる存在、香港人と中国人 「東京都内、中国人が多いですね。私の住んでいる都内のマンションも中国人が増えました。一目見ただけで中国本土の人とわかりますね。はっきりした理由はありませんが」 かつて上海で長い付き合いだった友人から、先日、こんなメールをもらった。 円安の影響だろうか、確かに近頃、アジアからの訪日客や滞在者が増えた。その中には中国人もいれば、タイ人もいれば、香港人もいる。「一目見ただけですぐ出身地がわかる」のは、メールをくれたご本人の中国経験の長さを物語るものでもある。 一方、国際社会といわれる上海にも、日本人をはじめ多くのアジア人が住んでおり、その中には“香港人”も少なくない。やはり、彼らの商売も中国大陸という大市場なしでは済まないようだ。 上海に住む香港人はビジネスでの長期滞在者が多いが、その生活スタイルはすでに欧米流だ。各国の奥様たちが集まるパーティでも、中国人のグループには入らず、欧米人や日本人とおしゃべりし、「私はあなたたちとは違う」と無言のオーラを放つ。 一方、筆者は別の食事会で、垢抜けして知的な中国人女性に出会った。環境問題でも意気投合、「香港人かと思いましたよ」と言うと、「ありがとう」とお礼が返ってきた。ここでは「香港人みたい」は一種の褒め言葉でもあるようだ。 香港人と中国人は、似て非なる存在である。英国領香港は中国に返還され、「一国二制度」の下に置かれてからすでに16年の歳月が流れたが、昨今は“香港人”というアイデンティティに帰属感を高める地元市民が増えているのである。 7月1日に10年ぶりの大規模デモ 反発の理由は中国当局の介入だけでない 香港で7月1日、民主派団体主催の大規模デモが行われた。この日は香港返還の祝日になっているせいか、こうしたデモは毎年行われている。しかし、現地メディアによれば、今年のデモ参加者数は50万人と報じられ、10年前の2003年に匹敵する規模にまで拡大した。 03年は、行政長官に再選した董建華氏が、自由権の侵害が懸念される治安法令を香港基本法23条に基づいて制定しようとしたため、同氏の辞任を求める50万人のデモを招く事態となった。 先日のデモでは、「争取普選」(普通選挙を勝ち取る)をスローガンに、参加者から完全な普通選挙の実現を求める声が上がった。 もともと、1997年に英国の植民地から中国に返還された際、中国政府は「一国二制度」をもとに、社会主義政策を2047年までの50年にわたって香港で実施しないことを約束した。つまり香港は、高度な自治や市場経済、言論の自由、独自の税制や通貨を持つ「特別行政区」として、大陸とは異なる社会制度の継続が認められたのだったが、現実は中国当局による香港の民主化問題への介入が存在し、行政長官の普通選挙も実施に至っていない。 近年、香港と中国の矛盾はますます顕著になっている。普通選挙の実現という政治的要求もさることながら、香港市民の反感の矛先は大陸から押し寄せる本土の中国人に向けられるようになっている。 大陸の中国人と香港人との摩擦、この摩擦を生む原因のひとつに、中国に対する「観光の自由化」がある。2003年、中国は「大陸住民の香港、マカオへの個人旅行」を解禁したが、その後、渡航客は年々激増した。さらに2009年4月、深セン市民に対し「1年間有効のマルチビザ」の発給が認められるようになると、同年だけで1000万人の旅行客が香港になだれ込んだ。大陸からの旅行客は、2002年から2012年までの10年間で1億人にも達した。 しかし、彼らの目的は、観光よりも「買い物」にあった。買い物といっても自分で消費するのではなく、商売目的での「仕入れ行為」が目立つ。中国・深セン市と香港の境界近くにある上水駅(香港新界北区)には、毎日1000人を超す「担ぎ屋」が出現する。 彼らが大陸に担いで帰る一番人気といえば「粉ミルク」だ。食の安全問題がますます深刻化する中国では、消費者はいまだ国産ブランドに懐疑的であり、これを目当てに殺到する中国人の担ぎ屋が、地元住民の生活を脅かしているというのだ。 「上水はもともと香港の郊外で、我々は静かな生活を送っていた。だが、マルチビザのお陰でいい迷惑を被っている」――こうした不満がネット上に多数書き込まれる。