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焦点:高学歴でも就職難、欧州危機が生んだ「失われた世代」 2013年 06月 26日 18:49 JST [ブリュッセル 25日 ロイター] - スウェーデンの大学でエコツーリズムと文化史を学んだLinnea Borjarsさん(25)は、卒業から1年を迎えようとしているが、いまだに職に就けず苦悩の毎日を過ごしている。 卒業後、Borjarsさんは人権と観光をテーマに活動している非営利団体「フェアトラベル」で、インターンとして働き始めた。当時はここでの経験が正規雇用につながると期待していた。 しかし、そのような幸運に恵まれることはなかった。 契約が切れると、無給のインターンのまま働くことを条件に契約更新のオファーを受けたが、Borjarsさんはこれを拒否。以後、職探しに奔走したものの、2回の面接にたどりつくのがやっとだった。履歴書に書かれた優秀な学業成績やインターンの経験も効果はなかった。 「私は役立たずだと感じるようになった」。先月、若者が暴動を起こした場所から程近い地域に住むBorjarsさんは肩を落とす。その暴動でも厳しい就職難に抗議の声が上がった。 Borjarsさんの置かれた状況は、欧州経済危機がもたらした影響の深さを物語る。欧州連合(EU)域内では失業だけでなく、フルタイムの職を望みながらパートタイムで働く状態などを意味する不完全雇用が深刻な問題となっている国が多い。 EUが発表する失業統計には、ハンバーガーショップで働く大卒者や、より長時間の勤務を希望するパートタイマーのバリスタらは含まれていない。ただ、専門家からは不完全雇用の労働者人口の増加が著しく、無視できなくなっており、これが潜在的に大きな経済損失になっているとの声が聞こえる。 <不完全雇用> 不完全雇用がどこに組み込まれているのかを理解するには、EUの統計がどのように構成されているかを見る必要がある。昨年12月の統計によると、労働人口2億4000万人のうち2500万人が求職活動中の失業者とされ、失業率は11%となった。 それに含まれない1100万人については、失業中ではあるものの、求職活動をやめたか、すぐに働き始めることができないとされ、失業者とみなされなかった。この1100万人を含めれば、失業率は15%に跳ね上がっていた。 一方、より長時間の勤務を望みながらも機会がなくパートタイムで働いている900万人超は就業者とされた。仕事が必要としている以上の学歴や経験がある(オーバー・クオリファイド)労働者についての数字はないが、経済協力開発機構(OECD)の推計では、EU域内の総労働人口の4分の1以上に当たる6500万人に上るとされている。 希望に反してパートタイムで勤務する労働者については、オランダやベルギー、オーストリアなど、ジョブ・シェアリングの伝統がある国でも、そういったシステムが一般的ではない南欧や北欧でも増加傾向にある。現在、EUの労働人口に占めるパートタイマーは10年前の16%から20%に増加している。 <ダブルパンチ> 「スペインの状況は最悪だ。私の働くスターバックスでは、週10時間勤務の従業員を募集している」。こう嘆くのは、マドリードの大学で化学を学んだラウラ・イグエラスさん(24)。「ドイツやオーストリアに友人がいるが、エンジニアや化学者として働いている。スペインでは、スターバックスで働けるだけでラッキーだ」と皮肉を込めた。 欧州議会のシュルツ議長はロイターとのインタビューで、第2次世界大戦後これほど高学歴者の多い世代は初めてだと指摘。その上で「親は子の教育に多額の資金を投じてきた。その子どもが働く年齢になって、社会から『居場所はない』と突き付けられている。ロストジェネレーションだ」と述べた。 英国では、公共部門をはじめとして賃金が凍結された結果、時短で働く50歳以上の労働者が減少。若い労働者は労働時間を奪われる格好となり痛みを伴った。 米ダートマス大学のデービッド・ブランチフラワー教授は、「今ではこの2つのグループに大きな格差がある。経済危機の前は平等だった」と説明。「若者はダブルパンチを受けている。職に就けず、就いても十分な労働時間が確保できない」 <生活保護> スウェーデン・ヨーテボリ大学のBjorn Gustafsson教授は、不完全雇用の労働者が「低賃金、低い生活水準によって貧困になり、収入を生活保護などに頼ることになる」と警告する。 欧州では大卒者の増加に伴い、企業側は求職者に対し、より実地経験を求めるようになった。このことで、理論的な大学プログラムと労働市場のミスマッチが深まり、自分が持つ学歴を必要としない職を受け入れたり、勉学を他の場所で続けたりする大卒者が増えた。 ストックホルムでは、Borjarsさんが大学院の願書を提出した。ただ、その効果については疑問を抱いたままだ。「ジレンマを感じている。大学の単位が増えても、就職しやすくなるとは限らない」と顔を曇らせる。 クロアチア出身のGoran Majlatさん(26)は、米ミネソタ大学でビジネスを専攻し2011年に帰国。海外留学経験があるMajlatさんでも就職難に直面し、7カ月間失業状態が続いた。クロアチアの若年層失業率は35%だ。 「うつになり、家から出ることもできなかった。車を運転するにもコーヒーを飲むにもお金が必要だ。最悪だった」と失業期間を振り返るMajlatさん。結局、地元ホテルのベルボーイとして働き始めたが間もなく解雇された。 Majlatさんは、再び9カ月間の失業期間を経て、販売員として仕事を再開し、その傍らでヨット会社で観光客の対応をする仕事にも就いている。後者の仕事について「魅力はないが簡単だ」と話すMajlatさんは、「仕事があればラッキーだ。どんな仕事でも」と前を向いた。 (原文執筆:Anders Melin記者、翻訳:野村宏之、編集:本田ももこ)
大学の存在意義は就職にあり? 地方大学の人文学部・芸術学部が続々と廃止 2013年6月27日(木) 趙 章恩 日本では少子化のために新入生が減って、地方大学は大変だ、という話を聞いたことがある。韓国も少子高齢化で同じような状況に陥っている。ソウルにある名門大学に入るための受験戦争はいまだにすごい。受験の日には国中が緊張する。遅刻しそうになった受験生を白バイが会場まで送ってあげたり、公務員の出勤時間を1時間遅らせて受験生が渋滞に巻き込まれないようにしたり、といったことが起きている。しかし、入学試験の成績が悪くても授業料さえ払えばすぐ入学できる地方大学も増えている。大学の数があまりにも多いため、定員割れが起きているからだ。 筆者は、ソウル市内の高校で教師をしている従姉から、大学のロゴ入り健康食品や靴下、ハンカチをよくもらう。地方大学の教授らが首都圏の高校を回り、3年生の担任らに頭を下げてお土産を置いて行くのだそうだ。「うちの大学も受験するよう、ご指導のほどよろしくお願いします」というわけである。以前は大学の教授がわざわざ高校まで来てくれたのだから、とちゃんと対応していた。だが、その数があまりにも多いので、最近は「あ、またか」と振り向きもしなくなったという。 入試説明会という名目で大学側が高校3年生の担任先生を観光地に招待し、接待することもある。学生がいないと教授も大学もいらなくなる。地方大学は新入生を勧誘するため必死になっている。 就職率の低い学科を廃止へ こうした中、定員割れが続く大学に対して、政府がリストラを促し始めた。 大学の講義や教授の研究活動のレベル、学生の就職率を評価して、点数が低い大学には補助金を給付しないことにしたのだ。韓国の大学は、私立であってもすべて、政府から一定の運営補助を受けている。政府からの補助金がなくなり、学生も減ると、大学は経営難で廃校するしかなくなる。 大学側は政府による評価をなんとか高めようと、就職率が低い人文学部――国文学科(韓国文学)や哲学科――ほか、絵画科といった人文学部と芸術学部を廃止し始めた。大学が示す理由はこうだ。就職率が低い学科があると、大学全体の平均就職率が低くなる。そうなると大学全体の評価が低くなる。評価が低いと政府の補助金がもらえなくなり、大学のイメージも悪くなる、そうなれば新入生が来てくれない。大学の財政がさらに悪化する。だから就職率が低い学科を廃止するのは仕方ない。 6月末には、ソウル市にある名門大学も次々に、就職率が低い学科の廃止を発表し始めた。フランス文学科、ドイツ文学科、哲学科、比較民俗学科、福祉学科、物理学科などを廃止し、その分の新入生枠を就職率の高い経営学科に回すという。朴槿恵大統領が旗を振るICT(情報通信技術)政策をチャンスと見て、コンピュータ工学部を廃止してソフトウェア工学部や情報セキュリティ工学部を新設し、就職率を上げようとする大学もある。 廃止が決まった学科の学生と教授らは、「就職率が低い学科は学問としての価値がないのか」「大学は就職するためのスキルを教えるところではない」「政府は大学を評価する軸に、就職率を選ぶべきではない」と反発している。