05. 2013年3月28日 00:44:12
: GnRfb4ci8o
日本には木が多すぎる『森林飽和』の著者、太田猛彦・東大名誉教授に聞く 2013年3月28日(木) 田中 太郎 豊かな生態系を守っている里山。しかし、かつて日本の里山は、立派な木などない「はげ山」ばかりだった。それが戦後、木材が使われなくなり、今や「森林飽和」とも言える状況になっている。そして森林の「量」が回復したことが、新たな環境被害につながっている可能性があるという。『森林飽和』の著者、太田猛彦・東大名誉教授に聞いた。 (聞き手は田中太郎) 太田さんの著作『森林飽和』を読ませていただきました。「飽和」というほど、日本には森林があふれているのでしょうか。 太田:はい。幹の体積の総和を森林の蓄積といいますが、日本は過去50年間ぐらい増え続け、3倍ぐらいになっています。人工林は4〜5倍に増えていて、自然林もどんどん成長しています。『森林・林業白書』に毎年、グラフとともに出ているのに、誰も触れてこなかった。不思議です。 経済成長で森林以外の土地利用はどんどん変化しています。都市に住んでいると、宅地や工場が増え、緑がどんどん減っている。一方、山に行っても、木は徐々に大きくなっていくから、あまり増えているとは思わない。それで、森林は減っている、だから植えなければいけないという先入観が出来てしまっているのでしょう。 しかし、実は山の斜面で木はどんどん増えている。日本の森林というのは非常に豊かです。それで「森林飽和」というタイトルをつけて、「違いますよ」ということを訴えたわけです。 日本はかつて「はげ山」ばかりだった しかし、森林が増えたのは近年のことだそうですね。本の巻頭にある口絵は衝撃的でした。歌川広重の「東海道五十三次」に描かれている江戸時代の風景には木がまばらにしか生えていない。明治時代の写真(下)にも、ほとんど木はない。かつての日本は、「森林飽和」とはほど遠いイメージです。 明治末の集落と里山。場所は現在の山梨県甲府市塩山。写真左上、マツの木が1本ぽつんと残された山に注目してほしい(写真提供:東京都水道局水源管理事務所)
太田猛彦(おおた・たけひこ)氏 東京大学名誉教授。FSCジャパン議長。1941年東京生まれ。東京大学大学院農学研究科博士課程修了後、東京農工大学助教授を経て東京大学教授、東京農工大学教授を歴任。砂防学会会長、日本森林学会会長、林政審議会委員、日本学術会議会員などを務めた。専門は森林水文学、砂防工学、森林環境学。主な著書に『森林飽和』(NHKブックス)、『水と土をはぐくむ森』(文研出版)など。(撮影:鈴木愛子、以下も) 太田:森林が飽和しているというイメージが実感できないのは、かつて森が非常に貧弱だった、劣化していたことを忘れてしまっているからだと思います。だから森林飽和と言われて、「えっ」とびっくりしているわけですよね。実は、昔の森は現在の途上国のような森だったんです。 現在の森林を正しく理解するための最も基本的な知識の1つは、昔どういう森があって、それがどう変化したかを知ることだろうと思います。そのためにはビジュアルは非常に有効だろうと思って紹介しました。私も、最初は歌川広重の舞台をそんなふうには見ていなかった。あるときふっと見たら、「ないじゃないか」ということに気づきました。 では、どうしてそんなにはげたのかと言えば、本にも書きましたが、簡単に言ってしまうと当時のエネルギー源は木しかなかった。だから、木がなくなるのは当たり前なんです。 木の成長を何十年も待っていられなかった 江戸時代の人口が3000万人で頭打ちになったのは水田を開発する場所がなかった、または水が得られなかったからという説がありますが、私は森林資源がそこまでしかなかったからではないかと考えています。 森林資源というのは、ともかく切ってしまったら次に大きくなるまで20年、30年待たなければならない。待ちきれなくてどんどん切れば絵や写真のような姿になってしまう。しかも、遠くからは持ってこられない。だから、それが制約になって3000万人で止まったのではないかと。逆に言うと、森林資源があったから日本は3000万人養えたと言えるかもしれないですね。 なるほど。そういう見方ができるかもしれません。 