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デフレは、賃金を下げ過ぎた経営者の責任だ
吉川洋・東京大学大学院経済学研究科教授に聞く
2013年3月29日(金) 広野 彩子
近著『デフレーション――日本の慢性病を解明する』(日本経済新聞出版社)で、長引くデフレの原因を「イノベーションの欠如にある」とした吉川洋・東京大学大学院経済学研究科教授。そのイノベーションの欠如をもたらした元凶は、企業による正規雇用から非正規雇用への流れなどによる名目賃金の下落であると論じ、デフレの原因を「日銀の金融緩和が不十分だからだ」とする説に真っ向から反論した。さらには過去40年のマクロ経済学は「進化などしていなかった」と、最新のマクロ経済学を斬って捨てる。その真意について、さらに話を聞いた。
(聞き手は広野 彩子)
ご著作『デフレーション』で、日本が停滞した原因の1つを、(合理化するための)プロセスイノベーションにこだわりすぎてモノ作りのイノベーションがなかったからだ、という趣旨で書いておられました。医療分野でのイノベーション、たとえば介護ロボットを開発するとか、需要創出型のイノベーションが大事というのは吉川先生の以前からの主張です。
吉川:そうそう。私の持論は、需要創出型のイノベーションなのです。リフレ派の人からは、間違っていると言われてしまうんですが。日本はデフレだから、とりあえずデフレを止めよ、というのがリフレ派の主張です。私も止められるなら止めよう、そこで技術進歩やイノベーションが必要だと言うと、それは供給サイドの発想だろうと批判される。つまり標準的な経済学で考えるとそれは供給サイドで、経済の天井を上げることだから、デフレギャップが広がることになると。
吉川洋(よしかわ・ひろし)
東京大学大学院経済学研究科教授。1974年3月東京大学経済学部経済学科卒業、78年12月米エール大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。82年大阪大学社会経済研究所助教授、88年東京大学経済学部助教授、93年2月東京大学経済学部教授を経て現職。著書に『高度成長―日本を変えた6000日』(中公文庫)『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ―有効需要とイノベーションの経済学』(ダイヤモンド社)など多数。(写真:陶山勉、以下同)
需要はもう満たされているとして、需要はそのままで供給だけを増やすことだ、ということですね。
吉川:需要が今十分とすれば、経済の天井を上げるのだから、デフレギャップが広がってもっとデフレがひどくなるという話ではないかということです。需要不足は私も認めます。需要不足なら技術革新などと言うなというのが標準的な反応です。ただそれはちょっと違う、と私は思う。
供給サイド、需要サイドという整理自体に限界がある。革新的なモノを生み出すプロダクトイノベーションはある種、供給サイドと言えるのですが、それがこれまでになかった新たな需要をつくるでしょう。逆に言うと、狭い意味でのケインズ経済学は、需要をつくると言った時、どれほど持続可能な需要かについて何も語らない。
確かに道路に穴を掘って埋めても需要は生まれるけれども持続可能ではない。大仏を作るとか、何かを造成すると言ったって、単発で終わりです。私の言う需要創出型のイノベーションは、もっと持続性のある、介護や医療など成長分野でのプロダクトイノベーションで経済を引っ張っていくという話です。
日本からなぜiPhoneが生まれなかったか
需要創出型のイノベーションといえばiPhoneなどがいい例でしょうか。なぜ日本で生まれなかったのかと。
吉川:それが、日本企業が効率化でコストを切り詰める「プロセスイノベーション」ばかりをしていたからなのです。
バブル崩壊後、日本企業は雇用、設備、債務の3つの過剰を抱えていると言われていました。設備と債務はともかく、人で、とにかく人件費を削った。その頃から中国をはじめ、アジアの国と競争がさらに激しくなるというのでコスト抑制を続けてきた。原材料費削減や合理化といったこともあるでしょうが、コストの本丸は人件費です。
賃金抑制の結果として、正規から非正規へのシフトが起こり、20年これが続いた。しかし、ざっくり言って行き過ぎた。長期的に少子化ということを考えると、これはファーストベストではない。一方では、長期的に労働人口が減るから大変だと言っているわけですから。
では、ファーストベストは何だったのでしょう。
吉川:やはり、企業が責任を持って将来を見据えて、必要なイノベーションを起こすことでしょう。現在も「将来、働き手が足りなくなるから大変だ」と言っていますが、経済学の立場からすると、人材も頭数だけではなくて質が大事ではないですか。いわゆる、人的資本です。人的資本の蓄積はとても大切です。先進国の経済は、質こそ重要なんです。人的資本というのは、学校もさることながら、勤め始めて会社で技能育成をすることなどを通じて徐々に蓄積されていくものです。
しかし非正規と呼ばれる人たちが、どれほど人的資本を蓄積できるのでしょうか。過去20年を振り返ると、はなはだ心もとないところがあるのではないでしょうか。
つまり、ほかのアジアの国でも「モノ」は作れる環境の中で、少しでも安くという戦略は当然ながら限界があるのです。皆が言うように、これからはほかでは作れないものを作ることが重要だと思います。あるいは、ほかが作り始めたらその1世代先に行く。先進国としてはそうあるべきです。
ドイツのコンサルタント、ハーマン・サイモン氏の話では、欧州経済もダメだが、特定の強い企業が何とか引っ張っている。それはよそでは作れないニッチ製品や高級品の類いが多いということでした。
