04. 2013年2月12日 09:05:54
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「ロスジェネ」の味方となる政党は現れないのか 規制緩和では豊かになれない 2013年02月12日(Tue) 川島 博之 1月31日、厚生労働省は2012年の給料(残業代やボーナスを含む額)が月額にして31万4236円になり、これは1990年以降の最低であると発表した。ここまで賃金が低下した理由として、賃金が安いパートの割合が増えたことを挙げている。パート労働者が全体に占める割合は 28.75%にもなっている。 一方、2月1日、総務省は製造業就労者人口が1000万人を割り込んで998万人になったと発表した。製造業就労者が全労働者に占める割合は16%でしかない。この厚生労働者と総務省の発表は無関係のようにも思えるが、実は深く関係している。 日本の産業構造は大きく変化している。高度経済成長を支えた製造業はアジア諸国の追い上げに苦しんでいる。韓国、台湾、中国をライバルだと思っていたが、昨今はASEAN諸国の製造業も急速に発展している。もはや、よほどのハイテク製品でない限り、日本製が安価なアジア製に太刀打ちすることは難しい。そのことは、パナソニックやシャープの苦境がよく表している。 製造業はリストラに忙しい。その結果、職を求める人々はサービス業に流れている。バブル崩壊以降に就職した、いわゆる「ロストジェネレーション」(ロスジェネ)の多くはサービス業で働いている。 そのサービス業には非正規雇用が多い。チェーン店化した飲食業やコンビニはバイトによって成り立っている。そしてサービス業でパート労働が一般化したことによって、平均給与が下がり続けている。これが、厚生労働者や総務省の発表したデータの根底にある現象である。 規制緩和で非正規雇用が増え、給与が下がり続ける そんな日本で、アベノミクスが進行している。アベノミクスでは第1の矢が大胆な金融緩和、第2の矢が大幅な財政支出、そして第3の矢が新しい産業の創出である。 ここで気になるのが第3の矢だ。安倍政権は大胆な規制緩和によって新たな産業を作り出そうとしているが、それはできるのであろうか。 規制緩和による産業の創出は小泉政権でも言われたことであるが、いまさら言うまでもないが、小泉改革によって新たな雇用が生み出されることはなかった。おそらく、規制緩和によってハイテクを用いた未来産業が作り出されることを夢見ていたのだろうが、そのようなことはなかったし、今後もないだろう。 それにもかかわらず、新自由主義が金科玉条に掲げる規制緩和を政策の中心に置いていると、多くの労働が正規から非正規に換わってしまう。そして非正規雇用が増えるために、給与が下がり続ける。 そのような状況を見るにつけて、非正規雇用を全面的に禁止する強い規制を導入する必要があると思う。 もちろん、そんな規制を行えば、経営者は雇用を減らすから、失業率を一気に高めることになる。それは、経済学を知らない者の暴論だとの批判があることは十分承知している。だが、政治は経済学とは異なる。学問的には間違っていると言われても、自己の利害を強く主張することが政治である。 ロスジェネが低賃金で働くのは老人のため? 既にロスジェネは4000万人にもなっている。そして、今後ますます増え続ける。彼らの多くはパートで働き、また、たとえ正規社員になっても、中高年に比べて安い給料で、こき使われている。 本来、そのようなロスジェネの意見を汲み上げて、過激と言われようが、パートの禁止や同一労働同一賃金を党の綱領に掲げる政党が出現してもおかしくない時期に来ている。しかし、ロスジェネが政治に関心が薄く投票に行かないことを背景にして、これまで、ロスジェネの利害を代弁する政党が生まれることはなかった。 自民党は経団連や農民を支持基盤の中核に据えている。一方、民主党は連合に代表される労組を支持基盤にしている。自民党は保守党であるから、経営者の立場に立って規制緩和を推し進めることは理解できる。しかし、本来、社会民主主義的な政党であるはずの民主党が公務員労組や大企業の労組の立場に立ってしまい、 ロスジェネの待遇改善に興味を示さなかったことは、まことに残念なことであった。 どちらの政党の支持者も老人が多いから、ロスジェネをパートとしてこき使うことによって、自分たちが利用するファミレスやコンビニの物価が安くなればよいと思っている。老人が年金を使い切ることなく、その多くを貯蓄に回すことができるのは、低賃金で働くロスジェネがいればこそである。 そして、老人の貯蓄が銀行預金を通じて国債を買い支えているのであるから、ロスジェネが低賃金でこき使われていることは、財政が破綻しない理由にもなっている。 