学生らは、大学側が学生や教授の意見を一切聞かず一方的に廃止を決めたことも悲しんでいた。 廃止が決まった地方大学の絵画学科の学生らは「ピカソが就職したことあるのか」「芸術を就職率で判断するな」と、大学の外で廃止撤回を求める集会を始めた。6月中旬にはソウル大学をはじめとする全国の大学の芸術学部の学生が集まり、芸術学部の価値を就職率で評価することに反対する集会をソウルにある政府庁舎の前で行った。一部の私立大学では学科廃止に反対する学生らが大学を相手に訴訟を起こす準備をしている。 国文学科を廃止する地方大学が増えていることも議論になっている。自分の国の言葉と文学を学問として研究することは民族の歴史を知ることだ。韓国語と韓国の文学を韓国人が研究しなくなったら誰が研究するのだろうか。歴史学者らは、韓国が(高麗時代、朝鮮時代に)モンゴルに支配されたり、中国の属国扱いされたりしても、今こうして独立した国として残っているのは自分の言葉があったおかげだと分析する。国語を研究することはとても大事なことであるはずだ。 30〜50歳代の韓国人の間で、人文学を改めて学ぶことが流行っている。投資ノウハウ本や自己啓発本ばかりが売れている韓国で、哲学や古典の本が売れ始めた。「真なる人間性の回復」を求める動きが出始めているのだ。大きな会社に就職して、競争を勝ち抜くことにきゅうきゅうとする生活に疲れを感じ、癒しを求めて哲学や古典を勉強する。今すぐ使える要領ではなく、長い時間をかけて積み上がってきた知恵を学ぶことで、人間らしい生き方や精神的な幸せを見つけたいと願うようになった。しかし本来人文学を教え、教養を身につけるはずの大学では、就職のことしか考えていない。 財閥が大学を買う時代 大学が就職率の低い学科を次々に廃止しているというニュースに世論が騒ぎだすと、政府は評価指標の修正を検討すると発表した。現在の評価法では、就職率が20%、定員充員率(定員割れしていないこと)が30%と、とても高い割合を占めている。政府はこれらの割合を低くする意向だ。 ただし、それだけで状況が変わるとは思えない。大学側の問題もある。大学は本来、講義のレベルを高くして学生を集め、定員割れしないようにするべきではないだろうか。就職率の低い学科を廃止し、就職率の高い学科だけを残すことで定員充員率を上げようとしていることに問題がある。 さらに、大学と企業との関係も問題だ。財閥グループが私立大学を買い取り、理事になるようになってから、大学が職業訓練学校に転落したように見える。財閥グループに買い取られた私立大学は、翌年には必ず大規模な学科統廃合を行い、財閥企業が必要とする学科だけを残す。学生も教授もみんなが満足する学科統廃合を行った事例はごくわずかしかない。 名門私立大学は「契約学科」を設立している。大学と財閥グループが契約して設置するもので、財閥企業が必要とする人材を育成する特別な学科だ。半導体システム工学科、モバイルソフトウエア工学科、未来エネルギー学科など、職業訓練学校のような専攻科がたくさん登場した。 契約学科に入学した学生は授業料が全額免除されるうえに奨学金(生活費)までもらえる。さらに財閥グループ会社に全員就職できる。全国の高校の成績上位0.1%の秀才が集まるまでになった。1998年の通貨危機以降15年以上も就職難が続く中、その学科を卒業するだけで財閥企業に就職できるのは、学生にとって大きな魅力だ。 純粋に学問を学ぶためというより、就職するために大学に入る学生の方が多い――それは否定できない。就職のために、専攻科目の勉強よりTOEIC満点を目指す。企業が主催する公募で賞を取ることに時間を充てる。就職のためOB訪問をたくさんできそうなサークルにしか入らない――というのも事実だ。しかし、だからといって大学が、就職率の低い人文学部や芸術学科を廃止し、経営学部や財閥グループと契約した工学部だけを残していいのだろうか。 大学の競争力は就職率にあるという考えは、結局のところ、韓国の知的レベルを落とすだけではないだろうか。世界の大学ランキングで日本の東京大学や京都大学が必ず上位にランクインするが、韓国の大学はみかけない。世界の大学を評価する様々な指標の中で、就職率を評価する指標はどこにもない。どの評価機関も教育・学習の質、研究水準を主に評価する。 一体、大学の存在意義は何なのだろうか。大学側も、政府も、目の前の就職率ではなく、長い目で見た大学の存在意義を考えてほしいものだ。 このコラムについて 日本と韓国の交差点 韓国人ジャーナリスト、研究者の趙章恩氏が、日本と韓国の文化・習慣の違い、日本人と韓国人の考え方・モノの見方の違い、を紹介する。同氏は東京大学に留学中。博士課程で「ITがビジネスや社会にどのような影響を及ぼすか」を研究している。 趙氏は中学・高校時代を日本で過ごした後、韓国で大学を卒業。再び日本に留学して研究を続けている。2つの国の共通性と差異を熟知する。このコラムでは、2つの国に住む人々がより良い関係を築いていくためのヒントを提供する。 中国に留学する韓国人学生の数が、日本に留学する学生の数を超えた。韓国の厳しい教育競争が背景にあることを、あなたはご存知だろうか? http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20130626/250228/?ST=print マーカス・バッキンガム/HBRブログ Leadership 360度評価の落とし穴 2013年06月27日 マーカス・バッキンガム 強みに基づく技術やプログラムを開発する企業、TMBCの創業者。 このエントリーをはてなブックマークに追加マーカス・バッキンガム/HBRブログのフィード 印刷 360度評価の落とし穴BacknumberProfile 1 2 ≫ 「経営思想家トップ50」の第8位に選ばれたマーカス・バッキンガムは、個人の強みを磨くことでリーダーシップ能力を高める技法を開発している。彼は360度評価(同僚、上司、部下など周囲からのフィードバックをもとにした評価)に異を唱えるひとりだ。その問題点は、客観性の欠如にあるという。
?360度評価が有益であることは、認めたい。私の研究や他の多くの研究によれば、卓越したマネジャーやリーダーは、自分の長所と短所を把握しており、長所を活かすことで短所を補っている。そして、いまや至る所で行われている360度評価――現実を把握する最後の手段――は、自己認識を高めるための強力なツールになりうる。
マーカス・バッキンガム (Marcus Buckingham) 強みに基づく技術やプログラムを開発する企業、TMBCの創業者。 ?それでも私は、360度調査はごく一部の例外を除けば、ひいき目に見てもまったくの時間の無駄であり、最悪の場合、個人と組織の両方に大きな悪影響を与えると考えている。いますぐ全面的に廃止したほうが、組織にとっては好ましいだろう。
?私が問題だと考えるのは、リーダーに対するフィードバックの質ではない。それどころか私は、何人かの素晴らしいコーチが360度評価の結果を用いて、洞察に富み実際に役立つフィードバック・セッションを行うのを見てきた。ほとんどの360度評価は主に、リーダーが考えている自身の強みと、他者が考えているそのリーダーの強みとのギャップに焦点を当てているが、この点を問題視しているわけでもない。応用心理学の多くの研究によれば、自己評価が他者の評価に近い人々は、臨床的に鬱状態にある(卓越したリーダーは、常に自分に対するスコアが高めで、これは「寛大なゆがみ(benevolent distortion)」と呼ばれる)。さらに言えば、私はほとんどの360度評価が不合理な推論に基づいていることも気にしてはいない。つまり、模範的なリーダーたちを集めた特定の集団は、360度評価によって測定されるあらゆる能力を持っているため、その集団に属する個人も、すべてを備えた最高の人材とされてしまう。 ?いや、360度評価に対する私の不満は、もっと基本的で根本的なもの――データそのもの――にある。360度評価によって生じたデータは不適切なものだ。常にである。データが不適切なのだから、あなたが部下によかれと思ってコーチングを行ったとしても、フィードバックが洞察に富むものであっても、リーダーシップに関する基準が厳密であっても、結局はリーダーたちを道に迷わせてしまうだろう。 「不適切」とはどういう意味か。あなたが参加した前回の360度評価について考えてみよう。手元にあるなら、引き出しから取り出して眺めてみよう。あらゆる360度評価は、実質的には同じように行われる。一連の能力を測定するために、それらがいくつかの行動に分けて示され、社内のさまざまな人々――同僚、上司、直属の部下など――がこれらの行動に関してあなたを評価する。たとえばリーダーシップ能力である「ビジョン」を測定するため、評価者は行動を表した設問――「マーカスは私たちのチームに対して明確なビジョンを設定している」、「マーカスは、私たちのチームが全社的なビジョンをどれほど実現しているかを示してくれる」――に点数をつける。 