吉川:ドイツは石油高などのコスト増を転嫁できるのだけれど、日本では明らかに転嫁できません。石油高、ユーロ高でもドイツは交易条件が悪化しない。日本は石油の値段が上がると一気に交易条件が悪化するのですが、ドイツではきっちり値上げしてくる。買いたくなければ、買わなくて結構と。たとえば円安になったら、欧米のブランドが実際一斉に値上げを始めたでしょう。
そうですね。値上げしても買う人は買うと分かっているから、値段を上げる。日本にも、値段が高くても買いたいと思わせるブランド創出力が大切だという話でした。
いまだに人口の半分である「女性」を生かしていない
吉川:そういったことを大きく見ると、日本は苦しい、停滞感があると言っているけれど、潜在力を十分に生かしていないだけだと思う。いくつかあって、1つは女性。あなたがご存じの通りですね。人口の2分の1の人たちをしっかり使っていないのにここまでやっているのですから、その人たちを使えば相当大きなプラスアルファがあるでしょう。もう1つは高齢化です。これはチャレンジだけれども大きな機会でもある。どうもそのことが認識されていない気がする。「ふーん、チャレンジだけどオポチュニティなのね」と、話を聞いても右耳から左耳に抜けている感じがします。たとえば石油危機がなければ、今の日本の自動車産業はなかったわけです。
日本が米国の自動車市場を取れたのは、石油危機のおかげであると。
吉川:石油危機は、日本経済にとって半端ではない危機だったんですよ。チャレンジなんて生やさしいものではない。でも石油がバレル1.9ドルでずっと推移していれば、小型車、あるいは燃費効率なんてコンセプトは生まれなかった。それが現在のハイブリッドやEV(電気自動車)につながったわけです。高齢化も、日本がフロントランナーで現在は一番大変ですが、今世紀中には、世界中が高齢化します。
これから、暮らし方も買い方も建物も全部変わるでしょう。しかし足元では、たとえば流通業もいまだにほかの店より1円でも安くすることで商売している。ビジネスの現場はそれほど厳しいということでしょうが、それはそれとして、やはり高齢化に備えた第3次流通革命を考えるべきだと思う。たとえば高齢者には、ビルの非常階段なんて意味をなさないでしょう。あれでは非常階段じゃなくて非情階段です。高齢者がどうやって下りるのかと。
恐らくこれからそうした問題がますます表面化しますね。日本の消費者は要求が厳しいと言われてきて、そういった厳しい人たちがどんどん高齢化するわけですから。
吉川:自動車産業などは少しイノベーションが始まっているのではないですか。グリーンとシルバーというコンセプトがあって、グリーンはハイブリッドとEV、シルバーはドライブからドリブンというコンセプトでしょう。ほぼ自動で動くという。あとは衝突安全性もそうですね。
するとイノベーションの本丸になりそうなのは高齢化のところでしょうか。
吉川:上場企業は手元に資金が潤沢にあるわけで、使っていないだけです。お金がないからイノベーションができないんではなくて、先ほどの人的資本の枯渇の問題もあって知恵がないからのではないでしょうか。…こんなことを言うと、リフレ派だけではなくて経営者からも嫌われてしまうかもしれませんが。
勝負する土俵を変えることも「イノベーション」
先ほど言った女性もそうですが、明らかに今ある潜在的な力を使っていない。それからコスト削減って、今あるものの生産コストを下げる話ですね。それより、全く違うものを作ってほしい。
たとえば時計にしても大昔は、スイスが伝統的に職人芸でトップでした。そのうち日本でクオーツを生み出し、極限まで正確に時を刻むことができるようになった。それでほかの国の産業の息の根を止めたところもあった。
ところが最近はどうです、海外の高級時計の広告が増えましたね。先日はこんなことが書いてありました。「今や時計はWhat time is itを見るための時計ではない」と。あれっ、じゃあ私は例外なのかなと思いましたが、まあ富裕層向けの広告なのでしょう、時計に宝石などを載せて腕につけるという、時計はステイタスシンボルであるという見せ方です。
「何が時計の魅力か」を変えてしまうことで復活したわけですね。戦いのルールを変えた。
吉川:だって、時計の価値は「時間を見ることではない」って言ってしまうんだから。この発想は、立派なイノベーションですよ。こう仕掛けるあたり、日本はフランスやスイスに負けちゃったのかなと思います。
ところで、マクロ経済学者の方にデフレのことを伺うと、「記者さん、デフレというのは貨幣的現象、金融現象なんですよ」とまず諭されます。お金の量が増えすぎると1円の価値がモノに比べて下がるから、モノの値段が上がりインフレになる。逆にモノに対してお金の量が少なすぎると、1円の価値が高まるので、結果としてモノの値札は安くなって、これがデフレだと。だから、そこでデフレの時はお金の量を増やせば、景気が良くなる場合もあると。
一般的な感覚からいうと、会社の業績もちょぼちょぼだし給料も大して増えそうにないのに、お金の量を増やすだけでそんなに大きく変わるのかな、という感じだと思うんです。
吉川:「デフレは貨幣的現象です」という説明は、経済学のごくごくスタンダードな言い方の1つなんですね。物価というのは名目物価です。たとえばリンゴ1個100円、ミカンが50円という金額が名目物価です。一方で「リンゴとミカンは1対2で交換される」と考えるのが、実質価格、あるいは相対価格と経済学者がいうものです。
リンゴが非常に不作であれば、リンゴの相対的な価格が上がるでしょう。あるいはみんなが突然ミカン好きになれば、ミカンの相対的な価格が上がるでしょう。
しかし、それが名目(実際の値札)でいくらになるかは、貨幣数量説に聞いてみなければ分からない、というのがスタンダードな経済学なんです。しかしこれ、現実の経済との対応がどれだけある話なのかが全く分からないんですね。
1億円の年俸が2倍になったら、2000万円?
