02. 2013年6月10日 09:39:56
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仕切り直せるか?「円安・株高」米雇用統計が与えたアベノミクス“追加策”の猶予 2013年6月10日(月) 松村 伸二 円相場は乱高下――。世界が注目した5月の米雇用統計が発表された直後の為替相場が3円近くも大きく動いた反応について、各メディアは一斉にこの見出しで伝えた。 「乱高下」というと、相場の方向性を見いだしづらい材料だった印象に映る。しかし、値動きを細かく見れば、相場が迷った形跡はない。1ドル=94円台に円高方向へ突っ込んだのは一瞬。その後は一貫して円安・ドル高を辿った。米ダウ工業株30種平均は200ドルを超える5カ月ぶりの大きな上げ幅。つまり、米雇用統計に対する市場の反応は明確な「円安・株高」だった。 日本時間7日夜9時半に発表された、この雇用統計の内容はというと、非農業部門の雇用者増加数は前月比17万5000人と、市場予想を若干上回った。一方、失業率は7.6%と、前月から0.1ポイント悪化。強弱入り交じる結果に、市場関係者の多くが解釈に迷ったことは事実だ。 最近の円高・株安のロジックは簡単に言うとこうだ。「米景気の改善を示す経済指標を根拠に米量的緩和が実際に早期に縮小されると、世界的な流動性相場が曲がり角を迎え、投資家が積極的にリスクを取りづらくなる」。 そこへ、今回の雇用統計が与えた解釈は、「量的緩和は、すぐには縮小できないが、景気の緩やかな回復は続いている」というもの。市場の反応は結果的に、ドルと株の買い戻しとなったわけだ。 週明けの日本株は1万3000円台回復か? 思い起こせば、日経平均株価が突然、1000円安となった5月23日に始まった株価の急速な調整のきっかけは、バーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長による、量的緩和の早期縮小を示唆した発言だった。これに対する1つの答えが雇用統計で示された格好だ。このことは、この2週間余り急落してきた日本株相場と、円高に舞い戻っていた為替相場に、新たなステージが始まってもおかしくないことを意味する。 雇用統計が目先、日本株に与える初期段階の影響はすでに読み取れる。日本が寝静まっていた7日夜から8日早朝にかけて、シカゴ市場の日経平均先物は円安・ドル高の反応を追い風に上昇。同市場での6月物の終値は1万3220円と、7日の日経平均(1万2877円53銭)の水準より約340円高かった。週明けのきょう10日の東京市場は、この流れを受け継いで、高く始まると見られる。 PER低下でアベノミクス相場の割高感は解消 このまま、円安・株高のトレンドに戻れるのか。 日経平均は5月22日の1万5600円台から、先週末7日の1万2800円台まで2700円も下落した。この間、チャート分析上の重要な節目を次々に割り込んできたが、ここで踏みとどまれば、市場関係者の多くが意識していた“防衛ライン”の1万3000円前後で切り返せることになる。 日経平均の水準自体は2カ月前に戻ったにすぎないが、株価の割高感はそれ以上に解消しているようだ。企業が見込む今期の利益に対して、今の株価がどの程度の水準にあるかを示す予想株価収益率(PER)を見ると分かりやすい。 PERは、今期の業績見通しが改善傾向にあることを企業の多くが発表し始めた4月下旬以降から低下傾向にあった。だが、5月23日以降は、業績面の根拠が変わらないにもかかわらず、株安の影響で一段と切り下がった。日経平均の採用銘柄ベースでみた予想PERは足元で14倍台。これは昨年11月半ば以来の水準。このことだけでは言い切れないが、アベノミクス相場で形成されてきた「割高感」はほぼ解消された格好だ。 株式相場そのものの分析もさることながら、このところ株価の調整圧力を左右してきた円相場の動きも、大きな局面に差し掛かっている。 米雇用統計が発表された直後の円相場は、一瞬だけ95円を突破した後、97円台半ばまで押し戻された。ひとまず跳ね返された、この95円近辺という水準は企業業績を占う上で大きな節目だ。主要な輸出企業の多くが、2014年3月期の業績予想をする際の前提として設定している為替の想定レートの水準だからだ。 この95円の節目を大きく上回る円高局面に再び舞い戻れば、株式市場では企業の輸出採算の悪化を警戒した売りが膨らみ、アベノミクス効果は帳消しになりかねない。裏を返せば、まだ予断を許さないとはいえ、この先、円安の流れに再び戻るようだと、株式相場は再び復活する可能性があるわけだ。 安倍首相は成長戦略の追加策を明言 今回の株価急落局面のきっかけとなった米量的緩和の縮小観測がしばらくお預けになるとすれば、市場の関心は再び国内要因、すなわち安倍晋三政権の政策運営に戻ることになる。 5日に素案が発表されたアベノミクスの「第3の矢」、成長戦略に対する市場の評価は今のところ芳しくない。投開票まであと1カ月余りに迫った参議院選挙を意識し、安倍政権が市場の期待するレベルまで、具体的な施策にどこまで踏み込めるかが焦点となりそうだ。 安倍政権の改革姿勢を評価する上で、市場が最も期待しているのが法人税率の引き下げだ。しかし、税制改革案として今のところ挙がっているのは、設備投資を積極化する企業への税制優遇などにとどまる。 そんな中、安倍首相は8日付の日本経済新聞のインタビューで、「成長戦略はこれで終わりということではない」「弾を込めて発射して、それが少しずれていれば修正して、もう1回撃つ」と明言。成長戦略の追加策を打ち出す考えを示した。市場の期待をつなぐこの発言は目先、株価の心理的に支えになると見られる。 マーケットに直接働きかける施策としては、公的年金の機動的な活用も注目される。 