01. 2013年6月18日 07:03:23
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中国経済、成長を脅かす過剰生産能力 出世目指す党幹部の野望、政府の補助金が仇に 2013年06月18日(Tue) Financial Times (2013年6月17日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 世界最大のソーラーパネルメーカーになった尚徳電力(サンテックパワー)は今春、会社更生法の適用を申請した〔AFPBB News〕
中国第5位の富豪になった2006年ごろ、施正栄(シ・ジェンロン)氏は「太陽王」の異名を取った。それからわずか3年で、同氏の尚徳電力(サンテックパワー)はニューヨーク証券取引所に上場する世界最大の太陽光パネルメーカーに成長した。 その年間生産量は、エネルギーを大量に消費する米国の家庭100万世帯の電力を賄えるほど多かった。 苦しい状況にあった米国やドイツの製造業者にとって、サンテックは誰にも止められない巨大な勢力の一部だった。市場に安値攻勢をかけ、圧倒的に安い製品を世界中に大量供給し、同業他社を脱落させる勢力だ。 実際、欧州委員会は現在、欧州域内で製造原価を下回る価格で太陽光パネルを販売しているとされる中国メーカーには輸入関税の引き上げも辞さないとの姿勢を示している。 太陽光パネル業界の盛衰は顕著な事例に過ぎない しかし、中国のビジネスモデルが難攻不落だとはとても言えない。サンテックは今年3月に会社更生法の適用を申請した。ピーク時には160億ドルに達した時価総額も、今では約1億8000万ドルにとどまっている。太陽王は会長の座を追われた。 実を言えば、太陽光パネル業界は、中国における過大な生産能力の最も顕著な事例に過ぎない。同業界の隆盛と凋落は、世界第2位の経済大国でお馴染みになりつつあるパターンをなぞったものなのだ。 こうした問題の源泉は、中国の産業政策と、1つのセクターが丸ごと、それもあっという間に誕生することを可能にするような数々の補助金に求められる。地方政府の野心的な幹部たちは、成功してほしいと自分たちが願う事業に政府の資金をつぎ込みたがっている。成功すれば、自分の出世にもつながり得るからだ。 「行政措置を講じれば、生産能力は大幅に過大になる。この国は、実に多くの分野で過大な過剰設備を抱えることになってしまった」。中国を訪れることの多い米国のハンク・ポールソン元財務長官はこう語る。「クリーンテクノロジー(環境技術)に限った話じゃない。鉄鋼でも造船でも何でもそうだ」 化学製品からセメント、大型ブルドーザー、薄型テレビに至るまで、中国の工業部門は過剰設備にあふれている。このため中国内外で企業の利益は減少しており、ただでさえぐらついている中国の経済成長もさらに不安定になりかねないのが実情だ。 諸外国に及ぶ恐ろしい「中国効果」 中国は世界の鉄鋼生産の半分を担っている〔AFPBB News〕
問題自体は以前からあった。過剰設備の問題は、2008年の金融危機に対する中国中央政府の対応で悪化し、数年に及ぶ政府の努力にもかかわらず悪化し続けている。 中国は現在、アルミニウムや鉄鋼の世界生産量の半分近くを担っており、セメント生産の世界シェアは約60%に達している。ところが、景気が減速しているにもかかわらず、生産能力の増強は急ピッチで進められている。 中国の昨年の経済成長率は7.8%という13年ぶりの低水準となった。第4四半期に一時盛り返したが、今年上半期はさらに伸び悩んでいる。 アルミニウムの価格は近年急落しており、中国のアルミメーカーの半分以上は赤字操業になっている。しかし、アルミ精錬所は現在も中国国内のあちこちで建設されている。アルミの生産にはエネルギー、水、ボーキサイトという、中国では不足しているものが大量に必要であるにもかかわらず、だ。 中国からあふれ出る過剰供給のために、諸外国の製造業者も生産施設の閉鎖を余儀なくされている。 また中国企業連合会(CEC)の調査によれば、昨年にはセメントの生産施設の稼働率が3分の2前後にとどまったという。 世界各国の製造業者にとって、ここ10年間の「中国効果」は実に恐ろしいものだった。