01. 2013年6月24日 07:54:02
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【第821回】 2013年6月24日 週刊ダイヤモンド編集部 債券市場で噴出し始めた 黒田日銀に渦巻く失望と怒り金融機関のトレーダーには胃が痛むような日が続く Photo by Satoru Okada 金利の不安定な状態が続く債券市場で、日本銀行に対する鬱積した不満が徐々に表面化し始めた。 6月11日、午前11時50分。日銀が金融緩和策の現状維持を決めたことが伝わると、一部の銀行からは「結局何もしないのか」と、深いため息が漏れた。 その前日まで、日銀が0.1%の低利で金融機関に資金を供給する「固定金利オペ」の期間延長など、市場の安定化に向けた対応策に踏み切る、との観測が広がっていたためだ。 そうした日銀の「ゼロ回答」に対するため息が、次第に怒りに変わったのが、同日15時30分から始まった黒田東彦総裁の記者会見だ。中でも金融機関の不興を買ったのが、「(金利の)ボラティリティ(変動率)はだいぶ収まってきている」という発言だった。 なぜなら、債券を売買する銀行や証券会社は今なお、金利が日によって大きく変動しながら、じりじりと上昇することで、「リスク量の増大に頭を悩ましている」(菊池康雄・第二地方銀行協会会長)からだ。 実際に、債券先物で過去(ヒストリカル)や将来(インプライド)の変動率を計測するデータを見ても、「緩和前と比較すると、まだ非常に高い水準にある」と、早乙女輝美・みずほ証券シニア債券ストラテジストは指摘する。 さらに、足元の金利上昇についても、黒田総裁は会見の中で直接の言及を執拗に避け、「毎月毎月オペを重ねていくことによって、リスクプレミアムを圧縮する(金利を低下させる)効果がさらに強まっていく」という、従来の説明に終始した。 金融機関としては、ゼロ回答の代わりに、せめて金利の安定化に向けた強いメッセージを発することを期待していただけに、「債券市場をあまり軽く見ない方がいい」(大手行役員)と、日銀に警告する声さえ出始めている。 そうした警告が暗示するかのように、金融政策決定会合の翌12日には、株価が下落する中でも、長期金利が一時0.9%と、2週間ぶりの水準にまで上昇した。 一度噴出した黒田日銀への不満と怒りのマグマは、簡単には収まりそうもない。 14日15時半。財務省4階の第三特別会議室に、銀行と証券会社の担当部長やトレーダーなど、計24人が集められた。 会合が始まると、財務省の担当者はまず、異次元緩和に対応した今後の国債入札の方針や、物価連動債の発行計画について説明。その後、足元の国債市場の動向について、参加者から意見を求めた。 その中で出てきたのは、黒田総裁が宣言している「2年程度で物価上昇率2%の達成ということと、イールドカーブ(利回り曲線)全体を押し下げるというのは方向性が違う」という、緩和策の欠点を突く声や、「国債市場のボラ(変動率)はまだ高止まりしており、今後低下するのは難しいのではないか」という、市場を突き放したような声だった。 隠忍自重の財務省 では、国債の発行当局となる財務省は日銀の異次元緩和を、どう見ているのか。 その思いが透けて見えるとして、市場関係者の間で話題となっている一つの冊子がある。財務省が4月末に発行した「日本国債ニュースレター」だ。 年4回発行するこの冊子は、表紙にある新着情報の欄で、翌年度の国債発行計画や債務管理の方針などを掲載しているが、4月末発行分だけは趣が違った。 1ページ目で日銀の異次元緩和策の概要を説明した後、その後の市場動向として、大きく乱高下した長期金利と国債先物の価格の推移をグラフで掲載。さらに、先物のグラフ上では、取引を一時中断する「サーキット・ブレーカー」が相次いで発動したことを、発動時間と回数まで細かく示して紹介したのだ。 金利や価格の過度な変動の抑制と安定消化に、神経をすり減らしている財務省が、日銀に対し軽いけん制球を投げたように見えるが、実際は「それ以上に、拳を握りしめるような思いの人もいる」と同省の幹部は明かす。 異次元の金融緩和から2ヵ月余り。折しも、6月は国債の大量償還があり、「20兆円規模の償還資金が出る」(財務省)。その資金は本来、再度、国債への投資に向かうはずだが、思ったような買いが入りにくく、債券市場の動揺は続いている。 一方で、「市場の期待に働きかける」(黒田総裁)ことを狙った株や為替相場は、緩和前の水準にまで一時逆戻りしてしまった。 「市場の期待に働き掛けるという言葉が、中央銀行が市場を思い通りに動かすという意味であるとすれば、そうした市場観、政策観に私は危うさを感じる」 日銀への風当たりが徐々に強まる中で、白川方明前総裁の退任会見でのこの発言が、今になって、黒田総裁をはじめ新執行部のメンバーに、重くのしかかってきている。 (「週刊ダイヤモンド」編集部 中村正毅) 【第14回】 2013年6月24日 伊藤元重 [東京大学大学院経済学研究科教授、総合研究開発機構(NIRA)理事長] いま、アベノミクスを修正する必要はまったくない! 市場の混乱があるときこそ方針を堅持せよ 日本はアベノミクス、 米国はアベコベノミクス? 米国の中央銀行であるFRB(連邦準備制度理事会)がQE(量的緩和)政策からの出口を探っているということで、市場が大きな混乱を起こしている。日本もその影響を受け、最近は為替レートが大きく円高方向に動き、株価も大きな下落を起こしている。 それでも、安倍政権が発足してからの動きで見れば、まだ株価は高いし、為替レートも80円前後の円高時期と比べればかなりの円安水準ではある。ここ数週間の市場の動揺の原因は明らかに米国発であり、今の時点ではアベノミクスに修正すべき点があるとは思われない。 