別の説明をしてみましょう。今年、とてもいい成績を出したサッカー選手がいて、年俸で毎年契約を更新する。倍になると言ったら、今年1億円だったら2億円になるというのが常識的な受け止め方でしょう。ところが貨幣数量説で考えると、これがいくらになるか分からないわけ。
たとえばほかのものの価格が全体として10分の1まで下がるとしたら、ものすごい成績を上げたこの人の給料は額面で5分の1になるということです。
つまり極端な話、もし物価水準が1年前の10分の1になるなら、「1年前よりも2倍の年俸」という約束でも、実際にもらえる給料は5分の1になると。
吉川:そう。1億円だった年俸が、2000万円になるということです。つまりは「実質的」な意味では2倍になっているのだから、ということだけれども、現実にはそういう話じゃないでしょう。デフレは貨幣的なことだと言うんだけれども、貨幣数量説はこうした「変化」に対して、実は何も語っていないんですよ。お金の供給量を増やすというけれど、そもそもマネーサプライというのは、結果として決まっている側面が先進国では多い。
結果として決まっている?
吉川:つまり物価が2割上がったから、2割マネーサプライが増えているのだ、ということです。マネーサプライが増えたから物価が上がったというのではなくて。ところで、これまでデフレに関して、どんな方に話を聞きましたか。
数年前、英国のサッチャー元首相のブレーンだったというパトリック・ミンフォード氏と話をして大変印象深かったです。「金本位制の19世紀、英国はデフレでも繁栄した。日本が不況なのは、デフレのせいではない」と言っていました。
吉川:大ざっぱにいうと、英国の19世紀前半はそうです。デフレでも実体経済は絶好調。とはいえ1873年からは実体経済も左前で、デフレ。特に19世紀の終わりの大恐慌が非常に大きな問題になって、ケインズなどは、貨幣数量説はいかんとそこで言っているんです。私の心のよりどころは、ケインズとシュンペーター、この経済学の2大巨匠が貨幣数量説を否定していたということです。あと、ブラック=ショールズモデルで有名なブラックも、貨幣数量説を否定していました。
原因はマネーサプライの不足ではなく国内投資の不足
19世紀の大恐慌で英国経済が25年ぐらい続けて悪かった時は、実体経済も悪いうえにデフレも続いた、という状況だったんです。原因は何かということで、最初はマネーサプライが足りなかったんじゃないかという話でしたが、結局のところケインズが行き着いた答えは、国内の投資が慢性的に不調だったということでした。
というのも当時のイギリスは、海外への投資は非常に盛んだったんですよ。イギリス国内で設備投資などをすると儲からないということで投資する余地がなくなり、アルゼンチンに農園を開く、南アフリカで何かビジネスをする、カナダに鉄道を造る、などと積極的に投資していました。しかし国内投資はさっぱり。
これ、今の日本と似ていますよね。日本企業が、海外で直接投資をすることが増えている。今や国内で工場を造っても失敗するだけだ、とよく言っていますね。
すると今、アベノミクスと言われていますけれども、国内公共投資が盛り上がるのは悪くないということですか。
吉川:公共投資の評価は、副作用との関係です。つまりは、財政破綻のリスクね。公的債務残高のGDP(国内総生産)比が200%超というのは、やはり問題ですよ。民主党政権が掲げた「2015年度までに基礎的財政収支(プライマリーバランス)の赤字を半減する」という目標は、もう不可能になったわけでしょう。
アベノミクスは「財政規律をお預けにして景気回復」
ざっくばらんに言えば、財政規律を少しお預けにして財政出動するというのが、アベノミクスです。それがこれから先、国内の投資が不振だから公共投資をどんどんやれということになったら、少し問題があると思います。
ところで、『デフレーション』を読み通した後で、マクロ経済学批判の書物のような印象も受けたんですが。
吉川:タイトル通りデフレに関する本です。とはいえ、デフレを止めるのにどうするべきなのかという話になった時に、経済学者の間で議論が百出しているのが現実です。
そのため最終章で「行き着く先は」と、経済学に対する批判を書いたんです。標準的な経済学者は、マクロ経済学や金融論は過去40年間で進歩してきた、と考えていると思うんです。医学にたとえれば、昔は到底直せなかった病気が随分解明されて、分子レベルで分かってきたと。昔は本当に手がつけられなかった病気が、今は治せると。これはまさに進歩です。医学ほどではないにせよ、経済学にも同じような進歩があったと彼らは考えていると思います。でも私は率直に言って進歩なんてしていないと思っているんです。私が少数派なのは分かっています。
