06. 2013年2月26日 14:05:51
: xEBOc6ttRg
通貨戦争と国際政策協調のどちらが優れているのか 以下は、Barry Eichengreenの最近の論文”Currency War or International Policy Coordination?(※リンク先PDF)” (January 2013) の全訳です。あまり分量のあるものではないので全訳にしましたが、1ポストとしては長めです。最後の結論部が全体をサマライズしていますので、時間のない方はそちらから読まれてもいいかと思います。また、参考文献リストは省略しましたので、要すれば原文を参照願います。バリー・アイケングリーン カリフォルニア大学バークレー校 2013年1月 1.はじめに(Introduction) 「通貨戦争」は消えることのないミームになろう。この用語はブラジルの財務大臣グイド・マンテガが2010年9月にアメリカの量的緩和に対して使ったのが始まりである。マンテガのこの時の批判は、デフレを回避し、不景気にある経済を刺激するためのFEDの非伝統的金融政策は近隣窮乏化策であるというものだった。そうした政策は新興市場へのキャピタルフローの津波を解き放ち、その結果インフレ、通貨高、競争力の低下、たちの悪い資産価格の上昇圧力を引き起こした。2012春にはブラジル大統領ジルマ・ルセフがこの用語を引いて財務大臣の批判に重ねた上に、彼女は同年にホワイトハウスを訪れた際もそれを口にした。2012年末と2013年初に日本銀行が資産の大量買入れを発表し、新たに就任した安倍晋三首相が日本銀行のインフレ目標値の引き上げをしようとした際には、おもに日本の近隣アジア諸国から、不法な通貨戦争を引き起こしているとの批判が出た。[1] これらの批判は政策についてどのような含意を持っているであろうか。第一には、おそらくはブラジルの指導者の頭にあったように、これらの非伝統的金融政策は先進国の経済の回復と成長を加速させるという目標を達成するのには役に立たない一方、新興市場にマイナスの波及効果があるため、取りやめるべきというものだ。もう一つは著しく異なっており、非伝統的金融政策は先進国経済にプラスの影響があるとともに、他国にマイナスの波及効果を及ぼすというものだ。後者の場合には、アメリカのような国々にとって、非伝統的政策を取りやめるのがファーストベストの手段であるかは定かではなくなる。むしろ他国がマイナスの波及効果を中和するように政策を調整するのが最適解ともなりうる。 しかし、それぞれが一方的行為をとる国々がファーストベストのグローバル均衡を達成できる状況というのは限られている。この論点については、今や多くなった国際政策協調に関する論文(Hamada 1976, Cooper 1984, Meyer, Doyle, Gagnon and Henderson 2002)のおかげで広く知られている。非金銭的な波及効果が引き起こす別の経済的歪みが存在し、自らの政策によって互いに影響を及ぼすほど各国が個々もしくは集団で十分に大きい場合において、一方的行為及び反応は最適な結果をもたらさない場合がある。この場合には国際的に強調した相互的な政策調整である国際協調が、パレート最適よりも優れた結果をもたらすことができる。ここでさらに、国際協調から得られる利得は大きいのか小さいのかという問いが出てくるが、多くの学術論文は後者の方を示している。 こうした今日における議論には、利子率がゼロに近づき国の金融政策が近隣窮乏化と批判され、国際政策調整による利得だけが最後に残されたと解されている1930年代における例と類似点がある。[2] 問題は、この従来的な解釈が実際のところ1930年代に起こったことを正確に捉えているかどうかということであり、したがって当時の教訓は今日においても適用できるのかという点である。 2.過去の状況(The Story Then) Eichengreen and Sachs (1985, 1986)では、歴史的事実と2国間マンデル・フレミング・モデルを使用し、1930年代における貨幣・為替政策の国内及び国際的な影響を分析している。このモデルにおいて、貨幣拡張の国内へ影響は多くの経路を通じて波及している。すなわち、実質資産価格(トービンのq)を上昇させたことによる投資の刺激、デフレを抑えたことによる債務負担と利益圧迫の軽減、将来のインフレ期待の上昇による家計消費の将来から現時点への移転、実質為替レートの減価をもたらすことによる純輸出への刺激、国内製品へのさらなる需要増を引き起こしたのである。 国際比較による証拠と国内事例研究も同様に、顕著な国内的な効果の存在を確認している。金本位制度を止めた国においては、その国の通貨が減価し、国内の貨幣供給と信用が増加したことによって、金本位制度を継続した国よりも早く大恐慌から回復している。それらの国による金本位制停止決定の時期と景気回復の時期には強い相関がある。 この事実は当然ながら、伝統的もしくは非伝統的な手段による貨幣拡大は金利がゼロ近傍である状況においては無効であるという見解と相反するものである。したがって、貨幣政策がなぜ流動性の罠のような状況において効果があったのかは精確に考えるに値する。これには3通りの説明がある。第一の説明は、各国の中央銀行は我々が現在「先行き見通し(forward guidane)」と呼んでいるものを実施したというものである。彼らは貨幣と信用を拡大し、平常化の条件を満たしたと思われるまで自国通貨建ての金価格を引き上げることによって、低金利を続けることにコミットした。金本位制度からの離脱は、このコミットメントを示すための断固としたもっとも重要な方法であった。これは貨幣制度における劇的で永続的な変化とみなされたのである。[3] アメリカにおいては、フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領はデフレ期待を克服するために金の購入を行い、(その当時の状況においては)健全なレベルのインフレ期待に変化させた。イギリスにおいては、イングランド銀行が、正常な状態に回復したとみなされるまで金利を2%に据え続けることをコミットする、「安い貨幣」と呼ばれる政策を実施した。[4] スウェーデンでは、政府及び中央銀行が金本位制の代わりに明示的な価格水準目標を採用した。日本においては、政府がリフレ的な貨幣政策を公的支出の急増によって支え、それはさらに新たな政策レジームを強調するものであった。これら全ての国において、依然として金本位制度を採用している国々の通貨に対する減価は、スヴェンソン(2003)が言うところの将来価格の上昇への望まれた期待(the desired expectations of a higher future price level)を導くために有効であった。 第二の説明は、貨幣政策の変更は資産価格に対してプラスの効果があり、したがって投資に対しても同様の効果があったというものである。資産価格は貨幣制度の変更に対して即座に反応した。投資とともに工業生産も資産価格の変化にすぐさま反応した。当時も現在と同様に、中央銀行が資産価格を持続不可能なレベルにまで押し上げることについては「バブルを膨らませる」として批判があったが、とりわけ株価が非常に低水準にまで落ち込んでいることを鑑みれば、そうした批判を真面目に受け入れるのは難しい。ともかく、投資と産出が破滅的な低水準にまで落ち込んだ時期において、この資産価格効果が少なくとも穏やかかつ有益な効果を持っていたことに疑念の余地はほとんどない。 第三の、そして最も議論の余地のある説明は、競争力に対する実質為替レート効果である。金本位制度を廃止して通貨の減価に向かった国々は金本位制度に留まった国に関連する輸出を拡大することができた。