世界中で雇用と生産能力が破壊され、ライバル国の工場が次々に閉鎖に追い込まれていった。 中国シフトが終わると、すぐに始まる共食い しかし、中国の低価格製品に席巻されたセクターのほぼすべてで、奇妙な現象が生じている。どの産業においても、世界の生産施設の大部分が中国に移るとすぐに生産能力が過大になり、共食いが始まるのだ。前出のサンテックはその典型的な例だった。 中国国家発展改革委員会のエネルギー政策上級アドバイザー、李俊峰(リー・ジュンフォン)氏は、中国の太陽光パネル業界を生命維持装置に支えられた患者になぞらえ、全世界の太陽光パネル生産能力の少なくとも半分を削減しなければならないと話している。「過大な生産能力は低価格競争を招く。過大な生産能力を擁する産業はすべてこの問題を抱えている」 太陽光発電パネル産業よりも一足早くこの問題に見舞われたところがあった。携帯電話端末の市場である。中国政府は10年前、パンダ(南京熊猫電子)、コンカ(康佳)、ニンポーバード(寧波波導)といった国内メーカーでこの市場を席巻しようと企てた。 これらの企業は今日、中国本国においてもよく知られたブランド名だとは言い難い。しかし以前は、低コストを売り物にするこれらのメーカーがいずれ台頭し、ノキアやエリクソン、モトローラの中国版になると予想したアナリストが少なくなかった。 中国の政府部門、とりわけ地方政府は、世界的な企業に成長させたいという願いを込めて、これらの企業に巨額の補助金を投じた。しかし最終的には、どの企業も新技術開発競争に敗れてしまった。 「当時は、これらの企業が中国の新たな巨大ハイテク企業に育つだろうという話があちこちで語られた。実際、低価格帯の市場を食い荒らして外国企業を脅かした」。J・キャピタル・リサーチの調査担当ディレクター、アン・スティーブンソン・ヤン氏はこう語る。「ところが時が経つにつれ、中国企業は低価格の、差別化されていない製品を大量に作る工場の座にとどまることが多くなっている」 中国企業が世界を席巻できたのは補助金のおかげ また複数の研究によれば、中国企業がいくつかの製造業セクターで世界市場を席巻できているのは補助金による部分が大きく、その大半は地方政府や省政府によるものだという。 米国の大学で教鞭を執っているウシャ・ヘイリー氏とジョージ・ヘイリー氏は、中国の鉄鋼、ガラス、製紙および自動車部品の業界が小規模な輸入者から世界最大の製造・輸出業者へとわずか数年で変身した過程を研究した。 その結果、これらはいずれも参入企業が非常に多い資本集約的な産業であり、人件費はコストの2〜7%を占めるにとどまること、そして圧倒的多数の企業が「規模の経済」や「範囲の経済」の利益を全く享受していないことが分かったという。 「中国が輸出国として大変な成功を収めたのは、安価な人件費と意図的な人民元安による部分が大きいと広く考えられているが、私たちの研究結果はそれとは相いれないものになっている」とウシャ・ヘイリー氏は言う。 「中国では生産能力がかなり余っており、需給も正確なところは分からず、私たちの研究によれば鉱工業生産の約30%は補助金で説明できる。私たちが調査した企業の大半は、補助金がなくなったら恐らく破綻してしまうだろう」 中国の地方政府の多くは、地元に施設を構える国営企業や民間企業に、現金を直接注入するだけでなく、用地を非常に安価に提供したり、低利の融資や公共料金の割引、税制上の優遇措置などを行ったりしている。 調査コンサルティング会社ファゾム・チャイナのマシュー・フォーニー氏とライラ・コージャ氏がまとめた、中国の非国有企業に対する政府の補助金についての調査リポートによれば、調査対象企業の大半は何らかの形の補助金を直接受け取っていた。 中国自動車メーカーも携帯端末メーカーと同じ運命に遭う? 「要するに、(中国共産)党で最も速く出世するのは、最も派手な投資プロジェクトを手がけて最も高い成長を実現する人であるのが普通だ」。フォーニー氏とコージャ氏はそう指摘する。「事業拡大を目指す民間企業への補助金提供は、雇用と税収をもたらす投資案件を地方がつかみ取る際の助けになり得る」 吉利汽車では政府の補助金が圧倒的に大きな「収益源」になっている〔AFPBB News〕
