04. 2013年6月01日 18:23:17
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「アベノミクス、グローバル市場の期待との「ズレ」は大丈夫か?」 ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■ 『from 911/USAレポート』 第629回 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
昨年2012年暮れに安倍政権が発足し、日銀の黒田総裁と一緒に本格的な流動性 供給に走った日本の政策は「アベノミクス」と言われて、欧米でもすっかり有名にな っています。まず円安が進行し、これと並行して日本株が上昇する中での評価は、日 本でも報道されているように、一種の「ねじれ」を伴っていました。 簡単にいえば、リベラル派の経済学者たちは「思い切った緩和策でデフレ退治をす るのは正しい」として「アベノミクス」に関しては断固支持という立場、その代表は ポール・クルーグマンやジョセフ・スティグリッツというような人々です。 これに対して例えば『ウォール・ストリート・ジャーナル』の寄稿家など保守派の 論調はあくまで辛口でした。具体的には「GDPの二倍以上の国家債務を抱えつつ通 貨価値の毀損に走るのは無謀」という観点です。 これが「ねじれ」だというのは、アベノミクスを支持している「リベラル」は政治 的にも「リベラル」であって、大きな政府論、とりわけ政府の介入による所得の再分 配などを支持する人々だからです。一方の保守派というのは、小さな政府論というわ けです。 更に言えば、アベノミクスの中には「財政出動」も入っているわけで、この点では あくまで「リベラル」の枠組みに入ります。ですが、安倍政権とその支持層は、福祉 の問題には冷淡であり、国際協調のセンチメントも少ないというわけで、こうした政 治的な立場も含めて考えるとアメリカなど欧米の見る「アベノミクス評価」と安倍政 権の政治姿勢との間にある「ねじれ」は無視できないと思います。 この政治的な立場ということに関しては、この間の、橋下大阪市長の発言、その前 の高市自民党政調会長の「村山談話反対コメント」などで「安倍政権下の日本」では、 いわゆる「超国家主義(ウルトラ・ナショナリズム)」への傾斜が見られるという 「漠然とした印象」が独り歩きしています。では、アメリカのリベラル派は安倍政権 を見放しつつあるのかというと、現時点ではそんなことはないと思います。 日本の「右傾化」というのは、今はまだ「世論のセンチメントが国内政局とシンク ロして発生した」どこの国にもある「内向き志向」の一つだということ、そこまで冷 静な見方ではなくても、とりあえず予見できる将来に、周辺国と軍事的な緊張を本格 化させるようなものではないという安心感がまだ残っているからです。 本稿の時点では、ちょうど内閣府が主催する「アベノミクス検証会議」が東京で行 われているようで、スティグリッツ教授なども参加しているようです。安倍内閣とし ては「大物のノーベル賞受賞者」が「アベノミクス支持」の立場から「来てくれた」 として喜んでいるのかもしれませんが、スティグリッツ氏の思想というのは、かなり 徹底した「国家間の格差、国家の中の格差」を再分配するという「筋金入りのリベラ ル」ですから、その辺はお互いに誤解のないように、あるいは「腹芸が過ぎて意味不 明のやりとりにならない」ように願いたいものです。 さて、この5月の末になって始まった東京市場の乱高下ですが、こうした状況を受 けての見方はどうでしょう? 実はこちらについても、アメリカでの見方と日本での 見方の間には、様々な「ねじれ」があるのです。そして「初期のアベノミクス」に関 してあった「欧米視点ではリベラルな経済政策と保守的な政治姿勢」の「ねじれ」と いう問題よりも、今回の「乱高下を受けて見えてきたねじれ」の方がより深刻なもの を感じるのです。 その「新たなねじれ」の第一は、市場に対する姿勢です。先週の金曜日、5月24 日に始まった東京市場の乱高下には、様々な要素が絡まっています。一日の下落幅1 100円台、率にして7%を超える動きというのは、単に投資家の景況感や市場の先 読みといったセンチメントを越えた、テクニカルな要因が絡んでいるというのは間違 いないでしょう。 