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「日光猿軍団」で行われた「お猿の学校」の卒業式=栃木県日光市(写真:産経新聞)
日光猿軍団、万感の卒業式 高齢と震災風評被害…年末閉園、最後まで笑い届ける
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131221-00000535-san-soci
産経新聞 12月21日(土)14時21分配信
年内で閉園する栃木県日光市のテーマパーク「日光猿軍団」で21日、猿の集団芸「お猿の学校」の卒業式が開かれ、猿たちに卒業証書が手渡された。ユーモラスな猿の集団芸と校長役の間中敏雄さん(65)のキャラクターで人気を博し最盛期は年間100万人以上が訪れた。22〜31日は卒業式アンコールステージ。東日本大震災で外国人調教師が帰国、風評被害にも苦しんだが、猿たちはステージを降りるまで笑いを届け続ける。(宇都宮支局 桑島浩任)
■原発がなければ…
ふみお「山に帰ったら教わったことをみんなに教えよう」。ぜん太「ぼくはとっても幸せです」。
平成4年の開園以来22年間を締めくくる晴れ舞台で間中さんが猿の気持ちを代弁して作文を読み上げた。また、ステージ上の15匹と裏方5匹、一匹一匹に手渡された卒業証書には、それぞれの猿に対する間中さんの思いがつづられていた。MVPに選ばれた英太郎には「何をやっても様になり、難しいこともすぐ覚えた天才です」。
この日、猿の晴れ舞台を大勢の観客が見守った。公演後には、観客の女児から間中さんへ卒業証書が贈られるサプライズも。「楽しい思い出をありがとう」という言葉とともに手渡されると、間中さんの目に涙があふれた。
人気を集めてきた猿軍団だが、震災が大きな転機となった。韓国人を中心とした外国人調教師は震災直後に全員帰国。それでも間中さんは観客の笑顔を見て、「被災者に見てもらい、もう一回頑張ろう」と踏ん張った。ただ、震災後、栃木県の観光地は風評被害で苦しんだ。日光も例外ではない。「(原発事故の)放射能(問題)で客が来なくなった。放射能がなければやめる必要はなかった」。間中さんの本音だ。
■独学で芸を教える
開園のきっかけはテレビで見た猿回し。間中さんは小鳥がおみくじを引いて客に渡す「ヤマガラ芸」を受け継いでおり、「鳥に教えられるなら猿でもできるはずだ」と3匹購入。毎日、付きっきりで猿を観察しながら芸を教えた。全くの独学。「格闘するうちに褒めてやれば言うことを聞くと分かってきた。根比べだった」と振り返る。
10匹、20匹と猿を増やし「何をさせればいいか」と考えていたとき、当時小学3年だった長女が「学校がいいんじゃない」。この言葉で「お猿の学校」が誕生した。
開園直後は人気を呼び、テレビCMや各地の交通安全運動などに引っ張りだこだった。
間中さんの猿に対する愛情は深い。この日、公演後にオークションにかけられた猿の衣装は妻、清子さん(58)の手縫い。公演中、猿たちに好物を与えたが、ほしぶどう、甘納豆、うどん、イチゴ、甘栗(あまぐり)、まんじゅう、リンゴ、ジャガイモ、チョコレート…。それぞれの好みを全て把握している。
■お猿さんの余生は
閉園の決定打は原発事故の影響だが、猿の高齢化も大きい。最高齢は30歳。人間でいえば90歳に当たる。「公演後、疲れを見せるようになった。もう、のんびり過ごさせてやりたい」。猿たちは間中さんが買い取った山で余生を過ごす予定だ。日光猿軍団の活動を紹介する記念館を建設する計画もある。
また、中国やインドネシア、カンボジアから「猿の集団芸を教えてほしい」という依頼を受け「他国との懸け橋になれるのなら」と関心を示す間中さんだが、「今、考えているのは31日までの公演をきちっと終わらせること。その後のことは何も考えていない」。
最後はユーモアを忘れない校長の顔に戻り、「ファンの皆様、卒業のお祝いは遠慮願います。でもどうしてもという方はこっそりどうぞ」。
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