ある国の輸出の拡大はそれ以外の国における経済問題の悪化という犠牲の上で成立するという理由から、この経路は議論を呼んでいる。実際のところ金本位制度を廃止した国々が1929年時点のレベルにまで輸出量を回復させるのは1930年代半ばであったという事実は、少なくともこれが双方向の効果を持っていたということを反映している。 もし1930年代における非伝統的金融政策の自国に対する影響が明らかにプラスであったのであれば、それを相殺する効果が存在するために全体的な国際間の波及効果については明らかではない。直接的な実質為替レート効果による国際間の波及効果は、上述したようにマイナスだった。為替レートが減価した国における輸出力強化は、その国の貿易相手国の各国に対する輸出競争力を悪化させたが、この波及効果の大きさは国内製品と外国製品の代替性の大きさに依る。対照的に、貨幣と信用の増加による国際間の波及効果はプラスであった。通貨減価国からの資本流出(もしくは少なくともより早期の資本流入の減少)は、その他の条件が一定である場合には他国の貨幣・信用市場の状態を緩め、デフレ期待を和らげることに寄与した。[5] しかし、輸出競争力効果が優位を占めた可能性は高い。計測作業と歴史研究の双方が全体としての波及効果はマイナスだったことを示唆している。 異なる全ての国々が同一のデフレショックを受けた場合において、最適な対外政策は貨幣拡大と貨幣拡大同士、通貨減価と通貨減価同士を対応させることである。イギリスの主要な貿易・金融相手国が多くを占める24カ国は、ポンドに合わせて自国通貨を下落させる対応をとった。それ以外の国においては、歴史を鑑みるに、政治とイデオロギーがこのファーストベストの対応策に頼ることを遅らせ、場合によっては除外することさえした。後者の国のうちの一部は、需要を自国の生産者へ向かわせるように仕向けた資本及び貿易規制によって対応する立場をとった。[6] この対応は、自国とその相手国の双方においてファーストベストの対応策よりも劣っていた。[7] 協調のとれた国際的対応(international coordinated response)と当時呼ばれ、それ以降そう呼ばれ続けることになった対応策はよりそれよりは良い結果を招いたことだろう。しかし、各国経済を脅かす対照的なデフレ貨幣ショックに際しては、一国における一方的なファーストベストの対応の合計が世界的な最適解でもあった。明示的な調整はそこに至るのには必要ではなかった。数少ない例外を除いて、各国はこうした政策のセット(金に対する自国通貨の減価が全てだが、普遍であった)に1936年までには辿り着いた。 協調した対応がより優れていたという見地をとるためには、もう一つの別の主張を付け加えておく必要がある。一つ説得力のある主張は、各国通貨が減価していた1930年代における調整されてない方策は、金融市場とその参加者を混乱させるような不確実性を作り出し、経済状況を悪化させたというものである。金の価格をとりわけ全ての国における中央銀行による金買い入れを通じて上昇させるという国際合意によって、この不確実性は回避されたであろう。政策の不確実性がマクロ経済においてマイナスの結果をもたらしたという証拠はいくらかあるものの、その効果が大きかったという証拠は一つもない。[8] これは、国際政策協調による利得は存在するもののそれは比較的小さいとする現代の主張と整合的である。 さらに、歴史的、政治的、そしてイデオロギー的な理由から国内における金価格を一方的に引き上げることを望まなかった国々は、国際協調イニシアティブによってそれを行うことも望まなかった。大恐慌への調整された国際的政策対応の調整を目指して1933年にロンドンで開かれた世界経済会議での議題は、アメリカのドル建て金価格の引き上げを防ぐことであり、各国がアメリカと同様の政策を行うというものではなかった。会議においてルーズベルト大統領は、自国の一方的行為の自由を制限されることを防ぐために、はっきりと「爆弾発言」を行ったのである。[9] 3.現在の状況(The Story Now) 2008年から始まった非伝統的金融政策の効果に対する学問的な合意はあまりない。理由の一つには、あまりにも最近の出来事であるため完全に解釈するには早すぎるということがある。一部の研究(例えばKapetanios, Mumtaz, Stevens and Theodoridis 2012, Gagnon, Raskin, Remarche and Sack 2011, Swanson 2011)は国内におけるプラスの効果を述べているが、他の研究は懐疑的である。 Haberis and Lipinska (2012)は国際間における効果に注目している。彼らはゼロ下限にある二国経済ニューケインジアン・モデルを採用している。彼らのモデルにおいては、国内製品と他国製品の代替性が高い場合には、自国が拡張的な貨幣政策をとればとるほど、他国の政策当局が抱えるインフレの安定化と産出ギャップとの間のトレードオフが厳しくなる。これは、自国の緩和的な政策が他国通貨の増価をもたらし、それが自国製品との代替性が高い他国製品に対する支出を減らすことにつながるからである。それとは対照的に、両国の製品の代替性が低い場合には、支出変化効果(expenditure-changing effects)が支出切換効果(expenditur-swiching effects)よりも優位になるため、自国の拡張的な政策によって他国の政策当局は経済安定化が行いやすくなるという恩恵を受ける。 尚、現在の環境における非伝統的な貨幣政策の国際間における効果を把握することを意図したこの分析結果は、1930年代におけるそれを調べたEichengreen and Sachs (1985)の結果と細部に至るまで類似している。 1930年代と異なっている点は、今日においてはショックの形が遥かに非対称的であるという点である。先進国においてはデフレショックとそれに対する政策対応によって金利がゼロ下限にまで下がった一方で、新興市場ではデフレ圧力やデレバレッジは少なく、高い成長率を維持した。これら新興国においては、インフレ率や資産価格、そしておそらくは成長率も不安になるほど高い。[10] 片方の国家グループのみにおいて金利がゼロ下限にあったのであり、先のモデルにあった二国がともに同じ状況にあったのではないのだ。 厳格なマクロ経済的見地から言えば、後者のグループにおける最適な一方的対応は財政緊縮だった。[11] 資本流入は、国内消費、とりわけ建設のような利子率に敏感な活動を顕著に増加させる。また、緊縮的な財政政策はこの支出の変化を抑え、資本流入による資産価格の上昇圧力も限定的なものにしただろう。[12] さらにはインフレ圧力に対抗するとともに、各国の利子率に下落圧力を加えて先進国間での利子率格差の縮小することによって資本流入を減少させ、国内消費と資本流入双方に対する需要を減退させることによって輸出業者に不利に働く通貨の上昇圧力を抑えたことだろう。 しかし、1930年代の時と同様に、歴史的、イデオロギー的、政治的な理由が重なることによってこのファーストベストの方法を取ることは妨げられた。景気が過熱している際に公共支出を削減するような政治的合意を行うことは難しいし、増税に関しては景気が過熱していようといまいと難しい。実際、大量の資本流入を相殺したいと考えていた小国が行うべきだった多量の財政的な調整は、政治的には実現不可能だった。そうした財政的調整がずば抜けて実行しやすい政治体制や制度の下にあったチリでさえ、先進国の政策による影響を完全に打ち消すのに十分なまでに柔軟に財政政策を発動することは出来なかった。[13] 理論上は、国際的な調整によってより優れた結果が得られたかもしれない。