03. 2013年2月28日 02:09:22
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黒田総裁「デフレと円高の悪循環を絶て」2013年2月28日(木) 日経ビジネス編集部 「日銀総裁に黒田氏、副総裁に岩田規氏 政府提示へ」 次期日銀首脳人事について日本経済新聞が2月25日に速報を打つと日経平均株価が急騰するなどマーケットは素早く反応した。最大野党である民主党もこの人事案を容認する方向で、大きな問題がなければ黒田東彦氏が日銀の次期総裁に選ばれる可能性は極めて高くなった。 「日経ビジネス」は2012年12月17日号の編集長インタビューで、アジア開発銀行総裁として黒田氏のインタビューを掲載した。テーマはアジア経済の今後の見通しについてだったが、インタビューした11月16日はちょうど野田佳彦前首相が衆議院を解散した当日だった。当時は「アベノミクス」という言葉が出てくる前だったが、自由民主党の総裁に返り咲いていた安倍晋三氏は積極的な金融緩和政策を訴えていた。こうした経緯もあり、財務省出身である黒田氏への質問は自然と日本の金融政策に及んだ。 本記事では、日銀の金融政策についてかなり踏み込んだ批判を展開している箇所を中心に再度掲載します。 アジアの近未来を見据えた時に、日本の企業経営はどうあるべきだと考えられていますか。 黒田 東彦(くろだ・はるひこ)氏 1944年福岡県生まれ。67年東京大学法学部卒業後、大蔵省(現財務省)入省。71年英オックスフォード大学経済学修士課程修了。財政金融研究所長や国際金融局長を経て、99年から2003年まで財務官。2003年内閣官房参与、同年から一橋大学大学院経済学研究科教授も兼務。2005年にアジア開発銀行の第8代総裁に就任、2011年に再任。フィリピンのマニラにあるアジア開発銀行の本部にいることは少なく、世界各国を飛び回る。 (写真:菅野勝男) 黒田:やはりあらゆる産業分野で付加価値を高めていくしかありません。これは製造業やサービス業に限った話ではなく、農業についても同じことが言えます。
日本の農業の競争力は低いとよく言われますが、日本は賃金水準が高いのですから普通に穀物を作っていても競争力が低いのは当たり前なんです。単に農作物を作り出すのではなく、ブランド力を高めてより高く売れるようにする。そうすればその農家の所得を引き上げることができます。 その意味で私が注目しているのは観光業です。観光業は所得が低い国でも高い国でも成立しています。それはなぜかというと、それぞれの観光地でコンテンツが異なるからですね。歴史的な名所旧跡を巡るものもあれば、自然を満喫するものもある。例えば、スイスのように世界に冠たる高所得国でも観光業は重要な産業と位置づけられています。付加価値を高めることができれば、賃金水準が高くとも十分な利益を出していけるということです。 日本は名目の賃金は上がっていないと言われていますが、実質的な賃金は上がっています。人口が減っていることを差し引けば、1人当たりのGDPは米国や欧州とほとんど同じように伸びています。 一人ひとりの日本人は頑張っているということですね。 黒田:そうです。日本全体で見れば確かにGDPは伸び悩んでいますが、人口や労働人口が減っていることを考慮すれば十分に頑張っている。だから、将来の見通しが全く立たないということではなくて、付加価値を高めていくために新しいテクノロジーや新しいマーケットを追求していくことが重要になってくるのです。 デフレと円高の悪循環を絶て 黒田:だからこそ政府が企業を強化するための環境を作ることが重要なのです。農業やサービス業向けにさらなる規制緩和は必要ですが、何と言っても円高とデフレの悪循環を断つことが求められています。企業が一定の計算をして投資しても、円高が進みその後にデフレになってしまうとその前提条件が崩れてしまいます。これでは企業が安心して事業を継続することができません。やはり、政府と日銀が一体となって円高とデフレの悪循環を終わらせる必要があります。 どのように金融政策を進めるべきでしょうか。 (写真:菅野勝男) 黒田:一番重要なのは、絶対にデフレを克服するんだという強い意志を表明することだと思います。