新自由主義を掲げるみんなの党はパートの立場に立つ政党ではない。それはパートを使って事業を立ち上げることができる頭のよい強者のための政党である。日本維新のイデオロギーもみんなの党に近い。 規制緩和が日本社会に与える負の側面 規制緩和を進めて、新たなサービス業が起きると、英雄になれるほんの一握りの経営者と、多数の非正規雇用が生まれることになる。それによって、ますます低賃金でこき使われる若者の数が増えるから、消費が伸びることはない。出生率も改善されない。多くの人は、規制緩和が日本社会に与えている負の側面を軽視しすぎている。 そもそも政治運動とは非理性的なものである。資本主義に追い込まれて、どうしようもなくなった労働者が社会主義政党を作った。当初、社会主義政党は非合法とされて弾圧されたのだが、それは20世紀の歴史を大きく動かすことになった。 そろそろ、ロスジェネを支持基盤にした政党ができてもよい頃だと思う。その政党は、全ての労働者を正規雇用にしなければならないと主張する。すぐに正規雇用にできないのなら、パートにも失業保険を、健康保険を、大企業や公務員並みの退職金や年金を、同一労働同一賃金は先進国の常識だ、と強く主張する。 労働条件に関しては、徹底的に規制強化だ。そして、20世紀の革新政党が掲げていた護憲や反原発、反米にはこだわらない。 21世紀の日本には、そのような政党が絶対に必要である。ロスジェネを支持基盤にした政党がないために、昨今、政治に関する議論が空を切っているのだと思う。
「経済成長や多様な働き方は幸福につながる?!」 背景に隠された黒い“本音” 無理やり消費させる世の中から、おカネを出したいと思う世の中へ 2013年2月12日(火) 河合 薫 今回は、「成長と私たちの幸せ」について考えてみようと思う。 「私の部下は半数以上が非正規です。はっきり言って、彼らが今の政策で幸せになれるとは到底思えない。実は私の娘も非正規で働いているんですけど、何かかわいそうで。部下や娘を見ていると、経済成長だとか多様な働き方って考え方は、実に無責任で弱い者イジメに近いものを感じてしまうんです」 安倍晋三政権になってからというもの、毎日のように“景気のいい”ニュースが報じられている。 トヨタ自動車は、5年ぶりに単独営業黒字となり、ネット証券大手のカブドットコム証券では、今年1月の新規口座開設数が昨年12月の2倍近くに急増し、今年に入ってから全営業日で「大入り袋」が支給されている。1日の売り上げが予算の1.5倍を超えると、500円の「大入り袋」が全社員に支給されるという仕組みだそうだ。 さらには、大手コンビニエンスストアチェーンのローソンでは、子育て世代の社員などを対象に、会社の業績に関係なくボーナスを増やし、年収を平均3%引き上げる新たな賃金制度を導入することになった。 大手メーカーの部長が漏らした本音 うらやましい――。そんな感想を持った人たちは多いことだろう。 だが、その一方で、「うちの会社では無理だろうなぁ」と半ばあきらめ顔の人や、「どうせ恩恵を受けるのは、金持ちだけでしょ」と不満を募らせる人、あるいは「非正規社員の問題をもっと取り上げてくれよ」といら立ちを感じる人たちがいる。 実際、私も年明けから、いくつかの企業の会合に参加させていただいているのだが、経営者が集まる会合ではここ数年にない明るい雰囲気があったものの、中間管理職主体の会合では微妙な空気が流れていた。 冒頭の言葉も、大手メーカーに勤務する部長職の男性が、ふとこぼしたものである。 「非正規社員は今後もっと増えていくでしょうね。一度削った人件費を増やすなんてことを会社はしませんよ。特に上の世代は、若い人たちの雇用を増やさなきゃとか、非正規を正社員にした方がいいとか、個人的に話している時にはもっともそうなことを言う。ところが自分たちがもらえるおカネが1円でも減るとなると、猛烈に反対するんです」 「しかも、これは正社員のモラルの問題なんでしょうけど、年配の正社員たちの中には、給料の安い非正規社員の前で、平気で自分の持つ別荘の話なんかをする輩がいるんです。悪気はないのかもしれないけどね。でも、お恥ずかしい話、私自身、彼らの苦労がホントにわかるようになったのは、娘が非正規雇用になってからなんです」 「娘は大学卒業後、正社員になれずに契約社員になりました。で、一昨年出産とともに辞めました。契約の身分で、産休を取ることができなかった。ただ、当時の上司が理解ある方で、再び働きたいと相談したら、再契約できるように動いてくれた。ところが、今度は保育園で子供を預かってもらえない」 「契約前なので求職中ということになると、『だったらまだ育児はできますね』と言われ、後回しにされるんです。