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【 フクシマ、追いつめられたままの人々、立ち直りすら許さない放射線 】《前編》
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2014年1月8日 星の金貨プロジェクト
地震、津波、放射線が破壊をほしいままにしてから3年の月日
事故で廃墟のままにさせられた場所の人々にとっては、何も終わってはいない
ガーディアン 2014年1月1日
津波の被害の復興作業、そして福島第一原発事故による放射性物質の除染作業、10年という時間を待つ事さえ出来れば、故郷に戻れるはずでした。
しかし復旧に取り組む当事者はこう語っています、永久に失われてしまったものがある…と。
巨大地震と津波が襲い、そして東京から北東方向280キロ地点にある福島第一原子力発電所が大量の放射性物質を環境中に放出し、福島県沿岸、そして内陸の市町村を破壊し尽くしてから、もうすぐ3年の月日が経ちます。
そして浪江町もまた、人が姿を消してしまったゴーストタウンに変わり果ててしまいました。
21,000の人々が暮らしていた浪江町は、2011年、約10キロ南にある福島第一原発が放出した放射性物質による汚染のため未だに環境中の放射線量が高く、町民全員が避難生活を強いられたままの状態に置かれています。
家の中にも、店舗の中にも、そして路上にも住民の姿は無く、いるのは検問所と巡回中の警察官だけです。
地球滅亡を描くハリウッド映画さながら、舗道の割れ目からいたるところ顔を出す雑草が猛々しく繁茂しています。
放棄された自動車修理工場には、地上から高く持ち上げられたままの自動車がすっかり錆びつき、もう二度と再開される事の無い修理を待っています。
野生化してしまった犬が荒れ果ててしまった庭から、じっとこちらを見つめていました。
波江は今、誰が暮らす町でもありません。
ここで暮らす人間は皆無です。
訪れる人間もいません。
空き巣にすら見向きもされません。
そしてそれを望む人がいるのかどうかを別として、一体いつになったらこの場所で人間が再び生活できるようになるのか、それを知る者はいないのです。
日本の3.11に関する見出しは、とうの昔に世界のメディアの第一面から姿を消しました。
しかし浪江町、富岡町、大熊町、双葉町、そして福島第一原発の周囲30キロ圏内に含まれる、事故で廃墟と化してしまった場所の人々にとっては、何も終わってはいないのです。
そして福島第一原子力発電所そのものでは、漏れ続けている高濃度の放射能汚染水が相変わらず海に流れ出し、破壊された原子炉建屋の中から核燃料を取り出すという困難な作業が始まり、この施設が未だにどれ程危険な状況にあるかを明らかにしました。
この危険な状況は、これから40年は続くとされている事故収束・廃炉作業の間、ずっと続く事になるのです。
避難生活を強いられたままの人々にとって、福島第一原発の事故の重さは何にもたとえようがありません。
避難区域は今年始め、放射能汚染の程度により3つの地帯に再分割されました。
最悪の影響を受けた地区では、早くとも2017年以前の帰還は許されません。
そして他の地域では、家族と企業が戻るべきかどうかについての難しい決断を迫られています。
現時点では誰も、一晩泊まる事すら許されません。
この地で暮らしていた人々は、この場所に多くの若い人々が戻る事は決して無いだろうと語ります。
東京電力は津波から福島第一原発の施設を守るため、適切な対策をとっていなかった事が事故後明らかになりました。
さらには発生後も、事故や汚染の拡大を防ぐために何ら有効な対策をとる事が出来なかった政府や東京電力、今やその公式発表をそのまま信じる住民はほとんど、あるいは全くいません。
ここにひとつの疑いがあります。
福島第一原発の事故の放射能汚染により、もう二度と人間が住めない場所になってしまった市町村があるにも関わらず、政府は今ですら極めて不人気な原子力発電を守るため、その事実を隠しているのではないかという疑いです。
そして福島第一原発事故の被災者の存在すら、今や視界から消されてしまったという思いもあります。
しかし除染作業は丹念に進められており、汚染のひどく無かった地区では若干の改善も見られる、浪江町に使い南相馬市小高区の村田区長がこう語りました。
福島県では津波により18,000人が死亡、あるいは行方不明になりました。
日本政府の復興庁によると、福島第一原発の放射性物質の放出により、さらに154,000人が避難生活を余儀なくされています。
小高区では148人が死亡、南相馬市全体では300人以上が亡くなりました。
村田区長によると小高区では、災害発生前12,800人だった住民のうち53バーセントにあたる6,800人の帰還が実現しました。
福島第一原発の事故が直接原因で死亡した人はいません。
しかしチェルノブイリの事故の経験から、子供たちの甲状腺ガンの発生割合については目が離せない状況にあります。
〈後編に続く〉
