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バーナンキ議長に、勝手に期待した市場関係者 株価の水準は、経済実体や情報とは無関係
http://toyokeizai.net/articles/-/14421
2013年06月20日 小幡 績 :慶應義塾大学准教授 :東洋経済オンライン
19日(米国時間)のFOMC(連邦公開市場委員会)声明文や、FRBバーナンキ議長の記者会見は、ともに極々普通の内容だった。それに対し、NYダウは200ドル以上の下げとなり、ドルは大幅上昇した。20日の日経平均株価も230円安となった。普通のニュースに対して、大きく反応した「市場価格」。これをどう解釈するべきか。出口戦略といった内容に立ち入らずに、これを考えてみよう。つまり、驚きのないニュースに対して、投資家が大きく反応した、というのはどういうことか。その事実だけについて、考えてみよう。
■「普通に」考えていなかった、投資家たち
普通は、驚きがなければ、株価も為替も反応しないはずだ。理論ではそう考える。とりわけ、現代ファイナンスにおける効率的市場仮説は、利用可能な情報はすべて証券価格に反映されていると考えるから、このバーナンキ議長の記者会見の内容が、現在の経済状況からいって、極めて普通であった場合には、株価も為替も反応しないはず、となる。
一方、株価も為替も現実には反応したことを、市場関係者は、「出口戦略が近づいた、金融緩和が縮小する見通しが強まったことにより、ドル高、株安となった」と説明している。
この理論的な説明と、現実の説明とのギャップはどこから来ているのだろうか。
一つの可能性は、投資家が、「普通に」考えていなかったということだ。つまり、投資家達は、現実の経済状況を客観的に、「普通に」考えずに、自分達の都合で、金融市場の感覚で考えていたということだ。これは、いつものことで、いまさら言うまでもないことだが、金融市場における論理は、実体経済の論理と大きく異なることが多い。とりわけ、中央銀行の政策に関する見通しに関しては、このズレが大きいことが多い。そして、このズレの要素は二つある。
■「自分勝手な市場関係者」と「織り込み済みの幻想」
ズレの第一の要因は、金融市場に埋没しすぎて、自分勝手になっていることである。これは変な表現だが、市場関係者は自ら認識していないことが多い。つまり、中央銀行の金融政策のケースで言えば、資産市場への配慮はゼロではないが、二次的なものであって、金融政策はあくまで実体経済の状況に対応したものである。そして、バーナンキ議長と言えども(彼は金融緩和が大好きと言う意味で、投資家寄りのスタンスである)、資産市場は二の次なのである。
金融緩和が好きで、欧州中央銀行の人々に言わせれば、バーナンキ議長は緩和しすぎ、ハト派ということになるのだが、そうであったとしても、彼は、金融緩和が好きなだけで、それを資産市場のためにやっているわけではない。あくまで、実体経済、失業率を念頭において、物価上昇が起きなければ、出来る限り金融緩和を続けたい、というだけのことであって、資産市場のことは考慮していない。逆に言えば、資産市場のことを考えていないから、量的緩和で資産バブルが多少起きても気にしないのであって、資産バブルを好んでいるのではない。
しかし、これが市場関係者、投資家たちには見えていない。自分たちと同じように、資産価格を上げるために、株価を上げるために、金融政策を行ってくれていると思ってしまうのである。だから、「最近の株式市場は荒れているから、ここで金融引き締めを想起させるようなことを言うわけがない」というような予想をする。しかし、その予想は単なる期待、願望である。そして、真の問題は、それが願望であることに気づかなくなるほど、資産市場の都合で世の中は動いていると思い込んでしまっていることだ。
ズレの第二の要因は、情報を誤ってとらえていると言うことだ。現在の株価は、量的緩和縮小の見通しをある程度織り込んで形成されているはず、そうあるべきなのであるが、実際には、そうではない、ということだ。
よく織り込み済み、という表現が株価や為替などについて言われるが、あれは嘘だと言うことだ。例えば、株価が暴落し、下落が継続するような場面のときを考えてみよう。実体経済がどんどん悪くなっていくような状況である。この場合は、経済指標は悪いものが出てくる。それも次々に出てくる。この場合、株価は、悪い指標が出てくるたびごとに暴落をする。生産の指数が悪くて暴落、消費者信頼感指数が悪化して暴落、雇用の数値が悪くて暴落、と言う風に暴落が続く。しかし、これらの指標は、実体経済が悪くなっている、需要が急減しているという状況を、生産、所得、雇用、という別々の面から見ているだけのことで、表しているもともとの現象はたった一つだ。
しかし、それでも、株価は指標の発表ごとに下がる。
これは、いろんな形で解釈できるが、ひとつは、投資家というのは、刹那的、反射的、思考拒否的、という風に考えられる。彼らは、反応するだけで何も考えない。しかし、他の投資家が何も考えず、反射的に反応するのであれば、自分も反射的に反応するのがベストということになる。
自分の都合だけで考える、資産市場の都合しか考えない、ということと、物事に対して反射的にしか反応しない、ということ、これらにより、資産市場の価格や為替は、全く実体経済とは関係なくなるし、さらに、情報的に言っても、何の情報も反映していない、織り込んでいないものになる。情報の見せられ方、発表される順番により、株価の水準は変化が起こるだろうし、流れも変わる。
つまり、株価の水準は何事も表していないし、毎日の反応自体も、実体や情報とは何の関係もなくなっているのだ。
株価は何の意味もない。それが、19日のFOMCからのレッスンだ。
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