中国でも特に多額の補助金を受けている企業が、奇瑞汽車(チェリー)、比亜迪汽車(BYD)、吉利汽車(ジーリー)などの自動車メーカーだ。アナリストの中には、これらの自動車メーカーも最終的に携帯端末メーカーと同じ運命に遭うと予想する向きもある。 自動車産業の過剰生産能力は著しく、2010年にボルボを買収した吉利の場合、2011年の純利益の半分以上が補助金から直接得たものだった。 実際、ファゾム・チャイナの分析によると、同年の吉利の補助金収入は、2番目に大きな純利益の源――金属くずの販売――の15倍以上に上った。 件の太陽王の場合、地方政府からの補助金と各種助成が施氏にシドニーからの帰国を促すうえで決定打となった。同氏はそれまでシドニー郊外に暮らし、ソーラー関連ベンチャーの幹部として、トヨタ自動車の「カムリ」で職場に通っていた。施氏とサンテックはコメントを拒んだ。 2000年に、施氏の出生地に近い中国東部・江蘇省の無錫市政府はソーラー産業の創設に乗り出し、市の幹部は支援の約束をして施氏を故郷に呼び戻そうとした。 産業育成で出世を狙う党幹部の野望 「サンテックは無錫市の共産党委員会が撒いた種だ」。2011年3月、施氏は市内の新本社に元無錫市党委書記の楊衛澤氏を歓迎した際のスピーチでこう述べた。「サンテックの立ち上げ段階ではかなりの圧力を受けたが、無錫市はこの種に水をやり、育て続けた」 無錫のソーラー産業育成に成功したこともあって、楊氏は2010年、中国最大級の都市の1つである南京市の党委書記に昇格した。中国全土の党幹部らはこのような大出世に注目し、企業を助成することで自分たちも高い地位に出世できるとの結論に至る。 この状況は地域間の激しい競争を生み出し、地方政府同士が事業コストの安さを競い合うようになる。地方政府は、雇用と税収(それとリベート)を管轄区内にとどめておくために、環境や安全性、労働に関する法律を実施しないことも多い。 ほぼすべての産業に共通するもう1つの大きな問題は、企業の投資・成長計画が、政府は絶対に経済成長が8〜9%を下回る事態を許さないとの考えに基づいて立てられていたことだ。政府が2008年の危機に対応して4兆元(6500億ドル)の景気刺激策を打ち出し、鈍る成長をてこ入れするために建設ブームを引き起こすと、そのような考えが勢いづいた。 現在、成長率が7.5%以下へと減速する中、中国の新指導部は歴代の前任者よりも過剰生産能力の問題に対処する決意を見せている。 「我々は経済発展モデルの転換を加速させ、経済構造を精力的に調整、最適化するつもりだ」。経済担当の第一副首相で、中国共産党中央政治局常務委員会に名を連ねる張高麗氏は、今月の講演でこう語った。「我々は生産能力が過剰な産業では、新規プロジェクトの承認を厳格に禁じ、規制に違反するプロジェクトの建設を断固として止める」 成長の足を引っ張る重し だが、北京の中央政府は何年も前からこの問題に取り組もうとしてきたが、地元の「種」を守ろうとする地方政府の激しい抵抗に遭う。アナリストや政府関係者によれば、サンテックなどの企業の破産はまだ珍しく、大抵、会社が救済しようがないか、地方政府が所有権を押さえたいか、どちらかの場合にしか起きない。 しかし、中国の過剰生産能力の規模と成長減速は、今後、太陽王と同じ運命に見舞われる人が大勢出てくることを示唆している。 施氏は今も無錫市内にとどまっており、まだサンテックの最大株主だが、中国メディアによれば、同氏はサンテック破綻で果たした役割について捜査の対象になっているという。 「場所を問わず、補助金の問題は、それが成果ではなく活動を支える傾向があり、単に非効率を助成するようになると、問題になることだ」。ゼネラル・エレクトリック(GE)の副会長で、香港を拠点として同社の国際事業を管轄するジョン・ライス氏はこう話す。「これを永久に続けると、成長の足を引っ張る重しを大きくするだけだ」 By Jamil Anderlini 騒音、大渋滞、駐車場不足・・・、 モータリゼーションの進展に追いつかない中国社会 2013年06月18日(Tue) 姫田 小夏 中国自動車工業協会の発表によれば、2013年5月の乗用車の販売台数は139万6900台で、2012年の128万1900台に比べ9%増加した。中国の自動車販売台数は、2013年に2000万台を突破するとも言われている。 中国乗用車販売台数 (単位は万台) 、中国自動車工業協会のデータより筆者作成 自動車全体の需要は引き続き旺盛のようだ。一方で、乗用車の伸びは芳しくない。「中国全体の景気に不透明感がある」との見方もあるが、筆者はそれだけの理由ではないと見ている。歪んだモータリゼーションが健全な市場育成を阻んでいると言えないだろうか。