公的年金資金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は7日、運用資産の構成比率の見直しを急遽、発表した。この日は、事前に一部の海外メディアが公表の事実を伝えたことも材料視され、日経平均が一時的に500円強の値幅を駆け上がる場面があった。 資産構成割合の変更の特徴を一言で言えば、「現状の運用ポートフォリオの追認」だ。 これまで市場の一部では、国内債券の割合を減らす一方で、国内株式を増やすことへの期待が事前に強まっていた。蓋を開けてみると、その通りにはなったが、国内株式の比率は1ポイントの引き上げにとどまった。 実は今回の比率は、すでに公表済みだった昨年12月末時点の実際の運用ポートフォリオの構成比率とほぼ同じだ。昨年11月半ば以降の株高と円安・ドル高を受けて変化していた現状の運用比率に、計画方針のほうを合わせた格好だ。 「PKO」復活につながる安倍政権の機動力に期待感 かつて、株式市場で「公的資金」と言えば、過去の自民党政権が著しい株安局面を迎えるたびに、株価を支える買い主体として口走ってきた「PKO(Price Keeping Operation)」という名が懐かしく思い起こされる。 これは、株価が下がれば国内株式の構成比率が下がってしまうため、自動的に買いを入れざるを得なかったわけだが、このことが市場では「PKO発動」と騒がれた。今回は、この逆が想定されていた。従来の比率で厳格に運用を続けるとなると、目先は株式を売却しなければならなかったわけだ。あえて言えば「“プライスダウン”オペレーション」になりかねなかった行動を回避するための構成比率変更と言うことができる。 現状運用の追認ということであれば、ここから新規に国内株を買う行動は期待しづらく、過去に噂されたことのある「PLO(Price Lifting Operation)」にはなり得ない。しかし、公的資金の運用方針にまでテコ入れに踏み出した安倍政権の機動力を評価する声は少なくない。 安倍政権の政策手腕が厳格に試されるのは実はこれから 比率変更で目を引くのは、外国債券と外国株式の増加だが、これは円安を促す効果が予想される。諸外国から円安誘導策との批判を再び浴びかねないが、アベノミクスの政策の方向性が一貫していることは確認されたわけだ。今後も折に触れて、円安と株高を促す運用が検討される可能性はある。 円安・株高の調整は、これまでにかなり進んだことは否めない。相場を取り巻く環境も、ひと頃よりは落ち着きを見せてもおかしくない状況だ。この先、新たな円安・株高へ仕切り直すためにも、安倍政権の政策手腕は、実はこれからが厳格に試されることになる。 なぜ私たちは中央銀行制度をつくったのか
マネタイゼーションの誘惑をどう断ち切るか 2013年6月10日(月) 河野 龍太郎 、 加藤 出 なぜ、中央銀行制度が作られたのか。第1次大戦後の日本、第2次大戦後のアメリカを見ても分かるように、民主主義制度のもとでは、中央銀行と政府とのせめぎ合いが起きるのは必然とも言える。今回は、歴史を振り返って中央銀行の独立性がなぜ必要なのかを考えるとともに、日本がこれまで行ってきたのは「為替レート・ターゲット的金融政策」であったこと、また、なぜそうならざるを得なかったのかについて話を進める。(聞き手は飯村かおり) (前回から読む) 前回まで、日銀の異次元緩和、FRBのQE3と、各国の緩和政策の“出口の見えない危うさ”について語っていただきました。この金融緩和はもうやめられないのでしょうか。 河野龍太郎氏(写真:大槻純一、以下同) 河野:やめられません。マネタイゼーションは社会的に出口が難しい。金融政策だけでは効果がないかもしれませんが、中央銀行ファイナンスによる積極財政、つまりマネタイゼーションには一時的にせよ効果があります。それは、国債発行によって政府が支出を拡大するからです。短期的なコストは金利が上がることですが、中央銀行が国債を購入することで金利を抑えているので、短期的にはコストがないように見えてしまう。
これをやめようとすると景気が悪くなるので、やめられない。それで追加的に続けると、そのときの短期的なコストはないように見えるので、結局、公的債務が膨張を続けるということが、どこの国でも起こっているのです。だから、中央銀行制度(注1)そのものの根幹にかかわる議論になってきているのだと思います。 (注1)中央銀行制度:政府から独立した機関である中央銀行に金融政策を委ねるシステム。金融政策にはインフレ的な運営を求める政治的圧力がかかりやすいため、中央銀行の独立性を確保し、その中立的・専門的な判断に金融政策運営を任せることが適当との考え方が背景にある。 マネタイゼーションの誘惑 河野:なぜ私たちが19世紀から中央銀行制度をつくり始めたか、その理由を考えてみましょう。あえて中央銀行を政府とは別の組織にした理由は、マネタイゼーションを避けるためです。歴史的にもジョン・ロー(注2)の時代からいろいろ実例がありますが、結局、政府は公的債務の貨幣化をしたいわけです。有権者に増税をお願いするとか、歳出削減をお願いするというのは大変なので、マネタイゼーションの誘惑をなかなか断ち切れない。 (注2)ジョン・ロー:1671〜1729。スコットランド出身の実業家、フランスの大蔵大臣。政府債務解消のため、王立銀行を設立して総裁に就任し、銀行券を発行してミシシッピー会社に増資、同社がフランス国債を購入するスキームを作り上げた。しかし、ミシシッピー会社に実態がないことが発覚すると株価は暴落、通貨に対する信認も失われてハイパーインフレが発生し、フランスの財政は最終的に破綻した。 それを断ち切るために、私たちは中央銀行制度をつくったわけです。この対談の1回目で、一連の金融政策に関する動きから、加藤さんは世界の中央銀行の中で日銀の独立性が一番低いと言われました。確かに新興国並みの経済政策になってきているというのは同感です。