とはいえ、今後の展開を考えれば、今、世界の市場で何が起きているのかを整理しておく必要はあるだろう。 今の市場状況を、アベノミクスをもじって「アベコベノミクス」と名づけた人がいた。経済学の教科書に書いてあるのとは逆の事態が起きているという意味でアベコベだというのだ。ただし語呂合わせでアベノミクスをもじってはいるが、アベコベなのは日本ではなく米国の経済を指している。 米国では最近、経済が非常に堅調であるとの指標が出ると、株価が下がりドルは安くなるという動きになる。逆に、米国経済が軟調であるとの指標が出ると、株高・ドル高となるのである。経済学の教科書とはまったく逆のことが起きているのだ。 こうした事態に対する市場の解釈は次のようなものだ。 米国の経済指標で米国経済が順調に回復しているものが出れば、市場はFRBの出口戦略(量的緩和の終了)の時期が早まると予想する。量的緩和が出口に向かえば、米国の景気にはマイナスの影響が出るだろう。だから、株価は下がるし、ドルも売られる──ということのようだ。 逆に景気回復が期待したほど進んでいないという指標が出れば、出口の時期は遅くなるとの見通しが広がり、為替はドル高、株価も高くなる傾向にある。 つまり、株価や為替レートは、経済の実体の動きというよりは、それに対する金融政策の動きを意識した展開となっている。政策が大きく変化するかもしれないという懸念が、市場を大きく動かす要因となっているのだ。 量的緩和への批判と 「テイラー・ルール」 リーマンショック後、FRBが大胆な金融緩和政策をとってきたことに対しては、経済学者の間でも賛否が分かれている。ノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学のポール・クルーグマン教授やコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授は量的緩和策を支持しているが、ハーバード大学のマーティン・フェルドシュタイン教授やスタンフォード大学のジョン・ブライアン・テイラー教授などは、批判的な議論をしている。後者の人たちは共和党に近い立場にあり、金融政策についても保守的な姿勢を貫いている。 経済学の世界の言葉を使えば、金融政策はルールに基づくべきであり、裁量的な面を強めてはいけない、とテイラー教授は指摘する。「裁量的な政策運営」とは、中央銀行が経済状況を見ながら大胆に金融緩和や金融引き締めを行う姿勢を指している。 これに対して「ルールに基づいた政策運営」とは、民間企業からも予測可能なルールをきちっと明示し、それに基づき政策運営を行う姿勢を指す。たとえば、インフレ・ターゲットは、ルールに基づいた政策運営の典型だ。物価上昇率をある一定の目標圏内に収めるよう金融政策を活用するという手法である。 米国では、従来、金融政策は「テイラー・ルール」と呼ばれるもので説明できる形になっていたという議論がある。テイラー・ルールに関する詳しい説明は省略するが、政策金利を実際の物価上昇率や実質GDPの動きに合わせて調整するというルールである。これは上述のテイラー教授によって提唱されたものだ。現実のFRBの政策運営が厳密な意味でテイラー・ルールに沿っていたというわけではないが、政策運営に大きな影響力を持っていたことは確かだ。 インフレ・ターゲットであれテイラー・ルールであれ、金融政策がこうしたルールに基づいて運営されていれば、市場のほうも今後の政策展開の方向についてある程度予想することができる。こうした予想可能性が市場を安定化する上で重要な意味を持つのだ。 リーマンショック後、FRBが行ってきた数度の量的緩和政策は、こうしたルールを逸脱したもので、中央銀行の裁量が色濃く出た政策と言える。市場は当然、FRBが次に打ち出す政策がどのようなものか疑心暗鬼となる。現在の米国の状況では、これ以上の追加緩和策を予想する人は少なく、市場の関心は出口政策である緩和の終了がいつなのか、あるいはどの程度の金融引き締めになるのかということになる。 そこにはFRBによる裁量の余地が大きいので、市場の予想も振れることになる。テイラー教授がFRBの量的緩和の政策運営に批判的なのも、この点があるからだ。また、米国における出口戦略への予想の振れが、市場を不安定化させていることも事実である。 次元の違う金融政策を 元に戻す難しさ 金融政策についてはできるだけルールに基づく政策運営が好ましい──これはそのとおりだろう。ただし、それは平時に成り立つことである。FRBが大胆な量的緩和政策という形で裁量的な政策運営をしたのは、リーマンショックというかつてない厳しい金融危機に対応するためであり、そしてデフレに陥る危機を逃れるためであった。 つまり、平時ではなかったのだ。非常時だからこそ、あえて大胆で裁量的な金融緩和策をとった。それはまさに次元の違う金融政策であった。そして、それが功を奏した。リーマンショックの悪影響を最小限にとどめ、米国経済が本格的なデフレに陥ることもなかった。 FRBの出口戦略は、そうした非常時から平時への転換ということでもある。単なる金融引き締めではない。FRBは市場に対してさまざまなメッセージを送りながら、平時への移行のタイミングをはかっている。それに市場が大きく反応している。大きすぎる反応と言ってもよいかもしれない。 アベノミクスで行われた金融政策も、日本銀行による大胆で裁量的な金融緩和策である。その意味では、米国と似た面がある。言うまでもないが、そうした強い裁量性があったからこそ、市場に大きな影響を及ぼす結果ともなった。為替レートや株価が大きく動いたのだ。この大胆な裁量性こそが、それ以前の中央銀行の金融政策運営との違いであると言ってもよいかもしれない。 