09. 2013年2月07日 00:54:04
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2013年2月7日 橘玲 橘玲×藤沢数希 特別対談 「金融幻想の終わり」を語る!(1) それでも外資系金融は終わらない!? 『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』などで、個人の資産運用に革命的な示唆を与えプライベートバンクの実情にも詳しい、作家・橘玲氏と『外資系金融の終わり』がベストセラーになっている、藤沢数希氏との初めて対談が実現。金融業界の裏側をセキララに語り合った内容を4回にわたって掲載する。その第1回は、外資系金融の実情について。
『外資系金融の終わり』が暴いた「金融幻想」の終わり 橘玲(以下 橘) 『外資系金融の終わり』を読ませていただいて面白かったのは、「金融」というビジネスが、どんどんショボくなってきていることがわかりやすく書いてあったことです。外国のプライベートバンクに何人か知り合いがいるんですけど、彼らは日本に来るといつも最高級のホテルに泊まり、最高級のレストランで食事をして、優雅なビジネスをしていたんです。それが2008年を機にどんどんリストラされていなくなり、辛うじて残ったバンカーたちもサラリーマンになってしまった。ハリボテかもしれないけどキラキラした感じがなくなったなって思っていたんです。それと同じことが、投資銀行の世界でも起きているんだなというのがわかりました。 藤沢数希(以下 藤沢) バブルの頃は、実際に儲けていたから「スゴイ」と言われていたけど、金融危機で投資銀行業界は大変な損失を出して、2009年には一旦は回復しましたが、それから儲けもしょぼくなってきたし、金融業界やそこで働くプロに対する幻想ははじけ飛んでしまいました。まさにハリボテでしたね。いい意味でも、悪い意味でも、金融とか経営コンサルティングの業界って「なんだかよくわからないけどスゴそうだ」っていうオーラみたいなものがないとダメなんですよね。でも、プライベートバンクは、業界がそういうオーラを放っていた頃でも、日本では流行りませんでしたね。 橘 ええ。なので彼らはいちいちスイスや香港からやって来ては「外国には本物のプライベートバンクがありますよ」という営業トークしていたわけです。そのプレミアム感が、彼らの超過利潤の源泉だった、というのが僕の理解です。 藤沢 なるほど。しかし、海外のプライベートバンクは日本ではことごとく失敗に終わっています。メリルリンチもUBSもずっと苦戦していたし、HSBCのプライベートバンクは日本から撤退してしまいました。日本の銀行は、いろいろやろうとしていますけどね。といっても、海外のそれとはずいぶん違っていて、貯金をたくさん持ってそうな人に投資信託を売りに行くだけですけど(笑) 橘 わけのわからない金融商品を売りつけるっていうビジネスモデルですね。 藤沢 日本の銀行はなかなか上手くやっているらしいですよ。団塊の世代がどんどん退職して、2000万円とか3000万円の退職金がどーんと振り込まれるじゃないですか。それで入金を見つけたら電話を掛けて「プライベートバンキングサービスどうですか」って。 橘 でも、特別な商品があるわけでも、有利な運用ができるわけでもないんですけどね。 藤沢 スイスのプライベートバンクだったら、子どもをスイスの学校に入れたいという時に、いろいろ口を利いてくれたり手続きを代行してくれたりとか、そういうのはあるかもしれません。 橘 そんなサービスが必要なのかといわれたら微妙ですけど(笑)。スイスのプライベートバンクと言えば、2008年に大きなスキャンダルがありました。UBSがアメリカで脱税の幇助をしているというので… 藤沢 告発したUBSの従業員がアメリカ政府から1億400万ドル(当時のレートで約80億円)という報奨金を貰ったっていうやつですね。 橘 そうです。あれはすごく象徴的な事件だったと思うんです。つまり、アメリカにもメリルリンチやシティバンクに富裕層向けのプライベートバンクがあるでしょ。そういう中で、スイスのプライベートバンクのアドバンテージと言えば「スイスなら脱税できます」ってことしかなかったんだと。手品の“タネ”がバレたみたいに、決定的にわかってしまった。 藤沢 そりゃそうですよね。富裕層向けということで、何か特別な運用ができるなら、商品にせず自分達で運用してればいいわけですからね。