緻密にはなっているけれども、進歩していないと。
「マクロ経済学にミクロ的基礎付け」はおかしい
吉川:数学を使うのはかまわないんです。問題は方法論のようなものというか、使い方の話なのです。デフレに即して政策論争がありますね。具体的には、ゼロ金利のもとでマネーサプライを増やし、どれぐらい効果があるのか、それともないのか、というのはその1つです。政策提言の基には理論があるわけですが、そこで使われるマクロ経済学が40年ぐらいで大きく変わった。
40年前は大まかにいえばケインズ経済学だったのが、ある時期からそれが蔑称として使われるようになった。ケインズ経済学は「ど」マクロ、抽象論でした。ところがある時期から、ミクロ経済学との関係が分からないと言われ始め、マクロ経済学にもミクロ的な基礎付けが重要だという話になり、「合理的期待」や動学的確率的一般均衡(DSGE)モデルなどという理論が生み出されました。DSGEモデルは世界中の中央銀行の調査部などが現在、一生懸命使っているものです。
さてDSGEモデルというのはどういうものか簡単にいうと、基本的には代表的な個人、家計、企業、といったものを想定して、その動きをものすごく詳しく調べるものです。マクロをそうしたミクロの「相似拡大」という形で理解するという感じです。私は、それは基本的に間違っていると思う。
どうしてですか。
吉川:自然科学なら、方法論は二刀流でしょう。つまり物理であれば、1つのものや動きを調べるとき、たとえばボールを投げた時の放物線について考えると、ボールをどのくらいの強さで放るのか、どういう角度で投げるのか、調べれば調べるほど正確な軌跡が分かる。これを経済の動きでいうミクロだとしましょう。
一方で、物理でものすごくたくさんのモノが集まる「システム」に関して、全体としてどう動くか、どういう性質をもつのか、その挙動はどのようなものかという分析もある。その場合、ボールとは全く違った方法論を使うんです。1つ1つの細かい動きを調べても仕方がないから全体で捉える。
しかし経済学者同士でこれを指摘するとこう反論されるんです。物理は基本的には脳みそがない無機的な、分子とか原子などが対象だけれど、経済はみんな脳みそがあって、その動きには目的があるから、目的合理性を持った行動だと。
でもそれは私の考えでは、違う。やはり1つのものの動きと、集団現象では違う。多くのものが集まっているところが本質なんです。いい例が、高速道路の渋滞です。個々のドライバーには脳みそがついていて、それなりに合理的に運転しようとしているでしょう。
うまくいかなくて起きるトラブルを分析するのがマクロ
ところがそれが密になると、ある時に渋滞が起きる。それがどう起きるかはかなり解明されているのですが、そこで個々のドライバーの動きを動学的に計量分析したって意味なんかない。ある条件のもとで、ある種の集団が集まった時、渋滞だったり、将棋倒しの事故だったりがおきる。これがマクロの分析です。
ですからマクロ経済学というのは、言わばトラブルの経済学なんですよ。うまくいっている時より、不況や失業、インフレーション、デフレーション、うまくいかなくて何か問題が起きた時にそれはなぜか、どうしたらいいのか、というのを解き明かすためのものなのです。
なるほど。そもそも理論に合わない部分を分析しなければならない。
『デフレーション――日本の慢性病を解明する』(日本経済新聞出版社)
吉川:だからこそ、個々の代表的な個人や法人が合理的なことを想定して、相似拡大なんかしちゃだめなんです。時々、主流派の経済学を批判する人が、「人や企業はそれほど合理的ではない」と言うんですが、それは的外れだと思う。経済学という学問はそもそも、全体のうち合理的な部分に注目して分析しているものなのですから。
分析対象が個人や企業といったミクロであれば、集団現象であっても個人や企業のモチベーションが非常に効いてくると思う。でもマクロはあくまで総需要、総投資、総消費、GDP、その間にどのような関係があるかというような現象論です。それを家計や企業の合理的行動を前提として理論化していくうち、どんぶらどんぶらと、変なところまで流れちゃった。
経済学は二刀流であるべきだ
このことに関しては、米プリンストン大学のポール・クルーグマン教授もこんなことを言っていました。「過去30年のマクロ経済学というのは、よく言って大変役に立たない。悪く言えば積極的に害がある代物だった」。
過去40年ぐらいのマクロ経済学は、やはりだんだんおかしくなっちゃったんじゃないかなあと思います。マクロ経済学にミクロ的な基礎付けなどを使うべきではなくて、経済学も二刀流であるべきなんです。
広野 彩子(ひろの・あやこ)