ファーストベストな一方的対応に対して、幾分穏やかな先進国による量的緩和と、幾分穏やかな新興市場国政府による財政引き締めは、双方の国々にとってより優れた結果をもたらしたであろう。先進国の生産者たちはどちらの場合においても同量の需要の増加に直面したであろうが、この場合においては新興国市場からの需要が国際的な調整による場合よりも多いのが唯一の違いである。また、新興国市場が直面するやっかいな資本流入が減少する量も両ケースにおいて同じだっただろうが、この場合においては先進国の量的緩和が比較的穏やかなものであるがために、新興市場国政府は多量の財政的調整を行うという政治的コストを回避することができる。 しかしながら、現実においてはファーストベストな世界的最適解を国際政策調整によって達成するのは不可能であった。なぜなら、この場合においてさえ新興市場国政府が行うファーストベストな政策である財政的調整は実現不可能なほどに大きく、議論されることはなかったからである。この状況は、政治的な理由によって最適な対応が排除されたという点で、1930年代における国際政策調整の失敗と相似している。 その代わりとして、1930年代と同様に新興市場はセカンドベストな方法をとったが、それら資本流入の規制と国内的な影響の緩和の両方もしくはどちらか一方であった。これらの多くは限定的な効果しかないか、望まない副作用があるかのどちらかであった。通貨の増価への対処に苦慮する国内生産者を保護するための貿易制限は、1930年代におけるそれと同様、世界的な貿易制度にリスクをもたらした。海外からの預金を銀行が貸し出しに回す能力を制限するために導入されたより厳しい規制は、ノンバンクを通じた海外資金の迂回によって部分的に相殺された。海外資本の流入を減少するための国内利子率の引き下げは、貨幣政策の目的との間に混乱を生じさせ、インフレを低下させることに対しては何の効力もないばかりか、その逆方向に大きく働いた。自国通貨の増価を防ぐための外国為替市場での介入は、不胎化された場合には限定的な効果しか持たず、非不胎化された場合には利子率の下落など先と同様に望ましくないインフレ的な効果をもたらした。 これらの方策の中で最も議論の余地があったのは資本規制であり、またもや1930年代の場合と類似している。30年代のそれと比べると今日におけるそれは行政的なものというよりは価格ベースのものが多い。すなわち、あからさまな禁止措置をとるよりも、外国人による証券購入に対して課税を行う形をとるのである。しかしながら、こうした規制については、規制に対応するためのコスト(compliance cost)が生じるという有力な批判がなされた。この資本規制の効果については今も議論が続いている。Baumann and Gallagher (2012)によるブラジルにおけるケースの分析は、規制が流入資本の総量を変化させることよりも、それをより長期の投資に向かわせるという性質の変更に効果を発揮したことを示している。その一方で、Forbes, Fratzscher, Kostka and Straub (2012)は、ブラジルはより長期の投資についても制御したとみなしており、資本流入量に対して一定の効果をもたらしたと結論している。しかしその場合においてもコストはあった。すなわち、政策当局による市場の開放度に対するコミットメントについての疑心を高めることにより、望ましい形での海外からの投資、例えば直接投資を減少させた可能性がある。Klein (2012)は、金融市場が比較的発達していない国において、資本逃避が起こる可能性が少なかったり、長期間規制を実施している国であるために実効的な監視措置や報告制度、実施のためのインフラを立ち上げるために必要なサンクコストを負担する可能性が高いという場合、こうした規制は資本流入を防ぐのにより効果的であったと結論している。 こうした措置よりも国際協調に軍配をあげるような事例は他にもある。その他のマクロ健全性政策(macroprudential policy)やマクロ経済政策と同様に、資本規制は適切な国際協調がない場合には国内政策決定者が予期しえない波及効果を持つ場合がある。この波及効果についてはその大きさはおろか方向についても共通理解は存在せず、国際調整を妨げる。Ostry, Ghosh and Korinek (2012)は、一国による資本流入の規制実施はその他の国において資本流入を増加させる可能性があるとし、そうしたキャピタルフローの方向転換の危険性を強調している。しかしForbesらは、一国による規制の実施が、その他の国においても外国資本の流出と流入の双方のハードルを上げることよって初めに規制を実施した国を後追いすることを招き、そのためそれらの国に対する資本流入が減少するという模倣効果を見出している。この二つの事例において波及効果はそれぞれ逆方向に働いており、国際協調に対して持つ意味も異なっている。波及効果の徴候や大きさについてより優れた証拠や合意は存在せず、IMFが想定したような資本規制に対する多国間の枠組み(IMF 2012)は、実施にあたっては困難に直面するはずだ。 4.結論(Conclusion) 不景気に直面している中央銀行による近隣窮乏化政策と主張されるところの通貨戦争は、1930年代においても今日においても経済問題を悪化させたとして広く批判されている。経済に問題のある国々の政策当局は、単に近隣国への問題の押し付けに過ぎないそうした方法を取ることを差し控えるべきだったのであり、その代わり協調的な方策をとるべきとされた。この場合、両時代の経験から同様の含意を見出している。実際、1930年代の歴史は現代における通貨戦争に警鐘を鳴らすものによって広く呼び合いにだされた。 本論文における分析は、過去のケースは今日のそれよりも若干異なるのであって、1930年代の教訓を今日において適用することについてはより慎重になる必要があることを示している。渦中にあった国々が本質的に対称のデフレショックに襲われた1930年においては、今日通貨戦争とされているものは解決策に含まれるものであったのであり、問題ではなかった。全ての国においてリフレ政策が必要とされていたのである。当時の制度下においてこれは、金に対する、ひいては金本位制度に留まった国の通貨に対する自国通貨の減価という形で達成されたのである。実質的には近隣窮乏化為替調整と呼ばれたこれらの政策とそれらが可能にした政策イニシアティブにより、この世界的なリフレは1930年代後半まで続いた。金の国内価格の上昇についての国際協調は、不確実性や国際的な非難を制限するという意味においてより良い結果をもたらしただろうが、結果の差異の大小については議論の余地がある。デフレへの対処に最適なファーストベストの貨幣政策により注力し、貿易・資本規制といったセカンドベストの実施を控えることによってさらに結果は改善されたであろうが、厳しい政治的、イデオロギー的、歴史的制約によっていくつかの国はファーストベストの方法をとることができなかった。こうした制約は実効的な国際協調の達成も不可能なものとした。 現在において、アメリカ、ユーロ圏、イギリスそして日本の各国が再度おおよそ類似したデフレショックに襲われた際もやはり、それらの通貨を下落させる量的緩和が最適な対称的方策であった。そして同様にファーストベストな貨幣政策に注力していればより優れた結果となったのであり、金融緩和に関する国際協調も不確実性を減らした可能性があるが、その効果の大きさについてはこれまた同様に議論の余地がある。 今日において異なっているのは、非対称的な影響を受けた国々という第二のグループが存在することである。新興市場はデフレよりもインフレに悩まされており、通貨や資産価格、そして場合によっては成長率も高過ぎることが問題なのであり、弱過ぎるのではない。こうした国におけるファーストベストな対応は財政引き締めであった。