http://www.asyura2.com/13/genpatu35/msg/529.html
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2年10が月前のあの当時、国の方向性がどのように動いたか
今一度確認してみませんか?
今の現状と合致している?していない?
年末年始で時間がある時に事故当時に政府の中枢で
何が資料として用いられ何が方向ずけられたのか
今一度歴史を振り返ってみませんか?
(確か議事録そのものも見た記憶あります、どこかにある?)
原子力災害対策本部
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/genshiryoku/index.html
フクイチ事故から約1ヶ月後の会議の(h23/4/11)
経済通産省提出資料(モニタリングデーターが3/17以降とかなんだかなー)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/genshiryoku/dai13/13_05_gensai.pdf
トップ会議の方向性の意思決定から法制度化の過程でたづさわる人々の意識は下記のこんな感じでは無かったのかと思う(個人の感想)
(教育のお話から)
マニュアル主義者は「想定外の事態に遭遇した場合にも、現場で自己裁量することは許されない」と深く信じ込んでいる。現代日本のシステムがことごとく機能不全に陥っているのは、私の見るところ、この病的なマニュアル主義のせいである。
「臨機応変で事態に処することのできる力」は生物にとって必須の能力であり、それを涵養することが教育の本務であるという合意は私たちの社会にはもう存在しない。求められているのは「すべてを列挙した網羅的マニュアル」の整備と、「決して自己決定しないで、逐一上位者に諮って、その指示を待つ」人間の育成である。
まことに愚かなことと言わねばならない。この病が蔓延したことによって「どうしてよいかわからないときに、適切にふるまう」という人間が生き延びるためにもっとも必要な力が致命的に損なわれたからである。
わが国のエリート層を形成する受験秀才たちはあらかじめ問いと答えがセットになっているものを丸暗記して、それを出力する仕事には長けているが、正解が示されていない問いの前で「臨機応変に、自己責任で判断する」訓練は受けていない。むしろ誤答を病的に恐れるあまり「想定外の事態」に遭遇すると、「何もしないでフリーズする」方を選ぶ。彼にとって「回答保留」は「誤答」よりましなのだ。だが、ライオンが襲ってきたときに「どちらに逃げてよいか、正解が予示されていないから」という理由でその場に立ち尽くすシマウマは最初に捕食される。だから、秀才たちに制度設計を委ねると、その社会が危機を生き延びる可能性は必然的に逓減する。
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