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■「赤信号みんなで渡れば恐くない」経済
1ドルが100円の大台をあっさりと超えてきたことで、さすがに『異次元の金融緩和』の影響を無視するわけにはいかなくなってきたらしく、一頃流行った「欧州経済の安定化が円安を齎している」というような意見はどこかへ消し飛んでしまったようだ。
現在の円安は、好調なアメリカ経済(ドルが買われるため)等も影響していると思われるが、日銀の量的緩和発言の影響が最も大きいであろうことを否定できるようなエコノミストは流石にいなくなりつつある。
とはいえ、依然として量的緩和政策については異を唱える人々は大勢いるらしく、またぞろ右翼と左翼の喧嘩のような罵り合いになってしまっている。書店を覗いてみても、アベノミクス礼讃本とアベノミクス批判本が綺麗に真っ二つに分かれており、さながら現代の天動説・地動説論争でも観ているかのようだ。
しかし、未来に明確な答えの用意されていた天動説・地動説論争とは違って、この問題はどちらが正しいのかを考えても、おそらく堂々回りをするだけで、一向に解答が出ないのではないかと思える。なぜなら、双方ともに間違ったことは言っていないからである。
「えっ?」と思った人が大半だと思われるので、その理由を以下に書いてみたいと思う。
「赤信号みんなで渡れば恐くない」という有名な言葉は誰もが御存知の通りだが、現在の量的緩和政策というものも、実はこれに近いと言える(理由は後述)。「赤信号」という言葉を「金融緩和」に置き換えてみると、「金融緩和みんなでやれば恐くない」となるわけだが、現代の世界経済はまさにこの状態だとも言える。
もし日本が鎖国でもしていて、1国だけで経済が動いている場合、「お金が足りない」という理由で大量にお金を刷れば、真面目に働いて納税している人がバカを見てしまうことになる。そうなると、「怠け者を救うために安易にお金を増刷するとは何事だ」ということになってしまうかもしれない。
これは、喩えて言うなら、企業の『株式増資』とも似ている。企業の経営が芳しくないからと言って、安易に株を増刷してしまうと1株当たりの株式価値が希薄化する(実質的な配当金額も下がる)ことになり、既存の株主から非難を受けることになる。ちょうど数年前にあった東京電力の増資のようなものだ。(注意:東日本大震災が起こる以前の話)
■お金の“量”と“価値”の逆転関係
しかしながら、現代の日本は鎖国はしておらず、世界には「円」以外にも様々な通貨が流通している。そんな状況で日本以外の国々が、株式増資のような感覚で次々とお金を刷り増やしていけばどうなるか?
当然、物量的に日本の円だけが減少することになり、相対的な比較において、円のみが独歩高になる可能性が高くなる。そこに、誰もお金を使おうとしないデフレ環境が加わると、更に円高に拍車がかかることになる。(実際に日本はそうなった)
1国単位で経済が動いている場合は、「お金を安易に増やすことは許されない」という理屈は成り立つかもしれない。しかし、経済が世界単位で動いている場合は、全体的な(流通している)通貨量というものはある程度、バランスを一定にしなければ、歪な経済になってしまうことになる。世界経済が統一の基軸通貨で動いているのであれば少し事情が違ってくるかもしれないが、現在のようにドル、ユーロ、円など、国によってバラバラの通貨であれば、せめて通貨量だけでも統一しなければならないわけだ。
簡単な喩えで言うと、米国人と欧州人と日本人の3人の子供がいたとして、米国人と欧州人の子供のお小遣いがどんどん増えているのに日本人の子供だけがお小遣いが固定のままであれば、どうなるかを考えれば分かりやすいかもしれない。
そうなると当然、日本人の子供はお金を使わなくなる。なぜなら、お小遣いの価値が上がることになるからだ。
お小遣いの量が増えないがゆえに、お小遣いの価値は上がるという屈折した現象が生じる。つまり、これが金融緩和を行なわなければ円高デフレ経済に拍車がかかるという意味でもある。
もっとも、金融緩和だけでデフレが解消するわけではないが、1つの大きな原因であることに違いはない。
話が少しややこしくなるが、先述した「歪な経済」とは先進国と新興国との間に既に開いている時代的な格差のことではない。先進国と新興国の間には物価や賃金において歪な格差が開いているが、元々、そのような歪な時代的格差が有るからこそ、その時代的格差の調整過程を緩やかにするための方策(=量的緩和)を実施しなければ、違う意味で「歪な経済」になってしまうという意味である。
■「赤信号みんなで渡れば恐くない」は善か悪か?
世界中の国々は「赤信号みんなで渡れば恐くない」という言葉の通り、「金融緩和みんなでやれば恐くない」を実施している。もちろん、赤信号を渡ることは違反行為だ。しかし、世界の他の国々が赤信号を渡っても問題ないとしている状況下で、日本だけが「赤信号は渡ってはいけない」と頑に意地を張っていても仕方がない。黒田氏が世界の舞台で円安にしたことを批判されないのは、そんな批判をすると批判した国も困ることになるという単純な理由からだろう。
「赤信号を渡ってはいけません」と注意すれば、注意した本人も赤信号を渡れなくなってしまうのと同じ理屈である。
「赤信号を渡ってはいけない」と言うのは確かに正しい。しかし、前提条件によっては必ずしも正しいとは言えなくなってしまう場合がある。「無理が通れば道理が引っ込む」という諺も有る通り、如何に掟破りなことであっても、世界中が無理を通せば、日本も道理を引っ込めなければならなくなる。残念ながら、それが現代の世界経済の姿であり、先進各国は、苦渋の選択としての量的緩和を行なわざるを得なくなっているわけだ。
リフレ派「みんなが赤信号を渡っているのだから我々も渡るべきだ」
反リフレ派「赤信号は危険だから渡るべきではない」
ちょうどこんな感じだろうか? これでは意見が噛み合わないのも無理はないが、確かにどちらも言っていることは間違っていないのである。
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