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努力する人 探さない消費者
現代ニホンは努力を貨幣としたカルト世界である。
これは、プロテスタントが禁欲的であるのと同じ意味を持つ。
プロ倫である。
いずれも決められた項目以外には無効となるのが(なれるのが)特徴である。
努力しない(とみなされた)者はニンゲンではない。イジメにあう。
これに天皇制がアベノミックスされると非国民になる。
また、嵌まった殺人なら了とする、悪魔的儲けシステムである。
この、審判の日に向かうシステムでの、消費とは何なのだろうか?
それは祝福された私の獲得のためになされる。blessed me 、若しくは私が全てのアナタの人類補完である。
"努力" か "だよねー"のための消費である。
何時でもニホン人の目の前にはAmazonがある。調べなくとも教えてくれるGoogleもある。天皇制は今でもテレビからやってくる。
消費すべき項目をブレインチャージしてくれる。
安い、便利、安心、気持ちいいがキーワードだ。
第N次宗教改革の今だが、当然ながらその前提に心的不安定を必要とする。
地震や破綻、テロを煽るのはそのためでもある。
このカルト化した神的支配経済、論理無効なのは必然である。
変化する自然の不条理は神々を生むが、外界は不変であり、どうしようもないのは自分でしかない世界情況時に一神教が開始される。更に真の問題が内面にあるとされればキリスト教の始原である。
努力と、よく調べれば分かる、は同根である。
神の定めた(とされる)分かりやすいアイテムをゲットするのがフツーの努力であり、隠された(とされる)神の叡智、ステイグマをみつけるは科学的(とされる)努力である。
セカイはニンゲンと他の創造物のみからできているのだから。
カミは見えなくても、その代理階級はテレビからコトバを発し、スマホは知らぬ間にブレインチャージしてくれる。
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