「ビジョン」のような複雑な能力を具体的な行動に落とし込み評価することは、一見理に適っているように見える。しかし、少し掘り下げれば、そうすることで評価自体が損なわれることに気づくだろう。 ?なぜかと言えば、あなたが私を評価した場合、その評価があらわにするのは、私についてよりもあなた自身についてだからだ。あなたが、「チームに明確なビジョンを設定している」と私を評価するとしたら、そこからわかるのは、そのビジョンについて私のほうがあなたよりも理解している、ということだ。逆に、この点で私に対するあなたの評価が低ければ、あなたが――私との比較においてのみ――明確なビジョンを持っているとわかる。 ?これは、あなたが私の行動を評価するどの質問に対しても当てはまる。「マーカスはすばやく意思決定を行う」と評価すれは、それは私があなたよりも意思決定が速いことを意味する。「マーカスは優れた聞き手だ」と評価すれば、私があなたよりも優れた聞き手かどうかがわかる。こういった質問は、私の身長について評価するようなものだ。「私の背が高い(低い)」とあなたが考えるかどうかは、あなたの身長次第なのだ。 ?つまり、私の行動を評価する時、あなたは客観的ではない。統計用語で言えば、信頼性に欠ける。あなたは不適切なデータを提供していることになる。 「いや、かまうものか。君を評価する人間は私だけじゃないんだからね」とあなたは言うだろう。「私の評価に客観性が欠けているとしても、それは他の人たちの評価によって補える」と。 ?もっともらしく聞こえるが、やはり説得力はない。他の人たちも、評価に関しては同じように信頼性に欠けるのだから。誰もが不適切なデータを提供している。残念ながら、不適切なデータにさらに不適切なデータを加えても、集まるのはひどいデータばかり。優れたデータを得られるはずがない。 ?これを避けるただひとつの方法は、測定しようとする能力を完全に代表するサンプルを評価者集団として確保することだ。世論調査はこの方法をとり、年齢、人種、地域、性別、支持政党などで国民を代表する1000人程度のサンプルが注意深く抽出される。世論を測定する場合には、この方法は無作為に10倍の人数を調査するよりも信頼性が高いことが証明されている。 ?しかし、360度評価の評価者は、測定される能力を代表するように注意深く選出されたサンプルではない。無作為に選出されたわけでもない。たまたまあなたの同僚か部下であるだけの集団なのだ。統計学的にはこれは「ゆがんだサンプル」と呼ばれる。彼らの評価を積み上げたところで、あなたのリーダーシップ行動の正確で客観的な尺度にはならない。定量化された噂話を集めているだけだ。 ?幸い、この問題に対する解決策は単純だ。あなたが私の行動に対する信頼性の高い評価者ではないとしても、あなたは自分の気持ちや感情については、きわめて信頼性の高い評価者である。「マーカスは、チームのために明確なビジョンを設定している」と私を評価しても、その評価に信頼性はないが、「私は、自分のチームのビジョンが何であるかを知っている」といった設問に関して自分自身を評価する場合には、完全に信頼性がある。同じように、「マーカスは優れた聞き手だ」というあなたの評価が不適切である一方で、「私は自分の意見が相手に届いていると感じる」というあなた自身についての評価は、優れたデータである。これはどのような設問についても該当するため、あなたに自分自身についての評価を求めていることになる。 ?このように、信頼性の高い360度評価を行うためには、他者の行動を評価させるあらゆる設問を削除し、代わりに、評価者に自分自身や自分の気持ちについて評価するような設問を用いる必要がある。 ?これによって、360度評価は誰もが信頼できるツールに変わるだろう。しかし、それが実現するまでは時間つぶしにすぎない。 HBR.ORG原文:The Fatal Flaw with 360 Surveys October 17, 2011 http://www.dhbr.net/articles/-/1906
http://diamond.jp/articles/print/38005 【第5回】 2013年6月27日 高橋基樹 [神戸大学国際協力研究科教授],出町一恵 [神戸大学国際協力研究科研究員] 経済成長と貧困削減を結ぶビジョンづくりを スマートな大国としての開発援助を再考する ――高橋基樹・神戸大学国際協力研究科教授 出町一恵・同大学国際協力研究科研究員 『「開発の時代」は終わった』のか? 6月3日、第5回アフリカ開発会議(TICAD V)は、20年にわたる同会議の歴史上、最も大きな盛り上がりを見せて閉幕した。会議の数週間前から、多くのマスコミが特集を組み、関連の集会も多数開かれた。この盛り上がりは、「躍動のアフリカと手をたずさえて」という会議テーマに象徴されるように、最近のアフリカの高い経済成長に、震災後の回復・不況脱出の活路を探る民間企業の関心が寄せられたことが大きい。 各新聞紙上には、「最後の市場フロンティア」、「将来最大の人口と需要」などの言葉が目についた。アフリカが負のイメージだけで捉えられ、関わりといえばまずは政府やNGOの援助であったことを考えれば、長く進出をためらっていた民間企業がアフリカに乗り出すことは歓迎すべきだろう。 しかし、このアフリカ・ブームには危うさが伴っている。アフリカの「『開発の時代』は終わった」、アフリカは「もはや『貧困の大陸』ではない」(「日本経済新聞」2013年6月4日朝刊3面)と言ったような論説は、光の面にだけ目を向ける不見識なものと言わざるをえない。 また、TICAD V前に各マスコミは、こぞってアフリカとのビジネスではるかに先行する中国に対して、官民一体の取り組みで巻き返し、追いつくことを唱えた。近年中国の進出が目立つことは確かであるが、アフリカに関わっている国々は中国だけではない。むしろ、多くの商権や利権は欧米や南アフリカ系企業のものであり、援助額も欧米諸国と国際機関が多くを占める。 欧米ではなく、なぜ中国との競争だけが問題になるのか。また中国に追いつくことが、日本にとって、そして肝心のアフリカ諸国にとって、いったいどのような利益とコストをもたらすのか。詳しく説明したマスコミは見当たらない。 本連載のテーマのように、アフリカには光と影が併存している。アフリカと「手をたずさえ」るのであれば、影の部分を正面から見据え、アフリカの人々とともにその解決に取り組むべきだろう。 以下では、なぜ成長のかたわらに貧困が放置されているのか考えてみよう。そして、長く貧しい国々への開発援助に取り組んできた日本が、その経験を踏まえて果たすべき役割とは何なのか、論じることにしよう。 アフリカ経済の光と影 改めて確認しておこう。国連ミレニアム開発目標(MDGs)の指標のひとつ、1日1.25ドル未満の所得の人々の比率は、アフリカでは未だ半数近くの48.5%と世界で最も高い(2010年)。MDGsの基準年からみれば比率としては改善しているが、21世紀になって以降も、アフリカの貧困人口は絶対的には増え続けている。 教育も量的には拡大しているが、その質には退学率の高さなど多くの問題が指摘されており初等教育の修了率は70%にとどまっている。また、成人識字率も未だ約63%と世界最低の水準にある。 急速な人口増加に見合う雇用は創出されておらず、失業の広がりと貧富の格差の拡大は、暴力と犯罪の温床になっている。保健医療の状況の深刻さの一端は、この連載ですでに詳しく述べられている。アフリカは高度成長というチャンスを貧困削減のために生かしきれていないのである。 こうしたアフリカ経済の問題はいったいどこにあるのだろうか。世界銀行の統計に従って、特にサハラ以南のアフリカの高度成長再開の契機とされることの多い2003年(イラク戦争)以降の、マクロ的な数字を拾ってみたのが以下のグラフである。 農業には、多数の人々がその暮らしを頼っている。また、今後、人々の経済的貧困を削減する可能性を秘めるのが、製造業である。製造業は、農業と違って産品はほぼ無限に多様であり、競争力さえあれば、外国の大きな市場を獲得することができる。製造業には広い産業連関が期待でき、付加価値の拡大・技術の向上、雇用の増加の効果も大きい。農業と並んで製造業が貧困削減に果たし得る大きな役割は、過去の先進国やアジアの経験で実証されている。 グラフからまず分かるのは、国民総所得の成長率に比べて、農業と製造業の成長率が低いことである。農業の成長率が低いのは普通のことで、むしろグラフに表れている4%近い数値は比較的高い。資源ブームと軌を一にした一次産品のブームと、すぐ後で述べる消費ブームが、商業化された一部の農家に有利に働いている。深刻なのは、農業よりも製造業の数値が低いことで、これは順調に成長する発展途上国ではあまり見られない現象である。