生活空間がどんどん狭められていく、というのは彼らの偽らざる心境だ。 大陸人の担ぎ屋による買い占めが禍いし、肝心な香港市民への供給は追いつかない。「粉ミルク売り切れ」と掲げた店も続出し、あるメーカーの粉ミルクは値段が4割も上昇した。 もちろんそれは粉ミルクだけではない。大陸で「商売になる」ものならなんでも買い漁っていく。そんな大陸人たちのすさまじい購買意欲は、地元経済に貢献するどころか、地元香港市民の生活を圧迫し、「必要なものが手に入らない」という状況にまで追い詰めている。 この買い占め劇は、台湾でも展開中だ。昨年台湾を訪れた中国人観光客は700万人を超え、今年は倍増すると予測されている。それに伴い、地元名産の茶葉の在庫は尽きてしまった。また、中国人富裕層のメディカルツーリストの急増を反映してか、ホテルや医療機関などの価格が上昇するなど、“香港の二の舞”が起こっている。 地元民と旅行客にトラブル続発 香港の市民生活を圧迫も 街中でも、地元民と大陸からの観光客の間では諍いが絶えない。電車の中でおおっぴらにラーメンをすする観光客をたしなめた香港人が罵倒の応酬を受ける、子どもにあたり構わず大小便をさせ周囲の顰蹙を買う、などのトラブルが相次いでいる。
2012年には香港の民間団体が「香港人はガマンしきれない」と題した広告を地元メディアに掲載する、という“事件”もあった。岩肌にイナゴが張り付いているその画像は、大陸から大挙して繰り出す中国人をイナゴの襲来に喩えたもので、香港で出産を希望する中国人の分娩ラッシュに反対を唱えるものだった。 永住権を目的にした、両親ともに大陸の中国人による香港での分娩は、「双非問題」と言われ、産院逼迫に頭を抱える地元民が反発を強めている。 この「双非問題」は医療費の高騰のみならず、「あたかも旅館か家にいるかのように振る舞う中国人産婦」(香港人のブログより)に対する非難にも及んでいる。ひどいケースでは、病院内で煮炊きを行う姿まで目撃されるというのだ。 消費意欲たくましい中国本土からのお客さんは、確かに経済的なメリットをもたらしてくれることは間違いない。だが、社会的には著しく利害が対立することもある。とりわけ、香港生まれの若い世代には、大陸からの新たな移民には受け入れがたい感情があるようだ。日用品や産院のベッドの奪い合いのみならず、産業の空洞化に加えて、新規移民の到来で雇用の機会までも喪失する、という危機感と背中合わせなのだ。 香港ではこうした若者を中心に“香港の独立を唱える勢力”が台頭するのでは、などの憶測すらある。ジェトロ・アジア経済研究所の竹内孝之氏は「『香港独立論』の登場?」の中で、「近年は若者を中心に香港の主体性や香港市民の利益を優先する香港本土主義という考え方が徐々に強まっている」と指摘している。 ちなみに、香港大学が行った2011年の調査によれば、「自分は中国人である」と思う香港市民は16.6%、最高を記録した2008年の38.6%から大幅に下落し、2000年以来最低となった。 「我々は華人だと言えるが、 中国人だとは言えない」 ところで、観光という角度からすると、日本もまた中国人観光客がもたらす経済効果に期待している点で、香港と共通する。中国人の訪日旅行客一人当たりの旅行支出額は18万7970円(2012年、宿泊、飲食、国際旅客運賃以外の交通費含む)、国籍別では第1位だ。確かに大事なお客さんでもある。だが、その一方で、観光地からは悲鳴も上がる。 「温泉浴場のシャンプーや、洗面台の化粧水、果ては天井の電球まで持って行かれた」(北海道の宿泊所経営者) 箱根の温泉地では、中国人客の浴場の使い方に、日本人常連客が不満を高めていた。 「立ったまま、平気で長時間シャワーを浴びる。節水を心掛ける日本人からは見るに堪えない光景。飛沫は浴槽に浸かる別の宿泊客に向かって飛び散り、リラックスどころではなかった」(箱根の日本人宿泊客) 今後、中国人客が多いという状況が、「あそこには行かない」というひとつの風評となってしまう懸念もあり、観光立国を目指す日本にとっては知恵を絞るべきひとつの課題となるだろう。他方、中国国務院も、一部の中国人観光客が出国先で顰蹙を買っている事態を重く見ており、今年5月、「旅行法」により旅行先での禁止行為を明確にした。 