04. 2013年4月09日 00:40:12
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社説:欧州に必要な創造的思考 2013年04月09日(Tue) Financial Times (2013年4月8日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 今回の危機において初めてではないが、ユーロ圏には成長を刺激するアイデアが欠けているように見える。先週、日銀が示した力強い手本とは対照的に、欧州中央銀行(ECB)は金融政策の緩和を拒んだ。 だが、景気回復は自発的には訪れない。創造的な思考がなければ、ユーロ圏は長期停滞に陥る恐れがある。 ドイツ総選挙の人質になる政策当局 欧州では、政策立案者たちが今年9月に予定されているドイツ総選挙の人質になっているという感覚も強まっている。楽観論者は、ドイツの新政権はユーロ圏のパートナー諸国に柔軟な態度を取ると考えがちだ。こうした見方はまず間違いなく、ドイツの経済政策の継続性を甘く見ている。いずれにせよ、欧州は行動を起こすまであと半年も待つ余裕はない。 政策立案者らが今年後半に訪れると見込んでいた景気回復は、いまや非現実的に思える。12日発表予定の鉱工業生産の最新統計も暗い内容になると見られている。周縁国の失業率は急上昇している。昨年暮れに縮小した後に力強い回復を遂げると見る向きもあったドイツ経済でさえ、勢いを失っている。 欧州諸国、特に裕福な中核国の間では、労働法の自由化や労組に守られた職業の開放といった構造改革から成長が生まれるという考えが浸透している。だが、こうした措置は必要だとはいえ、望まれる効果を発揮するまで必然的に時間がかかる。イタリアなどでは、経済停滞の広がりから改革疲れが始まっている。 欧州委員会はいみじくも財政政策に対する立場を変え始め、苦境に立たされた政府に目標達成までの時間的猶予を与えている。だが、これは瑣末な対策だ。必要なのは、ドイツなど財政的な余裕がある国が需要を拡大させ、苦しんでいるユーロ圏諸国に一息つく余裕を与えることだ。残念ながら、今のところ、このような策は議題に上っていない。 金融政策が頼みの綱 そうなると、残るは金融政策だ。マリオ・ドラギ氏はECB総裁に就任してから、決然たるリーダーシップを発揮できることを示しており、おかげでユーロ圏は崩壊せずに済んできた。 ドラギ総裁は金融機関に低利資金を供給することで銀行システムを破綻から守った。行き詰まった国の国債を無制限に購入するという約束は、交換性リスクをほぼ解消し、周縁国の債券の金利を引き下げた。 だが、こうした措置は、特にユーロ圏周縁国の企業に信用が流れるようにするうえでは限定的なインパクトしかもたらさなかった。 この問題は、ユーロ圏経済の屋台骨を成す中小企業にとって深刻だ。スペインやイタリアなどの周縁国では、中小企業が雇用創出のエンジンだ。それなのに中小企業が融資を確保するのが次第に困難になっている。実際に融資を得られた場合も、借り入れ利息はドイツの競合企業に求められる金利よりはるかに高い。 ECBは政策金利を引き下げるところから始めるべきだ。インフレ率(消費者物価の総合指数)が1.7%で、経済活動が停滞している現在、利下げすべきなのは明白だ。だが、金融政策の伝達メカニズムが機能していないため、ドラギ氏は一段と踏み込み、より直接的に中小企業に狙いを定める方法を模索すべきだ。 直接的に中小企業をめがけた措置を 1つの選択肢は、英国の「融資のための資金供給制度(FLS)」に似た仕組みを採用し、利息の低い商業貸し付けや住宅ローンを賄うための低利融資を銀行に与えることだ。 しかし、金融機関がどのみち実行していた融資のためにこの資金を使うリスクがある。英国では、FLSはこれまで、いまだに過大評価されている住宅市場に役立つ一方で、企業への信用供与は実現できずにいる。 ECBのもう1つの選択肢は、中小企業向けの融資の担保適格要件を緩和し続けることだ。だが、最終的な信用リスクを銀行が負い続ける限り、この措置が貸し付けを大幅に増やす可能性は低い。それより効果的な対策は、中央銀行が証券化された中小企業向け融資を直接買い入れることだろう。そうすれば、ECBは市場に流動性をもたらし、民間金融機関の参入を促せるはずだ。 確かに、この政策は融資の信用リスクをECBのバランスシートに転嫁することになる。ECBの政策理事会は今のところ、この措置に消極的なようだ。欧州諸国の政府は、例えば欧州安定メカニズム(ESM)をより柔軟に活用することで、潜在的な債務の一部を担えるはずだ。 世界中の政策立案者は自国経済を後押しするために、いよいよ力強い行動を取るようになっている。こうした中で、欧州は機能していない定説に執着していられない。ベルリンでの新政権誕生を待つわけにもいかない。雇用と成長の名において、欧州は大胆に躍進すべきだ。
