http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/617.html
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(回答先: 自信を生み出す3つのサイクル 仮説設定能力 意欲 リーダー3条件 日英差別 瑞典学校崩壊 日露戦 危機管理 独医療過誤 投稿者 eco 日時 2013 年 4 月 23 日 01:16:52)
マルチタスクをやめる
2013年04月24日
ピーター・ブレグマン CEOおよびリーダーにアドバイスを行う戦略コンサルタント。
やめる方法と、やめるべき理由
複数の作業を同時にこなすと、仕事の効率は上がるのか――賛否両論のこの問題を、ブレグマンが複数の研究と自身の経験をふまえて論じる。マルチタスクとは、実は作業を瞬時に切り替えているだけの「スイッチタスク」であるという。
私が加わっているNPOの実行委員会と、電話会議をしている最中のこと。私は別のクライアントにメールを送ろうとしていた。
わかっている。懲りない人だなあ、と読者の皆さんは思われるのだろう。先週、私は「運転中の携帯電話は危険」という記事を書いたばかりだ(未訳:英文記事はこちら)。でも今回は車の中ではなく、安全なオフィスにいるのだ。なにか問題があるだろうか。
というわけで、私はクライアントにメールを送った。しかしファイルの添付を忘れたことに気づいて、もう1通送った。さらに3度目のメールで、添付ファイルが相手の求めていた内容とは別のものである理由を説明した。そして電話会議へと意識を戻した私は、委員長から私に向けられた質問を聞いていなかったことに気づいた。
誓って言うが、大麻を吸って頭がどんよりしていたわけではない。しかしそれと同じような状態だったかもしれない。ヒューレット・パッカード発表の調査結果によれば、人は仕事中にメールや電話によって邪魔される時、IQが10も下がるという。このIQ(思考力)の低下は徹夜明けの時と同等であり、大麻吸引時の2倍に匹敵するというのだ。
複数のことを同時にやれば、より多くを達成できる――これは私たちの思い込みにすぎない。それによって生産性は最大40%も下がるという研究結果がある。人は本当のところ、マルチタスクを行っているわけではない。「スイッチタスク」、つまりひとつのタスクから別のタスクに素早く切り替えているだけだ。これによって自分の集中力を自分で非生産的に妨げ、時間を無駄にしているのだ。
自分はそうじゃない、と思う人もいるだろう。今までさんざんやってきたから大丈夫、訓練によって熟達している、という理由で。
でも、それは間違いかもしれない。ある研究によれば、重度のマルチタスク従事者は軽度のマルチタスク従事者に比べて、物事を同時に処理する能力が低いという実験結果が出ている。別の言い方をすると、マルチタスクをやればやるほど下手になるということだ。他のあらゆる物事と違って、訓練があだになるのだ。
そこで、私は実験をしてみることにした。1週間マルチタスクをしなかったら、どうなるだろうか。どんなテクニックが役に立つのか。1つのことに、これほど長く集中できるのか。
大部分において、それは成功した。電話をしている時は、ただ話し、聞くことだけに集中した。会議中は、他に何もせず会議に集中した。メールやドアのノックなど邪魔するものは、その時やっていることが終わるまで遮断した。
この1週間を通して、私は6つの発見をした。
1. マルチタスクのない日々は、素晴らしいものだった
このことをはっきり感じたのは、子どもたちと遊んでいる時だった。携帯の電源を切り、彼女たちと濃密な時間を過ごすことができた。メールをチェックするわずかな時間が、目の前の人や物事からいかに自分を遠ざけるものか、それまでは気づかなかった。笑わないでほしいのだが、実は本当に久しぶりに、風に揺れる木々の葉を見てその美しさに気づいたのだ。
2. 難しい仕事が、大いに進んだ
執筆や戦略立案のような仕事には、熟考と粘り強さが必要となる。普段なら私はすぐに気が散ってしまうのだが、今回は難しい局面を迎えても腰を据えていられたし、何度もブレークスルーを体験した。
3. ストレスが劇的に軽減した
ある研究によると、マルチタスクは非効率であるばかりか、ストレスも高めるという。そのとおりであることを、身をもって知った。一度に1つのことだけをやると、心が安らぐのだ。マルチタスクがもたらす緊張からの解放を味わった。1つの作業を確実に終えてから次の作業に移ると、安心感が得られた。
4. 時間の無駄となるものに、我慢ができなくなった
1時間の会議は果てしなく長いものに感じられた。とりとめがなく要点を欠く会話は苦痛だった。私は作業の完了に向けてピンポイントで集中するようになっていた。マルチタスクをしていないと、退屈をまぎらわす方法もない。無駄な時間を許容できなくなった。
5. 有意義なこと、楽しいことに対しては、大いに粘り強さを発揮できた
妻エリナーが話をしている時は、じっくり耳を傾けることができた。難しい問題について検討している時は、それに没頭できた。他に意識を妨げるものがないので、腰を据えて1つのことに取り組めたのだ。
6. 不都合はなにも生じなかった
マルチタスクをしないことで失ったものは、何もない。プロジェクトの進行が滞ることはなかった。電話に出なくても、メールを瞬時に返信しなくても、私に腹を立てる人はいなかった。
それなのに、人はマルチタスクをやめられないから驚きである。不都合がないのなら、やめてしまえばいいのに。
思うにそれは、私たちの脳が、外部の現実世界よりも格段に速く動いているからではないだろうか。1分間に口頭で話せる語数より、聞いて処理できる語数のほうがずっと多い。やるべきことが山積みなら、1秒でも無駄にしたくない。だから電話で相手の話を聞いているあいだに、「脳の余っている部分」を使ってフィレンツェ旅行の予約をしよう、という具合だ。
しかし私たちは気づいていない。脳のそうした部分は、雰囲気を察知したり、聞いている内容を頭の中で掘り下げたり、創造性を発揮したり、周囲の状況を把握することに使われている。つまり「余っている」わけではないのだ。こうしたことを犠牲にして意識を他へと振り向けると、マイナスの結果を生む。
ではどうすれば、私たちはマルチタスクの誘惑に抵抗できるのか。
第1に、最もわかりやすい方法がある。集中を妨げるものを遮断すればよい。私は朝6時に執筆を始めるが、懸案事項がない場合はコンピュータのワイヤレス接続を遮断し、携帯電話もオフにする。運転中は、携帯電話を後部トランクにしまう。極端すぎる? そうかもしれない。しかし自分を信用しすぎないほうが賢明だ。
第2に、これは少しわかりにくいかもしれないが、忍耐力の欠如を逆手に取ることだ。締切を非現実的なほど短く設定する。すべての会議を半分の時間にする。あらゆる作業について、必要と思われる所要時間の3分の1だけを費やすようにするのだ。
締切ほど、物事を進捗させてくれるものはない。そして物事が速く進んでいると、集中を余技なくされる。徒競争をしている最中にテキストメッセージを送れる人がいるだろうか。1時間を見込んでいたプレゼン会議を30分でやるとなったら、途中で電話になど出るだろうか。
また、マルチタスクは大きなストレスを生む。このため、厳しい締切を守ろうとしてシングルタスクに集中すると、むしろストレスが軽減される。つまり時間が限られると、生産性が上がり精神も安定するということだ。
そして最後に、人は完璧ではないことも覚えておくとよい。たまになら、少しぐらいのマルチタスクをやってもかまわないと思う。この文章を書いている今の私もそうだ。2歳の息子ダニエルが部屋に入ってきて私の膝に這い上がり、「モンスターズ・インク」の映画を観たいとせがんでいる。だから、しょうがない――この記事を左側のウィンドウで仕上げながら、ダニエルを膝にのせ、右側のウィンドウで映画を観せている。
ささいなマルチタスクなら、やらずにはいられない時もある。
原文:How (and Why) to Stop Multitasking May 20, 2010
http://www.dhbr.net/articles/-/1716?page=3
【第8回】 2013年4月24日 鶴井宣仁 [三菱総合研究所 研究員]