先進国における緩和的な貨幣政策と新興市場国における財政引き締めに関する国際協調はより良い結果をもたらしたであろうが、その効果の大きさについてはまたもや議論がある。需要超過や過剰な景気過熱、高すぎる成長率、過大評価された通貨、インフレに対して最適なファーストベストな財政的対処に注力し、貿易・資本規制といったセカンドベストの介入策を控えることによって、この時もまたより良い結果がもたらされただろう。そしてこれもまた同様に、厳しい政治的制約がファーストベストの方策に全力を注ぐことを妨げたのであり、それが国際協調を実現不可能なものにしたのである。 原注1. 2013年1月、ロシア中銀総裁第一補佐であるAleksey Ulyukaevは当時「我々は現在、おそらくは過度に感情的な呼ばれ方で「通貨戦争」とされている非常に深刻な、私が思うに挑戦的な行動の入り口に立っている」と発言している。 [↩] 原注2. 「世界経済百科(The Encyclopedia of the World Economy)」によれば、「近隣窮乏化政策とは、他国の厚生を犠牲にして国内経済厚生の増加を狙うものである。近隣窮乏化政策の古典的な事例とされているものは、ある国家が国内の産出と雇用を増加させるために自国通貨の減価を行い、それによって産出と雇用の問題を他国に押し付けるというものである。これは1930年代の世界的な景気後退にあたって複数の国が、輸入に対する需要を減退させるとともに輸出に対する需要を高めることで国内産出を押し上げる政策、つまりは自国通貨の減価による産出と雇用の増加を求めた際に起こった。これによりそれ以外の国では景気後退がより深刻なものとなったが、これがさらにはそれらの国々による通貨の減価という対抗措置を招き、各国は通貨減価競争の連鎖に陥ることとなった。」とされている。また、この項目は「1930年代の近隣窮乏化政策使用の解決は、ブレトンウッズ体制によって制度化された国際政策協調によってもたらされた」と締めくくられている(http://world-economics.org/40-beggar-thy-neighbor-policies.html)。いずれ分かることだが、伝統的な知識はなかなか滅びない。 [↩] 原注3. Temin and Wigmore (1990) 及び Eggertsson (2008) はこの期待経路を重視している。 [↩] 原注4. これは Nevin (1955) 及び Howson (1975)において述べられている。 [↩] 原注5. その他の条件が一定でないため、この効果は常に表れるものではない。特にドイツとその近隣ヨーロッパ諸国の間の政治的緊張はアメリカに向かっての資本逃避を招いた。(Romer, 1992) [↩] 原注6. この繋がりについてはEichengreen and Irwin (2010)において示されている。 [↩] 原注7. ファーストベストの対応が根本的な歪みを最も直接的に対象としている状況(今回のケースにおいては、貨幣政策はデフレを最も直接的に対象としている)においてのファーストベストとセカンドベストの政策的対応の対比については、少なくともBhagwati and Ramaswami (1963)にまで遡る長い研究の歴史がある。 [↩] 原注8. Mayer and Chatterji (1985) 及びArchibald and Feldman (1998)を参照のこと。 [↩] 原注9. 火に油を注ぐような言動によって自国の代表団を青ざめさせたのに加えて、ルーズベルトは外交的・政治的な優雅さがリフレ政策を採用することよりも優先されることがあってはならないということを明確に示した。したがって、この「爆弾発言」が新たな貨幣レジームに対する大統領のコミットメントを打ち立てるプロセスにおいて重要な部分を占めていたと考えることが可能である。 [↩] 原注10. 中国の成長率が2010年には11%にも達したことを思い起してほしい。 [↩] 原注11. 資本流入に対処するための代替アプローチの効果、コスト及び費用についてはEichengreen (2011)において議論した。 [↩] 原注12.原注:Chin, Filardo, He and Zhu (2011)は、アメリカによる量的緩和が新興国において顕著な株価の上昇と債券スプレッドの低下を招いた事実を述べている。Fratzscher, Lo Duca and Straub (2012)ではこの点を一般化している。IMF (2011)ではイベントスタディーを用いて、アメリカによる一回目の量的緩和が新興市場の通貨と資産価値に対して顕著な効果をもたらしたことを示している。 [↩] 原注13.チリの政治と制度についてはVelasco (2011) and Frankel (2012) 、2011年における資本流入についてはBaumann and Gallagher (2012) を参照のこと。 [↩]
将来の経済学 以下はBarry Eichengreen, “Our Children’s Economics” (Projet Syndicate, Feb.11.2013)の訳です。 東京にて―経済学者たちは良い危機[1]を迎えてこなかった。なぜ金融危機を経済学者は予想できなかったのかというエリザベス女王の問いは有名だが、女王はおそらく彼らに期待しすぎていたのだろう。しかし、多くの経済学者たちの研究は的外れだったという考えは広く共有されており、もっと恐ろしいことに経済・金融危機をなんとかしようとする政策決定者に対してなされた経済学者たちの助言の多くはほとんど役に立たなかった。 将来世代はもっとうまくやるだろうか。この間のダボス世界経済フォーラムにおいて私が携わったものの中で一番興味深かったのは、20年後の経済学理論の教科書の内容を想像するというグループワークだった。参加者からのアイデアや論点は尽きることがなく、これらは既存の教科書が触れてはいないが、20年後にはきっと注目を浴びるであろうものであった。 例えば、経済学と心理学にまたがった領域の研究をしている経済学者たちは、効率的市場仮説といわれるものが成り立たないことの理由を人間の性格的短所に求める、行動金融学がよりメジャーな存在になるだろうと主張した。その一方で歴史経済学者たちは、将来の経済学の教科書において、昨今の出来事はより長期の歴史的記録として必ず記載されるものになるだろうと言っていた。とりわけ、現在経済学を勉強している学生たちはこれによって経済学制度の進展をより真剣に捉えることになるだろう。 開発経済学者たちは、彼らとしては無作為試験とフィールドワークがより注目されるようになるだろうと述べた。応用計量経済学者たちは、高まる「巨大なデータ」の重要性とともに、20年後までには大量のデータセットのおかげで我々の経済政策決定の理解が有意に高まることを指摘した。 しかしながら、結局のところこの青写真は現在の経済学とほとんど変わるところがないものであった。20年後の教科書は今日の最先端の研究結果を盛り込み、現在のものよりもより洗練されているかもしれないが、しかしながら根本的な構造やアプローチにおいて今日のものと違ったものにはならないだろう。 言い換えれば、会議の結論は、今後20年にあるのは1890年代のマーシャルによる体系化や1930年代のケインズ革命の焼き直しにしかならないだろというものだった。彼らの時代における経済学と比べると、現代の経済学は洗練され、より発展した学問である。そしてその他の洗練された学問と同様に、革命的な変化が起こるのではなく斬新的に進歩するというのである。 こうした推測はほぼ間違いなく正しくない。これは、全ての画期的なブレークスルーは既に起こってしまったと主張する科学者たちが陥ったのと同様の誤りだ。