ただ、程度の差はあれ、ほかの先進国もマネタイゼーションに向かっているとするなら、各国とも同じような問題に直面している。 つまり、有権者に負担増を頼めないから、政治家は公的債務を増やしていく。公的債務が増えることは民主主義の病理だったわけです。さらに各国が潜在成長率の低下に直面し、公的債務がますます大きく膨らんでいる。それをどうコントロールするかですが、結局、マネタイゼーションの方向に向かっているのが実情です。中央銀行をつくったときの制度の根幹の理念が骨抜きになってきているのです。 そもそもマネタイゼーションを避ける、通貨価値の崩壊を避けるためにつくった中央銀行制度それ自体が、現代民主主義の下で存続のリスクに直面している。最後はそのツケが国民に回ってくる。そういうことではないかと思います。 加藤出氏 加藤:第2次大戦のとき、戦費調達の観点から、FRBは長期金利を2.5%に固定するために国債を買い支えました。戦後、朝鮮戦争が始まり、戦争特需もあってインフレ率が上がってきたため、国債管理政策から金融政策を分離すべきとの意見が出てきた。FRBはそこで政府と戦ったわけです。
辞表を持ちながら政府と交渉を続けたFRB関係者もいたほどの激しい交渉でしたが、最終的には1951年3月に米財務省とFRBの間で「アコード」が形成され、金融政策の独立が認められます。しかし、直後にマーチンFRB議長は辞任する。事実上の解任でした。 当時のトルーマン大統領、シュナイダー財務長官はFRBに国債買い支えの継続の圧力をかけました。それをひっくり返せたのは、銀行業界に金利を自由化してほしいという要望があった面もありますが、議会に規律があった面も非常に大きい。「政府が守れない金融上の規律を民間に要求することはできない。まず政府が襟を正さないといけない」と、議会がFRBをサポートして国債買い支え政策から分離させたのです。 アメリカの議会にそういう規律があったのは、冷戦が始まって、共産勢力に対して西側民主主義社会は規律を持ってやっていくという哲学があったからだと思います。 今はそういう哲学はありません。共和党の議員は今はFRBの緩和策を「やり過ぎだ」と激しく非難していますが、自分たちが政権をとったら変わるかもしれない。そういう意味では、アメリカがどういう規律を働かせながら、今の政策を出口に持っていくのか、マネタイゼーションの誘惑というものに議会、政府がどう対応していくのかというと、だいぶ危なっかしさもあります。 河野:ただ、アメリカの場合、極端ではありますが、ティーパーティーに代表される草の根の保守みたいな人たちがいる。そういう人の中には、公的債務の膨張をサポートしている中央銀行なんかやめた方がいいと主張する人もいる。そういった意味では、コンサバティブ(保守派)の中には、まだ規律を持っている人が多いような気がします。 加藤:共和党の大統領候補者選に出ていたロン・ポール下院議員のように、金本位制にしろとか言っている人もいるぐらいですからね。 河野:それは極端なんですけど、金融の膨張を避けて、経済の混乱を避けるということですよね。アメリカにはまだ健全なそういった発想があるような気がします。 加藤:そう意味では、日本はより歯止めがかかりにくいですね。 日本の中央銀行制度は瓦解してしまった 河野:だから今回、明確に中央銀行制度に手を入れたわけです。日銀法改正は避けられましたが、今でも改正すべきだと言っている人もいる。結局、法律は解釈が重要なので、法解釈が変わった段階で、私は日本の中央銀行制度はかなり瓦解してしまったと思っています。 もし今回、うまくいったら、中央銀行制度を世界で考える上でのフロントランナー的な議論が日本でスタートすることになるでしょう。いずれにしても、繰り返しですが、マネタイゼーションの誘惑を遮断するためにつくった制度が中央銀行制度ですから、現段階では制度変更を可能とすることが妥当であるように見えても、長い歴史の中で培ってきた、風雪に耐えてきた制度は、簡単には変えてはいけないのだと思います。 今回うまくいくと、次なる為政者は魔法の杖を手にしたと確信して、おそらくマネタイゼーションを限界まで進めることになるかもしれません。結局、マネタイゼーションというのは、うまくいったケースでも次の為政者のときに限界を試され、われわれが歴史的に知っている大きな問題、公的債務の発散(注3)と高率のインフレという最悪の結果を招くでしょう。 (注3)公的債務の発散:公的債務が膨張し、将来の税収で返済できない状態に陥ること。公的債務のGDP比率が無限大に向かって発散する経路に入ること。 河野:民主主義制度は、最悪の人を為政者に選ぶケースだってあり得ます。最悪の人を選んだとしても、最悪の事態を避けるための制度設計として組み込んでいたものに手を入れ始めているということではないかと、私は懸念しています。 あるいは私の懸念が杞憂で終わると、中央銀行制度をやめたら日本はうまくいった、という話になるので、これもすごい議論になるんだと思うんですけれどもね(笑)。 「打ち出の小槌」的政策の末路 加藤:「打ち出の小槌」的政策は、私の歴史の理解では、1回目は、外的要因も加わって景気が幸い上向けば、ちょっとそろそろやめておこうかと良識派も出てきて、終わったこともあった。しかし、それが「ニューノーマル」になってしまうと、次の景気後退局面でまた用いられ、本当は経済の実力に問題が起きているのだけれども、人々はまた「打ち出の小槌」で対処したくなる。 第1次大戦の特需バブルがはじけた後、日本で破綻した企業を日銀が救済している。その後も日銀マネーで経済危機に対処する傾向が見られ、やがて高橋是清蔵相(注4)時代に戦費調達で日銀マネーが大規模に使われます。徐々に深入りしていって、それで散々やり過ぎて、最後、破裂してしまう。
