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政権交代 小さな島分断 新日本原発ゼロ紀行 上関編(山口県)
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2014年1月12日 東京新聞:こちら特報部 俺的メモあれこれ
瀬戸内海に浮かぶ周囲12キロの島が揺れている。中国電力上関原発(山口県上関町)の建設計画地と海を挟んで向き合い、建設反対運動が続いてきた祝島。福島原発事故後、「もう新設はないだろう」という空気が漂ったが、政権交代で原発推進策が復活。建設話が再燃した。島には、過疎化と高齢化によるしこりも生まれていた。 (上田千秋)
◆「福島」反省ないまま計画再燃
「祝島は世界の宝。諦めなければ、この美しい海と土地はきっと守れる」
昨年12月9日の夜、島の公民館に50人余りの島民が集まった。人びとの視線の先には、米国先住民解放運動の指導者、デニス・バンクスさん(76)がいた。バンクスさんの言葉に島民たちは深くうなずいた。
この日は月曜日。祝島では毎週月曜日の夜、原発建設反対のデモが30年以上催されている。時には、島を訪れたゲストの話に耳を傾ける。「上関原発を建てさせない祝島島民の会」事務局長の山根善夫さん(64)は「都会のデモと違って誰が見ているわけでもないが、気持ちを確かめ合い、結束を固める意味を込め、続けている」と語った。
上関原発の建設計画を振り返ってみる。浮上したのは1982年6月。当時の町長が誘致を表明した。以来、町内では賛成派、反対派に分かれて対立が続いたが、島民の大半は反対を貫いてきた。島から計画地までの距離はわずか4キロ。事故の危険だけでなく、島の主要産業である漁業や観光への影響も避けられない。巨大な人工構造物を日々目にしながらの暮らしを苦痛と考える人も多かった。
漁業者は反対運動の中核で、2009年10月に中国電が計画地の海面埋め立て工事に着手した際には、何十隻もの漁船を出して、阻止行動を繰り広げた。
そうした状況下で、福島原発事故が起きた。事故直後の11年3月15日には、慎重な対応を求めた県と町の意向に応じ、中国電は工事を中断した。同年9月には、民主党の野田佳彦首相(当時)が「原発新設は現実的に困難」と発言。島民の会代表の清水敏保さん(58)は「誰もが、もう原発ができることはないと思った」と振り返る。
ところが政権交代後の13年2月、事態が一変する。中国電から支払われた漁業補償金を受け取るか否かの採決が県漁協祝島支店であったが、反対21人に対して、賛成が31人と10人も上回った。反対派のある組合員は「油断していた。いつの間にか、反対派の組合員が賛成派に切り崩されていた」と話す。
この漁業補償金は00年4月、建設計画地周辺に漁業権を持つ8漁協のうち、祝島漁協(現県漁協祝島支店)を除く7漁協が賛成して、中国電から総額約125億円が支払われた。
祝島漁協だけは、割り当てられた約10億8000万円の受け取りを拒否。過去に3回行われた採決も、反対多数で否決されていた。
◆「漁業補償金受け取れぬ」 将来不安あるが「自立を」
祝島では、過疎化と高齢化が急激に進んでいる。2000年4月に718人を数えた島民は、昨年4月には466人にまで減少した。うち65歳以上は340に上り、高齢化率は7割を超える。
党内を歩いていてもすれ違うのはお年寄りばかり。島内に小学生は3人、中学生も3人しかいない。「UターンやIターンで島に来る人もいるけど、亡くなる人の方が圧倒的に多い。仕事がない以上、これからも若者が増える見込みはないよ」。50代の男性はそう自嘲気味につぶやく。
島民の会の前代表で、社団法人「祝島千年の島づくり基金」代表理事の山戸貞夫さん(63)は「反対運動を始めた当初はみな30代、40代。漁協も順調で、生活は安定していた。だが、いまは違う。将来への不安が、2月の採決の背景にあったのだろう」とみる。
実際、祝島の漁業は年々苦しさを増している。ここ数年は魚価の低迷などで支店の会計は赤字が続き、組合員が穴埋めしなければならない運営費は11年度が一人当たり8万3000円、12年度は13万5000円、13年度は20万円近くになるとみられている。
支店運営委員長の恵比須利宏さん(70)は「年金頼みで生活している人も多い。皆、決して原発建設を望んでいるわけではなく、生活のためにやむなく賛成したはずだ」と推測する。
ただ、採決から10カ月以上たった現在も、補償金は支払われていない。というのも、3月にあらためて組合員に確認したところ、31人が反対の意思を示して、「補償金は受け取らない」と記した書面を県漁協に提出したからだ。
県漁協は「2月の採決が有効」として、補償金の配分案を決めようとしているが、反対派に島への上陸を拒まれたりしている。
ただ、補償金話は島内にしこりを生んだ。「30年以上、皆で頑張ってきたのに受け取りに賛成するなんて」と憤然とする島民がいる一方、ある組合員は「反対の書面を強引に書かされた。原発はもうできない。金をもらっても問題はない」と胸の内を明かす。
とはいえ、原発建設計画は消えていない。中国電は海面の埋め立て免許が失効する直前の12年10月、県に更新を申請。県は中国電に5度にわたって補足説明を求め、「回答を見て、県が決定を出すまで免許は有効」(港湾課)として判断を先送りにしている。政府も昨年末、原発を「重要なベース電源」と位置付けるエネルギー基本計画の素案を示している。
島民の会代表の清水さんは「補償金の受け取りイコール原発を認めること。金をもらって反対とは言えない。計画が完全に撤回されるまで、運動は続けていかないと」と訴える。
過疎化や高齢化の問題は簡単には解決しない。漁業者の生活苦も募る。だが、島で養豚業などを営む氏本長一さん(63)は「補償金の受け取りに賛成した人たちは『子供や孫に少しでも金を残せれば』と思っているのかもしれないが、それでは島は自立できない。一度でも原発の金を受け入れれば、ずっとそれに頼り続ける」と力を込める。
反対派の漁協組合員橋本久男さん(61)も決意をこう語る。「上関で原発建設を許せば、他の地域での新設にもつながってしまう。福島で事故が起きてもまだ計画が残っているなんて、日本中どころか、世界中から物笑いの種にされる」
[デスクメモ]
高度経済成長期の京浜工業地帯の真ん中で育った。工場の社宅暮らしだったので、事故となれば交代勤務の当番とは関係なく、父や同僚たち全員が現場に走った。その顔には給料のみならず、社会の明日を背負っているような気概があった。原発は逆だ。人びとの弱みに巣くう。経済のためなんてお笑い草だ。(牧)
2014年1月12日 東京新聞:こちら特報部
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014011202000154.html
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