彼らがしばしば言うのは、蒸気機関やトランジスタほどの革命的な変化はおこらず、科学技術は革命的な変化が起こるのではなく斬新的に進歩するというものである。そして漸進的変化が小さいものである限り、生産性の成長は低く、「大停滞(Great Stagnation)」を引き起こすだろう。 実際には、科学技術の歴史はこうした悲観的な考えを何度も否定してみせた。我々は次に起こる画期的な変化が何であるかを知ることはできないが、人類の長い歴史はそうした変化が(少なくとも)あと1回は起きるということを示唆している。 同様に、我々は次に起こる経済分析における革命がどのようなものであるかを知ることはできないが、1世紀以上に及ぶ現代経済学による思索は、それが起こるであろうことを示唆している。 こう考えると、20年後の経済学の教科書は今日のそれとは非常に異なったものになるだろうということになる。ただ我々はそれを知ることができないというだけで。 確かに、少なくとも我々の知っている経済学の教科書と同じようなものが20年後も存在するのではないかと思う人もいるかもしれない。今日において、経済学は権威がかったお決まりの理論が書かれた著名な経済学者(大抵は男)による教科書を使って教えられている。知識は、その教科書に書かれたものが教師によって解釈されたうえで教授されている。 これはもちろん、新聞が元来ニュースを届けてきた方法と同じものだ。編集者や出版社が出来事を収集・分析し、彼らが作り上げた新聞が購読者のドア口まで届けられた。しかし、ここ10年間でニュース産業には紛れもない革命がおこった。いまやニュースはウェブサイトやウィキ、ブログのコメント欄によって収集・拡散されている。言い換えれば、ニュースはますます一般人からもたらされるようになってきている。人々は、編集者たちに頼るよりも、自らがニュース配信者になりつつあるのだ。 それと似たようなことが、人々が自らの意見とテーマについての直接の経験を持つ分野の教科書、特に経済学のそれにおいて起こるだろう。教科書は、教員や学生が内容の修正・追記を行うウィキのようなものになる。抑え役としての著者の役割は残るかもしれないが、教科書は知識の源泉ではなくなり、著者も内容をコントロールすることはなくなる。 出来上がるものは酷く乱雑なものになろう。しかし、経済学者はより多様でダイナミックになり、結果として我々の子供たちの世代の経済学はより健全なものになるのだ。 訳注:オバマ政権の大統領首席補佐官(当時)であったRahm Emanuelが発言した”Don’t waste good crisis”(=良い危機を無駄にするな)という発言が元ネタと思われます。 アメリカの財政政策は危機的ではない BY MARK THOMA 1月23日にEconomist”s Viewに掲載されたMark ThomaのAmerica’s Fiscal Policy is Not in Crisisの訳。誤訳の指摘お願いします。
ピーター・オルザグが言うには: 医療費がアメリカの本当の問題: 医療費はアメリカが直面している長期間にわたる財政的課題の核をなしている。…これが最近のこれらの費用の減速がとても激しくなっている理由だ。… 良い知らせは医療費に関する最新事情は多くの評価よりも良いということだ。費用の伸びは劇的に鈍化している。… 昨年、連邦議会予算事務局は次の75年間で歳入と歳出のギャップがGDPの8.7%に達するだろうと推定している。それ以来、法定収入は増加し、改善された基本予算の見通しはことによるとそのギャップを7.5%にまで減らしている。 医療費の伸びの抑制を成し遂げれば、さらにGDPの2.5%を減らせて、長期の財政の穴はGDPの5%になる―ワシントンで現在論議されているどんな政策変更よりも大きな効果だ。… “ マーティン・ウルフによると: アメリカの財政政策は危機的ではない: …連邦政府は破綻しかかってなどいない。むしろ強く速く締め付け過ぎだ。財政状況も最も緊迫した経済課題というわけでもない。それより回復を促進することのほうがずっと重要だ。より長期的な課題は、医療費を抑えながら歳入を増やすことだ。その間、人々はただ落ち着いてほしい。 “ ところで、ブッシュ時代、どこに赤字タカ派[1] がいたのだろう? 以下がマーティン・ウルフの「むしろ強く速く締め付け過ぎ」が意味していたことだ: [ケヴィン・ドラムより] 赤字タカ派はこのことを知ってほしくないだろうが、私たちの目の前にある最大の問題は赤字ではなく、職なのだ。
deficit hawk。政府の予算を抑えこんで赤字を減らそうとする人々のこと。 [↩] 金融崩壊の10ステップ回復プラン BY ALAN BLINDER 1月19日にNew York Timesに掲載されたAlan S. BlinderのFinancial Collapse: A 10-Step Recovery Planの訳。誤訳の指摘お願いします。
ヘーゲルはかつて「歴史から学ぶことができるただ一つのことは、人間は歴史から何も学ばないということだ。」と書いた。実際には人々はきちんと学ぶと思う。問題は人々は忘れてしまうということだ―時には驚くほど素早く。現在それは起きているように見える―2008年から2009年にかけての経済崩壊からの回復は完全とは程遠いというのに。 この忘却の証拠はどこにでもある。国民は危機の原因に対する興味を失ってしまい、もちろん多くの人はなんとかやっていくだけで精一杯だ。後悔知らずの金融業者は「過剰な」規制について駄々をこね、改革にむけてのあらゆる段階で戦うためにロビイストに金を払っている。保守党は「大きな政府」を嘆いて自由放任主義的な無規制状態に戻りたがっている。銀行の自己資本と流動性についてのより高い国際基準は遅れている。例を挙げればキリがない。 その代わりに、私たちが金融危機について覚えておかなければいけないこと―危機に至るまで厚かましくも背かれてきたものばかりだ―を金融の十戒としてまとめさせてほしい。 1. 人々は忘れるということを忘れるな ティモシー・F・ガイトナー財務長官は昨年、危機前には「極めて大きな危機の記憶はなく、国家が巨大なリスクの積み上げを許してしまったときに何が起きうるかの記憶もなかった。」と悔やんだ。彼は正しかった。異端の経済学者ハイマン・ミンスキーは知っていたように、投機市場が極端な方向へ向かうのは普通のことだ。ミンスキーが信じていた基本的な理由は象と違って人々は忘れるということだ。良い時が続くと投資家はそれがずっと続くと期待してしまう。バブルが弾けるとき、彼らはいつも驚くのだ。 2. 自主規制に頼るな 金融市場の自主規制は残酷にも矛盾した表現だ。私たちには動物を見守る飼育係が必要だ。政府はこの機能を「市場の規律」(もう1つの矛盾表現だ)や信用格付け機関のような営利企業にアウトソースしてはいけない。2010年のドッド・フランク法は完璧ではないが、それは良い方向に規制を変更する可能性を秘めている。しかし、その改革のほとんどは未だに段階的に導入され、ルールが策定されているとして、業界(国内も海外も)はそれらとあらゆる方法で戦い、しばしば優勢となっている。 3. 株主を尊重せよ 公開企業の取締役会は株主の利益を保護することになっていて、部分的にはそれは最高経営幹部の行動を監視することによってなされる。彼らは雇われているのであって皇帝ではない。危機前の間、あまりにも多くの取締役がその責任を忘れ、彼らの会社とより広範囲の国民の両方が有害な職務放棄に苦しんだ。今彼らは覚えていられるだろうか? 一部はそうしておけるだろう―しばらくの間は。しかし業績不振による取締役への制裁はごくわずかだ。 4. リスクマネジメントを向上させよ 危機の苦い教訓の1つは、リスクテイキングに向かうとき、あなたの知らないものがあなたを傷つけるかもしれないということだ。