01. 2013年5月27日 21:56:39
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未来授業〜明日の日本人たちへ 第52回 橘玲氏 〜日本人の幸福論〜2013年05月24日 今回の講師は、経済小説家の橘玲(たちばなあきら)さん。金融に関する豊富な知識を背景に、多くの著書を発表。ベストセラー「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」は、「新世紀の資本論」とも評されました。 不安定な経済状況下、働くことやお金について、私たちはどう考えるべきなのでしょうか? 日本人と仕事 日本では会社員のことをサラリーマンといいますが、世界的にはサラリーマンという職業はありません。たとえば海外の人に「あなたはなにをやっているの?」と聞くと、「自分の仕事はセールスだ」とか「会計だ」とか具体的な職種を答えます。最初に自分の専門性があって、その専門性を活かすためにどこかの会社に所属しているという考え方なのです。しかし日本は逆で、まずどこかの会社に入り、営業、経理、人事など、配属された部署でがんばっていくことになります。そんなふうに仕事と会社の関係が逆転していることが、日本人の働き方の問題点だと思います。
もうひとつの問題は、労働市場に流動性がなく、中高年の転職市場がないことです。日本企業では一般に20代のうちは転職が可能ですが、35歳を過ぎると難しいといわれています。最初にたまたま入った会社が自分にとってベストだった、などということはありえませんから、もっと自分が輝ける、自分が求めていた仕事があるかもしれないと考えるのは当たり前です。その点でも、自由な転職ができない日本社会の仕組みがここにきてうまく機能しなくなっているのだと思います。 自分がどんな仕事に向いているかを、20歳のときに理解しているなんてことはありえません。すくなくとも、私はそんなことは到底できなかった。いまの就職活動の問題は、できるわけがないことをやらせていることです。働いたこともなく、なんの社会経験もない学生に対して「あなたの適職を見つけなさい」というのは理不尽です。 最初に入った会社に人生をまるごと預けなければいけないという、一発勝負的な考え方は時代遅れです。すくなくとも20代であればいくらでも転職できるのですから、理想を追い求めるのではなく、最初はどんな会社でもいいから働いてみて、自分のやりたいことを見つけていくのがいいんじゃないでしょうか。 マイホームという神話 マイホームが特別なものだという考え方に根拠はありません。マイホームを買うということは不動産に投資するということで、さらにほとんどの人は住宅ローンを組むわけです。借金をしてリスク資産を買うという意味では、株の信用取引と同じです。そしてマイホームに関する最大の誤解は、「賃貸より買ったほうが得だ」ということ。この考え方の矛盾は小学生の算数程度できちんと説明できるんですけれど、なかなか理解するのは難しい。でも、賃貸という商売が成立している理由を考えてみれば、直感的におかしいと思えるはず。流通業にしても製造業にしても、世界の名だたる大企業のオフィスはほとんど賃貸です。合理的にビジネスをする企業がなぜ不動産物件を購入せずに賃貸しているかを考えれば、どちらが得だと一概には決められないことがわかるでしょう。持ち家(所有)と賃貸にはそれぞれメリットとデメリットがあって、メリットの大きいほうを選択しているだけなんです。 ただマイホームに関しては、買ったほうが得だという信念のようなものがあまりにも強烈です。そうすると、売り手は物件を割高で販売できますから、マイホーム購入はきわめて不利になります。それに対して賃貸は価格がある程度オープンになっているし、いちどに支払う金額も少ないので、まだリスクが少ない。東京都内でマイホームを買うと5000万〜6000万円くらいしますよね。サラリーマンの生涯収入は3億円しかないのに、その2割ちかい価格のものをぽんと買ってしまうところがマイホームの恐ろしさかなと思います。 なぜそんな誤解や勘違いが生まれるのかというと、これはどうしようもない部分があります。なぜなら、マイホームは縄張りだからです。人間だけではなく昆虫や魚でも、生き物は自分の縄張りを確保し、敵の侵入を防いで生き延びてきました。その長い進化の歴史があるから、無意識のうちに「縄張りは絶対だ」と思うわけです。マイホームとは縄張りで、だから特別な価値がある。理屈を超えた聖なるものなのですから、「自分の家を構えたい」と願うのはどうしようもないですよね。ただ経済的にみると、持ち家が得かどうかはかなり疑わしいわけですが。 人に認められるという幸せ