(注4)高橋是清:1854〜1936。日銀総裁、大蔵大臣などを経て、1921年首相に就任。1931年に4度目の蔵相に就任した際、金本位制からの離脱や、赤字国債の日銀引き受けによる政府支出の増額を実施し、昭和恐慌から日本経済を脱出させたと言われている。 戦後の財政法5条(注5)は、そういうことはもうやめましょう、という合意だったわけですが、今、それに対する危機意識は薄い。そういう意味では、今後の流れには警戒が必要です。 高橋是清財政を振り返った当時の大蔵省幹部、西村淳一氏は、回顧録で次のように記していました。「(日銀国債引き受けを)初め非常に心配して、こんなことをしてえらいことになるのではないかと相当議論の的になっておったのが、これは簡単にできるよい制度だというような空気に変わった」「世間はそれに慣れてしまって引き受け制度はあたりまえ、本来かくあるべきものだと考えていた」と。 (注5)財政法5条:日本銀行の国債発行引き受けを禁じる規定。但し書で「特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りではない」とある。 中央銀行の独立性が実感として国民の利益として感じられないのは、特に日本の場合ですが、経常黒字だからというのもあります。アメリカで中央銀行の独立性が高まったのは、先ほどの「アコード」などの経緯もありますが、クリントン政権のルービン財務長官が、FRBの独立性はアメリカにとって利益だと主張した。「だから閣僚は一切、金融政策についてコメントするな。批判だけではなく、とにかく金融政策に関して一言も対外的には言うな」と。 加藤:政府が規律を持って経済政策を運営しているということを対外的にアピールすることがアメリカの経済政策の信任を高めるので、結果的にアメリカの国外からの資金調達のコストが下がる。アメリカにとって利益なんだということです。そういう方針がある程度続いてきたわけですね。 ただ、日本の場合、国債の大半が日本の国内で消化されているということで、今までは中央銀行の独立性が低いとしても、金利上昇という問題に直面するということはありませんでした。しかしそれに安心しちゃって、独立性を下げてもいいという話に行ってしまうと、これから先行き経常収支でいつまでも黒字が続くか分からないわけで、結局、国民に跳ね返ってくるということではないかと思います。 河野:高橋是清蔵相の政策は、本当にうまくいったのかという疑問があります。 加藤:そうですね。どの局面で切って見るかで全然違いますね。 河野:誰がトップに来てもうまくいく制度でないといけないという話をしました。高橋が暗殺されず、生きていたらうまくいったはずという議論がありますが、それは間違った議論です。高橋が制度を変え、中央銀行ファイナンスによる拡張財政を可能にしたからこそ、高橋の後を継いだ蔵相の馬場えい一(えいは、金へんに英、注6)の下で財政の大膨張が起きた。制度を簡単には変えてはいけないということです。 (注6)馬場えい一:二・二六事件で高橋是清が暗殺された後、1936年3月、軍部に推されて広田弘毅内閣の蔵相に就任。高橋の公債漸減政策を放棄し、37年度予算の編成に当たっては軍部の要求する軍事費の急膨張を認めた。 マクロ政策は「ミニマックス戦略」でやるべき 最悪の事態を避けるというのがマクロ経済政策の基本的な考え方です。ミニマックス戦略(注7)という言い方をしますが、本来は最悪の事態を最小化するというコンセプトでやっていかなければならない。マクロ安定化政策は、マクロ経済を安定化させるための政策です。バブルをつくるリスクがあるような政策は、やってはいけないんです。 (注7)ミニマックス戦略:想定される最大の損害が最小になるように決断する戦略。 うまくいく可能性がゼロではないけれど、失敗したときには大惨事になってしまう政策は、一か八かの賭けなので、やってはいけない。ケインズだったと思いますが、「自分たちは経済のメカニズムがよく分かってない。よく分かっているのであれば、外科医のような手術も可能だが、あまりに知識が少なく、歯医者ぐらいの政策しかできない」という言い方をしている。歯医者さんは失敗しても歯が失われるぐらいだから。 命にかかわるようなことはないということですね。 河野:まさにそういうことです。いかに経済学が発達したといっても、金融政策と実体経済、資産市場との関係について、私たちの知識はいまだに不十分なわけです。効果が大きい政策は、副作用も同時に大きいということですから、そういうマクロ経済に相当な影響を及ぼすような政策は、安易に選択してはいけません。 河野:自分たちは何でも分かっていると過信し、例えばデフレを避けるためにアグレッシブな金融緩和をやるというのが、まさにグリーンスパンの2004年、2005年、2006年の政策でした。それは結果として、住宅バブル、クレジットバブルを引き起こす原因の1つになった。そういったマクロ経済をうまくコントロールできるという思い込み、発想の帰結が、2000年代の大規模バブルの崩壊、世界金融危機なわけです。
われわれはその記憶がまだ生々しくあるにもかかわらず、ここでまた事態を改善させるために、アグレッシブな政策をやっている。さらに言うなら、日本もアメリカもそうですが、もう危機ではなくなっているのに、危機時に使った政策を平時に成長率を高めるためにアグレッシブにやっているわけです。 加藤:そうですね。 河野:そういった政策自体が誤りですし、本来やるべきなのは潜在成長率を高めていく政策です。そのためには、国民は短期的には我慢しないといけない。しかし、そういう政策ができないので、マクロ政策への依存度が高まっていく。金融政策にますます負荷がかかっていく。金融政策に負荷がかかっていくと、金融市場にリスクが、どんどん蓄積されていく。 金融市場も政治と同様、近視眼的な結果しか求めないし、短期的に結果が出ると、それを評価してしまいます。結局、中央銀行が極端な政策をやると、何か大きなマグマをさらに溜め込んでいるだけという気がしてなりません。 