アフリカの高度成長は、鉱業等や、(グラフには示していないが)サービス業によって牽引されている。言うまでもなく、鉱業の拡大は世界の資源ブームに呼応している。鉱業は一般的に言って飛び地的で、技術の波及や雇用の創出にあまり寄与せず、貧困削減に及ぼす直接の効果は小さい。むしろ鉱業への依存は、アフリカの多くの国の経済政策や政治を歪め、農業や製造業の発展を阻んできた。「資源の呪い」である。 グラフに示すように、需要(総固定資本形成〈投資〉及び消費)は、総国民所得を上回る急激な伸びを見せている。消費の伸びは、拡大する教育制度を通じて生み出された富裕層と都市中間層が経済成長の成果を費消しているところが大きい。 日本の消費財企業が重い腰を上げ、アフリカに注目し始めたのも、この点に注意をひかれたからだろう。だが、この需要の伸びにアフリカの製造業は全体として反応できていない。また投資はかなりの部分が外国投資によるもので、その多くは鉱業等に向かっている。国内製造業の代わりに、拡大する需要を埋め合わせているのは、やはり急速な伸びを見せる輸入である。 特に消費財の輸入拡大の主役は中国製品である。輸入品に地歩を奪われるかたちで、アフリカの製造業は、年々経済全体における構成比を落としてきた。アフリカにおける「脱工業化」は以前から指摘されてきたが、高度成長期になっていっそう際立つようになってきた。輸入品に対抗しつつ、貧困な人々の需要に応えられている国内産業は、多くの場合、公式統計では捕捉されにくいインフォーマルな小規模事業者に限られている。 外部のブームによって生じた鉱業や一部の商業農業の成長が、投資と消費の拡大を生んでいるが、それは、国内の広範囲の農民や製造業者の生産と雇用の拡大を生むことなく、富は再び輸入代金として流出し、貧困は放置される、そうした構図が浮かび上がってくる。 過去の経済停滞の原因 実はアフリカ諸国で、資源ブームにより成長と貧困削減のチャンスが生まれたものの、それを生かせなかったのは今回が初めてではない。 1970年代までの期間にも鉱物資源価格が高騰し、多くのアフリカの資源国が外貨収入を増やした。とりわけナイジェリアなどの産油国は、石油ショックにより莫大な原油収入を手にした。資源収入は政府部門の拡大を生み、また食料や燃料に対する補助金となって、消費拡大につながった。消費拡大は、貿易保護政策もあって一定の国内生産の成長をもたらした。 1970年代までに鉱物資源ブームはいったん収束し、石油価格の高騰も1980年代に入って反転した。その後世界の資源需要は長く低迷し、アフリカの経済は世界の底辺に沈み続けたのである。 ところが、資源収入に支えられて一度拡大したアフリカ諸国の消費はすぐには縮小されなかった。若いアフリカの政府には、自ら進んで緊縮政策を実施に移す、強い政治的基盤がなかったからである。そのために、多くのアフリカ諸国が国外から資金を借り入れて消費的支出を継続させ、結果として多額の債務を抱えることになった。1980年代に始められた世界銀行等による構造調整プログラムは、消費的支出の切りつめを求め、債務問題の解決を目指したものだと言ってよい。 ただ、構造調整政策は、単なる緊縮政策とは違った。その特徴は貿易自由化と市場競争原理の導入により、国内生産を拡大させ、それによって経済成長とともに経済の均衡を実現しようとするところにあった。その目論みどおりであれば、需要が国内生産によって満たされることになる。 しかし、結末は違った。結局アフリカ諸国は、緊縮政策に自由化や民営化の負の影響が重なり、国内の農業や製造業を発展させることができなかった。 アフリカの「脱工業化」の懸念がささやかれ始めたのはこの頃である。構造調整政策は経済の均衡を回復させることはなく、アフリカ諸国は膨張する債務に、21世紀に至るまで苦しむことになった。現在のアフリカの成長面での浮上には、特に西欧諸国の主導で、債務返済の重しが取り除かれたことも寄与している。 「脱工業化」の逆転に向けて 1990年代、援助の理念は大きく転換し、MDGsに見られるように、援助側の関心は、個々人の貧困の削減に特化していった。それは市場経済化や政府のスリム化が世界で不可逆的に進むなか、能力の乏しいアフリカの政府の身の丈に合わせて、教育や保健など最低限の分野を選択してリソースを集中させることでもあった。そして、それは構造調整に始まる試行錯誤を経て、産業振興への関心が放棄されたことをも意味していた。 保護貿易を通じた育成がますます難しくなる状況下で、アフリカの多数の国は実質的に産業振興政策を持たない状況に陥ったのである。先進国のなかで最も巨額の債権放棄を迫られた日本は、唯一「経済成長を通じた貧困削減」を唱え、そうした方向性に違和感を示した。 アフリカが今、最も必要としているものは、まさに経済成長を貧困削減につなげることである。だが、上のように唱えた日本も、過去5回もTICADを開きながら、その回路を築き上げるためのビジョンを提示できたわけではない。 あるべき政策の目標は、アフリカ諸国内の農業・製造業の発展を図り、「脱工業化」の流れを逆転させることである。そのために何をしたらよいのだろうか。 資源・一次産品ブームによってもたらされている需要の拡大にアフリカの国内産業が応えられていないのは、広範な小規模農家の生産基盤がぜい弱なこと、国内の経済活動をつなぐ道路など運輸インフラが未整備なこと、そしてそのために都市生活者の暮らしも困難で不安定なこと、産業を担う人材が乏しいことなどの基本的な課題が、独立以来のさまざまな努力にもかかわらず、克服されていないことに原因がある。さらにインフォーマルな小規模企業の活力が注目され、その育成が長年叫ばれながら、効果的な対応はとられてこなかった。その背後には、これらの課題に役割を果たすべき政府の能力が依然として弱いことがある。 今後、アフリカが自立的で持続的な経済発展を遂げていくためには、政府が援助に頼らず、国内に潤沢で安定した税源を確保し、上記の課題克服のために効果的に支出配分していく行財政能力を身に付けることが欠かせない。資源や一次産品の収入が増加している今をおいて、その努力を加速させる好機はない。 1990年代から貧困削減の理念の下に続けられてきた、教育・保健の向上の努力は、質の高い人材として経済活動へ参加する機会を、大多数の人々にもたらすために、倦むことなく続けられなければならない。人々を貧困から解放することは、外部のブームに左右されない堅実な消費需要を作り出すことと同じである。経済成長が貧困削減をもたらすだけではなく、貧困削減があってこそ、経済成長も将来にわたって持続させることができる。 成熟したスマートな大国として 日本は何をなすべきか TICAD Vでは、今後のアフリカ支援に向けて、官民連携と、貿易−投資−援助の三位一体のアプローチをとることが提唱された。援助によってインフラや人材が整い、日本の企業の直接投資が促され、それに伴って貿易も飛躍的に増加したという、東南アジアでの成功体験が念頭にある。だが、過去の東南アジアと現在のアフリカの状況には大きな違いがあり、官民の連携、また「三位一体」の内容も変わって来ざるを得ない。 1980年代からしばらく、日本は東南アジア諸国にとって貿易、投資、援助のいずれをとっても圧倒的に影響力の大きなパートナーであった。だが、現在のアフリカにおいて日本はせいぜい重要なパートナーの一員であるに過ぎない。肝心なことは、欧米や中国など新興諸国とアフリカの関係をよく見極め、日本ならではの位置取りと役割を見出していくことだろう。 そのなかで日本とアフリカの利益になるのであれば、中国など第三国との連携もためらうべきではない。むしろ就任当初の安倍晋三首相自身の指摘のように、争点以外に協力交流できる分野を増やすことが、お互いのためである。いたずらに中国との競争をあおるのは、アフリカには関係のない東アジアの外交関係を持ち込む、視野の狭い発想だと言わなければならない。 また、中国の先行に焦って、援助の本筋を踏み外すのは論外であろう。民間企業の活動においては、政府の関与は原則として投資の保証、情報の積極的提供や研究開発の側面支援などにとどめるべきである。大震災後、予算逼迫のなか日本の企業の利益になることを説明しなければ援助案件が採択されにくくなった、と聞く。こうした官民もたれ合いの構図をアフリカでも続けるのであれば、輸入品の洪水によって熾烈さを増しつつあるアフリカの競争的環境のなかでは勝ち抜くことは到底できない。 たしかに、経済連携協定の締結や、資源開発等の政治性・戦略性の高い分野での関係強化は大国間の思惑も絡み、日本政府の関与が必要であろう。また、とりわけアフリカへの民間企業進出の妨げになっている制度やインフラの未整備にも、日本政府や国際協力機構の支援が欠かせない。アフリカの政府の開発政策上の致命的な問題のひとつは、国民や企業のニーズに応えて、持続的にインフラを拡充維持し、人材を養成していく仕組みを整備できていないことにある。途上国との共益的な産業発展の経験の乏しい欧米諸国、物的なインフラ建設にのみ注力し、援助の経験が狭い中国には、扱えない分野がここに広がっている。日本ならではの支援の可能性は案外豊かにある。 他方で、アフリカ諸国の政府の消費的支出と債務の再度の膨張に苦言を呈することも、巨額の債務救済に応じた先輩格の援助国としての役割だろう。 