米国とは異なり、現時点の日本で出口戦略について語るのは早すぎる。当面は、大胆な金融政策によってデフレからの脱却が軌道に乗るかじっくり見極める時期である。成長戦略などによって経済の拡大が順調な軌道に乗れるようにすることも重要である。 今の時点で、アベノミクスを修正する必要はまったくない。大胆な金融緩和を維持しながら、成長戦略を進めていく。活力ある経済の将来像をしっかりと示すことで、民間投資の増加を促していく。そして経済再生と財政再建の好循環を目指す。市場に多少の混乱があるからこそ、アベノミクスの政策のスタンスをしっかり維持していくことが重要となる。 とはいえ、米国での出口戦略への思惑がもたらしたグローバル経済の動揺は、日本にとって大きな教訓であった。世界経済が深く連動しており、日本以外の世界のどこかで大きな動きがあった場合でも、それが日本に影響を与えかねないことがわかったからだ。 海外にはさまざまなリスク要因が潜んでいる。欧州の財政危機は小康状態にあるが、いつまた再燃するかわからない。中国経済が失速する可能性を指摘する専門家が増えているが、これも日本にとっては大きなリスク要因である。日本経済が常にこうした外からのリスクにさらされていることを忘れてはならない。 だからこそ、できるだけ早くデフレから脱却し、日本経済を順調な成長軌道に乗せることが重要となる。グローバル経済の動揺への対応としては、アベノミクスを修正するのではなく、アベノミクスをきちっと堅持し、成長戦略を加速化させることで対応するのが望ましい。 【第34回】 2013年6月24日 安東泰志 [ニューホライズン キャピタル 取締役会長兼社長] 成長戦略に欠けている リスクマネー供給=資金循環改善の視点 安倍政権の新成長戦略が評価されなかった原因は、あまりに総花的で施策の全体像が体系的に説明されていなかったこと、企業の活性化に必要なアメとムチの政策のバランスが取れていなかったこと、そして、何よりも産業の新陳代謝の鍵である「リスクマネーの供給」が、資金循環の改善の観点から具体的に語られていないことである。特に、公的年金等の運用多様化を強烈に進めることこそ、改革の「一丁目一番地」である。 安倍政権の成長戦略は なぜ評価されないのか 6月14日、安倍政権の成長戦略「日本再興戦略−JAPAN is BACK−」が閣議決定され、これでいわゆる三本の矢の最終章が公表されたことになる。しかしながら、その要旨が明らかになった6月初旬以降、株式市場はネガティブに反応している。また、「骨抜きの成長戦略」(『週刊ダイヤモンド』2013.6.22号)とまで酷評され、閣議決定後も評判は芳しくない。 しかしながら、筆者は、この94ページの成長戦略には、世の中が期待していた多くのものがかなり含まれていると考えている。たとえば、雇用慣行については、解雇規制の緩和こそ具体的に入らなかったが、雇用維持型から労働移動支援型への政策転換が謳われているし、女性の活躍のための育児支援についても、明確な数値目標が掲げられている。そのほかにも、設備の加速償却の許容、ITの活用、教育、特区の創設、電力規制改革など多くの政策が盛り込まれている。 ただし、問題は、@これらの政策が体系的にどう連関しているのかの全体像が見えづらいので、総花的な印象を与えること、A民間の活力を活かすと言いながら「アメ」(規制緩和)に対する「ムチ」(企業のガバナンス改革等)の施策が踏み込み不足であること、B農業政策において、農地集約化という根幹部分(農家に対する「ムチ」)に踏み込めていないこと、C企業の新陳代謝を促すと言いながら、ゾンビ企業を蔓延(はびこ)らせている根本的な原因である銀行の甘い資産査定基準の見直しに踏み込んでいないこと、D全体を通して必要となる資金と、それをどのように賄うのか、特に預金・年金等に偏在する家計部門の金融資産を、どのように活用するのかが具体的に示されていないこと、ではないだろうか。 特に、資金面については、すべての施策に影響する問題であり、予算が限られている中、資金循環の改善でそれをどう賄うのかは、本来は、全体像と共に冒頭にて語られるべき成長戦略の根幹だったはずなのに、それが抜け落ちていることには強い違和感を覚える。筆者は予てより公的年金等の運用多様化を軸に、日本の資金循環構造を変えて、企業に対するリスクマネーの供給を飛躍的に拡大することが重要と主張してきた。 本稿では、なぜ、今、公的年金の運用多様化が成長戦略の中で最も重要な課題なのかについて改めて考えると共に、この施策が文字通り「一丁目一番地」であるということが政府与党からの明確なメッセージとして出されることに期待するものである。 日本の公的年金の 運用構成は極めて硬直的 日本の公的年金を運用している年金積立管理運用独立行政法人(GPIF)の資産運用の基本ポートフォリオ(資産配分割合)は、厚生労働大臣が定める「中期目標」に従い、GPIFが作成する「中期計画」によって定められる。現在はその見直しのサイクルは5年毎であり、しかも運用資産の構成割合は、これまで3回の見直しを経てもほとんど変化していない。 その基本ポートフォリオの内訳は、長らく国内債券67%、国内株式11%、外国債券8%、外国株式9%、短期資産5%であったが、6月7日に、国内債券を60%、国内株式12%、外国債券11%、外国株式12%へとわずかながら変更された。しかし、これは昨今の株式相場の上昇による評価増により、自動的に保有株式の割合が増えたため、それを後追いするものに過ぎず、積極的な政策的意図を持った変更ではない。 成長戦略においては、今後、政府が設置する有識者会議で公的年金等の資産配分方針が議論されることになっているが、本来、年金の運用方針は、リスクの多寡等、机上の計算だけではなく、いわば国家戦略として多面的に考察されるべきものである。