http://www.asyura2.com/13/genpatu35/msg/721.html
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https://twitter.com/tokaiama/status/421768545475645441
放射能アレルギーのリバウンド現象だね
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/765111b1c5bf0b8c69387b05fc026fc0
岡山に避難者が多くなっていることは、お伝えしている通りですが、きょうは東京から岡山に避難された女性の話です。彼女はご主人と一緒に、避難されることを決められて、お仕事を変えられてご夫婦で移住されました。身体症状の変化が耐えられなかったそうです。お子さんはいらっしゃらないそうですが、自分たちの身体症状から判断して移住されています。
移住したら、本当によくあることなのですが、なかなか汚染のある場所に戻りたいとはおもいません。人間は決断するまでは時間もかかりますが、決断してしまえば、実は合理的に行動する動物です。いまさら、汚染地に行きたいとは思いません。僕も、感覚は同じです。というか、行かないと強く考えることの方が圧倒的に多くなります。
それでも、身内の不幸など、どうしても足を運ばないとならないことはおきます。そうして久しぶりに都内に行ってみた時に、まだ30歳を過ぎたくらいの女性である彼女の身体にどういうことがおきたのか。
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木下さま、こんにちは。いつもお忙しい中の情報発信をありがとうございます。
2013年に東京23区から岡山市に夫と共に移住した30代女性です。
2013年12月の暮れ、
身内に不幸があり、移住先の岡山から東京・埼玉へ帰京した際に起きた身体の変化について報告します。
端的に申し上げると、たった20時間の東京滞在で手の皮膚に水疱ができ、赤く腫れ上がり、ズル剥けになりました。
ご参考までに時系列で説明しますと、
●15時半すぎ 岡山を出発。
●19時すぎ 東京駅着。
八重洲で食事を済ませ、東京駅前のビジネスホテルに1泊。
●翌7時半 ビジネスホテル出発、
埼玉の火葬場へ向かい、故人とお別れ
●16時すぎ 東京を出発。
東京に着いてから、発つまで20時間ほどです。
岡山に戻り、二週間経った今、皮膚はようやく快方に向かいつつあります。
皮膚は元々弱い方ですが、ここまで急激に悪化したことはありません。
2011年秋頃には、脱毛が激しく、カラ咳もあり、体質的に放射能に敏感なのはわかっておりましたが…。
水、食事、空気がもうダメなのだろうと思います。
忘年会シーズンの東京は、街には人が溢れ、美味しそうな料理とお酒と笑い声…。
いつもの年末と同じ光景が繰り広げられていましたが、東京での汚染を気にしている私達はまるで違う世界(原発事故の起きていないパラレルワールド)に来てしまったかのような感覚の違いを覚えました。
昨年2013年は、友人の親世代(50代半ば)の突然死も相次ぎ、表面化が始まっているように思います。
悲しいですが、現実なのだろうと思います。
1人の方は、埼玉のホットスポットに在住の50代男性。脳梗塞、意識戻らず、他界。
1人は、癌で余命半年と告げられた50代女性、一週間後に他界。
東京は私の故郷ですから、大好きです。大切な家族、友人もいます。でも、この厳しい現実。
これを受け止め、首都圏で暮らす親族、友人を早く岡山へ呼び寄せたい、移住する際のサポートができれば、という思いが強くなりました。
なかなか難しい問題が立ちはだかりますが…。
岡山市内は、首都圏ナンバーの車を本当によく見かけるようになりました。
品川、横浜、湘南、大宮、野田、多摩、栃木…。
見かけたら「よく頑張ったね、お互い頑張ろうね」と心の中でエールの気持ちを送っています。
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