日経ビジネス記者。1993年早稲田大学政経学部卒業後、朝日新聞社入社。阪神大震災から温暖化防止京都会議(COP3)まで幅広い取材を経験した後、2001年1月から日経ビジネス記者に転身。国内外の小売・消費財・不動産・保険・マクロ経済などを担当、『日経ビジネスオンライン』、『日経ビジネスマネジメント』(休刊)の創刊に従事。休職してCWAJ(College Women’s Association of Japan)と米プリンストン大学の奨学金により同大学ウッドローウィルソンスクールに留学、2005年に修士課程修了(公共政策修士)。近年は経済学コラムの企画・編集、マネジメント手法に関する取材、執筆などを担当。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130327/245704/
【第11回】 2013年3月29日 佐々木一寿 [グロービス出版局編集委員]
日本では新奇的に扱われる「アベノミクス」は、じつは「世界標準ノミクス」だった!?(1)金融緩和編
麹町経済研究所のちょっと気の弱いヒラ研究員「末席(ませき)」が、上司や所長に叱咤激励されながらも、経済の現状や経済学について解き明かしていく連載小説。今回から3回にわたっては、特別編として、“いまさら聞けない”アベノミクスについて、末席が精魂こめて解説します。まずはアベノミクス3本の矢の1本目、金融政策から。(佐々木一寿)
「主任はただいま、外出中でございまして…」
マネジャーが電話をとって対応している。
「これはこれは、ヨミヨミ新聞の方ですか、ご連絡ありがとうございます」
どうやら、新聞社からの取材らしい。ヨミヨミ新聞は大手の全国紙であり、これは光栄なことである、といった雰囲気を全面に押し出して対応している。
「えっ。…そうなんですね」
こんどは一転して声のトーンが2つばかり落ちている。いったい、どうしたというのだろう。
「であれば、主任ではなく、もう1人のほうがむしろ適役かもしれません。その者でもよろしければ…」
マネジャーは受話器越しに末席をチラリと見た。
「ご快諾ありがとうございます。では、なにとぞよろしくお願いいたします」
そう言って保留ボタンを押して、マネジャーは末席のところに来た。
「末席研究員、取材対応をお願いできるかな」
「はい。でも、大手の新聞の取材は主任の役割じゃないですか。今ならケータイでつかまるかもですが、いいんですか、僕でも」
「うん、もちろんじゃないか、私もいずれはこんな日がくると思っていたんだよ。よろしく頼むね!」
感激した面持ちのマネジャーを見て、「もらい感激」をしてしまった末席は、受話器をとって挨拶をした。記者も挨拶を返す。
「こちらヨミヨミ新聞の朝口と申します。今回はアベノミクスの取材をお願いしたいと思いまして」
いまどきアベノミクスなんて、直球中の直球じゃないか。しかも嶋野主任の得意分野でもある。これは一生懸命やらないと。末席は重責に応えようと必死の形相だ。
「ただ、できるだけわかりやすくお願いします」
無論、そのつもりである、読者はエコノミストではないのだから。末席はわかっていますよ、という風に頷いた。
「大丈夫ですよ、まかせてください」
「よかった! 読者はこどもさんなんですよ。私、週刊ヨミヨミこども新聞の記事を担当しております」
えっ、ハードル高すぎないか、この取材。しかも、業績的にみてもそんなにおいしくなさそうだし…。
記者はそのような相手の落胆への対応には慣れているらしく、励ましながらフォローする。
「大丈夫ですよ、最終原稿の表現はこちらのほうで咀嚼しますから」
末席は、少し離れたところで涼しげにミネラルウォーターを飲んでいるマネジャーをガン視しながら、しぶしぶ応諾した。
アベノミクスの「3本の矢」、
金融政策・財政政策・成長戦略
「えー。では、さっそく。アベノミクスの要点は」
いきなりずいぶんザックリ聞いてくるなぁ、この記者は。末席は禅問答の試練に耐える修行僧のような心境で応える。
「(1)金融政策と(2)財政政策と(3)成長戦略と言われています。これがいわゆるアベノミクスの『3本の矢』ですね。これでデフレ不況というおバケを退治するわけです」
「(気は遣ってもらってるな、でも用語の言い換えはあとでこちらで適切に考えるとして)その3つをやればいい、ということなんでしょうか」
「そうですね。ただ、これには注意書きが必要です。じつは、この『3本の矢』という言い方はじつに絶妙なのです」
「なるほど。それはやはり折れにくいとか、強靭になるとか、そういうことですか」
担当者は、首相のお膝元出身者か、歴史好きな人かもしれないな、と末席は思いながら続ける*1。
*1 矢は3本束ねると折れにくい、と息子たち3人が力を合わせるよう諭した長州の戦国大名、毛利元就の逸話は有名