「ゆとり世代」の消費を読み解く(2)
訴求のキーワードは“実感できる価値”
ゲーミフィケーションで若者の実感に訴える
――三菱総合研究所研究員 鶴井宣仁
前回のコラムでは、“若者の車離れ”を切り口として、自転車を選択するゆとり世代に着目した。そして、彼らが持つ「協調の中にある個性」という価値観について触れ、今後有望な市場として「友人とのプチギフト」をターゲットにした商品・製品開発を取り上げた。
ゆとり世代の2回目となる今回は、若者たちの就業状況と生活満足度についてmifを通じて、彼らの実態を明らかにしていく。食品と衣服の消費から見る彼らの特徴は“実感できる価値”を大切にする合理的な購入行動だ。
ゆとり世代は低所得と
非正規社員が多数派
図表1に各世代の就業状況を示した。ゆとり世代には未就業の学生が存在するため、ここでは就業者のみを対象としている(母集団の数はカッコ内で示している)。
すると就業しているゆとり世代のうち、所得が「400万円未満」の層が96%を占める結果となった。特に「200万円未満」の層は66%となっており、他世代と比較して2倍強の比率を占めている。また、雇用形態に目を移すと、ゆとり世代のうち非正規雇用が約6割を占めていることがわかる。正規雇用は4割を切っており、昨今の若者の雇用状況の悪化を窺い知ることができる。
厳しい就業状況に置かれ、年間所得が抑制されている若者たち。彼らはこういった状況での生活をどう感じているのだろうか。次項では彼らの生活満足度に着目してみる。
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経済的ゆとりが生活満足度に
与える影響が小さいゆとり世代
図表2にバブル世代以降の各世代における生活満足度〔生活全般の満足度(満足+どちらかといえば満足)〕を示した。
上の世代と比較して所得が抑制されているゆとり世代であるが、意外なことに各世代の生活満足度に差は見られない。「バブル世代」、「氷河期世代」、「ゆとり世代」のいずれにおいても生活に満足していると答えた率は40%前後であり、就業状況の厳しさからくる所得の低さは、全体の生活満足度にさほど影響を与えていないように見受けられる。
では、経済的なゆとりは生活満足度に影響を与えていないのだろうか。その辺りをより深堀りするために、「経済的ゆとり」の有無別に集計したのが、図表2のうちの折れ線グラフである。こちらを見ると、やはり経済的なゆとりと生活満足度には相関があるようだ。いずれの世代においても、経済的ゆとりがあると生活満足度が高く、経済的ゆとりがないと生活満足度が低くなっている。
しかしその一方で、若い世代ほどその差分が小さくなっていることが分かる。つまり、「経済的ゆとりあり」の生活満足度が若い世代ほど低く、「経済的ゆとりなし」の生活満足度が若い世代ほど高い。若者の中で、経済的要因が生活の満足に与える影響が相対的に小さくなっているようだ。バブル世代のように、消費を行うことで生活に満足を感じるといった図式が、若い世代では成り立たなくなってきたのではないか。
では、若者たちは消費行動に何を求めているのか。次項以降では、「食品」と「衣服」について、ゆとり世代の消費スタイルと彼らが消費に求めているニーズを明らかにしていく。
「食品」消費から見るゆとり世代のニーズ
利便性が高い商品を選択する
図表3に各世代の「食品」消費スタイルを整理した。
彼らの食品消費スタイルからは、食の安全・安心について関心が薄い若者の姿が浮かび上がってくる。まだ若いこともあり、将来の健康には無頓着なのだろう。一般的に無農薬・有機農産物や遺伝子組み換えでない食品は、そうでない食品に対して割高の価格設定となっている。ゆとり世代の若者は、安全・安心と価格を天秤にかけ、安価な食材を選んでいることが伺える。
一方で、レトルト食品やカット済み食材などの利便性が高い商品を選択する若者の姿が見えてくる。これら商品は自身で料理をするよりも、価格は多少割高なはずである。しかし、ゆとり世代は他世代に比べて利用意向が高い。調理する手間を省けること、食べきりサイズなため使い切れず腐らせることがないなど、支払うコストに対して“実感できる価値”、ここでは利便性を評価して購入していることが伺える。
所得の問題から、価格は購入決定の要因となりうる。ただ、“実感できる価値”があれば、購入を検討する彼らの合理的な購入原理がこれらから読み取れる。彼らにとっての“実感できる価値”とは、例えば目先の利便性であり、将来的な安全・安心といった今実感できないものは考慮の対象外となるのだろう。
“実感できる価値”が消費のニーズとなっているのは食品消費だけではない。次項に述べる衣服消費からも実質志向な彼らの姿が見えてくる。
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「衣服」消費から見るゆとり世代のニーズ
「ブラ・リサイクル」が提供する価値
図表4は各世代の「衣服」消費スタイルを示す。
他世代と比べてゆとり世代の彼らは、贅沢品のレンタルや古着屋を活用したり、ブランドアイテムの付録がついた雑誌を購入したりする傾向にある。こういった姿からは、コストパフォーマンスを計算した賢い消費者となった実質志向な若者の姿が見えてくる。これら若者は、「利用頻度の低い贅沢品をレンタルすれば出費を抑えられる」、「付録がついた雑誌はトータルで見てお得」など、商品・サービスに“実感できる価値”を感じて利用しているのだろう。
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“実感できる価値”は、必ずしも低価格や割引といったものでなくとも構わない。
例として、ワコールが2008年から毎年春に実施している「ワコール ブラ・リサイクル」を挙げる。このキャンペーンは、同社が実施店舗で「リサイクルバッグ」を配布、後日不要になったブラを入れて封をし、再び店舗へと持参してもらう仕組みとなっている。
このキャンペーンでは原則、金券などは渡していない。にもかかわらず、実施初年度の2008年は予想以上の顧客が参加した。特に回収率が高かったのは、10〜20代がメイン顧客の「アンフィ」「ウンナナクール」といった直営店舗であり、回収率は12%にも及んだという。通常、DMなどで顧客に来店を呼びかけても、反応率は1%未満とされているため、いかに来店効果が高かったかがわかる。
この例における“実感できる価値”は、実際にキャンペーンに参加した顧客の声から伺うことができる。
「ブラは捨てるときバラバラに解体しないといけないからラクで良かった」
「古いブラでタンスのスペースが無駄になっていたからなくなってスッキリ。トクした気分」
リサイクルという銘を打っているが、ここで響いたのはエコの精神でなく、「ラク」「スペースが空いてスッキリ」といった顧客が“実感できる価値”だったのであろう。
ゆとり世代の価値観を生んだ
「デフレ社会」と「将来不安」
ここまで、ゆとり世代のニーズとして“実感できる価値”について述べてきた。
こうしたニーズが生まれた背景を、彼らが生きてきた時代背景から紐解いていきたい。
(1)学生時代は「デフレ社会」
長引くデフレ不況のもと成長してきたゆとり世代は、待てば安くなりサービス・質が向上していく現実を経験してきた。株や地価が右肩上がりで、今買わないと損をする経験をしてきたバブル世代とは正反対である。
ファストフード店の値下げ合戦やユニクロの出現により、彼らにとって「安かろう、品質もそこそこ良かろう」が普通となってしまった。そのため、“安さ”や“品質”はそれが当然と思っているゆとり世代への訴求にならなくなってしまった。
そんな彼らへ訴求するには、“安さ”や“品質”以外の“実感できる価値”が必要となったのは想像に難くない。
(2)将来への不安からくる実質志向
社会学者古市憲寿氏が『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)で語った現代の若者論の一つに、「現状に不満はないけど不安がある」といったものがある。
図表5からもそういった若者の姿が見えてくる。現在の生活について、約4割が満足と回答しているのに対し、不満は約3割。現状に満足している人の方が多い一方で、6割強が将来に不安を感じていると回答している。
