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株式日記と経済展望
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郊外では空き家も多くなり便利な都心への回帰が始まっています。都心のマンション
は高層化して、郊外の木造住宅も建て替えて災害に強い住宅にすべきでしょう。
2013年3月6日 水曜日
◆「丸源ビル」オーナー逮捕 バブル期絶頂 今は9割空室 3月6日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013030602000111.html
夜の銀座で、丸に「源」の字の赤いネオンがひときわ目立つ丸源ビルのオーナーが五日、八億円超の脱税容疑で東京地検特捜部に逮捕された。バブル期には、経済誌などに「銀座の不動産王」と紹介されていた貸しビル業の川本源司郎容疑者(81)。シャンデリアがきらびやかに輝き、クラブのママやホステスのあこがれだったビルは今、空き室が目立ち、寂しさが漂う。 (池田悌一、加藤益丈)
銀座の中心部に八棟ある丸源ビルのうち、一棟の表看板には約五十の店名がびっしり並ぶ。だが、ホステスと男性客らがひっきりなしに出入りする近隣のビルと違って、人の出入りはまばらだ。
「実際に営業しているのは十店ちょっと。先月も老舗クラブが出て行った。オーナーがビルを手入れしないからボロボロよ。私は年だから、今更ほかでやる気もないけど…」。このビルで長年クラブを営む六十代のママがため息をつく。
夜は暗くて目立たないが、よく見ると、ビルの外壁が一部はがれ、壁をつたう電気コードは風雨にさらされている。東京消防庁は、ビルの防災態勢に不備があるとして、十年以上前から指導を続けてきた。改善がみられないことから今年一月、刑事告発を視野に改善命令を出した。
オイルショックが日本経済を直撃した翌年の一九七四年。地元の福岡県で成功を収めた四十二歳の川本容疑者は、まだ飲食ビルが少なかった銀座の目抜き通りに、十階建てのビルを建てた。その後もビル建設と買収を続け、八〇年までに七棟の丸源ビルが銀座の街を占拠した。
「銀座はどんな外国人でも『おーっ』と興味を持つ。特別な街だ」。逮捕前、本紙の取材にも、銀座へのこだわりを語っていた。
地元の不動産業者は「当時はキャバレーが流行のピークを過ぎ、より小規模なクラブやバーが求められていた。飲食ビルは不足しており、丸源は絶好のタイミングで根を生やした」と振り返る。
絶頂期を迎えたのは八〇年代後半のバブル期。別の業者が「ネオンが派手で、客を案内しやすいメリットもあり、常にテナントで埋まっていた」と話すように、七百店近いクラブやバーが入居していたという。
だがバブル崩壊で、テナントは次々と撤退。川本容疑者は保証金を廉価にするなどしてテナント離れを防いできたが、ここ五年ほどは入居を募っていない。周囲は「飲食ビル経営への熱意を失ったようだ」と口をそろえる。現在入っているのは、ピーク時の一割ほどの八十数店で、ビルは虫食い状態だ。
しかし資産保全への意欲は衰えを知らず、知人男性によると、昨年四月に東京国税局の強制調査が入ってからも「無駄な税金は納める必要はない」と公言。一方で、取材には脱税容疑について「あり得ない」と否定していた。
六本木や赤坂、新宿のビルはすべて売却したが、銀座だけは一棟も手放さなかった川本容疑者。取材に「飲食は卒業して美術のビルとして再生させる。芸術の街にしたい」と、進出から約四十年になる銀座での新たな夢を語っていた。
<丸源ビル> 川本容疑者が1960年代、出身地の福岡県で始めた貸しビルのチェーン。事業を始めた順に番号を付けており、銀座には丸源14ビルをはじめ15、21、24、25、31、53、54の8棟がある。バブル期には六本木や赤坂、福岡・中洲などに約60棟あり、約5900のテナントが入居。現在は二十数棟にとどまり、テナント数は約800。銀座のビルの空室率は5〜6%だが、丸源ビルは90%近くが空いている。
(私のコメント)