「もちろん、そういう意味もあると思います。ただ、歴史学的にだけでなく、これは経済学的にも非常に重要な示唆があるのです。3本の矢を射るときには、一本ずつ射ますよね」
たしかに、連射するにしても、1人だったら順番に放つことになるな。こういう論のはこびは、こどもたち(読者)が喜びそうな気がする、そう予感がしながら嬉しそうに聞いている。
「じつは、その順番をも首相は明示しているのです!」
「だから末席さんはわざわざ番号をつけているんですね。順番が違ったらだめなんですか?」
「じつはそうなんです、ちゃんと順番を守らない生徒は、先生に怒られるわけです。まあ首相の場合は、経済学の先生にですがね!」
きっといま上手いこと言ったと悦に入っているはず、そう記者は察しながら応える。
「いやー、ウマいですね。読者も喜ぶと思います」
末席はまんざらでもない様子で続ける。
「(1)の金融政策を最初にやるのが肝心です。これが十分でないと、あとが続きません」
「十分とはどのくらいでしょうか?」
「金融政策というのは通常、政策金利の設定によって行います。景気が加熱気味であれば金利を引き上げておカネを借りにくくし、景気がよくなければ金利を下げて、おカネを借りやすくして使ってもらいやすくするわけですね*2」
*2 通常、金融政策は、中央銀行が政策金利目標を定めて各種オペレーションを実行する
「で、金利を0%まで下げると*3。アレ? でも景気は良くなってない気が…」
*3 現在はゼロ金利政策を継続中で、金利はほとんど変動していない
「通常であれば、そこまでしなくても持ち直すものなのですが、これはなかなか重症な患者さんだということですね」
「金利は0%で、これ以上は下げられないということは、もう打つ手がないのでしょうか」
「これに関しての議論は、じつは日本では10年以上も続けられているところなのでした。いまでもまだその意見はけっこう根強いのですが、海外の著名な経済学者の多くは、『打つ手はなんぼでもある』*4と言っています」
*4 たとえばノーベル賞学者、ポール・クルーグマンは「なんぼでもあるのでなんぼでもやって、さっさと不況を終わらせろ」という趣旨のことを述べている
なぜ外国人のセリフが関西弁風なのだろうか。そんなこども騙しは、いまや目の肥えたこども新聞読者には通用しないんだよな、と思いながらも相槌を打った。
「それが、いわゆる『量的緩和』といわれるものですね。金利が0%でも、こんどは量を増やして勝負、どうぞどんどん借りてください、というわけです」
「でも、0%で借りないのに、同じ0%だとしたら、やっぱり借りないですよね」
「なるほど。では今まで、金利0%(という破格の借りやすさ)でもおカネを借りてくれなかったのはなぜだと思いますか?」
「うーん、おカネを借りても、それを使っても儲けるのが難しそうだからじゃないですかね…」
記者はこども役に慣れているようだ。
「そうですね。ではなぜそう思うのでしょうか。そう、不況だからですよね。モノを作っても売れなさそうです。とくに起業家は大変ですよ、いま成功してる人はすごいと思います。で、その不況の元凶がデフレ(とそのスパイラル)なのではないか、という見方があります」
インフレ・ターゲティング明示のイミ
「それはよく聞きますね。でもなぜデフレだとマズいのでしょうか」
「デフレだとモノが安くなりますよね、牛丼だって安く食べられます。ただ、そう喜んでいる間に、なぜか自分の給料が下がっていたり、ましてや失職してしまいやすい状況が生まれていたとしたら、どうでしょうか*5」
*5 本編第4回で詳説のフィリップス曲線を参照
「牛丼におカネを使うのももったいない、お昼は手製の弁当にして、いざ失職したときに備えようとするかもしれない」
そういう人に取材をしたことがあるのか、記者の相槌はここだけかなり具体的だ。
「そうですね。それは企業側にとってもしょうがないところもあるんです、デフレによる雇用不安下でモノが売れないのと同時に、会社の資産が年々目減りしていきます。また、投資したい案件があっても、来年のほうが安くなりそうだ、ということであれば買い控えをしますよね、合理的に考えればこれはしょうがないことです。それが何年も続くと、ずっとおカネを使わないままになってしまいます。で、どんどん不況が深刻化する。これがデフレとデフレスパイラルのメカニズムの説明です。デフレでなければ、必要なものにおカネを使う人も増えて、低い金利で借りたおカネで投資をして儲けをあげられる企業も増えて、景気がよくなってきます。まあ、話は簡単ですね」
簡単かどうかは最終的には読者が決めることなんだけど…、と思いながら記者は応える。
「なるほど。じゃあ、デフレは退治したほうがいいとして、どうすればいいのか手段も『なんぼでもある』として、なぜやらないんですか?