これらの例が伝えるのは、金持ち中国人がもたらす経済的なメリットだけで物事は語れない、ということである。それは、良くも悪くも中国人がもたらす“影響力の強さ”のためでもある。彼らの独特な習慣や行為は、たとえ「同じ華人」であっても、煙たがられ、感情的不快感を与えてしまうのだ。 昨年は香港返還15周年、日頃の要求はこのときとばかりに吐き出され、「ガス抜き」されたかと思いきや、今年もまた大規模なデモに発展した。 香港市民の心中には、政治的要求もさることながら、「大陸の中国人」に向けられた日頃の“行き場のない感情”が存在することは想像に難くない。彼らもまた隣人との関係作りに腐心しているのだ。「我々は華人だと言えるが、中国人だとは言えない」と断じる識者も香港にはいる。一国二制度のその下で、香港市民は反感とアイデンティティをますます強めている。
117年振りに韓国を取り戻した中国
韓国がネギをしょって転がり込んだ中韓首脳会談(2) 2013年7月5日(金) 鈴置 高史 朴槿恵大統領の6月末の訪中で中韓関係は一気に深まった。注目すべきは両国が、安全保障と経済の関係強化に加え“人文同盟”も結んだことだ。「文化の同質性を手がかりに連帯を図る」と説明されるが、この「中韓協商」には冊封体制復活の臭いがする。 中国重視の“新思考外交” 韓国研究者が今、注目しているのが「人文紐帯」という韓国語だ。6月27日発表の中韓共同声明でも「安保」、「経済」に続いて3番目に「両国間の人文紐帯の強化」がうたわれた。 具体的には学術や伝統芸能の交流事業を実施するようだ。だが、なぜ専門の「交流共同委員会」を作るほど「人文紐帯」が重要なのだろうか。そもそも「人文」とは何を指すのだろうか。 答えは朴槿恵政権がスタートする直前の東亜日報の記事「韓米が価値同盟なら、韓中は人文同盟」(2013年2月22日付)にあった。内容は以下の通りだ。 ・米国との関係は市場経済や民主主義といった共通の「価値同盟」がベースにある。同様に中国とも、何かをベースにした確固とした同盟関係に引き上げる必要がある――と朴槿恵・次期政権は考えている。 ・韓中両国は政治や経済、社会システムは大きく異なる。一方、歴史や文化、哲学を長い間、共有してきた。それだけに人文分野では通じるものが多い。 ・そこで次期政権は「人文同盟」という概念をもとに、中国との協力を強化することを決めた。知らされた中国政府も歓迎した。 荒っぽく解説すれば「これから中国重視政策に踏み出す。経済でも安全保障でも、米国よりも中国に助けてもらうことが多くなるからだ。ただ、60年間に及ぶ米国との同盟の下で、社会の仕組みはもとより価値観まで米国式になってしまっている。これでは中国を頼みとする“新思考外交”と齟齬をきたす。それを避けるため中国文化を再評価し、身を寄せるしかない」――と韓国人は考えたのだ。 中国の価値観を再び受け入れる 「同盟」という単語は米国からの疑いを招くからだろう、次第に「紐帯」という言葉に置き換わった。しかし今や「人文」という言葉は毎日のように韓国紙に登場する。 朴槿恵政権発足以降、韓国の大学やメディアが「人文紐帯」=「中国との共通の価値」を求め、相次ぎシンポジウムを開催しているからだ。 中韓首脳会談を前にした6月下旬、北京に両国の学者が集まって今後の2国関係を論議した。それを報じた中央日報の見出しが「韓中、新たな20年に向け人文紐帯の強化が必須」(6月24日付)だった。 この記事によると、中国共産党中央党校の韓保江・国際戦略研究所所長は「両国関係の根本に人文の紐帯がしっかりと定着すれば、両国間の間に発生するいかなる風波も乗り越えられる」と、その意義を強調した。 韓国のイ・ヒオク成均中国研究所長は「韓中両国の国民は今後、韓国人や中国人としてだけでなく東アジア人として生きていく訓練が必要だ」と主張した。 孫英春・中国メディア大学教授は「両国民の心の距離を縮めるために北東アジア文化共同体を建設しよう」と呼び掛けた。 「人文紐帯」の正式な定義はいまだないものの「韓国人が中国人と同じ価値観や発想を持って生きていく」というコンセプトに集約されつつある。 この言葉を使わずとも、中国との文化的絆(きずな)を強調し、連帯をうたうシンポジウムが一気に増えた。 