失業率の上昇がFRBのプレッシャーに 加藤:アメリカの場合、雇用のセーフティーネットがあまり十分に張られていないので、失業率が高まると、すぐ政治家がおろおろして、「早く失業率を下げる対策を」と叫びだす。FRBもプレッシャーを受けやすい。特に法律上、雇用の安定化、最大化が目的に入っているせいもあります。 ラグラム・ラジャン(注8)が、FRBの政策が世界経済のボラティリティを大きくしてしまっているのはなぜかというと、雇用のセーフティーネットがないことが政治的な問題となるからだと指摘しています。確かに言われてみると、ヨーロッパは、アメリカほど金融政策でやらねばという感じが強くないです。 (注8)ラグラム・ラジャン:シカゴ大学教授。リーマン・ショック以前から金融危機の可能性を指摘していたインド出身の経済学者。著書には『フォールト・ライン』、共著に『セイヴィング・キャピタリズム』。 日本では解雇規制の緩和など労働市場の自由化を一段と進めようとする動きがあります。その場合、雇用機会を増やす努力も必要ですが、同時に、セーフティーネットを整備してバランスを取っていかないと、アメリカの状況、つまり失業率が高くなると政治家が騒いで、金融緩和の圧力が中央銀行にかかるという状況により近づいていく恐れがあります。 河野:日本は完全雇用からそれほど遠いわけではありません。東日本大震災の復興が進んでいない要因の1つは建設部門で人が足りないことですし、今回、安倍首相の賃上げ要請をセブン&アイやローソンなどが受け入れたのは、流通業界が人手不足だからです。この業界は労働需給が逼迫していて、賃金を上げざるを得ない状況にあった。 よくよく考えると、この3年間、FRBは雇用を改善する目的で金融緩和をやってきましたが、日銀が金融緩和のプレッシャーを受けるときは、誰も失業率を問題にしていません。 日本は為替レート・ターゲット的金融政策 加藤:日本は為替問題ですね。 河野:そう、為替レートです。結局、円高恐怖症とか、円高に対する対応です。 加藤:特にここ数年の金融政策は、結果的に為替にすごく反応しています。 河野:1990年代半ばから、ほぼゼロ金利状況になっている中で円高が続いてきました。そして、いかにこの円高を避けるかということばかりに金融政策が割り当てられてきた。だから疑似為替レート・ターゲット的な金融政策になっていたわけです。それが必ずしもうまくいってないのは、金利がこれ以上下げられないので、アメリカが金利を下げるとドル安円高になってしまったということが大きい。 円高恐怖症の底流には構造政策の誤りがある。1970年代半ば以降も産業政策は相変わらず、輸出偏重型だった。高度成長が終わって、アメリカなどの先進国にキャッチアップした段階で、私たちは内需部門をもっと掘り起こさないといけなかった。つまり非製造業セクターで、成長分野を生み出さないといけなかったわけですが、引き続き輸出偏重でやってきました。 この戦略がうまくいったかというと、結局、貿易黒字が増えて円高になることで、何度も挫折を繰り返してきたわけです。だから、円高を止めるという政治的なプレッシャーが常にかかってきた。一方で、日本がブレトンウッズ体制の下で70年代前半までやっていた割安で固定的な為替レートによる輸出刺激策をそのまま実行する新興国が増えてきた。 輸出セクターばかりに注目する構図に 多くの新興国はドルに対し固定的な為替レート制を採っています。新興国と競争すると、結局、値段が上げられず、輸出価格が同じように下がってしまう。それは企業の収益を抑制するということで、輸出偏重型の経済戦略はうまくいっていません。それをまた繰り返そうとしています。 経済成長の源泉がどこにあるかというと、民間の経済活動を自由にすることで創意工夫を発揮させて生産性を高めていくということです。とりわけアメリカに追いついた段階から、資本ストックを増やしていくだけではだめで、イノベーションによる創意工夫によって成長率を高めていくことが必要となります。ところが、非製造業の規制が相変わらず強く、成長分野が生まれない。規制緩和をやらず、輸出セクターばかりに注目して、何とか円高だけは避けたいとやってきた。そういう構図が金融緩和プレッシャーの裏側にあるでしょう。 輸出のためのTPP参加ではない 加藤:輸出も従来と同様、品質もいいが価格も安いという路線でやっていくと、どうしても為替に影響されてしまいます。特にアジア企業の製品と競合しないようにブランド力があるとか、あるいは円高になっても値上げができる違うジャンルのマーケットを創造していくという対応を望まれていました。 実際にやってきたことは、新興国の安い製品との価格競争のため、国内でのコストカット、その一環として賃金カットです。そういう意味で、低価格品を中心とする輸出主導の成長モデルは、先進国になって高所得になると限界となる。輸出も80年代までのやり方ではだめということなんだと思います。そういった問題も含めて、金融政策でそれを解決できるわけではまったくありません。 河野:付け加えると、ユーロ高の局面でもドイツ企業は輸出価格を上げることができています。円高の局面で日本企業が輸出価格を上げられないのは、おそらく産業構造が影響しているでしょう。その産業構造は輸出主導で成長しようとする産業政策の影響を受けています。 そういった意味では、安倍首相の政策の中で環太平洋経済連携協定(TPP)(注9)の参加表明は望ましいし、今まで決定をされた中で最も素晴らしい政策だと思う。ただ、マスコミの報道を含めて、議論に誤っているところが1つあります。多くの人は一部の農業や医療関係者のせいでTPPへの参加が遅れ、輸出ができなくなったら大変だと思っています。 (注9)TPP:現在、TPP交渉参加国のすべてが日本の参加に同意しており、米国議会の承認が得られ次第、日本も正式参加を認められることになる。 