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・神話1 世界はいつか金本位制に戻る
金本位制の時代と現在では通貨の発行量が全くことなる。 つまり金本位制にするには大量の金を買い込むか、金価格を今の3倍に吊り上げなければならない。通貨発行量を調整できなければ、中央銀行は金融政策をやることができなくなる。1930年以前のように好況・恐慌が何度もおきることになる。 金本位制はありえない。
・神話2.ゴールドは通貨だ
ニクソンショックから金本位制がなくなり通貨は金による裏づけがない。通貨は紙切れになるって、ゴールドは通貨として扱われるというピーターシフをはじめとするゴールド信者。では、ゴールドで野菜やパンを買えますか? 通貨の便利さになれている私たちには、そんな時代遅れには逆戻りはできない。
・神話3 ゴールド価格は景気に影響されず下落しない。
ゴールドは景気が良いときは工業製品用と装飾品用の需要が増え、景気が悪くなるとインフレ対策でヘッジできるという。 でも結果はインフレヘッジでもなく、「ゴールド神話を信じる熱狂」にゴールド価格は影響した。ゴールド価格は景気にかかわらず信者の『あなた』が決めている。
・神話4 量的金融緩和で通貨は紙切れになり金価格は上昇する
量的金融緩和する通貨を大量に発行しているのだからハイパーインフレになり、 安全資産である金は増加するという。 そもそも、量的金融緩和でハイパーインフレが起きるということが間違っている。
量的金融緩和で通貨は紙切れになりません。
・神話5 国家崩壊するとゴールドだけが生き残る
国が破綻すれば自国通貨の信用がなくなる。 すると自国通貨の交換ができなくなるため外貨不足に陥る。キプロスのように国内の流動性を確保するために中央銀行の金を売り出すこともある。 また庶民のキャッシュ不足に陥り、金を手放す人が増加。つまり、金が大量に売り出されることでゴールドは下落する。
◆金保有批判の愚
http://blog.livedoor.jp/clj2010/archives/65771015.html
橘玲は『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)で、インフレ對策としての金保有について否定的見解を述べる(113-114頁)。内容ごとに分けて引用しよう。
金は鉄や銅などの金属とちがって工業用としてはほとんど用途がなく、地中から掘り出されて退蔵されるだけで、株式や債券のように配当〔引用者注=債券の場合は利子〕がえられるわけでもありません。…(1)
金に価値があるのはひとびとが「金に価値がある」と思っているからで、貨幣と同じでその実体は共同幻想です。この幻想がつづくかぎり価格は上昇するかもしれませんが、ひとびとが王様は裸だと気づけばただの石ころになってしまうでしょう。金投資は純粋なギャンブル(投機)なのです。…(2)
リーマンショックの直後、金価格は50ドル台から25ドル台まで約半分に下落しました。日本の財政が破綻して世界経済が混乱したときに、金価格が同じように下落する可能性は高いと思われます。そう考えると、財政破綻のリスクヘッジとして金投資がどの程度有用かは疑問です。…(3)
ポイントをまとめれば、金保有が望ましくない理由は(1)工業用の用途が乏しく配當や利子も生まない(2)價値が共同幻想にすぎない(3)價格下落の可能性が高い――とならう。以下、これらの理由が妥當かどうか檢討しよう。
最初に(1)である。まづ、鐵や銅に比べ金に工業向け用途が少ないのは事實だが、一方で寶飾品や工藝品、美術品向けの用途がある。これらの用途も立派な實需であり、金の價値を支へる。
また、金そのものはたしかに利子を生まないが、それは現金も同じだ。現金も自宅のタンスにしまつてゐるだけでは利子を生まない。現金が利子を生むのは、銀行預金や債劵贖入を通じ、人に貸すことの對價としてである。金も同じやうに、人に貸せばその對價を受けることができる。金取引會社の多くが提供してゐる消費寄託サービスを使へば、貸出を前提に金地金を預けることで寄託料を受け取れる。ある會社ではこの寄託料を「預貯金の利息に相当するものです」と説明してゐるくらゐだ。だから金が利子のやうな對價を生まないといふ主張はをかしい。
次に(2)である。共同幻想とはお金のことを論じる際に好んで使はれる言葉だが、じつはその意味は曖昧である。たとへば、多くの人は砂糖の甘い味を好むから、砂糖には需要があり、それが砂糖の價値を支へてゐる。ここで「砂糖に価値があるのは人々が甘い味を好むからで、共同幻想にすぎません。甘い味が好まれなくなれば、ただの粉になってしまうでしょう」と指摘することは、論理的には正しいかもしれないが、はたしてどれほどの意味があるだらう。
人間は大昔から砂糖の甘さを好んできたのと同じく、大昔から金の美しさを好んできた。その性向が突然なくなると考へる理由はない。もし金が著しく價値を損なふとすれば、化學的發見により大量生産が可能になつたときだらうが、いまのところその可能性はない。一方、政府が發行する不換紙幣はいつでも大量生産が可能だから、價値が損なはれる恐れは金よりはるかに大きい。だから金を不換紙幣と同列に扱ひ、共同幻想のレッテルを貼るのはをかしい。
そして(3)である。金の價格が大きく變動することがあるのは事實だ。しかしそれは金に限らない。橘が推奬する外貨預金も、FX(外國爲替證據金取引)も、國債ベアファンドも、株價指數オプションも、金と同等かそれ以上に價格變動が大きい。橘はこれらの金融商品を使つて、非常時に「大博打」を張ることを勸めてゐるのだから、金だけを「純粋なギャンブル」と批判するのはまつたくの自己矛盾である。
また橘が勸めるさまざまな金融商品と違ひ、金はその價値が紙切れ同然になることはない。金を好む人間の性向は變はらないだらうし、お金としても使はれた實績があるからだ。その意味でも、金保有は「純粋なギャンブル」などではない。
以上、金保有に對する橘の見解が誤りであることを示した。議論を一歩進めれば、金は橘が舉げた一連の金融商品に比べ、資産防衞の手段としてずつと優れてゐる。なぜなら政府による介入の手が及びにくいからである。
もちろん金の防禦は完璧ではない。大恐慌期の1933年、米國大統領フランクリン・ローズヴェルトは國民が私有する金を強制的に沒收した。日本も經濟危機が深刻になれば、政府がそのやうな暴舉に出ない保證はない。
しかし一方で、金ならではの強みがある。銀行口座や證劵口座は一瞬で封鎖されうるが、金は現金と同じく、手元に置いておけば、政府も簡單に奪ふことができない。沒收を命じられても、法律違反の覺悟を決めれば、うまくすればそしらぬ顏で隱し持つことができる。
しかも金は現金より優れてゐることがある。すでに述べたやうに、政府はいくらでも紙幣を刷ることができるが、金を量産することはできない。現金をどれだけうまく隱し持つても、政府が紙幣を大量に刷れば、その價値はなすすべもなく失はれてゆく。金にはその恐れがない。政府は暴力によつて個人から金を奪ふことはできても、公認の贋金づくりによつて金の價値を奪ふことはできないのだ。
ドルの崩壊と資産の運用―通貨制度の崩壊がもたらすもの [単行本]
國家破産といふ極限状況において、國家はみづからの延命のため、あらゆる手段で個人の財産を奪はうとするだらう。そのとき頼りになるのが、國家の支配下にある紙幣や金融商品なのか、それとも國家が介入できない價値を持つ金なのか、答へは言ふまでもない。金を資産防衞の選擇肢から排除するのは愚かなことである。
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