例えば米連邦準備理事会(FRB)は量的緩和を3度にわたって実施してきましたが、特にQE3では景気が回復し、失業率が減るまではMBS(住宅ローン担保証券)を金額の上限を設けずにいくらでも買い取ると発表しました。欧州中央銀行(ECB)のOMT(アウトライト・マネタリー・トランザクション)にしても、要請があれば国債価格の下落を食い止めるために当該国の国債を無制限に購入すると宣言しています。このように、目的が達成されるまでは無制限にやるという意志を表明することが非常に重要なのです。 日本に今求められているのはデフレの克服であるはずです。それでは物価の上昇がどの程度になればデフレを克服したと言えるのか。「2%で十分」とか、「3%は必要なんじゃないか」とテクニカルな議論はいろいろとあります。けれど、ポイントは何度も繰り返しになりますが、その問題が解決されるまではいくらでも何でもやるという姿勢を日銀が示して、市場をコンビンス(信頼)させることなのです。 一応、日銀は「中長期の物価安定のメド」としてCPI(消費者物価指数)の1%上昇を目指しています。 黒田:あれだって全然コミットメントがないでしょう。マーケットはコミットメントがあるかどうかを見ているわけですよ。「目標を1年で実現します」とか「実現しなかったら辞めます」とか。そのコミットメントがあるかどうかだけをマーケットは注視しているんです。今さら見通しを言ったって、そんなの全然信用されませんよ。 日本は15年近くデフレが続いてきたんですから、「これからは物価が1%ずつ上昇します」と言われてもそんなの誰が信じますかね。テクニカルには中央銀行がいろいろとお考えなんでしょうが、やはりデフレ克服の目標をはっきりとさせて、それを達成するまでは必要な施策を何でもやることです。 物価が年々下がっていくのは異常な事態です。経済協力開発機構(OECD)の中では日本だけですからね。これは企業の足をものすごく引っ張っている。 黒田総裁はいわゆるインフレターゲット論者と呼んでいいのですか。 黒田:私はそんなに強いターゲット論者ではないですけれど、これだけデフレが続いてきて、何の当てもなく単にデフレを克服しますと言っても、マーケットから見たら全然意味がないでしょう。だから落ちてきた物価水準をここまで戻しますとか、きちんとクリアなコミットメントを示すことが求められているはずです。 もちろん金融政策というのは基本的にフレキシブルであることが望ましくて、物価だけじゃなく景気とか金融システムの安定性なども考慮して政策を決めなければなりません。今、日本の金融機関は米欧と比べても一番健全なところに来ているわけですからね。何が最大の問題かと言えば、間違いなくデフレの克服ですよね。 円の為替レートについて、政府が市場に介入しすぎることを懸念している人もいます。 黒田:為替レートも実体経済と懸け離れてしまっていることが問題なのです。マクロ経済全体の中で適切な為替レートというのがあって、その水準から乖離して推移すると経済にとって好ましくありません。ですから円安にすべきと言ったって、1ドルが1000円になったら日本経済が持つわけがないのです。だから何が何でも円高とか、何が何でも円安というのは経済のロジックではない。 今のマクロ経済の実態から言えば、今の為替レートは明らかに適切ではない。円の価値がオーバーバリュー(過大評価)されていることは国際通貨基金(IMF)も認めていることです。円高のままであれば輸入業者は儲かるとか言う人がいますが、今の円高水準が行き過ぎているのは事実です。デフレ、円高、デフレ、円高という悪い循環をずっと繰り返してきたのが日本経済の問題点なのです。 (「日経ビジネス」2012年12月17日号48−51ページの一部を再掲載しました)