援助の使命は、相手国の開発・貧困削減に資することである。日本が尽力して、アフリカ諸国のインフラや制度が整備されていくのであれば、それは日本やアフリカの人々だけではなく、欧米や中国の企業のためにもなる。欧米諸国や中国が同じことをすれば、日本企業の利益にもなる。そうした相互依存のなかで、援助を通じて果たされるべきは、短期的、即物的な国益の獲得ではない。どれだけ、アフリカ諸国の自立的な発展と貧困削減に率先して貢献できたかという、より高度な目標の達成であろう。問われるのは、経験に裏打ちされた日本の知恵とリーダーシップを発揮できるかどうか、そしてそれらに基づき経済成長・貧困削減をつなぐビジョンを打ち出せるかどうかである。 これらは、長引く不況と大震災後の喪失感から抜け出せず、近視眼的な考えに陥りがちな日本にとって、言うは易く、行うは難いことに違いない。しかし、大震災時、日本の過去の援助への感謝をこめて36ものアフリカの国から救援が寄せられ、また被災者の品位ある態度と助け合いが世界中から称賛を集めたことを想起したい。 成熟したスマートな大国として、日本が国際社会における地位を確保するためにも、目の前の利益のその先を見つめることの大切さを自覚すべきであろう。そうした発想をいちばん求められている分野が、依然として世界で最も深刻な貧困をかかえるアフリカへの支援なのである。 たかはし・もとき 1959年生まれ。神戸大学国際協力研究科教授。東京大学経済学部卒業、ジョンズ・ホプキンス大学大学院修了。国際開発学会副会長(2008〜11年)。著書に『開発と国家ーーアフリカ政治経済論序説』(勁草書房)、『経済開発論ー―研究と実践のフロンティア』(共編著、勁草書房)ほか。 でまち・かずえ 1979年生まれ。神戸大学国際協力研究科研究員。同研究科修了。博士(経済学)。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130618/249822/?ST=print 規制緩和が変えてしまった日本型資本主義
規制緩和の英国はどうなった?日本は? 2013年6月27日(木) 吉田 耕作 4月19日の朝日新聞で「諮問会議,過度な規制緩和にNO」という記事が報道された。これは、行き過ぎた規制緩和を批判しているベンチャーキャピタルのデフタ・パートナーズグループの原丈人会長の意見を聞き、原氏の助言で「日本型資本主義」を考える専門調査会を政府の経済財政諮問会議につくることにしたと伝えている。 第二次世界大戦後の日本は景気の波はあったにしろ、長期にわたって経済成長を遂げてきた。ボーゲル教授の「Japan as Number One」という本が示すように、1970年後半から80年代には、日本の経済運営が世界のお手本として見なされ、一部には日本はもうアメリカから学ぶものはないと豪語するグループもあったといわれる。しかし89年から91年に掛けて、バブルがはじけると、途端に自信を失った日本人は、新しい米国流の考え方を次から次へと取り入れていった。米国流考え方とは、つまり規制緩和や成果主義やリストラらの競争概念に基づいたものであった。 そもそもバブルがはじけたのは? そもそも、バブルがはじけたのも、欧米の支配的な銀行が、日本に対して攻撃を仕掛けた結果だという人たちも少なからずいる。その説によるとこうだ。80年代に世界の銀行を総資産額でランク付けしたフォーチュン誌のランクによると、上位10行は全部日本の銀行であった。日本の銀行は高度経済成長を背景として、レベレッヂを効かせ、高い預貸率を維持し、急激に成長していた。それに歯止めをかけるべく、欧米の金融機関がBIS規制を強化し、預貸率の上限を制限してきた。日本の銀行は預貸率を急激に引き下げざるを得ず、強引な貸しはがしに走った。その結果、資金が市場に行きわたらず、貸し渋り現象が起き、そしてバブルがはじけた、と。 競争状態を創出さえすれば、経済が活性化されるとして、規制緩和の導入に当たって大きな役割をした人たちがいた。米国のコンサルタントたちはもちろんのこと、留学生や研究員として米国に比較的短い期間滞在し、米国の社会の良い面、素晴らしい面だけを見て、米国の社会経済制度すべてに妄信的と言われるほどの信頼感とあこがれを持って帰国し、その教義を広めようとした人たちであった。 規制緩和 30年代のケインズ流の考え方によって、米国および英国は政府が景気の調整に主導的な役割を演じてきたため、大きな政府が形成されてきた。しかし、政府が大きくなるに連れて非効率な政府になっていった。そこで、有効需要を増加させるために、財政支出や社会福祉面での支出が増え、財政赤字が累積していった。これに対して、民間にできる事は民間にまかせる「小さい政府」を唱えたのはフリードマン一派であった。 この考え方では、民間が民間の発意で自由に行動ができるように規制緩和をしていくのが政府の仕事であり、企業が自由競争の原理に基づいて行動する事ができれば、政府はできるだけ小さくする事ができるとした。この考え方に基づいて、減税や大規模な規制緩和等の政策をとったのは、70年代から60年代にかけての米国のリーガン政権であり、イギリスのサッチャー政権であった。この規制緩和の波は世界的な潮流となり、国際化の波とともに、日本に押し寄せてきた。 日本の中曽根政権をはじめとして、ほとんどの自民党政権の指導者たちはこの政策を踏襲した。なかでも、小泉政権は規制緩和を強力に推し進めた。 アメリカでは、金融、航空、電話、電力、陸送等の分野の自由化が行われた。例えば、市中銀行とそれまで住宅専門の貸付機関として、銀行とは異なる利率が守られていた貯蓄貸付組合(Savings and Loan Association)との間の壁が取り払われ、多くのS&LAが破綻した。また、証券会社が当座預金を扱うことも許され、金融業界の中の競争が熾烈になっていった。 電話ではAT&T(American Telephone and Telegraph Co.)は分割を迫られ、ごく一部の業務や遠距離通話をのこして、数多くの地域的なBaby Bellという地域ごとの電話会社に分割された。その後、当時、世界最大の会社と言われ、しかもノーベル賞受賞者を7人も擁し、長期にわたって技術革新に貢献してきたベル研究所を持つAT&Tは破綻した。 そして多くの有能なエンジニアが失業した。 一体何のための分割だったのか 一体何のための分割だったのだろうか。エアラインの会社でも、目まぐるしく、会社がつぶれたり、合併したりして、業界地図が著しく変わったが、結局、誰が何を得たのだろうか。 前回の当欄(違和感あり!日本の「国民幸福度」は正しいのか?)でも述べたように、英国ではサッチャー政権の時、規制緩和を推し進め、世界中の金融機関を集め、City という金融の一大集積地を形成し、競争を奨励した。 その結果、イギリスの半分以上の企業が外資系の企業となり、2008年の世界同時金融危機の時、大きなダメージを受けた。多くの裕福な人たちは国外に脱出し、今では1400万人が貧困にあえいでいるといわれる。 それでは日本はどうなったのか、データを使って事実を見て見よう。 では日本はどうなったのか 規制緩和と言えば、一番読者の記憶に残っているのは、小泉内閣のそれであろう。小泉内閣は2001年4月26日に第一次小泉内閣が成立してから、第3次小泉内閣が2006年9月26日に終焉するまで、足かけ7年に亘る長期政権であった。小泉内閣の功罪はかなりの議論があるが、ここでは、統計的データに基づいて、日本のマクロ経済にどういう影響があったかを考えて見る。 図1 1世帯当たり平均所得金額の年次推移(1970年‐2010年) (資料)1970-1985: 厚生労働省 「厚生の指標」第46巻第16号、1999年、特別編集号 1986-2010: 平成23年国民生活基礎調査 厚生労働省大臣官房統計情報部編 図1は1世帯当たりの年平均の所得の推移のデータを示している。 まず気づくのは、1世帯当たりの年平均所得が第二次大戦後順調に増え続け1994年、1995年ごろから成長が止まり、1996年頃から一貫して減り続けている事である。これは明らかに、何か日本経済の基本が変化してきていることを示している。考えられる最大の要因は規制緩和である。筆者は規制緩和に反対しているのではない。 しかし、規制緩和イコール競争状態の促進という考え方に反対しているのである。規制緩和は協調の促進であってもいいはずである。しかも日本の平均所得が減ってきた年代は、世界の経済の状況と期を一にしていたわけではない。この間に日本の非正規社員の比率は35%前後に高止まりしており、世界の各国の経済パフォーマンスの国際ランキングにおいても、日本は低下傾向を示してきた。 確かに規制緩和によって、電話代や航空運賃は値下がりし、恩恵を享受する消費者は増えた。また、ITを中心とし多くの新興企業が経済のけん引役ともなっている。