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病理学者の矛盾 杉原芳夫医師の手記(5)
http://onodekita.sblo.jp/article/83481892.html
2013年12月30日 院長の独り言
被曝は、人間に影響を与えるのか。ABCCは与えないと「科学的」に証明していますし、現在ではそう「認められて」います。
http://onodekita.sblo.jp/article/72079374.html
一方、野村大成先生が発言されたように、「人間だけが放射線に被ばくして、子どもに遺伝的影響が出ないなどあり得ない」と言う意見もあります。
ところが、被爆者側に立っている医学者たちもまた、被曝によって遺伝性の影響は起こりえない。と発言しています。
http://onodekita.sblo.jp/article/60627636.html
この質問を受けて、私は大変面食らいました。明らかに自らの主張と矛盾するからです。被曝をしても、一般の人と差異がないのならば、いろいろと手厚く保護する理由はありません。そう考えていましたが、過去4回の手記では全くまともなことを発言されいる杉原氏もまた、全くおなじ主張をしています。前半でABCCはおかしいと発言しながら、被爆者を区別する必要はないとさいごのさいごで発言しています。この文章を読んで、被爆者の健康被害の取り扱いがいかに難しいかを改めて認識してしまいました。
一般人と健康に差異がなければ、なんの心配もありません。今までの主張の根底を覆すかのような哀しい結末でした。残念です。
「危険な迫伝は少ない| −つかめぬガンとの関連」という見出しで、一九六0年十一月二日付のある新聞は、ホーリングスワース博士の論文をかなりくわしく紹介していました。それは一九四七年から五九年にわたるABCCの調査研究の総括で、二キロ以遠の被爆者群にはほとんど放射線の影響がなく、残留放射線の影響は無視してよい程度のものであり、遺伝学的危険は事実上ない、というものでした。
それを読んだときの私は、「あいかわらず、同じようなととを、よく発表するものだな」と不快な気持でいっぱいでした。ところがとれがさらに他の新聞にも掲載され、特別被爆者の枠を拡大しようとしている被爆者の要求に、真っ向から挑戦しているととが知れわたるにつれて、問題が大きくなりました。
当時私は、広島女子短期大学の石井金一郎助教授を中心にした日本原水協専門委員会編『原水爆被害白書』の医学部門を担当し、すでに原稿を提出していました。その関係で広島県原水協から、ホ博士の論文にはどうしても反論する必要があるから、私に資料をそろえておいてほしいという連絡がありました。
広島市役所の記者クラブで、県原水協の責任者たちといっしょに、七、八人の記者を前に私はホ博士の論拠を各項目ごとに反論し、その誤りを指摘してゆきました。その結論は、二キロ以遠の被爆者でも一〇〇〜二〇〇ラッドの線量をうけた者がありうること、残留放射線を重視すべきこと、被爆者の病的状態はすべて無関係という証明がない限り、放射線と関係があるものとして医療および調査研究を行なわなければならない、というものでした。ととろが何故か記者諸君は一向に私の話に乗ってこず、ついに新聞は私の発言を一行も報道しませんでした。そとで私は佐久間澄教授の協力をえて、ホ博士への詳細な反論を書きだしました。
私たちの主張が容れられたかどうかは知りませんが、とにかく政令で特則被爆者の枠、が二キロから一一一キロまで拡大したのは、論争のあった翌々年の一九六二年四月のことで、ABCCへの反論を収録した『原水爆被害白書−−かくされた真実』(日本評論新社)が出版された翌年にあたります。
第一回原水爆禁止世界大会は広島宣言のなかで「原水爆被害者の不幸な実相は、広く世界に知られなければなりません。との救済は世界的な救済運動を通じて急がなければなりません。それが本当の原水爆禁止運動の基礎であります。原水爆が禁止されてこそ、真に被爆者を救うととができます」と述べています。