部下にリスクマネージャーの意見を無視して好き勝手させ、欲を追求して怖れを捨てる方向にバランスを偏らせているCEOが多すぎるのだ。リスクマネジメントシステムの抜け穴を塞いでおく主な責任は最高経営幹部と取締役会にかかっている。しかし連邦準備制度理事会と他の規制当局は、監視するのをやめてはいけない。 5. レバレッジを少なくせよ 過剰なレバレッジ―借り入れ超過としても知られている―は2008年に激しく崩壊したトランプタワーの主な土台の1つだった。給料もらいすぎな投資の「天才」たちはレバレッジを使って通常の投資から並外れた収益を生み出した。銀行家や投資家(住宅購入者はもちろんのこと)は、大きなリスクを引き受けずに高い収益を稼げるという誤った考えを持っていた。しかしレバレッジはアルコールのようなものだ: 少しなら健康にいいが多すぎると死ぬかもしれない。銀行の仮死体験に加えて来るべき高い資本要件への備えは銀行を一旦しらふにしている。しかし彼らはどんちゃん騒ぎに戻るのを待ち構えているのだ。 6. シンプルにしておけ、バカ 現代の金融は複雑性から利益を得ている、なぜならまごついた顧客はより儲けになるからだ。しかしこれら法外な金融商品はすべて経済になにか良いことをしているのだろうか? Fedの元議長であるポール・A・ヴォルカーはかつて、ATMが過去最近で唯一の有益な金融イノベーションであると述べた。彼は大げさかもしれないが、言うことには一理ある。債務担保証券に対するクレジットデフォルトスワップやその他の混合物を誰が必要とするのだろうか? 7. デリバティブを標準化し取引所で取引せよ デリバティブは危機の中で汚名を着せられた。しかしそれらが複雑でなく、透明性があり、十分に担保されていて、大資本のカウンターパーティーによって流動的な市場で取引され、かなり規制で縛られていれば、デリバティブは投資家のリスクヘッジを手助けしうる。もっとも危険なのは、個別化され、不透明で、「相対取引」のデリバティブだ―それは顧客よりディーラーの興味を惹きつけるのにおあつらえ向きだ。ドッド・フランク法は、デリバティブの一部をさらなる標準化と取引所での透明な取引に向けて推し進めたが、十分ではない。業界はできるだけ多くのデリバティブが日光にさらされずに取引されるよう精力的に動いている。 8. バランスシートに載せておけ 危機の前、いくつかの銀行はどれだけレバレッジをかけているかを隠すために重要な金融活動をバランスシートに載せなかった。しかしお話にならないものがそこにあった。危機で、いくばくかの最高経営幹部は銀行のバランスシートに載っていないものについておぼろげにしかわかっていなかったことを明らかになった。これら「宇宙の支配者」たちは彼ら自身の帳簿を支配できていなかった。ドッド・フランク法は 「資本要件は会社のオフバランスシートないかなる活動をも考慮しなければならない」と明示している。それはオフバランスシートな実体を安全でほとんどないものにするために歓迎すべき一歩だ。今、規制当局はルールを機能させるべきだ。 9. 倒錯報酬を見直せ トレーダーが成功すればとてつもない報酬を提供し、失敗してもほんの軽い罰で済ませることは、彼らが過大なリスクを取ることを助長する。最高経営幹部や取締役は推定報酬が損失に変わるときに「回収」払いをするべきだ。彼らがそうしないのなら、政府の不器用な手が必要になるかもしれない。 10. 消費者には用心せよ いくじなしが継続的に金を巻き上げられていれば、彼らは地球の公平な取り分を相続できない。私たちが危機で学んだことは、うぶな消費者を金融略奪者から守るのに失敗すると経済が丸ごと蝕まれるかもしれないということだ。その驚くべき教訓を忘れてはならない。消費者金融保護局がそれを制度化するべきだ。 マーク・トウェインは、歴史はそれ自体では繰り返さないが韻を踏む、と警句を発したと言われている。将来にも金融危機は起きるだろうが、次のものは前回のものの丸写しではないだろう。しかしながら、これらの掟が適用できないほど違うということはないだろう。金融の歴史は韻を踏むが、私たちはすでに拍子を忘れかけている。
「私は誰でしょう?」 BY DAVID BECKWORTH 以下は、David Beckworth, “Who Said This?”(Macro and Other Market Musings, October 30, 2011)の訳。
今日のエントリーでは1990年代に日本経済が直面していた問題をテーマとして取り上げているとある論文から文章をいくつか引用してみようと思う。文章中の「日本」を「アメリカ」に置き換えると、マーケット・マネタリストの誰かが書いた文章ではないかと思うかもしれない。ともかく、まずはこの文章。 先に示唆しておいたように、金融システムやその他の領域における重要な構造問題が日本の経済成長を阻害する役割を果たしていることを否定するつもりはない。しかし、現在日本経済は同時に総需要の不足にも悩まされていることを示す説得的な証拠がある、と私は考えている。金融政策を通じて名目支出を刺激することができれば、日本が抱える困難な構造問題のうちいくつかのものはもはやそれほど困難なものとは思えなくなることだろう。 “ スコット・サムナーっぽく見えるが、先に進めば進むほど一層そのように感じられることになろう。次の文章では、マーケット・マネタリストがよく持ち出すあの主張、「低金利は実のところ金融引き締めのサインであるかもしれない」との主張が展開されている。 主に名目金利が極めて低い水準にとどまっている事実に基づいて、現在の日本においては金融政策は大きく緩和されているんだ、と語られることがある。ここまで読み進めてくれた読者の方々は、貨幣史にも十分通じておられて、そのために(金融緩和の証拠として)名目金利の水準を持ち出してくるような主張など真剣に聞き入れることがないようにと願うばかりである。大恐慌期を思い出してみられるとよい。大恐慌期を通じて名目金利は多くの国々でゼロ%近辺であったが、大恐慌期といえば貨幣の大規模な収縮とデフレ圧力に見舞われた時期である。つまるところ、低水準の名目金利は金融緩和の証拠であるだけではなく、デフレが予想されている証拠・金融引き締めの証拠であるかもしれないのである。 “ 次の文章ではちょちょいのちょいといった感じで流動性の罠が軽くあしらわれている。 現在日本が置かれている貨幣的な(金融面での)状況(monetary conditions)のために通常型の公開市場操作の効果には制約が課されることになるというのは確かである。しかしながら、この先論文の残りの部分でも説明するように、流動性の罠に嵌っていようがそうでなかろうが、金融政策には名目総需要を刺激する上で大きな力が備わっているのである。日本経済を苦しめている原因に関するこれまでの診断に従えば、10年にわたるスランプを終焉させる上で金融政策は大いに役立ち得るのである。 “ 引用は次の文章で最後になるが、この文章では日本銀行の政策目標に関する曖昧さが生み出す不確実性に対して批判が加えられている。この批判はマーケット・マネタリストがFedに対して向ける批判−Fedは明確な政策目標を欠いており、そのためにマクロ経済に対して一層の不確実性がもたらされている−に不気味なほど似通っている。 しかしながら、現在の日本銀行の政策が抱える問題はその曖昧さにある。「デフレ懸念の払拭が展望できるまで」(“until deflationary concerns subside”)という文言で意味されているのは正確には何なのだろうか? これまでにクルーグマン(1999)をはじめとしたその他の論者から、日本銀行はインフレ目標の宣言(採用)を通じて政策目標の数値化に踏み込むべきであり、それも高めの(インフレ率に関する)目標値を設定すべきである、との提案がなされている。