アメリカのプライベートバンクになくて、スイスのプライベートバンクにあったのは、税務当局から見えにくい「匿名性」だけだったという。でも、そうは言ってもUBSもクレディ・スイスも、プライベートバンクはそこそこ儲けてるんですよ。 左:『海外投資の歩き方』サイトも運営する橘玲さん。右:『外資系金融の終わり』がベストセラーになっている藤沢数希さん 橘 今も、うまくいってるんですか。 藤沢 プライベートバンク自体は、富裕層からお金を預かって、金融商品を売ったりして手数料を稼ぐという、手堅いフィー・ビジネスなんですよ。だから、うまく行ってるというか、昔と変わらないけど、金融危機前までは派手に自らリスクを取って儲けていた投資銀行部門がコケたので、相対的に浮かび上がったんですね。 橘 なるほど。 藤沢 今、世界的に金融の規制を強めようという動きがありますよね。例えば「バーゼル3」では、国際的に業務展開している銀行に自己資本をさらに積み増すことを要求しています。これをクリアすれば健全性は高まるけれど、資本コストが上がるので競争では不利になります。だから、皆が一斉にやらないといけないわけですが、米国が間に合わないとかでタラタラ先延ばしにしています。 橘 2012年末から段階的に導入して、全面的に適用するのは2019年からってことになってますね。 藤沢 でも、スイス政府はすごく積極的で、UBSやクレディ・スイスに前倒しで実行させようとしてるんです。 橘 なぜ、自国の銀行が不利になることを、スイスはあえてやろうとしているのでしょうか? 藤沢 スイス政府が危ないと思っているからでしょう。UBSやクレディ・スイスは、投資銀行の世界では英国や米国に比べれば、所詮“2流プレイヤー”なんです。それでも銀行全体ではスイスのGDPの何倍もの資産を持っているわけですから、下手に張り合って失敗されたら自国では救済できませんからね。次の金融危機で、自国の銀行を自国で救済できないとなると、永世中立国としての地位が危うくなります。だから、不利を飲ませても健全性を高めて、未だに国際的に競争力のある「プライベートバンクの国」としてのブランドを守りたいんじゃないか、と。 橘 なるほど。私がUBSの人に話を聞いた時は、まだ投資銀行がものすごく儲かっていた時代で、「プライベートバンク部門は完全に窓際だ」とぼやいていました。 藤沢 スイスは投資銀行の分野では遅れてやってきプレイヤーだったんですけど、それでも2007年くらいまではものすごく儲かっていました。プライベートバンク部門は、窓際というよりも左遷部署で(笑)。ところがサブプライム危機で投資銀行部門はいっぺんにダメになってしまい、左遷部署でも毎年きちんと儲けていたプライベートバンク部門が主流に戻ってきたという。 橘 プライベートバンクはいろんな国にありますが、やはり巨額の資産を預けるとなるとスイスの伝統は強いんでしょうね。 藤沢 だから、UBSは投資銀行部門をめちゃくちゃリストラしています。債券部なんてやめちゃうくらいの勢いです。債券部って現金で債券を買って、1%程度の薄い利回りで儲けを出さなきゃいけない。だから、バーゼル3などの規制で、資本コストが上がると、ビジネスとして成り立たなくなっちゃうんです。また、サブプライム危機も住宅ローンを組み込んだ債券や派生商品が暴落したのが原因ですけど、こうした薄い利回りで儲けるために突っ込む元本はどんどん巨額になるので、それが暴落すると一気に銀行が潰れそうになってしまうんですよね。 橘 で、プライベートバンクに回帰というわけですか。かつてのように、何があっても顧客の匿名性を守り抜くということはなくなったけれど、消去法で考えたらわざわざ他国へ移すほどの理由はないし。 藤沢 そうそう。脱税とまではいかなくても、見えにくいところに置いておきたいというニーズはたくさんあるんですよ。脱税の場合、米国政府に出せと言われたら弱いけど、民事訴訟くらいだったらスイスに口座があればそれなりにプロテクションになりますよね。 次のページ>> 国際金融におけるアメリカの役割 橘 リヒテンシュタインのプライベートバンカーが言うには、彼らの一番の顧客はロシア人なんです。次は中国に進出したいといって、中国人スタッフを雇っていました。考え方はすごくシンプルで、彼らの顧客は“自分の近くにお金を置いておけない人”なんですね。いくら稼いでもプーチンや共産党政府に睨まれたら投獄されるかもしれない。そういう国ですから。そこにプライベートバンカーがこっそり行って、オフショアに会社を作ってあげて、お金を上手に逃避させてあげるという。これだけでも結構儲かるんですね。