太田:農業生産が止まったのは水のせいだけではなく、肥料がなくて止まったのかもしれません。当時、肥料はすべて里山の木で堆肥でつくり、それだけでは間に合わないので、青い葉っぱまで使って緑肥にして、ぎりぎりで回していたんです。だから私は、日本人は「稲作農耕民族」ではなくて「稲作農耕森林民族」だろうと言っているわけです。 明治時代に森林資源が最も収奪され、森林が荒廃した時期だそうですね。 太田:江戸時代からぎりぎりのレベルで保ってきたけれど、明治になると農業だけではなく、製糸産業などいろいろ産業が始まるわけです。ところが、まだ石炭を大々的に使うようになっておらず、主な燃料は依然として木だった。それから、開発が進んで家もたくさん建てるし、工場も建てる。しかも、鉄道なども普及し始めて、より遠くから木材を集めやすくなってくる。一番ひどかったのは、明治30(1897)年ぐらいではないかと推定しています。 明治30年代に日露戦争がありました。実際に日露戦争が終わった明治44年になって、本格的な治水事業が始まった。土砂崩れや洪水の氾濫を防ぐために、山腹の斜面に木を植えて、はげ山を緑化していったのです。そこで日本の森林は下げ止まりました。 近代まで森林資源が使い尽くされていたとすると、私たちが抱いている「豊かな里山」というイメージも幻想に過ぎないのですか。 太田:もちろん、豊かな側面は持っていますよ。里山を共同で使う「入会地」にして、みんなができるだけ肥料を採れるように、たきぎが採れるように工夫しながら、豊かさを維持した面もあります。少ない資源を何とか持続させていくために知恵を絞ったという点では、里山は素晴らしい文化だと思います。 しかし、50年、70年たって大きくなるような木を植えても待っていられないから、20年で使えるクヌギやコナラを植えたわけです。コナラやクヌギは落葉広葉樹たから、冬は葉っぱがない。そこで、カタクリやニリンソウといった春植物が残った。ぎりぎりの状態で使ってきた結果として、草地があったり、潅木があったりする豊かな生態系が維持されたわけで、生物多様性を高めるために暮らしていたわけではありません。 「役立つ森林づくり」が必要 例えば里山と言うと、日本の人たちは「トトロの森」を思い浮かべますよね。宅地に近いところに森林を増やしていきたいと考えている人が多いのではないでしょうか。 太田:里山を「地域の山」と定義すると、それをいかに有効に使えるかを考えましょうということです。かつての里山は農用林であり、生活林です。そのような使い方が今、多くの地域でできるでしょうか。 できないでしょうね。 太田:だから現代の営みに合うような、セラピーの森だとか、教育の森だとか、あるいは公園だとか、都市部ではそういうものが中心にくるのではないでしょうか。私は、里山は伝統的な文化の保存公園だと言っています。残す里山を決めて、例えばそこにボランティアの人が入り、昔の農耕社会時代の生活スタイルを保存して、子供たちに見せるといった場です。 文化事業ですね。
太田:地域によっては炭を使い、まきを使い、腐葉土を作って、シイタケのほだ木を生産するといった昔ながらの里山のなりわいをしているところもあります。しかし、それ以外の都市部では環境林、教育林にする。でも、それでも残る里山は、木材を生産すべきだと思っているんですよ、本来は。今、木材を使わないだけで何を使っているのかといえば、石油や石炭の地下資源です。しかし、地下から採取した資源を地上に振りまいて、それが地球を汚染している。大気汚染の一番大きいのは温暖化ですが、土壌汚染だって何だってそもそもは地下資源の使用から出てきているではないですか。 私たちは「手つかずの自然」がよいものと考えてしまいがちですが、過度の「天然林志向」もよくないと指摘されていますね。 太田:手つかずの自然を残すのも生物多様性保全には大切です。「守る森」と「使う森」を分けて考えたほうがよいのです。日本人の使命として、地下資源に頼らない社会、循環型社会、低炭素社会を実現するには、昔の森に戻すことが最も有効とは言えません。やはり生物多様性保全にかかわりのない森は、もう少し使っていいだろうと思います。(国が提唱している)「美しい森林づくり」ではなくて、「役に立つ森づくり」が必要です。 