例えば、最近は当たり前になった数百分の一秒あるいはそれ以下のスピードを競う ような高速取引、ある値幅以上の動きがあれば自動的に売りまたは買いに走るプログ ラム取引、更にはそうしたプログラムにおいて、債券や為替とのマトリックスで「ド ル換算での将来の実現益」から判断をするようなアルゴリズム、更にはそうしたリス クをヘッジする保険的な仕掛け、そうした自動取引の巨大な塊としてのヘッジファン ド、こうした金融工学に関しては、日本市場が長年取引の細るなかでグローバルな市 場はどんどん技術革新をしてきているわけです。 一方で、東証などは、その長い低迷期に「少しでも海外のマネーが入るように」と、 最新の金融工学的な動きに対応できるようなインフラだけは整備してきたわけで、こ こ数ヶ月はそうした新しいプログラムを持って参入してくる「新しいマネー」が流入 しているのは事実だと思います。結果的に、ここ二週間の荒い値動きというのは、そ うしたものの反映だという要素はあると思います。 ここに一つの「ねじれ」があります。例えば、28日には麻生金融相の一つの発言 が世界を駆け回りました。金融相は自動高速取引が大幅な値動きを助長していると指 摘。「1日でこれだけ(株価などが)乱高下するのは、あの機械のおかげ」と苦言を 呈しています。麻生大臣は、とりあえず「一方的に規制せず、当局としては、あまり 一喜一憂しないことだと思っている」と付け加えるのは忘れませんでしたが、アベノ ミクスで注目を浴びている日本の金融相が「高速取引への不快感」を表明したという ニュースは、世界中にワッと広がっています。 アメリカでの経済ニュースや、コラムでの論調は「多少の乱高下に耐えられずに狼 狽して売っているのは、日本の旧態依然とした個人投資家ではないのか?」という反 論がまずあり、更には担当大臣が「取引規制」に言及したことへの違和感も出ていま す。勿論、麻生大臣も本気で規制を考えているのではないようですが、「イザとなる とすぐに規制に走りそうな保守的なイメージ」というのは、海外の投資家からは嫌わ れる要素だということは押さえておいた方がいいと思います。 では、海外の投資家は「アベノミクス」に何を期待しているのでしょうか? それ は円安で輸出産業がに余力が出て、株高で国内的にお金が回りだしたとして、その 「久々の余力」を構造改革に使ってもらいたいという期待感です。具体的に言えば、 TPPなどを軸とした「より開かれた市場」ということと、日本経済の生産性向上と いう問題です。 この「構造改革」という観点についても、一種の「ねじれ」というか「ズレ」があ ります。例を2点挙げるならば、それは保険と雇用です。まず、保険ですが、日本国 内の議論としては「TPPが進むと、民間の医療保険が参入したいと言って来るだろ う」という懸念があります。その結果として「自由な商売のチャンス」を阻害する 「公的な国民皆保険」がターゲットになってしまい、結果的に日本の社会保障の骨格 である健康保険制度が崩壊するというような危惧です。 ですが、現在のアメリカでTPPの絡みも含めて言われている「保険市場の開放」 というのは、健康保険ではなく「生保」なのです。日本社会には巨大な生保の市場が ある一方で、非常に閉鎖的であり、そこを何とかしてくれという意見、あるいは優先 順位としての主張が主流なのです。例えば、5月上旬に出たアメリカ議会調査局のレ ポートでもこの点が指摘されています。 生保の自由化というのは具体的には何かというと、簡保の存在です。現在は旧郵貯 から分割されて「かんぽ生命保険」と言われていますが、日本の生保業界ではダント ツの1位を誇り、巨大な存在になっています。これが「民業圧迫」であり、同時に 「海外からの生保の参入障壁」となっているわけです。 アメリカを始めとする世界のアナリストで「日本ウォッチャー」は、この問題はよ く知っていて、例えば2001年の小泉改革ではこの問題が「既得権益」だとして批 判され、郵政は解体・民営化の道へ一旦は進んだこと、それが2009年の民主党政 権発足以降、「反郵政改革」を主要な主張とする国民新党の政権参加などもあって大 きな逆行があり、現在も「かんぽ生命」は日本郵政の100%子会社になっていると いう現状もよく知られています。 勿論、この「かんぽ生命」に関しては、当初は2017年までには上場して完全民 営化というシナリオがあったわけですが、民主党と国民新党によって「見直し」がさ れて無期限に延期された形となっています。今回の第二次安倍政権では、主要経済閣 僚に麻生氏が復帰していることでも分かるように、姿勢は曖昧です。 日本国内では、「国土強靭化」的な「内向きのクラシックな自民党的バラマキ」が 歓迎される中で、漠然とTPPへの賛否が拮抗する中、この郵政民営化問題に対する 世論の関心は薄れてしまっていますが、外からは「構造改革を本気でヤル気があるの か?」