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ブラック・マンデーの1987年と2013年の共通点からアベノミクス第2幕を読み解く
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36304
2013年07月03日(水) 山崎 元 :現代ビジネス
5月23日に起きた、日経平均が一日に1000円を超える暴落に端を発した資本市場の混乱は、まだ不安定ながらも、収束に向かいつつあるようだ。為替レートが円安に戻り、本稿執筆時点で、ドル円では99円台で推移していることがかなりの安心感をもたらしている。
暴落の過程では、FRBの出口戦略は世界のマネーを「リスク・オフ」(リスクを減少させるという意味)に向かわせるので、安全資産である日本円に資金が集まり、円高材料になる、との説明が見られたが、この説には無理があったように思う。
■ドル高・円安は米国の長期金利上昇と共に続いている
米国の出口戦略実行は米ドルの実質金利を高くする。まだ本格的な入り口に入ったばかりの日本の実質金利低下との差を勘案すると、ドル高・円安の材料になると考えることの方が自然だろう。
米国の景気が良いことと、将来のFRBの出口戦略実行を織り込んで、ここのところ米国の長期金利が上昇しており、これと平行してドル高・円安が進んでいる。
もともとアベノミクスでは、円安が主導して株価を引き上げてきた。
4月4日の通称「異次元緩和」の発表後、株式市場に勢いがついて株価が先行する形になったが、「インフレ目標付きの金融緩和」(将来も緩和が続くとの約束付きの緩和)が日本の実質金利の低下をもたらし、為替レートが円安になって、株価がこれに反応する、という経路で政策の効果が発揮されてきた。
従って、円安こそがキーポイントであり、為替レートが円安に推移することが、最大の安心材料だ。
ところで、5月下旬来の株式市場、為替市場の波乱を見ていて思い出すのは、1987年の10月19日(月曜日)に起こった通称「ブラック・マンデー」と呼ばれる世界的な株式の大暴落だ。
ブラック・マンデーでは、NYダウが一日に22.6%も下落し、この衝撃が世界の株式市場に波及し、翌日の東京市場も日経平均で14.9%の大幅下落となった。
ブラック・マンデーが起きた理由としては、内外の金融引き締めに対する懸念など、指摘されている要因は幾つかあるが、かくも大きな暴落を正当化するような材料は何もなかった。
■2013年東京市場の株価下落は「利食い売り」ニーズの影響
他方、株価が下落した時に、運用資産の価値を守ろうとする「ポートフォリオ・インシュランス」と呼ばれるプログラムを利用する機関投資家の資金が大量にあって、このプログラムが連鎖的に働いて大きな株価の下落がもたらされた、という市場内部要因による説明は、広く認められた定説となっている。
さて、今回の東京市場の株価下落にあっても、強力な売り材料があった訳ではない。
しかし、何といっても、昨年末の解散前の水準から8割も株価が上昇していたことで、「利食い売り」(利益を確定させるための売り)のニーズが大規模に溜まっていたことの影響が大きかった。
変動の規模(特に「率」)は些か大きかったが、1980年代後半バブルの頃の相場展開を知っている身としては、じわじわ上がる株価が時々急落して市場の不安心理を喚起するものの、金融緩和を背景に、気がつくとまた上昇している、というような展開は、典型的なものだ。大規模な金融緩和を背景とした上昇相場が、一度の調整でいきなり天井を打つとは想像しにくい。
巷間強調されるヘッジファンドの売り仕掛けや、HFT(株式の高速取引)の影響は、あったとしても、ブラック・マンデーに於けるポートフォリオ・インシュアランスの影響ほどではないだろう。ただ、市場内部の要因で下げ幅が拡大する暴落が起こり、上げ相場が一頓挫した経緯は、今回とブラック・マンデーとではよく似ている。
■酷似するブラック・マンデー前後とアベノミクスの真っ只中
そして、1987年のブラック・マンデーの前後を振り返ると、「アベノミクス」の真っ只中にある2013年の現状と状況が似ていることに気が付く。