しかし、過度の競争にさらされた結果、企業の研究費が減りや設備投資が滞り、従業員の職が不安定になり、そして、国民全体の所得が下がっていったのならば、規制緩和は本末転倒の結果を生んだと言わざるを得ない。日本は今、これらの諸政策を再検討するべき時期にきているのではないだろうか。 日本型資本主義 以上みてきたように、規制緩和が民間の競争を奨励し、経済を活性化させるという仮説は大幅な修正を迫られるのは避けられない。 そこで、新しい日本型資本主義の模索が色々な人々によってなされてきたが、その1つをここで紹介したい。 これは(財)企業活力研究所主催(委託先(株)野村総合研究所)で行われた「ポスト株主資本主義研究会」の「ポスト株主資本主義時代の日本的経営〜長期エンゲージメントと多元的ガバナンスの再生〜に関する調査研究」というレポートに基づいて、その要点を要約したものである。 この研究会の共同議長は加護野忠男神戸大学教授及び中谷巌(三菱UFJリサーチ&コンサルテイング(株)理事長である。筆者もこの研究会の一委員であったので、筆者が長年主張してきたことがここに反映されている。 バブルがはじけた89年―90年前後から、米国型グローバル経営や市場原理主義が日本に導入され、経済の様々な局面で競争状態が激しさを増し、企業間においても、労働者間においても格差が拡大していった。それは、日本の社会から「安全・安心」が失われる一つの原因になっていった。 経営者たちはグローバル競争を勝ち抜くために、成果主義による人件費コストカットや変動費化、非正規労働力への依存強化を図った。これにより、ものづくりの現場では、社員が当事者意識や会社へのコミットメントを喪失し、歴史的に日本企業の強みとされてきた「現場力」を低下させていった。 ここで、我々は日本の社会や文化に適合した、新しい経営モデルを作り上げていこうとしている。それは、企業は株主の利益を最大にするためにあるという、株主資本主義から脱却して、企業は、株主ばかりではなく、従業員、仕入れ先、取引先、銀行、政府等のすべての利害関係者の利益を調整する存在であるという認識に基づいている。それを「長期エンゲージメントと多元的ガバナンスの再生」と呼ぶ。 日本企業の競争力上の利点 我々が認識しなければならないのは、日本的な制度と慣行を支えていた4つの価値観である。 和・協調 日本は、聖徳太子の17条の憲法に基づき、「和をもって尊しとなす」と定められて以来、協調を尊ぶ精神が連綿と受け継がれてきた。 聖徳太子には諸説があり、真偽は定かではないが、少なくとも、資源の乏しい小さい島国で、農耕に依存した社会を維持するためには、農民たちがお互いに協調しなければ生き延びれなかったという環境が助け合いを助長したであろう。 近年、東日本大震災の時、日本人が困難に直面した時、皆協力して、事にあたり、世界中から称賛を浴びた事は我々の記憶に新しい。企業はこういう利点を最大限に利用すべきなのに、現在、競争状態が過激化し、非正規社員の大量解雇が常態化する中で、長く日本の職場の伝統であった従業員の「和・協調」が希薄化しているのは誠に残念である。 全体観 日本人は、分析的アプローチよりも、全体観的アプローチを重視する。チーム全体の生産性は個々のメンバーの生産性の総合計よりも高い。全体観的アプローチは、シナジーとか相乗効果ともいわれる。日本のQCサークル等の小集団活動は、正にこれを実現したものである。しかるに、成果主義が導入され、各人が競争関係になり、QCサークル活動等の小集団活動は衰退していった。 また、四半期決算が奨励され、企業の視点が短期化され、長期的思考が軽視され、研究開発費や人材開発費より毎期の配当が重視されるようになった。 長期的思考は、単に短期的思考の積み重ねではなく、それ以上のものであると考えるのは、全体観的アプローチの時間の次元における応用である。 そして3つ目 4つ目 平等 2004年の労働者派遣法改正による製造業派遣解禁以降、人件費の変動費化が急速に進んだ。憲法第14条第1項は「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とある。 しかし、現在ある正規社員、非正規社員の格差を見れば、我が国の所得配分における平等は、近年急速に失われつつある。 究極点指向、完美主義、愚直さを尊ぶ価値観 日本の多くの企業等における組織体では、人種、経済力、価値観等において、構成員の同質性が比較的高いと言われ、この同質性により、組織の構成員の間で、何が最も望ましいかとか、美しいかとか等の、究極点や、抽象的な感覚を共有することができる。 そして、その円周に発生する良し悪しの微妙な差異も同心円状に認識することが可能である。人間国宝とか匠の精神とか日本の文化的伝統が究極点指向であったがために、日本の製品の品質が極限まで向上したという歴史がある。 組み合わせ型(モジュール型)の技術が合格点指向であるのに対し、日本が得意とする擦り合わせ型(インテグラル型)の技術が究極点指向であるのは、このような文化的背景によるのではないか。 競争力強化のための提言 以上で我々は日本企業の競争上の利点をみてきたが、これから日本の競争力強化に向けて、政府がとるべく政策をいくつか提言したい。 日本独自の社会経済システムの構築 構造改革路線がもたらした問題の解決のためには、政府による社会経済システムの再構築が必要である。これまで見てきたように、日本企業の「全体観」や「平等」、そして「和・協調」と「究極点指向、完美主義、愚直さを尊ぶ価値観」が損なわれたのは、構造改革というスローガンのもとで行われた規制緩和や法制度整備の影響が大きい。 こうした規制緩和や法制度整備は、市場競争原理を過信した「小さな政府」志向の構造改革路線により推進されたものである。この構造改革には、偏った既得権益を解放して、経済に活力を生む等の功績があったが、問題は、そこから生まれる社会的弱者へのセーフテイネット機会提供が不十分であった。 市場原理主義を実践した多くの国々は2008年世界同時金融危機を体験し、日本では失われた10年が20年になり、日本全体の競争力を著しく減退させ、日本経済の活気を喪失させた。 長期エンゲージメントと多元的ガバナンスを核とした組織の構築 日本の資本市場において、過度の経営者資本主義や株主資本主義の悪弊を排し、健全な経営を行う強靭な企業を作り出すためには、フランスにおける株式の長期保有者の議決権優遇や、ドイツの労使による共同経営意志決定の制度化が目的としていることを、日本で可能にする制度の整備が必要である。 その基本的な思想は、ステークホルダーの長期エンゲージメントと多元的ガバナンスである。 そのためには従業員持ち株制度(ESOP)の導入、取引相手の株式持ち合い等、株式所有構造の変革が必要である。 投資家保護とは、すなわち、健全な経営を行う強靭な企業を作り出す事にある。投資家保護の名のもとに、長期構想を持った企業経営に大きな足かせになる四半期決算や、過剰なコストを必要とするJ‐SOXの内部統制システムが要求されるならば、社会的国民経済的な損失が拡大することとなる。 四半期決算の見直しとJ‐SOXの見直しが必要である。 人材育成 従業員の長期的なエンゲージメントを確保する事は、これからの日本企業の最重要課題ともいえよう。 先進14か国の調査で日本の会社の従業員の会社に対する忠誠心も勤労意欲も最低というデータがある。経営者ができるだけ長期の雇用を維持することで、初めて従業員からの会社に対する忠誠心や当事者意識をその対価として得る事が可能になるのである。 働き方が多様化する中で、自ら非正規社員という働き方を選ぶ人もいる。問題は非正規社員と正規社員の間で、報酬水準、企業内教育の程度、福利厚生制度が全く異なり、経済的恩恵や成長機会に不平等感があることがある。 報酬の格差を縮小することに努め、少なくとも社会保障や教育、福利厚生においては、同一の労働条件を適用できる労働基準の整備や、失業保険同様企業拠出も行う「雇用継続保険」、「雇用継続補助金」の整備等を考えていくべきである。 上場企業の約5割が事実上無借金という状況の昨今、就業人口の約35%が非正規社員であるという事は、日本の将来にとって非常に大きな問題を提起している。非正規社員は正規社員に比べ、30%程度の収入を得ている場合が多く、結婚率が正規社員よりかなり低い。従って、人口が増えにくくなっている。 つまり将来の日本の有効需要は減少の一途をたどり、企業や経営者たちの将来をも危うくしているこよに気づく必要がある。 また、成果主義の導入は、個人間の競争を奨励し、協調して問題を解決するというチームワークの形成を阻害している。その結果、企業にとって最も大事な長期の視点での全体最適という、日本企業の伝統的強さの根源が消失していく。 技術開発 資源の乏しい日本は先進的な技術を開発することによって、競争優位を維持していかなければならない。日本の過去を振り返ってみると、戦略上の失敗が明確になってくる。 日本は70年代、80年代、通産省の産業政策により、選ばれた特定の産業に関して、その業界の主導的な数社を集めて、技術を開発し、競争力を強化していった。