藤沢 先日、マカオに行ってきたんですけど、マカオのカジノの総収入って、いまや年間300億ドルで、ラスベガスの70億ドルの4倍以上なんですよ。これも中国本土のお金持ちが、政府にいつ財産取られるかわからないので、マカオのカジノでお金の出所をわかりにくくして、いろいろなところに分散させる、広い意味でのマネー・ロンダリングみたいなことをしてて、それでマカオに資金が流れ込んでるみたいなんですよね。 橘 中国人は全く中国政府を信用してませんよね(笑) 藤沢 それに、ロシアや中国から“人には言えないお金”が集まってきて、顧客が死んじゃって、誰も遺族とかが取りに来なかったらお金は実質的に銀行のものになっちゃいますよね。プライベートバンクには、そういうお金も結構あるんじゃないかと思うんですよ。スイスのプライベートバンクには、昔はナチスとかいろんなところのヤバイお金がたくさんあったらしいですし。 橘 最終的に銀行のものになるとしても、100年くらいは取っておくんじゃないでしょうかね。引き出す人がいなければ、自分のものと同じですけれど。後は、アフリカの独裁者のお金とか。まあ、ボロい儲けですよね。 藤沢 このまえ英国のHSBCがイランに金融サービスを提供していたとして、米国政府から史上最大の罰金を食らっていましたよね。HSBCは戦争の前から普通にイランと取引をしていて、米国が戦争するから口座を凍結しろとかってちょっと理不尽だったんですけど。 橘 メキシコの麻薬マネーのロンダリングをしたという件と合わせての、罰金ですね。19億ドル(約1700億円)でしたっけ。 藤沢 国際的な金融ビジネスで、警察みたいな役割ができるのは結局米国しかいないんですよね。だってもしHSBCが日本でマネーロンダリングしてて、日本政府が「罰金だ。19億ドル払え」と命令しても、払ってくれるかどうか… 橘 無視するでしょうね(笑) 藤沢 やっぱり米国なんですよ。だから国際的な金融規制も、米国が頑張るしかない。でも、その米国で金融業は政治力が強くて、世界の利益よりも、もちろん自分たちの業界に利益が最優先なわけで…。『外資系金融の終わり』っていう本を出して言うのもなんですけど、なかなかしぶといですよ。(第2回に続く) ●橘 玲(たちばな あきら) 作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 究極の資産運用編』『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 至高の銀行・証券編』(以上ダイヤモンド社)などがある。最新刊『不愉快なことには理由がある』(集英社)が発売中。ザイ・オンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』にて、お金、投資についての考え方を連載中。 ●藤沢数希(ふじさわ かずき) 欧米の研究機関にて、理論物理学の分野で博士号を取得。科学者として多数の学術論文を発表した。その後、外資系投資銀行に転身し、マーケットの定量分析、トレーディングなどに従事。 おもな著書に『なぜ投資のプロはサルに負けるのか?』『日本人がグローバル資本主義を生き抜くための経済学入門』、『外資系金融の終わり』(いずれもダイヤモンド社)がある。ツイッターのフォロワーは7万人を超える。 (撮影/和田佳久 構成/渡辺一朗) 橘玲の世界投資見聞録] 台湾・金門島と中国・厦門、それぞれのアイデンティティ 1 2 3 船戸与一の『金門島流離譚』を読んでから、ずっと金門島を訪ねたいと思っていた。 主人公は元敏腕商社マンの藤堂義春で、今は落ちぶれて金門島で密貿易のビジネスをしている。なぜ金門島かというと、そこが「現代史のなかでぽっかり開いた空白の島」だからだ。 金門島は、中国・福建省の港町アモイからわずか2キロほどしか離れていない。この島が特別な理由を藤堂は、作中でおよそ次のように説明する。 日本統治時代の台湾とは、台湾本島と澎湖島のことで、金門島や(同じく福建省の沿岸にある)馬祖島は含まれていなかった。だが国共内戦に敗れた蒋介石軍が台湾に落ちのびるとき、人民解放軍の追撃に備えて金門と馬祖に兵力を残したため、いまも台湾の実効支配が続いている。中国共産党は、1949年の上陸作戦と58年の砲撃戦でこの2つの島を奪還しようと試みたが果たせなかったのだ。 とはいえ、台湾国民党が受け継いだのは旧・日本の版図だけだから、国際法上、金門と馬祖が台湾領だという根拠はどこにもない。