韓国では左派が中国を軽視 同じころソウル大学アジア研究所は「世界の中心のアジア、普遍的価値を探して」と題する討論会を開いた(中央日報6月21日付)。 ここでは西欧が造った発展モデルに代わる「アジアモデル」について議論が交わされ「アジア全体のための普遍的文明を構想すべきだ」といった主張がなされた。 異なる国や民族の間でお互いの文化を知れば国際関係が円滑になる――という発想は今や、ごく当たり前のことだ。 だが、韓国で始まった「文化連帯」運動は少々異なる。相互理解というよりも「欧米とは異なる価値観を中国と韓国が共有したうえ、広めるべきだ」――という結論に傾くのが特色だ。 ここまで来ると、朝鮮半島の歴代王朝が中国の暦を使い、衣服を真似ることで恭順の意を示した冊封体制を想い出してしまう。 木村幹・神戸大学大学院教授がネット上で“発見”し、ツイッターでつぶやいたために日本の研究者の間で少々有名になった論文がある。 韓国の左派系ネットメディア、プレシアンが6月17日に載せた「韓国の進歩派はなぜ、中国から目をそむけるのか」だ。筆者は肩書から見て、在米韓国人研究者と思われる。 ちなみに、韓国では保守派よりも進歩派――右派よりも左派に中国を軽く見る人が目立つ。民主化の歴史に誇りを持つ左派は、西欧的な価値観に重きを置くあまり、独裁国家たる中国を上から目線で見がちだ。 大日本帝国より中華帝国 この論文の狙いは、そんな韓国人、ことに左派に反省を促すことにある。 ・中国は独裁国家だと思われている。しかし国家主席の権限は(民主国家)の大統領のそれに及ばない。なぜなら中国は集団指導体制だからだ。 ・中国の指導層の能力は極めて高い。民主国家の指導者が人気投票で選ばれるのに対し、理論と実践で鍛えられた百戦錬磨の人たちだからだ。 ・中国は中華思想を持つとの批判も多い。しかし、昔の大日本帝国と比べ、どちらが帝国主義的だろうか。 ・(日本に植民地化された当時、近代国家として再出発した)中国の傘の下で、生き残るための仮の宿を見つけるという道も我々にはあったのではないか。 最近、中国人がシンポジウムで主張する「中国システム優位論」をそのまま借りてきたような部分もある。だが、韓国人独特の、そして今の変化を如実に反映した視点もある。 「アジア的価値」に反論した金大中 それは「中国の下で近代化する可能性があった」という主張だ。韓国では「近代化」=「西欧化」=「中国文明からの離脱」と理解されてきた。この常識を疑う姿勢こそは「今後、韓国は台頭する中国文明の下で発展すべきだ」との主張の伏線となる。 20世紀末に、シンガポールのリー・クアンユー首相が西洋文明に対抗し「アジア的な価値」を強調したことがあった。それに対し当時の金大中大統領は「人類には普遍的な価値がある」と強く異議を唱えた。 これから考えると「中国的価値」をさほどためらいもなく受け入れる、最近の韓国の論壇の空気は隔世の感がある。 そのころは左派の金大中大統領はもちろん、多くの韓国人が「アジア的価値」という言葉に潜む危うさを感じ取ったものだ。その少し前まで韓国では軍事政権が「韓国的民主主義」の名の下、圧政を敷き、拷問を繰り返していたからだ。 中国の台頭というものが、これほどに人々の心情に影響を及ぼすとは――。韓国と中国の近さを改めて感じざるを得ない。 多くの日本人は「対中依存度が増すからといって、何も中国を崇める必要もないのでは」と韓国人に聞きたくなるだろう。 西安訪問で中国文化に敬意 答えは「上位の国の文化に敬意を払う」発想こそが韓国人と中国人の心の奥底にある世界原理――「華夷秩序」なり「冊封体制」ということになるのだろうが。 もっとも、政府が奨励したからといって本気で韓国人が中国を信奉するかは疑問だ。ただ「そうした形を整えること自体が冊封体制では重要」(岡本隆司・京都府立大学准教授)なのだ(「『対馬は韓国のものだ』と言い出した韓国人」参照)。 とするなら、共同声明にわざわざ「人文紐帯」を盛り込んだうえ、首脳会談後に「中国文化に敬意を表すため」唐の都、西安を大統領が訪問した韓国は、十二分に恭順の意を示したことになる。 