いわゆる待機児童ってやつです。家が近ければ家内が見てあげることもできるんですが、離れているのでそういうわけにもいかない」 「政治家や経営者たちには、非正規社員のホントの苦しみはわからないんだと思います。だって成長戦略と言ったって、正社員の給料だって上がるのに3年かかると言うじゃないですか? 非正規の場合には、いったい何年かかるんでしょうか? 多様な働き方って聞こえのいい言葉ですけど、多様な働き方というのは、選べる自由がある人が使う言葉で、今の非正規社員たちには当てはまらないし、部下や娘たちを見ていると、誰がいったい幸せになれるんだって。暗澹たる気持ちになるんです」 非正規社員の問題は、これまでにも何度も取り上げてきた。 正社員との賃金格差。正社員化への法案のハードルの高さ。育児休暇などの待遇面での格差。さらには世間の「非正規=正社員になれなかった人」という偏見……。 加えて、この方が指摘する通り、認可保育所の入所にはポイント制というものがあり、非正規社員は正社員に比べて入所できる優先度が低い。ましてや、この方のお嬢さんのように、求職中という身分になるとさらに難しくなる。 単なる雇用形態の違いでしかないはずの正規と非正規の分類が、完全に身分格差となった現実がある。 「政治家や経営者たちにはわからない」 政治家や経営者たちには、彼らのホントの苦しみはわからない──。 恐らくこれが、本当に苦しい人たちの本音なんだと思う。 例えば先週、日本経済新聞の2月6日付け朝刊に、「脱デフレへ所得底上げ 諮問会議、雇用改革に着手 」との見出しが躍った。以下はその記事の抜粋だ。 政府の経済財政諮問会議がデフレ脱却のカギを握る雇用と所得を増やす議論に着手した。正社員・終身雇用に偏った労働市場を改革して、国民全体の所得水準の底上げを目指す。 (中略) 具体的には正社員とパートなどに二分された雇用システムを改革し、地域を限定した正社員や専門職型の派遣労働者など多様な働き方を認める「多元的な雇用システム」を実現するよう求めた。 企業内訓練を受けられない人への教育訓練支援や、職業能力の評価制度の拡充を提言。「女性の活用が遅れている」として、待機児童対策の強化や男性の育児休業取得の推進も主張した。 (中略) 名目賃金はリーマン・ショックで景気が落ち込んだ2008年から5%程度下がった水準のままだ。主因は企業業績の低迷。利益などからどれくらい人件費に振り向けたかを示す労働分配率は、足元で66%とリーマン危機前より3ポイント程度高い。企業にとって人件費はまだ重荷になっている。 みずほ総合研究所の山本康雄シニアエコノミストは「賃金上昇には、企業が持続的な成長を信じられるような状況が必要」と指摘する。政府は13年度の税制改正大綱に賃金を上げた企業の法人税を軽減する政策減税を盛り込んだが、産業界では「時限的な減税では人件費を増やす誘因にならない」との声が多い。 この中にも、「多様な働き方を認める」という文言はあるが、そこで生じている格差の是正には一言も言及していない。 だいたい「多様な働き方を認める」などと言うけれど、非正規雇用の方たちを対象に、「なぜ、現在の働き方を選んだのか?」という質問をした結果、「正規の社員、従業員として働く機会がなかったから」という回答が40%を超えている(「労働政策研究報告書」130号「契約社員の人事管理と就業実態に関する研究」)。 つまり、ポジティブな結果として「多様な働き方」が出てきているのではなく、ネガティブな結果として「多様な働き方」が生じているという実態があるわけだ。 しかも、これまで私自身がインタビューさせていただいた非正規雇用の方たちの中には、サービス残業を強要された人たちや、長時間労働で身体を壊してしまった人たちもいた。 彼らの多くは、「次も契約を更新してもらえるように」と無理をしたり、正社員というニンジンをぶら下げられて、長時間労働に耐えていたのである。 そういった実態があることもわかったうえで、「多様な働き方を認める」という言葉は発せられているのだろうか。 非正規の処遇を巡る日本とフランスの違い 念のため断っておくと、「多元的な雇用システムの実現」という考え方を批判しているのではない。ただ、今や3人に1人が非正規社員で、ついには大学新卒者も、派遣や契約社員として就職することが珍しくなくなった今、もっともっと非正規社員の直面している問題にクローズアップした政策を取るべきではないか。 そもそも非正規社員が増えた背景には「できれば安い賃金で、いつでも切れる人がいい」という、「人=カネ」という考えがあったことは言うまでもない。しかも、非正規社員というのは、有期雇用という点で、ただでさえ将来が不安定な身分にもかかわらず、なぜ、「非正規社員の賃金は正社員よりも低くて当たり前」などという常識が、日本ではまかり通るようになってしまったのか。 