01. 2013年6月04日 01:10:40
: e9xeV93vFQ
「介護で失職!?」 今どきの職場の割り切れない実情さばさばと心境を語った50代男性の言葉の重み 2013年6月4日(火) 河合 薫 今回は、「このままでいいわけがない……」ってことについて、書こうと思う。 至極あいまいなテーマ設定なのだが、聞けば聞くほど、考えれば考えるほど、難しい問題で。これ以外の言葉が見つからなかったのである。 なので、まずは読み進めていただければ幸いです。 「妻が介護うつになっちゃったんです」 2年ほど前にお会いした時、その男性(52歳)はこう話し始めた。 「妻は元気な人で、母との関係も悪くなかった。本人も、『大丈夫。私がやるから』と言ってくれていたので、母の介護を妻に任せきりにしていたんです。ところが、妻が倒れてしまった。お恥ずかしい話ですが、妻がそこまで追い詰められていることに私は少しも気がついていなかったんです。医者からは環境を変えた方がいいと言われたので、妻は実家に戻り、私が介護をすることになりました」 この男性が勤める会社では、積極的にワークライフバランスに取り組んでいる。それもあって、「介護と仕事の両立は大変ですけど、周りに助けてもらっているので、何とかやっています」と男性は語っていた。 それで先日。突然その方から連絡が入った。介護状態にあったお母様が他界されたのだという。 「最後に親孝行ができてよかった」と男性は語ったが… 「昨年、会社を辞めたんです。仕事との両立が難しい状況になりましてね。そのまま会社にいても、フリーライダーになるだけでしたし。でも、最後に親孝行できてよかった。母親とあんなに長い時間を過ごしたのは、子供の時以来。でも、かつての母とは全く違う、年老いた母。妙な気分でしたよ。いつの間にこんなに年を取ってしまったのかと。100点には程遠かったと思いますけど、自分なりにできることを精一杯やったつもりです。父親を早く亡くして、親孝行らしきことは一つもできていなかったので、こういう時間をくれた母に感謝しています」 「今は、必死にシューカツしてます。なかなか厳しくて、思うようにはいきません。今さらですが、何かスキルを身につけた方がいいだろうと、そちらの勉強も始めました。まぁ、やるしかないですから」 彼はどこか吹っ切れたようにそう話してくれたのである。 正直、私は彼の話を聞いて、非常に考えさせられた。介護に理解のある会社に勤めていても、「フリーライダーになってしまうから」と、辞めざるを得ない現実。「最後に親孝行できた」と、どこかすっきりしたように語る彼の姿勢──。 介護は、「いつ、誰の身に降りかかるか分からない問題」であるにもかかわらず、それを経験した人でないとリアルな苦しみを理解できない。それだけに、働くこと、生きること、人生で大切なこと。あれやこれやと、感情と思考回路が、かなりの勢いで乱れてしまったのだ。 特に彼が仕事をあきらめることで得た、親と向き合う時間。それについて「大切な時間を持つことができて満足している」と語ったのは、とても重かった。 私事で恐縮だが、3年ほど前のこと。それまで至って元気だった父が「ちょっと胸がドキドキするから検査に行ってくる」と病院に行ったところ、そのまま入院して緊急手術を受けることになった。 「早く病院に来たからよかったですが、そのままにしていたら危なかった。心臓に最も近い血管がほとんど詰まっているので、すぐに手術をしないと危険な状態です」と医師から言われ、母も私もパニック状態に。 同年代の友人たちの父親や母親が亡くなることが多くなり、「あ〜、もうそういう年齢になったか」と思うことも多かったはずなのに、いざ、自分の親のこととなると全くリアリティーを持てず、まるで夢の中にでもいるような感覚だった。 幸い、父は早く処置を受けたおかげで元気になり、その後も順調に回復したのだが、あの時に初めて、「これから後どれくらいの時間を、父と過ごすことができるのだろうか」と考えた。そして、「できる限り、両親と過ごす時間を増やそう」と決めたのである。 日常のことに忙殺されて決心が薄れていく ところが、月日が経つうちにあの時の“気持ち”は、だんだんと記憶の奥底に追いやられ、気がついてみれば、すぐ近くに住んでいるのに実家に帰るのは年末だけ。たまに一緒に食事に出かることがあっても、それだって年にわずか2、3回だ。 ついつい日常のことに忙殺され、以前の自分本位の生活に戻ってしまった。そう。完全に親と過ごす時間の優先度は低くなってしまったのだ。 つくづく人間って勝手だなぁ、などと思うわけで。で、またこういう話を聞くと「会える時間を大切にしなきゃ」と反省するのだが、それでも再び、日常に忙殺される。自分にとってかけがいのない、大切な存在である両親のことを忘れてしまう自分がいる。 だから、「最後に親孝行できてよかった」という彼の心からの言葉は、とてつもなく重く響いたのである。 