筆者は先月も上海市内の住宅街でこんな場面に遭遇した。路上に乗り上げたクルマが道行く人の行き来を妨げる。たまりかねた初老の男性が叫んだ。 「おい、お前、こんな所にクルマを止めるな!」 怒鳴られた若者はすかさずこう切り返した。 「止めるところが他にないんだよ!」 あわやつかみ合いとなるところを、“近所の顔役”が出てきたのか、ことなきを得た。しかし、ここ上海でも駐車を巡る言い争いは日常茶飯事だ。 大学のキャンパスも、ここ数年でガラリと表情が変わった。いつも学生らが集まっていたバスケットコートは駐車場と化してしまった。おそらく教員所有のものだろう。「クルマで通勤」はもはや当たり前になりつつある。 市民を悩ます騒音と渋滞 上海は北京と並んでマイカー保有が急速に進行している都市の1つだが、便利な反面、多くの社会問題を生んでいる。排ガスによる大気汚染は日本でも度々報道されているが、「騒音」も市民の抱える悩みの1つだ。 現に筆者は、朝、目覚まし時計をまったく必要としない生活を送っている。時計が6時を過ぎると、階下の十字路で発生するけたたましいクラクション音で叩き起こされるためだ。交差点では交通量が一気に増え、大渋滞となる。互いに譲らず、意地の張り合いを続ける運転手、挑発的なクラクションの長押しがあちこちで始まる。交通整理の係員もいるが、ほとんど存在感はない。ピリピリと笛を吹いても、あっけなく無視されてしまう。 渋滞も深刻な社会問題だ。子どものマイカー通学も増えた。朝の登校時には校門の前に多くのクルマが列をなす。ベンツやBMWの後部座席から誇らしげに降りてくる子どももいる。校門の前は、朝も夕も大混乱だ。 筆者は昨今の交通渋滞の一因として、路上の「犬」の増加もあるのではないかと感じている。飼い主が散歩を放棄したのか、あるいは飼うことを放棄したのか、最近は「ひとりぼっちで散歩」という犬が少なくないのだ。 上海では犬を「つないで飼う」というマナーが浸透していないせいもある(特に農村部出身者は放し飼いにして飼う習慣が根強い)。そのため、犬が1匹で道路を横断するシーンが増えている。筆者ははらはらしながら見ているのだが、すんでのところで運転手が急ブレーキを踏んでセーフとなる。インドでは牛が交通の妨げになるが、上海では放し飼いの犬が交通を妨げている。 クルマを買っても駐車できない 駐車、騒音、渋滞・・・。クルマは上海に様々な問題をもたらした。特に「駐車場問題」は、中国の土地事情を反映した中国らしい社会問題だと言える。 上海の友人・李さん(仮名)は今年33歳。外資系企業の管理職を務める彼の目下の課題は「クルマの購入」にあった。母親がこうせっつく。 「同僚はみんなクルマを持っていて持ってないのはあんただけ。いつ買うつもりなのか」 母親にはメンツ(面子)があった。「うちの子だけクルマを持たない」ことが不安でならなかったのだ。だが、李さんの回答は決まっていた。 「駐車場がないのに、買えるわけないだろう」 李さんの家の窓から下を見下ろすと、すでに敷地は他人のクルマで埋まっていた。 李さん一家が住むのは、2000年前半に分譲された「商品房」と言われる集合住宅で、中堅サラリーマンの割合が高い。2000年当時はマイカーを保有することなど夢のまた夢であり、こうした住宅に駐車場はついていなかった。ついていたとしても3世帯に1台くらいの割合だった。当時、中国で駐車場があるのは5台に1台とも言われていた。 ところが近年、中堅サラリーマンを中心にマイカーの保有が急増し、たちまちにして敷地のいたる場所(通路、緑地、小公園など)が駐車場として勝手に占拠されるようになった。中国には日本の「車庫証明」のような制度はない。 遅々として進まない駐車を巡る法整備 2013年4月、天津のとある集合住宅の街区で珍事件が起こった。街区内に開店したクルマのディーラーが、空いていた駐車場に商品であるクルマを並べて販売したのだ。 もともと敷地内の駐車場は必要数を満たしておらず、住人同士の争奪戦が常態化していた。