そのような提案が実現されることになれば、民間の経済主体に対して金融政策の目標に関する一層の情報が伝達されることになるという意味で、助けとなることだろう。特に、今後数年間にわたって3〜4%のインフレ率の達成を目指す旨が宣言されることになれば、日本銀行がデフレレジームから十分な余裕を持って離れる意図を持つばかりか、さらには過去8年のうちにゼロ%ないしはマイナスのインフレが継続したことで生じた「物価水準のギャップ」(“price-level gap”)を埋め合わせる意図も持ち合わせていることが鮮明になるだろう。 “ 言い換えれば、ここでこの論文の著者は、日本銀行は総需要の回復を促すために物価水準目標(price-level targeting)を採用する必要がある、と主張しているわけであり、その目的に照らして考えると、ここで論文の著者は名目GDP水準目標を支持する議論を展開してもいる、と見なすことができよう。しかしながら、この論文の著者はマーケット・マネタリストではない。その正体はFRBの現議長ベン・バーナンキ(Ben Bernanke)であり、この論文は彼がプリンストン大学の教授時代に執筆したもの(pdf)である。バーナンキ議長が名目GDP水準目標を採用すべき理由を探しているのだとすれば、彼自身のこの論文こそがその理由を提供している。バーナンキ議長には、ゆっくりと椅子に腰掛けて、論文の中の「日本」をすべて「アメリカ」に置き換えた上で、この論文が現在のFedに対してどのような意味合いを持っているかをじっくりと考えてもらいたいものだ。
「ルーズベルト政権の失態」 BY DAVID BECKWORTH 以下は、David Beckworth, “Maybe FDR Should Get More Blame”(Macro and Other Market Musings, September 11, 2011)の訳。
ルーズベルトと財務省による平価切り下げと金の非不胎化(金の流入を不胎化しない)の決定がいかにして1933〜1936年の堅調な景気回復につながったか、という点に関してはこのブログでも何も言及してきた話である。この一連の政策行動は初めての量的緩和プログラム(邦訳はこちら)と呼ぶことができ、少なくとも1935年までは民間部門で依然としてデレバレッジ(債務の圧縮)がすすんでいた事実にもかかわらず、劇的なまでの効果を発揮したのであった。 1936〜1937年に景気後退が発生したことでそれまでの景気回復に向けた動きは頓挫することになった。1936〜37年の景気後退はちょっとした財政引き締めと大規模な金融引き締めのためにもたらされた、というのが通念となっており、特に後者(大規模な金融引き締め)はFedが預金準備率を引き上げたために生じた、と通常よく語られるところである。ところが、ダグラス・アーウィン(Douglass Irwin)は最近の論文(pdf)でこの通念に疑問を投げ掛けている。彼によると(邦訳はこちら)、景気後退をもたらした主たる原因は金融引き締めだというのは確かだが、金融引き締めが生じたのはFedが預金準備率を引き上げたためではなく、むしろ財務省が金の流入を不胎化する決定を行ったからだ、というのである。アーウィンはこう語る。 1937-38年の景気停滞があそこまで深刻であったのは、財政政策の引き締めや預金準備率の引き上げのせいではなかった。(その原因は、財務省が決定した金の不胎化政策にあったのであり、;訳者挿入)金の不胎化に伴って生じた金融ショックは決して穏やかなものではなかった。金不胎化政策の結果として、マネタリーベースの成長率が単に(プラスの範囲で)数%ポイント低下したというのではなく、その成長率はゼロ%にまで下落することになったのである。しばしばFRBに対して大恐慌下における稚拙な政策運営を叱責する非難の矢が向けられるものであるが、こと1937-38年の景気停滞下において生じた金融ショックに関しては政策上の誤りの責任は財務省にあったのである。 “ これは驚くべき発見である。というのも、1933〜1936年の景気回復をもたらした主たる決定の一つ−金の流入を不胎化しないとの決定−が同じルーズベルト政権下で財務省により反転させられたというわけだからだ。言うなれば、ルーズベルトは自らの行動によって引き起こされた景気回復の息の根を自らの手で止めた、というわけだ。ニューディール政策のパッケージの中には市場の働きを歪めた政策(例えばNRA;米国復興局)も含まれていた事実にアーウィンのこの発見もあわせて考慮すると、ルーズベルト政権の評価は玉虫色となるのかもしれない。とはいっても、物価水準目標を伴った量的緩和プログラムに踏み出すだけの勇気ある行動を採ったことに対しては正当に評価せねばなるまい。水準目標を伴った量的緩和がうまく働く可能性をルーズベルトは現に示したのだから。 (追記)このエントリーを書いていて、2007〜2009年にかけてブロゴスフィア(ブログ界)で断続的にたたかわされた「ニューディールの遺産」をめぐる熱い論争のことを思い出した。その際に−2009年初頭のことだが−私はその熱い論争を1枚の図に要約しようと試みたことがあった。以下がその図である。ご笑覧あれ。
イノベーションの本当の源は高賃金 BY TIM HARFORD 1月11日にFinancial Timesに掲載された、Tim HarfordのWhat really powers innovation: high wagesの訳。誤訳の指摘お願いします。
500年前、世界の最富裕国―西欧諸国―は1人あたりで最貧国のたった2倍だけ豊かだった―ざっと比較して現代のスイスとポルトガルの間のような控えめな格差だ。産業革命の幕開けによって、2世紀前には1人あたり所得の比率が3:1になっていた。それが今では20:1ないしは30:1で、もし最貧困者と最富裕者を見比べればそれよりも大きな違いが見られるだろう。 これらの事実は説明に値する。このような不平等は現代世界の経済を定義するだけでなくその謎も提示している。ここでの基本的な話が、豊かな国はより優れた技術を持っているということだとすると、貧しい国がその技術を真似ることで素早く成長するのはまあまあ簡単だろう。中国はこれが真実だということを証明しているが、過去2世紀の間、こんなに劇的な追い上げ成長はまれだった。 多分この理由のために、経済学者はそれよりも、きちんと機能する裁判所、ほどよい税を徴収したりインフラに支出できる政府のような制度の重要性を指摘する傾向があった。 しかし多分結局のところ答えは技術なのだ。経済史家のロバート・アレンはなぜ産業革命が例えば中国などよりも英国でうまくいったのか研究している。アレンは文化的や制度的な説明を退け、代わりに経済的インセンティブに焦点を当てている。 例えば、英国がジェニー紡績機を開発していた一方で英国の陶芸家は不経済的な青銅時代の窯の技術を使用していたという事実を考えてみよう。その間に中国は熱風を循環させ工程のエネルギー効率を最大化する高度に洗練された窯のシステムを作り上げていた。どちらの文化のほうが革新的だったのだろうか? ボブ・アレンにとってはその質問は的外れだ。どちらの国も新しい技術を開発していたが、異なる経済的インセンティブに反応していた。 産業革命の黎明期、英国では労働力は高価で、石炭によるエネルギーはこの上なく安かった。これは大陸ヨーロッパではあまり当てはまらなかったし、中国やインドではその逆が当てはまっていて、労働力は安くエネルギーは高価だった。英国の賃金は大英帝国の貿易の成功のおかげで高かった。中国の発明者はエネルギーを節約する方法を探した。腕力を蒸気の力で置き換えることの見返りが明らかだったので、英国の発明者は労働力を節約する方法を探した。 ボブ・アレンの計算によると、1780年にフランスの企業家にジェニー紡績機を簡単に組み立てられる説明が提示されていても、それを組み立てる価値はほとんどなかっただろう。