先行き不透明な将来への不安と足元の雇用状況の不安定さが、若者の財布の紐を締めさせ、本当に必要と“実感できるもの”しか買わない実質志向が育まれたと考えられる。
「ゲーミフィケーション」で
若者に価値を実感させる
彼らの消費欲に訴求できるニーズは“実感できる価値”だと述べた。では、どうやって“実感できる価値”を感じてもらうのか。
ここでは、供給者が提供する“付加価値”と、消費者へアプローチする“伝達手段”。その両方を兼ね備えたゲーミフィケーションについて取り上げたい。ご存じの方も多いだろうが、ゲーミフィケーションとは一般的に、「ゲーム(主にテレビゲーム)のなかで培われてきたノウハウを、ゲーム以外の分野で活用すること」を意味する。
ゆとり世代は、ゲームへの親和性が高い世代と言える。図表6をみると、自分専用の「据置型」「携帯型」ゲーム機を保有し、「ゲームセンター」や「携帯電話ゲーム」を利用している彼らの姿が確認できる。また、スマートフォンの保有率も高く、ゲーミフィケーションを受け入れる下地があると言える。
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ゲーム性を取り込むことで、供給者は商品に“実感できる付加価値”を用意し、消費者であるゆとり世代の若者に、その価値を実感してもらうことが、彼らへの効果的な訴求となりうる。
実際にゲーミフィケーションを取り入れたアプローチの例としてNike+を挙げる。Nike+とはスポーツ用品の世界的ブランドであるナイキが提供している健康管理記録アプリである。スマートフォンなどにNike+をインストールして携帯したままジョギングをすると、GPS機能によりジョギングしたルート・時間・距離を記録、その情報をネット上で閲覧することができる。
Nike+が画期的だったのは、こういった数字の記録にゲーム性(目標要素/可視化要素/ソーシャル要素など)を取り入れたことだ。運動したことを“実感できる”場面を多く用意することで、ジョギングを継続するモチベーションを高める工夫がなされている。具体的には、SNSと連動した声援機能やチームでの競争機能を備えることで、「応援してくれる人のために走ろう」「チームの皆のためにがんばろう」といった気持ちにより、一人きりでは続かない運動も長く続けられるようサポートしている。
また、ナイキは「Game On, World」キャンペーンと題し、ゲーム性を取り入れたキャンペーンを世界各国で展開している。日本でも、2012年夏、最新のデジタルイノベーションを体験できる「UGOKIDASE STATION」を期間限定で原宿にオープン。体験型デジタルスポーツを売りとして、最新シューズの貸し出しを行い、原宿に集まる若者たちに価値を実感させる試みが行われた。若者に対してまずは興味を抱いてもらい、お試しの体験からファン化してもらいたいというナイキの狙いが伺える。
現代の若者たちは、物心がついた時からゲーム機やインターネットが当たり前の存在であり、いわばバーチャルなコミュニケーション環境で育ってきた。そんな彼らに対して“実感できる価値”をいかに伝達し、商品・サービスを購入・使用してもらうのか。ゲーミフィケーションによるアプローチはその鍵となりうるだろう。
バーチャルとの親和性が高い彼らにこそ、今「リアルの実感」が求められている。
http://diamond.jp/articles/print/35130
オーガニックコットンは体にいい?
消費者の“誤解”を販促に利用してはいけない
2013年4月24日(水) 南 充浩
H&Mの関西旗艦店である心斎橋店が4月13日にオープンした。オープン前に行われた内覧会に出席した際、オーガニックコットンを使用した子供服を見つけた。
売り場面積3000平方メートルのこの巨大店舗では、これまでよりもランジェリーコーナーやマタニティーコーナーが広く取られていたり、170センチまでの子供服がフルラインで揃っていたりする。その子供服の中に92〜128センチサイズで二枚一組999円のオーガニックコットンTシャツや、新生児向けで三枚一組1190円のオーガニックコットン使用のロンパースなどが並んでいた。
無印良品でもオーガニックコットン100%使用のTシャツやポロシャツが並んでいる。価格は一枚がだいたい1550〜3900円の範囲内に設定されている。
オーガニックコットン製品はこれまでも存在していたが、かなり高額な物として認知されていた。例えばTシャツで1万円前後というレベルである。ところが最近では、H&Mや無印良品に限らず低価格のオーガニックコットン製品が市場に多く出回っている。これまでと何が違うのだろうか。
広がるオーガニックコットンの産地
オーガニックコットンとは、栽培地の土壌汚染を緩和するために化学肥料や農薬を使わずに栽培する綿花のこととされている。もともとは米国で起きた消費者運動で、米国の綿花農場での有機栽培を指したものだった。米南部は綿花栽培が昔から現在に至るまで盛んに行われており、アフリカ大陸からの奴隷連行もその多くは綿花栽培のためだったことは広く知られている。
化学肥料と農薬を使わないで栽培すると、当然ながら通常の栽培よりも人手が必要となり、通常品よりも生産コストが上昇することになる。ましてや先進国で人件費の高い米国でやろうとすれば、栽培された綿花の価格は通常よりもかなり高くなる。本来、オーガニックコットンといえば米国で有機栽培された綿花のみを指していた。従来のオーガニックコットン製品が高価格だったのは、こうした背景があったからだ。
デニム生地メーカーの営業本部長や繊維業界に詳しいコンサルタントによると、昨今の低価格製品に使用されているオーガニックコットンはアジア諸国やアフリカ諸国、中南米で栽培されたものだという。インドやトルコや中国、パキスタンなどがアジアの綿花栽培国として知られているし、ブラジルやアフリカの国々でも綿花栽培が行われている。これらの国では気象的条件から除虫用の農薬が必要なかったり、設備投資が遅れているために「仕方なく」有機栽培せざるを得ない農場が数多く存在する。
こうした国で栽培された綿花はオーガニックコットンといえども価格は安い。そのため、低価格品にもオーガニックコットンがふんだんに使えるようになったようだ。ただ、本来のオーガニックコットンの定義とは、少しズレが出ているとも感じる。
低価格品に広い意味合いでの「オーガニックコットン」が使用されるようになって、一般消費者にもなじみが広がった。低価格で様々な商品が出回るようになったのは、オーガニックコットンの定義以外の要素もある。
従来の高額オーガニックコットンの多くは色彩的には面白みのない物が多かった。オフホワイト、ベージュ、薄緑、薄茶色とだいたいこんな色のアイテムが多かった。これは、綿花本来の色合いであり、染色がなされていない商品が多いことを意味する。真っ白の製品もない。漂白する際に化学薬品が使用されるからだ。
染色する場合でも草木染めという天然植物由来の染料に限られていた。そのため、色展開にも限界があるし、化学染料のように大量生産できない草木染料を使えば価格はやはり高くなる。
一般の衣料品には様々な色が使われる。今春はネオンカラーやビビッドカラーがブームで、特に鮮やかな色彩のアイテムが市場に溢れている。これらは化学染料で染めているため、草木染めで同じ色合いを再現するのはかなり難しい。
オーガニックコットンを化学染料で染める是非
昨今の低価格オーガニックコットン製品には通常の衣料品と同様のビビッドな色が使用されている。もちろん、これらの多くは通常の衣料品と同様に大量生産された化学染料で染められている。これに対して業界内には、「せっかく有機栽培された綿花を化学物質の塊である化学染料で染めたら意味がないのではないか」と指摘する声がある。この指摘はある意味、納得できるものではある。
話はやや脱線するが、皮革にもエコレザーなるものがある。皮革は鞣(なめ)さないと素材として使用できない。鞣す方法として、草木から抽出したタンニンを使用する「フルベジタブルタンニン鞣し」と、重金属を使った「クロム鞣し」の2つが存在する。エコレザーといった場合は「フルベジタブルタンニン鞣し」を指す。