中国の外交専門家はこれまで韓国を「揉み手をして近づいて来るが、いざという時は米国側に戻る」と評することが多かった。 だが、「人文紐帯」まで言い出した韓国人を見て「日清戦争後に清から独立した韓国が117年振りに戻って来そうだ」と中国人が思い始めたのも確かだ。 「米のアジア回帰」で困惑した韓国 人民日報のウェブ版である人民網。その有名なコラム「望海楼」(6月27日付、日本語版)は「中韓関係の最大の障害は北朝鮮と米国という外部要因にある。朝鮮半島の核問題を超え、米韓同盟を超越すれば画期的な意味がある」と韓国に呼び掛けた。 中国は北朝鮮と軍事同盟を結んでいるが、その核開発で困惑している。一方、韓国は同盟国の米国が「アジア回帰」を言い出したため、やはり困惑している。 朴槿恵大統領が米議会演説で指摘したように、経済的な緊密性が増す一方で政治的な対立が激しくなる「アジアのジレンマ」の中、韓国は米中間でまた裂きになりかけているからだ。 このコラムは「核問題を超え、米韓同盟を超越すれば」との表現で「半島の非核化に成功した暁には、南北朝鮮の中立化により――つまり、韓国の米韓同盟破棄により、韓国のジレンマは解消できるではないか」とささやいたのだろう。 これまで中国の学者らは韓国紙への寄稿で、米中間の等距離外交を強く求めてきた。ただ、米韓同盟に関しては敢えて触れないのが普通だった。米国との軍事同盟に大いに未練を残しながら米中二股外交に乗り出した韓国に、警戒心を起こさせないための配慮からだ(「韓国は中国の『核のワナ』にはまるのか」参照)。 米韓同盟破棄を射程に だが、この「望海楼」の記事からは「上手に持っていけば米韓同盟だって破棄させることは可能」との認識が、中国に生まれつつあることが分かる。 その期待を習近平主席も持ったのではないか。習近平主席は6月27日の首脳会談の席上、新羅の高級官僚、崔致遠の漢詩を引いて見せた。崔致遠は若くして唐に留学、科挙に優秀な成績で合格した人物だ。ちなみに、新羅に戻った後は母国の改革を志した人でもある。 習近平主席は翌28日、中韓首脳の昼食会の席でこうも言っている。「今回の朴槿恵大統領の訪問は、今後に大きな影響を及ぼすだろう」。 『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』好評発売中 韓国はなぜ、中国と一緒になって日本を叩くのか? 米国から離れて中国ににじりよるのか? 朝鮮半島を軸に東アジアの秩序を知り、 ガラリと変わる勢力図を読み切る!! 「早読み 深読み 朝鮮半島」の連載を大幅に加筆・修正して最新情報を1冊に。
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JBpress>日本再生>世界の中の日本 [世界の中の日本] 中国が世界の信頼を取り戻すたった1つの方法 マキァヴェッリ先生ならこう考える(52) 2013年07月05日(Fri) 有坪 民雄 中国が領土拡張を成功させる方法の連載、今回が最後です。前回、中国が領土拡張を行おうとするとヒール(悪役)にならざるを得ず、敵を作るだけだと書きました。アメリカが自国の勢力を世界に広げたときは中国ほど苦労はしていません。むしろ、アメリカの世界進出は、他国から(正確にはヨーロッパ諸国から)歓迎され、それゆえに短期間でカタが付いたのです。 なぜ中国が勢力を拡大しようとすると嫌われ、アメリカだと歓迎されたのでしょうか? 内紛に疲れローマに執政官の派遣を要請 (『ディスコルシ 「ローマ史」論』、ニッコロ・マキァヴェッリ著、永井三明訳、ちくま学芸文庫) 前回、ローマが同盟国の周囲を属領で囲んで包囲したことを書きました。しかし、ローマは反抗してくる相手には容赦しませんが、反抗してこない限りは特に何もしませんでした。指揮権は持っていますが、圧力をかけて内政干渉したりせず、むしろローマから支配されているといった印象を持たれないように振る舞っていたと言っていいでしょう。 カプアとローマとの接触は、マキァヴェッリによれば戦争から始まったようです。カプアはイタリアで最も肥沃な土地を持っていたせいでしょう。過去には敵に攻められたカプアを救援に行ったローマ軍が本国の元老院の意向を無視してクーデターを起こして自分たちのものにしようとするなど、何かとローマ史の舞台に立つことが多いところで、名物は内紛です。 