河野:国内では人口が減少して売り上げが縮小していくことから、輸出に頼るというのは一見正しいようにも見えます。輸出ができなくなったら大変だというのも正しい。しかし、TPPに意味があるのは、それが規制緩和の固まりだからです。経済成長の源泉は経済活動を自由にして創意工夫を発揮させ、イノベーションを起こすことにある。製造業の規制緩和はかなり進んでいて、規制はあまりありません。 したがって、TPPは製造業を活性化するということではなく、聖域だと多くの人が思っている農業や医療といった分野をまさに規制緩和することで、その分野から成長企業を生み出すというのが主眼です。輸出するためにTPPをやるという発想は明らかに間違いです。 加藤:従来の輸出戦略では、TPPで関税が下がっても、得られるメリットは限られるでしょう。為替の問題もいずれ出てきます。 ドイツやスイスのブランド力のある製品は、通貨高になったら輸出先でそれに合わせて値上げできるほどの魅力があります。トヨタ自動車が高級車のレクサスに力を入れているのはいいことですが、日本企業は残念ながら全体に気付くのが遅かったですね。自転車の完成車がその典型例で、台湾勢は中国本土で膨大に生産される低価格品との競合を避け、時間と資金を投じて中高級市場を育成してユーザー数を増やしながら自社のブランド力を高めてきたことで大成功した。日本にはシマノというブランド力がある素晴らしいパーツ・メーカーがありながら、完成車メーカーはコストカットで中国の低価格品との競争に臨んだため惨憺たる状態になってしまった。 中国の自動車市場を見ていると、ドイツ勢はブランド力の構築のためのマーケティングにかなり前から大規模な投資を行ってきました。中国の消費者が勝手にベンツ、BMW、アウディに憧れたのではなく、それらの企業は中国人にブランド・イメージを擦り込んできました。昨年、中国で廉価な車の販売の伸びが鈍化していたときに、上海郊外のBMWのディーラーを覗いてみましたが、大変な賑わいで、セールスマンが足りないほどでした。 欧州勢はブランド力の構築を収益に結びつけていく戦略に長けていますが、他方、アップルのように新しいマーケットを開拓して高付加価値を生み出していく戦略もある。そういった価格競争に巻き込まれない製品開発をしていかないと、デフレ脱却に非常に重要な国内での賃金の上昇になかなか結び付けられません。 あとは少子高齢化と生産年齢人口の減少という問題にも取り組んでいかないといけません。今の勢いで労働年齢人口が縮小していくと、先の展望ができないですから。 (次回に続きます)
日本株急落は新たな上昇に向けての“地固め”
アレキサンダー R.トリーヴス・フィデリティ投信 運用部長に聞く 2013年6月10日(月) 松村 伸二 このところ不安定さを増している日本の株式相場。この日本株を大きく揺さぶっている取引主体でありながら、その行動の実態がなかなかつかみにくいのが外国人投資家だ。実際に海外を駆け巡り、情報交換を密にしながら日本株への投資魅力を説いて回っているフィデリティ投信の運用部長、アレキサンダー R.トリーヴス氏に、昨今の日本株に対する海外投資家の受け止め方や投資行動について聞いた。 (聞き手は松村伸二) 最近の日本株は急落するなど不安定な動きを見せています。 アレキサンダー R.トリーヴス氏(以下、トリーヴス):足元の狭いところを見るだけでなく、これまでの全体の動きをおさらいすべきです。確かに、直近では一時的に高値から約20%下落しましたが、昨年末に比べればまだ25%高い水準にあり、昨年の11月半ばから見ると50%も上昇していることには変わりありません。 きわめて健全な調整 ですから、今年1年間という長めの期間で考えれば、地合いが決して悪くなったわけではなく、非常にいい年であるということを忘れてはなりません。このところ市場が先走りすぎて急ピッチで上がっていたことに対する、きわめて健全な調整であったと受け止めています。これは今後の新たな上昇過程に向けての“地固め”になるでしょう。 アレキサンダー R.トリーヴス氏 1995年、英ケンブリッジ大学キングズカレッジ卒、マーキュリー・アセット・マネジメント入社。ロンドン、香港、シンガポールでアナリストを歴任。メリルリンチ・マーキュリー・アセット・マネジメントなどでのポートフォリオ・マネージャーを経て、2006年にフィデリティへ。2007年、フィデリティ投信(東京)のヘッド・オブ・リサーチ。2012年から現職。日本経済の現状や日本株投資の魅力を海外投資家に直接伝えるため、世界を駆け巡る。(撮影:菅野勝男) これまでの右肩上がりの流れは変わってないということですか。
トリーヴス:原因が何だったかを理解することが大事です。今回の調整のきっかけがいったい何だったのか、実はあまり明白ではありません。いくつか指摘はされています。例えば、日銀の黒田東彦総裁が会見で対応策などの追加的な情報発信をしなかったことに市場が失望した、と言う説がありますが、それはおかしいと思います。その会見の前に、特に誰も期待を持っていなかったからです。元々期待のないところに、失望するということはあり得ません。 米国での量的緩和策が終息に向かっていくのではないかという見方や、中国の経済指標が期待したほど良くなかった点も、日本株調整のきっかけと指摘されています。しかし、これらはいずれにせよ、安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」が掲げる日本の復活とは直接的な関係はありません。 投資家は、日本経済の先行きに不安になって売りを出したわけではなく、こういったことを言い訳にして、利益を確定させるための売りを出したと見ています。 注目すべきは国債利回りの上昇 では、最近の日本経済の動向は楽観して良いのでしょうか。 トリーヴス:一番注目すべきは、日本国債の利回りの上昇です。