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【 フクシマ、追いつめられたままの人々、立ち直りすら許さない放射線 】《後篇》
http://kobajun.chips.jp/?p=15954
2014年1月9日
進まぬ除染作業、かさみ続ける除染費用
福島第一原発の事故によって失ったものは何なのか、その事を日本中の人に考えてほしい
ガーディアン 2014年1月1日
福島第一原発の被災地の地方自治体が現在直面する最大の問題は、仮設住宅で暮らす住民に永続的な住まいを提供することです。
そして崩壊しそうな建物を解体し、道路や学校の校庭を含むインフラを再整備し、そして建物や土地の除塩と除染を行う事です。
「1軒の家と庭の除染を完了させるには、通常10日から2週間ほどかかります。」
南相馬市小高区の村田区長がこう語りました。
「地面の一番上の部分を削り取り、木の枝を切り払い、屋根を洗い、そして雨樋の中を清掃するのです。しかし家の中の清掃は飽くまで所有者がやらなければなりません。行政が手伝えるのはその他の部分についてなのです。」
小高地区については、少なくとも除染が行われ、修復や修繕が進んでいる場所もあります。
しかし浪江町の中で最も海に近い請戸地区では、破壊は全域に及びました。
場所によっては高さが17メートルにも達した津波が、ほとんど一軒残らず家々を破壊してしまいました。
巨大な水の壁は行く手にあるものを、すべて平らにしてしまい、後には破壊しか残りませんでした。
海岸線から何キロも陸側の場所には、未だに流された漁船が放置されています。
かつてにぎわっていた町には、膨大な量の鉄くず、破壊された車、コンクリート製の橋の残骸、梁と柱だけになった木造住宅の廃屋が立ち並んでいます。
海岸線から500メートルほどの場所の遺棄された小学校の建物は、一見すると爆撃を受けたような惨状を呈しています。
しかしそんな有様の請戸にさえ、冬の日の午後、今は別の場所で暮らす住民たちがボランティアとして列をなし、かつては家が立ち並んでいた場所でがれきやごみを片付ける姿がありました。
町は少しずつではありますが、片付いてきました。
住民たちの献身的な作業に加え、自治体は再生できるものは可能な限り再利用しようとしています。
大量の海水が入り込み、泥に埋まり荒れ果ててしまったかつての水田からは、袋詰めにされた大量の土が運び出され、復旧作業が進められています。
南相馬市の江口副市長は、除染も含めた放射線に関わる事故後の処理には、さらに5年から6年の時間、そして3,500億円もの費用を必要とする見込みであると語りました。
このための予算のほとんどは、日本政府が負担することになっています。
そして津波の被害を回復する再建事業は、最高で10年がかかる可能性があります。
しかし目に見えない何か大切なものが、永久に失われてしまったと江口副市長が語りました。
「かつて平和だった時代と比べ、経済面、個人の生活、社会生活からそれが失われてしまうと、回復することは非常に難しくなります。」
最も困難な課題、それは除染であると江口氏が語りました。
「基本的に大気中からは放射性物質はもう無くなりました。それは今、地面の中にあるのです。」
南相馬の地域経済は中小企業、農業、漁業と、そして毎年開催される有名な相馬野馬追を含む観光事業に依存していました。
そのすべてが手ひどいダメージを受けました。
「ここを訪れても安全だと考えている人はまずいません。私たちの生産物や、家畜、そして漁獲物が安全だと考える人がいないことは明らかです。その意識が変わるまでには、長い時間がかかるのです。」
これまで多くの人々が何度も、福島を立ち直らせ元通りにするための取り組みを、日本政府が全面的に支えていくという事を言われました。
しかし現実は違っていると江口氏は語ります。
「私たちが非常に多くの支援を受けたことは事実です。しかしそれで充充分だったでしょうか?再建さえ果たせば良いという事ではないため、この質問に答えを出すことは難しい問題です。」
「国の政治家は東京にいて、福島の復興無くして日本の復興は無いと語っています。しかし本心からそう言っているのかどうか、私にはわかりません。」
「私は日本全体が、国を挙げて福島を支援しているとは思えません。でもそれを決めるのは、ここで暮らしている市民たちです。」
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さてこの記事の問いかけに対し、私たちは何を考えるべきでしょうか?
私は3.11の被災地の中心に居ながら、全く幸いなことに3年を経た今、災害以前とほとんど変わらない生活をしています。
常々考えているのは、そんな私が、実際に仮設住宅で暮していらっしゃる方々の苦悩を理解できるだろうか?という事です。
到底無理なのではないでしょうか。
では私はどう考え、どう行動すべきなのか…
その答えが解らないから、毎日こうして福島にかわる記事の翻訳を続けているのかもしれません。
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