12. 2013年6月19日 07:43:17
: e9xeV93vFQ
【第2回】 2013年6月19日 八代尚宏 解雇規制改革は中小企業の労働者に“福音” 「多様な働き方」実現に中立的な労働法制を ――国際基督教大学客員教授 八代尚宏 カネさえ払えば自由に解雇できるようになる――。政府の産業競争力会議で議論されて以来、そんな批判が数多く寄せられている「解雇規制改革」の問題。これに賛成の立場を示す八代尚宏・国際基督教大学客員教授は、「企業の得、労働者の損」という通り一遍な認識をされがちなこの問題には大きな誤解があると言う。なぜなら、日本では労使間の階級対立よりも、正社員と非正社員、大企業と中小企業の「労働者間の利害対立(労・労対立)」の方がより深刻であり、実のところ解雇規制の改革は、中小企業の労働者を守る規制強化にもつながるからだ。(本アジェンダの論点整理については第1回の編集部まとめを参照) “企業に得、労働者に損”は本当か 「解雇規制の改革」の意味 やしろ・なおひろ 国際基督教大学教養学部客員教授。経済企画庁、日本経済研究センター理事長等を経て、2005年より現職。著書に『労働市場改革の経済学』(東洋経済新報社)、『新自由主義の復権』(中公新書)などがある。 Photo by Toshiaki Usami 解雇規制の改革は、成長戦略の大きな柱として重要である。この問題については、「企業の得、労働者の損」という認識が一般的である。しかし、現行の雇用保障の慣行は、元々、法律で強制されたのではなく、戦後の高成長期に、企業の必要性に基づき成立したものであり、それが経済社会環境の変化に対応した修正を求められているのである。労働基準法では、解雇の際には30日前の通告(即日解雇なら30日分の賃金支払い)を義務付けるのみで、休業中の労働者等への保護規定を除けば、事実上の「解雇自由」の状況に近い。しかし、実定法の解雇規制の不足を補うため、判例法で「客観的に合理的な理由がない解雇は無効」という法理が形成され、そのまま2008年施行の労働契約法に盛り込まれている。 しかし、解雇された労働者が、それが「合理的な解雇ではない」ことを示すために、裁判に訴えなければならないことは、そうした余裕のない中小企業の労働者にとっては役立たない。他方で、大企業の労働組合に支持される労働者は、長期の法廷闘争で、解雇無効の判決を勝ち取れる可能性は大きい。「中小企業が解雇自由だから、大企業についても規制改革すべきでない」という論理は成り立たない。 現状の解雇規制は、単に厳し過ぎることが問題ではない。大企業と中小企業の労働者間の大きな格差があることが真の問題なのである。これを解雇の金銭補償を中心に、より公平で透明性の高いルールへと改革することが、労働契約法制定の本来の目的であり、当時の規制改革会議もこれを支持していた。しかし、金銭補償について厚生労働省の労働審議会での議論がまとまらず、結果的に抽象的な判例法の内容をそのままコピーしただけの「骨抜き法案」になってしまった。 自由な契約を前提とする市場経済で、何かを例外的に規制する場合には、その内容が「客観的・合理的」なものでなければならない。その大きな柱である解雇の金銭補償の月収基準がドイツ(12-18ヵ月)やイタリア(15-27ヵ月)のように明確に示されなければ、およそ法律として十分に機能しない。 金銭補償が盛り込まれなかったことは、解雇ルールの運用を裁判官に丸投げする現状の法制で利益を得る集団が、徹底的に反対したためである。裁判に長い時間をかけられる大企業の労働組合にとっては、解雇無効の判決を勝ち取った後、会社側との和解交渉で得られる金銭補償の額に、法律で上限を設けられたくない。他方で、裁判ではない労働審判では、平均20万円弱の解雇補償金(労働政策研究・研修機構編『日本の雇用終了』)で済ませている中小企業の経営者にとっては、法律で下限を設けられたくない。この大企業労働組合と中小企業経営者との「奇妙な利益の一致」から、多くの中小企業の労働者にとっては「福音」となった筈の、真の労働契約法が実現されなかった。 企業別に組織された日本の労働市場では、欧米のような労使間の階級対立よりも、企業内の正社員と企業外の非正社員、大企業と中小企業の労働者間の利害対立の方が、より深刻である。労働審議会は特定の団体間の利害調整の場でしかなく、そこに参加しない非正社員や中小企業の労働者の利益は無視され易い。むしろ総理直轄の会議で、社会全体の観点から解雇ルールの基本的な方針を定め、それを基に国会で十分な審議を行う必要がある。 「カネさえ払えば解雇できる」への誤解 事前型と事後型の金銭補償とは何か 解雇の金銭補償について、「カネさえ払えば解雇して良いと法律で定めた国はない(従って、日本もそうすべきではない)」という説明が厚生労働省によってなされているが、これは、誤解を生みやすい。まず、米国や英国では、そもそも国は解雇等の個別労使紛争には介入しないため、金銭補償についての規定がないのは当然である。但し、人種・宗教・性別等の「差別」による解雇には、人権問題として断固介入する。また、法律はなくとも、企業は労働組合との事前協定で、一時帰休の条件として金銭補償を行うことが一般的であり、事実上、政府もこれを容認している。 他方、ドイツやイタリア等では、労使紛争で解雇無効の判決となっても、企業側が一定額の金銭賠償をすれば解雇できるという規定がある。日本でも法律上の規定はなくとも、解雇無効の判決後には、職場復帰ではなく、金銭補償で和解する場合が一般的である。