「森は海の恋人」とは限らない 森林の「量」が回復したために、別の問題が起こっているそうですね。「森は海の恋人」という言葉が頭にあるので、森林の量の回復が海岸の浸食の一因になっているとは驚きました。 太田:森が緑に戻ったら、すべてのバランスがうまくいくのかというと、そうではありません。例えば川は、山から土砂があまり出てこなければ徐々に川底が下がっていきます。海に土砂が出ていかなければ、海は常に波に浸食されているから、浸食の方が多くなってしまいます。海岸の浸食は深刻です。すべての海岸をコンクリートで固めて、防潮堤を作ったら海岸線は守れるかもしれませんが、それで海ガメが上がってこなくなっていいのかということです。山が木でいっぱいになり、山崩れも以前よりは少なくなっているのですから、治山工事や砂防工事はもう少し減らしていいと私は思ってます。海岸を専門にしている人たちにも、この点はぜひ確認してほしいです。 森林の「質」の回復を実現するには、適度に利用することが不可欠だと多くの人が指摘しています。なかなかそうならないのはなぜでしょうか。 公益的機能・環境保全機能の付加価値を認めるべき 太田:林業がうまくいかない原因はいくつかあります。まず根底にあるのは、森林の機能は、木材生産だけではなく、(水源を涵養したり、災害を防いだりする)公益的機能や環境保全機能といったものを担わされています。ところが、それらの機能(にかかる負担)は内部経済化されていません。背負っている負担が重すぎるから、助成が必要な面があります。 2番目に、林業生産、あるいは農業生産と工業生産との違いがあります。工業生産は、資源もエネルギーも地下から取り出すから、技術革新が進めば、どんどん生産性は高まります。しかし、光合成を利用する農業や林業はそうはいかない。農業はそれでも、化学肥料を使ったり、機械化したりできるけど、林業は機械化するといっても植えるときと切るときぐらいです。水も、肥料もやらず、まったく自然なのだから生産性は相対的に低くなるに決まっています。工業の100分の1とか、1000分の1かもしれない。だけど、生産性が異なる産業に従事しているからといって、100分の1の生活費で暮らせるわけではありません。でも、考えてほしいのは、地下資源を使わず、森林が汚染されていないから、そこからきれいな水が出てくる。それを都市の人は有効に使っているではないですか。環境にかかわっているところについては、その対価を支払うべきです。 都市がフリーライダーになっているということですね。 太田:そうです。その上で林業の中身の問題はどうかというと、外材との戦いに負けているわけです。外材が自由化されたのは50年前です。どうして外材に負けるのかというと、外材の方が平らなところで生産しているとか、機械化しているとか、流通ルートが作られるとか、大量に伐採ができるとか、いろいろな理由があります。それからスギやヒノキを日本の材というけれど、スギやヒノキの純林はほんの少ししかありません。地元のものではない木を育てているから、枝打ちしたり、下刈りしたりしなければならず、手入れの費用ががかかるのです。 では、対抗できるのはどこかというと、外材は運搬距離が長くて、環境負荷も高いはずです。それをウッドマイレージと言いますが、「ウッドマイレージが小さいものを買わなければならない」と言っても、市場は重視しません。輸送に使う石油エネルギーが安いから。化石燃料を使うことが本当に地球にとって悪いことなんだと、みんな切実に思っていないから結局、ウッドマイレージは使われない。地球が地下に蓄積してきた資源を使うことは、地球の進化に逆行していることをもっと主張しなくてはいけません。 もちろん、林業の中にも問題はあります。江戸時代から300年間、日本は木が足りなかったので、木を植えて、大きくしさえすればいくらでも売れた時代が続きました。今も、生産者が消費者のニーズに合うものを生産していないという面があると思います。ただ、たとえ生産者が努力しても越えられない、もっと大きな問題もあるだろうと私は思います。 キーパーソンに聞く
日経ビジネスのデスクが、話題の人、旬の人にインタビューします。このコラムを開けば毎日1人、新しいキーパーソンに出会えます。 |