80年代の半ば、日米構造協議により、米国は日本の半導体業界と通産省の協調による半導体コンソーシアムを、攻撃の対象とした。 それと同時期に米国では国防総省が、米国の半導体の主要なメーカーを集めセマテックという半導体のコンソーシアムを形成し、民間と政府が協調し新しい半導体を開発し、日本を抜き去り、それ以来現在までも米国は日本に対しリードを維持している。 私は、この事実を20年間繰り返し述べている。 競争相手としての米国のしたたかさのシンボル的出来事として、日本の指導者たちに常に頭に入れておいてもらいたいからである。 これからの技術開発は、長期間にわたり、巨額の金額を必要とする場合が多くなり、自前主義を排し、多数の企業間でネットワークを形成する必要が増えてくるであろう。したがって政府は企業の長期投資と企業間協働を可能とする法制度を整備するべきである。 統計学者吉田耕作教授の統計学的思考術 「統計学」と聞くと、難しい数式とグラフを思い浮かべ、抵抗感を持っている人が多いでしょう。とくに文科系の人であればその思いは強いはず。でも、一度、統計学の視点で世の中を見渡してみると、物事は大きく違って見えてきます。数学が苦手だった人でも吉田教授の“講義”なら大丈夫。難しいことはありません。経営とビジネス、そして人生に役立つ統計学です。
JBpress>海外>欧州 [欧州] 派遣介護人を食い物にする人材紹介エージェントの弱肉強食ビジネス 要介護者の7割が在宅介護のドイツで深刻な問題に 2013年06月27日(Thu) シュピッツナーゲル 典子 アリシアさんは、要介護者宅で介護人として働いている。故郷ポーランドを離れて住み込み生活をするのはつらい決断だったが、月収1000ユーロ(約13万円)という報酬に魅せられてドイツにやって来た。 ところが、要介護者の家族はアリシアさんを紹介したワルシャワのエージェントに月額2500ユーロ(約32万5000円)を支払っているという。 6月上旬、ドイツ第1テレビの報道番組で介護人の報酬搾取を繰り返すエージェントの弱肉強食ビジネスが暴かれた。 高収入を夢見て在宅ケアを始めたものの・・・ 人材紹介エージェント(以下エージェント)を介して、東欧(特にポーランド、ハンガリー、チェコなど)から派遣された介護人の証言は以下の通りだ。 アリシアさんはワルシャワにあるエージェントの紹介でドイツ人要介護者の在宅ケアを始めた。月収は手取り1000ユーロ。彼女にとって自国では得ることのできない高額だ。 要介護者は自宅での生活を望んでいる ©Uta Herbert/pixelio.de だが、24時間体制での介護を1人で対応するのは、予想を超えた重圧となり、疲労困憊の毎日を過ごしている。エージェントと交わした労働契約書に勤務時間が明記されていなかったことも気になっていた。 ところが、要介護者の家族は月額2500ユーロをエージェントに支払っているという。介護をする当事者よりもエージェントの取り分(1500ユーロ・約19万5000円)が多いことが分かると、アリシアさんの怒りは爆発した。 同じくポーランド出身のアギエシカさんは、重度要介護者の在宅ケアに24時間体制で従事。月収は800ユーロ(約10万円)。住み込みで800ユーロの収入なら、仕事のない自国にいるよりもましと思い、昨年訪独した。 介護をしていくにつれ、精神的にも肉体的にも限界を感じ疲弊したアギエシカさんは、仕事を中断して帰国したいと母国のエージェントへ申し出たところ、拒否された。 後日、ポーランドにいるアギエシカさんの夫が警察へ届け出ると直訴すると、エージェントはアギエシカさんの帰国を認めたそうだ。 東欧出身のグラジナさんは、報道番組の取材に対し多くを語らなかったものの、前出2人と同様の環境で介護に従事しているようだ。グラジナさんが一番心配なのは、母国のエージェントが医療や年金など社会保障費を間違いなく毎月支払っていてくれるのかどうかという点だ。 「労働契約詳細は口外厳禁」とエージェントに釘を刺されており、ドイツで専門家に相談することもできないまま日々介護に明け暮れている。 ドイツの介護実態 これら東欧からの派遣介護人の証言はほんの一例だ。正確な数字は把握されていないものの、国内で在宅介護に従事する東欧出身者は15万人と推定される。 人件費の安い東欧からのいわゆる出稼ぎ労働者は、要介護人を抱えるドイツ人家族にとってなくてはならない存在で、かっては不法に訪独し在宅介護人として過ごした人も多くいた。 在宅介護は家族にとって大きな課題(介護コースにて) ©Gerda Mahmens/pixelio.de そして2009年4月より介護や看護分野でも労働派遣法が定められると、ドイツに職を求めてやって来る東欧出身者が急増した。 ドイツ連邦保健省によれば、要介護者は約250万人に上り、2030年には322万人、2050年には423万人に達すると試算されている(2013年5月現在)。 また、連邦統計局によると、要介護者の70%(176万人)が在宅介護。そのうち、118万人の要介護者は家族による支援で過ごしている。在宅介護は、2009年比で2万6000人(3.6%)の増加。なかでも、要介護者の世話を1人でする人は2009年比で10.9%(11万6000人)も上昇した(2011年度統計値)。 ドイツの介護保険は、病気や事故、老齢補償など広範囲にわたる社会保障の1つで、1995年に導入された。なかでも高齢者介護は、まず家庭ですべての介護を行うことを原則とし、要介護者が慣れ親しんだ環境での介護を推奨している。 とはいっても、介護のために支援する家族の背景は様々。仕事を辞めて介護に専念することはできない、要介護者を世話する家族が近くにいないなどの理由で在宅介護ができないケースも多々ある。 さらに、「高額な介護施設への入所は経済的に無理」「施設に入りたくても空きベットが出るまで待たねばならない」「少ない介護保険給付金」などが介護を深刻化させている。 これらの理由から、要介護者を抱える家族は格安な海外の介護施設を利用したり、東欧など賃金の安い国からエージェントを通して介護人を求め急場をしのいでいる。 人材紹介エージェントは報酬の5割以上をピンハネしている? 2009年から介護や看護分野の労働派遣法が制定されたとはいえ、個人が国外から人材を確保することは社会保障の支払いなどの問題もあり困難だ。そのため、ドイツのエージェントへ依頼するのが一番近道となる。 例えば、人材派遣の依頼を受けたドイツ側エージェントは、ポーランドのエージェントへ取り次ぎ、現地からドイツへ人材を送り込んでもらう。 ポーランド・ワルシャワのエージェントPromedica24は、どの派遣者も一律にポーランドの社会保障(厚生年金、社会保険)に加入していると番組の取材班に回答した。秘密になっているのは個人情報だけで、それ以外はすべて派遣者に公開していると力説したものの、介護報酬の詳細については無回答だった。 前出のアリシアさんもこのPromedica24を介してドイツにやって来たが、取材班の調査により、介護報酬搾取のさらなる事実が明らかになった。 アリシアさんの日当は27ユーロ。月収のうち800ユーロは、食費や必要経費として計上しており免税対象となる。最終的な月収は300ユーロで、この額に対しての社会保障費をエージェントが支払っているというのだ。 アリシアさんの手取りは1000ユーロというから、ここでも計算が合わないことが分かる。 介護人派遣の草分け的なエージェントとして著名なポーランドのSeniocare24の代表者 レナタ・フューリーさんは、「労働派遣法に基づいた正式な手続きを取っている。派遣者は皆正社員で社会保障も法にのっとって手続きを踏んでいる」と言うが、取材班のリサーチによれば、不透明な点が浮上しているようだ。 東欧のエージェントを通して介護人を自宅に受け入れたドイツ人男性の声も届いている。自身の経験から、在宅介護人よりもエージェントの方が高収入という事実を取材班に告白した。 ドイツの介護専門家によれば、安い労働力を海外へ提供する介護人派遣は実入りのよいビジネスとしてブームとなっているそうだ。東欧に拠点を置くエージェントの収益は、年に数百万ユーロ(数億円)と語る 高齢者介護の今後の課題 連邦雇用エージェンシーの中央外国・専門仲介所(Zentrale Auslands-und Fachvermittlung: ZAV)は、要介護者を抱える家庭に家事労働者としてEU加盟国民(主に中東欧諸国の女性)を無料で紹介しており、一定の労働条件の保障・社会保険料の負担等が義務付けられている。 家族や身内を一番信頼している要介護者 ©Rike/pixelio.de こうした良心的なエージェントは人気が高く、なかなか人材を確保しにくいこともあり、要介護者を抱える家族は、民間のエージェントを通して人材を求めているケースが多いようだ。 東欧から来る介護人の報酬は、エージェントにもよるが、月1200ユーロから2500ユーロほど。