ところがあまりに内紛が多かったため、カプアは内紛に疲れ、ローマに執政官の派遣を要請します。要は自分たちが国を管理しようとすると内紛をやらかすので、管理者をローマ人にして、彼らの裁定に従えば、内紛は避けられるだろうと踏んだわけです。 ローマも王政時代には、内紛を避けるために新しい王を外国からスカウトしてきたことがあります。自分から行くのではなく、相手から要請されたのですから抵抗されることもありません。そうしたローマとカプアの関係は、第2次ポエニ戦争時、ハンニバルがカプアを占領するまで続きます。 信頼を得るには「求められるまでは動かない」 最初に戦争を始めてから関係を改善し、相手から実質的な属国化を求められるまで400年、ローマは待った、とマキァヴェッリは言いたげです。しかし実際は侵略する意図がそもそもなく、その時の状況に応じて対応していたというのが実際のところではないでしょうか。 アメリカもそうでした。もともとアメリカは英国の植民地が独立してできた国で、「モンロー主義」と呼ばれる不干渉政策を取ってきました。モンロー主義は、「アメリカ大陸のことにヨーロッパは手を出すな。そのかわり、自分たちもヨーロッパには干渉しない」というものです。 当時の“世界”はアメリカ人にとっては欧州とアメリカしか見えなかったようで、アメリカはフィリピンや中国に進出するなどしてヨーロッパ列強のまねをしていたわけですが、ヨーロッパには一切手を出しませんでした。 そうした流れを変えたのは、第1次世界大戦です。当初は参戦しませんでしたが求められてアメリカは連合国側について参戦し、ヨーロッパで戦います。大戦終了後、戦場になったヨーロッパは疲弊していましたが、戦場にならなかったアメリカは大きな経済力を持つに至り、世界のメインプレイヤーとしての存在感を高めていきます。 そうして迎えた第2次世界大戦では、ナチス・ドイツが緒戦で無敵の強さを見せつけ、フランスまでもドイツの手に落ちてしまいます。連合国側は、もはやアメリカの力なしにドイツに勝てないと悟り、アメリカの参戦を熱望するようになります。 アメリカの参戦は、ナチス・ドイツ敗北の大きな力になりました。またヨーロッパを虎視眈々と狙っていたスターリン率いるソ連の対抗勢力としてヨーロッパでは救世主のごとき扱いを受けました。 すなわち、アメリカは、ヨーロッパから求められるまでヨーロッパに派兵しなかった。この行動で、アメリカはヨーロッパの信頼を得たのです。 古代ローマと同様、求められるまでは動かない。求められて出ていくなら抵抗にも遭わない。これがアメリカの覇権が短期間に確立できた理由です。中国は他国から求められもしないのに自分から出ていくのですから、当然ヒール(悪役)にしかなりません。 モンロー主義の元になったモンロー宣言は、1823年に起草されています。それから第1次大戦まで90年、第2次大戦まで120年。実際は、時と場合に応じて上手に立ち回っただけでしょうが、マキァヴッェリ的に言えば、アメリカはそれだけの期間、「待った」のです。 もはや100年以内の覇権確立は不可能 これに対し、中国はどうでしょうか? ケ小平が改革開放を唱えたのが1978年、市場経済に移行したのが1992年です。それからたった20年、そこそこの経済力を持ったら早速中国は「俺が俺が」と求められもしないのに外に出ていきたがる。 このつけ上がった行動で、中国は100年待つ気で静かにしておれば得られていた他国の信頼を失いました。同時に信頼を得ていたら、何十年かあとにつかめたであろう「軍隊の派遣を求められる」チャンスも潰しました。もはや100年以内の覇権確立は不可能になったと見ていいと思います。 ではどうすればいいのか。とりあえず現状の方針を撤回し、少なくとも今世紀中は領土拡張の野心、そして太平洋に出ていく野心を見せないことです。50年くらいで忘れてくれると思ったら大間違い。自分たちが60年以上も前の日本の侵略戦争を忘れていないのに、他国が今の中国の振る舞いを忘れると思うのは都合がよすぎます。 それでも、どうしても30年くらい(中国が計画上第2列島線を支配したいと思っている時期)で第2列島線支配を達成したいなら、選択肢は2つです。1つは、世界を敵に回し、核戦争も辞さぬ姿勢で武力行使する。もう1つは、中国で革命が起こって共産党政権が打倒され、これまでの中国のイメージが完璧に変えられることです。 どちらも嫌なら、現時点から最低でも100年は侵略の意図を見せることなく待ちましょう。それが一番の近道です。
