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以下は、中原圭介氏の6月17日付けブログ記事です(http://blog.livedoor.jp/keizaiwoyomu/)
なぜ「デフレ=不況」という誤解が広く常識として普及しているのかというと、FRBのバーナンキ議長の考え方が強く反映されているからです。リーマンショック後の彼の政策目標は、デフレを回避することにありました。彼は恐慌の研究で有名ですが、アメリカの恐慌だけを見て「デフレ=不況」と決めつけてしまったのです。
本来、アメリカの大恐慌だけでなく、少なくとも他の国々の不況とデフレの関連性を調べる必要がありました。歴史を通じてその関連性を調べるという基本的な姿勢を欠いていた点で、学者としてお粗末といわざるをえません。
しかし、権威ある人間が間違ったことをいってしまっても、学問の世界ではそれが広く認知されてしまう傾向があります。「権威」の前では多くの学者が思考停止に陥ってしまうのです。経済学の分野でも、「権威」を前にしたときに同じことが起こりました。
さらに悪いことに、その間違った研究を推し進めようという学者も数多く出てきました。それに対して、権威ある人の大前提を検証しようという者はごく少数派に過ぎません。
デフレは悪いといっている経済学者は、いまさらデフレと不況はまったく関係ないなどとは口が裂けてもいえないでしょう。自らの過去の研究をすべて否定されるからです。経済学は経済学で飯を食う人間のためにある学問だと、私が思うのはそういうところです。
元々、欧米の経済学にはプロテスタントの宗教観や道徳観が入っています。経済学の祖とされるアダム・スミスは『道徳感情論』という本も書いていますし、「神の見えざる手」とは、神の前では人間は無力だというプロテスタントの精神が反映されていることは間違いありません。
欧米の人々が「みんなでインフレになると信じれば、実際にインフレになる」というリフレ派の宗教的な考え方をすんなりと受け入れられるのは理解できますが、日本人でプロテスタントでもない学者が違和感なく受け入れられているのは、やはり権威の前には思考停止に陥っていると考えざるをえません。
投稿者コメント〜
トーマス・クーンは『科学革命の構造』という大著によって、要旨、以下のことを語っています(マーク・ブキャナンの著作より引用)。
コペルニクス革命や相対論、量子論の誕生に伴う大激変のような、科学における劇的な出来事に関して、どの場合でも、事実という法廷で古い理論が正しくないと論理的、客観的に判断されてもなお、科学者は互いに共有する旧学説に感情的にくみし、彼らが説明しているつもりの自然界に対する「不調和」が目に見えて耐えられないほどに大きくなるまで、自分たちの学説を否定しなかった。結局、科学者は超人などではなく、科学に携わっているときも普通の人と変わらないのだ。
ここでいう「科学」はもちろん自然科学のことです。厳密な条件のもとで実証が求められる自然科学の場合でさえ、「権威」や「感情」に支配されるのですから西欧的宗教観に強く影響された「近代経済学」なるものが権威に弱いのは当然かもしれません。そもそも、経済学を「社会科学」とかいう範疇に入れるのはどうかと思います。それは、読売や朝日の社説を「文学」と名付けるくらい違和感があります。「アへクロリスク」のブレーンとおだてられてる浜田何とかという爺さんは、テレビ討論の場で現政権の経済政策の危険性を指摘されると「いや、バーナンキ博士がおっしゃてますから大丈夫です」などと一度ならず語っているの見て呆れましたね(討論のやり取りはネットで閲覧可能)。「えふあーるびー」(注・変換略)のバーさんが「QE3はそろそろやめるが、日本は続けてよい」とか言ったらしいですが、日本を実験材料にしようするつもりでは? 現状を危惧している某カリスマ株式アナリストが、同時進行経済小説をブログで掲載するらしいという噂がありますが、楽しみにしています。詳しいことは知りませんのでご存じの方がいましたら教えてください、よろしくお願いします。
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