そんなところにディーラーが乗り込み、駐車場で新車を販売し始めたのである。住人が殺気立ったのは無理もない。だが、ディーラーは事前に管理人と「場所代の授受」で話をつけていた。住人からすれば「後の祭り」となってしまった。 武漢ではこの春、「武漢市地下空間開発利用管理暫行規定」の改訂版が公布された。「地下駐車場以外の地下空間の建築物は売買してはならない」とする内容だ。地元投資家らは「ということは、地下駐車場の権利は売買できるのだ」と解釈し、にわかに“駐車場投資ブーム”に火が付こうとしている。 中国では、マンションなど集合住宅内の地下駐車場については基本的に「財産権」を設定できないとされている。一方、「使用権」を設定できるかどうかについては、専門家の間でも様々な意見がある。 一歩踏み込んだ施策を打ち出せないのは、地下室を有事の際の避難場所とする「人民防空法」が絡むためでもある。不動産デベロッパーはマンション開発の際に、地下室を設けることが義務づけられている。その地下室を駐車場として利用する場合、使用権をどこに帰属させるかは明確に規定されていない。 また、仮に地下駐車場に使用権を設ければ、デベロッパーが法外な値段を付け、吊り上げを狙うことは十分に考えられる。 こうしたことを背景に、駐車場を巡る法整備は遅々として進まない。各地方政府がローカルルールを設定し、当座をしのごうとしているのが現状のようだ。 中国で駐車場ビジネスはなぜ困難なのか 地方都市では上海以上に「路上駐車」が深刻だ。多くのデパートやショッピングセンターが屋内外に駐車場を設けるも、利用者が「1時間たった5元」の支払いをケチるため、彼らはみな路上駐車を選んでしまう。「わざわざ金を払って駐車するなど馬鹿馬鹿しくてできない」というわけだ。 政府による公共駐車場の提供を待つ声もあるが、政府の動きは鈍い。マイカーを買うのは一部の富裕層であり、必ずしも「公共性の高い事業」とは言えないためである。もちろん、地元政府の懐具合が芳しくないという要因もある。
そのため、民間によるこの事業領域への投資も待たれているが、これもまた遅々として進んでいない。 筆者は上海の街の変化を見るにつけ、いつも不思議に思うことがある。あるべきものがこの街には見当たらない。これだけ需要がありながら、なぜか「立体駐車場」が普及していないのだ。 答えは簡単、商売にならないからだ。駐車場の用地取得、建設、維持などに係わる費用が想像以上に高くつき、短期の回収が見込めないのだ。 当局は民間の進出を促すべく、税金の優遇や用地取得費の減額、あるいは土地を貸し出すなど各種のサポートを提供しているようだが、それでも駐車場事業は現段階では“魅力あるビジネス”とは言い難い。 上海市内の不動産業者は打ち明ける。「駐車場で働く従業員を雇うだけでも容易ではない。人件費は過去10年で倍以上に上昇した。その一方で、駐車料金は1時間10元程度の低い水準にとどまったまま。駐車場経営はまったく儲からないビジネスだ」。しかも、駐車していた車が盗まれる、傷つけられるなどトラブルも多く、補償をめぐるリスクが大きい。 中国の1000人当たりの自動車保有台数は59台(2009年)。日本の10分の1程度に過ぎない。伸び代がまだまだ大きいことは確かだ。だが、関連法規の整備をはじめ、大気汚染対策、駐車場不足の解消策、渋滞の改善策など、課題は山積みである。 駐車場に関しては、公平を期すために、日本のマンション内でよく行われる抽選方式もありだと思うが、不満を持つ住民によってなし崩しにされてしまうのは目に見えている。「我先に」「我が身さえよければ」の中国社会において、モータリゼーションはますます歪んだ悪路を突き進んでいるようだ。 【第6回】 2013年6月18日 加藤嘉一 [国際コラムニスト] 「安定」「成長」重視か「公正」「人権」尊重か 胡錦濤と習近平の20年を読み解くための4つの軸 中国社会を考察する上で理解が不可欠な 中国人の割り切り感&プラグマティズム 前回コラムでは、過渡期における中国政治は非民主的、即ち、政府の正当性が制度的に担保されていないにもかかわらず、「極端に悪いリーダー」が指導部のコンセンサスによって排除されやすいという構造を述べた。一方、「カリスマ不在の非機能的な集団指導体制」の下では、「極端に悪いリーダー」は自浄的に排除されうるが、「極端に良いリーダー」も出てこないことを検証した。 