安倍政権と日銀は絶妙なバランスをとりながら金利を管理していかなければなりません。 片方では、インフレ目標を掲げて経済成長を促し、さらに税収を増やすような環境を作っていこうとしています。しかし、もう片方では、インフレが行き過ぎると、大きな負債を抱える日本国としては金利支払い能力が大きなインパクトを受けます。日銀には、こうした微妙な「範囲」の中での舵取りが求められるわけです。この「範囲」から外れる事態が起これば、日銀は苦しい状況に陥ることになるでしょう。 今回の売りの主体は外国人投資家との指摘があります。彼らはどこかで利益確定のチャンスを狙っていたということですか。 トリーヴス:今回の局面で、外国人投資家の大きな売りはなかったのではないでしょうか。少なくとも年金資金のような大手機関投資家からの目立った資金流失の話は、耳にしていません。 忘れてならないのは、円安傾向の影響です。日本株投資をする外国人投資家にとっては、円安になっている分、為替換算後では大きく利喰えるほどの益は出ていないと思われます。ドルやユーロで投資している外国人投資家からすると、円建てで見たパフォーマンスより低いリターンになるわけです。それを考えると、急いで日本株を売る理由が外国人投資家にはないはずです。 外国人の日本株投資はむしろ増える 外国人投資家は今、日本株投資に対してどんなスタンスなのでしょうか。 トリーヴス:多くの外国人投資家は、実はまだ日本株市場に入ってきていないと見ています。一部のグローバル投資家やヘッジファンドが資産配分を動かすということはあったかもしれませんが、政府系金融機関などといった大手機関投資家の多くは、長い間、日本株に投資することを控えてきたので、「外国人投資家」というくくりで言えば、日本株への投資資金はむしろこれから増えてくる可能性があります。 こうした、まだ日本に入ってきていない外国人投資家を呼び込むには、どうすればいいかを考えることが大事です。海外で会う多くの投資家からは、中国へは何度も訪問しているという話を聞きますが、そういう人たちは、日本には一度も行ったことがないと言います。 現時点で日本株市場に入ってきている外国人投資家は少数派です。多くの外国人投資家は日本に対する見方を何も持たないほど、昨年の夏までは日本株市場から離れていました。もう一度その投資家たちに、日本のこと、日本株への投資シナリオについて説明し、理解してもらう必要があります。 まだ「アベノミクス」は外国人投資家に評価されていないということでしょうか。
トリーヴス:アベノミクスがやろうとしていることへの認知度を上げることには成功したでしょう。しかし、これから実際に何が実行できるのか、という次の段階への評価にはまだ入っていません。これから先、息の長い話になるでしょう。 先ほど話したように、外国人投資家を呼び戻すポイントは2つあります。1つは、彼らを“再教育”すること。そしてもう1つは、長い間、日本を懐疑的に見てきた彼らを“説得”しなくてはならないことです。今後、これまでの相場のモメンタム(勢い)がさらに加速するのか、逆にじり貧になっていくのかは、アベノミクスが掲げている様々な重要改革路線が本当に実現するかどうかにかかっています。 どういう政策が打ち出されれば、外国人投資家は日本株を買おうと思うのでしょうか。 トリーヴス:外国人投資家が日本株投資をする上で何を求めているかというと、端的に言えば3つあります。それは、デフレからの脱却、成長、そして企業業績の向上です。 人口減少問題の解決には労働市場の改革が必要 それらを実現するために何が必要か。まずは女性が就業しやすくなるような環境整備に向けた改革です。日本には人口減少の問題がありますが、これ自体は解決できなくても、就労人口を増やすという解決策はあるはずです。 労働力の流動性を高めることも必要です。それは、解雇しやすくする仕組みではなく、「創造的破壊」を可能にするための改革でなくてはなりません。現状では、総じて企業の生産性は必ずしも高くなく、抱えている労働人口がすべて生産的な仕事に就けているとは限りません。その意味で企業経営の健全性は損なわれています。これを解き放って、本当に生産性の高い事業に就労人口がシフトするような仕組みを作っていけば、そこから成長が生まれ、企業業績は好転していきます。また、従業員の構成を柔軟にシフトできるようになれば、より多くの企業合併・統合の実現につながっていくでしょう。 TPP(環太平洋経済連携協定)への参加も、非常に大きな改革の流れを作る可能性を秘めています。それによって、2つの成果が出ると期待しています。1つはTPPを理由に、中国に対して“対抗”できること。2つ目は、TPPへの参加が、今、特定の人たちに握られている既得権益を解き放つきっかけになり得るという点です。
25年前に日本にとって適切であったモデルが、これからの25年を考えた場合、適切であるはずがありません。TPPを受け入れることによって、古いモデルを破壊し、未来に向けてより適したモデルに移行していく。こうしたきっかけをTPPは作るのではないかと思います。 キャッシュフローの増加が期待でき株価が割安な企業に投資 投資する上で魅力的な企業を見いだすには、どんなところを注視すべきですか。 トリーヴス:魅力的な投資対象企業を見いだす上で、まず理解しなくてはならないのは、その会社のビジネスモデル、競争環境、その市場の参入障壁、経営陣の能力です。 そういった前提を理解して、次にやらなくてはならないのは、その企業の将来利益やキャッシュフロー、バランスシートの分析です。企業の発行する株式に投資をするということは、その企業の将来のキャッシュフローに投資することと同義です。まずは、キャッシュフローが長期で見て、増える見込みのある会社に注目してみてはどうでしょうか。 次に、そこから妥当な株価を割り出さなくてはなりません。とても魅力的なビジネスモデルを構築しているが、株価が非常に割高な水準にある会社と、それなりに魅力的なビジネスモデルを持ち、かつ、株価が割安な会社とを比べれば、後者の株式のほうが良き投資先候補になるでしょう。