誰もが知っているように、使いきれないほどのお金を持っていても、お城のような家にひとりで住んでも、幸せでもなんでもありません。人が幸せを感じるのは、まわりの人たちから評価され、大切にされているときです。石器時代から狩猟採取の集団生活をしてきたヒトにとっていちばん大切なことは、自分の役割と評価です。集団のなかで役割を与えられ、責任ある仕事をすると、まわりの仲間から認められる。それが幸せだと感じた人たちが生き延びてきていまの私たちがいる。そう考えると、幸せになるためには他者(仲間)から認められるしかなくて、その最も効果的な方法が家族をつくることだったのだと思います。そういう意味では、家族の特別な価値はこれからも変わらないでしょう。
そうはいっても、単になにかをして認めてもらうだけなら、家族でなくてもいいわけです。いまならインターネットのSNSで評判を獲得したほうが、家族をつくるより簡単だし、幸福感が高いという人もいるかもしれません。人はみんな幸福になるために生きているのですから、もしネットの世界でのほうが簡単に幸福感を手に入れられるなら、「家族なんかいらないよ」という世界がやってこないとも限らない。すくなくとも、結婚して子どもを育て、老後も夫婦で死ぬまでずっと一緒ということが当たり前の世界はもう戻ってはこないでしょう。 人間関係は経済合理性とは別なので、マーケットと同じ経済合理性を家族関係に持ち込むと必ず破綻します。子どもがいい点をとったらお金をあげると、子どもは勉強をビジネスだと思うようになり、親をスポンサーだと捉える。お金が嫌われるいちばんの理由は、家族や友だちのような人間にとって大切な価値を破壊してしまうからです。生きていくためにお金は必要ですが、それを安易に親しい人たちとの間に持ち込むと、人間関係が崩壊します。ですから家族運営を経済合理性で行なうのはちょっと無理だと思います。 残酷な世界を生き抜く方法 日本は、再チャレンジできない社会です。再チャレンジ可能なのは30代前半までで、40代半ばになって会社が潰れたとかリストラされたということになると、もう仕事はありません。昨日まで部長だった人にできることは、コンビニのレジ打ちしかない。「家のローンも返し終わってないし、子どもがふたりも私立の学校に行っているのに、どうするの?」という、そういう社会なんです。年収1000万円だった人が、年に100万円も稼げなくなってしまう。日本の労働市場というのは、一部の既得権層を守るためにそういう残酷な世界をつくってきたんです。だとしたら、どうやって自分を活かしていくのか? ありきたりの答えですが、私の提案は「自分の好きなことをやるしかない」ということです。 豊かさの本質は分業です。市場競争というのはライバルを打ち倒して生き残っていくゼロサムゲームではなく、それぞれ自分のできること、得意なことをやることで、全体のパイが大きくなるプラスサムのゲームです。これは経済学の「比較優位」という考え方で、本当に素晴らしい発見だと思います。 みんなが自分の得意なことをやって、それが社会全体を幸せにしていく。大切なのはそういう社会というか市場の仕組みをちゃんとつくることと、そのなかで自分の得意なことを伸ばしていくことです。実現不可能な理想を追いかけてもうまくいきません。自分の適性は、自分の知らないところで決まってしまっています。嫌なことをがんばってやることは無理で、結局、がんばれるのは好きなことだけなんです。ですから、できるだけ好きなことをやりながら、それを活かしていく。そのための道を考えていくのがいいんじゃないでしょうか。 【 橘 玲 】 プロフィール 橘 玲(たちばなあきら) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。 |