そして、その場合の視点は、@リスク対比リターンの向上、A議決権行使ルールの確立、B自国産業の新陳代謝促進による国家利益の達成を通した超長期的運用成績の向上、CGPIF等年金運用者の更なるプロフェッショナル化、等である。本稿では、以降、主として@とBの視点と、それに関連する事項について論じる。 米国では年金を国家戦略として 産業の新陳代謝を促してきた 連載第22回 、23回で詳しく論じたように、米国では1974年に年金加入者の利益を保護するためにエリサ法(従業員退職所得保障法)が制定され、幾度かの改訂を経て現在に至っている。本稿との関連で重要なのは、79年6月に明確化されたプルーデントマン・ルール(投資に関する義務を定めたもの)、及び、88年に労働省からから発行された「エイボン・レター」(議決権行使を「受託者責任」と明確化したもの)であろう。 すなわち前者は年金基金の分散投資を義務付け、企業の再生や再編を担うプライベート・エクイティ(PE)や、新規産業の育成を担うベンチャー・キャピタル(VC)に多額の投資資金が流入する契機となったものであり、後者は、議決権行使によって企業の経営監視を強めることによって、コーポレートガバナンスの向上を促してきた。 79年のプルーデントマン・ルールの施行によって、78年当時せいぜい年間5億ドル程度であった米国のPE・VCへの資金流入が、80年代半ばには早くも約10倍の50億ドル程度にまで急拡大し、米国のPE・VCの資金源のうち年金基金が占める割合は、78年時点で15%であったものが、80年代以降は50%前後にまで高まった。最近は米国の公的年金は、PEへの投資を一層増加させており、総運用資産の10%内外をPEに投資している。特に、資産規模が50億ドルを超す年金は、総資産の12.7%をPEに配分している(WSJ・2013年1月24日)。 今では米国のPE・VCへの資金流入は、リーマンショック前の07年時点でGDPの3.9%、リーマンショック後の11年でも1%であるのに対し、日本はそれぞれ0.4%、0.2%に過ぎない。この状況が続いた結果、米国を代表する上位PEは、軒並み3〜5兆円程度の運用資産を持ち、米国はもちろん世界中の企業再生や再編に機動的に対応し、貢献している。 これに対し、日本では1000億円以上のファンドを運営したことがあるPEは数えるほどしかない状況であり、日本を代表するPEであっても、現時点での運用可能額は少額であり、国内に企業再生や再編が必要な業界や企業があることがわかっていても、投資がままならないのが現状であるが、その主因が年金の投資行動の差であることは明らかである。このままでは、技術を持った日本企業が軒並み資金力に勝る海外企業やファンドに買収されることにもなりかねないという危機感を、政府は共有しているだろうか。 国内独立系PE・VCへの 資産配分の重要性 年金の分散投資は、「伝統的資産」と言われる上場株や上場債券に偏ることなく、「代替的資産」と言われるPE・VC・インフラ・不動産などに投資範囲を広げることが重要である。ところが、日本では、公的年金は、前述した「基本ポートフォリオ」で、代替的資産への投資は認められていない。企業年金の一部には代替的資産を取り入れる動きがあるが、それも主にヘッジファンドに偏っており、PEと不動産を主な投資対象とする米国の企業年金とは、全く異なった行動パターンになっている。 代替的資産の中でもPEやVCへの投資を推し進めることは、産業政策上極めて重要である。株式やヘッジファンドへ投資することも、市場への流動性供給という役割はあるものの、それらの投資は新たな出資ではないので、企業へのリスクマネー、つまり企業が返済を気にせずに成長や再編の投資に使えるお金にはなっていない。企業に直接新規のリスクマネーが投入可能なのはPEやVCであり、その機能を日本の独立系PE・VCに持たせるためには、日本のPE・VCに、米国並みの割合で年金からの資金を投下すべきなのは明らかだ。 年金運用を産業政策の一環で捉えるこうした考え方には異論もあろう。しかし、長い目で見れば、日本全体の産業の新陳代謝を進めることで経済全体の底上げを行なうことは、年金受給者の利益にもかなうものである。 現に、米国を代表する公的年金であるカルパース(カリフォルニア州公務員退職年金基金)は、PE・VCへの資産配分目標値を14%と定めている。カルパースは、PE・VCへの投資を積極的に行う理由として、@市場連動型金融商品との低い相関、A過去長期に亘るリターンの安定性、と並び、B自国・自州経済の経済産業育成を挙げている。インテル、アップル、グーグルなど、カリフォルニアのベンチャー企業の発展に公的年金が果たした役割は計り知れない。しかも、それがカルパースの年金受給者の超長期的な意味での利益にもなったことは言うまでもない。 なお、「日本には十分な実績を積んだPEやVCがない」という議論も散見されるが、それは「卵か鶏か」という、まさに「ためにする議論」である。米国でも、エリサ法で分散投資義務が定められてPEやVCが急拡大した80年前後の時点で、実績を積んだPEやVCなど数えるほどしかなかったのである。 代替資産への分散投資は リスク対比リターンを改善させる 「年金資金をPE・VCなどの代替資産に分散せよ」というと、多くの政治家が「国民の大事な資産をリスクのある投資に回すなどけしからん」という論調を張る。しかし、それは根本的に間違った認識である。カルパースもPEへの投資理由で述べているように、PE・VCは、株式や債券など市場連動型金融商品との相関が低いため、PE・VCへの投資を行なうと、実は投資ポートフォリオの価値の変動が抑えられ、リスクが低減されるのである。 民主党政権時代に、長妻厚生労働大臣が「国債100%での運用」を主張したことは記憶に新しい。しかし、弊社が長期に亘る米国及び日本のデータを組み合わせて算出した結果によれば、国債100%での運用よりも、運用にPEを加えた方がリスクは低く、しかも、リターンはずっと高くなる(図参照)。すなわち、リスク対比リターンは圧倒的に改善することが期待できるのだが、これも政治家の先入観を覆すに至っていないように思われる。 拡大画像表示 産業の新陳代謝を進めるために 関連政策との有機的連携を
