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今中哲二氏(写真は2012年10月26日の講演会でのもの)。今中氏は京都大学原子炉実験所に勤め、小出弘章氏らとともに長年、研究者としての立場から、原発の危険性を訴えて来た。(撮影・三上英次 以下同じ)
医師の見た福島――急務! 被曝からの避難
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2013年 12月 23日 13:32 三上英次
12月11日(水)、都内で京都大学原子炉実験所の今中哲二氏が『福島で何が起きているのか』という題目で講演を行ない、その後、福島での〈健康相談会〉等の活動をしている医師から、福島の現状、特に被曝による子どもたちへの健康被害に関する報告がされた。以下は、その報告〔要旨〕である(趣旨を変えずに適宜表現を改め、小見出しをつけた)。
◇◆◇ 初めて知った福島の現実 ◇◆◇
本日はお集まりいただきありがとうございます。今日は、私が実際に見聞きした範囲での〈福島の現状報告〉をさせて頂きます。
福島では2年前(2011年)の6月から、「こども健康相談会」が実施されています。私は昨年の始めから参加するようになりました。その2012年の1月8日、翌日から3学期の始業式が始まるという、その日のことを私もいまも強烈に覚えています。その時の手元の線量計は6.94マイクロシーベルト/hという数値を指していたからです。これは東京の約100倍にも相当する、きわめて高い値(あたい)です(注1)。
(注1)「放射線管理区域」として立ち入りが厳しく制限されるエリアの基準値が、0.6マイクロシーベルト/hである。
福島での相談会に初めて医師として参加した時、ほかにも衝撃にも等しい驚きを感じたことがあります。ひとつは、福島のお母さんがたの強い不安や心配です。客観的な状況を考えれば避難したほうがよいのはわかっていても、さまざまな事情で避難ができないでいるお母さんがたは、高い放射線量の中で子どもたちを生活させることについて、内心でとても不安を感じていたのです。
「自分が原発事故や被曝についてよく知らずにいたために、する必要の無い被曝を子どもたちにさせてしまった」――こういう自責の念から、手の指紋がこすれて見えなくなるほど拭き掃除したり、心労のあまり原発事故以来一度も笑っていなかったりするお母さんを目にしました。
12月11日の講演会の様子
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ところが、さらに驚かされたのは、そういう不安を抱く母親たちへの行政側対応です。寄せられる健康被害への相談に対して、福島県や市、さらには地域の医師らは…「福島県は安全です。したがって、これまでと違う何か特別なことをする必要もありません」、「放射能が心配だからと言って子どもを外で遊ばせないと、外に出られないストレスやお母さんの“放射能恐怖症”が子どもたちの病気を作ってしまうのです」等と言い、親の不安に向き合おうとしません。それだけではなく「風評被害をあおって福島県の評判を落とすから、今あなたが口にしたことはよそで言ってはいけない」と発言を控えるように求められることもあるそうです。
不安におののく母親たちと、そのような不安を一顧だにしようとしない行政や専門家と言われる人たち――。東京で生活し、東京での新聞報道やテレビニュースからイメージしていた福島の状況と、実際に相談会に来るお母さんがたが訴える福島の現状とのあまりの違いに、私は強い驚きを覚えました。
いま紹介した毎時「6.94マイクロシーベルト」という線量からもわかるように、ふつうに考えれば不安や心配を感じて当然なのに、「福島県は安全だからみんな残っているのに、あなただけ不安を口にするのはおかしい」とまわりから〈変わり者〉扱いされ、家庭でも「お母さんは神経質すぎる」と言われたりもします。
不安をおし隠して生活し、次第に地域の人たちからも家族からも孤立し、「本当は自分の方がおかしいのではないか?」と考え始める母親もいます。相談することに疲れ、抱え切れない不安にすべてを諦(あきら)めてしまおうとする保護者や、意見の違いから喧嘩が増えた夫婦など、数え上げればきりがありません。
◇◆◇ 子どもたちに見られる症状 ◇◆◇