「良いリーダー」と「悪いリーダー」の区別もつかなくなるような、あるいは、良くも悪くもない、当たり障りのない平凡なリーダーが蔓延る「保守の時代」に入っていく可能性が高い、と結論づけた。 本稿では、この結論を念頭に置きながら、2012〜2013年にかけて、前任者と後任者として「紅い政権交代」を演じた胡錦濤氏と習近平氏が、どういうリーダーなのかというテーマを検証するために、私が中国共産党による政治・ガバナンスを考える際に応用しているフレームワークを紹介することとしたい。 これまで本連載で言及してきたように、中国の政治体制における伝統的な特徴のひとつは「政府の正当性」(Accountability)の不在・欠陥にある。理由は、リーダーを含めた政府が国民によって選ばれていないからであり、「国民が政治を一部の権力者に委託している」という手続き・プロセスが制度的に踏まれていないからである。 それでも、政治が政治として機能するためには、政府は人民から何らかの「信任」を得なければならない。中国においては、その信任が「ガバナンスにおける結果・業績」に相当する。要するに、結果さえ残していれば、たとえ政府が民主的でなくても、リーダーが多少の腐敗を犯していても、政策実行のプロセスに透明性が欠けていても、人民は「それほど気にしない」ということだ。 2003〜2012年にかけて、北京を拠点に生活しながら常々感じていたが、ある意味、中国人民ほど権力の横暴に無頓着で、政治の腐敗に忍耐的な民族は他に類を見ないように思う。多くの中国人が「腐敗は文化」と割り切っているように、「中国は歴史的にそうだから仕方がない」というメンタリティーもあるように感じる。中国人の血液に流れるプラグマティズムとも言えるだろう。 政治だけではない。経済活動、民間コミュニケーション、メディア報道、大学経営、地域活動、文化イベントなど、中国社会を構成するあらゆるファクターを俯瞰してみると、“割り切り感&プラグマティズム”というチャイニーズ・メンタリティーは、私たち外国人が中国政治を考察していく際に意外と役に立つ。 ただ単に、「中国人は民主主義なき政治を受け入れない」、「そろそろ民主化しないと中国社会はもたない」、「経済が市場メカニズムで動き始めているのだから政治も民主主義で動かすのがセオリーというものだ」などという、私たち“外側”からの論理展開のみでは、悠久かつ動的な中国政治にはアプローチしきれないと私は考える。 本気で理解しようと思ったら、(もちろん実際に一定期間住んでみるのがベストではあるが)1〜3ヵ月くらいかけて、経済建設真っ只中の中国各都市、農村を、飛行機、高速鉄道、バス、タクシー、地下鉄、徒歩などあらゆる手段を使って、自らの足でぶらぶら歩いてみるのが効率的であると思う。 共産党ガバナンスの結果&業績 を担保する4つの軸 中国政治において「ガバナンスにおける結果・業績」はどのように担保されているのだろうか。言い換えれば、中国政府と中国人民は、どのようなチャネルを通じて互いに信任状を交わし合っているのだろうか。 私は、2003〜2022年という胡錦濤(第四世代リーダー)・習近平(第五世代リーダー)の20年間は、少なくとも以下の4つが「信任状」を理解するための軸になると考える。 (1)安定(stability) (2)成長(growth) (3)公正(justice) (4)人権(human rights) 「安定」とは社会の安定を指す。治安の安定だけでなく、政治の安定が最重要視される。日本人が即座に連想するような「社会の秩序」というよりは、共産党が政権運営上、必要とする「政治の秩序」が主要テーマになる。 「成長」とは経済の成長を指す。主に、経済のスピートと規模感に焦点を置く、高度経済成長期に強調されやすいコンセプトである。 「公正」とは教育、医療、社会保障、就業機会など、社会が公正に機能し、人民が公平に義務と権利の関係にコミットしているかを指す。市場メカニズムが公正に機能しているか、すべての企業が法律の前では平等で、必要な資金を市場で公平に調達できるかなど金融面の公平性もここに含まれる。 「人権」とは言論、結社、出版、集会などを含めた政治の自由が直接的な対象であるが、本連載が核心的テーマにしている「民主化」を実現していく上で不可欠な司法の独立、報道の自由、民主選挙など政治体制改革ファクターも広義では含んでいる。 