賃上げは来年まで待つべきです 宮原耕治・経団連副会長(日本郵船会長)に聞く 2013年2月28日(木) 日野 なおみ 、 渡辺 康仁 労働側がデフレ脱却へ賃上げを求めるのに対し、経営側は企業収益の改善が前提との姿勢を崩さない。宮原耕治・経団連副会長(日本郵船会長)は賃上げができるようになるまでには、あと1年待つべきだと主張する。 大胆な金融緩和、機動的な財政支出、成長戦略の3本の矢を通じてデフレ脱却を目指すアベノミクスをどう評価していますか。 (写真:古立康三、以下同) 宮原:3本の矢というのは非常に良い表現をされたと思います。小難しい理屈やイデオロギーではなく、分かりやすい形で出されたのが良かったのでしょう。だからこそ、市場が反応して円相場や株価も動きました。政府や自民党の布陣も重厚で、経済財政諮問会議や産業競争力会議などをうまく組み合わせてやっていくこともイメージとして伝わってきます。期待は高まっていますので、是非、応えてもらいたいですね。
3本の矢のうち、金融緩和と財政出動はクルマで言うとメインエンジンを始動させるセルモーターの役割です。民間の経済活動というメインエンジンが回りだして、初めてスムーズに走り始めます。そうなれば国の富が増えて企業収益も上がり、人件費にも還元できる状況になる。民主導の成長のためには、やはり国が成長戦略に真剣に取り組むことが必要です。 財政出動と言うと、公共事業の復活という言葉が踊りますが、やらなければいけない公共事業はやるべきです。何よりも東日本大震災からの復旧・復興です。安倍晋三政権は本気で取り組むと言っています。さらに、戦後の高度成長期に急いで作ったインフラが点検や更新の時期を迎えています。経済効果は踏まえるべきですが、公共事業を増やすのは望ましいことだと考えています。 発電所の建設や道路、港湾、橋梁の整備は日本のお家芸です。これを新興国が欲しています。公共事業で培ったノウハウをインフラ輸出につなげていくこともできます。 日本企業の「六重苦」は解消に向かいそうですか。 宮原:まず指摘したいのはエネルギーコストです。コストが上がるとボディブローのように日本の経済・企業活動にダメージを与えます。それを恐れて日本での投資に二の足を踏む経営者はたくさんいます。適正なエネルギーミックスについて早くコンセンサスを得なければなりません。原子力発電所についても、1つずつ丁寧に検査をしたうえで、安全が確認されたものは再稼働していくべきでしょう。 デフレだから賃金が上がらない 輸出産業を中心に円安のメリットが出てくるのはこれからです。ただ、円安が行き過ぎると、LNG(液化天然ガス)の調達コストが膨らむなどのデメリットも生じてしまいます。こうしたデメリットを上回るメリットが得られれば円安は歓迎すべきものです。様々な人の話を聞くと、その分岐点は1ドル=100円から110円くらいではないかと思います。 企業の競争力に関して、最後まで残るのが法人税の高さです。法人税率の世界標準はおおよそ25%。15%違えば、汗の結晶の利益から15%余計に持っていかれてしまいます。世界標準からすると1周や2周は遅れています。早く国際標準にしてほしいですね。 安倍政権は賃金を上げた企業の法人税負担を軽減します。効果は見込めますか。 宮原:姿勢としては評価できます。賃金を上げて購買力を高め、経済の活性化につなげるという発想はいいのではないでしょうか。ただ、別の言い方をすると、この税制ができたからといって、企業の成長力が高まるわけではありません。制度を続けている間に企業が成長の道筋を作り、具体化していくことが重要だと理解しています。 日本中の企業の7割は法人税を払っていません。特に中小企業の皆さんにとっては、法人税の軽減は絵に描いた餅に終わりかねません。法人税の負担が軽くなるから、賃金を上げようと考える経営者はいないのではないでしょうか。 労働側はデフレ脱却のためには賃上げが必要だと主張しています。 宮原:連合の方々とお話をしましたが、賃金を上げないからデフレになっているとおっしゃる。しかし、それは違うのではないでしょうか。デフレの原因は色々あります。