待ってましたとばかりに末席はその言葉に飛びついた。
「まさにそれをいまの首相が選挙で問うたわけですね!」
そういうことだったのか。案外、こうして淡々と説明されたほうがわかりやすいかもしれない。日々の報道に流されてしまうと、わかっているようでよくわからなくなるものなんだな、と記者は自省しながら言った。
「そして、デフレを脱却します、その手段がインフレ目標の設定だと宣言したのですね。ただ、あの時点であれ言われても、何がなんだか分からない人のほうが多かった気が」
末席は頷いて応える。
「まあ、そうですよね。実際、景気対策の初手の初手なのですが、これがかなり専門的なんですよね。選挙の最大の争点がインフレ率だったのですから、経済学的には画期的です!*6」
*6 経済問題、景気対策を掲げるのはごく普通だが、物価水準を明確に数字で公約にするのは極めて稀で、史上初めてのことかもしれない
勝手に悦に入っている末席をいなしつつ、記者は疑問を投げかける。
「それって、でも、正しいんですか? インフレってどちらかというと良くないというイメージが」
「たとえば2桁%以上といった高すぎるインフレは問題ですね。ただ、デフレは最悪だ。というわけで、学者によって議論が分かれますけれど、だいたい2〜5%のあいだくらいが物価としてちょうどいいというのが国際標準でしょうかね。そのあたりだと、マネーという『経済の血液』の巡りがよくなるらしいのですね!というわけで、多くの先進国は目標を定めて、そこに収まるように金融政策をやります」
「それが、いわゆる『インフレ・ターゲティング』というやつなんですね。今回、首相はそれを『2%』と設定した」
「まあ、もしかしたら、もっと高くてもいいと思っているかもしれませんが、結局2%ということにして、中央銀行と共同声明を出しましたね」
「(えっ、本音では?と聞きたいけど、まあ、こういうウラオモテというものはこどもにとってはよくない話だな…。)*7それは分かったとして、なんで今までそれをやらなかったんでしょうか」
*7 選挙中には2〜3%といった発言もあった。海外には、4%くらいでもいいという著名な学者も複数でいる
「さあ…。世界の七不思議のひとつと言ってもいいくらいの興味深いナゾですが*8、それもそろそろ解明されてくるかもですね!」
*8 米FRB(Federal Reserve Board、連邦準備制度理事会)のベン・バーナンキは、プリンストン大学経済学部長時代、日銀のある議事録を読んで、「一人を除いてみんなジャンクだ」と不思議がっていたという
「でも、こんなに何年も続いているのに、本当にできるんでしょうか」
「そうですね、もうザックリ15年くらいになりますかね。経済学の世界では、処方箋は当然ありますよ*9。ただ、それができる人は中央銀行の非常に限られた人たちで、その責任者が『それやりたくない』『やっても効果ない』『景気が回復すれば自然にデフレ脱却できる』という人であれば、もうしょうがなかったのかもしれませんね。その責任者が法律的に独立した存在なのであれば、説得に応じなければもうなすすべがないわけです。でも、いま首相は、『インフレ目標を早く守ってもらうか、守ってもらえないというなら次は守ってくれる人にします』と厳しく言っている、というわけです。
*9 インフレ・ターゲティングの設定による金融緩和の実施がその王道
「約束は、オトナだって守らなければならない、ということなんですね。ではもう、大丈夫ですね!」
「と思っていましたら、共同宣言発表直後に上がった株価が、すこし後であっという間に値崩れしました*10。いろいろな見方ができるかと思いますが、結局、市場は『約束はしたけど、ホントかな』って疑ったんではないか、と。まあ、デフレを15年も事実上放っておいたとマーケット関係者は思っているのですから、半信半疑なところもどうしてもあるのでしょうね、彼らは文字通り非常にゲンキンですから、言ったことをそのまま信じるようなことは、なかなかしないんです。『それ裏付けるマネーの量、足りてないじゃん』*11となったらそれまでですので、期待して買っていた人はさっさと株なんて売り払って逃げるわけですね。でも一部は信じて残る。その人数のバランスで株価はいま決まっていると思われます*12」
*10 2013年1月22日の日経平均株価の動向を参照
*11 一説には、裏付けになる金融緩和の規模が20〜40兆円ほど足りず、しかも実施時期が遅すぎる、といった意見がある
*12 たとえば日経平均、TOPIXなど、株価平均の代表的なインデックス指標の動向は個別銘柄の事情をかなり排除できるので、このことが顕著に現れるため、よく景気動向の見通しを伝えるものとして引用される
「えーっ。ちゃんとおカネ出すって公に言ってるわけですよね、2%っていう物価水準まできちんとやるって」
「うーん、でもたぶんマーケットは『やるつもりですが、仮にやれなくても罰則はありませんし、あしからず』と聞いたのかもしれません」
「そんな! それ守れなきゃダメじゃないですか、こどもの教育にもよくないですよ!」
「そうですね、ちゃーんとそのように書いておいてください。市場関係者はもちろん監視していますし、なにより将来の日本を支えるこどもたちが、オトナが約束を守るかどうかじーっと見ていますよってね!」
末席は、おそらくお子さんがいそうなその記者に、笑って答えた。(つづく)
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【第110回】 2013年3月29日 週刊ダイヤモンド編集部
【日本銀行】
大胆な緩和策で保有国債は長期化
高まる日銀資産の毀損リスク
黒田東彦新総裁率いる日本銀行の“大胆な金融緩和策”に市場の注目が集まっている。実際には、日銀は購入する長期国債の年限を長期化していくしかない。そこに潜むリスクを読み解く。