エコレザーは染色する染料も限られるので、本来のオーガニックコットン製品と同様に地味な色合いが多い。しかし、ごく稀にビビッドにカラーリングされたエコレザー製品がある。これは化学染料で着色されている。当然、レザー業界関係者の中には「エコレザーに化学染料で着色したら台無しじゃないか」と指摘する人もいる。オーガニックコットンと似たような状況にあるのだ。
染料や加工剤に含まれる化学物質は本当に有害なのだろうかと以前から疑問に思っていたら、2008年4月にやはりそれなりに有害だと分かった事件があった。大阪を本社とする中規模子供服メーカーが製造・販売したTシャツを着用した乳幼児に湿疹が出たというニュースだ。このTシャツは中国産で、ロゴの文字などをプリントするためのインクの溶剤にホルムアルデヒドが含まれていたと伝えられている。やはり一定の濃度以上になると有害なのだろう。ちなみに生地の整理加工や表面の加工にホルムアルデヒドが使われる場合もある。
そういう観点からすると、染色しない、または天然由来の草木成分以外の染料は使用しない本来のオーガニックコットン製品というのは、好き嫌いは別として意義のある商品だと言える部分もある。しかし、衣料品である以上、鮮やかな色柄を求める消費者も多数存在するため、従来の地味な色合いしかないオーガニックコットン製品では支持者が広がらないこともまた事実である。
「オーガニックコットン」は品質や機能を指さない
重要なのは、オーガニックコットンとは綿花の栽培方法を指す言葉であって、何らかの効能や機能、品質を示しているわけではないことである。
通常、綿花の良し悪しは繊維長の長さによって決まり、多くの場合、繊維長が長い綿花が高級とされる。繊維長が長い綿花を紡績し、その糸で織った生地は滑らかで柔らかいからだ。綿花の繊維長は栽培される土地の気候風土で左右されることが多く、スーピマ綿やエジプト綿、インド綿などといったように品種や栽培地の名前がブランドとなっている。
先ほども書いたように、最終製品までオーガニックであることにはもちろん意義があると思う。一方で、あるテキスタイルコンバーターのベテラン企画担当者はこう話す。「化学染料で着色したオーガニックコットン生地やオーガニックコットン製品に批判があるのは知っています。しかし、化学染料でさまざまに着色することでファッション用途が広がり、オーガニックコットンの支持者が増える要素もある。そういう意味では化学染料による着色という手法も全面的な誤りだと言えないのではないでしょうか」。
オーガニックコットン製品が「化学物質を一切使っておらず、体にいい」という機能をうたっているのであれば、化学染料を使うことは問題だろう。だが、オーガニックコットンはあくまで栽培方法を指している。単純に支持者が増え、オーガニックコットンの栽培が広がることで、地球環境への負荷を減らすことができるという考え方もある。
となると、問題は売り方かもしれない。一般的な消費者はオーガニックコットンに対し、「エコロジーな素材」というイメージに加えて、「高級品」「健康にいい」というイメージを持っていると思う。もしかすると、「高級品」だから「健康にいい」という認識もあるかもしれない。そして、「『高級』で『健康にいい』オーガニックコットンがこの値段!お買い得だわ〜」という反応になる。
しかし、価格が下がったのは先ほど述べたような事情があるし、「健康」とオーガニックコットンの関係はよく分からない。にもかかわらず、現在のオーガニックコットンの売り方には、こうした消費者のイメージを利用しているように見受けられる部分がある。オーガニックコットンという言葉が過度に販促に利用されているような気がしてならない。
オーガニックコットンの普及は大いに結構なことだと思う。しかし、もう少しその内容そのものを知ってもらう努力をすべきなのではないだろうか。
「糸へん」小耳早耳
普段、私たちが何気なく身に着けている衣服の数々。これらを作る世界では何が起きているのか。業界に精通した筆者がファストファッションから国内産地の実情まで、アパレルや繊維といったいわゆる「糸へん」産業にまつわる最新動向を鮮やかに切り取る。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130418/246903/?ST=print
「就職先が詐欺会社だった!」どうする?
業務上横領、背任そして詐欺というビジネス上の事件
2013年4月24日(水) 岡野 武志
第5回の今回は、ビジネス上で問題になり得る経済事件について説明します。過去に話題になった経済事件をみると、ビジネスを行うにあたって利益の追求をするあまり、合法とされる行為を逸脱し、犯罪を犯して逮捕されてしまったというケースも少なくありません。
そこで、こうした事態を避けるためには、どういう行為が刑事事件として問題になるのかを知り、ビジネス上特に問題になりやすい業務上横領、背任そして詐欺との違いをしっかりと把握しておくことが大切です。
業務上横領、背任そして詐欺の違い
ビジネス上で問題になり得る経済的な刑事事件でメジャーなものとしては、業務上横領罪、背任罪そして詐欺罪が挙げられます。まずは、それぞれの犯罪の法律上の定義を明らかにしておきましょう。
・業務上横領罪とは
「業務上自己の占有する他人の物を横領した」場合を言います。
業務上横領罪にあたるとされると、法律上「10年以下の懲役に処する」と定められています(刑法253条)。
具体例で言うと、「経理担当者が自分が管理する会社の小口現金を持ち逃げした」「集金担当者が自分が管理する回収金を着服した」などのケースが該当します。
・背任罪とは
「他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたとき」を言います。
背任罪の刑罰は、法律上「5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」と定められています(刑法247条)。具体例で言うと、「銀行の貸付担当者が自分の利益を図るために不良貸し付けをした」などのケースが背任罪に該当します。
・詐欺罪とは
「人を欺いて財物を交付させた」場合を言います。詐欺罪の刑罰は、法律上「10年以下の懲役に処する」と定められています(刑法246条1項)。具体例で言うと、「存在しない架空の未公開株を販売することを業としていた」、「虚偽の取引で手形をだまし取った」などのケースが詐欺罪に該当します。
上記3つの犯罪は、一見するとどれも同じように感じられるかもしれませんが、いくつかの特徴によって分類することができます。
まず、業務上横領罪や背任罪は、ビジネスの場面においては、従業員が加害者・会社が被害者となるケースが多く、その意味で性質が共通しています。これに対して、詐欺罪は、会社の人間が加害者・外部の第三者が被害者となるケースが多く、その点で他の二罪とは性質を異にします。
また、背任罪は、法律上「5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」と定められているのに対して、業務上横領罪と詐欺罪は、「10年以下の懲役に処する」と、法律上より重い刑罰が設定されています。そのため、業務上横領罪や詐欺罪においては、背任罪の場合と異なり、事件が立件され起訴されれば、必ず刑事裁判が開かれることになります。
これに対して背任罪の場合は、罰金刑が定められていることから、たとえ事件が起訴されたとしても、法廷での裁判を行わず、罰金の納付によって終了する「略式罰金」という手続きで事件が終わる可能性もあります。
ビジネスで問題になる業務上横領罪の典型
業務上横領罪とは、「業務上自己の占有する他人の物を横領した」場合を言います。少し難しい言い回しですが、ここで言う「業務」とは、「社会生活上の地位に基づいて反復・継続して行う事務」を言い、他人の委託に基づいて他人の財物を占有したり保管したりすることを言います。倉庫業、運送業、質屋、クリーニング業、修理業、会社の経理担当や集金担当などが典型例ですが、業務は職業や職務となっていなくてもよく、本務に付随して行う業務でもよいとされています。
また、それが報酬や利益を目的とするものでなくてもかまいません。つまり、業務上横領罪は、これらの業務に基づいて他人から委託を受けて占有している財物を奪う行為を言います。
