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被災馬 未来へ駆ける
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2014年1月1日 東京新聞朝刊 こちら特報部:ニュースの追跡 俺的メモあれこれ
今年は午(うま)年。福島原発事故の発生直後、被災地で生まれたり、取り残された「被災馬」の2世が、競走馬として新たな一歩を踏み出している。事故はいまも続いているが、けなげに生き抜く被災馬たちと、取り巻く人々の姿を負った。(林啓太)
◆競走馬としてスタート 「上手に走ってくれ」
「性格は素直で前向き。上手に走ってくれればいいんだけど」。茨城県美浦村の日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター。調教師の菅原泰夫さん(67)は、競走馬「トライバル」の首をなでながらほほ笑んだ。中山競馬場(千葉県船橋市)で5日にあるレースに出走登録する。
トライバルは2011年3月28日、福島第一原発から約26キロ西に位置する福島県葛尾村の「篠木牧場」で生まれた。牧場の周辺は原発事故後、計画的避難区域に指定され、生後間もなく、他の馬たちと一緒に茨城県阿見町の内藤牧場に避難した。
馬主の篠木要吉さん(58)は「なぜ離ればなれにならなくちゃいけないのか。諦めきれませんでした」。内藤牧場の内藤好江さん(63)は「跳ね回る姿を見ていると、故郷を追われた経緯が思い出されてふびんでね」と言葉を詰まらせた。
内藤牧場に移った被災馬は未来に向かって歩んでいる。競走馬の2世が昨年11月、福島競馬場(福島市)で初陣を果たした。トライバルと一緒に避難した雌馬が11年4月に生み、葛尾村の名を冠した「カツラオー」だ。レースでは15頭中、最下位だった。
しかし、葛尾村は現在も全村避難が続く。篠木さんも福島県郡山市で避難生活を余儀なくされている。
「福島の夢を背負って走ってとか、明るいことを言える状況じゃないれけど…」。篠木さんは言葉に戸惑う。「とにかく、トライバルもカツラオーも競走馬に育ってくれてうれしい。言えるのはそれだけです」
◆20キロ圏…「食肉」を免れ 「見捨てられなくて」
福島原発の約18キロ北の旧警戒区域にある牧場「相双ファーム」(福島県南相馬市)の厩舎(きゅうしゃ)。牡(おす)の元競走馬のミラーズクエストが乾燥草を食べている。「外で毎日、運動もしている。元気な馬ですよ」。馬主の田中信一郎さん(53)が話す。
ミラーズクエストは07年生まれ。レースでは1勝もできず、半年で引退して田中さんの牧場に移った。直後に東日本大震災の津波にのまれて生き残り、地元の伝統行事の「相馬野馬追(のまおい)」に参加した。公開中のドキュメンタリー映画「祭の馬」(松林要樹監督)がその運命を追っている。
事故前は食肉に加工される予定だったが、事故時に原発から20キロ圏内にいたため、出荷が禁じられた。田中さんは「俺は津波の時、命が惜しくて馬たちを見捨てて逃げた。今さら殺処分なんてできません」。他の約10頭の馬を含め、なけなしの貯金や東電の賠償金を飼育費に充てている。
馬の平均寿命は25歳前後だ。ミラーズクエストにも約20年の「余生」がある。でも、牧場周辺は現在も避難指示解除準備区域に指定され、田中さんが畜産業を本格的に再開するめどは全く立っていない。
田中さんが苦笑した。
「馬たちにしてみれば、食肉にされず長生きできた。だけど先に死ぬのは馬か、俺か。もし俺が先だったら、馬たちはどうやって生きていくんでしょうか」
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