金門島では台湾ドルが流通し、台湾の教育が行なわれているが、島民にはここが台湾領で、自分たちが台湾人だという自覚があまりない。かといって、中華人民共和国の領土だとも考えておらず、どこにも帰属意識のない奇妙なことになっている。 中国共産党はもちろん、金門島を自国の領土と見なしている。金門島の住人は「中国国民」になるから、金門島の戸籍を持っていればアモイの入管は査証なしで通過できる。すなわち、彼らは中国と台湾をビザなしで自由に行き来できるのだ。 そのため金門島は、煙草や高級ウイスキー、ブランデー、音楽CDやゲームソフト、高級ブランドの衣類やバッグ、時計などのコピー商品の一大集積地になった。たとえばブランド品のバッグは、タイから送られた原材料を広東省の山のなかの秘密工場で加工したもので、鑑定士でなければ偽物と見破られないくらい完成度が高い。そんなコピー商品が、現代史の空白を利用してこの島に集まってくるのだ……。 金門島の歴史 1958年に台湾海峡を挟んだ砲撃戦が勃発すると、金門島は軍事的要衝として一般人の立入りが厳しく制限され、島内には台湾軍の精鋭部隊が展開された。1996年の台湾総統選挙で独立派の李登輝が優勢に立つと、「一つの中国」を国是とする中国共産党政府は大規模な軍事演習を行ない、それに対抗して米軍が台湾沖に空母を派遣したことで、東アジアの軍事的緊張は一気に高まった。 しかしその一方で、中国が改革・開放政策で市場経済と外資導入に大きく舵を切るにつれて、両国の関係は大きく変わっていった。 もともと台湾人(本省人)の多くは福建省の出身で、台湾語は閩南(ビンナン)語(福建語)とほとんど同じだから、彼らは異なる国の国民というより同郷人だ。東南アジアで成功した華僑財閥の多くも福建の出身で、彼らが台湾人の企業家や投資家とともに故郷の町や村に工場を建て、積極的に投資したことで、かつては中国でも貧しい省のひとつとされた福建は大きく発展した。 こうして、台湾海峡の危機から10年も経たないうちに、アモイ(福建)と台湾は急速に経済的に一体化していく。 軍事の最前線だった金門島は、92年に戒厳令が解除された後、多くの台湾人が訪れる観光名所になった。その後、中国が台湾人の渡航を緩和したため、金門島経由でアモイを訪れるツアーが大人気になった。金門島の商店は台湾人旅行者のために中国本土の(コピー商品を含む)安い物産を並べ、アモイの町には金門島経由で台湾の物産が流れ込んだ。 これが、『金門島流離譚』の背景だ。 次のページ>> 金門島にわたる 以前は外国人の渡航が禁止されていたというが、アモイの東渡港国際フェリーターミナルから金門島に渡るのは拍子抜けするほど簡単だった。 金門島に渡る国際フェリーターミナル (Photo:©Alt Invest Com) チケットは行きが160元、帰りが650台湾ドルで、日本円にして1000円前後だ。出入国管理はあるものの、大きな荷物がなければ税関はフリーパスで、外国に行くというよりも近くの島に遊びに行く、という感じだ。
平日にもかかわらず客室は半分くらい埋まっていて、その多くは中国人の観光ツアーのようだった。1時間ほどで金門島の水頭碼頭に着くと、ATMで台湾ドルを下ろし(ATMは隣の出発ロビーにしかなく最初は戸惑った)、タクシーで10分ほどの金城に向かう。ここが金門島の中心地だ。 金門島の魅力は、経済発展前の中国・台湾の片田舎の古い街並みが残っていることだ。軍事優先で都市開発が制限されていたためで、台北が近代都市になるにつれて“古きよき時代”を懐かしむひとたちがやってくるようになった。趣のある道教寺院の前に戦前の日本のような古い木造の商店街がつづき、観光客相手に土産物や貢糖(ピーナッツ飴)などを売っている。 こんな昔ながらの薬局が残っている。シャッターを下ろした店も多い (Photo:©Alt Invest Com) 金城は30分もあれば一周できる小さな町で、団体客が泊まれるるような大型ホテルはない。台湾からの観光客は、古い街並みと、翟山(ディーサン)坑道などの中台紛争の遺跡を駆け足で見学すると、そのまま水頭フェリーターミナルからアモイに向かう。街はひなびた田舎の観光地という雰囲気で、時折、駐屯する台湾軍の兵士たちとすれ違うものの、彼らの表情から緊張は窺えず、若い男女が雑談しながら歩いている様子は軍服さえなければデートのようだ。