と、私の話はここまでにしておき、やはり問題なのは、介護と仕事の両立の難しさ。なので、そのことに話を戻そう。 公益財団法人の家計経済研究所が4月11日に発表した「在宅介護のお金とくらしについての調査」の結果によると、男性回答者の13.4%、女性回答者の27.6%が介護などを理由に仕事を辞めた経験があるという(対象は要介護の親か義理の親と同居する40〜64歳の470人。回答者の男女別の内訳は男性206人、女性264人。平均年齢は52.6歳、親の平均年齢は82.7歳)。 また、総務省が5年ごとに実施している「平成24年(2012年)就業構造基本調査」では、50万2100人が家族の介護・看護のため離・転職し、その数は前回調査時に比べ5万人近くも増えている。男性に限っても、前回の7万8000人から、10万1000人と増加傾向にあり、介護を担う男性が増えていることが示された。 さらに、5万人強の離職者のうち、正社員だった男女では39歳以下は1〜2割だったのに対し、40〜59歳が5〜6割と半数以上を占めたのである。 年齢からすると、介護問題に直面するのは必然的に中高年が多くなる。一方で、その年齢になってからの離職は、かなり厳しい。何と言っても介護には費用がかかる。介護への不安と自分の将来への不安が重なり、精神的にも金銭的にも追い詰められる。 会社を辞めなくても済むのがベストだが 介護問題に詳しい専門家の中には、「男性の方が介護うつになりやすい。仕事しかしたことがなく、家事の経験もあまりないために負担が大きい。そのうえ男性は女性に比べ、他者の支援を借りずに、1人で完璧にやろうとする傾向が強いので孤立しやすい」と指摘する人たちもいる。 もちろん冒頭の男性の奥様がそうだったように、女性であってもストレスの豪雨にびしょ濡れになり介護うつになってしまうことがある。 いずれにしても、このままでいいわけがない。 政府が入院期間を減らし在宅療養・介護にシフトする方針を示していることもあり、介護と仕事の両立問題はますます深刻になってくるに違いないからだ。 できることなら、「介護をしても会社を辞めなくて済む環境作り」を進めるのがベストだ。ワークシェアリングや在宅勤務も1つの解決の手段となるかもしれないし、問題点が懸念されている地域限定社員も、場合によってはいいかもしれない。 だが、何が何でも「介護をしても会社で働き続けられるようにしろ!」と叫ぶのも、現実的じゃないという思いもある。 実際、介護をしている社員の扱いに苦労している経営者も、決して少なくない。ある中小企業のトップが苦しい胸の内を話してくれたことがある。 「社員の1人が、どうしようもないポカミスをするようになりまして。事情を聞いてみたら母親の介護をしていると。精神的にも肉体的にも限界を超えていたんだろうね。それで『とりあえず休め』と言って、今は会社を休ませている。ところが、母親には『会社に行く』と告げて毎日、家を出て、喫茶店やら映画館で時間を潰していると。家にずっといると息が詰まりそうになるって言うんです」 「でもね、だからといって、『だったら会社に来い』とは言えない。だって誰が見たって仕事に集中できているような状態じゃない。部下たちにだって示しがつかない。何とかしてやりたいですよ。恐らくこれからは介護問題を会社としてどう扱うは避けて通れません。今はとにかく、彼と同じような状況になった社員が同僚や上司、あるいは私に気軽に相談できる風通しの良さを社内に作らなければ。それだけはしっかりやらなければならないと思っています」 ポカミスを連発した社員は男性で54歳。親と2人暮らしで、会社を休ませてから既に半年以上が経過しているという。 介護に理解を示すトップほど、社員を大切にしている会社ほど、苦悩する。どうにかしたいけど、いい策が見当たらない。恐らくこれが現実なのだろう。 「相談できる」という安心感があるだけで違う ただし、「相談できる風通しの良さ」はとても重要だし、根本的な解決にはつながらなくともどこの会社でも取り組めるはずだ。 周りの理解や協力なくして両立など無理だし、社員の中には、「お互いさま」だと言って力になってくれる人もいるかもしれない。会社には人と人をつなぐコミュニティー(共同体)としても機能もあるため、ストレスの雨に降られた時の傘になる。それ以上に、「相談できる」という安心感があるだけでも、介護に苦しむ社員の精神的負担は相当和らぐ。 「自分を知っている人がいる。自分を受け入れてくれる場所がある」と思うことで、ストレスの豪雨から、少しだけ逃れられるのだ。 それでもやはり、これだけじゃダメ。うん、このままでいいわけがない。介護する人を支援する制度や仕組み作りに、会社も政府も地域も、少子化対策と同様に「みんなの問題」として、もっとリアリティーを持って積極的に取り組まなければならないと思う。