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今、世界中の企業が怒濤の勢いで「多国籍化」している。仕入れも多国籍であれば、社員も多国籍、そして販売もまた多国籍である。
経営者も多国籍であれば、ユーザーも多国籍である。
グローバル経済の本質は、世界規模のコスト削減による安売り競争にある。
多国籍企業は、賃金の安い国、仕入れ値を買い叩ける国を目がけて進出し、競争相手よりも1円よりも安い商品を提供しようと腐心する。この流れは、決して止まることはない。
だから、規模の大きくなった企業は、否が応でも多国籍にならざるを得ないのである。
競争が多国籍を促す。グローバル経済が続く限り、この流れはとまることはない。
キーワードになるのは「競争」だ。
■もはや一国の政治では対処できないグローバル化
グローバルで繰り広げられる「安売り」は、それが競争に打ち勝つ強力な手段だから、これからも激しく先鋭化した動きになっていく。
その結果、企業はコスト削減を強いられることになり、コストの大半を占める人件費の削減を始める。
要するに、先進国の人々の賃金を想像以上に削減する流れとなっていくということだ。
それだけではない。コスト削減のために、企業はとにかく安い価格で働く従業員を捜し求めている。
先進国の労働者の賃金が高すぎると思ったら、経営者は容赦なく先進国の労働者を切り捨てて、みんな新興国の労働者を使い始める。
そうすると、先進国の労働者も生活防衛のために安い物を選ぶようになる。
消費者が「安いものしか買わない」のだから、企業はますます賃金の安い国を渡り歩いてコスト削減に走る。ますます先進国の賃金引き下げ圧力が強まっていく。
そして、いつしか「安いものしか買わない」から「安いものしか買えない」という状況になるのだ。負のスパイラルが人々を追い詰める。
グローバル経済とは先進国の一般国民の賃金を引き下げるという経済である。多くの日本人は今ごろになってそれを認識し始めたが、もう手遅れだ。この流れは止められない。
企業が多国籍になればなるほど、そして社会がグローバル化すればするほど、この流れは先鋭化する。
もはや一国の政治では対処できない。世界中で、先進国の普通の人たちが貧困化していく現代社会の動きは、まさにグローバル化する世界の中で起きているのである。
■何もかも多国籍化すると、最後に無国籍化になる
かつて、多国籍企業と言えば、多くの国で統一ブランドを売る石油会社、食品会社、製薬会社、車会社がその名を欲しいままにしてきた。
これが、最初の多国籍企業の登場だった。
今の多国籍企業は、それにグローバル化によるコスト削減と、インターネットによるスピード経営が加わる。そこで、社内の多くの業務がアウトソーシングされていく。
これらの企業の特徴で面白いのは、もはや「多国籍」という概念を超えて「無国籍」になっていることである。
かつての多国籍企業は「販売する場所が多国籍」だったので多国籍企業だった。
しかし、今は製造する工場も多国籍なら、部品も多国籍に調達、経営者も多国籍ならば、社員も多国籍になっている。
さらに、企業は税金が安いところに本社を移すようになるので、本社機能も多国籍化していく。
何もかもすべてが「多国籍になっている」というのは、要するにどういうことなのか。もはやそれは、「多国籍」ではなく「無国籍」というべきなのである。
多国籍化のさらに先には、無国籍化が待っている。
生まれがアメリカであっても日本であっても、中身がすべて多国籍化して本社もどこかに移転した瞬間に無国籍化して、企業が何者か分からなくなっていく。
それが将来の多国籍企業の姿になる。つまり、いずれ多国籍企業は、どこにも所属しない「無国籍企業」へと変貌する形になる。
■多国籍企業の行き着く先は、無国籍企業。無国籍の流れが、企業から個人へと波及していく。それだけではない。企業が無国籍化していくと、そのあとに続く現象もある。
無国籍の流れが、企業から個人へと波及していくということだ。すなわち、これからはすべての国の個人が、いろいろな意味で無国籍化していく。
「個人が、無国籍化」と言えば、驚く日本人も多いかもしれない。しかし、日本人ほど帰属概念のない民族では、国境を越えて居住する場所をいくらでも変えるし、国籍を変更することもよく起こる。
アメリカやオーストラリアはそうやってできた国だし、今でもアメリカには多くの人がやって来る。元々の国籍を捨てて「アメリカ人になる」のである。
シンガポールも中国本土を捨ててマレー半島にやってきた中国人が作った人口国家であり、移民国家である。
個人の無国籍化は珍しい現象ではないのだ。
中国系の民族はそういった傾向が顕著であり、中国本土で資産を持つ人間は、自分の子供をカナダ人にしたり、シンガポール人にしたりして、家族の国籍を分散させる。
これは中国共産党が信用できないからという面もあるが、中国人はそれ以前から国家を信用しない民族なので、理不尽なことが起きればすぐに国の外に飛び出していく。
あと、アフリカでも中東でも、貧困国の国民は「移民」となって先進国のどこかに流れ出て行く。
先進国の国民は仕事を求めて国を飛び出てどこかに行く。EU諸国ではあちこちの国の国民がEU内の別の国で働くことも珍しくない。
企業も、国民も、多国籍なシンガポール。
■次に人間が同じ動きをしていく時代になる
欧米諸国ではグローバル化した時代に合わせるように、多文化主義を受け入れた。だから、どこの国の首都も人種の坩堝になっている。
世界では「個人が無国籍化」する動きが加速しており、世界のグローバル化がそれを後押ししている。
日本企業もグローバル経済に飲み込まれ、工場をどんどん海外に移してきた。中国や、東南アジアや、南アジアに製造拠点を移して、いったん海外に出ると賃金格差もあって工場は日本に戻ってこない。
工場の海外移転に合わせて数万人単位で日本人も海外に出ており、やがてはその中の少なからずが、「ここに定着したい」と思うようになる。
その他にも老後を海外で暮らそうと思う人たちも増える。物価が安い国で暮らせば年金を有効に使えるからであり、この流れは今もゆっくりと続いている。
国内で仕事が見つからないので、海外の日本企業で現地採用を目指す若者も出てきている。
日本では現在、放射能汚染が静かに拡散しているが、それを嫌って日本脱出をした人や、考えている人も多い。
また消費増税は必ず行われるので、物価の高い日本がさらに物価高になるのを嫌って日本から出て行く資産家も出てくる。
★今はまだほとんど目立たない動きかもしれないが、一部の人たちは遊牧民のように国から国へと渡り歩いたり、別の国に定着したりするのだ。
そういった人たちは居住を多国化させ、子供は二重国籍化し、やがて彼らが日本に帰属意識を持たなくなった時、「個人が無国籍化」していくことになる。
かつて、日本企業が海外に工場を作ったりするような動きは、多少はあっても一般化するはずがないと言われた。しかし、今では中小企業でさえ海外に出て拠点を持つ。
企業が多国籍化し、無国籍化していけば、次に人間が同じ動きをしたとしても何ら不思議ではない。
(参考記事:)
★「おひとりさま」は最期まで幸せといえるか・・浮民流民化に誘なった近代主義=消費社会現象!
http://president.jp/articles/-/8536?page=2
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