貸しビル業界もピンからキリまであって、ピンは財閥系の不動産会社から、キリは私のような零細な貸しビル業者までいろいろあります。個人経営の貸しビル業者もバブルの頃は経済紙でも書かれるほどの著名人もいましたが、バブル崩壊で一人また一人と経営破たんしていきました。丸源ビルは個人経営の貸しビル業者ではトップクラスの貸しビルの帝王と呼ばれるほどでしたが、東京新聞の記事を読むと経営は破綻状態のようだ。
個人の貸しビル業が破綻するのは上手く行き過ぎて手を広げすぎる事であり、確かに開業当初は儲かるし減価償却も沢山できるので利益も出るし、保証金などの纏まったお金が入るので貸しビルってこんなに儲かるのかと思う時でもあります。私はオフィスビルを一棟経営するだけですが、数千万円の保証金が入るし、減価償却で売り上げも多く経費で落とす事ができる。
バブルの頃は保証金も家賃も最高だったから、手元には多くの現金が残される。だから多くのオーナーは新規の貸しビルに手を広げて行くことが出来る。これが一つの罠であり、バブルの崩壊で業務の縮小を図らなければなりませんが、ビルを手放そうと思っても銀行が金を貸さなくなり、ビルは売るに売れなくなり資金の回転が効かなくなり、多くの貸しビルの帝王達は消えていった。
政府日銀の経済運営がまずかったからですが、アメリカのようにFRBがQEをジャンジャンやって金回りを良くして株価は史上最高値まですれば救われた貸しビル業者も沢山いただろう。私なども未だに崖っぷちに立っているようなものであり、逆風が吹けば谷底に突き落とされかねない。未だに経営破たんしないでいられるのが不思議なくらいですが、手を広げなかった事が幸いだったのだと思う。
理想的には、景気状況がまずいと思ったら処分できるものは全部処分して無借金状態にして、現金預金を増やしておくしかないだろう。テナントは次々と出て行くし保証金は返さなければならないし、入ってくる家賃は減る一方になる。丸源ビルもそれで経営破たんしたのでしょうが、手持ち物件を処分しても銀行からの借金は返せない。しかもビルの20年も経つと大修繕工事を次々しなければなりませんが、それを怠るとビルとして使えなくなる。
個人としてビルを経営管理できるのは数棟が限界であり、手を広げすぎると管理が疎かになり空室も多くなっていく。東京でも空室が多くなり窓には「テナント募集」の張り紙が見かけます。借金がなければ空室になっても何とか耐えられますが、テナントが出て行ったまま空室が埋まらないと資金繰りがつかなくなります。設備も電機や空調や水道設備などどんどん更新していかないとビルとして使えなくなります。
だから貸しビル業者としては、手持ち現金を十分に確保して非常事態のために用意しておかなければなりません。私が何とか生き延びてこれたのも、アパート経営が無借金経営であり、利回りも8%以上で確保できて出費をカバーする事ができたからだ。しかしそのアパートも老朽化して大修繕工事をしなければならなくなりました。だから大型の借金を銀行からしなければなりませんが、空室が多ければ銀行は貸してくれないだろう。
だから貸しビル経営も無借金経営が基本であり、利益は積み立てておいて大修繕工事に備えておかなければなりません。コンクリートでも木造でも建物自体はなんともなくても設備は年数が経てば更新していかなければなりません。僅かに残った利益も税金でみんな持っていかれてしまいますが、貸しビル業は他人から見るほど儲かる商売ではなく、運が悪ければ個人の努力ではどうにもならないこともあります。
最近では、アベノミクスが経済政策の話題ですが、昨日も「プライムニュース」ではアベノミクスについてやっていましたが、大学教授や国会議員の先生方では現場の事が分からない。だから私が経済の現場の事をブログで書いているのですが、このようなブログは非常に少なく国家議員の先生方や大学教授などにも読んで欲しいものだ。ではこれからどうしたら日本の経済成長を高めていくかですが、日本の住宅環境は先進国でも最悪だ。
老朽化した木造住宅が果てしなく広がっていますが、郊外では空き家も多くなり、便利な都心への回帰が始まっています。通勤に1時間以上もかけていたら時間の無駄遣いであり、都心のマンションは高層化して、郊外の木造住宅も建て替えて耐久性のある災害に強い住宅にすべきでしょう。このように景気刺激策はいくらでもあるのですが、現場を知らない先生方には分からない。
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