という点で今でも警戒と関心の対象になっているのは間違いないと思います。 雇用に関しても「ズレ」があります。日本国内では「規制緩和」の大きな括りの中 で「解雇規制」の緩和をするという話になり、だからといって「上級管理職やその候 補」には手を付けられない中で、「限定正社員」の解雇規制緩和という話が進んでい ます。 ですが、海外の「アベノミクス」への期待感は、そうした「コストの流動化」とい った後ろ向きの、しかも中途半端な話ではなく、もっと本気で日本経済の生産性を向 上するような方策です。それは女性の人材活用であったり、大きな組織における人材 の若返りといった改革であり、そうした改革を遅らせる中で「失われた20年」があ ったのではないかという観点です。 三点目ですが、海外の投資家が厳しい目で見ているのが財政規律の問題です。10 00兆円を超え、GDPの二倍という国家債務を抱えた日本が「通貨価値の毀損」と いうギャンブルが許されたのは、あくまで「増税による財政規律の改善へ向かってい る」という大前提があったからです。 例えば先週以来の株価の動揺を受けて、「消費税率アップの先送り論」がアドバル ーン的なものを含めて出ていますが、これは大変に危険です。「株価下落と円高で景 気が不透明」だという理由で「例えば選挙を意識して消費税率アップに消極的になる」 というような話は、気配が出るだけで日本売りの引き金を引く危険があるということ は、勿論、経済財政の当局者はよく分かっていると思いますが、十分な警戒が必要と 思います。 最後に、その「円高」ですが、12月の政権交代以降、「円安イコール株高」とい う構図がずっと続く中で、「円高」に振れると株は下げるのが当たり前になってきた わけです。この構図ですが、外国の資金からは全く嬉しくない話です。基本的に海外 の資金の多くはドル建てで見ているわけですから、いくら日本株が上がってもドンド ン円安が進行しては妙味はないわけです。 その辺については、勿論様々なヘッジをかけている向きも多いわけですが、ヘッジ がかかっているにしても、投資の全体像としては円が下がる中での日本への投資とい うのは、決して面白くないはずです。更に言えば、ここまで日本の国内投資家の動き に、外国人の買いはそっと追いかけてきたのでしょうが、ここから先、仮に海外から のマネー流入が増えればその分だけ「円高」になって行くわけです。 ですから、これから先の段階では円安と円高が拮抗し、やがては少しずつ円高に戻 っていくというシナリオも十分にあるし、それが海外のマネーの期待感であるわけで す。同時に、それはそれで実体経済の改善シナリオに沿って行くのではと思います。 例えば大量の天然ガスを輸入している現在、日本経済には明らかな「円安のデメリッ ト」もあるわけで、為替水準に関しては拮抗からやや円高へという時期が来ることは、 悪いことではありません。 いずれにしても、リベラルな財政・通貨政策と保守的な政治姿勢の「ねじれ」だけ でなく、市場のテクニカルな発達と規制の問題、構造改革の問題、雇用の問題、財政 規律の問題、そして適正な為替水準の問題と、並べてみると一つのパターンが透けて 見えます。それはアベノミクスがもたらした「当面の株高」に喜ぶ国内的なセンチメ ントは、構造改革という面からは守旧派であり、守旧派であることで経済合理性にも アンチであるという傾向です。 そのような「支持層の守旧派的性格」が露見した場合には、海外のマネーは一斉に 売りを浴びせるでしょう。株だけでなく、国債も、そして円も売られる危険がありま す。ここまでお話してきた「ねじれ」というのは、そんなわけで「アベノミクス」を 頓挫させる危険、いやその際には激しい破綻を引き起こす危険性も持っていると思い ます。 その一方で、これからの政治経済の動きの中で、日本が「アベノミクスで得た余裕、 あるいは破綻への猶予」をうまく使って構造改革に進むというトレンドを見せること ができれば、破綻を回避し、実体経済にキチンと火がついて、内需が熱を帯びてくる まで景況感を維持することも可能だと思います。 そのような「ソフトランディング」のシナリオは、実はもろもろの要素について 「狭いゾーン」をシッカリ飛んでいかねばならないわけです。その意味でグローバル な市場から聞こえてくる警告の声には、謙虚に耳を傾けつつ、無用な動揺や狼狽を排 して正道を進むことが、何よりも肝要と思います。日本の政治経済は極めて重要な局 面に来ていると思います。
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