移民大国スウェーデンの「移民狩り」 1通の公開書簡に国中が共感〜北欧・福祉社会の光と影(7) 2013年04月09日(Tue) みゆき ポアチャ 後に夫となるスウェーデン人男性と出会ったのは、ロンドンでジャーナリズムの学校に行っている時だ。2人で日本に行ったりした後、スウェーデンに住むことにし、南端のマルメにアパートを借りた。マルメ・コミューンはスウェーデン国内でも一番外国人が多い地域で、住民の3分の1は外国で生まれており、10%は両親の少なくとも一方が外国出自だ。
アパートの部屋を探している時、不動産の担当者が「ローゼンゴードがいいのじゃない?」「ローゼンゴードにぴったりの部屋があるわよ」と執拗に勧めてきた。 スウェーデンであってスウェーデンでない「パラレルワールド」 マルメ内でもローゼンゴードは特に外国人の居住者が多い地域。「子供がちゃんとしたスウェーデン語が話せなくなる」といった理由でそこから逃げ出すスウェーデン人も多く、その地はスウェーデンであってスウェーデンではない一種の別世界――「パラレルワールド」になっていた。 夫はスウェーデン生まれだが両親は旧ユーゴからの移民なので、髪も目も茶色だ。スウェーデン語が話せない私は明らかに外国人。ブロンドで青い目をした人たちの社会から締め出し隔離するだけの「資格」が私たちにはあったのだろう。 私はマルメの学校でスウェーデン語を学んだ。クラスメイトは、当然ではあるが、ほぼ全員が外国出自だった。アリというソマリア出身の少年がいて、最初の日にたまたま隣に座ったのがきっかけで、何となく仲良くなった。 彼はいつも私に、「鉛筆貸して」「プリント貸して」と言い、なかなか返さないので、彼にイライラしてはいたのだが、彼はいつも私に頼り、モノを借りていた。「日本語教えて」とか「髪の毛切って」と言われたこともある。 彼は20代の初めくらいで、私とは10歳以上の年齢差があった。私に「お姉さん」とか「お母さん」とか、そんな風な親しみを感じてくれていたのではなかっただろうかと思う。 学校では、数人のグループで議論してリポートを書くといった課題も多かったので、教室を離れた場で、クラスメイトと互いに個人的な話をする機会も多かった。 ソマリアから命からがら逃れてきたアリ アリは聞かれるまま、ぽつぽつと自分のことを話した。13歳の時国を出たこと。戦闘が激化し、少年が拉致され強制的に戦闘に従事させられるようになったので、彼の母が彼を出国させたこと。5歳年上のいとこと一緒に、トラックの荷台に乗って3週間砂漠を走ったこと。リビアの海岸までたどり着き、欧州行きのボートを待っていたこと。 ゴムボートが到着した時、大勢の人が殺到して乗り込もうとしたためボートが転覆し、泳げなかった彼のいとこが溺れて死んだこと。漂流中、水も食糧も尽きて人々が海水を飲み始め、ボートの中で大勢が死んだこと。 アリはイタリア沖で軍に拾われ、その後移送されたシチリア島に2年ほどいた。そこで他の大勢の少年たちと一緒に暮らした。学校はなかった。ある時、スウェーデンでの生活はもっとよいという話を聞き、行くことを決意した。 まずローマへ行き、その後、北へ北へと向かった。フランス、ドイツ、デンマーク・・・。そしてとうとうマルメに到着した。 マルメで難民を支援するネットワークと知り合い、生活の面倒を見てもらい、数年間「隠れて」いた。スウェーデン当局に難民の申請をし、数年かかって滞在許可を得たという。 卒業を間近にしたある日、アリに「今日の夜、うちでパーティをするから来ないか」と言われ、クラスメイトと数人で出向いた。彼のアパートはマルメ市内にある、建物の最上階のほとんど屋根裏のような狭い部屋だった。 中にいたのはほぼみな中東やアフリカ系の若い人たちだった。まだ幼さの残る少年に、「どこから来たの」と尋ねると、息を深く吸い込み胸を張って「アフガーニスターン」と答えた。といっても彼自身はスウェーデンで生まれており、彼の両親も難民キャンプ出身なので、自国には足を踏み入れたことはないのだと言った。 疲弊し消滅寸前かと思えるような国であっても、こうして自らの故国として誇りにしているのだということに、私は少なからず衝撃を受けたのだった。 そして後から分かったのだが、そこにいた彼らの何人かは正式な居住権を得ずに入国している、いわば不法滞在者なのだった。アフガンの他、セルビア、シリア、ニカラグア・・・。 違法は百も承知の難民支援ネットワーク そして地域には、隠れ住む難民を支援する強力なネットワークがあることを知った。 市内のあるレストランでは、ランチ時のラッシュが終わった後、彼ら「隠れ住む難民」が来て遅めのランチを食べる。店主の話では、1日だいたい10人から20人が来るという。スタッフも全員承知している。