総需要が足りないとか、金融緩和の度合いが足りなかったということも考えられます。賃金を上げないから20年来のデフレになったのではなく、デフレという現象があるから賃金が上がらない。逆なんですね。 経営者も全部溜め込めばいいのではなく、適正な配分をしなければなりません。配分の原資である収益が上がらないから、賃金を上げたくても上げられない状況なのです。特に地方は連合の皆さんが考えている以上に厳しい。雇用を守るのが精一杯です。 賃金については、ベースアップはもちろん出来ないし、定期昇給もすべての企業がそのカーブの通りに上げられるかどうかは分かりません。定昇の一部延期や凍結をお願いしなければならないところはあります。 幸い、アベノミクスで向こうの空には青空が見えてきました。しかし、足元はまだ凍ったままです。いま大事なのは凍った道を滑らずに前に行くことです。経営者も労働側も我慢して、この道を安全に渡りきって、次の成長の軌道に乗せていく。そのために、よく話し合いをしなければなりません。労と使はパートナーです。企業収益という根っこを増やさないといけないのです。 従業員への還元は賞与・一時金で 日本経済を成長させるために、2つのことが重要になります。1つはこれから圧倒的に成長するアジアの新興国で稼ぐことです。もう1つは内需型の成長産業を国が本気で育てていくことです。その候補は農業、教育・保育、介護・医療です。農業は若い人がビジネスとして取り組めるようにしていくべきです。規模の集約や企業化のために農地法や農協法の規制を緩和することも必要です。保育や介護も、施設整備や資格取得などの面で規制を緩和してもらいたいものです。 足元の円安で企業収益が改善すれば賃上げの可能性も出てきますか。 宮原:私が言いたいのは来年まで待とうよ、ということです。アベノミクスは素晴らしい滑り出しを見せており、今までなかった成果を上げてくれると期待しています。しかし、3カ月や半年で際立った成果を出せというのは無理です。
実際に労使交渉をやっているわけではありませんが、1年たって企業業績が伸びて、配分の原資が増えれば当然賃金は上がるでしょう。向こうに青空が見えたからすぐに上げるのは無理です。足元を見ても、エネルギー問題1つ片付いていません。 足元の円高修正が効いてくるまでに半年はかかります。今まで1ドル=70円台で輸出の契約をしていたとしましょう。仮に100円で行けると確信が持てたら、100円で計算した見積もりを出せるようになる。交渉には1〜2カ月かかるでしょうから、契約して製品が出て売り上げが入るまでには半年はかかります。 アベノミクスによる金融緩和にしても財政出動にしても、結果が見えるように出てくるまでに1年は必要です。今まで20年も出てこなかったわけですから、1年で出てくれば十分だと思います。パッケージ型の政策ですから、3〜4年は続けてやってもらいたいと思いますね。 2000年代初めの戦後最長の景気回復局面では、結局賃金は伸びませんでした。1年待つと本当に増えますか。 宮原:あの時はボーナスは増えました。海外を見ても、元々、定昇がある国はほとんどありません。日本は戦後の復興期にゼロからスタートし、若い人が結婚して家庭を持って子どもを育てるために賃金カーブができました。状況はだいぶ変わってきましたが、我々は根こそぎ止めてしまおうとは言っていません。 賃金カーブというものは、今でもそれなりの意義はあります。しかし、それは会社によって地域によって色々と異なる。労使で絶え間なく見直して、変えるべきところは変えた方がいいのです。賃金カーブをいったん変えるとベースも上がりますから、次の年が悪くても下げようがなくなります。利益変動の部分は賞与・一時金で従業員に還元しましょうというのは定着していると思います。来年以降も賞与・一時金で期待できるのではないでしょうか。 物価上昇なら考慮する必要も アベノミクスによって物価が上がってきたら、賃金にも反映しますか。 宮原:いまの状況と違うことになるでしょうから、それはそれで考慮する必要が出てくるかもしれません。