業務上横領罪にあたると判断された場合の法定刑については、前述のように「10年以下の懲役に処する」と定められています(刑法253条)。他方で、単純な横領罪の場合、つまり単に自分が占有・保管している他人の財物を横領した場合には、法律上「5年以下の懲役に処する」と定められています(刑法252条)。
このように、業務上横領罪について重い刑罰が定められている理由としては、社会生活上の地位に基づいて反復・継続して他人の財物を占有する人による横領行為であるという性質を有するため、多数の人との信頼関係を壊すものであり、また多くの法律上の利益を侵害しやすいこと、さらに横領行為が繰り返し行われる可能性が高い、といった点が指摘されています。
ビジネスで問題になる業務上横領罪の典型としては、経理担当者による会社の金銭の着服が挙げられます。
普段、弁護士として、女性を被疑者とする刑事事件の法律相談を受けていると、その背後に男性の影がちらつくことが多いのですが(例えば、「覚せい剤を使用し始めたのは当時付き合っていた彼氏の影響からだった」「交際相手に持ち掛けられて美人局を行った」など)、業務上横領に関しては、他の犯罪と比べて、女性単独で犯行を計画し、実行するケースも多いように感じます。
これは、業務上横領が経理担当者一人で行われることが多く、ビジネスの現場においては、経理担当者として女性が採用されることも珍しくないことが影響していることも考えられます。
例えば、先月は、某県JAで経理担当だった元派遣社員の女性が、取引先から集金した売上金の一部を着服するなどして約2560万円を横領していた事件が、業務改善調査から判明したというニュースが話題に上りました。
また、昨年には、製薬会社の企業年金基金を扱う法人で会計処理を担当していた元パート職員の女性が、銀行の振り込みサービスの暗証番号を使い、基金の運営費から自分の口座に振り込ませるなどして計1880万円を横領していたとされる事件の裁判で、実刑判決が下されました。
出来心を起こさせない鉄壁の管理体制を
横領罪には未遂犯の処罰規定がなく、犯罪は着手したと同時に既遂になります。例えば、実際の裁判例においては、他への支払いに充てるために口座に振り込み入金を受けて預かり保管中であった877万5136円について、その一部である10万6370円を自動引き落としに充てた段階で、「全額について…着服行為ということができる」として、877万5136円全額の横領が認められたケースがあります。
また、先月初旬には、某社団法人の役員夫婦が、社団法人の預金口座から百数十万円を引き出して横領したという業務上横領の容疑で逮捕されたというニュースが流れましたが、このように、業務上横領罪で問題となる財物は、個人のものだけではなく、会社などの法人の預金などの財物も含まれます。
また、業務上横領の加害者側(従業員側)の法律相談を受けて感じるのは、加害者側は、横領行為が刑事事件として発覚した際には、すでに横領した金銭を生活費や遊興費などに充てて使い果たしているケースがほとんどで、被害弁償を尽くした上で示談を締結することが難しいということです。
業務上横領罪は被害者がいる犯罪ですので、被害者側に対して被害を弁償し、示談を締結すれば、その事実は刑事手続きにおいて有利に考慮してもらえることが期待できます。しかし、業務上横領の場合は、そもそも被害弁償のための資金を用意できないというケースが多いのが実情です。
一方、同時に業務上横領の被害者側(オーナー、社長側)としても、資力のない加害者を相手に民事裁判を起こしても賠償金を支払ってもらうことが期待できず、訴訟の時間と手間が無駄であるとして、結局は、あきらめて被害の回復が図られないまま終わるケースも少なくありません。
ビジネスの現場で業務上横領事件が起きないようにするためには、従業員としては、会社のお金を横領しないことは当然ですが、経営者側としても、従業員に出来心を起こさせない鉄壁の金銭管理体制を敷いておくことが大切です。
というのも、業務上横領の被害に遭う会社というのは、往々にしてお金の管理がずさんであることが多い、経営者側にも一定の落ち度がある(…とまでは言えないかもしれませんが、チェック体制の甘さがあるなど)のではないかと思われるケースも少なくないからです。
就職先で「何かおかしい」と感じたら…
弁護士として、刑事事件の法律相談を数多く受けていると、就職先の会社が実は詐欺会社だったというケースに出くわすことがあります。例えば、求人広告を見て応募し営業職として就職したら、実は詐欺的な商品を通信販売している会社だったとか、知らない他人の免許証を渡されて複数の銀行口座を開設するように命じられた、などのケースです。
このようなケースでは、働いている本人が「何かおかしいのではないか」という疑問を抱いて法律相談に来て詐欺だと発覚する場合もあれば、「何かおかしい」と思いながらもズルズルと働いているうちに同僚と一緒に逮捕されて、その段階になって初めて自分が行っていたのは詐欺だったという確信に至るケースもあります。
いずれにしても、詐欺に加担した責任は、最終的には働いている本人が負わなければなりません。当初の求人広告の内容が違っていたので詐欺とは思わなかった、といった言い分が理解されるのは難しいと言えるでしょう。
また、直ちに詐欺には該当しないものの、詐欺まがいの強引な商売を行っている会社も多くみられます。訪問販売や通信販売など、消費者とトラブルを生じやすい取引類型については、別途「特定商取引に関する法律」によりさまざまな規制が設けられているため、営業担当者はトラブル防止のためこれらに精通しておく必要があります。
加えて、昨今は金融商品や投資の対象が多様化したこともあり、本来は利益を上げることを目的として金融商品の販売を行ったが結果として顧客に財産上の損害を与えてしまったというケースと、いわゆる「投資詐欺」との線引きを行うことが、客観的な事情からは判断しにくいような事例も散見されます。
少し前の事例にはなりますが、2010年には東京地方裁判所において、エビ養殖の投資を目的とした詐欺事件で、組織犯罪処罰法違反(組織的詐欺)の罪に問われた投資会社幹部の男性に、詐欺の故意がないとして無罪判決が下された事例もあります。
とはいえ、もしご自分が携わっている業務が詐欺にあたるのではないかなど不安に感じられる要素がある場合は、まずは専門家である弁護士に相談されることをお勧めします。
バイト先が振り込め詐欺の現場だったケースも
なお、最近は振り込め詐欺などを行う犯罪集団の低年齢化が目立ちます。十代後半の子供をお持ちの読者の方は、子供のバイト先にも注意を払った方がよいかもしれません。先輩から紹介されたアルバイト先だということで現場に向かったら、実は振り込め詐欺の現場だったというケースが実際にあります。
振り込め詐欺の場合、被害者の人数が多数にのぼり、被害金額も多額になるケースが多いため、被害者全員に対して被害を弁償し示談に応じてもらうことは難しく、また事件の社会的影響の大きさを考慮して、昨今は厳しい判断が下されがちです。
このように、本人の意図に反して、思わぬ形で犯罪に加担することになったとしても、そのことを容認した以上、最終的に責任を負うのは本人です。仕事やアルバイトなどに応募する際は、注意深くその内容を確認し、違法な仕事をしている現場に配属された場合は、勇気をもって逃げて帰ってくる必要があります。
いかがでしたか? 今回は、ビジネス上で問題になり得る経済事件のパターンと対処法について解説しました。特に、業務上横領罪に関しては、日常業務の延長上で起こり得る犯罪であることから、日々いろいろな法律相談を受ける中で、本人の法律遵守という意識づけの大切さはもちろん、犯罪を防ぐための会社側の金銭管理体制の大切さを痛感しています。
(次回は犯罪になり得る企業活動について解説します)
冤罪トラブル回避マニュアル
ビジネスパーソンにとっての冤罪。痴漢始め、自分は関係ないと思っていても、意図せず巻き込まれることがあるのが恐ろしいところ。このコラムでは、刑事事件を専門に扱う弁護士が、万が一、トラブルに巻き込まれた際の対処法を具体的に指南します。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130416/246767/?ST=print
【第3回】 2013年4月24日 潮凪 洋介
「自分は必要とされていない」。
もし、こんな気持ちに襲われたら?