私は胡錦濤氏が中国を統治していた2003〜2012年を北京で過ごした。この期間は中国にとって「国家大事密集期」を意味していた。北京五輪、上海万博、中華人民共和国60周年&軍事パレードなど党の威信を国内外にアピールし、国威発揚という一点にあらゆる資源を集約させる時間が続いた。 胡錦濤氏は重なる「国家大事」を平和的に成功させるために奔走していた。そこには、「国家大事を成功させるためには、人民の自由や権利を少しくらい束縛したって問題ないだろう。人民だって中国のプレゼンスが国際的に向上し、自尊心を取り戻すことを望んでいるのだから」という一種の甘えすら蔓延していた。人民はそんな国家の欲望を受け入れていたようにも見えた。 私はそれを北京で感じていた。北京大学内、五輪スタジアム周辺、天安門広場、長安街、胡同(フートン)、地下鉄……、あらゆる局面で共産党の影を垣間見ることができたし、国家の権力が人民の権利にかぶさり、前者が後者を縛りつける空間がそこにはあった。 国家大事成功のカギとなる「安定」 そのために必要だった「成長」 「国家大事密集期」だった過去の2003〜2012年、胡錦濤氏は社会に対して「結果・業績」を誇示するために、「4つの軸」にどのような優先順位をつけ、統治してきたのだろうか。 私は「安定→成長→公正→人権」の順番でガバナンスコントロールをしていたとレビューする。 国家大事を平和的に成功させ、国威発揚を通じて共産党の一党支配、及びそこに潜む一種の正当性を担保するために、まずは「安定」を最重要視した。そのためには異端分子やデモ集会は徹底的に、トップダウンで、暴力によって潰した。この期間、歴史的に五四運動や六四事件(1989年天安門事件)を起こす戦略的出発点となった北京大学で、反共産党・反権力のデモや集会を実際に起こそうとし、実際に起こした学生を私は誰ひとりとして見なかった。(注) 注:反日デモだけは例外として起こった。ここに共産党による政治の盲点があるが、この問題に関しては今後随時連載の中で扱っていく。「反日」は中国民主化を考察する上でもひとつの重要な切り口である。 大学のキャンパス内には、思想統一や厳重警備を含め、共産党による学生たちに対する監視が徹底されていた。仮にあの状況で、北京大学から天安門広場に向かって政治の民主化を求めるデモ行進など始めようものなら、当事者たちは拘束され、下手をすれば国家転覆罪などの名義で犯罪者扱いされ、一生を棒に振ってしまうことにもなりかねなかっただろう。 「安定」を担保するためには二番目の「成長」を続ける必要があった。「GDP主義」である。経済の二桁成長が目標として掲げられ、リーマンショックの後ですら当時国務院総理を務めていた温家宝氏は「保八」(バオバ―)と言って、「8%成長は死守する」という指標を公言していた。 毎年社会に放り込まれる約600万人の大学卒業生という巨大なパイを労働市場が吸収できず、「必死の思いで大学まで行ったのに、就職すらできないのか!?」と荒れ狂う若者が、社会の安定を脅かすことを共産党指導部は懸念していた。だからこそ、温家宝氏は随時・随所で「保八」の必要性を強調し、「自信を持って行けば大丈夫だ」と市場にポジティブなシグナルを送り続けたのだ。 国家大事重視によって後回しにされた社会改革 人民の不満は爆発し党の威信は損傷 一方で、「公正」は先送りにされた。「紅い政権交代」が展開される過程で、胡錦濤氏の10年をレビュー・評価する動きが水面下で行われていた。私もそのプロセスに出来る限りコミットしたが、胡錦濤の政治に対する評価は極めて低いものだった。 その理由としてしばしば挙げられたのが「国家大事を重視し過ぎるあまりに、市場メカニズムの強化や法治主義の建設、公平な富の再分配や教育・医療・戸籍をはじめとする社会改革が後回しにされたから」であった。 「安定」と「成長」はまさに胡錦濤・温家宝の10年を象徴する車の両輪だったと言える。安定という目的のために成長という手段を徹底追求した。その過程で、本来着手されるべき「公正」にはなかなか手がつけられず、人々の為政者に対する不満は爆発し、ガバナンス力は低下し、党の威信は「五輪を平和的に成功させた」などという為政者の納得感とは別の次元で損傷した。 