そして、もちろん自分も。誰もが介護と仕事の両立という“危機”に遭遇した時に備えて、今から準備しておく必要がある。いつ、何時、自分の問題として、突然浮上するかもしれないのだ。 「プロアクティブコーピング(proactive coping)」――。 これは、「ストレッサー(ストレスの要因)」と直面してからの事後的なリアクティブコーピングとは異なり、不確実な将来に向けた積極的で前向きな対処法で、より満足のいく人生を手に入れるためには、プロアクティブコーピングを行った方がいいとされる。 従来、「対処(=コーピング)」とは、何らかの危機に遭遇した結果として生じたネガティブな状況やそれらによって生起した不健康状態を低減し,回復するために取られるプロセスとされていた。しかし近年、コーピングの概念は拡張され、個人の対処資源を開拓しようとする観点が重要視されるようになり,予防的、かつ前向きな対処法の存在が考えられるようになった。 簡単に言えば、突然の雨に備えて、傘を準備する。雨が降り出した時にどこに向かって歩いていけばいいかを考え、そこにたどり着くまでに濡れずに済む傘を準備する。 それが、プロアクティブコーピングなのだ。 事前に準備してマイナスになることはない 例えば、今回の問題で言うならば、「肉親に介護が必要となった」状態が、“突然の雨”。 ・介護を自宅にするか? 施設にするか? ・誰が介護するか? を、両親やパートナーが元気なうちに話し合うことで、雨が降り始めた時に歩いて行く方向を決めておく。 そして、「どこに、誰が」といった進むべき方向がある程度決まったところで、 ・費用はどれくらい必要か? その費用は準備できるか? ・仕事はどうするか? 今のまま続けられるか? 続けられない場合、ほかの選択肢はあるか? ・介護が長期になった時は、どうするか? などを具体的に考え、前もって用意できる傘を準備する。 晴れている時に、「雨が降ったら」なんてことを考えるのは難しいことではあるのだが、自分のためにも、肉親のためにも、準備してマイナスになることは1つもない。 当然ながら、人生、何が起きるか分からないし、いつ雨が降るかも分からない。一切降らずに終わることだってあるかもしれない。想像していた状況と実際とが違いすぎて、想定していたようにうまく進まないことだってある。 だが、プロアクティブコーピングの最大の利点は、遭遇する危機を“挑戦”だと捉えられる心の強さが、鍛えられること。不測の事態にうろたえたり、ストレスを感じたりしたとしても、そこから回復できる体力、いや、“心力”がつく。 危機を挑戦であると捉えるポジティブな感情が、危機をうまく回避するための絶大なる力を引き出すトリガーとなる。それ以上に、たとえ思い通りにならなくとも、「それはそれ」として受け入れることができ、納得できる心の強さが持てるのである。 ひょっとすると冒頭で紹介した、「ただ今、シューカツ中」と明るく話してくれた男性は、いつの時点からか、プロアクティブコーピングができるようになっていたんじゃないかと思ったりもする。「やるしかないですから」なんて言葉は、心の強さなくしてはなかなか言えないこと。奥さんが介護うつになって、療養が必要となったことは不測の事態だったとしてもだ。 そもそも人間はある出来事に直面した時、それが、『自分や自分の大切な者にとって危険かどうか』を判断する。これは一次的評価と呼ばれ、ここで「危険である」と判断されると、次にその危機の度合いを測ることで、『それに対して自分にできることは何か?』を考える。これは二次的評価と呼ばれ、対処策を選択する心の動きだ。 こういった2段階の評価は無意識のうちに行われているため、自覚するのは難しい。だが、プロアクティブコーピングを行えていれば、直面した危機がどれほどの危険なのかを瞬時に察知し、一次的評価から二次的評価を行うまでの時間を短縮できる。 悲しい事件を避けるためにも自分自身で備えておく 一方、プロアクティブコーピングができていないと、直面する危機を危機と認識できずに取り返しのつかないことになってしまったり、大した危機ではないのに過剰に反応し、「自分にできること」をうまく選択することができなかったりする。 その結果、危機の迷路に入り込んでしまうのである。 肉体的にも、精神的にも、金銭的にも厳しい介護。介護ストレスが“刃”となって介護を受ける人に向けられ、「介護疲れの果てに……」などという悲しい事件を避けるためにも、自分自身でも備えておく。雨を止めることはできないけれど、濡れないように傘を差すことはできる。傘はたくさん準備しておいた方がいい。介護問題ほど、個々人で降り方の違うものはないのだから。 それでもやはり、このままでいいわけがない。このままでいいわけないのだ。 河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
|