福島の子どもたちには、実際に、鼻血、喉の痛み、下痢、頭痛、倦怠感、発疹など、母親の直感として、明らかにおかしく、心配な症状が出ています(注2)。子どもの健康に不安があっても口に出せない、福島では「復興」と「安全」ばかりが強調される中で、放射能の危険に関する話はタブーになっていて、福島では聞けないし、相談するところも無いため、「福島県外の医者らによる相談会なら行きたい」という人たちが相談会には来ていました。体調不良の原因が、〈放射能そのもの〉ではなく、〈放射能に対する不安である〉とすり替えられてしまうことが、最も危険なことです。ストレスだけでは決して白血病や甲状腺がんになることはありません。
(注2) 肥田舜太郎医師も、講演の中で「子どもたちの被曝に関する症状が報告されている」と講演の中で述べている。《関連記事》【1】参照。また内部被曝による症例として、長崎・広島の事例から、強い倦怠感にさいなまれる「原爆ぶらぶら病」がすでに知られている。
震災後2年目から、政府は“帰還”政策に熱心です。「安全だ」「心配しすぎ」といったまわりの声のせいで、個人での避難がますますしにくい状況になって来ています。そして、政府は原発事故の収束への見通しが立たない中で、原発再稼働や原発の輸出等が推し進められようとしています。
福島県が行なっている「県民健康管理調査」での甲状腺検査の結果を見ても、「それが本当に安心できる結果なのかがわからない」、「自分の検査結果なのに、手続きの複雑な情報開示請求をしないと結果を教えてもらえない」等、県民健康管理調査の問題が次々と明らかになりました(注3)。検査が「検診」という本来の目的ではなく、単に「不安解消の道具として使われている」ということ――そのことに強い危惧を覚えます(注4)。
(注3)《関連記事》【2】には、「県民健康管理調査」の実態を暴いた、『福島原発事故 県民健康管理調査の〈闇〉』(岩波新書)からの引用がある。
(注4)福島県で多く観察される上記のような喉の痛み、倦怠感、頭痛等も「ストレスが原因」、「心配が病気を作る」という具合で、医学的要因が心理的要因にすり替えられてしまう危険性が、以前から指摘されて来た。また、そういう不安を取り除くという意味で「心の除染」なる言葉も県内で流布しているという。
今中氏の考えは、2012年11月に講談社から出版された『サイレントウォー 見えない放射能とたたかう』に詳しい。
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◇◆◇ 福島で見られる県民同士の「分断」 ◇◆◇
私は福島での「こども健康相談会」に参加する一方で、首都圏で開催される、福島から自主避難した人たちのための相談会にも関わっています。そこで避難して来られた方の話を聞くと、その人たちが次のような言葉を投げかけられたことを聞かされます――。
「故郷を捨てた」、「自分たちだけ逃げた」、「安全宣言が出ているのに、どうして戻って来ない?」、「子どもは母子で避難するより、父親と一緒の方が幸せなはず(注:母子避難者に対して)」……。
そういう心ない言葉を浴びせられたために、福島県からいったん避難した人の中には、「もう故郷には帰れない」と話す人もいます。その一方で避難先では、自分たちが福島から避難して来たことを隠して生活しなければいけない場合もあります。
残してきた家族や親族からも、そして地域からも分断される、賠償や将来への保証も無く、ふるさとに帰る見通しも全く立たず、新しい生活もなかなか思うように始められない。このようなジレンマの中で、「福島にはもう住めないと考える人」と「これからも福島に住み続けようとする人」との間の溝が、どんどん広がって来ています。
◇◆◇高線量下での、「放射能」に関するずさんな授業◇◆◇
原発事故直後から、政府関係者から繰り返されたフレーズがあります――「直ちに健康に影響を及ぼすレベルではない」という…あのセリフです。しかし「直ちに現れた健康障害」もありました。
それは、まさに「人々の心がバラバラにされたこと」でした。さらに、もっと心配なのは、原発事故によって人生を翻弄されるおとなや親の姿、混迷を続ける社会――そうしたものを見続ける子どもたちの「心のケア」が全くなされていないことです。
「心のケア」…どころではありません。原発事故以後、「放射能は安全だ/心配ない」と“放射能安全神話”を子どもたちに刷り込む副読本や、「2人に1人はがんになるから気をつければ大丈夫」という冊子(『がんのおはなし』)などが小学校で配布されています(注5)。
(注5)2013年11月には国立がんセンター制作による冊子『がんのひみつ』が全国の小学校に配布された。(《関連サイト》参照)