「人権」に関しては後回しにされたどころか、過去10年の間で大きく後退した。それを証明する事例は、枚挙に暇がない。 北京五輪の前後に、ユーチューブ・フェイスブック・ツイッターが当局によって突如ブロックアウトされ、アクセスが禁止されたこと。当局による監視や政治的な注文にしびれを切らした米グーグルが中国市場から撤退し、香港にシフトしたこと。ノーベル平和賞まで獲得した劉暁波氏が授賞式にも出席できず、いまだ牢獄の中に閉じ込められていること――。 これらだけを見ても、過去の10年間で「人権」をめぐる事情は大きく後退したと言える。グローバル化、情報化、インターネットの台頭(今ではネットユーザーは5.5億人に上る)などという不可逆的な歴史の趨勢から、「共産中国」も逃れられないのは周知の事実だ。利害関係や価値体系が多様化し、これまでのようにマルクス・レーニン主義、毛沢東思想、ケ小平理論などのイデオロギーだけで多様化するダイナミックな社会を統治できるはずもなく、徐々に規制緩和を進め、人民の情報、知識、経験に対する本能的欲望を満たしてあげる事は、長期的、大局的な社会の安定、秩序の形成に資するはずであるが、胡錦濤氏はそうはしなかった。 「国家大事を平和的に成功させるためには国家の安定を脅かそうとする如何なる異端分子も力で排除する」というポリシーを終始貫いた。 外国人として中国の言論市場で発信をしてきた私もカテゴリーの中では異端分子に属することは言うまでもない。しかも、中国共産党のガバナンスにとって、しばしば不安要素と化す日本人である。当然、私の言論活動にも常に監視がなされていた。 個人的経験からすると、コラムを書き始め、テレビでコメンテーターを務めるようになった2005年から、第18党大会が開催され胡錦濤氏が総書記の座を習近平氏に譲った2012年まで、言論統制、報道規制はみるみるうちに強化されていった。中国問題、日本問題、日中関係など如何なるテーマを扱うにも、常に監視当局や、監視当局からのペナルティーを恐れるメディアの編集者から、「自主規制」を求められた。 「郷に入れば郷に従え」は国際社会で生き抜く上での鉄則であるから(それが嫌ならやらなければいい)、私も当局と主張と妥協を繰り返しながら格闘していく覚悟を決めながら、最悪、拘束されてしまっても仕方がないというリスクを念頭に置きながら、恐怖の中で日々過ごしてきた。 本来であれば、北京五輪という最大の国家大事が終了した2008年下半期あたりから、言論や報道に対する規制緩和が徐々になされるものだと予測していたし、北京の酒場で知識人たちと楽観視を共有することもあった。もしかしたら、多くの自由を享受できるかもしれないという期待感を高揚させながら盛り上がったりもした。しかし、蓋を開けてみると、現実は残酷であった。緩和どころか、強化の一途を辿った。 胡錦濤の4つの軸を 習近平はどうリバランスするか 以上見てきたように、胡錦濤氏は「安定第一、成長第二、公正第三、人権第四」という具合に優先順位をつけ、政策を実行し、党をガバナンスし、国家を統治した。英語で表現すれば、「Hu Jintao had prioritized the policy as stability first, growth second, justice third, human rights fourth」である。これが、私が胡錦濤氏と時空を共にした2003〜2012年における共産党政治の核心だと総括できる。 それでは、前任者から権力を非民主的に継承し、前評判では「胡錦濤よりも権力基盤がしっかりしていて、思想的には保守的だけれども、胡錦濤よりも大胆な改革を実行していくだろう」(党中央思想理論担当官)と騒がれていた習近平氏は、これからの10年間、「揺れる巨人」をどうマネージしていくのだろうか。安定・成長・公正・人権という中国政治の4つの軸をどのようにリバランスしていくのだろうか。次回コラムで集中的に議論していくつもりだ。 現在、私は約一年ぶりに北京に足を踏み入れ、以前よりも汚くなった空気と、依然として煩雑な交通状況と、相変わらず忙しく巷を行き来する市民の面影を五感で吸収しながら、それでも「少し落ち着いたかな」などと思いながら、思い出の大地を満喫している。黄土色に染まった天空を見上げながら。 |