物価だけ上がって企業も従業員も苦しくなるというのでは意味がありません。日本経済全体の体温が温まって、地方の隅々まで企業活動が盛んになって初めて物価上昇率は2%に届くはずです。 最初に上がらなければならないのはやはり企業収益ですか。 宮原:そうだと思います。ただ、企業収益が上がっても従業員の賃金に全部いくわけではありません。税の支払いも増えますし、投資もしていくことになるでしょう。日本の企業は内部留保をたくさんしているという統計もありますが、どこに投資をするか、何に投資をするか、確信が持てない状況だと思います。国内で投資が盛んになって、自動車や電機などのメーカーが雇用をたくさん抱えるような工場ができることが理想形です。 日野 なおみ(ひの・なおみ) 日経ビジネス記者。 渡辺 康仁(わたなべ・やすひと) 日経ビジネス副編集長 徹底検証 アベノミクス
日本経済の閉塞感を円安・株高が一変させた。世界の投資家や政府も久方ぶりに日本に熱い視線を注ぐ。安倍晋三首相の経済政策は日本をデフレから救い出す究極の秘策か、それとも期待を振りまくだけに終わるのか。識者へのインタビューなどから、アベノミクスの行方を探る。
【第30回】 2013年2月28日 山田厚史 [ジャーナリスト 元朝日新聞編集委員] 恐いのは「関税」より「非関税障壁」 日米首脳会談の盲点 再選を果たしたオバマ大統領、再挑戦の安部首相。初顔合わせの首脳会談は、日米双方の外交姿勢が鮮明に現れた。米国は攻めの外交。国内を守りながら日本市場を取りに行く戦略性を鮮明にした。日本は、米国にすがる外交が露わに。国内を説得するためTPP関連では「関税撤廃に聖域」があるかのような表現を共同声明に入れてもらった。
焦点はもはや、「関税撤廃の聖域」ではない、ということに多くの国民は気付いていない。実は「非関税障壁」がより問題にされている。コメよりも、保険、医薬品、遺伝子組み替えなどに米国の標的は移った。 昨年2月、このコラムに「TTP=自由貿易」の嘘、という題で事前協議が米国のむちゃくちゃな論理で行われていることを指摘した。今回も同じだ。 首脳会談での一芝居 安倍首相はひらすら「交渉に聖域がある」という言質をオバマに求め、「米国も聖域に理解を示した」と土産を持ち帰ることで、TPP交渉参加への道を開こうとした。 そんな日本の事情を熟知した米国は1月下旬、各国の政府関係者が集まるスイスのダボス会議で、カーク通商代表が茂木経産相に「日本車の輸入関税を続ける」と通告した。 「政府内は戸惑いと安堵という複雑な反応だった」と、政府関係者は明かす。 自動車の関税を残すTTPとは一体何なのだ、という声が上がる一方で「これで交渉参加へ道が開ける」と外交関係者は胸をなで下ろした、という。 舞台裏で進んだ根回しの結果、安倍首相は「聖域なき関税撤廃というのでは日本の国益は守れない。首脳会談で私が直接オバマ大統領に確かめ、(聖域があるという)心証を得てきたい」と国会などで繰り返し発言するようになった。 自動車関税継続の通告で「聖域化」は既に決まっていた。そこを伏せて、首脳会談で心証を引き出すと芝居をうった。 今や通商交渉のテーマは非関税障壁 工業品の代表である自動車に関税を残すというのでは、TTPが唱える「高いレベルの自由化」は空文化するのではないか。今回のポイントはここにある。 実は、TTPの主課題は今や関税ではない。世界の通商交渉のテーマは、すでに非関税障壁、投資保護、知的所有権、紛争処理など関税以外の分野に移っている。 「関税引き下げ」が自由貿易の代名詞のように使われていたのは、米国が最強の輸出国だったころからだ。米国の主導でケネディラウンドと呼ばれる一括関税交渉が始まったのは1960年代。ガットのウルグアイラウンドを経て、ほぼ落ち着くところに達したのが現状だ。残るは「センシティブ・マター」と呼ばれる各国の政治案件だ。日本のコメと同様の課題をそれぞれの国が抱え、突っつきすぎると交渉の枠組みが壊れかねない。 