01. 2013年5月31日 23:20:16
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http://seiji.yahoo.co.jp/close_up/1302/ 労働政策研究・研修機構研究員 濱口桂一郎 昨年末の総選挙で自民党が大勝し、第二次安倍内閣が成立してから、経済財政諮問会議、規制改革会議、産業競争力会議など、官邸主導のさまざまな会議が復活・新設され、規制緩和をめぐる議論がかまびすしくなっています。その中でも、とりわけ解雇規制の緩和をめぐっては、マスコミでもややセンセーショナルに取り上げられる傾向があり、必ずしも正しい認識で議論が進められない恐れがあるように思います。本日は、賛成論からも反対論からも、ややもすると解雇を自由化するものであるかのように思い込まれている解雇ルールをめぐる議論の筋道を明確に解きほぐし、この問題をどのように論ずるべきかを示していきたいと思います。 この問題を考える出発点は、日本の「正社員」と呼ばれる労働者の雇用契約が世界的に見て極めて特殊であるという点です。諸外国では就職というのは文字通り「職」、英語で言えば「ジョブ」に就くこと、つまり職務を限定して雇用契約を結ぶことです。通常勤務地や労働時間も限定されます。それに対して日本の「正社員」は、世間で「「就職」じゃなく「就社」だ」といわれるように、職務を限定せずに会社の命令次第でどんな仕事でもやる前提で雇われます。また勤務地や労働時間も限定されないのが普通です。こういう「無限定」社員を、われわれ日本人はごく当たり前だと思っていますが、実は世界的には極めて特殊なのです。 そういう日本型「正社員」は、たまたま会社に命じられた仕事がなくなったからといって簡単に解雇されません。なぜなら、どんな仕事でも、どんな場所でも働くという約束なのですから、会社側には別の仕事や事業所に配転する義務があるからです。これを労働法の世界では、解雇回避努力義務といいますが、それは「就職」ではなく「就社」した人々だからそうなるということは理解していただけるでしょう。 一方、学校を卒業したときに日本型「正社員」になれなかった若者は、仕事も時間も場所も限定された非正規労働に就くしかありませんが、正社員が標準だった時代に作られた非正規のモデルは主婦パートや学生アルバイトが前提で、賃金労働条件は低いし雇用は極めて不安定です。彼らには短期間の雇用契約を繰り返し更新して事実上長く働き続けている人々が多くいますが、仕事があってもちょっとした理由でいつ更新されずに雇い止めになるかわからない状態です。 つまり日本には、その仕事がなくなっても会社内に回す余地があれば雇用が保障される「正社員」と、その仕事があってもいつ雇用が打ち切られるかわからない「非正規労働者」という二つの極端なモデルしかありません。欧米で「就職」した普通の労働者のように、その仕事がある限り雇用が保障され、まっとうな水準の労働条件を享受できる人々がほとんどいないのです。この状態を何とかしなければならないというのが、現在の問題の出発点です。 政府の会議の中でも、経済財政諮問会議と規制改革会議は、まさにそういう問題意識から議論を展開しています。いずれも、正規と非正規の二元的システムではなく、勤務地や職種が限定されているジョブ型のスキル労働者を創り出していくことから話を始めています。そして、その仕事や事業所がなくなったり縮小したときに、契約を超えた配転ができないがゆえに、整理解雇が正当とされるという筋道で議論を展開しようとしています。 ところが同じ政府の産業競争力会議では、そういう前提抜きに現在の日本の解雇規制が厳しすぎるとして、その緩和、あるいはむしろ自由化を求める声が出ているようです。一部のマスコミでも、そういう認識に基づいた解雇自由化論を唱える向きもあるようです。しかしながら、その認識は正しくありません。なぜなら、日本の法律自体は、なんら解雇を厳しく規制していないからです。 日本の労働契約法第16条は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない」解雇を無効としていますが、似たような規定はヨーロッパ諸国にも見られます。違うのは、何が客観的に合理的であり、社会通念上相当であるかという点です。それは、その雇用契約が何を定めているかによって、自ずから変わってくるのです。 欧米で一般的な「ジョブ」型の雇用契約では、同一事業場の同一職種を超えて配転することができませんから、労使協議など一定の手続を取ることを前提として、整理解雇は正当なものとみなされます。それに対して日本型「正社員」の場合は、雇用契約でどんな仕事でもどんな場所でも配転させると約束しているため、整理解雇はそれだけ認められにくくなります。 日本は解雇規制が厳しすぎるのではありません。解雇規制が適用される雇用契約の性格が「なんでもやらせるからその仕事がなくてもクビにはしない」「何でもやるからその仕事がなくてもクビにはされない」という特殊な約束になっているだけなのです。ヨーロッパ並みに整理解雇ができるようにするためには、まず「何でもやらせる」ことになっている「正社員」の雇用契約のあり方を見直し、職務限定、勤務地限定の正社員を創り出していくことが不可欠の前提です。 さて、ここまで述べてきたことは、実は出るところへ出たときのルールに過ぎません。年間数十万件の解雇紛争を労働裁判所で処理している西欧諸国に比べ、日本で解雇が裁判沙汰になるのは年間1600件程度に過ぎません。圧倒的に多くの解雇事件は法廷にまでやって来ないのです。明日の食い扶持を探さなければならない圧倒的多数の中小零細企業の労働者にとって、弁護士を頼んで長い時間をかけて裁判闘争をするなど、ほとんど絵に描いた餅に過ぎません。 それに対して、全国の労働局に寄せられる個別労働関係紛争の数は膨大です。解雇など雇用終了関係の相談件数は年間10万件に上りますが、そのうちあっせんを申請したのは約4000件弱です。わたくしは2008年度にあっせん申請された事案のうち1144件の実態を調査し、報告書にまとめました。そこには態度が悪いからとか上司のいうことを聞かないからといった理由による解雇が山のように並んでいます。雇用契約がどんな内容であったとしても、どうみても「客観的に合理的な理由」があるとは思えないような解雇が、ごく当たり前のように横行しています。しかもあっせんは強制力がなく任意の制度なので、申請された事案のうち約3割程度しか金銭解決していませんし、その水準は平均17万円と極めて低いのです。日本の大部分を占める中小企業レベルでは、解雇は限りなく自由に近いのが現状といえます。 こういう社会の実態を見れば、近年解雇規制緩和の一つの象徴のように批判されている金銭解決制度の持つ意味が浮かび上がってきます。どのような規定になるかにもよりますが、例えばドイツでは無効な解雇の場合の補償金は、年齢によって12か月分から18か月分ですし、スウェーデンでは勤続年数によって6か月分から32か月分とされています。多くの中小企業労働者にとっては、こちらの方が遙かに望ましいのではないでしょうか。 |