介護人を自宅に受け入れるにはそれなりの金銭的余裕や生活スペースも必要で、すべての家族が派遣介護人を受け入れることができないのも現実だ。 ドイツ労働組合連合(Deutsche Gewerkschaftsbund、DGB)ベルリンの担当者によれば、「国外のエージェントを介してドイツで職に就く労働者は、労働契約書について口外することを禁じられているのが一般的で、問題解明を複雑にしている。派遣された労働者はドイツ語もよく分からないため、専門的なアドバイスを受けることも難しい」と語る。 2050年には3人に1人が老人、国民15人に1人が要介護者になるという。さらなる高齢化に伴い、介護支援は大きな政策課題である。終わりが見えない高齢者介護は、介護する側とされる側の両者にとって、まだまだ課題が山積している。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130624/250111/?ST=print 女性の労働参加の本質は「数」にあらず 2013年6月27日(木) 武田 洋子 前回は、現状の延長線上では、日本経済の実力(潜在成長率)は0.4%程度にまで低下していくとの見方を示しました。しかし、それは必要な改革や慣習の見直しの先送りの結果であり、裏返せば、今後の安倍政権の政策実現力や企業・国民の取り組み次第で成長力を底上げする余地はあるということでもあります。株式市場が低迷期を脱する一方、依然低金利が継続している今こそが、成長力底上げを実現する絶好のチャンスであり、最後のチャンスと言ってもいいかもしれません。 日本に必要なマインドセットの変革 第2回目以降は、日本経済がどうすれば再生できるのか、数回にわたり論じていきたいと思います。 やや抽象論から入りますが、日本には2つの変革が必要であると考えます。1つは「画一化した社会の多様化」。もう1つは「未来に投資する社会への転換」です。どちらも、政府、企業、そして国民の「マインドセットの変革」によってのみ成し得る変革です。日本が抱える問題の多くは、様々な規制や制度、慣習などが複雑に絡み合っています。これから述べる日本再生のための5つの取り組みも、何か1つの政策を打てば全てが好転するという類の話ではありません。 6月中旬に安倍政権は「第3の矢」を放ちました。ただし、仮に成長戦略の「お品書き」が揃ったとしても、「マインドセットの改革」がなければ、政策を実行に移す段階で「岩盤」と呼ばれる抵抗により頓挫してしまう可能性は排除できません。あるいは、行程表どおりに実行されたとしても、成長の源泉である民間自体がそれに呼応して一歩前に踏み出さなければ、経済の前向きなサイクルは回り始めません。その最たる例が、1つ目の取り組みとして述べる「人材戦略」、すなわち量と質の両面からの労働力の底上げです。 量と質の両面からの労働力の底上げ 日本経済の再生に向けた取り組みのなかで、もっとも重要なのは人材戦略であると思います。もともと資源の無い狭小な国土で、中国に抜かれるまでは世界第2位の経済大国にまで日本が繁栄した理由は、勤勉な国民性と人的資本の質の高さにあったと思います。 しかし、日本の人的資本は、数の面で大きな転換期を迎えています。国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(中位推計)によれば、日本の総人口は、2012年の約1億2700万人から2060年には約8700万人へ減少します。これは、日本という国が(少なくとも人口面では)1950年代前半の水準まで後退することを意味しています。さらに、このまま出生率が上昇しなければ人口減少は継続し、2100年頃には、驚くべきことに明治時代と同程度の「小国」に日本という国は後戻りすると、同研究所の「参考推計」はひっそりと警告しています。 出生率の引き上げが重要であることは論を待たないのですが、2030年頃までの日本経済を考えると、既に少子化対策だけでは間に合わない危機的状況を迎えつつあることも事実です。仮に出生率が即座に上昇に転じる場合でも、日本経済は労働力人口の減少期をなんとかして乗り切らねばなりません。 成長戦略第1弾の中核とされた「女性の活躍」 安倍政権は、成長戦略第1弾の中核として「女性の活躍」を掲げました。行程表をみるとこの施策で実現できるのか疑問に感じる部分はありますが、国のリーダーが「女性の活躍」を成長戦略の中核と位置づけ、実行に向けて強い意志を示したことは大きな前進であると感じます。 強いリーダーシップがなければ、日本の長年の雇用制度や慣習、待機児童の問題などは改善しないことは事実が示しているとおりです。日本で生産年齢人口比率がピークアウトしたのは1990年代前半でした。その前後には、男女雇用機会均等法(1986年)や男女共同参画基本法(1999年)が施行され、確かに女性の労働参加率は、近年、上昇傾向をたどっています。しかし、労働参加率は、30〜40歳代を中心に他の先進国に比べ依然低い水準にとどまっています。 世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数(2012年)」を見ても、135カ国中101位という低さであり、先進国間では比較が無意味なほど日本の女性は生産活動に参加していません。90年代前半に生産年齢人口比率が低下に転じた後でさえ、こうした状態が放置されてきた事実は、日本が「失われた20年」の間に必要な改革や取り組みを先送りしてきた1つの証左と言えます。 多様な視点が社会・組織構造を変える原動力に とはいえ、前向きにとらえれば、それだけ改善の余地が大きいと言えます。政府は、成果目標として2020年に女性の就業率(25〜44歳)を現在の68%から73%にするとの目標を掲げました。筆者の試算では、日本の労働参加率が2025年までにスウェーデンと同水準まで上昇すれば、年平均0.3%程度、潜在成長率を引き上げることが可能です。女性の労働参加率を引き上げると少子化が進むのではないか、という意見もあるかもしれませんが、海外の事例をみると、女性の労働参加と出生率の引き上げの両立が不可能だという証拠は容易には見つかりません。 そもそも、女性の労働参加の本質は「数」ではありません。より重要なことは、多様な視点が取り込まれることで、固定化した日本の社会・組織構造を内側から変えていく原動力としていくことです。女性管理職は、2010年時点で全体の約1割と、欧米の約3〜4割と比べて極端に低く、大まかに言えば、日本中の9割の組織が男性視点で運営されているということになります。IMF(国際通貨基金)トップのラガルド専務理事は、2012年の秋、東京で開かれたIMF総会で「女性が日本を救う」との考えを披露しましたが、同氏も「数」の議論だけではなく、女性の労働参加による「多様性」を強調されました。国外からみても「固定化した日本の組織・社会の多様化」が必要と見えているのでしょう。
また多様な視点は、新たなアイデアや商品・サービスを生み出す力にもなります。三菱総合研究所が2012年7月に、上場企業を中心に約900社を対象として実施したアンケート(女性市場に関する企業アンケート)では、約42%が製品開発の段階で「女性の意識や感覚に対する理解が不十分」という課題を抱えていることがわかりました。 一方、同所の生活者市場予測システム(mif)の調査結果によれば、既婚者で女性に購入決定権があると回答した割合は、電子レンジや洗濯乾燥機などの家電で8割以上、自動車やパソコンでも5割以上に達しました。一方で、マーケティング担当者の女性割合は、企業や業種によって大きな差はあると見られるものの、このアンケート調査では1割にとどまります。製品を創る側と購入する側の視点の違いは、市場に大きな需給のミスマッチを発生させている可能性があるのです。 今後、女性の労働参加が進めば、女性のキャリアパスやライフスタイルの多様化に伴い、そのニーズも多様化していくと考えられます。上記の結果はあくまで1つのアンケート結果ですが、多様化するニーズやライフスタイルを的確にとらえることで、需要の掘り起こしにもつながると考えられます。 成長戦略と逆行する税制や社会保障制度
国のリーダーが「女性の活躍」を成長戦略の中核として掲げたことは重要なことです。しかし、残念ながら今回の成長戦略では、それを進めるうえで決定的に重要な要素が抜けています。それは、「女性の活躍」を成長戦略の中核に掲げながら、一方で、「働く意欲を失わせる」税制や社会保障制度を変えていこうという動きがみえないことです。 次回は、この点について他国の成功例を踏まえて掘り下げるとともに、労働力の底上げの点で重要な若者の雇用問題について、考えていきたいと思います。 武田洋子の「成長への道標」
歯止めのかからない人口減少、出口の見えない財政悪化、遅々として進まない構造改革…。景気や市場が好転しても、日本経済の成長基盤は脆さを抱えたままだ。持続的な経済成長をいかに実現するのか。米欧や途上国も直面するこの課題に、気鋭のエコノミストが処方箋を示す。 |