関税は途上国に市場開放を迫る道具としては今も有効とされるが、先進国間では自由貿易の旗を振るアメリカでさえ、自動車産業などが「関税保護」に頼り、関税交渉の時代は終わったというのが現実だ。 そこでアメリカは他国の市場をこじ開ける「新しい道具」を用意した。分かりやすい例が「日米構造協議」であり「対日経済要求」である。「あなたの国はこんなにおかしな制度だから、米国企業の活動の自由が妨げられている。直しなさい」というやり方だ。 こうした2国間協議をアジア太平洋で丸ごと仕組み化しようというのがTPPだ。 もともとシンガポール、ニュージーランドなど産業がぶつかり合わない4ヵ国でやっていた取り組みに米国が乗り込んで、主導権を取った。 米国の国家情報会議(NIC)が昨年末にまとめた「2030年グローバルトレンド」は、今後30年間で文明の重心は米国からアジアに移るという。産業革命から始まった西洋の隆盛が反転し、世界経済や政治でアジアが復興する、と予測している。 米国はこうした大局観から国家戦略を構築する。狙いはアジアだが、そこには中国が控えている。「制度を変えろ」と要求しても、従う国ではない。 そこでアジア地域の経済改革を、非中国の国家群で先行させようというのがTTPである。平たく言えば「アジアにおける米国主導の経済同盟」である。 仲間であり利害対立を抱える当事者 当然「日本も入れ」となる。だがこの同盟は必然的に抱える難問がある。「仲間であり利害対立を抱える当事者」という複雑な関係だ。 今回の首脳会談にもそれが滲み出た。安倍首相は民主党政権がこじらせた日米関係を修復して存在感を示したい。領土問題で争う中国への対抗上、米国と緊密な関係を強調したい。 そのためには「忠誠の証し」が必要となる。自民党内は国内での反対を押し切って交渉に参加する意思表示が、交渉の予備段階で米国に示され、共同声明の文案が作られた。 「すべての関税撤廃をあらかじめ約束するよう求められるものではない」という表現で「聖域があります」と読めるようにした。ここまでは同盟関係である。 その裏に「利害対立」が潜む。声明に盛られた以下の部分だ。 「両政府は、TTP参加への日本のありうべき関心についての2国間協議を継続する。これらの協議は進展を見せているが、自動車部門や保険部門に関する残された懸案事項に対処し、その他の非関税障壁に対処し、TPPの高い水準を満たすことについての作業を完了することを含め、解決する作業が残されている」 さらっと読むと素人には分かりにくいが、やさしく言えば次のようになことだ。 「コメなど農産物に特段の配慮してもらえるならTPPに参加したい、という日本の事情は日米でさらに話し合いましょう。でもそのための条件として米国が要求している自動車と保険の問題に決着がついていない。懸案となっている非関税障壁の問題も含め、外国企業が日本で自由な活動が出来るよう制度やルールを変える仕事がまだ残っています」 両国間には、まだ決着しない利害対立が残っていますよ、と書いてある。 それでも帰国した安倍首相は同盟関係を重視し、交渉参加へと舵を切った。反対の声が多かった自民党も「首相一任」。TTP交渉参加に弾みがついた。 アメリカの真の狙い だが、聖域が残れば、問題はないのか。そうでないからTTPはややこしい。 政界・国会・メディアで取り上げられているTTP問題は、いつもコメに象徴される農業問題であり、防波堤となっている関税問題だ。反対するのは農協であり農林議員という構造で描かれる。無策の農政、既得権にしがみつく農業団体や経営感覚のない農民。旧態依然たる産業が、構造改革に抵抗しているので日本の強みであるモノ作りの強みを世界で発揮できない――という分かりやすいストーリーで描かれている。 確かに農業には問題がある。TPPがあろうとなかろうと改善しなければいけない課題は山積している。だがTTP問題のキモは農業に関係する関税でもなければ、関税に例外措置を設ければ打撃を回避できる問題でもない。 コメ問題は「敵は本能寺」なのである。アメリカの真の狙いは非関税障壁と投資だ。察するところ戦略的ターゲットは、医薬品認可基準の変更、保険ビジネスへの参入、とりわけ医療保険ビジネスを広げるため国民健康保険制度に風穴を空けること。