インドでは、それは明らかに赤字だっただろう。しかし英国では、その収益率はほぼ40%だった。英国の工学の天才たちなんてそんなもの: それは誰も労働力を節約する節約する機械を開発できなかったからではなく、誰もそれを必要としていなかったのだ。 これは産業革命の起こった場所についての説得力ある説明だが、ボブ・アレンのイノベーション観は自己強化スパイラルへと振り向かせるので、このコラムの始まりに提示した混乱に対する解決策でもある。高賃金は労働力を節約する技術への投資につながる。その投資はそれぞれの労働者がより強力な設備を操作してより多く生産することを意味する。このプロセスが段々と労働生産性を高め、そうすると賃金も上がりやすくなる。さらにイノベーションを起こすインセンティブだけが続いていく。 アレンが述べているように、中国とインドは、数世紀にわたって製造部門の発展に失敗してきた農業経済国ではなく、高度に機械化された英国の工業との競争によって国内産業が破壊された低賃金な製造国だった。なんとか英国と対等な条件を取り戻すのは積極的に産業政策を行い幼稚な産業を保護するために関税をかけた国々だった。それは英国が植民地には許していない戦略だったのだ。
「『ヴォルカー・モーメント』と『ルーズベルト・モーメント』」 BY DAVID BECKWORTH 以下は、David Beckworth, “Obama Needs His FDR Moment”(Macro and Other Market Musings, April 18, 2012)の訳。2012年4月のエントリーです。
「ベン・バーナンキ(Ben Bernanke)FRB議長は「ヴォルカー・モーメント」(Volcker moment)に踏み出す必要がある」。これはクリスティーナ・ローマー(Christina Romer)の発言(erickqchanさんによる邦訳はこちら)である。この発言の趣旨は、1980年代初頭のポール・ヴォルカー(Paul Volcker)(元FRB議長)のように、バーナンキは喫緊の経済問題を解決するためにも臨機応変に行動し、新たな金融政策のレジームを採用する必要がある、ということだ。当時ヴォルカーが直面していた課題は加速するインフレであり、彼が採用した新たな金融政策のレジームは準備預金をターゲットとする政策運営であった。一方、現在バーナンキが直面している課題は長引く総需要の低迷であり、現在採用すべき新たな金融政策のレジームはNGDP(名目GDP)水準目標ということになるだろう。かねてよりNGDP水準目標を支持する人間の一人として、私もローマーと同様に、バーナンキが「ヴォルカー・モメント」に踏み出してくれないものかとこれまでずっと願ってきた。バーナンキが教授時代に日本経済に対して加えた分析に照らすと、「ヴォルカー・モーメント」に踏み出すことは彼の信条からそれほど大きくかけ離れたものでもないだろう。しかしながら、これまでバーナンキは「ヴォルカー・モーメント」に踏み出してはおらず、Fedの金融政策は2008年中頃以降実質的に引き締めスタンスが採られ続けている。この点はFRB副議長であるジャネット・イェレン(Janet Yellen)も認めているところであり、Fedの現状の金融政策は腹立たしいばかり(by Tim Duy)であり、完全な失敗(by Karl Smith)であり、あまりのフラストレーション(失望)からうつむかざるを得ないほど(by Ryan Aven)である。 今後もバーナンキは「ヴォルカー・モーメント」に踏み出す気はないのではないか、と認める必要があるのかもしれない。これまでにも「ヴォルカー・モーメント」に踏み出す機会は何度もあったにもかかわらずその瞬間は未だ到来しておらず、Fed内部における集団思考(groupthink)のためなのか、貯蓄家からの政治的圧力のためなのか、それとも彼がスコット・サムナー(Scott Sumner)のブログを読み過ごしてしまっているためなのか、その理由はともあれ、バーナンキが「ヴォルカー・モーメント」に踏み出すことはできないように思える。今後彼が「ヴォルカー・モーメント」に踏み出すかどうかはっきりしないのである。となれば、バーナンキが「ヴォルカー・モーメント」に踏み出すことを願う代わりに、オバマ大統領が「ルーズベルト・モーメント」(FDR moment)に踏み出すことを願うべきなのかもしれない。 「ルーズベルト・モーメント」が到来したのは1933年のことだった。1933年にフランクリン・ルーズベルト大統領が役立たずのFed−ルーズベルト政権誕生前の3年間にわたり、Fedは総需要の落ち込みを放置していた−に代わって金融政策の主導権を握り、総需要の堅調な回復に道筋がつけられることになったのである。ルーズベルトは、物価水準を危機以前の水準にまで引き戻す意向(すなわち、将来における期待名目支出(名目所得)を高める意向)を宣言し、その宣言を(行動で)裏付けるために財務省に対して平価を切り下げるよう命令したのである。ルーズベルトのこの行動によりマネタリーベースが劇的に増大し、総需要の急増が促されることになったのであった。 さて、オバマ大統領はどのような手段を通じて「ルーズベルト・モーメント」に踏み出すことができるだろうか? ルーズベルトのように、オバマ大統領は、名目支出の水準を引き上げる意図を宣言し、その宣言を(行動で)裏付けるためにFedに代わって財務省が金融政策の主導権を握るよう取り計らうべきである。そのための具体的な方法としては、NGDP水準目標を宣言し、その宣言を(行動で)裏付けるために財務省に額面の大きなプラチナコインの発行を許可したらよいだろう−そのプラチナコインはFedに預けられ、国民に対する支払いの原資として使用されることになるだろう−。財務省はNGDP水準目標が達成されるまで−名目GDPが目標経路に復帰するまで−プラチナコインの発行を続けることになるだろう。名目GDPが目標経路を超えて増大した(オーバーシュートした)場合、財務省は債券を発行して過剰な貨幣を吸収することになるだろう。 確かにこれはラディカルなアイデアであり、マーケット・マネタリズム(Market Monetarism;MM)とモダン・マネタリー・リアリズム(Modern Monetary Realism;MMR)[1] との混血児のようなアイデアだ。FedがNGDP水準目標を採用することが最善だと個人的には考えているが、このアイデアもまたうまくいくはずである。このアイデアもまた期待の管理(expectations management)に訴えるものであり、それゆえ実際に発行する必要のあるプラチナコインの金額は極力抑えられることになるはずだ[2] 。また、オバマ大統領が「ルーズベルト・モーメント」に踏み出そうすれば、それが脅しとして働き、突如としてバーナンキが「ヴォルカー・モーメント」に踏み出すきっかけとなるかもしれない。 訳注;モダン・マネタリー・リアリズムについてはこの記事やこちらのブログを参照のこと。 [↩] 訳注;NGDP水準目標の採用により将来的に名目支出(名目所得)が上昇するだろうと予想されるようになれば、人々がポートフォリオの組み換えに乗り出し、その結果として資産価格が上昇し総需要が刺激される可能性がある。そのためプラチナコインの発行はそれほど必要とされないかもしれない。この点について詳しくは例えばこちらのベックワースのエントリー「QE2の波及メカニズム〜QE2はどのようなメカニズムを通じて実体経済に影響を与えたのか?〜」を参照のこと。 http://econdays.net http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20091111/nominal_debate |