台湾軍が掘った坑道。いまでは金門島の観光の目玉 (Photo:©Alt Invest Com) 2001年から金門島・馬祖島と中国のあいだで小三通と呼ばれる通商、郵便、直行航路が開始され、2009年には金門島の住民だけでなく台湾人も、出入境証明があれば金門・馬祖から直接中国大陸に渡ることができるようになった。こうして金門島発着の中国ツアーが人気を集めるようになったのだが、経由地であるこの島に大きな恩恵をもたらすことはなかったようだ。
船戸与一の『金門島流離譚』が出版されたのが2004年で、それから10年もたたないうちに、「パチモノの島」の様子もずいぶん変わってしまった。船戸はこの島を「すべてが偽物でできている」と描いたが、観光客相手の土産物屋に並んでいるのはいまは地元でつくる高粱酒や海産物の干物ばかりだ。コピー商品は(すくなくとも表舞台からは)姿を消し、衣料品店には中国産の安い服やバッグ、靴などが並んでいる。 金城の商店街。まるで戦前の日本のよう (Photo:©Alt Invest Com)
コピー商品の代わりに、いまでは包丁が金門島の特産品になった。58年の砲撃戦の後、島のひとたちが鉄の砲弾を溶かして包丁をつくるようになったのが始まりで、「金門剛刀」は包丁の高級ブランドだ。 『金門島流離譚』では、殺人事件をきっかけに、「ニセモノの島」に次々と「ニセモノ」たちがやってくる。だがひなびた街をいくら歩いても一片の禍々しさも感じられず、名物の蚵仔麺線(牡蠣入りソーメン)を食べてアモイに戻ることにした。 次のページ>> より「台湾化」している厦門 はるかに台湾らしい中国・厦門 金門島が観光地としていまひとつ飛躍できないのは、アモイが金門島よりもはるかに「台湾」化してしまったからだ。 アモイAmoyというのは廈門(シアメンXia Men)の閩南語読みで、中国人貿易商の父と日本人の母を持つ鄭成功が、明末・清初にアモイと台湾を清への抵抗運動の拠点にしたことで知られている。このことからわかるように、もともとアモイと台湾は同じ文化圏というか、同じ地域の本土と島の関係にある。 アモイの繁華街は中山路だが、ここには「風台(台湾風)」の看板を掲げた土産物店がずらりと並んでいて、海産物を中心に台湾や金門島の特産品はすべて買える。その近くには「台湾夜市」という屋台街があり、台北の道教寺院・龍山寺の夜市にも劣らぬ賑わいだ。海外旅行には縁のない中国本土のひとびとにとって、アモイはいまでは「パスポートなしで行ける台湾」になった。 アモイの繁華街、雨上がりの中山路 (Photo:©Alt Invest Com) アモイの最大の観光地はコロンス島で、街の中心にあるフェリー乗り場から片道8元(約100円)、所要時間10分ほどの距離だ。
コロンス島は、アヘン戦争後に結ばれた南京条約で、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本など列強の共同租界が置かれ、各国の領事館や学校、教会などがつくられた。赤レンガ造りの洋館が立ち並ぶ一角は、まるでヨーロッパの街に迷い込んだかのようだ。世界遺産に登録されたことで中国全土から観光客がやって来るようになったが、路地に入ればいまでも往時の雰囲気を感じることができる。 洋館が立ち並ぶコロンス島 。路地に入ればまるでヨーロッパ (Photo:©Alt Invest Com) コロンス島は、いまでは台湾からの観光ツアーの最大の目玉でもある。島を見渡す日光岩やホワイトハウスを模したアモイ博物館は、中国と台湾の観光客でいっぱいだ。
アモイの台湾夜市。ものすごい活気 (Photo:©Alt Invest Com) 中国と台湾は2つの異なる「国」だが、福建のひとたちは、北京や上海、広東の人々とは普通話でなければ会話ができず、台湾のひとたちとは母語である閩南語で話している。だとしたら、彼らのアイデンティティはどこにあるのだろう。
アモイの台湾夜市で台湾B級グルメの鶏肉飯を食べながら、そんなことを思った。 鶏肉飯は15元 (Photo:©Alt Invest Com)
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 究極の資産運用編』『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 至高の銀行・証券編』(以上ダイヤモンド社)などがある。最新刊『不愉快なことには理由がある』(集英社)が発売中。ザイ・オンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』にて、お金、投資についての考え方を連載中。 |