そして遺伝子組み替え食品の表示を取り外し、日本で遺伝子組み替え種子のビジネスを展開することなどが予想される。 ここで「推察」とか「予想」とかの表現を使っているのは、交渉の実態が明らかにされていないからだ。TPP交渉は秘密交渉で行われ、参加国でも交渉の全貌は明らかにされていない。日米間で行われている事前協議でも、米国側から「日本車への輸入関税継続」が通告されながら、国民や国会に伏せられていた。 オバマ政権は、アジア市場に製品やサービスを売ることで輸出と雇用を増加させる、という分かりやすい政策を米国民に約束している。米国の強い産業が自由に活躍できる制度的インフラを、市場たるアジアに広げる。それがTTPの狙いだ。 競争はあっていい。だが、自分たちの都合の悪い制度や仕組みを潰しに掛かるようなことがあるなら、受け入れることはできない。それが「利害のぶつかり合い」だ。 国民健康保険制度が標的か 分かりやすいのが日本の国民健康保険だ。日本国内では財政問題など難点が指摘されるが、世界水準で見れば「優れモノ」である。日本が長寿国になったのも国民健康保険があったからだ。 一方、民間の保険産業を見れば、米国の保険会社は圧倒的な力を持っている。いま米国の保険産業はアジアを目指す。日本でも急進している。だが得意分野の医療保険が日本ではさっぱりだ。国民健康保険がほぼすべての国民をカバーしているので、入り込む余地がない。国民健康保険が壊れれば民間保険を売ることができる。 英国ではサッチャー政権の時、それが起きた。財政削減で国民健康保険でカバーできる医療が劣化し、きちんとした医療を受けるには民間の保険を買うしかなかった。制度の崩壊は保険会社にとってビジネスチャンスだ。 米国の論理で言えば、財政が支援している国民健康保険は「民業圧迫」で、優れた保険商品を扱う米国の保険会社の活動を妨げる「非関税障壁」となる。今は、日本国民が国保を支持しているので、そこまでの主張はしないが、国保が財政的に衰退すれば状況は変わる。 その原型が事前協議の「保険問題」にある。米国は政府が株主である日本郵政の子会社であるかんぽ生命が売るガン保険などを止めるよう求めている。政府の信用で全国展開のビジネスをするのは「非関税障壁」だというのだ。この論法は、やがて国民健康保険でも使われるのではないか。 医療関係は米国が強い。薬品も同じだ。今の薬品価格は厚労省が低く抑えている。これでは儲からない。これも非関税障壁になり、撤廃されれば薬価は上がり、国民健康保険の財政も危うくなる。 表示で差別するのは非関税障壁!? 注目したいのが「遺伝子組み替え食品」だ。害虫に喰われない農産物を作るため遺伝子組み替えの種子が米国では一般化し、いまや穀物地帯の南米まで席巻している。ムシが付かない防虫効果が人にどんな影響を与えるのか、まだはっきりしない。 日本では作付けは認められていないが、遺伝子組み替えの大豆を輸入して作った醤油やみそなどが売られている。こうした状況に消費者は敏感になり、「遺伝子組み替え食品は使っていません」と表示した商品に関心が高まっている。米国はこの表示を問題にしている。「表示で差別するのは非関税障壁」というのだろうか。 背後には遺伝子組み替え種子で世界制覇を目指すモンサント社がある、とされる。この問題はいずれ改めて書く。 ワシントンで石を投げればロビイストに当たる、というほど米国議会は業界のロビー活動が盛んだ。民主党も共和党も国会の議決に党議拘束はない。業界ビジネスがストレートに経済外交に反映し、米国の世界戦略と一体となって進んでいる。 それは米国のお国柄だが、他国が築き上げた制度や消費文化を破壊して攻め込むのは歓迎できない。開かれた貿易体制を目指すTTP交渉なら、国民に情報を開示して判断を仰ぐことが必要だろう。 メディアも、表で騒がれていることばかり追うのではなく、裏で秘密裏に進む重大事案を描き出す努力が必要だと、つくづく思う。