1987年までの経緯を振り返ると、1985年にはプラザ合意に伴う円高があって、日本経済は円高不況色を強めた。翌、1986年はこの状況を受けて、4度に亘る公定歩合引き下げが行われて、景況改善に先駆けて株価が大きく上昇した(日経平均で42%)。
では、2013年現在、近過去の日本経済を振り返ると、民主党政権及び白川前総裁率いる日銀の政策によって円高と不況に見舞われていた状態が、金融緩和への期待と実行で大幅な円安・株高に反転したのだった。
「これまで」のプロセスは、1987年によく似ている。
そして、我々にとっては「これから」が問題なのだが、こちらも似てくる公算が大きい。
1987年にブラック・マンデーが起こって、日本経済がどうなったかというと、世界経済の需要に日本が貢献しなければならないからという理由で、金融緩和と内需拡大が止められなくなった。
1987年に入って更に一度引き下げらて、当時としては画期的な低水準である2.5%の公定歩合が、1987年、1988年を通じて維持され、この間、株価と不動産価格が高騰した。1987年は、ブラック・マンデーの下げを盛り返して、年初・年末比では約15%の株価上昇を見せ、1988年に至っては39%も株価が上昇した。
2013年から先はどうなのか。
これが、1987年の状況と似るのではないかと思う理由は、「2%の物価上昇率目標」が達成されるまで、金融緩和を続ける必要があることだ。目標が、黒田日銀総裁のいう2年後に達成されるのかどうかは微妙なところだが、その頃まで、金融緩和が行われていて、少なくとも、ほぼゼロに近い金利で円資金が調達可能な状況が続くことが予想できる。
■マイルドなインフレ期待が定着にはまだ時間がかかる
1987年と背後にある理由は少々異なるが、金融緩和の継続という意味では、似た環境が続くといえるのではないか。
アベノミクスは、
(1) インフレ目標+金融緩和で期待実質金利を下げて、
(2) 為替市場・資産市場に働きかけて、円安と資産価格高を実現し、
(3) 上記を通じて投資と消費を喚起して経済を活性化し、
(4) 最終的には物価が上昇し、マイルドなインフレ期待が定着する、
という波及経路が期待される政策だ。
現在、(2)がある程度実現して、(3)がそろそろ視野に入りつつあるが、(4)まではまだかなり距離がある。
1987年には、NTT株が上場されて、個人を広く巻き込んだ株式投資ブームが起こった。また、国鉄が分割・民営化されて、JR7社が設立された。また、野村證券がはじめて利益日本一の会社となった。ちなみに、証券業界最大手の野村證券も、二番手の大和証券も、株価が歴史的最高値を付けたのはこの年だ。
1988年は、株式による「財テク」(「財務テクノロジー」の短縮形。一般企業が資金運用で稼ぐことを当時こう呼んだ)がいよいよ拡大し、不動産価格も上昇を続けた。
株価に対しては、某東大教授(当時)を座長とする日本証券経済研究所のワーキング・グループが、「qレシオ」という尺度を発表し、「地価に対して、株価はまだ高くないので、日本の株価は高すぎない」という珍説を発表した(注:高すぎる地価で、株価が高すぎないと正当化しても、根拠に乏しい)。
また、日産から発売された高級車シーマがよく売れて、女性のファッションの世界では、ワンレン・ボディコンと呼ばれるバブル期を象徴する装いが流行し始めた。
2013年から先の日本経済が、バブル的なカラーを強める公算は小さくない。
■再びのバブルまでに期待される"儲かるビジネス"
但し、現状は、株価も不動産価格もバブルといえるような水準にはほど遠い。
経済が過熱し、後に禍根を残すような何らかのバブルが生じるとしても、それは、まだかなり先の段階だ。そして、些か不謹慎かも知れないが、それまでのプロセスでは、儲かるビジネスがいくつか登場することが期待される。
今後の日本経済が、どんな展開を用意していて、何がブームになるのか、ビジネスパーソンとしては大いに楽しみにしたい。
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