以上のように、ここでは公的年金を中心に年金の分散投資のあり方を論じてきたが、この資金を使った産業の新陳代謝や企業の活性化等の政策的効果を確実なものにするためには、@独立取締役選任の義務化などコーポレートガバナンスの強化 A銀行が退出すべき企業を無理に支え続けることで、企業の退出を阻む原因となっている金融庁の資産査定基準の厳格化 などの施策も併せて実施されるべきである(連載第32回)。 また、従来の銀行主導のコーポレートガバナンスを、世界標準の投資家主導のガバナンスに変革し、企業を真に育てていくためには、公的年金の運用改革等を通して政府が育成すべきPE・VCは、銀行から「名実ともに」独立したものである必要がある。銀行が関与するPEやVCは、自行の債権保全との間で利益相反があり、投資家保護の上で問題が多い。 これらは、企業側から見ればいわば「ムチ」の政策であるが、PE・VCの育成によるリスクマネーの供給や、日銀の金融緩和など「アメ」の政策だけでは企業の活性化は難しい。これら政策が早期かつ体系的に公表され、実施されることに期待したい。 http://diamond.jp/articles/print/37808 【13/06/29号】 2013年6月24日 週刊ダイヤモンド編集部 緊急対談 山崎元 vs. 小幡績 「乱高下相場 乗るか? 降りるか?」 共に経済の専門家であり、投資家としても豊富な経験を持つ山崎元氏と小幡績氏。株式市場に大きな影響を与えている「異次元の金融緩和」に対し、相反する意見を持つ論者でもある。乱高下相場の行方と投資家が取るべき行動を聞く(対談は6月12日開催)。 ──最近の株式市場の状況をどうみていますか。 小幡 明らかにバブルです。だから理由なく上がるし、理由なく下がる。投資家は、相場が短期間に勢いで上がるという前提で買って、勢いに乗ってどこかで売りたい、と考えている。それがまさにバブルなんです。皆それに乗ってもうけたいという欲望で動いているから、バブルが崩れそうになれば、焦るしパニックにもなる。乱高下が続きやすい状況です。 山崎 バブルを普通に定義すれば「長期的には継続し難いような、資産価格の大規模な高騰現象」ということです。ファンダメンタルズ(国全体の経済や、個別企業の状況を示す基礎的な指標)の裏づけを欠いた資産価格の高さなのですが、そういう意味では、現在の株価はまだバブルではない。 では5月23日からの株価下落はなんだったのかというと、ひとえに利食いの集中ということでしょう。あまりにも一本調子で上がってきた影響が大きかった。 小幡 バブルについては、山崎さんの定義が一般的です。しかし僕が定義するバブルは、ファンダメンタルズとの比較ではなく、投資家が上昇の期待に基づいて買っている、つまり皆が買うから買うということです。 ──今後についてはどうみますか。 山崎 金融緩和を背景にした大規模な株価上昇では、こういう調整を経ながら上がるものです。今回は大幅で急激ではあったけれども、株価も為替レートも、普通の調整だと理解しています。 小幡 底流に、皆バブルに乗りたいという欲望がある状況は、基本的には変わっていない。ですから、バブルはまだ完全に終わったわけではなくて、もうちょっと続く。 バブルであろうとなかろうと 株価上昇の波はもう一度やって来る ──相場はもう一度上昇するという見方では一致ですね。投資家はどうすべきですか。 山崎 ここで売るか買うかという観点に立つと、そもそも株価が、企業の利益などに対して高いのか安いのかということを考えるべきです。例えば今、日経平均で1万3000円ぐらいの株価に対して、だいたい15倍前後のPER(株価収益率)ですよね。これを素直に見ると、株価は利益に対してむしろ安いといえる。例えば自動車メーカーが90円程度の為替レートを前提にしているようなことから考えても、企業の利益予想にはまだ余裕がありそうです。 そういう意味では、アップダウンは激しいけれども、長期投資で考えているような人たちは、そのまま持っていてもいい。 小幡 今、ファンダメンタルズから見て割安か割高かは、意見が分かれると思うんですよ。でもその議論は、実はこの先を読むにおいてはあまり関係ない。バブルが続いて割高になる可能性も、ファンダメンタルズの改善に基づいて妥当に株価が上がる可能性も、どちらもあるわけだから。 ただ、一度崩れているので、今後は雰囲気が違うと思います。皆不安が膨らみやすい状況だから、今までのように日本市場だけ一本調子で上がるということはなくて、かつ壊れやすい。 このまま終わってしまう相場ではない。もう一山、どこかであるでしょう。しかしその山が高いか低いかは見方が分かれる。僕はあまり高くはならないとみるので、次の調整が来たら撤退してもいいのでは、と思います。 あなたの株の悩みにズバリ回答 「NISA」の賢い活用法も紹介 2人の対談はこの後、金融緩和による株価上昇は持続可能なのかという点を巡って白熱していきます。続きは本誌でどうぞ。