JBpress>海外>中国 [中国] 新疆ウイグル自治区で中東型ジハードが始まる日 再び大規模暴動が発生〜中国株式会社の研究(222) 2013年07月05日(Fri) 宮家 邦彦 本稿が掲載される7月5日は中国のウイグル族にとって特別の日。4年前のこの日、新疆ウイグル自治区のウルムチ市で大規模な騒乱事件が発生し、多くの犠牲者が出たからだ。つい最近も自治区内ではウイグル族による中国治安組織への襲撃事件が頻発しているが、なぜか世の中の関心は低いようだ。
今、世の関心はエジプトにある。イスラム主義者の大統領と反政府勢力との間に妥協の余地が見られないなか、遂に7月4日、軍部は事実上のクーデターに踏み切った。CNNの実況中継を見ながら筆者は、この非妥協主義による政治的混乱はいずれウイグル地域にも飛び火するかもしれないと直感した。 というわけで、今週は久しぶりでウイグル族と漢族の確執を取り上げる。(文中敬称略) 着々と「漢化」が進むウイグル自治区 暴動が起きた中国・新疆ウイグル自治区の町につながる道を警備する武装警官〔AFPBB News〕
まずは事実関係の整理から始めよう。例によって、カッコ内は筆者の独断と偏見によるツッコミである。 ●2003年 ウイグル語の使用が認められてきた自治区内高等教育機関で漢語の使用を義務付け ●2005年3月 「外国での病気療養」を理由にラビア・カーディルを釈放、ラビアは米国に亡命 【ウイグル族と漢族の摩擦は昔からあったようだが、筆者が北京に駐在していた2000〜2004年あたりから両者の衝突・摩擦は一層顕在化したようだ。2001年以降中国は「テロとの戦い」を逆手に取り、米国にウイグル族テロ分子の徹底弾圧を事実上認めさせた。果たしてこの強硬策は正しかったのだろうか】 ●2008年3月 自治区南部ホータンで、600人を超える対当局抗議デモが発生 ●2009年6月 広東省の玩具工場で漢族とウイグル人従業員が衝突、死者2人、負傷者120人 ●2009年7月5日 同事件に抗議する約3000人のウイグル人と武装警察がウルムチ市内で衝突 【7月5日に始まったウルムチ騒乱の規模につき、中国当局は死者192人、負傷者1721人と発表している。一方、世界ウイグル会議などは、中国当局や漢族の攻撃により殺されたウイグル人が最大で3000人、事件以降ウイグル人1万人が行方不明だと主張する。筆者には正確な数字を客観的に検証する術がないが、どちらにしても大規模な悲劇であることに変わりはない】 (同事件については中国株式会社の研究〜その16を参照) ウイグル自治区のウルムチでテロ対策の演習を行う中国の武装警官(2011年)〔AFPBB News〕
●2011年6月 自治区ホータンでウイグル族が漢族を殺害 ●2012年6月 自治区ホータンでウイグル族による爆破事件 ●2013年3月7日 自治区コルラ市でウイグル族が漢族を襲撃、死者4人、負傷者8人 ●2013年4月 自治区カシュガルでウイグル族グループが警官らと衝突、死者21人 【2009年以降、ウイグル自治区は比較的静かなのかと思っていたが、それは間違いだ。関連報道を詳しく見ていくと、出るわ出るわ、ウイグル族の対漢族抵抗活動は一貫して続いていたようだ。中国政府がいかに力で封じ込めようとも、ウイグル人の活動を完全に制圧できていないことがこれでよく分かる】 【特に自治区南部のカシュガル、ホータン、コルラでの事件発生は重要だ。例えば、タリム油田開発基地であるコルラは最近開発が急速に進んでいる。