知識でも、ノウハウでもなく、大切なのは「自信」。
19歳で起業。成功と失敗を繰り返し、2回目の脱サラ後、32歳で5000万円の借金を背負った著者が、どん底状態から、人生を大逆転させた行動力の秘密を語る。根拠がなくても、実績がなくても、やる気を生み、恐怖心を消し去る「強い心」のつくり方
「自信が持てない人」は、
マイナスの出来事を大きくとらえる
本連載では、「自己肯定感を高めることがいかに大切か」を繰り返し述べている。さて本日は、自己肯定感を高め、自分自身のことを好きになるためのコツをご紹介したい。
たまたまの失敗で「これは不得意だ」「自分に合わない」と落ち込んだことはないだろうか?あるいは「自分は世の中に必要な人間なのだろうか」とふさぎ込んだ経験はないだろうか?
ほんの一瞬のマイナスの出来事で、全体の印象までこうだと思い込んでしまい、「できない」「無理だ」と決めつけてしまう。心当たりはないだろうか?
自信が持てない人ほど、1つのマイナスの出来事を大きくとらえて、どんどん自分の中で膨らませてしまう。
しかし、そんな自信喪失の多くはたいてい「思い込み」によるものであり、妄想にすぎない。「思い込み」の力は大きい。あなたの人生を加速させる、アクセルにもブレーキにもなりうるものだ。この「思い込み」を武器に変えてほしい。
「プラスの思い込み」で、
人生を変えよう!
人間は思考の生き物だ。プラスの思い込みを持てれば、それは必ずプラスに還元される。しかし逆に、マイナスの思い込みは、マイナスしかもたらさない。
ダメな理由、できそうもない理由があったとしても、それがデータに基づいたものでなければ信じるに値しない。「思い込みの自信喪失」につき合ってはいけない。
さてここで、「思い込み」の正体について話したい。少しでもいい、今、あなたが自信を持っている分野とは何だろう?
「資格試験の取得には自信がある」
「会社内での人間関係構築には自信がある」
あなたはそう思っている。しかし、それもおそらく単なる思い込みにすぎないのだ。多くの場合、昔の成功体験がそうした思い込みを支えている。しかし以前うまくいったからといって、また次回うまくいくとは限らない。運が悪ければ失敗し、その自信も覆される可能性がある。
1秒先のことは何もわからない。うまくいく保証なんてどこにもないのだ。あなたが抱くその自信だって、単なる思い込みなのである。とすれば、自信を持つも、自信を喪失するも、実は同じ思い込みなのだ。
「自分が世界の主役である」。
そんな思い込みを持とう
別の視点からも「思い込み」を探ってみたい。例えば、あなたはコピー機を売る営業マンだったとする。アポをとって、先方と商談を行ったものの、成約には至らなかった。帰社後、上司からこう声をかけられる。
「お疲れさま。残念だけど、仕方ないね。今日はすぐ帰ってゆっくり休みなさい」
相手の言葉を素直に受け止められる状態ならば、がんばりに対して、「ねぎらいの言葉」をかけてもらえたと思うだろう。
ところが、精神状態が不安定な人は、「役立たずだから、早く帰れってこと?」「早く帰れっていってるけど、商品は売れてないし、本当はもっとがんばれっていいたいの?」という解釈をしてしまう。
相手の言葉をどう受け止めるかも、その人の精神状態、つまり「思い込み」次第で、大きく変わるのだ。悪意なく、ねぎらいの気持ちからこぼれた言葉なのに、自分の中で解釈をねじまげる。こんなもったいないことはない。
あなたにとって、都合のいい「思い込み」を持とう。自分が世界の主役である、それぐらい気持ちを持つぐらいでちょうどいい。「思い込み」こそが、あなたの人生を変える。ここで生まれる自尊心こそが、さらなる目標への情熱を呼び起こすのだ。
(次回連載は、4月25日の予定です)
第41回ダイヤモンド著者セミナー
『折れない自信をつくる48の習慣』
著者・潮凪洋介氏による無料ワークショップを開催!
日 時 : 2013年5月24日(金)
時 刻 : 19時開演(18時30分開場) 20時30分終了予定
会 場 : 東京 ダイヤモンド社 本社ビル9階セミナールーム
住 所 : 東京都渋谷区神宮前6−12−17
料 金 : 入場無料(事前登録制)
定 員 : 30名(先着順)
主 催 : ダイヤモンド社
お問い合わせ先: ダイヤモンド社書籍編集局
TEL : 03-5778-7294(担当中島)
E-mail:pbseminar@diamond.co.jp
セミナーお申込みはこちらから
◆ダイヤモンド社書籍編集部からのお知らせ◆
『折れない自信をつくる48の習慣』
全国書店で売れてます!
知識でも、ノウハウでもなく、大切なのは「自信」。
19歳で起業。成功と失敗を繰り返し、2回目の脱サラ後、32歳で5000万円の借金を背負うことに。どん底状態から、人生を大逆転させた行動力の秘密とは何か?
根拠がなくても、実績がなくても、やる気を生み、恐怖心を消し去る「強い心」のつくり方
http://diamond.jp/articles/-/35089
【第7回】 2013年4月24日 鈴木博毅
ちっぽけな個人が社会を変えるには?
実際に世界を変えた3つの武器
小さく無力な個人でも社会を変えることは可能か。ソーシャルデザインが注目されるなか、誰もが閉塞感を感じる日本をどうすれば変えられるのか。明治維新という奇跡のソーシャル・イノベーションを、国民の精神変革によって実現させた名著『学問のすすめ』から、世界を変える「3つの武器」を読み解く。
たった一人がつくり上げた仕組みが、
全世界で1600万人を支える力に
「マイクロクレジット」という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。バングラディッシュで貧困問題に取り組んだ、ムハマド・ユヌスという人物が開発した貧困層向けの新しい融資の形態です。
1970年代に彼によって設立されたグラミン銀行が起源となった「マイクロクレジット」は、現在では世界各国で実施されており、1600万人を超える人々に融資をしていると言われています。
ユヌスは元々アメリカの大学で経済学の教育を受けて祖国に戻った人物ですが、経済学者らしからぬ実践的研究に飛び込んで、現地の農家を訪問し貧困問題の根源を探りました。
「大学が知識の宝庫だというなら、一部でもいいから、その知識を周辺地域にも広めるべきだ。大学は、成果を社会に還元せずに学者が知識をきわめるだけの孤島であってはならない」(フランシス・ウェスリー他著『誰が世界を変えるのか』よりユヌスの言葉を引用)
この言葉は140年前に福沢諭吉がとなえた「実学」の概念と共通する響きがあります。諭吉は実社会で使えない学問ではなく「実学」こそ学ぶべきであり、あらゆる分野で自らが得た学びを活かすことを説いています。
2006年にグラミン銀行とユヌスはノーベル平和賞を受賞しますが、現在では広く知られているこの仕組みは、たった一人の人物が孤独の中で始めた革新から生まれていたのです。
世界をたった一人で説得はできない、
ならばどうするか?