被爆者の不幸な実相、とくに後遺症をなるべく国民の自に触れさせまいとするアメリカおよび日本政府への抵抗を通して、被爆者の要求を実現し、それによって原水爆禁止の世論をいっそう高める努力とそ続けられねばならないのです。
しかし不幸な実相を明らかにする過程において、あたかも被爆者のすべてが白血病やガンという不治の病気にかかるものときめこんだり、被爆者の子供はすべて崎型児であると思いこんだりする傾向があらわれてきました。しかも救援運動に熱心なあまりか、被爆者が救いがたい悲惨さのなかに岬吟していなければ気のすまない人々さえいます。このようなととは、被爆者の就職や結婚という最も基本的な問題において、強固な社会的差別を生みだしました。ととろが被爆者の中にも、その差別を固定化し、暗い商だけを強調するととで、被爆者援護法を獲得しようという動きをする者もいます。
一九六四年八月五日、大阪でおこなわれた第十回原水禁世界大会の被爆者協議会で、私は『原爆症−−原爆被害者の医学的側面について』という題で、問題提起をおとないました。
「原爆症というのは被爆者だけにおとる特殊な病気ではなく、全人類の疾患の一部にすぎません。したがって被爆者の病気がすべて不治であるという発想は、実際的にも、理論的にも、病理学者の怒り誤りであります」
「被爆者が大量の放射線を浴びた特殊な集団であることもまた、疑う余地のない事実です。それゆえに被爆者の病気はすべて、放射線障害との関連において追求されねばなりません。被爆者の病気を明らかにするととは、人類の脅威となりつつある放射線障害を解明する上で、怠るととのできない緊急な事業なのです」
「たしかに肉体的にも精神的にも、この上なく気の毒な被爆者が多数います。だがそのような悲惨な人々の実相が、全被爆者の姿ではありません。放射線による遺伝因子への障害も、畸形児の発生も、被爆者群と非被爆者群とを比較すると、両者の差はあっても、意外に小さいもので、もしそれを各個人の比較にひきあてれば、差はほとんどありません。このような遺伝への影響のために、被爆者との結婚を拒否するとととそ、よほど悲惨なのです。被爆者だけが病気ばかりしているわけでもないのに、すべての被爆者を病弱だろうと言って、就職を拒否するととこそ、悲惨なのです」
「被爆者の真の実相を明らかにしなくて、たんに悲惨さを強調するととで被爆者を救援し、 原水禁運動を推進する一つの手段にすることは、同時に被爆者自身の立上る気力や、闘う意欲 をなくすおそれがあります」
「原爆によって、一人でも病苦に苦しむ者があれば、私どもはその非を問うための抗議権を、いつでも行使しなければなりません。他方、私どもは個々の被爆者の肉体的障害を、過大に評価することは、慎しむべきであります」
私の演説に対する-拍手はきわめて少ないものでした。おそらく被爆者救援に意気どんで集まった人々に、冷水をあびせたのでしょう。
そのとき一人の被爆者が質問しました。
「先生は原爆症は不治ではないとおっしゃったが、私は被爆いらい頭の働きが弱まるばかりですし、ただ習慣的K食事をしているにすぎません。これでも不治ではないのでしょうか」
被爆者をとのような敗北的な気持にさせないために、私は『原水爆被害白書』への執筆などを通して原爆症の知識を行きわたらせようと私なりに努力してきました。しかし原爆症の知識が国民のものになりきる日はまだ遠いといわねばなりません。それは原爆被害のもつ悲惨さと医学上の問題が、"被爆者救援"を聞にはさんで、混乱した理解のされ方をしているからです。
このことは、もはや単に医学の狭い枠の中だけでは解決できない問題なのです。私は冷静に科学的な立場と方法で、なにものをも恐れず真実を明らかにしていく一方、被爆者だけでなく日本人全体が核禁止の訴えを高められるような条件をつくっていくととのなかに、一医学研究者としての私の使命があると思っています。
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