例えば、大企業ではあるが、売っている商品に目新しさがなく、時代の最先端から取り残されている企業であれば、今後成長を実現していくのは大変です。一方、小さな企業ではあるが、先進的な製品やサービスを提供しており、新しい発想や革新にチャレンジできる若い人材を豊富に擁する企業であれば、今後の成長が大いに期待できます。 極端な例で言えば、新規参入しづらい市場で、既に高い市場シェアを持っている企業や、大成功を収めているフランチャイズシステムやビジネスモデルを持つ企業の株式を、割安な株価水準で買うことが出来るとすれば、それは実に素晴らしい投資機会だと言えるでしょう。 いずれにせよ、どちらのタイプの企業であっても、株価が割高ならば投資は避けたいところです。今は良くても将来性があまり明るくない企業もあります。将来利益やその時の株価水準を慎重に見極めるべきです。 最後は企業自身の実行力にかかっている 日本の株式相場は昨秋以降、かなり上がっていますが、それでもまだ割安に放置された企業はあるのでしょうか。 トリーヴス:投資対象として割安で魅力的な企業は、必ずあると思います。フィデリティ投信では、そういった企業を発掘し選別するために、数多くのリサーチ・アナリストが一日中奔走し、常時アンテナを張っています。 今は皆、アベノミクスという政策ばかりを注目していますが、大事なことは、安倍首相が何から何まで全部やって、成長を後押ししてくれるわけではない、ということです。最後は企業自身がどれだけ実行力をもって行動するかにかかっているわけですから。 そのためにも、成長戦略がどこまで具体的な実効性を伴うのかを見極めなくてはならないということですね。 トリーヴス:成長するための戦略というのは、どこの国の企業に投資する時も大事な要素です。例えば、インドはまだ経済規模が小さく、これから成長しようとしています。そういった国の企業は、国家全体の経済成長の波に乗って、当面は成長を遂げていくでしょう。 しかし、そういった環境にない日本の場合は、特に個別企業自身の成長戦略が大事です。日本がここしばらく低迷してきた理由の1つは、大企業が経済成長を牽引できなかったからです。全ての大企業とは言いませんが、例えばエレクトロニクス業界が参考になります。彼らはじわじわと海外の競合企業にマーケットシェアを奪われてきました。その理由が何だったのかと考えれば、企業として成長戦略が描けなかった、あるいはグローバル競争に勝てなかったからにほかなりません。これらはいずれも、人口の減少や国の債務問題といった、よく言われている日本国が抱えている問題とは全く関係がありません。
そうすると、日本の大企業の多くは投資魅力がないということになりますか。 トリーヴス:非常に選別的にならなくてはならないということです。すべての日本企業がダメだと言っているわけではないので、その点は強調しておきたいと思います。 大企業が苦戦するというのは日本だけのことではなく、米国でも同じ事が起きています。20年前に成功していた大企業と、今、成功している大企業は、全く顔ぶれが変わっています。これは、企業として大きく成長した後、それを破壊して次のことにチャレンジし、さらに大きくなることがいかに難しいか、ということを証明しています。 もっとも、今の日本の場合、大企業が変わるには大きなエネルギーが必要です。しかし、大企業が率先して変わっていかないと、大きな流れも変わらないと思います。 日本で注目しているセクターはありますか。 トリーヴス:アベノミクスの1番の目玉は、デフレからの脱却です。つまり、日本国内の景気や消費の回復が期待されるということです。アベノミクスが期待できるという思いで日本株に投資するのであれば、必ずしも国際的に競争力のある企業やセクターに注目する必要はなく、内需の拡大で恩恵を受ける分野に投資すれば良いわけです。 医療機器、精密機器、ロボットなどに高い国際競争力 その一方で、国際競争力の高い分野では、投資対象としてどういう企業や業界が良いのか。さきほどのエレクトロニクス業界については、誰もがすでに何らかの家電製品や消費財を持っていたため、一般の目からも勝ち負けが非常に分かりやすい。 しかし、一般の目からは分かりにくいサービスやセクターでも、高い国際競争力をもつ日本企業はまだまだあります。例えば医療機器、精密機器、ロボットなどの分野です。 もっとも、この点でも投資家として注意すべきことがあります。よく「魅力的なセクターは何か」とか「どういう投資テーマが面白いか」と聞かれます。そもそも、こういうセクターやテーマが面白いと周知され始めたころには、すでにそれは株価に織り込まれ、割高になってしまっている、ということです。 我々は常に、注目できる投資ポイントがまだ株価に反映されていない企業を探しています。皆がそれを話題にするようになったころには、多くの場合、株価には織り込み済みだからです。 海外投資家は円安の進行をどう受け止めているのでしょうか。 トリーヴス:為替のマーケット予測は困難です。ただ1つ為替について言えることは、これ以上の円安による支えがないとしても、安倍政権が実現しようとしている成長は達成が可能ということです。逆に、もともと競争力がなく、クオリティーの低い商品を提供している企業にとっては、どれほど為替が円安に振れたからといっても、それが輸出増につながるとは考えにくいと思います。
日本企業は昨年までの円高局面で大変努力し、損益分岐点を低いところまで下げることに成功しました。今の円相場の水準でも1年前と比べたらまるで別世界のような状況にあり、これ以上円安が進まなくても、日本株市場への投資環境は十分に整っていると言えるでしょう。 |