医学的に見て、信じられないことが次々と起こっています。昨年、郡山で小学6年生向けの放射能の授業が行なわれました。授業で「世の中にはたくさんの種類の放射能がある」という話の後に、2人1組で測定器を使って学校周辺の放射線量を測定した時のことです…。
校庭の真中で0.2マイクロシーベルト/h、ある木の近くでは6.7マイクロシーベルト/h、石垣のある場所は8.9マイクロシーベルト/hもありました。「6.7マイクロシーベルト/h」、「8.9マイクロシーベルト/h」というのはたいへんな数値です。しかし、その数値を見ても学校の先生は「あーあ」とだけ言ったそうです。
その授業の後に、急いで高線量のところにロープを張ったり、石垣に近づかないように貼り紙をして注意を促したりするわけでもなく、子どもたちはその後も石垣の上に座ったり遊んだりして、原発事故前と変わらない生活を続けているそうです。いったい何のための「放射能」に関する授業なのでしょうか。
“放射能安全神話”に立った放射線の授業はしても、「被曝から自分たちのいのちを守るための授業」が福島県ではされていないため、今も子どもたちは日々、被曝を強(し)いられています。原発事故から2年目となり、子どもたちはマスクもせず、長袖・長ズボンを着なくなり、外で遊ぶ時間も増えました。そうやって、皆だんだん注意を払わなくなり、結果的に子どもたちの被曝量は増加してしまっているのです。
最近の相談でも、「どんなに訴えても現状が変わらない」という無力感からお母さんがたが疲れ果てているのを感じます。「…仕方ない」「もう放射能のことは忘れて暮らしたほうが楽」と無理やり自分で思い込むことで、何とか心のバランスを保とうとしている人が増えているようです。
もちろん、そういう人たちがすべてではありません。「まだ今からでも避難はできますか?」という質問もありますし、以前相談会でお会いしたご家族がようやく避難することができたという報告も受けています。そして、以下にお話しするような、保養のための活動も取り組みが始まりました。
講演会会場でも販売された今中氏の著書
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◇◆◇中学生を対象にした保養のための合宿の成果◇◆◇
この夏、郡山市内の中学生(希望者)を対象に「学ぼう、話そう、誰にも聞けなかった放射能のこと」という保養のための合宿が県外で行われました。これまでは、小さなこどもを持つ保護者を対象にした相談会や勉強会が多く、私自身、成長途中の中高生のことも気がかりでした。小さなお子さんよりかなり大きい…中学生向けに初めて企画された合宿について、その時の中学生たちの様子や合宿後の変化をご報告したいと思います。
まず、「被曝に関する正しい知識を持たなければ、自分の健康を守ることはできない」ということで、福島県内にある大学の先生から「今、福島で自分たちが置かれている状況」についての話がありました。そこでは「今、被曝を強要される中においても、なお、自分で知り、考え、それを言葉に出し、人生を切り開いていく力を身につけて欲しい」というメッセージが伝えられました。子どもたちは、やはり、その話を聴くまでは(被曝に関する)事実についてはほとんど知らされておらず、そのために最初は戸惑っていた生徒たちも、「正しい知識を知ることができてよかった」と重要な事実のいくつかをうまく受け入れることができました。
合宿の最後の晩に座談会を催し、私からも子どもたちに「自分で自分のいのちを守ることの大切さ」を伝えました。次の言葉は、その座談会で涙ながらに自分のことを話した女子生徒の言葉です。
「自宅にある自分の部屋の放射線量を測ってみたら、0.8マイクロシーベルト/hもあったので、それまでの頭と足の向きを逆にして寝ることにした」
「自分は食べ物のことなどが気になるけれど、あまりそういうことを言うとお母さんを逆に苦しめてしまうから言えない」
その合宿期間中に、鼻血を出した子がいました。スタッフは慌てたのですが、聞けば、授業中に生徒らが鼻血を出すことが今では珍しいことではなくなっており、生徒もいちいち保健室に行ったりはしない――それは日常の光景だと中学生らは話します。
滝のような鼻血が1時間以上も止まらないので、レーザーで鼻の奥を焼いて治療した子も数人いました。また、部活動のマラソンでは、除染されていない沼の周りを走り翌日から熱と体中の痛みで1週間起きられない生徒もいます。
さらに、そういう体験をしても、「ただの疲れ」として、自分の体に現れる症状を深刻に受け止めていない生徒がいることにも驚かされました。その合宿中、食後に階段をあがりながら上を向いておもむろに整腸剤を流し込む男子もいました。あとで事情を聞くと、ずっと下痢が止まらないから整腸剤をそのように服用しているのだそうです。