このように、現状の解決法を追認する事後型の金銭補償方式は、過去の労働審議会で検討された経緯もあり、目新しいものではない。 しかし、この解雇無効判決を前提とした事後型の金銭補償では、裁判に訴えられない中小企業の労働者の救済にはならない。これに対して、「事前型」は、判例法の「解雇権濫用法理」における、解雇の必要性、解雇回避努力、被解雇者の差別禁止、労働組合等との協議等の四要件と並んで、所与の水準の金銭補償を、解雇の有効・無効を判断する基準に含めるものである。これにより、労使双方にとって事前の予測性が高まるだけでなく、それが労働審判の補償金の水準にも反映される可能性が大きい。金銭補償を「カネさえ払えば解雇できること」と批判するのは大企業の恵まれた労働者の立場であり、現に十分な補償もなしに解雇されている中小企業労働者の厳しい現状を無視したものといえる。 職種・勤務地限定型正社員が増えれば 賃金格差は縮小へ 解雇紛争について、とくに仕事能力不足を理由とした解雇を、裁判官が容易に認めない場合が多いことは、個々の労働者についての職務範囲が明確ではないことによる。これは人事部の言いなりに、様々な職種に配置転換され、企業に固有な「熟練」を形成するという建て前では、仕事能力の不足は、企業側の共同責任と見なされ易いためである。他方で、外資系企業等で、特定の仕事能力を見込まれて中途採用された場合に、その能力が不十分であれば解雇が有効とされた判例もある。 欧州のように、最初から配置転換のない、特定の地域・職種に限定した雇用契約であれば、その仕事にふさわしい能力で働く限り雇用は保障されるが、働いている事業所が閉鎖されることは、雇用契約が終了するための「客観的に合理的な理由」となる。日本でも、こうした働き方が労働契約法で容認されれば、「慢性的な残業と頻繁な転勤等、無定限の働き方の代償として雇用が保障される正社員」と、「職種と勤務地は選べるが、雇用が保障されない非正社員」との中間的なものとなる。非正社員から職務限定型の正社員への移行も容易となる。 こうした働き方は、仮に、現行の専業主婦を養う世帯主を前提とした無定限な働き方が、唯一の望ましいものと考えれば、単に雇用保障を弱めるだけのものと映るであろう。他方で、傾向的に増える共働き家族にとっては、残業や転勤がなく、仕事と子育てや余暇との両立を可能とする働き方が何よりも必要である。ここにも労働組合の要求には反映され難い、正社員の内での「労・労対立」がある。 こうした職務限定型の正社員が増えれば、派遣社員と同様な「同一労働・同一賃金」の労働市場が発展する。現行の企業規模間、男女間、正規・非正規間の賃金格差は、若年層で小さく、中高年層でもっとも大きい。この主な要因である年功賃金の対象となる労働者が減れば、それだけ労働市場全体の賃金格差が縮小し、企業間・産業間の労働移動も活発となる。新卒時でなければ、大企業に就職でき難いという、固定的な雇用慣行が主流でなくなれば、過度な受験競争も緩和され、家計の教育費負担も減る。男女が共に働き、共に家事・子育てをする男女共同参画社会への第一歩ともいえる。 国は“特定の働き方”へ肩入れせず 「多様な働き方」への中立性を 日本の多くの企業で、職務限定型ではなく、どのような職務でも対応する働き方が主流であったことは、それが戦後の高い経済成長期の環境に適合していたためである。1980年代末までの短い不況期と長い好況期の組み合わせの経済環境では、景気変動の下で正社員の雇用を守る、緩衝役としての非正社員は少数でよかった。 しかし、1990年代以降の長期停滞期にも、この過去の仕組みを変革しようとしない日本企業は、その代わりに雇用保障の対象となる正社員数を抑制せざるを得ない。この結果、非正社員数は傾向的に増え、2013年1-3月期には雇用者全体の36%強に達している。政府も、過剰な社員を抱え込む企業に補助金を出す「雇用調整助成金」を拡大したが、これは結果的に、労働者の企業間移動を妨げた面もある。この結果、年功賃金の中高年の雇用を守るために、若年者等の新規雇用機会が縮小し、労働市場の劣化が進行している。 こうした企業を取り巻く環境変化の下で、労働市場改革が必要となっている。企業への雇用維持のための補助金ではなく、個人の企業外部での教育訓練や、転職活動への支援に重点を置く必要がある。その上で、回復する見込みもない需要に比べて過大な従業員の雇用を調整するルールを、個々の企業内でも定める必要がある。 整理解雇の金銭補償の基準としては、企業を辞める社員と残る社員との公平性の確保が重要である。例えば、全体の1割の社員が減ることで、残りの9割の雇用が守られるとした場合には、企業に残れる経営者や社員の賃金カットを原資として、辞めてもらう社員への補償金を捻出する。いずれの場合にも、辞める社員と残る社員の担う負担が均衡しなければ、企業の円滑な再生は困難となる。低成長期の解雇ルールを考える際のポイントは、伝統的な労使対立の枠組みではなく、「労・労対立」の視点で、金銭補償を中心とした公平な労働法制を目指すことである。 雇用保障と年功賃金を中心とした日本的雇用慣行は、企業内で熟練労働を形成するための優れたビジネスモデルである。しかし、経済環境の変化の下で、それ以外の多様な働き方へのニーズも増えている。国の役割は、雇用保障の代償に無定限の働き方を強いる雇用慣行だけを「良い働き方」として保護するのではなく、中立的で公平な審判の立場で、労働者が移動し易い、円滑な労働市場の機能を守ることにある。
|