当たり前のことですが、どれほど良いアイデアがあっても、あなた一人では説得できる人間は数えるほどしかいないでしょう。さらに言えば「説得する」「売り込む」ことには膨大なエネルギーが必要です。これでは良いことでさえ、広がる前に疲弊してしまいます。
『学問のすすめ』第4編は、「世の中の改革を目指すならば、命令するより諭す、諭すより良い手本を見せるほうが効果的である」と述べています。
相手を説得するよりも、変化すべきと要求するよりも「相手が真似したくなるような手本」を目の前に見せるほうが何倍も効果的だと諭吉は指摘しているのです。
諭吉は指導した学生たちに、学んだことを実業の世界で活かすことを強く勧めていますが、新たな学問を学んだ者が実社会で成功すれば、その成功者を真似たいと思う人が増えていく最高の「手本」になると考えていたのです。
最近、新型の電気自動車が高速道路を走っているのを目にする機会が増えてきました。ビジネスでも「真似したくなる手本」を人の目の前に見せることが効果的なのは言うまでもありません。ショールームで航続距離のカタログを読むよりも、実際に高速道路を颯爽と快走している電気自動車をその目で見るほうが、よほど説得力があります(そして、見ている側に購入意欲を抱かせることができます)。
諭吉が幕末明治初期にとった戦略も同様で、書籍『西洋事情』や『学問のすすめ』を世に出すことで、世界各国の実情をまずわかりやすく読ませるほうが、当時の日本人の固いアタマの中身を変革するのに、よほど効果があったのでしょう。
変革の起点が「真似たくなるような良い手本」であることは、私たちが生きる現代社会でも同じです。口を酸っぱくして人の説得を続ける、叱るよりも、誰もが憧れて真似をしたくなる手本を示す方が遥かによいアプローチです。なぜなら、周囲が自発的に変化してくれるからです。
その意味では、新社会人の教育研修に「誰もが憧れるエース」を登場させることも意味があります。真剣に仕事を楽しみながら、最前線で活躍している人を入社した職場で見つけることができれば、新人でさえ自然に仕事に興味を抱くことができるからです。
名著『学問のすすめ』は、
ソーシャル・イノベーションの先駆けだった!?
明治初期に超ベストセラーとなった『学問のすすめ』では、ソーシャル・イノベーションの先駆けを感じさせる、効果的な3つの武器が勧められています。
(1)全員の課題だという「当事者意識」を高める
社会組織全体から、新しい発案やアイデアを生み出すために、諭吉は国家の出来事が国民全員の課題であることを論じています。
私たちの所属するビジネス組織や社会貢献活動でも、これまで従事した人たちとは異なる分野の専門家を巻き込めるような、広い範囲での当事者意識を醸成することは、新たな視点や解決力がその問題に注ぎ込まれることになり、飛躍を生み出すイノベーションが起こりやすくなるのです。
(2)周囲を変化させる「手本」を見せる
これはすでにご説明したことですが、集団や周囲を変化させるには、みんなが真似したくなる「良い手本」をまず上手に生み出すことが重要です。
憧れる手本もないのに、言葉だけで「あの方向に進むべきだ!」と強くあなたが主張しても、相手には嫌々やらされているという気持ちだけが先に立ち、自ら変化しようとする気持ちや勢いが生れません。これではこちらが疲れるばかりで、説得や変革の効果はほとんど期待できないでしょう。
自然にブームになる商品や社会現象も同じです。周囲が憧れる、真似したくなる「良い手本」があるからこそ、自発的な変化を生みながら波状的に広がりを見せていくのです。
(3)「人的ネットワーク」を活かす
諭吉は研究室に閉じこもる、閉鎖的な学究ではなく、実社会に飛び出して世の中を変革することを進めた人物でした(マイクロクレジットの創造者・ユヌスとも類似する点)。彼は理論があっても、周囲に信頼される「人望」がない人物は、何一つとして事を成し遂げることはできないと『学問のすすめ』最終章で語っています。
また「多くの分野に友人知人をつくり続けること」も大切であり、そのためできるだけ多くの分野に常に関心を持つことを私たちに勧めています。
人が溢れている世の中で、人を嫌いになり避けていれば何を成すにも不便です。諭吉は「人間のくせに、人間を毛嫌いするのはよろしくない」と述べて、人と付き合う能力が社会における重要な要素だと140年前の時代から、私たちに教えてくれています。
これら3つの武器は、個人から始まりながら「集団を変革する」ための効果的なツールとして使用できるものです。たった一人の個から始まる変革が、より大きな集団に良い影響を与えて、結果としてさらに大きな成功や幸せ、豊かさを生み出すことが可能になる。
このような「変革」あるいは波及効果の高いソーシャル・イノベーションこそ、現代日本で私たちが求めている活動ではないでしょうか。『学問のすすめ』は140年前にソーシャル・イノベーションの要素も兼ねた、良い未来を生み出す変革の教科書でもあったのです。(第8回に続く)
次回は5月7日更新予定です。
新刊書籍のご案内
『「超」入門 学問のすすめ』
この連載の著者・鈴木博毅さんが、『学問のすすめ』を現代の閉塞感と重ね合わせながら、維新の「成功の本質」を23のポイント、7つの視点からやさしく読み解く書籍が発売されました。歴史的名著が実現させた日本史上最大の変革から、転換期を生き抜く方法をご紹介します。変革期に役立つサバイバルスキル、グローバル時代の人生戦略、新しい時代を切り拓く実学、自分のアタマで考える方法など。140年前と同じグローバル化の波、社会制度の崩壊、財政危機、社会不安などと向き合う転換期の日本人にとって、参考となることが満載です。
ご購入はこちらから!→ [Amazon.co.jp] [紀伊國屋書店BookWeb] [楽天ブックス]
13万部突破!好評発売中!
『「超」入門 失敗の本質』
野中郁次郎氏推薦!
「本書は日本の組織的問題を読み解く最適な入門書である」
13万部のベストセラー!難解な書籍として有名な『失敗の本質』を、23のポイントからダイジェストで読む入門書。『失敗の本質』の著者の一人である野中郁次郎氏からも推薦をいただいた、まさに入門書の決定版。日本軍と現代日本の共通点をあぶり出しながら、日本人の思考・行動特性、日本的組織の病根を明らかにしていきます。現代のあらゆる立場・組織にも応用可能な内容になっています。
http://diamond.jp/articles/print/34999
【第20回】 2013年4月24日 渡部 幹 [早稲田大学 日米研究機構 主任研究員/客員准教授]
チャレンジャー社員の魂を奪い去る職場の力学とは?