合宿の最後――「大人が信じられないとか、国は福島を見捨てたと感じている中学生もいるかもしれないが、少なくともこの合宿に付き添ったおとなたちのように、君たちと一緒に考え、寄り添う大人たちもいることを忘れずに前向きに進んで欲しい」と参加した子どもたちに私から伝え、保養のための合宿を終えました。
保養から帰った後の様子を尋ねると、郡山に戻ってすぐにまた鼻血を出した生徒もいたようですが、それでも子どもたちに少しずつ保養によるよい変化が起こっていると中学生たちの健康を注視している人から報告がありました。
また、以前は鼻血など、体の異変が話題になることは少なかったのに、合宿後は子どもたちが自分たちの体調の変化を進んで口にするようになったり、これまでのいろいろな検査結果をファイリングしたりするようになったそうです。自分で自分の体や健康に注意を払い、そのことを口に出して言ってもよいのだという雰囲気が、子どもたちの間に出来て来たとも聞きました。
◇◆◇ 今後に向けて ◇◆◇
現在、子どもたちが放射線から体を守る方法について正しく知る機会は、非常に限られています。おとなであっても、現在の福島のような状況下で子どもたちに真剣に向き合うことは勇気のいることですが、決して過酷な現状にひるまず、彼らの声に耳を傾け、今日報告した保養合宿のような…ささやかであっても子どもたちにとっては大事な活動を今後も継続し、さらに広げて行けたらと考えています。
いま、福島県内の医師たちが中心になり、「子どもたちのいのちを守る」ということをテーマに、全国の医師と団結・連携を始めています。いま私たちおとなが子どもたちに対してしなくてはいけないことは、「高い放射線量の中で気をつけながら生活すること」ではなく、「とにかく線量の高いところから離れること」「被曝からの避難」――即ち《脱被曝》が急務です! また、医師らが団結・連携し、子どもたちや妊婦に限らず、日本のあらゆる人たちが《脱被曝》の権利を享受できるよう、医学的エビデンスを積み上げていくことも必要です。同時に、色々なところで見られる放射能についての意見の対立を、公正かつ科学的立場から解消していくことも医師として大切な役割だと考えています。ご清聴ありがとうございました。
2012年10月1日、宮城県内で行なわれた、子どもたちへの避難を求めるデモ。
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《 備 考 》
◎ 原発事故:汚染地域からの、子どもたちの避難を求めるデモ
「ふくしま集団疎開裁判の会」による東京(新宿)でのデモが2月22日に予定されている。詳細は同会のサイトまで。
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html
《関連サイト》
◎ さようなら原発 1000万人アクション
http://sayonara-nukes.org/page/2/
◎ 子どもが自発的にがんについて学べる教育資料『がんのひみつ』
下記サイトによると、全国の小学校23000余校に『がんのひみつ』冊子が配布されたという。「分からないことによる不安が子どもたちにとってはストレスだと思う」という冊子読後感、さらには制作者による「子どもたちを必要以上に不安にさせることなく正しい理解を促すことで、がんになっても誰もが安心して暮らせる社会を構築していくことが不可欠」とのメッセージもサイトに紹介されている。
http://www.ncc.go.jp/jp/information/press_release_20131115.html
《関連記事》
【1】 肥田舜太郎医師 講演録(2012年9月)
http://www.janjanblog.com/archives/81777
【2】 福島県:小児甲状腺がん「59人」の意味すること
http://www.janjanblog.com/archives/103500
【3】 福島の女性が語る、県民同士の〈分断〉
http://www.janjanblog.com/archives/81991
【4】 〈原発安全神話〉から〈放射能安全神話〉へ
http://www.janjanblog.com/archives/93476
【5】 さようなら原発 9.14大集会(亀戸)
http://www.janjanblog.com/archives/100641
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