【第172回】 2013年2月28日 田中秀征 [元経済企画庁長官、福山大学客員教授] 日銀総裁人事とTPP参加 懸案に挑む安倍首相に死角はあるか 今回の日米首脳会談は一定の成果があったと評価できる。 何よりも、安倍晋三首相とオバマ米大統領の間で信頼関係が構築される出発点となったことは大きい。 最初は2人の間にぎこちなさが感じられたと報道されているが、それはオバマ大統領に少なからず誤解があったからだと推察する。 今までの外交・安保政策に関する発言。ウルトラ・ナショナリストというメディアからのレッテル。大統領から見ると、米共和党の最右翼の政治家と同類に映っても不思議ではない。それに、かつて第一次内閣ではブッシュ米大統領の相手の1人であった。同じ党名の民主党の首相とは思想的に距離があると思われただろう。 オバマ大統領にこんな先入観や違和感があったとしても、昼食や会談を通じてそれが払拭され、首相が「かなり手応えのある会談」と言えるほど相互の理解が進んだことはよかった。 3月上旬にもTPP参加を表明 参院選では「例外品目」が争点に さて、今回の会談では、首相のTPP参加問題への対応が特に注目された。 結局、会談の核心部分は共同声明に「一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではない」と明記。これで首相は「聖域なき関税撤廃が前提ではない認識に立った」と表明。総選挙での自民党の公約に沿うものと強調した。 共同声明と会談内容を総合すると、「協議の対象に例外品目は認めないが、協議の結果として例外品目を認める可能性もある」ということだろうか。 首相は、電光石火、党役員会で一任を取り付け、これから国内での説明を尽くし、3月中にもTPP参加を表明する意向らしい。そして、TPP関係国との協議や手続きを経て、参院選前の6月にも日本の交渉への正式参加が決定する見通しとなった。 問題は、具体的に目指す「例外品目」は何か、ということだ。 おそらく、参院選に際して、地方、団体、政党、国会議員から具体的な約束を厳しく迫られ、参院選の主要な争点となることは間違いない。 特に、その頃、アベノミクスが足踏みでもしていれば思いがけない展開にも成り得る。今回のイタリア総選挙の結果によって、世界経済は大きく揺れているように、夏場の経済状況に楽観は禁物だ。 今回の日銀総裁人事が “財務省の天下り”に道を開く恐れも さて、25日、安倍首相は、日銀総裁人事案として、黒田東彦総裁、岩田規久男、中曽宏両副総裁を与党に提示した。 首相自身の政策の方向性はもちろん、財務省、日銀などへの周到な配慮が見られる妙案のように見える。 今のところ、民主党からも表立った反対意見もないので、意外なほどあっさりと参議院でも同意が得られるかもしれない。 しかし、1つの明確な政策を託されて総裁に就任する例がかつてあったか、私は知らない。もし万が一、意図するところが不首尾に終わった場合に、一体5年の任期はどうなるのか。「2%の物価目標」が壮大な実験であることを思えば不安も消えない。 黒田氏は主計畑の人ではなく、国際金融畑の人。だが、財務省OBであることには変わりはない。財務省と重要な金融政策で意見の違いがある場合、結局は折れて財政当局の意向に従うことになるのではないか。また今回の人事は、財務省が、日銀総裁へのかつての天下りの既得権奪回に道を開くもの。表向きはともかく、陰では歓喜の渦が生じているだろう。 ところで、この総裁人事が国会ですんなりと認められたにせよ、今後の首相の政権運営にとって必ずしもプラスとは言い切れない。 安倍内閣は依然として快進撃を続け、首相の万全の準備と迅速な決断も好感されているが、それ以上に野党のふがいなさが大きく幸いしている。 海江田(万里)民主党は党大会を開いたものの熱気は一向に伝わってこない。最大野党が茫然としていれば、安倍政権はブレーキのない車のようになってしまう。それは安倍政権にとっても野党にとっても実に不幸なことである。
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