『週刊ダイヤモンド』6月29日号は、乱高下相場に振り回される個人投資家の悩みにズバリ答える特集です。 5月23日の株価暴落前に高値で買ってしまい含み損。損切りすべきか。暴落後に底値だと思って買った株がさらに下落。株価が回復するまで待つべきか。相場に乗り遅れ買いそびれた。今から買っても大丈夫か。多くの投資家が抱えるこんな悩みに、株投資の基本鉄則を解説しながら、1つひとつ答えていきます。 最近個人投資家の関心が高まっている、少額投資非課税制度「NISA」(ニーサ)の賢い活用法も紹介します。2013年末で証券優遇税制が廃止されるのに代わって、14年1月から導入されるNISAは、非課税期間が5年で、年間100万円までの投資から得られる配当金・分配金や売却益が非課税となるおトクな制度です。はっきり言って、株投資をするなら使わないと損です。 しかし一方で、使い勝手が悪く気をつけないと損をする場合もあります。そうした注意点も図解でわかりやすく解説しました。 すでに金融機関ではNISA口座開設の受け付けが始まっていますが、まだ制度導入まで時間はたっぷりあります。まずNISAとはどんな制度なのか、自分がどんな商品で運用したいのかをじっくり考えた上で金融機関を選んでも遅くはありません。 このほか、日本市場を翻弄する海外ヘッジファンドの正体、株価乱高下にぶれない割安銘柄リストなど、コンテンツは盛り沢山です。 乱高下相場でどう行動すべきか悩んでいる方、慌てて動く前に一度立ち止まって、ぜひこの特集をご一読ください。 (『週刊ダイヤモンド』副編集長 前田 剛) 成長戦略は作文集。基本政策が見えない
島田晴雄・千葉商科大学学長に聞く 2013年6月24日(月) 清水 崇史 金融緩和、財政政策に続くアベノミクスの「第3の矢」として成長戦略がまとまった。株式や債券市場が不安定になる中、成長に向けた進路は定まったのか。シリーズ第1回は元慶応義塾大学教授で、千葉商科大学学長の島田晴雄氏に、専門の労働経済学の視点から課題を聞いた。 安倍政権がまとめた成長戦略を100点満点で採点すると。 島田:大目につけて60点というところでしょうか。安倍晋三首相のリーダーシップは評価できますが、税制や規制改革などを見ると、経済産業省をはじめとする所管官庁の作文集。いわばホッチキス政策提言集といった印象です。企業の競争条件や国民の生活を抜本的に改善するための基本政策が見えてきません。政策の実現も医薬品のネット販売解禁や観光振興などを除けば、大半の目標期間が10年先というのでは遅すぎます。今後の具体的な政策実現性を明示して、40点相当の減点を補ってほしいと思います。 TPP(環太平洋経済連携協定)交渉に向け、農業の競争力や規制緩和も課題です。 島田:日本の食料自給率は40%と言われますが、これは農林水産省の欺瞞と言わざるを得ません。果物や野菜に限れば自給率は90%を超えます。農業の総生産額は10兆円規模で、このうち穀物は2〜3割ほどですから市場規模自体は大きいはずです。一方で少子高齢化や過疎化で日本の農業は競争力がないといわれる。総人口に占める農家の割合は1.6%ですが、米国や英国は1%弱にもかかわらず農産物を輸出している。実は日本の農家は多いくらいなのです。 島田 晴雄(しまだ・はるお)氏 千葉商科大学学長。1960年慶応義塾大学経済学部卒業、同大大学院を経て米ウィスコンシン大学で博士号(労働経済学)を取得。慶大教授、富士通総研経済研究所理事長などを経て2007年より現職。「デフレは財政政策や金融政策で解消できるものではない」が持論。「民間の挑戦」をテーマに規制改革の必要性を提唱している。(撮影:竹井俊晴。以下同) 具体的な戦略は。
島田:農業を産業として強化していくヒントがあります。具体的には165万戸ある稲作農家のうち、コメを作っている専業農家は30万戸ほどしかありません。実に135万戸が兼業農家なのですが、ここでの生産は全体の5%にすぎません。つまり少数の専業農家が生産の大半を担っている。だから生産性の芳しくない兼業農家は別の戦略を持つべきです。政府は「土地バンク」を設立して、零細な兼業農家に土地を拠出してもらい効率の良い大規模な専業農家に生産を任せたらどうでしょう。 生産性の高い農家は競争力があります。TPPで安価な外国産が入ってきても抵抗力があります。 剥げ落ちた金融緩和のアナウンス効果 では兼業農家はどうするべきか。ひとつは福祉農業です。土地は貸しているが、ちょっとした庭で野菜を作るなどして健康を維持する。子供を受け入れる教育農業、地域振興と関連付けた観光・観光農業も有望です。こうした新しい分野に補助金を出して、兼業農家に転換してもらうのです。票田だから(改革に)手を付けないというのは情けない。 医療分野はどうですか。 島田:保険診療と保険外診療を併用できる「混合診療」の全面解禁が見送られるなど、踏み込み不足は否めません。医療・製薬は最大の成長産業にもかかわらず、診療報酬制度は価格規制の最たるものです。この制度では病院の成果、つまり治療の結果、病気やけがが治ったのかという検証ができないのです。消費者が費用対効果を確かめられない仕組みはおかしい。 医療・製薬の市場機能を高めるためには公的保険に依存するのをやめて、民間保険を大幅に活用するべきでしょう。日本の医療費は年200兆円。このうち130兆円が民間保険によるものです。レントゲンは二百数十円なのに、CTスキャンになると10万円近くになることもあります。医療の平均レベルを維持しながら、さらに上質なものを求める人に応える仕組みづくりが望まれます。アメリカでは医療費の70%を民間保険で担っています。 雇用規制についてはどのように考えますか。 島田:解雇規制の見直しが先送りされました。これは50年前の法律がいまだに生き続けています。当時は高度経済成長時代で指名解雇はできなかったし、社会的にもできにくい風土がありました。しかし今は雇用が流動化しています。大学教授の世界でも成果を上げる人、上げない人の二極化が進んでいるように、民間企業ならなおさらでしょう。同一資格・同一賃金という考え方を改めて、同一労働・同一賃金の導入を進めるには大規模な規制緩和が必要です。