“仕事から学ぶ意義”を見出せぬ無責任時代への警鐘
――処方Sチャレンジする社員を潰すも引き上げるも上司次第
「それ、まだ何も聞いてないです」
やる気のない新人の言葉に隠された真意
最近、ある企業の女性社員Aさんから聞いた話だ。
Aさんは、あるプロジェクト専門の総務兼経理担当で、もう10年近く担当してきた。彼女には、同じく10年近く働いてきた同僚がいて、2人3脚で仕事をこなしてきた。プロジェクト自体が特殊な業務なので、他の人に任せるのは難しかったそうだ。
その同僚がこの春に異動になった。新人が来てもすぐには使い物にならないため、Aさんは春から実質的に1人で業務を回さなくてはならず、その覚悟もしていた。
新人にはいわゆる「派遣社員」が雇われる予定だったため、新年度になるぎりぎりまで人事は難航していたそうだが、土壇場で決まった人物が、他社の同種のプロジェクトで働いていた経験のある人だったため、Aさんの上司も含め、皆喜んでいたという。
実はAさんは、夫が夏に海外赴任することになり、6月までに引継ぎを済ませたかった。仕事のことが全くわからない素人が来たのでは、引継ぎだけで、数ヵ月かかる。そのことを考えれば、経験者が来てくれるのはまさに「渡りに船」だった。
新しく入った人物も女性で、Bさんといった。Bさんは性格も社交的で、人間的に問題はなかったのだが、彼女が職場に来て2週間ほどで態度が大きく変わった。
というのは、引継ぎに必要な情報を話しても、翌日には「聞いてません」「存じません」と返答が返ってくることが多くなったからだ。Aさんは、その後口頭ではなく、メールで用件を送るようになったが、「あ、メール見てませんでした」「そんなメール、受け取ってないです」といった具合で、全く仕事を覚える気がないように感じる。
上司から何か聞かれても、「それ、まだAさんから何も聞いてないです」と答えるため、Aさんは上司から「ちゃんと引継ぎをやってくれ」と言われた。
性格的に問題があるようにも思えないし、日常の会話は楽しくしているので、Aさんはどう対処すべきか悩んでしまった。
しかし、Bさんがそのような態度をとっていたのには、理由があったのだ。それが先日判明した。
Bさんはその週で辞める、と上司に報告していたのだった。理由は、「病気の父親のそばにいてあげたい」というものだった。しかし彼女には、兄弟がたくさんいて、父親のそばに住んでいる兄弟もいる。何より独身で1人暮らしの彼女が仕事を辞めて収入がなくなるリスクを負ってまで父親のそばにいてあげる理由は、よくわからなかった。
すぐに辞めるのは気が引けるので……。
新人の都合に翻弄された先輩社員の落胆
少なくともはっきりしていたのは、Aさんが6月で辞めるのを聞いてから、Bさんの態度が変わったことだ。実はBさんは、大変な業務を引き継ぐのが嫌で、すぐに辞める決心をしたのだが、「1ヵ月もしないうちに辞めるのはさすがに気が引けるので、1ヵ月だけ勤めた」というのが真相のようだ。
Aさんは落ち込んでいた。Bさんがすぐに辞めるということよりも、そんなBさんに2週間以上、自分の仕事を減らして、引き継ぎのために骨を折っていた努力が無駄になったことに対して、落ち込んでいたのだった。
その後Aさんは気を取り直して、6月までに是が非でも継続業務は終わらせ、その後入ってくる人に引き継ぐ事項は最低限にしよう、と奮闘している。
このことは、今の日本の職場が抱えている問題を象徴する出来事だと筆者は感じている。
実はBさんの経歴を見ると、色々な仕事を転々としていて、Aさんと同種の他社のプロジェクトで働いてはいたが、最も大変な立ち上げ時と終了時には、そこで働いていない。特に終了時の大変な時期に、すっぱりと辞めている。
チャレンジせずに逃げる人
チャレンジして学ぶ人
ここからわかるのは、Bさんは「できるだけ面倒な業務はやりたくない」という方針で仕事をしていることだ。
この考え自体、特に悪いものではない。できるだけ少ない作業で多くの実りを得る「効率的」な仕事の仕方につながるからだ。
しかし、Bさんに決定的に欠けているのは、「チャレンジングな業務に挑んで自分を伸ばそう」と思うメンタリティだ。将来の自分への投資と考えて、目の前にある仕事にチャレンジする、とういう発想はないようである。
その点、Aさんは逆だ。今となっては1人でこの状況を打破することで、ステップアップできると信じて仕事をしている。
彼女らの仕事に対する考え方の違いは、根本では「仕事と自分との関係」についての見方の違いが原因となっている。
少し極端に言うならば、Bさんにとって、仕事とはお金を稼ぐための手段であり、少ない仕事量で多くのお金を得ることが望ましい状況と言える。それに対し、Aさんにとっては、仕事は自分を成長させる機会を与えてくれるもので、チャレンジングな仕事から学べるものが多いと考えている。
むろん、Aさんだって100%きれいごとを言えるはずもなく、「お金を稼ぐ手段としての仕事」という側面も認識している。だが、少なくとも上記のBさんの状況では、Aさんは引継ぎを拒否して辞めるという選択はしない。それが職場の他の人に与える影響も考えるだろう。
つまり、職場の環境や仕事がチャレンジングでも、そこから何かを学ぼうと思う人とそうではない人の間には、大きな違いが生じるのだ。
筆者はそれこそが最近の「ゆとり社員への不満」の正体だと思っている。飲み会に参加しないとか、「それ、教えられてないんでできません」と言って仕事をしようとしない、という行動の1つ1つは、大した問題ではない。問題なのは、その背後にある「仕事に挑み、それを糧にする意識」の欠如なのだ。
仕事に挑み、そこから学ぼうとする人は、まず仕事を大切にする。それをやることに真剣になる。わからないことを自分からわかろうとし、調べ、人に尋ねる。仕事をしていくら稼げるかではなく、仕事を通じて、自分自身がどれだけ発展できたかを気にする。成功ではなく成長を求めるのだ。
そうしているうちに、仕事が無性に面白くなる。仕事に真剣に向き合っていれば、仕事もまた期待に応えてくれることに気がつくのだ。
若い世代で薄れる「成長」の意識
暗黙知に代わり形式知が溢れる職場に
今の若い世代の間では、こうした意識が急速に薄れているような気がしている。
それはなぜか。筆者自身は、若い世代は「仕事から学ぶ」ことの大切さを認識できていないからだと考えている。そして、その本当の理由は、仕事から学んでも、それを将来活かせる可能性が低くなってきたからだと思っている。
このコラムで何度も述べているように、21世紀に入ってから、日本の労働者の流動性は極端に高くなった。このことは、多くの人が職場を辞め、また新しい人が入ってくる、というケースが増えていることを意味する。
そのような状況では、時間をかけてじっくりと学ぶ「暗黙知」はなかなか継承されず、文書化、マニュアル化をしやすい「形式知」のみで仕事が回る。冒頭の例のように、その業務に長年関わっている人でなくてはできないような仕事は、「暗黙知」の部分が多いため、引き継ぎのコストが非常に高くなるのだ。
そして、たとえ仕事を一生懸命やって「暗黙知」を得たとしても、すぐに職場が変わる可能性が高いならば、新しい職場でその暗黙知が役に立つとは限らない。むしろ、役に立たない可能性のほうが高いだろう。
そのように考えると、コストをかけて現在の職場の暗黙知を学ぶ意味がなくなる。表面上のマニュアルのみを憶えて、あとは適当にしのぐほうが個人にとっては楽だろう。
冒頭の例のBさんは、現在の日本の状況に適応して行動しているだけなのだ。それを「無責任」とか「社会人としてどうか」とむやみに批判するのは間違っている。
むしろ考えるべきは、Bさんのような人が、1つの職場に長くしっかりと勤められるような制度づくりだ。大手企業はすでに、自分を成長させる行動(英語の習得など)を推奨し、金銭的サポートや、人事上の好待遇などのインセンティブを与えるような措置を講じている。
学ぼうとする意欲のある人をサポートしているのだ。このことは、多少つらい目に遭っても、頑張ることができるきっかけも与えてくれる。
若い世代が仕事に挑むかどうかは
結局、上司と組織にかかっている
あなたが上司ならば、部下が仕事から何かを学ぶ癖をつけさせるべきだ。マッキンゼーなどでは、新人が入ってくると、毎日「その1日で自分はどんなバリューを身に着けたか」を報告させる。経験したこと全てから学ばせ、自分の中の進歩を自覚させるのだ。
こういった小さなことの積み重ねは、やがて大きな業務上のパフォーマンスの差を生み出す。そして、学ぶ部下にはどんどん「大変だがやり甲斐のある仕事」を与える。もちろん、体を壊さないように気をつけてだ。そして、部下の失敗の尻拭いは自分がやる。
これら全てが実行できたとき、部下は上司を尊敬し、上司から学び、職場に対して強いコミットメントを示すだろう。
最終的には、若い世代が仕事に果敢に挑むかどうかは、上司と組織次第なのである。私は今の日本には、それができるだけの潜在能力はまだまだあると思っている。「上司」に当たる中間管理職の世代が、それに気づくことができたとき、日本の会社組織は再び世界の注目を集めるに違いない。
http://diamond.jp/articles/print/35128
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