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変幻自在で信念なき専門家(大学教授や評論家)が撒き散らす害悪
(会員制経済情報誌『現代産業情報』3月1日号より転載)
「3.11」が近づいてきた。
東日本大震災の残した傷跡は深く、「原発」と「地震」と「津波」がもたらし
た恐怖は、今も国民に焼き付けられている。
その防災・減災の方法を、教訓として残していかなければ、震災で亡くなった
多くの無辜の人々は救われない。
しかし、この2年間に、我々はどれだけのことを学んだろうか。
残念ながら混迷の度は増した。相変わらず、原発の安全性、原発事故と放射能
被害との関連性、原発周辺の活断層の有無、地震発生のメカニズム、地震予知
の可能性、震度震源と津波との関連性などは解明されてはおらず、むしろ百家
争鳴の果て、混乱している国民が大半である。
科学技術がそこに追いつかないのはわかる。そこに謎が謎を呼ぶ先端技術の複
雑さと、自然のもつ底知れぬ脅威がある。
ただ、それを差し引いたとしても、国民を導くべき「専門家」が無責任すぎる
のではないか。
例えば、活断層と地震──。
大飯原発の地層の「ずれ」が、「地滑り」なのか「活断層」なのか。
原子力規制委員会の専門家調査団は、12月28日、29日と暮の押し迫った時期ま
で追加調査を重ねながら、結論は出なかった。
日本地震学会は、「地震は予知できるか否か」の“不毛”のシンポジュームを、
震災以降、重ねている。
確かに自然の脅威は底知れないが、少なくとも科学は一定の方向性を指し示す
ものだろう。
そうならないのは、自分の立場を守ろうとする保身が働く専門家がいるためで、
地震予知の予算をもらい研究を続けてきた学者にとって、「予知できない」と
いう結論には、反対せざるをえない。
その専門家の“揺らぎ”に輪をかけるのがマスコミで、“受け”を狙って過剰
な放射能被害、過剰な地震予知で特集を組み、視聴率や発行部数を稼ぎ、その
制作意図に添った専門家に発言させて、国民の恐怖心を煽る。
どちらもつ罪深い。「3.11」の恐怖を、自らの食い扶持にしているばかりか、
国民をミスリードしているという意味で、信念に基づかない変幻自在な発言は、
害悪である。
専門家の多くは大学教授かマスコミ出身の評論家である。どちらも考え、研究
する仕事だが、実学がない。だから信念がなく、流されやすい。
自然科学の分野がそうなら、政治経済の場はもっとそうで、融通無碍で無責任
な専門家が大半といっていい。
その第一人者が、テレビ番組で司会を務め、タレント的な活動をする一方、政
府の東日本大震災復興会議で議長代理を務めるなど、要職も逃がさない御厨貴
東大教授である。
民主党への政権交代前に御厨氏は、政権担当能力を不安視する声に対し、「外
交や防衛など難しい問題は、現実路線を踏まえて軌道修正すればいいから大丈
夫」と言っていたのに、普天間、尖閣列島など民主党政権がうろたえる局面が
多くなると、「安全保障上の危機が発生した時、今の民主党では対応不能でし
ょう」と言ってのけた。
その時々で発言を変える。こんな基軸のない人が、「東大教授」の看板だけで
発言、審議会などで要職を占めているのが現実である。
経済となると、もっとぶれまくる。アベノミックスは、大胆な金融緩和と財政
出動の合体で、“いいとこ取り”なのだが、その矛盾を指摘する経済学者は皆
無に等しい。
例外は、社会学的な人気は高いが、「経済学者であることはやめてしまった」
と、公言する佐伯啓思京大教授である。
「(アベノミクスの矛盾は)基本的に不況時には政府が積極的に財政・金融政
策を活用すべきだ、というケインズ主義的発想にもとづいているのですが、今
日の経済学の主流においては、このケインズ主義はほとんど否定されてしまっ
ているからです。しかし、それにもかかわらず、安倍首相の経済財政諮問会議
には経済の『専門家』も入り、これとは少し違いますが、産業競争力会議には
構造改革推進の張本人である竹中平蔵氏まで加わっています。こうなると、無
節操を通り越して、そもそも『専門家』とは一体何なのか、と言いたくもなる
のではないでしょうか」(『新潮45』3月号)
官僚の力を借りながら景気を回復、官僚の力を排しながら成長産業を育成する
──。
確かに、アベノミクスが抱える最大の矛盾だが、融通無碍の専門家は、そんな
ことなどお構いなしに、声がかかれば経済運営に参加する。
日本をミスリードする「専門家」の正体が見えてきた。
>>
(私のコメント)
沈黙は金か。黙っていれば確かに安全で悩まされることも少ないだろう。でも危険が迫っていれば専門家は自分の知っている真実の情報を明らかにして犠牲者を減らすべきだろう。人間義憤、公憤を失ったら終いである。
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