成長戦略の公表後、金融市場で不安定な値動きが続いています。 島田:金融緩和のアナウンスメント効果は5月末の株価暴落で剥げ落ちたとみるべきでしょう。成長戦略が期待先行に終わったことで、日経平均株価は当面1万1000円から1万4000円で荒っぽい値動きが続くでしょう。問題は為替。投機筋の動きを除けば、基本的に円安基調で推移するはずです。 なぜか。東日本大震災以降、原子力発電所の停止で石炭やLNG(液化天然ガス)の輸入が増えているからです。日本の貿易収支は構造的な赤字になり、それが経常収支にも影響しています。米国から安価なシェールガスが輸入されても、大勢は変わらないでしょう。 金利上昇より怖い人材の流出 景気、金融市場ともに悪いシナリオを想定し始めたということですか。 島田:円安、インフレ、積極財政の下では金利上昇が避けられません。金利上昇は政府債務を雪だるま式に膨らませていきます。現在1100兆円の債務を抱えており、1%の金利上昇は債務を11兆円増加させます。3〜4%の上昇は総税収に相当するインパクト。日本から資本が逃げることは想定したくありませんが、もっとも怖いのは人材が流出することです。 7月の参院選で国民が自民党に大きな期待を持てなければ、衆参両院の「ねじれ現象」も解消できません。「決められない政治」こそ、日本が停滞する最大の要因なのです。 アベノミクスの真価を問う
一息ついて手を緩めたら後でしっぺ返しを食らいますよ 円安が企業にもたらす真の影響(第5回) 2013年6月24日(月) 名和 高司 企業のビジネスを巡って日々流れるニュースの中には、今後の企業経営を一変させる大きな潮流が潜んでいる。その可能性を秘めた時事的な話題を毎月1つテーマとして取り上げ、国内有数のビジネススクールの看板教授たちが読み解き、新たなビジネス潮流を導き出していく。 今月のテーマは、安倍晋三政権が推進する経済政策「アベノミクス」によって急激に進んだ円安。企業の輸出が回復し、業績の回復や雇用の拡大につながるといった理由から、円安を歓迎する声も多いが、果たして本当にそうなのか。円安が国内企業にもたらす真の影響について、国内ビジネススクールの教壇に立つ4人の論客たちに持論を披露してもらう。 今回から2回にわったって円安の真の影響を論じるのは、一橋大学大学院国際企業戦略研究科の名和高司教授。円安で製造業の一部は一息ついたが、ここで安心してしまうことを懸念。「海外シフトの手を緩めてはいけない」と強調する。 (構成は小林 佳代=ライター/エディター) 昨年終わりから今年春までの急激な円安は、製造業の一部に一息つく余裕を与えました。息をつく間もなく、あまりにも極端な円高に突入していたことで、それらの製造業は疲弊していた。特に自動車、重機械などの業界で、国内にマザー工場を持つ企業や日本で部品を製造している企業は、円安になって助かった面はあるでしょう。 逆に、同じ製造業でも生産拠点の海外シフトを相当に進めていた企業は、円安で痛い思いをしています。ODM(相手先ブランドによる設計製造)やファブレスで事業を進めてきた企業にとって、円安はデメリットでしかありません。製品のほとんどを台湾で生産しているパソコンメーカーの中には、6月に入って10%値上げするところが出てきました。食品メーカーや化学メーカーなど海外から輸入する原材料が多い企業にとっても、円安はコストアップ要因です。 円安で潤っているのは、日本全体の2割ほどの企業に過ぎません。その潤っている企業というのが、自動車、重機械など日本の強さを象徴する産業の企業なので、「円安になって良かった」という評価が浸透しがちですが、全体で考えたらマイナスの影響の方が大きいのです。 アベノミクスへの対応でも異なる高齢富裕層と若年層 円安になっていく局面では株価も上がり、資産の膨張効果で消費が拡大するという期待も生まれました。ただ、百貨店の人たちと話をしてみると、そう単純なものではないようです。どうやら、「2%のインフレ目標」を掲げるアベノミクスに対して、50代以上の富裕層と若年層の消費行動には大きな差があるようなのです。 50代以上の富裕層はかつてのインフレの時代を知っています。モノの値段がどんどん高くなっていった1970年代、80年代を思い出し、「今買っておいた方がトクだ」という感覚になります。株を持っているような消費者は全体の10%程度でしょうが、株価上昇で資産が見かけ上、膨らんだことで、ちょっとぜいたくをしようという消費行動に戻りやすい。百貨店で貴金属やブランド品が売れたのは、こういう要因からです。 一方、若年層はインフレを知らないので、ピンと来ていません。「今、買った方が1年後に買うよりもトクだ」という発想をしないため、できるだけ安くて良いモノを買おうとする消費行動は変わらないのです。結局、彼らの間ではあまり高いモノは売れていないそうです。 可処分所得の多いシニア世代が、これまでは「先が分からないから」とタンスに寝かせていたお金を使い始めるようになるなら、富裕層をメーンターゲットとする百貨店のような業種には一定の効果があるかもしれません。ただ、「少しリッチになった気分」とか、「今、買わないと損」といった非常にメンタルなものに左右されているので、売れたとしても一時的な現象にとどまる可能性があります。 「家電のエコポイント制度」でも問題とされたように、需要を先食いしているのかもしれません。5月後半以降の株価の乱高下で、消費者心理が再び冷え込む危険性もあります。