フランスでは派遣労働者や有期労働者は、「企業が必要な時だけ雇用できる」というメリットを企業に与えているとの認識から、非正規雇用には不安定雇用手当があり、正社員より1割程度高い賃金が支払われている。 そんなに「消費を増やす」ことがデフレ脱却に欠かせないというのであれば、非正規雇用の賃金を正社員よりも上げるって取り組みだって、議論してもいいはずだ。 だが残念なことに、非正規雇用にスポットを当てた取り組みは見受けられない。 しかも、安倍総理は 先週の経済財政諮問会議で、「業績が改善している企業には、賃金の引き上げを通じて所得の増加につながるよう協力をお願いしていく」と述べたそうだが、「正社員の賃金をアップするんだったら、正社員の採用を控えて非正規を増やそう」なんてことになったりしないだろうか? だいたい正社員の賃金でさえ、日本経済団体連合会の米倉弘昌会長は1月29日に連合の古賀伸明会長と会談した折、「デフレ脱却には働く者の賃金や処遇改善が重要」と古賀会長が訴えたのに対して、「企業の存続と雇用の維持が最優先」と答えているのだ。 ローソンの新浪剛史社長のようなトップばかりじゃない。「政府にばかり頼るんじゃなくて、企業も頑張らなきゃだと思って賃金アップを決めました」と語っていたが、ローソンという会社は、もともと「人」を大切にしている会社なのだ。これまでインタビューさせていただいた方の中にローソンに勤めている方がいて、「いい会社なんだなぁ」とつくづく感じたのを覚えている。 賃金面だけでなく、裁量権や能力発揮の機会といった社員のやる気を高める制度、トップと社員との距離感の近さや、社員同志の相互理解など。いくつもの「人」を中心とした制度や働かせ方、働き方を実行していた。 もちろん今回のローソンの動きに触発されて、働く人たちのために努力する企業が増えれば、それは喜ばしいことだ。 だが、実際にはどうなのだろう? しわ寄せは非正規や社会的弱者に向かう 正社員の賃金を上げる代わりに、非正規社員にそのしわ寄せを押しつけるなんてことは起こらないだろうか。あるいは、下請けの中小企業に「ホラ、うちは正社員の賃金をアップしなきゃならないから、お宅の経費を抑えてよ」なんてことにはならないだろうか。 私は少し悲観的すぎるのかもしれない。でも、何かといえば企業は逃げ道を探し、政府が規制すればするほど、弱い立場の人たちが働きづらくなったり、誰かを守るために誰かが切り捨てられたりしてきた過去の経緯を考えると、絶望的な気分になってしまうのである。 安倍内閣の金融政策の指南役である、浜田宏一内閣官房参与は某雑誌のインタビューで次のように語っている。 「雇用されている人々が、実質賃金の面では少しずつ我慢し、失業者を減らして、それが生産のパイを増やす。よく『名目賃金が上がらないとダメ』と言われますが、名目賃金はむしろ上がらないほうがいい。名目賃金が上がると企業収益が増えず、雇用が増えなくなるからです」 ってことは、安倍総理の「賃金アップのお願い」はポーズだったりして。いやいや、そんなふうには思いたくない。うん、そんなうがった見方はやめておこう。 それでもやはり、私たちが幸せになる方向に、日本は向かっているのか? 進むべき方向が、何か違っているんじゃないのか? という疑問は残る。 「賃金アップのお願い」のしわ寄せが、非正規雇用や、社会的に弱い立場にいる人たちに押し付けられることになりやしないか? そんな不安を拭い去れないのだ。 幸福感は極めて主観的な問題なので、数字で測るのは難しい。だが自分の努力だけではどうにもならない状態になった時、自分に向けられる視線が偏見に満ちたものである時、「幸せだ」という感情を抱くことはできない。 社会的不平等が存在するという事実は、差別を受ける人たちにとっては慢性的なストレスとなる。しかも厄介なことに、人間は「自分がその差別を受ける側」にならない限り、その人たちの苦しみを理解できない。本当の痛みなどわからないのだ。 どんなに「日本は世界的にみても格差なんて存在しない」と豪語しようとも、どんなに「差別っていったって、それって本当に差別って言えるほどのものじゃないでしょ?」と言い張ろうとも、それは強い立場にいる人から見える景色でしかない。 国民経済というものが、「国民1人ひとりが、幸せになるためにある」という考え方に立つならば、「苦しむ人たちがどうすれば幸せになれるのか?」という視点にもっとウエートを置く必要がある。 株価やGDPに一喜一憂する世の中は幸せか? そもそも株価に一喜一憂し、GDP(国内総生産)を押し上げることにこだわる世の中って、そんなに幸せなのだろうか? 