1月29日に公表された2013年度の国債発行計画に、ある“異変”が表れた。2年新発債の発行額が、例年の毎月2兆7000億円から、13年度は2兆9000億円へと、年間にして2兆4000億円も上乗せされたのだ。
ある財務省関係者は、「日本銀行の金融政策を意識していないと言えば嘘になる」と本音を明かす。
日銀は現在、資産買い入れ基金を通じて購入する長期国債の残存年限を「3年以下」とし、今年1月には14年以降も無期限で国債を購入していくと発表していた。
財務省が国債の満期構成を考える上で、金融政策を考慮するのは自然なことではある。今回の“異変”がすなわち日銀による「財政ファイナンス(財政赤字の肩代わり)」と断定できるわけではない。
とはいえ日銀が2年債を購入する目的は、2年物金利を押し下げることにある。一方で、市中消化がしやすいからといって財務省が2年新発債の供給を増やせば当然、2年債の価格は低下し、2年物金利にも上昇圧力が働く。財務省・日銀を広く政府部門と捉えれば、政府としてはいかにもあべこべなことをしていると言える。
そもそも日銀が現在、長期国債の購入にまで踏み切っているのは、金融政策の伝統的な手段である名目短期金利の引き下げ余地が失われているからだ。
伝統的な金融政策においては、日銀は買いオペで短期国債を購入、または短期貸し出しを行い、準備預金を供給する。銀行にとって準備預金は国債とは違い、決済手段として使える。こうして銀行に資金が供給され、短期金利は下がる。
その際、日銀が短期国債を中心に購入していたのは、償還までの期間が1年未満であるため資金供給が短期となり、将来引き締めが容易となるからだ。金利が上昇しても、国債の評価損が発生するリスクもほとんど勘案しなくてよい。
ところが、ゼロ金利という制約に直面し、銀行が準備預金を大量に積み上げている状況下では、短期国債を購入しても効果はない。
日銀が資産購入で一定の効果を上げるには、やはり準備預金とは性質の異なる長期国債、またはリスク資産を購入するしかない。長期金利は低下してきているとはいえ、引き下げる余地が残っている。あるいはリスク資産を購入すればリスクプレミアムは下がり、資産価格の上昇効果も見込める。
ただ、ETF(上場投資信託)やREIT(不動産投資信託)などリスク資産の市場規模は小さく、購入金額も限られてくる。故に新体制下の日銀が実施する「大胆な緩和策」は、その手段の大半が長期国債の購入に向かう。
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日銀は、現状でも93兆円と巨額の長期国債を保有している(図(1))。既に旧体制下の決定によって、13年末には約113兆円にまで拡大する見込みだ。
だが、リスク資産に限らず、むろん長期国債にもリスクはある。日銀の保有国債の評価損益が直近で公表されている昨年9月末時点を起点に、金利が1%上昇した場合の評価損を計算してみよう。
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週刊ダイヤモンド調査によれば、日銀の保有長期国債の平均残存期間は約3.83年(図(2))。9月末時点での長期国債保有額は102兆8593億円だから、金利が1%上昇した場合の価格下落幅は、簡易的には3兆9372億円(=102兆8593億円×3.83年×1%)となる。9月末時点の評価益は2兆0657億円なので、差し引き1兆8715億円が評価損として発生することになる(図(3))。
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基金を廃止した場合の
保有国債長期化リスク
もっとも国債を満期保有すれば元本は確定しているため、評価損は実現しない。だが、金利上昇局面では、国債を満期保有するのも容易でない。負債側で見合いとなる超過準備(銀行が法定準備預金額を超えて保有する準備預金)を減らす必要があるからである。
景気が回復し政策金利を上げなければならない局面では、ジャブジャブと供給された超過準備を吸収する必要がある。だからといって保有国債を売却すれば評価損が実現し、さらには引き締めが行き過ぎて金利が急騰しかねない。
苦肉の引き締め策として、超過準備に対し日銀が支払っている金利(付利。現在0.1%)を引き上げていけば、今度は保有国債から得られる金利との間で逆ザヤが発生、日銀の財務状況は悪化する。
日銀はそういった金利上昇リスクを被らないよう短期国債を保有してきたし、長期国債を保有する場合は日銀券発行高以内に抑える「日銀券ルール」に則ってきた。金利を払う必要のない日銀券の残高以内であれば、長期国債保有部分に逆ザヤは発生しないからだ。
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日銀が資産買い入れ基金を設立しているのも、日銀券ルールと切り分けて残存期間の短い長期国債の購入に限定し、金利上昇リスクを極力回避する意図がある。実際、基金を通じた保有国債の平均残存期間は1.35年と極めて短期に維持されている(図(4))。
3月7日の金融政策決定会合で白井さゆり審議委員は、資産買い入れ基金を廃止し、日銀券ルールに基づく国債買い入れと統合する案を提示した。基金を通じた国債購入を年限5年以下、あるいは10年以下と“大胆”に推進していくなら、確かに日銀券ルールと基金を切り分けた意味合いは薄れる。しかし、保有長期国債全体で見れば日銀券残高を既に突破しているだけに、将来の金利上昇に伴うバランスシート毀損リスクはさらに高まっていく。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 池田光史)
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