高級品が売れ続けるとは思わない方がいいでしょう。 円安になって一部の製造業は一息つくことができたと指摘しました。けれど問題は、その一息つくことができた企業がこの後にどうするかです。 これまで日本の製造業の多くは、生産拠点の海外シフトを進めてきました。マザー工場やモノ作りにおいてブラックボックスにすべきもの以外は、どんどん外に出してきたのです。それが円安で一息ついたことで安心して手を緩め、海外シフトのスピードを鈍化させてしまうと、後でしっぺ返しを食らいます。 例えば、あるOA機器メーカーは、円高の時期にコア部品の製造を海外にシフトしようと動いていました。しかし円安になったことでその動きを止めています。しかし、円安が続くか否かは分かりません。いつか再び円高になった時、ここで動きを止めたことが大きな出遅れとして跳ね返ってくる可能性もあります。 トヨタ自動車はこれまで基本的に国内で生産してきた「レクサス」を米国や中国でも生産しようとしています。円安に振れると、「海外で生産する必要はないじゃないか」という見方が出てくるかもしれません。けれど、長い目で見れば、やはり「地産地消」にしていくのは自然の流れ。日本でしか生産できない体制のままにしておく方が不自然です。為替の変動に左右されず、今まで通り、海外シフトを積極的に進めるべきです。 新興国のクレイジーな要求から生まれるイノベーション なぜ地産地消が必要なのでしょうか。「リバースイノベーション」という言葉で語られるように、新興国で生まれた革新的な製品やサービスが先進国に逆流する時代になっているからです。先進国で売っている値段の10分の1、100分の1の値段でしか売れない市場に合うモノ作りをしようとしたら、ゼロベースで考えなくてはなりません。それには、ユーザーに近い現地の人たちと一緒にモノ作りを進めることが必要です。 例を挙げて説明しましょう。インドのタタ・モーターズが開発・販売した10万ルピー(発表当時のレートで約28万円)の自動車「ナノ」には、日本メーカーから唯一、デンソーの部品が採用されています。納入したのはワイパー。通常、自動車には2本使うワイパーを「1本にしてくれ」という要求を受け、実現しました。安全係数などを考えると普通ではなかなかできないことです。けれど、そういうクレイジーとも思える要求から生まれるイノベーションもあります。企業は一流のエンジニアを投入し、現地の要求に応えることが重要です。 リバースイノベーションを提唱したのは米ゼネラル・エレクトリック(GE)ですが、同社は中国やインドなど新興国で事業を進めるに当たり、設計図や生産技術など同社が持つノウハウをすべてオープンにしました。そして、現地企業に対し、「この材料を使え」「クオリティーを守れ」といったことは一切言いませんでした。技術やノウハウにアクセスする権利は与えたうえで、自国流を押しつけない――。この手法が、安くて良いモノを作る秘訣であり、リバースイノベーションの“肝”です。 日本企業は現地企業を指導する際、日本流を押しつけがちです。その手法も改めなくてはなりません。 参考となりそうなのがホンダの例です。ホンダはかつて、中国でホンダの偽物バイクが出回った時期に、コピーメーカーの1社を買収し、安くて質の高いバイクを作るノウハウを学ぼうとしたことがあります。ところが、その後、ホンダのエンジニアがホンダ流にその会社を染めてしまい、結果的にコスト高の製品を作る会社になってしまいました。 ホンダはその経験を反省し、その後、広州で中国企業との自動車の合弁会社を設立した際、中国人だけのチームを編成してクルマを作らせます。GEと同じく、ホンダの技術はオープンにするけれども口出しはしない。こういう方針を貫きました。 この結果、生まれたのが「理念」という自動車です。ホンダが作るよりずっと安く、中国人テイストに出来上がりました。こうして誕生した自動車は、いずれ日本でインフレを知らない若い世代に受け入れられる可能性もあります。 ファーストリテイリングは今、バングラデシュでグラミン銀行と一緒にグラミンユニクロという会社をつくり、1ドル相当の現地価格でTシャツを売り出そうとしています。現在のところ、Tシャツを作るにはどう頑張っても2ドルかかる。これを素材や縫製、加工を見直すことで1ドルにしようとしています。実現できれば大変なイノベーションであり、世界中に市場が広がります。 危機感がなくなることが一番危ない 企業は為替レートの水準に左右されず、「正しい道」を追求することが重要だと思います。マザー工場や設計など日本でしかできないことを日本に残し、あとの資産は海外に移して世界中で収益を獲得する体制を構築する。「安くて良いモノ」にフォーカスする。そういう道をぶれずに突き進むことです。 これまで日本企業は円高というハンディを背負いながら韓国、中国など新興国の企業と苦しい戦いを繰り広げてきました。それは非常に厳しい道のりだったけれど、様々な改革を進めていくことで、競争力は大いに鍛え上げられました。正しい道だったのだと思います。 円安によって見かけの数字上の収益が膨らみ、一息ついた途端、改革を止めてしまうとしたら、それは大きな問題です。危機感がある時には会社は一致団結して新しい方向への改革もしやすくなりますが、危機感が薄れると従業員を納得させるのも難しくなり、「改革しなくてもいいんじゃないか」と気分が蔓延します。危機感がなくなっていくことが一番危ないと思います。 次回は企業が海外シフトを進める際のモノ作りのあり方について論考します。 (次回は6月24日月曜日に名和教授の論考の後編を掲載します) MBA看板教授が読むビジネス潮流
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