そうでなければ、彼らを警察に発見される危険にさらすことになるからだ。 店主自身はムスリムで、人種的にはアジアと中東系が入っているのだという話をしてくれた。彼がランチに招待する人らも、恐らくムスリムが多いのだろう。 このレストランは、モレボンゲンと呼ばれる広場に面している。この広場では毎日青空市が立ち、簡易にしつらえた台の上で、野菜や果物を売っている。そしてここにも、食料品を提供する協力者がいる。 ネットワークは、食べ物だけのものではない。衣料品店は、彼らのための衣服を分けてくれる。何かの時に助けてくれる医師もいる。彼らが住むための場所を提供し、家賃のための寄付を募り、仕事を提供する人たちもいる。 彼ら自身が「不法滞在者をかくまい、サポートする」という違法行為をしていることは百も承知だ。 過熱する「不法滞在者狩り」 スウェーデンの市内を徘徊する警察 2010年に、REVAプロジェクトと呼ばれる政策が導入されて以降、警察の「不法滞在者狩り」は激化している。
REVAはスウェーデン語の「政策の法的かつ効果的な実行」の頭文字をつなげたもの。 だが、その具体的な内実は「外見がスウェーデン人に見えない者に職務質問をし、身分証明を提示させ、不法入国者を摘発する」、さらに「もとの国に強制送還する」ことだ。 プロジェクトの開始以降、マルメで2012年に強制的に国外退去を求められた人は前年に比べて25%増加した。ストックホルムでも多くの入国者が強制送還されている。 先月、トビアス・ビルストルム移民難民政策大臣が「我々は決して影の社会の存在を受け入れない」と発言し、次期の選挙をにらんで難民政策を強化する意向を示した。これがさらに火をつけ、スウェーデンではこの数週間、「不法滞在者狩り」に反撃する大きな嵐が巻き起こっている。 全スウェーデンが共感した「拝啓 司法長官殿」 ストックホルムやマルメをはじめとする諸都市では大規模な反対デモが組織され、野党各党も政府に反発した。フェイスブックなどで、「中央駅で身分証チェック」「○○通りに警官」といった情報の交換が行われている。また、警察のチェック地点に近づくと、警告を発信するスマートフォン用のアプリケーションの開発なども進んでいる。 この中でも、移民を攻撃する権力に対して放たれた目下最大のカウンターパンチは、34歳の作家ヨーナス・ハッサン・ケミーリが司法大臣ベアトリス・アスクに宛てて書いた公開書簡「拝啓 ベアトリス・アスク司法相」だ。 公開書簡は、全国紙ダーゲンス・ニーへテルのオンライン版に掲載された。同日中に25万回にわたってアクセスされ、フェイスブックやツイッター上で6万回以上シェアされた。
この数字は、昨年中に一番多く読まれた記事の記録を軽く超えており、アナリストによると、理論的にはツイッター上の全スウェーデン人に達したことになるという。 同書簡の中で、ケミーリは司法相に向けて「私の肌とあなたの肌、私の経験とあなたの経験を交換しましょう」と呼びかけ、「あなたは、私の肌を借りて路上に出、地下鉄で、モールで、法律に従ってそこに立っている警官が、正しいアプローチであなたに近づき、あなたの潔白を証明するように依頼することを経験してください」と言う。 常に疑わしい者であるかのように見なされ、ランダムに呼び止められて身分証の提示を求められ、無実であることが証明されるまで犯罪者のように扱われることがどういうものかを理解してほしいということだ。 それから彼は自分自身の経験を書いている。 10歳の時、初めてスキンヘッドに追われ、その後も何回も追われたこと。CDの棚に近づく時には、普通に息をし、それを盗むつもりはないことを示すようにしなければならないこと。父の友人は警察のパトロールによって発見され、房に入れられた。その後脳出血で亡くなったこと。 さらに彼は、「権力がその者が『我々』と違う『他者』であると想定したとき、コミュニティーの一部になることは不可能です」と書き、「他者」を線引きして排外的に疎外していく社会を告発している。 この書簡がこれほど多く読まれた理由について、彼は彼自身が描いた経験の一つひとつが、多かれ少なかれ、読み手の経験に共鳴していたのだろうと分析している。 欧州各地で強まる排外主義 移民・難民の排除は、欧州全域で進んでいる。 英国では、労働党が「英国の労働者のための英国の仕事」というスローガンを掲げ、移民の 「最大コントロール」を行っている。ドイツでは、デュイスブルクの社会民主党市長ソレン・リンクが、移民の存在は「ネイティブ」市民からリソースを消耗させるとして、人種差別的な発言を繰り返している。フランスでも入国者を大量に強制送還している。 これを正当化する主要な理由は、「移民・難民のための保健医療や教育など福祉のリソースが十分ではない」というものだが、これを認めたら「ネイティブ」市民の福祉や教育も徐々に削減されることは必至だ。 |