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<潮流>
「しんぶん赤旗」 2014年1月20日 日刊紙 1面
NHKEテレのドキュメンタリー番組 「下北半島 浜は核燃に揺れた」に注目しました。戦後日本の歩みを地方から見つめるシリーズ「日本人は何をめざしてきたのか」の第7回。この1月からは東北が舞台
▼国策に翻弄(ほんろう)され、苦しみ抜いた末に原子力との共存の道を選んだ青森県・下北半島の人々の記録です。小さな浜にもちあがった原子力船「むつ」の巨大な港建設計画、六ヶ所村の核燃料サイクル施設の建設。核燃の受け入れをめぐって地域は引き裂かれ激しい対立が起きました
▼なぜ下北半島だったのか。番組は1969年、下北半島を空から視察する経団連首脳の姿を映します。高度経済成長から取り残されたこんな土地があったのかと。そこから下北半島の巨大開発計画が浮上したといいます。それは働く場所もなく、出稼ぎに出るしかなかった人々にとって福音でもあったのでしょう
▼しかし、その代償はとても大きいものでした。防波堤に描かれた子どもたちの絵が象徴的です。漁民と漁民が握手をしている絵。なんとか仲直りしてほしいというメッセージです
▼最大の代償は核燃サイクルが破たんし、高レベル放射性廃棄物の最終処分場が決まらない中、なし崩し的に下北半島に全国の使用済み核燃料が集められていることでしょう。原発が「トイレなきマンション」といわれるゆえんです
▼私たちは歴史から何を学ぶのか。番組に結論はありません。しかし、もはや原発からの撤退しかないことを事実であぶりだします。
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<参照>
戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第7回「下北半島 浜は核燃に揺れた」
かつて貧困にあえいでいた青森県下北半島。多くの若者が集団就職で村を離れた。1970年代「むつ小川原開発」による工場誘致にも失敗。原子力船むつの受け入れをめぐり激しく揺れた。そして1980年代、六ヶ所村は村を二分する葛藤の末、核燃料サイクル基地を誘致。村の経済は原子力産業に大きく依存するようになった。いまや日本有数の原子力産業集積地へと変貌した下北半島の戦後史を浜に生きてきた人々の証言から見つめる。
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