従来自治区での漢族移住は北部が中心だったが、最近は西部大開発により自治区南部でも漢族大量流入が大きな問題となっているようだ】 ●2013年6月26日 自治区トルファンでウイグル族武装グループが警官隊と衝突、死者35人 ●2013年6月28日 中国外交部、米国政府の同事件に対する懸念表明に対し不快感を表明 ●2013年6月28日 自治区ホータンでウイグル族数百人が公安局襲撃、死者10〜15人、負傷者50人 ●2013年6月29日 兪正声政治協商会議主席、孟建柱政法委書記ら新疆入り、テロには厳罰と指示 ●2013年7月2日 自治区公安庁、殺人、放火、爆発物などテロ行為でウイグル族11人を指名手配 【厳しい弾圧は本当に自治区の治安回復に貢献しただろうか。ウイグル族の憎しみを増幅するだけで、民族間の和解はますます遠のくのではないか。どうやらこの10年間、中国政府は何も学んでいないようだ】 (両族の確執については中国株式会社の研究〜その17を参照) 後手に回る少数民族対策 とにかく中国側対応は十年一日のごとく、変わり映えがしない。例えば、7月1日、自治区公安庁はテロを防ぐ情報の提供者に5万〜10万元(日本円で約80万〜160万円)の懸賞金を出すと発表、2日には刃渡り15センチを超える短剣や爆発物、テロ活動を扇動する書籍などの自主的な提出を求める通告を出したという。 同時に、この種の「武器」などを10日以内に提出しなければ厳しく処罰するとし、所持者を見付けたら公安機関に通報することまで求めている。 だが、こんなことでウイグル人たちが本当に同胞を当局に売るだろうか。中国政府の対応はあまりに後手後手だ。こんなことを繰り返しても治安は回復できないだろう。 それどころか、このままではウイグルに「ジハード」を呼び込むことになりかねないとすら思う。そう考えていたら、ちょうど悪いニュースが飛び込んできた。 ウルムチで中国政府に抗議するウイグル人女性(2007年)〔AFPBB News〕
7月1日付中国国営各紙が、自治区で発生した暴動について、内戦を続ける「シリア反体制派」がウイグルのイスラム過激派に訓練を提供したと報じたのだ。 中国反テロ当局によれば2012年以降、「東トルキスタン」独立運動組織のメンバーの一部がシリアに渡り、シリア反体制派内の過激派組織に参加してシリア軍と戦ったという。 彼らはテロ攻撃を行うための要員を中国に送り込んだとも言われ、実際に最近シリア内戦に参戦した23歳の男が逮捕されたそうだ。 ついに来るべきものが来てしまった。中東のイスラム過激派ネットワークの中に「東トルキスタン」関係組織が加われば、いずれ彼らはウイグルにもやって来る。 彼らはテロのオリンピック選手のようなもの。シリアで競技が終われば、彼らは次の競技会場を探す。中国はトンデモナイ集団を自ら作り出しているのだ。 今こそウイグル族との和解を 報道によれば、7月3日、中国イスラム教会は、「新疆ウイグル自治区で一連のテロ事件が発生し、テロリストが政府機構の役員やイスラム教徒を含む各民族の罪のない民衆を残酷に殺害し、新疆の社会安定や民族団結、それに宗教間の調和の維持を破壊したことを強く非難する」談話を発表したそうだ。 また、「国内外の3つの勢力(分離独立派、宗教過激派、テロリスト)はこれらのテロ事件の元凶である。彼らは極端な思想を吹聴し、いわゆる聖戦を扇動する。その目的は新疆の社会秩序を混乱させ、中国を分裂させることにある。これらのテロリストの行為はイスラム教の精神に背いている」とも述べている。 要するに、ウイグルの過激な分離主義者はテロリストであり、中国イスラム協会は中国政府のテロ犯罪取り締まりを擁護するということだろう。 だが、この声明にはなぜか「アラー」の「ア」の字も出てこない。これがウイグルのイスラム教徒に対する中国イスラム協会からのメッセージとは笑止千万である。 今、中国政府が真に理解すべきはイスラム教の「教え」そのもの。ウイグル族の中の穏健なイスラム教徒をイスラム過激派と区別し、前者に真のウイグル人による自治と信仰の自由を与えることだ。妥協を認めず、力でイスラム教徒を弾圧するだけでは、ウイグル族の反発はますます過激化するだけである。 この典型例が現在のカイロだ。過去2年間のエジプトでの教訓、すなわち反対派への妥協と柔軟な対応を怠れば、いずれウイグル地域にもジハードの嵐が吹き荒れる日が来るだろう。 今からでも遅くはない。中国政府はウイグル、イスラム、チベットなど少数派に対する政策を根本的に見直してはいかがだろうか。 |