「経済の専門家じゃないのに、口を挟むんじゃない!」と言われてしまうと、ひとたまりもないのだが、民主党政権の時に「新成長戦略」をまとめ、その中で「生活者が本質的に求めているのは『幸福度(well-being)』の向上であり、それを支える経済・社会の活力である。こうした観点から、国民の『幸福度』を表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取り組みを行う」と発表して、GDPの向上だけが幸せじゃないとしたのは何だったのか? 幸福度を数字で示すことには賛否両論があるせよ、「幸せは物質的な豊かさではない」と感じていた人は多かったはずだ。 あと1カ月で、東日本大震災の発生から2年が経つ。あの頃、「人生において大切ものは何か?」「幸せとは何か?」といったことを誰もが自問自答し、自分たちの働き方、生き方に疑問を持ち、物質的な豊かさではないものを求めようとしたのではなかったのか? あの頃の気持ちはどこに行ってしまったのだろう。 「私が成長に反対するのは、いくら経済が成長しても人々を幸せにしないからだ。成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられている。そのような成長は、それが続く限り、汚染やストレスを増やすだけだ。政治家は経済成長と財政再建は両立できると訴える。だが、誰一人として成功していない。限りある地球で成長が可能だと考えるのは、エセエコノミストか愚かもので、今はそんな愚かものたちばかりになっている」 「脱成長」を掲げ、一昨年来日した仏の経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュ博士はこう批判した。 一方、成長論を唱える専門家たちは異を唱える。 「経済的成長は人が幸福になるには、大きなカギを握っている。人のことを考えるのであれば、脱成長論に逃げるのではなく、経済を成長させるための努力もすべきだ」と。 経済の専門家ではない私には、ラトゥーシュ博士の主張の方が腑に落ちる。でも、だからといってそれは成長論を完全に否定しているわけじゃない。だって、もし経済が上向きになればハッピーになる人たちもいるのだろうから、成長論者たちが言う通り、成長できるのであれば、成長する努力もしてくれればいいとは思っている。 あえて私なりの解釈を言わせてもらうなら、「経済成長して幸せになる人たちもいるにはいる。でも、幸せになれない人たちを量産するリスクも多い」ってことなのではないか? 恐れずにさらに言わせてもらうなら、経済成長にばかりにこだわり、カネばかりを追いかけている今の動きは、「キミたちにはもっともっと働いてもらわなきゃ。生産性を上げるためにもっともっと肉体を酷使して、マッチョに働いてよ。だって、こっちだって賃金アップするために頑張っているんだからさ〜」。こんなふうに聞こえてしまうのである。 つまり、「経済成長こそが大きなカギとなる」というのであれば、「賃金格差や身分格差の不平等をどうやって解決するか」「精神的な豊かさとは何か?」といった、ここ数年に誰もが解決しなきゃと考えていた問題を、もっともっと議論し、そのための施策に、もっともっと取り組んでほしいと思う。 当然だが、おカネですべてが解決されはしない それに……おカネはなければ困るけど、おカネですべてが解決されるわけじゃない。 「タイムマッチョ」な働き方を見直し、長時間労働をなくし、時間的余裕のある働き方を目指す。もっと仕事以外の活動が可能な、時間的余裕ができれば、そこそこのおカネのある人たちは、自発的に「自分にホントに必要なモノ。自分の生活を豊かにするもの」におカネを使うはずだ。 無理やり消費させる世の中ではなく、おカネを出したいと思う世の中。おカネなどの物質的な豊かさではなく、心の豊さを実感できるために、国が何をできるのか? そんな議論も不平等問題と同時にしてほしい。 このコラムを書いている途中で、「富士通、国内外で5000人を削減。4500人を転籍」とのニュースが飛び込んできた。 成長路線の道のりは険しい。 「成長のための成長が目的」ではない、「ホントに人が幸せになるために必要なこと」――。私も政治家任せにするだけじゃなく、かなり微力ではあるし、たいした影響力もないけれど、もっともっと考えてみたいと思う。 河合 薫(かわい・かおる) 博士(Ph.D.、保健学)・東京大学非常勤講師・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『を使えない上司はいらない!』(PHP新書604) 河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。 |